1. グッドモーニングボイス
  2. 【750】自分の未来を信じる
2023-03-13 50:03

【750】自分の未来を信じる

先のことがわからないのに、有効な対策を打とうとしても、的外れな結果に終わってしまう
00:04
おはようございます。
グッドモーニングボイス第750回です。
今日初めて聞いたという方でなければ、タイトルを戻したということに当然気づかれると思います。
ついでに言いますと、本当に久しぶりに収録のガジェットをiPhoneに戻しました。
これ何回ぶりだろう?100回ぶりぐらいな気がするんだけど、それは嘘臭いんですけどね。
でも僕の感覚では100回ぶりぐらいな感じがするんですね。
ずっとパソコンで撮るように分け合ってしておりまして、
最近になってようやくAnkerのBluetooth対応のヘッドストレオでマイク付きで収録をできるようになったんですよ。
でもしばらくはパソコンでそのまま撮ってたんだけど、パソコンで撮るのは僕の感じではiPhoneの方がはるかに楽なんですよね。
だし、そのために朝撮れなくなるという事態も招いていたので、またiPhoneに戻せばこれは朝絶対撮れるとは言わないけど、
まあおおむね朝撮れるようになるじゃないかと思いまして、だからグッドモーニングに戻せるなって思ったっていう、そういういきさつであります。
グッドモーニング言うからには夜には出したくないという、
あと最初の挨拶でおはようございますを言いたいという、ほぼそれだけが理由なんですよ。
前のタイトルはどうせどこかで変えることになる気がしていたんだけど、今日この話を少しさせてください。
先送り云々はいいんですけども、長いんですよね。
で、あれを毎度毎度言うのはめんどくさいので、前からちょっと戻そうと思ってはいたんだけれども、
しばらくはですね、グッドモーニングに戻せないという、戻せないかもしれないという事情を抱えながら、
朝に出せばいいんですが、私大体撮っていたやつを予約設定するのが嫌なんですよ。
あれはめんどくさいわけではなくてただ嫌なんですね。
早く出しちゃいたいというのを思っているために、この際グッドモーニング言ってて夜に出してもいいやと思ってもいたんですけれども、
グッドモーニングボイスってあまり意味のないタイトルなんで、これで朝にさえ出さなかったら何の意味もないタイトルになっちゃうなというのは少しありました。
あとそれとですね、この話を今日少ししたいと思っていたんですけど、
タイトルというものを自分で僕は決められない性格というか、そういうところがあって、
それは非常に良くないなというか、良くなくないんだけど、
03:00
自分の中で少し残念だなと思うようになってきてですね、
下手でも何でもいいからタイトルは自分で決めようと思うようになったんですね。
自分しかやってないサービスなんだから。
グッドバイブスを沿用したり、タスクシュートを沿用したり、先送りもそうで、
僕、書籍のタイトルってほとんど私は無関与に近いんですよね。
後半に作った本ほど、いろいろ言ってもそのまま通ることほぼなくて、
しかも編集さんには、なんて言えばいいんですかね、
ほってつけたような理屈をこねられてはダメ出しをされるというのがほとんど嫌になりましてですね、
タイトルはもう勝手にそっちで決めてねっていう、
だけど僕はもう関与してないって言うからねっていう態度に切り替えたんですよ。
これでダメって言われたらもういいやみたいな感じになったんですよね。
なんかね、特にスピードハックスのタイトルを決めたあたりがもうちょっと時効だと思って喋っちゃうんですけど、
嫌になって、チームハックスって続編で出したんですね、スピードハックスは。
おかげさまで好評だったから出せたんですよ。
その時にサブタイトルにチームの力を3倍にするとかやったら、
サブタイと本体を同じチームという言葉を当てるのは慣例上よろしくないみたいなこと言われたんだけど、
スピードハックスは本タイトルにスピードハックスってあってサブタイトルにスピードを3倍にするとかはあっさり書いてあるんですよ。
しかもこれを決めたのは僕らじゃないときてるんですね。
だから、出版社ってこういうことを平気で言うなということを、別にそこにそれほど悪意は感じなかったんですよ。
全体的に好評だった世界の中の出来事だから、
とにかくチームハックスはサブタイにチームを入れたくないんだなという、
それをもともとらしいことを言おうとしているんだなというふうに気づいたので、
以来僕はですね、強調はちょっと違うんですけどね。
短調の場合はタイトルサブタイトルはお任せしますと、僕は一切感知しませんということに決めたんですね。
どうせその後もあったんですよ、スッと思うんだが。
タイトル周りで編集さんとやり合うことはすごく僕も最初の頃は多くてですね、
結局ほぼ僕の言った通りになった案はないんですね。
あえて言うならば、一番最初のライフハックスだけはちょっと僕の意見が通ったけど、
あれは言ってみれば最初からライフハックはタイトル案にありましたからね。
僕はただその4タフの中でこれって言ったのに過ぎない、そのレベルであれば通ることはあるんですけどね、経験的に。
よっぽど頑張らないと本のタイトルはビジネス書では通せないなと。
僕のような性格では、僕がやった限りですね、30回ぐらい試したんですけど30分の0だったから、
そのまま通ったという意味ではですね、基本的には諦めることにしたんですよ。
06:05
それ以来そういうクセがちょっとついたなと思って、タイトルについては僕にセンスがないのかなみたいなのを、
それも僕の場合はあまりセンスとかに興味がないせいで、傷つかないんですよねセンスがないとか言われてもあんまり気にならない。
センスはないよねみたいな感じで、そのことは僕の人生では大して意味がないような気がいつもするんですよ。
人によってはセンスって大事なのかもしれないんだけど、僕には内輪みたいなやつ、センスみたいなそんなノリでしかないんで、興味があまりないというか、そういうところはあるんですよ。
タイトルっていうのは年齢が結構きて、タイトルにもこだわってみるかみたいな、そういう感じになったという感じですね。
それでグッドモーニングボイスに。
このタイトルはこれも結局グッドモーニングバイブスからね、そしてそれはグッドバイブスからきてるから、すごく自分でつけたぞっていうわけじゃないんだけど、
このタイトルはわりとまあまあ気に入ってたんで、こっちに戻そうと思いました。
すぐ変えるかもしれませんけどね、これはもう僕のフィールドぐらいに思っているから、自在にやろうと。
僕はすぐ変えたくなるんですよね、そういうのもあるんです。
だからそれも合わせて自分的にやっていこうというふうに思って、今回は戻したという感じですね。
でも本当にこの、今耳にかけているんですけど、これが手に入ったのがでかいなっていうふうに自分の中では今は思っています。
これはすごい買って久しぶりに相当大正解だった感じがします。
これもこれだと聞きにくいですとか言われると、また元に戻したくなったりするんだと思うんですけども、しばらくはでも、少なくともこれでですね、Zoomとかやっていて、すげー楽だっていうのがあるんですよ。
そんな感じです。
お知らせですけれども、そうだ、お知らせやるときにパソコンの前はすごい良いんですね。
いろんなお知らせ情報をパソコンの画面で見ながらできるんだけど、iPhoneの画面でそれを全部確認する機にはなかなか慣れなくて、そうか、お知らせの時のためにはパソコンが良いですね。
今なんで言い淀んだんだろうと思ったんですよね。
第8期の書き上げ塾、ちょっと残跡が僕は把握していなくて申し訳ないんですけど、4月の日曜日、第最初じゃなくて次の日曜日だったと思うんですけど、から始まりますんで、4月の2に7足すから、4月の9だと思いますね。
はい、ぜひこれは何度か言っておりますけれども、高くないんで、あの値段は全く高くないんで、これはもうぜひ、この言い方はしたくないんだけど、受けて損はないと僕は思うので、ぜひチェックしてみてください。
09:16
本格期はないと困るんだけど、本格期なくても損はないと思いますね。
自己表現という言い方を僕はしちゃうんですけど、自己発信かな。
自己発信ってやっぱりいいと思うんですよね、していった方が。
全くしない時期も割と大事なんですが、したいと思った時にはいろんな意味で書き上げ塾のアイディアは役に立ちます。
ライフハック的なものはほぼないんですけどね。
ほぼないんですけど、それよりもだいぶ役に立つと、私はもう絶対的に確信しているんで。
なんといっても8期まで、くらぞんさんと一緒にやってきてですね、私はこれでだいぶ自分の文章に対する、文章というものと私みたいな関係が全く一変した感じがしています。
それほどのものが周りの人には感じられないかもなんですが、私はそれまでの文章に対する関係性というか文章をどう取り扱うかについては、
すごいあやふやなものがあったんですけど、そこがなくなったんですよね。
それだけでももう全然違うと思うんです。
ここで何を書くかが、はっきりする、常にはっきりするっていうのがあります。
そのためにアウトラインを作るとかを一切しなくていいっていうのが本当にいいですよ。
僕もライフワークだからなんですけどね、アウトラインとか、それこそ企画、プロジェクトノートみたいなのを作るのがかっこいい感じがしてたんで、単純に。
あと本を書くためのノートとかメモとか、一切いらない。
もともとああいうものが僕の場合は役に立った試しはなかったんですよ。
そして使った方が良くなるとか言われても、僕が自分で見直して見てですね、使った場合もあるんですよ、本だからやっぱりね。
全然何にも良くなってないって僕は思ってたんですよ。
僕は本そんなに読む方ではありませんけれども、やっぱり本読んで文章力とか構成力とかだけを読むことは決してないんですけどね、自分は。
面白ければ何でもいいと思うんで、それこそエロ本とかでも、小説系で僕は読む方ですからね、ビジュアルがあまり響いてこない人間なんで。
あれですよ、だから今日はそういう話をするつもりはないんですけど、
南美書房さんか?ちょっとダメだな、下手に名前を出すと問題になりますね。
12:04
フランス書院ならいいよね。結構読んでるんですよ、半端なく読んでますよ、数としてはね。
何の自慢にもならない気もするんだけど、でも一つの文化ですよね、そういうの。
だって僕は活字じゃないと興奮できないところがあったんで、特に小学生の頃とかはそうだったんですよ、小学生の頃とかね。
本当に言っててあれなんですけどね、そういうものなんですよ。
だからそういうところで文章力などというものはそんな問われないじゃないですか、本当に。
僕でも書けるなと小学生時代思ったぐらいなんですよ。
でもあるんですよ、そういうところではね、文章力みたいなもの。
何の話をしてるんだかわけわかんなくなってきたんですけど、
つまり自分で読めば自分の文章がうまく書けてるかどうかなんていうのは、
人に何にも聞かれなくても絶対わかるんですが、今の方がはっきりうまくなっているし、
なんとかノートを使っても少しもうまくなってない、人が読みやすくなったというのは、
もしそう言われるんだろうがですね、そっちの方も大事だとは思いますよ。
でも自分で書いてるからやっぱりわかるんですよ。
これは誰がどう評価しようとこっちの方がうまいということは言えないっていうのはね、
残念ながらわかっちゃうんですよね、自分では。
だから今の方が数段いいなとは思います。
いろんな意味でですね、いろんな意味でなんですよ、これも。
でも本当に全くメモとかノートというものは、もともと使えた試しはないんだけどね、
それによってうまく書けたってことはないってことです。
あれですよ、おもにち手帳すら買ったことがあるんだけど、
本書いてるときになって真っ白になってきますからね、面白いことに。
買った意味がなかったとまでは言いませんけれども、
それを使うことで何かがうまくいったということはなかったということですね。
そういうことではないお話をするわけです。
あともう一つね、このiPhoneになってよかったのが、
ブラウザ収録は便利なんですが、30分で起動なきゃいけないから、
こうやって14分とかが表示されるとめちゃくちゃ気になるんですよね。
あと15分しかこのファイルでは話せないみたいなのが出てきてしまうんで、
それがまず伸びるっていうのがやっぱり楽ですよね。
もともとの感触でしゃべれる。
これ久しぶりの感覚、僕の中ではやっぱりですね。
あともう一つがですね、4月の1日の、
これもちょっとタイトルが長くなっちゃってるんですけど、
要するにじっくりやろうねっていう、ワークショップ付きのイベントをやります。
これはまだ僕は諦めてなくて渋谷でぜひやりたい。
リアルに最小傾向人数3人いらっしゃればやるっていうつもりでいるんだけど、
今のところ3人は程遠いなっていう感じがしていて、
15:03
オンラインだったら3人は突破できる感じなんですけど、
オフラインの方は3人行きそうにないと。
3人行かなかったらもう渋谷の方はキャンセルしちゃって、
小田原に行ってしまおうと。
これもうなんか小田原でいいじゃん感が出てきているんですけどね、これも。
今回は渋谷でやってみたいっていうのがあります。
まあまあそういうことでよろしければ。
こっちの話はですね、
時間を機に、なんていうんですかね、
昨日もちょっとそういう話割と出たんですけど、
例えば片付けられないとか、
今だったら確定申告の方がいいですね。
確定申告はもう少しずつとか言ってる暇はないんですけどね。
3月15日でしょ、愛しめきり。
私はもう出しましたけど、
少しずつやっていくんではさすがにダメじゃないですか。
この少しずつしかライフハックではね、
最近話題になってないんですけど、
そうじゃなくて、
皆さんがなぜか言う過集中という変な言葉がありますね。
一気にガッツリやってしまって他のことがおろそかになる。
構わないからやればいいと思うんですよ。
2つ理由がありますね。
2つまずあって、
1つはそこに過をつけるなってことなんですよね。
集中してやってるのに、
なんでそれをわざわざネガティブに捉えてですね、
過集中とか言うのかと。
他のこともしなければいけないというその発想をやめましょうね、
っていう話を1つはしたい。
シングルタスクにはそういう意味があるはずなんですよ。
なぜかそこで30分までしかやっちゃダメとか、
ひどいことになってくると、
10分までとかね、
それを先に決めるメリットが何にもないと僕は思うんですよ。
1分でもいいからというのはパードルを下げる話をしてるのであって、
1分で片付けましょうって話をしてるわけじゃないので、
1分でもいいからって話をするときって、
大体他のこともいろいろしなくてはいけないって話してるわけじゃないですか。
それはここがちょっとややこしいんだけど、
それはその通りではあるんですよ。
他のことをしないわけにはいかないですよ、確かに。
例えば娘を迎えに行かなきゃならないのに、
娘を待ってるのに漫画に過集中してはいけないってのはわかるんだけれども、
そこを少し突破して、そういうのを外していかないと、
できないこともありますよという話をしたい、1つには。
それは僕はパードルを下げるために1分にするというのと、
別に全然矛盾しないと思うんですよ。
日によって条件は変わるってことですね。
4月から確定申告の準備をするなら、毎日1分でも全然いいじゃないですか。
だって1年ぐらいあるわけだから。
でも3月に入っても1分とか言ってる場合じゃないじゃないですか。
そんなのは常識だとも思うんですね。
過集中でもなんでもいいから、
集中して片付けてしまわなければ始まらないと思うんですよ。
間に合わせたければね。
だからそういうことがまず1点ありますと。
18:02
もう1つも似たような話にも聞こえるかもしれませんけれども、
そもそもですね、いろんなことをしなければいけないというのは何なんだっていう話。
これは事前にこれが問題なんだというのを、
私もタスクシュート等で何度も申し上げてるけど、
タスクシュートの話になっているにもかかわらず、
いろんなことを話を先にし始めるんですね。
それはイリュージョンとは僕はもう言わないで、
これに関してはファンタジーだと思うんですね。
いろんなことを並行して進めるファンタジーというのを
勝手に頭の中に持っちゃってるんですよ。
それをやめましょうねという話。
これをやめることと先送りの話は大きく関わっていると思うんですよ。
先送りは入り口なんですよね。
いつも私は先送りの話をするときにこれを言うんだけど、
先送りというのは現象として現れるものであって、
話の大元には先にいろんなものを決めておき、
しかもその通りにやる必要があるとか、
その通りにやればいいことが起こるというファンタジーがあるんですよ。
確定申告のようなものは好きでやる人はいないと思うんですよ、あんまり。
稀にいて、しかも私の場合、
身近に大橋裕生さんという確定申告をするのが
そもそも好きな人というのがいらっしゃるから、
やっぱり一概には言えないんだけど、
大概の人はこれ嫌なんだと思うんですね。
やるのは別に好きではないと思う。
だからしょうがなくやる部分はどこかにあるとは思うんですけど、
過集中もそうだし、
他のこととの兼ね合いという話もそうなんだけど、
そんなの持たないほうがいいですよ。
こういうのをやるときは特にですね。
1分毎日やるっていうのだって、
たぶん私はハードルを1分に下げたからやるって話とか、
習慣化するとかやるっていう話は、
ハードルは確かにそれで下がるだろうけれども、
そのファンタジーを抱えている間はですね、
やることのできる日もあるでしょうが、
嫌になるでしょうと僕は思いますね。
たぶんやらずに済ませられるんだったら、
1分だってやりたくない。
それは1分が欲しいのではなくてやりたくないんですよ。
やりたくないということをやるときにですね、
1分だ3分だとか言っても、
無駄なときは無駄なんですよ。
そういうアプローチは僕はもうやめといたほうがいいと思うんですね。
タイマーかければやるとか、
21:00
そんなのは本当じゃないと思うんですよ。
やりたい人だからそれなりにやれるんですよ。
確定進行をやりたいという人が極めて少ないから、
みんなが1分1分言い出すんですよね。
大橋一夫さんはたぶん、
1分とか言わなくたってやれるんですよ。
でもこういう人が多いテーマはいいんですよね。
1分でもやりましょうって言えば少しはやりたいことだから、
3分ぐらいはやるんだけど、
少しもやりたくないことになってくると、
みんなが100人が1分言っててもやらないんですよ。
4月とかではね。
ようやく2月とかになって1分ならやる。
逆往の話をよくするじゃないですか。
やりたくてしょうがないことであれば。
例えばお酒飲むとかだったら、
ビールを1杯までならいいからとかって、
何て言えばいいんですかね。
分量的な少なさならハードルが低いでしょうって言うんでしょうけども、
みんな飲んじゃうじゃないですか。
つまりやりたいかやりたくないかってのは、
僕らの行動にこんなにも影響を及ぼす。
こんなにも影響を及ぼすのに対してですね。
ただただ時間のハードルだけで操作をかけようとしても、
多分そんなにはうまくいかない。
多少はうまくいきますよ。
確定申告を4月の段階で100分やれっていうのに比べれば、
それは1分っていうほうが10月ぐらいになって、
1分っていうほうが効果がある人はいると思います。
ただ、どっちにしてもやりたくないっていうことを忘れてはいけないんですよ。
やりたくなるんだったらまた別なんですけどね。
やりたくなるメソッドみたいなのだったら別なんだけど、
ライフハックはおおむね好き嫌いとかのところに
手を出していかないので、
やっぱりタイマーをかけるとか1分だとか、
そういう話になりやすいんですよね。
つまりあれですよ、ピーマンが苦手な子は、
味からピーマンを消してしまえば食べる。
でもこれはつまり食べたくないってことじゃないですか。
そして鼻をつまんで食べるとか、
たとえ少量でも苦行じゃないですか。
だから僕は1分というのは短いから苦行をしろっていうのと
そう変わらないなって思うんですね。
大体楽しいことがこんなにある世の中で、
SNSだって結局楽しくて見るわけで、
WBCだってそうなんですよ。
楽しくて見るこんなものがいっぱいある中で、
1分だって苦行しないんですよね。
これはつまりケーキがいっぱい食べられるんだけど、
鼻をつまんで食べなさいっていうのに等しいんですよね。
だからそんなにうまくいかない。
我慢づるい人はできるんだけど、
これでもやろうと思えば。
でも我慢はいるってことですね、この方法だったら。
こうじゃない方法を模索してみましょうという話です。
ただし、
メンタルな話になってはいきますよね、
どうしても。
結局は自分と向き合う的な話になっていき、
24:02
それが嫌なのかもしれない。
だから私もよく思うんですけどね、
時間術とかライフハックが人気があるのは結局、
ピーマンをグラッシャーに変えるからなんだろうと思うんですけれども、
これが
それでうまくいってるときは、
そうするのがいいだろうと思います。
ただし、
これでうまくいかなくなることは当然ありえるよってことは、
意識しておいてもいいと思うんですよね。
これでなぜかうまくいきませんみたいなことをおっしゃるんだけど、
それでうまくいくという保証は別にありませんと、
僕は思います。
みんながみんな鼻つまめはピーマン食べれるわけじゃありませんっていうのと
同じですからこれは。
大した話ではないんだけれども、
仕組み万能みたいに思っている方もいらっしゃるので、
仕組みは少なくとも万能ではないとは思いますね。
今日は雑然とした話を最初からするぞっていう風に思ってたので、
こうやって雑然と話を進めておるんですけれども、
タイトルの話というかですね、
タイトルは今私戻して、
もう一つの個人セッションで1対1で対話するっていうのも
タイトルを戻しているんですよ。
あれはつまり最初から戻すつもりはどこかにあったんですよ。
うまくいったらちょっと考えようと思ってたんですけど、
うまくいかなかったらすぐ戻そうと思っていて、
一旦つまり先送り系にタイトルを揃えてみてですね、
しっくりこないやつから順々に戻していこうという風に計画をしていて、
ブログもちょっと最近ずっと休んでいたんだけど、
ノートですけどね、ブログというか、
ノートも書こうと思っているんですけれども、
あれもこう、
飾りみたいなやつ、最初の絵は先送りの
僕の一番売れた本の表紙にしてあるんだけど、
タイトルは別に先送りにしようという気はなくてですね、
で、何にしようかっていうのはまだちょっと考えております。
ノートはそもそも考えてみると、
ブログタイトルってなくていいんですよね。
マガジン作るときはマガジンタイトルはいるんだけど、
ノートはノートなんですよ。
Twitterと同じですね、Facebookと同じなんで。
ハンドルネームがあればその人が書いているものということで通る。
だから私はそこがいいなと思って今ずっとノートやってるんですけど、
まさにそうしようという、
それをそのままでいこうと。
ただ、テーマはありまして、
僕はブログを書くときは今、
グッドワイブスを広めるっていうテーマでいきたいんですけれども、
グッドワイブスを広めるだと、
まず次にグッドワイブスの説明が必要になるんですよね。
僕はもう今、グッドモーニングボイスもそうなんだけれども、
27:00
タイトルの説明は極力したくはない。
だから先送りせずすぐやるとかいうタイトルにしているんですよ。
これはタイトル読んでいただければその意味がわからんってことはないので、
でもタスクシュートというグッドワイブスと言ってですね、
タイトルの意味自体はわかんないんだけど、
おそらく定着するであろうタイトルってあって、
やっぱりこういうタイトルもつけたいという、
欲があるわけですね。
そうしてみると、
自分で決めなきゃダメだって思ったんですよ。
そうしないと自分が納得できない素晴らしいタイトルは、
結局どこかで書けたくない。
意味がわからないタイトルは、
説明しなければならないはずなんですよね。
説明するとなったときに自分でつけていないと、
この説明をしたいという気持ちになかなかならない。
これがいけないんだなということに、
最近ちょっと気が回ってですね。
自分でわかりにくかろうが、
評判が良くなかろうが、
まず自分でタイトルを読んでいただければ、
そのタイトルの説明もしたいという気持ちにならないとダメだ、
というふうに思いました。
だからノートのタイトルは、
ノートタイトルそれ自体はいらないんですけどね。
それをテーマを考えながら、
自分の活動のタイトルを少しずつ決めていきたいなと。
ポッドキャストはしばらく、
このグッドモーニングボードを使って、
自分の活動のタイトルを少しずつ決めていきたいなと。
ポッドキャストはしばらくこのグッドモーニングボードで、
朝でやれそうだから、
やろうというふうに思っています。
これで話が戻ったんですよね。
お知らせが終わって、
そのお知らせの中で、
先送りの問題についてお話したわけですね。
だから今日は取り留めもなく、
まとまりもないんですよ。
そのまま行くんですけれども、
やっぱりこうやって話していると、
分かりにくくはなるんですよね。
この番組自体がまさにそうなんだけれども、
ネタ帳がないんですね。
一時、紙のメモにネタを書いていた時代があったんですけど、
全く使わなかったんですよ。
全部ただ捨てたんですよ。
それぐらい、
事前に決めておいたことを、
やりたくなる瞬間ってないんだと思うんですよ。
だから先送りというものを、
どんな工夫をしようと事前に決めたことを、
それこそ鋼の石でやるとかもダメだし、
その時が来たら1分だけタイマーかけるのも
僕はダメだと思うし、
その習慣をつけるためにご褒美つけるとかも
ダメだと思うし、そもそも習慣化すれば続くというのは
嘘だと思うし、なぜならやりたくないから。
やりたいことなら習慣化するまでもなく習慣はします。
30:00
避けやめられないようにですね。
でも、やりたくないことは習慣化しないと思います。
あれですよ、
ご褒美が外からもらえる場合は別です。
それが行動科学ですからね。
私にコントロールの及ばないご褒美、
例えば、そんなことはあり得ないけど、
確定申告の何かをしたら、
点から1万円が降ってくるならみんなすぐ習慣ができます。
これは仕組みでもなんでもありませんから、
それを仕組みと言うならば仕組みだけど、そういうことなんです。
やりたくないんだったら無理ですよ。
やった後にいい気分にはなりませんからね。
それ報酬として機能しないってことですよ。
だからさっき、大橋哲夫さんは好きだから違うって言ったんですよ。
やって気分が良くなれば、
報酬として機能するから習慣化もするでしょう。
これは行動学習なんですよ。
行動を繰り返すという学習なんですね。
それで逆に困っている人もいっぱいいるということですよ。
血糖値高いけどケーキやめられないとかですね。
体型が云々ではないんですよね。
血糖値ってのが痩せてても高い人はいますからね。
今私のまさに岐阜がそれで大変苦労していらっしゃる。
薬で血糖値下げて、
そういうことがあってもやっぱり岐阜も甘いものに
手が自然と伸びちゃいますからね。
これがまさに行動学習なんですよ。
そういうことはありますね。
習慣化と言っているのはこれを指しているんです。
同じことが確定申告では起きない。
好きでなければ。
そういうことなので、
ここで話が飛躍するようなんですけれども、
何が必要かなと思ったらですね。
まず、
本当は一つなんだけど、
あえて二つ言うとですね。
二つの対象がありまして、
一つは、
話が分かりやすくするために、
本当はちょっと違うんですけど、
結末を信頼するということが
多分必要なんだと思います。
いきなり用語がgood vibes的に飛んだんですけれども、
今日はそういうのを気にしないで進めていこうと思っていて、
結末を信頼する。
つまり、
損をすると思うからやっぱりできなくなるんですよ。
過集中の話に戻っているんですね。
確定申告をこの状態でやるならば、
もはやかだろうがかでなかろうが
集中してガッとやる以外は僕はないと思うんですね。
昨日そういう話がやっぱりさっきも言った通り出てですね。
例えば掃除に夢中になって掃除をするのは良いんだけど、
掃除をしても仕事は進まない。
そして、
他にやらなきゃいけないことがある中で、
掃除に集中するのが言ってみれば怖いわけですね。
33:01
ここに不信感があるんですよ。
結末に対する。
僕らは結末が怖いもんだから、
ある種の結末を招いたらその後自分がそこに
放り出されてひどい目に遭うんじゃないかというか、
痛い目を見るんじゃないか、損をするんではないかという
恐れを抱いているが故にですね、
手を出せなくなるんですね。
そして集中するのすら恐ろしくなってしまうんですよ。
ここで掃除に集中することで、
確定申告の期限が切れるんではないかとか、
誰かに怒られるんではないかとか、
そういうふうに結末に対する不安があるものだから、
先に結末を読めるようにしたいんですよね。
こうしてもこう、こうしてこうしたら、
いい結末が待っている。
少なくとも恐ろしい結末が待っていないということを
明らかにしたところで、
心置きなく何かに打ち込める。
っていうふうにタスクシュートを作っています。
っていうふうにタスクシュートを使うのは、
僕はおかしいと思っているんですね。
でもこれはタスクシュートについて広める時にはね、
こういう説明をよくするんで、
私はその時にちょっとこう、悩むんですよね。
この説明は、僕はなんと言うんですかね、
スルーしようっていう感じなんですよ。
なぜかというと、こうやってここまで
いい結末が待ってましたっていうと、
ちょっと言い始める方が出てくるんですね。
これはその人が抱えているというか、
これまで送ってきた人生に対する信頼感によるんですよ。
わかった。
タスクシュートで今日の1日が
よく終わることはよく分かりましたが、
その場合、じゃあ今日が終わって明日はどうなるんでしょう?
っていう話が始まるんですよ。
そうした場合、今日1日はこれとこれとこれをやり、
これとこれをやっても時間が足りる。
この予測もインチキなんだけど、
ファンタジーなんですけど、
この予測はよしとしましょう。
話を進めるためにですね、心置きなくポッドキャストも終わったし、
ブログも書いたし、家計本もつけたし、
確定申告の今日やる分もやったし、
その他仕事の論文も書いたし、心置きなくぐっすりベッドで寝ますが、
明日どうなるんですか?っていう話ですよね。
だってこれ明日のことは書いてないわけだから、
同じじゃないですか。
同じというのは、ここから先が闇であってはいけないという部分が
残ってしまうのは常にダメなはずですよね。
もしこの先が闇ではダメだということであるならば、
闇言うからいけないですね、先が不明ですよね。
先が分からなければダメだということであるならば、
1日は明らかになったとしても、
2日目はダメじゃないですか。
そこで週刊の予定表というものが出てくるわけですよ。
バーティカルというやつね。
花々しい人に至っては、
この週刊の予定表の全てをタスクシュート上に埋めたくなるわけですよね。
36:02
1分単位も空けずにぴっちりと。
これも全然タスクシュートと僕は関係ない世界に入っていると思うんだけど、
そうしたとしましょう。
1週間は心置きなく過ごせて、
1週間後の夜はぐっすりと心地よく寝られます。
じゃあ、8日後はどうなるんですかって絶対に聞かれるじゃないですか。
絶対に聞かれるわけじゃないんですよね。
どこかで諦めるしかないなってみんな思うんだけど、
これがなかなか諦めがつかないという
真理になっている方がいらっしゃる。
つまりどういうことかというと、
結末に対する不信感が強ければ強いほど、
先の先の先まで見通さなければならないという、
この未来の延長について、
未来の延長線がどんどん伸びていくんです。
ということが、
私はタスクシュートのセミナーをやったり、
個別相談をやっているうちに分かったんですよ。
まさに分かったとしか言いようがない。
自分はなんでこれを気にしないんだろうと思ったら、
自分は結末に対する根拠のない信頼がどこかにあるんだ。
だから短くて済んじゃってるんだ。
長く必要だという人は、
やっぱりお話を伺っていくと、
どこかでひどい目にあってるんですよ。
会社でひどい目に会わされましたとか、
中学の頃こういうことがありましたとか、
必ずそういう話が出てくる。
つまり過去に嫌な目にあっていて、
しかもそのことが今も根深く自分に影響を及ぼしていらっしゃる、
というケースほど、
未来のあらゆる先まで見通せなければいけない、
なってるんで最初から。
だからタスクシュートにそこを埋めてもらう。
タスクシュートが埋められないなら、他の何かに埋めてもらう。
スタッカルとか、わかんないですけどね。
あるんですよ。最近そういうのを見つけたんですよね。
タイトルをすぐ忘れる。
だからあまりいいタイトルではないんですけど、
Gmailとか、
これご自分で探してくださいね。
Googleカレンダーとか、そういったものの中の予定を
全部合わせていい感じに並べていくという。
なぜこういうものが求められるかというと、
さっき言ったような心理状態と
深く関係があるんですよね。
この辺の話ってミオンによっては、
精神分析に非常に近いことを言ってると思って、
私はそっちのアプローチをしたいなと。
あるいはグッドバイブスでも全く同じような話が。
つまり信頼しろってことなんだけど、
それができないんですっていう水陰論みたいになるんですよね。
私だって信頼しろと言われてみると
不安になるっていう部分があるから、
つまり信頼しきれてない部分ってどっかにあるんだけれども、
過去の戦いにそれほどこだわりが
これがそれだみたいなのが
すぐ言えるようなのは
過去にも思い出せる関係ではあんまり
39:02
ないから、たぶん大丈夫でしょう
っていう風にすぐ慣れるんですよ。
このたぶん大丈夫でしょうって慣れる人ほど
タスクシュートも簡単に受け入れることが
できているというのが
法則というのはおかしいけれども、
概ね言えるんですよね。
来週のことは僕は別に気にしませんっていう人の方が
タスクシュートは楽なんですよ。圧倒的に。
今これ何をやっているかの
記録を取るというのが主眼なのに
3日先4日先5日先同じことを
やりましょうってのは無理なんですよ。最初から
原理上それはできるようになっていないんですね。
だったらどうやって不安を解消してるんですか
っていう風に時々尋ねられるんだけど
だったら他にどんな方法でその不安を解消できるんですかと
僕は聞きたくなるんですよね。
今はそうしないけど昔はそう聞いてました。
だって5日後の未来がはっきりその人の
欲しているレベルで明らかにする
そういうツールはこの世にないですから。
これを一見したところ
Googleカレンダーなりエヴァノートなりアウトライナーが
明らかにしてくれるように見せかけてくれる
時があるんですね。だから期待しちゃうんだと思うんだけど
無駄に無理だとやってることは
行ってみれば机上のデータ収集とかって
それはどこかで起きたことをベースにしなかったら
信頼感全然ないじゃないですか。
もしまだ起きていないことについての
出来事を記述するんであれば
それは水晶玉と何にも変わらないはずなんですよ。
どんなにそれがAIらしくコンピューターらしく
見えたとしてもですね、かなりの部分
嘘をついていないとむしろおかしいんだと思うんですよね。
だって未来のことなんですから
読めるんだったらとっくに読んでるじゃないですか。
でも読めないんですよね。
だからファンタジーになってしまう。
そこは避けようがないと思うんですよ。
むしろこれを今のこの話を聞いた時に
その時強く不安になるかどうかの方が大事だと。
僕は今こうやって喋ってても
そんなこと自体がそんなに不安になるわけではないというか
事実上不安にならないんだけど
ここで不安になるというのであればですね
その不安をツールが解消することはできないので
やっぱり別の方法でその不安に
アプローチしていくより他ないと思うんですね。
その不安を何らかの形で
ライフハックで明らかにする方が
科学的だとは僕は思わない。
その方が非科学的だと思うんですよ。
今までそういうことが人類はできてないのに
どっかにそういう方法があることにしちゃってる段階で
ちょっとオカルトが入ってると思うんですよね。
予想には機械を使っていたとしても。
ですから未来に起きることは
42:02
みんな読めないんですよね。
これがまた面白くて
例えばふんだじにお金がある人は読めるんじゃないかとか
あるいはですね、時々僕は聞いてて思うことがあるんですけど
例えばグッドバイブスファクトリーとかで
倉園さんとのやりとりを見ていて
もしかすると倉園さんのお話を聞いてる人の中には
僕もちょっとそういうのがよぎることがあったから
今あんまりよぎんないんだけど
倉園さんってお話がすごく波乱万丈だから
この人はよっぽどひどい目にあってきて
なんかもう火破りとかにいっぱいになったから
あんまり未来に何が起きても怖くないんじゃないんだろうか
っていう風に思う人がいるんだろうな
って時々思うことがあったんですよね。
石砕きとかさせられているから
この人は要するに少々未来にやばいことが起きても
大丈夫な体勢がついちゃったんだ、私は違うんだけど
っていうようなやりとりに聞こえることが時々あったんですよ。
これは僕の憶測ですけどね。
僕のイリュージョンですけども
昔僕そんな風に思ってた時代があるんですよ。
弱い人間、なぜならば
すごく割と環境上恵まれてきたから
石砕きとかさせられてないから
身体的な恐怖感とか臆病さが根強くて
だから未来が読みたくなってもしょうがないんだ
ぐらいに思ってた時代があったんだけど
だいたいそうじゃないんですよね。
なんかね、ぱっと見の印象に騙されてはいけないと思うんですよ。
例えば僕の昔
今も一緒に仕事してますけど
特にライフ発見で言うと
ノーセカンドライフの橘さんとか強そうなんで
この人は強そうだから
未来が読めなくても大丈夫なんだろうなという
そういう適当な考えに落ち着いていた時代が結構あったんですよね。
だから自分はちょっとか弱いので
未来をいっぱい見通しておかないと
大変やばいに違いないみたいな、そういう考え方ですね。
これはそんなことはないんですよ。
そんなことはないんだなということを
それこそ割と有料ですけどね
橘さんのノートとかを読んでると
そんなことはないんだということがよくわかるんですよね。
強いから何が起きても大丈夫みたいな
そういうわけじゃないんですよ。話が全然違うんですよね。
この場合の強いというのは多分に
身体的なものを僕は指しているんだけれども
スローレスラーみたいな人だったら
未来に何が起きても大丈夫だから
タスクシュートでそんなに頑張らなくても大丈夫なんだな
みたいなそういうところっていうのは
僕がそう思ってたところがあったということですね。
だから
信頼っていうのはそういう意味なんですよ。
不信感がある限り
未来のリスクとか
石を取り除いておきたいという表現を
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時々する人がいらっしゃるけど
そういうことがあって
道をきれいにしておいて
つまづく位置をなるべく排除しておけば
スムースに歩いていくことができるし
痛い目を見ることもないから
それをしたいんだっていう話にしてしまう。
そこから先送りが実は来るんですよ。
作り出しているというふうに誤解されているんですね。
だから集中に顔をつけちゃったりするわけです。
そうではなくてありとあらゆる
対策を打っておく。
その中に例えば本をたくさん読むとか
英語の勉強もしておくとか
プログラミングとか
今でいうとチャットなんとかの使い方とかも
押さえておくとか
やることがものすごく多岐にわたって
全てのことを1分ずつやるみたいな世界が
起こるんだろうと思うんですよね。
でもそうしたとして
1分ずつ毎日やったからといって
それが100日経った時に全部役に立つということになって
しかもその時には
例えばですけど100日後に起きたことは
後ろから追突されましたと
追突された時の対策というものは
毎日1分ずつやってなかったから
自分はひどい目にあったんだというように考えると
キリがなくなるじゃないですか。
だから車に乗らないとかいう話もライフハックでは出てくるんだけど
そうすると僕が思うに
ものすごく不自由になっていくんですよ。
ものすごく不自由になっていく上に
自分の毎日の活動が
断片化していくという状態を生み出して
しかもその大半は
ここが一番大事な点なんですよ。
その大半は
変な声が出ちゃダメですね。
でも入ってくるから
この番組朝やるのの難しさがあったんですね。
だから某音とかをすると
あれです。さっきの断片も
良くないと思うし
対策がキリがなくなっていくのも僕はごめんだけれども
何よりもいけないと思うのは
その大半がやりたくもないことだってことなんですよ。
やりたくないから1分ずつやるんだったらいいでしょう
っていう鼻つまんでピーマン作戦はですね。
でもそのやりたくない1分ずつを
日に100個やると
やりたくないことを100分やることになるじゃないですか。
チャットなんとかでも保険だろうと
ぶつかられた時とか
煽り運転への対策だろうと結構なんですけど
やりたいのかどうかって大事ですよね。
やりたくないことは全部消した方がいいと
本当に思うんですよ。
やりたくないことなんて何度も言ってますけれども
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習慣感はできないです。
やりたくないことなんてね。
煽り運転対策なんかしたいと思わないじゃないですか。
ワイドショーで見るたびに思うんですよね。
これずっと見てたいと思う人の心理が僕には到底理解できない。
現実に僕煽り運転を食らったことって
こういうこと言わない方がいいんだけど1回もないんですよ。
生まれてまだ50歳だから
30年ぐらい運転してますよね。
ほぼ毎日運転している。1回もないんですよね。
1回ぐらいは生涯であり得るかもしれないけど
その対策を毎日1分ずつ打つとか
僕ならすごいごめんだと思うんですよね。
この話するとそんなの当たり前だと思われるでしょうけど
僕からすればですね。
何かの対策を毎日1分打つというのは
これと何も変わらないような気がするんですよ。
全然楽しくないし
全然現実的な気もしない。
結局確定申告を毎日1分ずつやるというのは
嫌な人にとってはこれより嫌だと思うんですよね。
煽り運転より嫌だと思う。
煽り運転の対策を毎日1分ずつやるよりも嫌だと。
そして結構不毛だとも思うんですよ。
だから集中して
どっかのタイミングでやる方が
まだマシでその時に集中に顔をつけないということ。
そしてその後の事態に対して
やっぱりこんな風に確定申告を
4時間もやっちゃって終わってもいなくて
しかも他のことがおろそかになって
明日寝不足になってとか
そういうネガティブなファンタジーで
頭を埋め尽くして
毎日毎日を
僕の言葉で言うならば
返答体の活動でいっぱいにして
すっかり気落ちした状態で
翌日を迎えない方がいいんじゃないかと思うんですよ。
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