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おはようございます。
働く人に送る精神分析チャット、1012回をお送りします。
7月3日水曜日、20時36分ですね。
今日もやや短めに終えようと思っているんだけど、果たしてどうなるかは分かりません。
これを聞いている人には、すでに聞いている段階で何時って出てるかな。
今の段階で知らないのは私であって、聞いている人には分かっている話なんですけどね。
先日来お伝えしておりますけれども、現在7月に入っていて、
第6期の3ヶ月チャレンジの最終月になっておりまして、
第7期の3ヶ月チャレンジがですね、いよいよ8月1日からスタートといったことになります。
すでにですね、PTXのほうで告知は出させてもらっておりますので、
1ヶ月体験か3ヶ月するスペックでお申し込みいただけますので、
よろしければですね、こちらのほう。
PTXで第7期、仕事のメンタルを見つめ直す3ヶ月チャレンジといったタイトルになっておりますので、
よろしければぜひ、まだ空きは用意しておりますので、チェックしてやっていただければと思います。
1ヶ月お試しコースが3万円で、一般参加費用は7万円プラス税といったことになっています。
内容はですね、私と週に1回設定の、大体週に1回の個人セッション。
1時間から1時間半の間。
プラス週に1回グループセッションですね。
グループ、まあワークはやらないからやっぱりグループセッションになるのかな。
土曜日に、大体お昼ぐらいに開催しているグループセッション、週に1回。
これ大体ですからね。
セッションは週に1回ほぼ確実にやりますが、
グループセッションは毎週毎週絶対やるとは限りない。
ただまあ、5週あるうちの4週はやり、4週あるうちの3週は大体やりますので、
セッションはほぼ毎週といった形になっております。
時々ね、金曜とか日曜にやることもあります。
これを一般向けにも時々出せばいいのかなと思いつつ、
なかなかその、なんとなくこう、なんていうのかな。
まあやっぱりクローズドでやりたいという部分と、
オープンでやりたいという部分のちょうど間に位置するのが、
このグループセッションで、完全にオープンにしてしまうと、
値段は取るとは、あの、お支払いいただくとはいえですね、
完全にオープンにするのはちょっとなっていうのがあるにはあるんですよね。
この辺をまだ今考えあぐねているところですが、
これはほぼ雑談になります。
でもこういうのが挟めるのが、
ポッドキャストのいいところかなと最近思うんですよね。
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これブログに書きにくいっていうか、
例えばブログでもノートでもいいんですけど、文章を書いていて、
今実はこういう葛藤があるんだと書くっていうのは、
なんかこうしっくりこないですよね。
葛藤を書かないですよね、文章には。
これはなんかやっぱりある気がしますね。
今日はその葛藤というテーマで少しお届けしたいんですけど、
学校の先生が一番よくご存知のことというか、
毎日毎日今もね、
もしこれを聞いている方が学校の先生なり大学の先生なりでいらっしゃったら、
絶対これは毎日のように目にするだろうなというのがあって、
私はすっごいでもこれはですね、
寝られないに並んで絶対注目、超注目するべきポイントだと思ってるんですけれども、
学校の場合はこれより注目するべきポイントがもう一つあるな。
でも遅刻ですね、遅刻。
遅刻って絶対来る人いますよね。
小学校と幼稚園ぐらいですよね、遅刻者ゼロみたいなのって。
本当に中学以降、遅刻というものはもう絶対と言っていいぐらい。
信田くんはいつも遅刻遅刻喚いてましたけど、
小学生ってあんな遅刻じゃないですよね。
まあ中学以降、大学なんてでも遅刻する人の方が多いんじゃないかぐらいに思いますか。
だからあんまり注目できないか。
でもやっぱ遅刻っていうのはすごい大事な要素だと思うんですよね。
まず精神分析ではおなじみの、私もそこから精神分析を多少理解できた行動化というやつですね。
何しろ行動に現れるというのは注目なんですよ。
頭で考えるだけでは済まない。
人に向かって喋るだけでも済まなくなって初めて行動というものに現れるというか、
逆に全く意識ができないから自分でも全く気づかないうちに行動に現れてしまうということもある。
いっぱいありますけどね。
例えば不安だからといって、不意に家に戻って鍵かけてるかどうか確認すると。
この人の不安は鍵がかかってるかどうかではなくて、全然違う不安がそいつに化けてしまうみたいな、
そういう言い方をするのがいいんじゃないかと思うんです。
なんかね、このごくごく当然ありきたりの話なんですけど、
ここがどうしてもありきたりにならないのが精神分析という概念が必要としたほど、
我々人類がですね、この点を捉えきれなかったというのが面白いというか面白いわけですよね。
つまり、例えば赤ちゃんが自分の攻撃性、攻撃性って絶対あるじゃないですか。
噛むことができる、叫ぶことができる、親にやつ当たりができる、攻撃したいという気持ちですよね。
この攻撃性というものが、私たちはですね、あまりにも、何て言えばいいのかな、
起点と対象を持っていると信じていすぎるんですよね。
北朝鮮のミサイルみたいなもので、ここを発射台にしてあっちへ撃つみたいなのが攻撃だと思い込んでいるから、
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この攻撃という単なる、何て言えばいいのかな、何かを攻撃するぞというこの気持ち、エネルギーが、
自分に向かうということとか、分かんなくなっちゃうんですよ。
自分に向かうというのは、つまり起点がですね、起点は自分に決まっているんだけど、
起点を見失うこともあり得るということが分かんなくなってしまうんですよ。
だから統合失調症の方とか、白外妄想の人が言っていることが奇妙に聞こえるんですよ。
でも奇妙なはずはないんですよ。
ATMが自分を狙っているとかいうと、すっごいおかしなことを言っているように思うかもしれませんけれども、
ATMを知覚するという現象が起きて、その知覚の中に攻撃性というものを組み込むことができるんだったらですね、
ATMが自分を攻撃するという知覚をしても全然おかしなことはないですよね。
例えば、我々はすぐ人によってはですけど、クモに攻撃されると思っている人いっぱいいるじゃないですか。
でもクモってまず人間攻撃しないですよね。
クモって多分人間に対する攻撃力とか持ってないと思うんですよ。
だからクモが攻撃してくるというのは妄想なんですよ。
それはクモの知覚の中に、クモの攻撃力というものを練り込んでいるというのかな。
組み込んでいると言ったらいいと思うんですよね。
クモが攻撃してくるという知覚をしてしまうんだから、
クモを知覚する私たちの能力にさらに追加して、クモが私を攻撃してくるという知覚も勝手に組み込むんですよ。
こういうことをいくらでもできる。
その攻撃って自分の攻撃力によく決まってるじゃないですか。
他だったらおかしいですよね。
そこにないものを見ているわけだから、どっかにその攻撃力があるんだったら、それは自分の攻撃力なんですよ。
つまり自分がクモを攻撃したいというのが、逆にひっくり返っちゃうんですよ。
ひっくり返った知覚をしちゃう。
だからそこに妄想を見るわけで、そういうことって僕らは不思議だと思う僕らが不思議なんですよ。
だから葛藤というのは起きて当然なわけです。
だって自分で自分を攻撃したい人は本当はいないわけだから、どこかに葛藤がなければそんなことを考えるはずはないわけですよね。
どこかに例えば行きたいとするじゃないですか。
学校でいいですよね。
学校に行きたいと思う人は行きたくないと思うことが多々あるわけですよね。
これが非常に単純にですよ。
そんなに単純な話だったら人に相談なんてしないんだけど。
葛藤を引き起こすわけですよ。
学校に遅刻していくという。
これも全然不思議な話じゃないですよ。
学校には行きたい。
給食も食べたい。
でも今日お腹が痛い。
うわーなんか食べたいんだけどお腹痛いしなっていう葛藤って誰にでもあるじゃないですか。
その日がお誕生日でケーキとかがあったらもうみんな葛藤しますよね。
よっぽどひねってない限りは葛藤すると思うんですよ。
つまり遅刻するというのは葛藤の現れであるという。
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これは別に全然不思議な話ではないと思うんですね。
問題なのは本人が葛藤に全く気づいていない。
これ不思議な話ではありますけれども。
でも多分蜘蛛を見て蜘蛛が攻撃すると思い込んでる人は多分全く自覚がないわけですよね。
自分の中の葛藤ではないけれども。
自分発の攻撃力が投影された側から本当に攻撃されていると信じてしまう人っていうのは自分発だっていう自覚が全然ないわけですよね。
切り離されている程があるというかこういうことがあるわけですよ。
だから遅刻をする人の中にはですね遅刻は行動化に違いはないんでしょうけれども。
全然全く自分は葛藤しているという意識の欠片もないのに遅刻してばっかりいるという不思議なことが起こるという話がですね。
最近もずっと喋ってる松木邦博さんのこれは著者じゃなくて偏者ですけどね。
松木邦博さん編集のトラウマ精神分析的アプローチの中に出てくるんです。
遅刻なんてね精神分析でなくても臨床でも心理カウンセリングなんでも全くおなじみのスーパーおなじみテーマではありますけれどね。
とにかくその中で出てくる遅刻というのが葛藤という風な葛藤として解釈したのでは全然十分ではないなかったっていう話が出てくるんですね。
この話を読むたびに、この話したことあるかもしれませんけど読むたびに、私は昔大橋哲夫さんと早朝セミナーやってた時の早朝ですから。
早朝って最初9時スタートぐらいだったと思うんですよね。9時半かなその辺だった。早いですよでも渋谷で9時半とか。
私なんか本当に二宮に引っ越してから遠いなぁ。9時早すぎるなぁみたいにずっと思ってましたけど。
でもまあ主催なんで私はまず遅れないですよね。
でこれがまた非常に絶対遅刻する方っていらっしゃるわけですよ。
でもまあいますよそれはねセミナーをちょっと開催していれば遅刻する人なんで必ず絶対に登場されますんで。
で遅刻はまあもちろん葛藤とは限りないここが大事なんですよね。
なぜセッションというものは毎週毎週決まった日にできれば何日も何日もやるのかというと。
しかもそのセットを動かせないかというとこういうの炙り出しやすくするためなんですよ。
遅刻を絶対毎回例え数分だとしても絶対する人っているはずじゃないですか。
当然いるわけですよ。私まだ今のところ自分に関して言うと1回もしたことないですもん。
この辺はやっぱりはっきりとあり出て出ますよね。
遅刻をするというのはどういうことなのか。
自覚がなければない人ほどこれ不可抗力だって思いますよね。
いや電車が遅れたから雨が降ってたから雨が降ってたから遅刻するのかって話なんだけど雨が降ってた。
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家を出る時に奥さんと喧嘩したからと何でも何でも理由がつくわけですよ。
結局絶対遅刻すると思ってもするのかしないのかっていうのが大事になってくるんですけれども。
とにかく行動化というものはですね。
学校の生徒が遅刻をしてくる時におそらく遅刻をする人というのは少なくとも
行きたい気持ち100%でないのは確かだと思うんですよね。
逆なんてことはないにしてもですね。
何種のかな。
すっごい大好きな異性。この話になっちゃいやすいんですけどね。
デートの約束とかこぎつけたら遅刻しないじゃないですか。
でもある種の人ってそういう日に限って遅刻しそうじゃないですか。
だから遅刻をするっていうのはその人の心理面をとってもよく炙り出すと言いますかね。
精神的に葛藤を抱えていたり難しい問題があったりすると
そこにはやっぱり現れてきてしまうものがあるわけですね。
私ミニセミナーでこの方必ずこのぐらい遅刻するなっていう方が
一人や二人ではないんですよね。
長くやりましたから大橋さんとは。100回やったわけですからね。
100回以上彼とはやってますね。
そうすると月に一遍やるとしても8年以上ずっとやってなきゃならないですよ。
この辺は大橋さんの独断上というか得意とするところなんですよ。
あれ今思うとすごく精神分析と言わないまでも
心理カウンセリング設定と似てるなと思うんですよね。
同じ日に同じ曜日に同じ月に同じタイミングで同じ時間に何度も何度もやると
人間心理って炙り出されてしまうんですよね。
ちょっちゅう回を変えてみたり主催者がスキップしてみたり休んでみたり
曜日を変えてみたりすればテーマを変えてみたりですね名前変えてみたり
その都度来る人は変わるし
毎回毎回同じ行動を取ろうとしなくて済んじゃうじゃないですか。
不格好力による要素が増えるわけです。
しかし大橋哲夫さんが設定したみたいに毎度毎度きちっと同じタイミングで
同じ会場で同じ場所に同じ時間に来いってことをやってると
毎度毎度同じように来られない人が登場したり
毎回毎回参加を表明するんだけどいざとなるとドタキャンスするとかね。
しかも本人はそれが不格好力だと思ってるところがミソなんですよ。
でも今回こういう事情があったしなっていうのが必ず表れるわけですよ事業が。
でも本人ご本人はそう思ってるかもしれないけれども
そこにそういう事情にかこつけては休みたいと思う自分が
行く直前の日になると出てくるんではないでしょうかって言えるようにするためにも
設定を動かさないというのが大事なんですね。
学校の先生がこの問題に直面すると私は差もありなんと思うんですよ。
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学校って毎日に近いくらいセットされてるし時間も同じだし面々も同じだし
一度契約を結んでしまったら簡単に動かせないようになってるじゃないですか。
非常に精神分析的だなってある意味思うんですよ。
そこで同じ人が遅刻するはずなんですよね。
絶対この人遅刻しないなって子はいるはずなんですよ。
だからそういうのっていうのは私は家庭の事情じゃないはずじゃないですか。
家庭の事情だったらおかしいですよね。
やっぱりそれは家庭の事情なのかもしれないんだけどね。
そこが難しいところですよね。
家庭の事情がそういう非常にややこしい問題を生んでる。
いずれにしても毎度毎度遅刻する。
ものすごく血液頻度が高いというのは
何らかの意味でその人は葛藤を生じさせている心なのか
環境なのかに分からないんですけどスムーズにいかない何かがある。
つまり適応しがたいものがあるってことだったと思うんですね。
やっぱりある方が遅刻されるっていうのが何人かいらっしゃったんだけど
特に僕はこの人の顔がパッと思い浮かぶっていう人が
何しろこの早朝の月に1回の大橋製造さんが開催されるようなセミナーなんで
基本的にいい加減な人はいらっしゃらないんですよ。
ちゃんとしていて基本前向きで
だって土曜日の朝に渋谷に集まって仕事術やろうってんだから。
しかもそんなに格安ってわけでもなかったわけで
それは相当やっぱり意識は高いわけですよ。
でも遅刻するってのは僕は絶対何かがなきゃおかしいとは思うんですよね。
ただこれは心理カウンセリングではないし
いわゆる構造化はされていませんから
それが心理的葛藤である証拠は何もない。
これが分析ルームだったら絶対心理的葛藤だと考えるのが
一番妥当だと思うんだけどここが難しいところなんですよ。
我々の仕事の場合1対1じゃないし
本当に電車が毎度のように遅れるということもありげないわけじゃないですし
だからここが難しいんですよね。
それを構造化だと断定できる理由は何もないわけですよ。
ただまあ何か構造化的なものがあるだろうと
別にこれは本人の不名誉とかはないと言うんですよ。
後々になってみるとただ分かることっていうのはいくつかありまして
後で考えてみればってことですけどね。
後で考えてみればいくつか分かることがありまして
やっぱりですね、この構造というのかセッティングですよね。
朝9時になんで渋谷なのっていう気持ちがゼロかっていうと
僕はゼロではない。何しろ私がそう思ったぐらいですから。
これ大事なポイントなんですよ。
もともと合意の下で9時にセットしたわけじゃないですよね。
18:00
大塩町さんがこういうセミナーをやります朝の9時にやります。
来たい人は来てくださいなのに
それに来るというふうに自分で決めておきながら
このセットが何か理不尽だと思うのだとすると
これはもう完全に投影だし
投影同一化が進みそうな現象がここにはひしひしとありますよね。
つまりお互いが持ち込んだものではないってことなんですよ。
変異状況が起きやすいという言い方をしても
この場合はいいんじゃないかと思います。
現に私多分その繰り返し遅れていらっしゃる方に
私別に思うこと何もないじゃないですか。
私サブの講師に近いわけだから
遅れてくる方がいても何にも感じないでいいはずなんです。
ここ大事ですよね。何にも感じないでいいけど何かを感じた。
覚えてるんですよ。覚えてるとはどういうことなのか。
そんなことを覚えてもらっていたら嫌だなって思われるかもしれませんけど
もしその方が聞いていればですけどね
聞いていらっしゃらないと思いますけど
聞いていらっしゃったら是非これは思い起こしてみて
あんまり意味ないですけど思い起こしても
ものの実験みたいにして考えてみてほしいんですよ。
僕は覚えています。
これはやっぱり忘れさせないとしているって考えた方が良くないですか。
私はその腹が立ったとかはないんですよ。
だらしないなとか思う。全然だらしなくないですよ。
誰もだらしない人だもん。一番だらしないのは僕ですよ。
あんな中で多分ね。そうじゃないですよ。そんなことは思わない。
ただ後からですよ。終わって随分経ってますよね。数年が経ってます。
顔まで思い出せる感じがします。なぜでしょう。
これやっぱ覚えていてほしかったからじゃないですかね。
遅刻をすることによって。
現に私遅刻を全くしない人は覚え出しにくいですもん。
特にある方はよく覚えてます。
これはやっぱり僕はですね。覚えてほしかったんだって。
今はそれは僕の勝手な解釈であり
いかにどこにも少しもないですよ。エビデンスはないですよ。
私は絶対これはそうだと思うしかないんですよね。
なぜなら僕が持ち込んでいるものがないから。
もちろん全ての人は僕はなるべく顔と名前を覚えるようにしました。
できてなかったけど努力はしました。
僕でもそういう努力はするんです。セミナーの運営者だ。
でも大半の方は申し訳ないけど名前は忘れてしまいました。
顔を覚えてる方も何名かいらっしゃるけど相当来ていただいた方に限ります。
見れば思い出します。背景、拝見すれば思い出します。
でも忘れてしまいます。正直言って。
8年もやってれば、私はそういうところの能力は
見た人の顔と名前を絶対覚えているっていう方が
はるかに超能力的だと思う方なので無理です。
無理ですがその方の名前と顔を覚えている。
これは不名誉だと思われるのではなくて
覚えてほしかったという風に。
多分ご自覚はない。
ご自覚はないと思うけれども
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そういうことはあり得るんだという風に
私はこういうのが精神分析的知識というものの
活用の仕方だと思うんですよね。
覚えている人のことは
私の努力の賜物では全然ない気がするんですよ。
だって私努力してたけど大抵それに失敗したわけですから。
私が努力を払ってもいないのに覚えることができた。
覚えさせるために
その方の無意識が働いた結果であるという風に
私は考えるのが
この場合そう考えないと
むしろ適切な考え方が出てこない気がするんですね。
つまり私たちはそういうことをしているってことなんですよ。
大事なのは。
無意識のうちにある種の行動を取り
その行動を取っている意図は自分でもわからないんだけど
意図はあるんですよ。そこが大事なんです。
そういう意図を自分が例えば覚えてほしいと思うのは
どうしてなのかと考えていくことによって
自分自身の辛さというものに触れていくことができる
というのが多分僕は精神分析で
すごい大事なポイントだって思うんですね。
こういうのを僕らがすっごく軽く考えて
お互いがにっとって
例えば今のような話も傷つくかもしれないとか言うと
話ししなくなるじゃないですか。しなかったけど原理に。
だけどこういう話を抑えて隠しておくから
僕らはお互いの心における苦しみに
お互いも自分も触れることが一切できなくなって
行動化とか身体化とか
そういう一番手を出しにくいところに
苦しみを持ってってしまうんですね。
身体化なんて僕が得意としたところだけど
そうするともうぬりぬるし薬塗るとかしかないですよ。
人に自分のことを思えておいてほしいと思っているところに
薬を飲むことほど的外れな
解決策もないと思うんですよね。
だけれども表面的にやられているのが例えば遅刻だとすると
リマインドセットしましょうとか
せめて時間をうまくやりくりすることによって
出発時間を早くしましょうとかいう話になるじゃないですか。
いくらそれしても無駄なんですよ。
なぜならば私は人に忘れられたくないっていう
その無意識の気持ちがこの行動を作り出しているんだとすれば
何をやっても無駄なんですよ。
何かがこうそうしちゃ困るんですよ。
そのような自分の中の非常に切実な気持ちというものを
肩から捨ててしまうという
もちろんそれは間違ってるかもしれませんよ。
その解釈はね。
でもこれがニードをニーズに変えるということの方向性であって
なんだかよくわからないという
ただそれだけの理由で
とりあえず対象療法にひた走ってはいけないと思うんですよね。
赤ちゃんは泣いている。
泣きやませりゃいいってもんじゃないじゃないですか。
泣いてるんだから。ミルクを飲ませても泣き止まない。
寝かしつけようとしても泣き止まないってことになってくると
24:02
だんだん腹が立ってくるのはよくわかるんですけれども
だからといって泣きやませればいいというのはやっぱり
想定っていうもんですよね。
でも僕らは自分の情緒に対して
簡単にこれをしちゃうんですよ。
泣きやませりゃいいって考え方になりやすいってことなんですね。
この松木さんのトラウマの精神分析的アプローチの中で
短い遅刻を繰り返すという患者さんが登場するわけですよ。
トラウマがあるんですね。
どういうトラウマがあるかというと
手に設定された状況で自分のことは無視された
っていう状態が長く続いてしまった男の子なんですよ。
それはやむを得なかった事情があったわけですよ。
そのご家庭にはね。
だからその子はある意味雑に扱われたんですよ。
幼少期のなかなか大事な時期にね。
それがトラウマになってるから
勝手に設定した設定で
私のこと縛らないでほしいというか
私の意向というものはもうちょっとちゃんと聞いてほしいと。
これ無理筋ですよね。
合意の上でセットしたはずの例えば月曜日の13時に来なさい
みたいなのが行きますっていうことにしちゃったのに
それに対してでも勝手に設定された気がするって言って
13時に来いって言うんだけど13時10分に行くとか
そういうことをするわけですよ。
無意識。これが無意識なんですよ。
ご本人は無意識だから電車が遅れましてとか
そういうことになるわけです。
早く来るようにしますとかそういうことになるわけですよ。
一向に早く来ようとしないのでだんだんだんだん精神分析科が
イライラしてくる。というかイライラでは済まず
なんかすっげえ腹が立ち始めると。これ逆転移ですよね。
このすごい腹が立つっていうのがすごい大事なわけですよ。
あまりにも腹が立ちすぎだと
自分でもおかしきと思ったってところから
こういう方向に向かっていけるんだけれども
腹が立たないと気づかないわけですよ。
だからあっさりとこれに対して許容してしまってはいけないんですね。
遅れられて困ることは何もないわけですから
精神分析科の方としては。
これキャンセル料というものは成立しない世界ですから
何分遅れてきても所定の料金取るっていうのが精神分析ですからね。
それでも遅れてくるところに価値があるわけだし
遅れて来られることに腹立てなくていいのに
むちゃくちゃ腹立たしいって感じるところに価値があるわけですよ。
逆転移が起きる。私は構造を持ってないから
残念ながらそのセミナーにおいて
遅れられていたときに対して腹を立てようと
悲しくなろうと気にしなかろうと
それを逆転移だと主張する権利は何もないんだけど
でも運と後になってみて
唯一残っている一つの事実が
よく覚えているってことだとすると
これを逆転移性の何かだと少なくとも考えて
おかしなことはないと思うんですね。
もちろんもうご本人にお会いすることはないと思いますし
当時は何も気づかなかったから
何かを尋ねたということは一度もありませんでした。
だから分かることでは何もないんですよ。
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でも例えばですけれども
運と昔のお話をすることができればですけどね
できればお話をするということによって
もしかするとその方は
例えばですけれども保育園とかでね
先生に忘れられるということがあって
すごい辛い思いをしたとかいうことがあったのかもしれません。
こういうことって大事じゃないですか。
これがだからその時刻について
誰も触れないという事態が続いていくと
永遠にその記憶について誰かが思い出す
ということはできなくなってしまうわけですよ。
保育園であるいは幼稚園で忘れられるというのは
大変なことなんですよ。よくやってるじゃないですか。
これからの時期ですから非常に悲しいことなんだけれども
必ずこれからまた我々は遭遇しますよね。
バスの中にお前と忘れられた子供が
お亡くなりになってしまうわけですよ。
暑いですからねこれからの時期はね。
こういう話っていうものがあるから忘れられるという問題は
問題なわけですよ。大きくなれば問題じゃないんだけれども
小さかった頃は問題なわけですよ。
いろいろ重大な問題を引き起こし
兼ねないから忘れられたということ自体が
トラウマになり得るわけですよね。
あるはずなんですよ。我々は日常生活というものを
つぶさに観察しているってことをやればですね。
やればですよ。やらないことがとっても多いんだけど
そして面白いことに今のように進んだ社会で
人々のリテラシーも高くなって
人々がお互いの傷みたいなものに対して
触れ合わないように気を配れば気を配るほど
こういうものがますます見えにくくなるっていう
ちょっと皮肉な逆説がですね起きやすくなっているわけですよ。
どう考えたって
このトラウマの精神分析的アプローチで
8分遅れてきた、5分遅れてきた、10分遅れてきた
っていうのが繰り返されると。別段
カウンセラーが激怒する理由なんて何もないわけですよ。
でも激怒した。まずこれが一つ目の気づきですよね。
二つ目にイライラするのと激怒するのは
全然違うっていうものすごく腹が立って
これが擦り合わない怒りだというふうに
気が付くと。これが逆転位を使うっていう話ですよ。
でもこれは話だからいりませんよ。
逆転位が怒りだったからといって
そこに何かがあるとは限らないわけですよね。
そこに証拠はない。証拠はないんだけどこの時はたまたま
いや実はね先生が設定した
この一方的な設定というものに対して
少し釈然としない思いを抱いてたというのが
引き出されるわけですよ。そうすることによって
釈然としない思いを抱いていたから
わざと遅刻してきているという面があったんだと。
だけどこのわざとは変な話ですが
無意識的なわざとなので気が全く
本人もそうするという意思を持っていないまま
わざと遅刻をするという事態が進行していたと。
この辺がそういう精神分析的ですよね。
30:00
それはつまりその子は小さかった頃にね
食卓になんかご飯がすごく
おいしくなくなった。これがトラウマなんですよ。
ご飯がすごくおいしくなくなったのは何の問題なのかって言うと
兄弟がちょっと重い病気にかかってご飯が雑になったんですね。
繰り返し繰り返しでも小さかったから
そういう事態を十分理解できていないのに
いきなり飯が雑になったから
それってあれじゃないですか。急に自分は
この家の子じゃないんだろうかみたいに扱われるみたいな話じゃないですか。
これが親によってされた仕打ちとして
非常に釈然としなかったから
一方的に設定された設定に
無理やり従わせられるということがトラウマになったという
そのトラウマを思い出したから
精神分析のルームに行くのが微妙に遅刻をする
繰り返すという事態になり
それに対する逆転意という形で分析家の方の怒りと
つまりもしその食事が
お母さん勘弁してよ今日のご飯まずいんだけどって言ったら
お母さん絶対怒ると思うんですよ。だって兄弟が重病だから
一生懸命頑張ってやむを得ず
おいしくないご飯を出しているっていうそのお母さんにしてみると
そういうことを言われることほど腹立たしいことある意味ないじゃないですか。
この気持ちが精神分析家の方に
コピーされているという
これが逆転意ってものの多分一つのパターンなんですよね。
だから私が忘れられなくなった
ってことには意味がものすごいあるんですよ。
それは恥ずかしいことだみたいな話で終わってしまってはいけないんだと思うんですよね。