2023-10-27 41:36

なくて困るものはない【GMV 865】

腹立たしいほど自立したいものに、私たちは依存しやすい。

サマリー

今回のエピソードでは、タスクシュートの話や新しいiPhoneの話が取り上げられています。また、ギャンブルや依存症についての話題も登場しました。カジノがあると不思議な都市であるアメリカの街を訪れた経験を持つ著者は、カジノの魅力と依存性の分裂を感じながら、カジノの心理学的な側面を探っています。また、母親との依存関係について考察しつつ、アメリカのカジノ文化と依存症についても取り上げられます。さらに、カジノを必要としない人生のあり方についても考えられます。お金は強い欲望を掻き立てる一方で、同時に自分自身を破壊するものであり、依存と自立のキーワードが関連してきます。

新しいiPhoneの移行と特徴
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
10月27日、金曜日の朝7時38分ですね。
昨日飛ばしてしまった気がするんですが、これはまあ、まあ、まあまあ。
あの、iPhoneのやっと新しいのがですね、何世代ぶりなんだろう?実は何世代ぶりかはわかりませんが、前持ってたのが10で現在15ですんで、
なんか5世代ぶり感があるんですけど、まあこれの設定をしなければ、まあ移行ってやつですね。
まあ今そこが早くなりましたけどね、びっくりするぐらいでしたが、間に合わなくて、昨日はもうこれの移行だけで半日を費やしたので、
これは飛ばさなければならなくなったという、ちょっとした嬉しいんだけどアクシデントみたいな感じになりました。
一言で言って15はですね、ただこれ10のRからなんだけど、なので、15 Proに買い替えたんですけど、まあ最強感があります。
まあこれはあって当たり前で、2世代飛ばすのも相当なもんなんで、明らかに2世代なんかじゃ全然効かないほど、
11、12、13、14と飛ばしてきましたから、その間にも何かあったような気がするし、
まあびっくりしますね。まず、でもびっくりするところは結構しょぼくてですね、まず電池の持ちがすごい。
これは15が10よりいいのは当然なんだけど、そもそも私のXRがもうすでに相当下手ってきていて、
もうどうしようもないんで、これ以上は持たないというのか理由で買い替えたので、もうそういうわけなので、これが持つようになって驚くぐらいじゃないと困るんですよね。
これが一つですね。もう一つ、ある種のアプリは、まあ言ってしまいますが、タスクマとか爆速になりました。
今までが何だったんだろうぐらいな感じで、あまりにも早いのですげーびっくりするっていうぐらい速度が違う、速度感がありますね。
これで私の使い方がようやく、私の使い方っていうのはもう、一応境界リーチとかやってるんで、
3種類同時並行的で、ほとんど変態的な使い方なのでマニアックなところじゃないんですよね。
タスクシュートクラウド、アスクマ、タスクシュートクラウド、ライト、ほぼ同期させてるぐらいな勢いなんで、
こういう明らかに無駄なことを一般の人はやる必要が全くないのでですね、
明らかに無駄だな、これはっていうシーンが何回も出てくるんだけど、そこはもう根性でやってるみたいな。
ここに今度手帳付け加える可能性が高くなってきてるんで、なんだかよくわかんないものになっちゃうんですけど、
まあでも、何やってるかは自分ではもう、分かる範囲では、これじゃあ意味ないんだけど、分かる範囲では100%把握してやってるんで問題ないんですけどね。
本当はここにExcel版を追加したいぐらいなんですけど、僕もうWindows機持ってないんですよね。
Macで結局Excel動かすと結構違う挙動になってしまうっていうか、ほとんど止まっちゃったりするんで、
昔それでパラレルデスクトップとかね、バーチャルなWindows動かしたんですけど、あれはさすがにすごい面倒くさい上に、
結局そこのWindows上で動かしてるのはもう、なんかこう、Excel、というかタスクシュートとHKソフト、これだけになっちゃう。
すごくこう、虚しいんで辞めました。お金も結構かかるしね。もう全然いいことないなっていう感じで辞めました。
なんか最初は面白くてですね、いろんなことをやってたんですけど、どう考えても面白くてやってる以外のことではなかった。
例えば、なんていうのかな、両方にEvernoteを入れて同期させてどうなるかを試すみたいな。
明らかになんて言うんだろう、何の意味もないんだけどとりあえずやっておくぐらいな感じで。
若かった頃はそれも、とにかくなんて言うんですかね、この話しようと思ったんですけど、
昨日NHKで魔戒像の話を、あのドキュメントを見てて、やっぱ僕とか好きなんだなっていうのが、
テレビ滅多に不意に見るってことはなかったんだけど、あの魔戒像のどうでもいいような虎とウサギちゃんのリレーレースみたいなのを、
魔戒像の変な手作り機械でタイムを競うというね。
うちの娘もめちゃくちゃ真剣に見ていて、これはもう血だなみたいな、そういう、だってうちの娘にあれを見なさいとかって、うち絶対言わないですからね。
切り上げて宿題しなさいとか言ってるんだけど二人して見てるみたいな、そういうもうどうにもならない、この変な独特のね。
で、うちの子がだから工学部に行きたいとか言ってるわけでもないんですよ。
で、僕も工学部とか入る気は全くなかったんですよ。でもああいうのを見るとこう、目が釘付けになっちゃう。
これとちょっと僕のですね、そのバーチャルデスクトップにしてエヴァノートを入れて、全く意味もないのに容量をふんだんに圧迫して、
それでもフル同期をさせるということをやっちゃうというね。あれは何なのかなって感じがしますね。
それでもうなんか、容量がすごい制限がかかる、容量の警告が出てくるっていうのでもう嫌になったんですけどね。
なんかこうやっていておかしいですよね。部屋を2つに仕切ってるようなもんですからね。
その2つの部屋に同じものを入れていくみたいな。もうやりたくなるんですよね。しょうがないって思う。
はい、それはそれとして、まあ趣味なんでね。
でもまあ今はちょっと我慢してやってないというか、別にそこまでしたいとも思わなくなったというのもあって、
非常にめんどくさいんで。で、iPhone 15にしましたと。
あとはこう、やっぱベゼル縁なしっていうのは、これはもううちの奥さんも娘も縁なしが素晴らしいみたいなことをずっと言うんで、
見た目に縁がないっていうのは、なんすんだろうな、やっぱり人間のそういうある種の無駄に対する行き通りのデカさだなって思うんですよね。
縁がないのが素晴らしく見えるって言っても、それがすっごくあらゆる面で便利になるかというとそんなことはなくて、
現に今しがたもなんでなのかなと思ったんですけどね。
下から上にアプリ切り替えるときやるじゃないですか。できなくなるんですよね。
このある固定のやつをやる。なんでかなと思ったんだけど、縁がないから僕がいつも触ってる場所より下触んないと。
その下はいつも触ってないからですね。なんか画面が動かないなっていうそういうことが起きたと。
あと、ダイナミックアイランドでしたっけ。これはいいですね、思ったよりは。
例えば今私収録しているんだけど、収録中だよっていう画面が上の方に出て残ってくれるんです。
これがですね、非常に今までやりにくかったんですよね、いろんな意味で。
今エヴァノートを画面見ながら、このエヴァノートも爆速で動いてますね。
10Rの時はほぼ使う気がしなかったレベルなんだけど、
これでもう昨日あっさりエヴァノートに課金するという、いまいち何かにはまったような感じがするんだけど、
まあいいやと思う。やっぱりこうなんていうんですかね、現実的な速度ってあるよなっていう。
やっぱこう、起動して2分待つとかナンセンスなんで。
でも待ってたことはありましたからね、結構ね。
起動して2分くらいは待つみたいな。
なんか漫画を読んで、小説もついでに読んじゃうみたいなことも多々ありましたんで。
今はそれがもうエヴァノートを出しながらこの収録ができるなんて信じられない。
そのうち何か違うことで困ったりするんでしょうけれども、とりあえず今はこの、結構イケてる感じで。
で、昨日は飛ばしちゃったということですね。
タスクシュートとEvernoteの使用
はい、おかげさまで100日チャレンジじゃなくて3ヶ月チャレンジは3期まで終わって、
間もなく終わって4期になりまして、5期をきっと来年やるので、その時またよろしくお願いしたいんですけど、
11月19日にですね、このカレンダーも収録中サクサク使えるという。
こんなことすらできなかったのかと思われるのもあれなんですけど、できなかったんでね。
11月19日、15時からクラゾン圭蔵さんとタスクシュートの話を私がする2時間。
2時間話をするみたいなそういう名前のセミナーをします。
とりあえずまだ11月の話だということもあるので、チェックいただくぐらいな感じなのかもしれないんですけど、
よろしければぜひこれも100日チャレンジさんのほうとかでも拡張していこうと思うので、
ある程度は入ってから来られるんじゃないかなと思うので、
随時、もし興味ある方は随時チェックしていただけるといいかなと思います。
そんなふうに思っています。
こういうことができるとですね、これを見ながらいろいろ喋れるので、
前よりは情報が正確に出せるんじゃないかと思うんですね。
ギャンブルと依存症について
アンカーのほうの詳細で告知のところをちゃんとやればいいんだけど、
やったりやらなかったりなんですよね。
タスクシュートに入っていながら忘れるみたいな。
忘れるってなんだよって感じなんですけど、忘れちゃうんですよね正直。
絶対やるぞと思っていれば思い出すんですけど、
絶対やるぞとは思っていないようなところがややあるんで、
しょうがないかなっていう感じです。
でも11月19日は割とこれから告知強めに、強めにというか、
積極的にやっていきたいと思っていますので、
これもぜひよろしくお願いします。
今日はそれとはほぼ何の関係もなく、
ここのところずっと割とGood Vibesやってきた4編のお送りしてきたつもりなので、
今日は若干そこから離れってわけでもないけど、
少し直接関係はない話をしたいなと。
私よくよく考えてみるとGood Vibesじゃない話をしてるときは、
タスクシュートの話しかしてない感じなんですけど、
今日はタスクシュートとは関係ない話をしたいなと思っておりまして、
そうは言っても先送りとなってくると微妙に関係してくるんですけど、
まあいいや。とりあえず思ったことがありまして、
ギャンブルとか依存みたいな話に近いんだけど、
それの常習性みたいな話じゃなくてですね、
主観的にそれらが見える、
それらを思考品みたいなものを主観的に見たときに、
僕らはすごく独特の、
これ先日した体の話にちょっと関係があるんですけど、
すごい独特の見え方をしているっていうのは、
昔から僕は興味深い現象だと思ってたんですね。
これは精神分析でもすごく実は取り上げられてるけれども、
精神分析がというよりは依存ってやっぱり一つの大ジャンルですから、
非常に重要な課題ですし、
世界的に見てもそうだけれども、
昔からアヘン戦争みたいなのもあったわけですが、
アメリカなんかでも依存ってのはもう本当に重大な社会問題なわけですね。
暴力の依存症とか、人によっては本当にやめておきましょう。
あと当然このギャンブルの依存症ですね、
これはもう本当アメリカにおける社会問題の中でも非常に重要な、
非常に重要なものですね。
日本人にはなかなか理解しがたい、
独特っていうかすごく独特っていうには奥が深くはないっていう、
奥は浅いんだけど非常に厳しい問題だなって感じが私はしたんですね。
でも私はやっぱり日本人なんで、
よくわかってないだろうなこれはっていう気がしました。
特に私が大学院時代、
短かったですけど1年ぐらいでしたけれども、
ネバダ州にいた時、ネバダ州といえばラスベガスだって皆さん思われると思う、
ラスベガスがあるネバダ州ですが、
州都はラスベガスではなく州都ってあるんですよ、州の、
州の都って書いて県庁所在地の遥かに大きい場みたいな、
州都と県庁所在地の間くらいな、
ちょっと説明としてはよくわかんないものになっちゃいましたけど、
州都があるわけですね。
例えばカンザス州でいえばカンザスシティなんですけど、
カンザスシティって実は半分はミズリ州で、
ミズリ州の州都ってカンザスシティでは、
カジノの魅力
あれ?カンザスシティってミズリ州の州都だったかもしれない。
ちょっともう今調べません。
カンザス州には別の州都があったんじゃないかな。
なんか半分ずつ分けるみたいなことはしないんですよね。
非常にあの辺はわけわかんねえところなんですが、
ネバダ州の州都はラスベガスじゃなくてリノって言うんですよ。
私はネバダ州立大のリノ湖ってところにいて、
州都にいたわけですよ。
ちっちゃい街なんですよね。
あんまり聞かないですよね、日本では。
でもラスベガスのある州だけあってっていうのも変ですけど、
まあギャンブルはすごいんですよ。
どこに行ってもギャンブルっていう感じで、カジノね。
カジノはカンザスにもあって、
実はカンザスのカジノの方がでかいんじゃないかくらいカジノはあるんですけれども、
それにしてもでかいんですよね。
本当に街中にカジノがあるみたいな感じの不思議な街。
日本人的には。
だってそんな街ないじゃないですか。
パチンコ屋さんがあるっていうのとは違いますからね。
パチンコ屋さんはないような気がするし、
本当にスロットありますけどね、いっぱいね。
ルーレットとかそこら中でできるんですよ。
本当にコンビニみたいなところでもできるんですよ。
まあ私が行ったときはね、こんな感じだったんですよ。
不思議なことに家具屋さんとかでもできちゃうんですよ。
家具屋さんでカジノって何なんだろうって感じがするんですけど、
本当に日本で言えばどうかな、
なんかホームセンターみたいなところに、
もうちょっとちゃんとしたところなんですけど行くと、
その脇っちょのところにミニカジノみたいなのがあるんですよ。
すっごい、なんつうんだろう。
日本で昔バッティングセンターとか今でもあるか、
後ろの方にゲームコーナーあったじゃないですか。
あのゲームコーナーがカジノになってるみたいなイメージ。
すっごいミニチュアのカジノみたいになってる。
でもちゃんとディーラーみたいな人いたりするんですよ。
この不思議な世界。すごい不思議ですよ、あれ。
行ってみて僕は不思議だって思いましたね。
不思議以外の感想が思い浮かばなかったぐらい不思議でしたね。
例えばコンビニの脇っちょに、
Eat-inみたいなところにカジノがあるんですよ、本当に。
セブンイレブンとかなんですよ、それは。
すごいすさんだ感じの、そこでツップしていて、
飲んだくれている老人ですよ、しかも。
おじさんとかではない。おじいちゃんって感じ。
そういう世界。
上がりにくいんですよね、すごく。
そして街のいきなりど真ん中にハーレーみたいなのが飾ってあって、
そこに女性がいて、
露出度高めの女性がいて、
何をやっているのかよく分からないんだけど、
そういうのに乗り回している陽気なおじさんみたいな人が、
州の高速道をバンバン走っていくみたいな、
すごい不思議な光景なんですよね。
ぼんやりしていると夢の中にいるような気がだんだんしてくる。
リアリティが感じられないんですよね、僕のような人間からすると。
で、で、で、何の話をしているかというと、
あれが素晴らしいものに見えているだろうなってことなんですよ。
僕にはそうは見えないんだけど、
すっごいいいものだろうっていう感じを持っている人がいると思うんですね。
でも同時にあれはすっごい社会問題でも間違いなくあって、
多くの人が舵の依存から抜け出したいって願っているんですね。
つまり分裂があるんですよ、そこには。
で、私もそういうのって思考品には付きものじゃないですか。
タバコといい、酒といい、コーヒーですらそうですよね。
コーヒーやめなきゃっていうふうに思っていらっしゃる、
僕は思っていないけど、一方、
コーヒーって素晴らしいよ、あんなおいしいものないよねって同時に思っている。
じゃないと依存ってならないですよね。
この分裂がある種のものにはすっごいあるなと。
つまり強い欲望とそれが破壊的だっていう認識が同居している。
で、私はこれは神経症のノイローゼっていうものなんだけど、
神経症っていうものの基本だなって感じがするんですよ。
大体神経症といえば精神分析的には、
つまり伝統を一番奥深くまで、
一番遡るとフロイトと、
あの場合はもう一人のブロイアカっていう先生、
二人でやったヒステリーですよ。
アンナ・オーンのヒステリー。
ヒステリーっていうのは結局神経症なんですけど、
そこにはすごい強い分裂があるというのが、
やっぱり最初の発見だったと思うんですよね。
お父さんが大好き、お父さんが大嫌い。
これが同居してしまう。
非常によく似てますよね。ものすごくそれが好き。
だけどそれに関わると自分は破滅してしまうっていう、
僕の場合はやっぱりアメリカのカジノっていうのが
それの典型的なので、
時々カジノの心理学的な本とか読まされるわけですよ、授業で。
もうそれはいわゆる日本のサラキン時刻的な悲惨な話しか出てなくて、
しかも英語だから気がめいるんで、
あんまりもう嫌になってきたんですけど後半は。
最初は面白くて読むんですよね。やっぱりね。
面白く書かれているし。
日本でも読めますよね。
ああいうのの日本訳本はいっぱいあるんで。
本当にね、嫌になるぐらい典型的なパターンで、
借金をしてカジノに行くじゃないですか。
そうするとロールス・ロイスで迎えてくれる。
本当にそうなんですよ。
そのような光景は普通に見られます。
ロールス・ロイスで迎えてくれるんですよ。
そしておいしい食事とかほぼ全部無料で提供されるんだけど、
カジノでガンガン使っちゃうわけですね。
だから全然損にならないわけですよ。
ロールス出そうと。
日本で言えばそうだな、5000円ぐらいは一食しそうな、
いわゆるビフケがほぼ無料で食べられたりするんですよね。
この無料が大変無料であるはずはない無料なんですけど、
素晴らしい。
一夜にしてどんな人でもクレジットカード1枚、
しかも非常に日本より簡単に作れるんで、
外国人の身分の怪しい僕のような学生でも3枚から4枚ぐらいは普通に持ってるんで、
使うたびに手数料のかかるデビットカードみたいなものなんですけど、
本当にすごいんですよ。
そういうのを上限いっぱいまで使えばですね、
そういうすぐどんな人でも、いわゆるホームレス同然の人でも、
王様みたいなお出迎えをしてもらえるわけですね。
そしてカジノに行って突き込むと、
もともと全部借金ですからね、多くの場合。
クレジットカードの上限いっぱいなんで、
破産戦国みたいなものも日本と同様すごく進んではいるんですけど、
いろんな問題がそこにはあるわけですね。
そこのところにやっぱり僕は感じるんですよ。
カジノの社会問題
絶対二度とやるまいってこの女性は思ってるに違いないっていう感じの人が、
もうそこら中にいたりするわけですね。
おじいちゃんとかおばあちゃんとかも。
どこを見ても70は切ってないなっていう感じの、そういう感じがするんですよ。
で、しかし来ちゃう。
すっごいあれがやっぱり幸せだなーって感じがするんだろう。
なーって思うんですよね。
僕はもうその、ある意味恐ろしかったし、
ある意味非常に金の無駄な感じしかしなかったんで、
遠巻きに眺めて、そこのビュッフェにお金を払ってご飯を食べるというね。
それだけ安くはないんですよ。
ただカジノしない人間なんで、
ビュッフェをただで食べるわけにはいかないんですね。
いわゆるバイキング形式なんですけど、でも美味しいんですよ。
今思うとよくできた冷凍食品の山みたいなもんな気もしなくはないんですけど、
美味しいわけですよね。
で、僕は当時アトピーで糖質制限してたんです。
それちゃんとあるんですよ、またこのノンシュガーコーナーみたいな。
すごいんですよ、なんかヘルシーなご飯みたいなのも。
バッチリ用意されてる。
早々アメリカに行って、ヘルシーなレストランにポンポンありつくのは難しいんで、
カジノ探すのが手っ取り早いんですね。
で、私はカジノってすごいいろんな意味で使ったんですよ。
食事もそうだし、簡易なっていうか、ちょっとしたところには必ずホテルがついてるし、
比較的安全なんですね。
日本ではよくラスベガスで銃の乱射みたいなのが話題になりますけど、
僕が体験した限りでは、比較的この空間は安全だなって感じがするんですよ。
分からない街に行った時に、いろんなホテルに泊まるよりは、
ホテルエイトとかそういうところに泊まっちゃうよりは、
カジノに泊まっておく方が若干お金かかっちゃうんですけど、
そこはもう日本人的にいけるんですよね。
これはちょっと2000年代だったからある意味いけたことで、
今円安になりすぎてて、ああいうことやると厳しいと思うんですけど、
円が高かった頃であれば、やっぱりちょっと違うんですよ。
むしろ安全を買うみたいな感じ。
そして割と健康な食品も買えるみたいな。
あと、これがすごい僕も全然理解できなかったし、
今は分からないですけど、当時もすっごい理解に苦しんだのが、
さっき言ったアメリカに行くとコーヒーというものがまともに手に入らないんですよね。
どこに行ってもよく分からない紅茶ばっかり出されて、
コーヒーにありつくには苦労して、
ありつけても全然全く美味しくないコーヒーばっかりになっちゃうんで、
カジノってその辺をすごいよくできてて、コーヒーが何種類もあって、
ちゃんとしていて選べる。結局金があるってことなんだよな。
アメリカ人って朝とかコーヒーすっげー飲むイメージなんだけど、飲まないんですよ。
なんかよく分かんないんだけど、違うんですよね。
炭酸の出る甘い感じがついた紅茶を、
ハーブティーを飲むみたいな変な飲み物が流行ってたんですよね、当時は。
そんなわけでですね、この刺激的なものですね。
つまり、自分がすっごいそれに魅惑されていて、
同時にそれを憎んでいるに近い。
依存症の人にとってのアルコールとかがまさにそういうものとして、
よくカウンセリングの話に出てくるんですけど、
この感情の同居ってのが、僕らを非常に嫌なっていうのか分からないですけど、
つまりこれが、ラインの言ったメラニックラインですね。
分裂する感情
スプリッティングってのはまさにああいうところにあるんだと思いますよ。
愛するものが、非常にドステフ好きですよね。
ドステフ好きもまた賭博者とかもそうですけれども、
あのギャンブルの話、盛んに書いてましたよね。
あの真理って僕はあるんだと思うんですよ。
やっぱり根本的にはですね、この真理を最初に人間が持つのは、
幼児期の僕らがここに覚えていないっていうことが出てくるんですよね。
無意識のだから分裂なんですよ。
親ですよね。
で、これはミニコットが大体うまく説明しきったいと僕は思うんですけれども、
絶対にどんな人でもこの葛藤はある程度あるんだっていうね。
だからどれほど素晴らしい親でも無理なんだってことを彼は説明しきったと僕は思うんですね。
母子関係と依存症
だからこれと無縁でいられる人はいないはずだってことですね。
彼が環境としての母親とか、クラインが対象としての母親とか、
そういう言い方をしたのは結局母親というものが幼児には見えてない、
分かってもいない、そうですよね。
すっごい極端なことを言うならば子宮の中にいたときは絶対そうなんですよ。
だって子宮が母親だなんて思いもよらないですよ。
この子宮が母親だということはつまり世界が母親なんですよ。
事実はそうなんだけど事実は知らないんですよ。
大事ですから事実は知らないですよ。
でも我々は大事の時代もおそらく少なくとも最終盤、
戸月10日の戸月に差し掛かった頃、意識はあると思うんですよね。
その時母親とは何かというと世界ですよね。
この感じを心理的に我々はずっと抱き続けるんだといったのが多分ミニコットだと思うんですよ。
ここには異論があるんだけど、僕はこの感覚が正しいと思うんですよね。
これをまず第一に認めがたいという葛藤が強くなってくると、
どうしてもやっぱり自立へ、自立へと、しかも非常に無理な自立へと、
それはある意味依存というものと自立というものがセットになっちゃってるような自立に向かってしまう。
つまり我々はある程度ハマって痛い目にあうとですね、
アルコールであれ、それこそコーヒーであれ、そこから自立したいと思うわけじゃないですか。
こう思った時ほどやめにくくなりますよね。
みんな経験したことが、みんなないのかもしれないな。
でも依存症を知ってる人はよく知ってる感覚だと思うんですよ。
もう禁煙で紙を張って破りながらタバコ吸ってるような漫画が昔山のようにありましたが、
僕も山のように読みましたけど、そういうことですよね。
そういう人は要するに喫煙から自立したいんだけど、
でも喫煙は母親になっちゃっている。
この事態が発生すると僕らは依存というものから抜け出にくくなる。
この真理の一番最初の原点はどこにあるのかというと、
環境としての母親なんだっていうことだったと思うんですよね。
死壁に向かっていく。
こういうことをクラインっていう人と、クライン派じゃないんだけど、
イギリスでフェアバーンって人がすごく言ったような気がするんですよ。
良いおっぱいとかって言うんだけど、良くもなんともないわけですよ。
良いおっぱいはギャンブルだし、アルコールだし、おっぱいなのかもしれない。
なんであってもダメなんですよ。
そこから脱出しようとすることがその人にとっての自立を意味しちゃってる。
つまりそこから脱出することなんてできないのに。
ここが大事なんですよ。
依存というものから抜け出すことはできても、
環境としての母親から我々は脱出することができない。
これがですね、思春期の時にはよくある心理なんだけど、
面白くないって思う時代があるわけじゃないですか。
いや私は何者にも頼らずに生きていきたいんだっていう、
土台無理なことを考え出すわけですよね。
だからオーグデンっていう精神分析の人は、空気を思い浮かべればいいってことですよ。
空気から自立できないだろうって言ってるわけですよ、彼は。
同じように、心のマトリックスから人間は自立できないんだって、
オーグデンは多分そう考えていると思うし、
ウィニコットはまさにそこを言ったんですよね。
人間は環境としての母親と共にあって万能なんだっていう、
その万能感は一生保持して生きていき続けることになる。
で、ここを、これがトラウマになると、
つまり母親の言いなりになるとか、母親に閉じ込められると考えて、
カジノ文化と依存症
面白くないって考えると、むしろ母親に対して依存的になっていく。
つまり離れようとして、辛くなって戻ってきて、
おっぱい吸って、またそこに依存して、
で、依存しているうちに自分はダメにされてスポイルっていうことになるのかな。
されているんじゃないかと思って、また離れる。
離れるということだけが自立を意味する。
そして頼らないってことだけが自立を意味するっていうこの構図が、
すごくですね、私癖的なものとよくマッチしている。
だからとっても良いもの、強く欲望を掻き立てられる時が来るものが、
同時に非常に自分にとって致命的で破滅的なものを同時に意味してしまう。
この分裂ですね。分裂を抱えている人は、
言ってみれば自立もできなければ、頼ることもできない。
だから土井武夫さんがうまく甘えられないっていうことになるわけですよね。
その人はこの行ったり来たりをものすごい勢いで繰り返す。
しかもそこをすごく花々しく、ドラマチックにやる。
再会した時はもう愛情万歳みたいになって、どっぷりハマるわけですよね。
お母さん、お母さん、お母さんみたいな感じになる。
そのうち嫌になって、私出ていくみたいになって、母親に対してバリゾーンを浴びせて出ていくと。
これを対アルコールでやる人もいれば、対ギャンブルでやる人もいて、対食事でやる人なんかが、
接触障害と呼ばれるものになるんですけれども。
そういうふうに精神分析では見るってことなんですね。
アメリカはこれが社会問題になってるし、行動科学万歳の、僕が行った頃は時代だったこともあってですね。
いやいや、禁煙パイプを使いましょうみたいな考え方で、
例えばギャンブルに行ってどれほど嫌な思いをしたかを日記につけるとか、いろんな療法が検討されていて、
それはどれもそれなりに一定の効果が上がるんですけれども、
この愛憎という問題を何らかの形で解決しないと、
やっぱりですね、なかなかある程度苦しみから逃れる、
習慣の問題である面もあるんですよ、当然。
行きまくってる人に比べれば、行くのスパッとやめることで脱することができちゃうっていう人もいますし、
すべてが母子関係の問題だけに集約されてるわけじゃないですからね。
留学生なんかそうですけど、日本人も多少そういう人いらっしゃるんだけど、
あまりにももの珍しくて行っちゃうじゃないですか。
目でどんぶりはまるっていうことは起こるんですよね。
そこでこういう時はグッドバイブスかな。
非常に強い罪悪感に苛まれるって人は当然いますよね。
そこで大きな損をするから、学費使い込んじゃうとかね。
そういうところで、それほど困ってなかったはずの母子問題のこじれみたいなのをそこで露呈してしまったり、
そこで沼にはまってしまったりするっていうケースはあるんですよ。
でもこれはある意味特殊ケースですよね。
なぜならその人は日本人でありながらアメリカ文化に接してるっていうことからその事態を引き起こしているので、
アメリカ人にとってはそういうことではなかったはずなんですよね。
実際いろんなカウンセリングも多々ありますし、
それこそ行動療法もありますし、年次療法もありますし、いろいろあるわけです。
いろいろあるんだけれども、何しろカジノの方もそうやって治療ばかりされて、
とはいえカジノは強いんですよ、アメリカでは。
カウンセリングルームをカジノに設けてたりする場所もあるんですよ。
何をやりたいんだって感じすらするんだけれども、
マッチポンプっていうかなんていうかなんですけれども、そういうところはあるんですよ。
だからもうこれ以上ここに来なくて済むようになりましょうねみたいなことを言うのかどうか、
カジノ無しの人生
僕も興味津々だったんだけどさすがに行く勇気がなくて、行く必要もないんですね。
結局金取るんでね、結構安くはないお金取るんで、なかなかすごい国なんですよ、あの国は。
僕ら日本人の普通の感覚ではちょっと正気を欠いてるんじゃないかって思うときが、
いろんな場面であって、外から行く人間にしては非常に刺激に満ちてることだけは確かですね。
でもまあそんなことがあって、カウンセリングルームもあるんです。
私この話をしたくなったのはですね、いろいろ最近高校でそういう話をいろいろしてるうちに思い出したってこともあるんだけれども、
アメリカで心理学の留学をしたりするとやっぱりカジノってのは重要な研究テーマの一つになるんですね。
依存症として出てくる。
今言ったように親子問題の何かとの現れとしても出てくる。
もちろん社会問題でもあるし、いわゆる学習行動的な意味もある。
ネズミも依存症にできますから、必ずしも親子の情緒的なもつれだけが原因ではないわけですね。
さらに言うと、お金もそこにものすごく絡んでいるし、
経済学的な面、経済心理学的な面というのも否定はできないというか、みんなそういうふうにも捉えていますよね。
こんなこんなで、私たちは普通に正気に仕事をしているんで、
これ持ち込まないってこともまた先送りなんかの時には大事だろうなって思うんですよね。
このとても魅惑的なものが事故を破壊するっていう要素を秘めている。
こういうニュアンスを持ってあって、何かしらのプロジェクトなりに関わるということをやると、
このふりこ運動みたいにさっきのふりこ運動みたいな動きになるんですよ。
ガーッとそれに過集中したかと思うと数年ほっぱらかすみたいな。
そういうことが起きるだろうなという感じがするんですね。
それはやっぱり見え方がおかしくなっていると思うんですよ。
だってコーヒーとかってそうじゃないですか。酒でもいいんだけど、
酒がそんな魔法の薬みたいに見えるという段階ですでに何かがおかしいと思うんですよね。
それをいきなり全部途中に埋めてすっぱり縁を切るみたいな。
この動きがやっぱり僕は分析に一番傾倒していることもあって、
母子関係というもの。
思春期の頃も何か酒から自立するみたいなニュアンスになっちゃっているという段階でおかしいと思うんですよ。
同時にそれがそんなに魅力的に見えるというのもおかしいと思うんです。
あってもなくてもいいもんだぐらいでいいはずなんですよね。
私はリノニーって思ったのが、
この人たちにとってはここから逃れられないっていう人にとっては、
カジノ無しの人生なんてありえない。
こういう言い方よくするじゃないですか。
でも僕からすると、
あんなものはまさにあってもなくてもどっちでもいいようなものにしか見えないわけですよね。
僕の方が多分カジノについてほぼ何も知らない私の方が、
リアルに近いものの見方ができているような気がするんですよ。
世の中のものって大体何でも、特に人工的なものってそうで、
これ抜きの人生は考えられないってほど素晴らしいものってないような気がするんですね。
そういう話をしているときは決まってそこにスプリッティング、分裂がきり入っている。
だからお母さんがすごい大好きってのもわからないではないんだけれども、
それはやっぱり数年来離れているとか、永遠に世を切るとかそういうふうに思うから、
かえってそういうふうに見えるってことがあるわけじゃないですか。
もうババ・レイコさんが普通に最も知識的に描かれているのを見ると、
奥に住んで何年も親とおむしんふつになってガリガリに痩せ細っていくと。
そういった娘さんが不意に家に帰ってくれば、それはお母さんは心配してですね、
もう何もしなくていいからって言って、ご飯食べさせて手取り足取りやってあげるんだけど、
それがだんだん嫌になってくる、やられる方としては。
結局私はお母さんの操り人形みたいだっていうことで昔のことを思い出すし、
お母さんはお母さんで最初にやったほどは、いろんなことはやってくれなくなる。
お金と欲望の関係
そしてまた出ていくみたいな、こういう振り子運動みたいなものがですね、
僕らいろんなものに投影するというか、いろんなものとの付き合い方の中で、
特に刺激的にあるいは魅惑的に見えるところで、つまり何が言いたいかというと、
金なんですよ、これはきっと。
金に対して僕らはこういう認識を持ちがちだと思うんですよ。
依存するか自立するかに次第言うわけじゃないですか。
自立するときには、ものすごい稼いで、そして金のことは考えたくなくなるみたいな、
つまりもう二度と考えなくていいようにするために100億稼ぐとかね、
そういうふうな付き合い方って多分、こういう母子関係的な感覚から抜け出られてないと思うんですよね。
そのとき金に対してはものすごくいいものであり、
同時に自分の欲望を掻き立てて自分を致命的なところに追いやる。
つまりお金がなくなったらまさにこのセリフが出るじゃないですか。
お金のない人生なんてありえない。
僕らみんなそう思っているわけですよね。
思わされている、いうのかな。
だからこういうお金はまさにギャンブルとすっごい深い関係がありますけれども、
なんかこういう距離感って多分おかしいんだと思うんですよね。
非常にそれが特別に見えてしまう。
結局それは意味付けなんですけれども、意味付けですよね。
あそこに100とか1000とか書いてあるの、そもそも大変おかしな話ですよね。
今思い出したんですけど、ピクミンというゲームで、
ピクミンを増やすときにピクミンをこの花をとって5体増やせると5とか書いてあるんですよ。
そんな花は世の中にないわけですけれども、ものすごく面白い世界ですね。
あれちょっと僕はカジノっぽい雰囲気があるなっていう。
なんかこう数字が意味もなく飛び交うじゃないですか。
3,7とかもそうだけど、いかにも人工的な世界ですよね。
数字がわけもなく飛び交う。
自然物に数字って決して現れてこないですもんね。
なんかそういうようなことが今日はちょっとお話ししてみたかったんですけど、
要はとてもいいものですよ。
強い欲望を掻き立てるとてもいいものが、
全く同時に非常に自分を破壊させるんだという予感を、雰囲気を秘めているっていう、
そういうものは要注意であって、
そこに僕らは自立ってキーワードが入ってる。
母親との関係
依存と自立っていうキーワードが入ってる。
そこから自立しようっていう発想を取っても、
多分うまくいかないんじゃないかなって思うんですよ。
そういうことではなしに、
それを結局僕らは母親に引きつけて、多分なんですけどね。
母親に引きつけて見ている。
そしてその母親に引きつけて、
だから自立って話と依存って話が出てくるんですよね。
母親に引きつけて見ているんだけど、
そんなことはあり得ないってことなんですね。
私も実際にリアルな母親をつい先日も会ってきましたけど、
そんなに強い欲望を掻き立てて、
この人なしには生きていけないと思っていて、
だからこそこの人から離れて自立しなきゃ。
すべてがものすごく大げさになっちゃってる。
こういう観点をどうやって手に入れるかだろうなって感じがします。
普通に付き合えないものとですね。
私は別にコーヒーにそういうふうには全く見えない。
昔、ワインにはそういうふうに見えた時期があったりしました。
でもこの観点は当然のことですけど、変えられるんですよ。
今ではワインとかもあってもなくてもいいものになってる。
特に人工物はそうで、大体においてこの観点がやっぱりリアルなんですよね。
あってもなくても実はほとんど全てのものがそうだと思います。
あってもなくても人工物は構わないもの。
他で十分大体の効くものなんですね。
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