00:05
おはようございます。
堕落人に贈る精神分析チャット、第1004回になると思います。
旧グッドモーニングボイスですね。
今日はそのタイトルの変更に伴う諸々をお話ししようと思います。
ちなみに昨日はちょっとお休みいただきました。
ちょっと鎌倉に遊びに行ったり、家族としたりしました。
さてですね、今6月21日金曜日、朝の7時38分です。
雨が降ってますね。
今日からプロ野球のリーグ戦が再開じゃないかな。
ロッテはソフトバンク戦ですね。
これ以外はいいんだけど、これはちょっとなんとかならないかなと思っているソフトバンク戦。
しかも今日は九州の方でやりますね。
だから主催がソフトバンク側にあると。
こういう野球話はほとんど最初になんとなく差し込んでいるぐらいなので。
お知らせがあります。
明日ですね、明日です。
白渦さんという方とですね、タスクシュードのセミナーをやりますので、
オンラインでね、まだお申し込みいただけますから、
ぜひですね、白渦さんとやるのは今回が初めてで、
僕とはだいぶ経歴の違う方でしてね。
マクドナルドでハンバーグを売るっていう、
そういう仕事をすごくされていた時期もあったようなんですが、
私はそういうこう本当に、
なんて言ったらいいのかな、
本格的なマーケティングみたいなのには一切関係したことのない人間なんで、
たぶん一生関わることがないんじゃないかと。
わかんないですけどね、先のことは。
ないんではないかと思っているようなお仕事をされていた方なので、
もしかすると面白い話が聞けるかもしれない。
これはね、聞く人次第で決まることですので。
我々は面白いと思って話すわけですが、
聞く人がどう思うかは聞いてみてのお楽しみとしか言いようがありませんので、
よろしければぜひご参加いただければ、
あるいはご利用いただければと思います。
とりあえずこれぐらい。
あ、さらにあさって、あさってなんですよ。
アスクシュート手帳術セミナー。
これはもう渋谷でやりますんでね。
これはもう私の、
割と今メインで力を入れている。
昨日もね、鎌倉の無印良品に行って、
手帳とか文具とか、
そういう仕事を今やり始めたから見てみているんですけど、
さすがにね、やっぱり無印良品ともなると、
よくできているんだなというのをね、
いろんな見方を学んだために痛感させられました。
買ったわけじゃないんだけど。
03:01
ていうか買うと高いんだなっていうのも痛感させられました。
アナログの世界ってやっぱりいろいろな要因が、
私昔はもう本当、機能面でしかああいうものを見たことがなかったんで、
デジタルのどうしてもうまくいかない紙版という観点でのみ見てたんです。
すごくやっぱり違うなと思いました。
ますます買うのが躊躇するようにむしろなったんですけどね。
なんていうのかな、ある意味ある種の欲求を満たしてしまうんで、
これだと私の場合ただ買うだけになっちゃうなっていうのはね、
非常に引っかかりまして、やめておきました。
人間って奥が深いなとも言ったらいいのかな。
とにかく渋谷でそういうアナログのセミナーをやっております。
これはタスクシュートを中心としてアナログはどう展開できるかと、
タスクシュートはアナログではどう展開できるかと、
絶対にそうしなければならないシチュエーションってありますからね。
例えば通信環境が一切使えないとかね、
それだけではないんだっていうのをね、
昨日本当によくよく理解した、一端を理解しました。
無印良品にて。
そんなこともありますんで、
あさってもよろしければどうぞお願いします。
さてですね、今日はそうそうさっき言った、
グッドモーニングボイスというのがこのポッドキャストのタイトルでしたが、
今名前を改めまして、
なかなか1回目すぐおはようございます、
グッドモーニングボイスですって言っちゃうんですけど、
口癖になってますから。
働く人に送る精神分析チャットと。
まずこの働く人というのは、
別に会社に勤めていなくても、
それどころかお給料もらっていなくても、
お金稼いでなくてもそこは関係ないというつもりで、
だから働く人。
人はみんな私に言わせると働いている。
生きている人はみんな働いていますから。
人が動くと書いて働くですからね。
仕事してるというふうに書いてるわけではないので、
つまり全人類ってことになってしまうんですけどね。
ただ働くという概念を持っている人っていう意味です。
だから2歳児とかは除きます。
たぶん聞くことはないと思うんですけど。
聞いてわかるならその2歳児は働いてます。
そういう言い方をすればそういうことになります。
全人類ではない。
でも働いてない人というのは、
たぶんこのホッドキャストで聞いている人の中にはいないので、
いらっしゃらないので、働く人。
すなわちこれを聞いている人です。
非常にいい加減な定義なんですけど、そういうことになります。
そういう人に精神分析の話を送ると。
送るんだけれども、私は精神分析家ではないですし、
06:02
この内容が精神分析的に言って妥当なのかどうなのか、適切なのかどうなのか、
私には保証の限りではありません。
これはチャットなんでね。
とにかく喋って言うだけなんで。
私は専門家としてレクチャーしているわけでもなんでもないので、
あくまでも精神分析にまつわる話をチャットしていく。
おしゃべりしていく。
それがこのホッドキャストの趣旨ですから。
働く人が毎日、毎朝ですね。
昨日お休みいただいちゃいましたが、毎朝精神分析にまつわる話を、
どっかで喋っているのを聞きたいなと思ったら、
これを聞きに来ていただければいいと。
これじゃなくても全然いいと思うんですよ。
ただ、あんまり僕が探した限りですね、
精神分析的なチャットをしているホッドキャストはあれだけ数があって、
実に少ない。
というか、ほとんど見たことがない。
時々そういうタイトルに当たるんだけど更新されてないみたいなね、
そういうことが多々ありまして、
これはよっぽど多くしにくい、
チャットの会話の素情に上げにくいテーマに違いないとは思いますが、
しょうがないですね、それはね。
でも私はこれを1000回も続けてきたから、
あと1000回ぐらいは優位に続けられるだろうという、
それは自信でもなんでもなくて、
ただこういう話をするのが野球談義をするのと同じぐらいには好きだと。
多分それ以上に好きだと。
野球談義は奥さんとだってできるんですよ。
なんなら誰とでも野球さえ好きならできるんですが、
そうは言っても野球が好きじゃない人とはできませんけど、
でも精神分析は無理なんですよ。
そこら辺の人とする奥さんとするのも難しい。
だからこの種の話っていうのは実はですね、
みんな関心があると私は思うんですけど、
訴状には昇らない、話題にはならないわけですね。
だからしょうがないので、
しょうがないのでってことはないんだけど、
私がやることにした。
最近ノートの方に、
インターネットのノートの方にですね、
ノートっていう、
note.comというサービスがありました。
あちらにサンチャレ通信というのを始めたんですけど、
あれの内容も告示したものになると思います。
だから興味ある方はあっちも読んでいただくと面白いかもしれない。
ただあっちはこのポッドキャストでは、
まんまでは扱いにくい形式というものがありまして、
例えばこのポッドキャスト中に図は入れられないんですね。
あと引用というのも、
引用これから言いますよと時々やりますけど、
やってて思うんですがめんどくさい。
しかも聞いた端から消えていくんで、
多分引用向きではない。
引用をふんだんに入れたくなったり、
図を使いたくなったときには、
図に近いものが必要だなと思ったときは、
文章に起こした方が分かりやすい。
09:01
あっちの方が何となくですけど、
そんなほどはないのかな。
でも書評っぽくなるとは思いますね。
こっちもなってるんだけど、
こっちよりあっちの方が、
もう続けていければなんですけど、
書評っぽくなると思うし、
考察らしくはなると思います。
やってることは近いんですけど。
あとおしゃべりでないことは確実ですね。
テキスト。
そういう意味で、
こっちはおしゃべり、
あっちは書き散らしってところですかね。
その違いはある。
でもあるとしても、
その程度の違いでしかないです。
あとあっちは、
こっちほど一気に情報をお伝えできない。
やろうと思えばできるんだろうけど、
あっちは大変です。
1時間かけても、
2000字はもう僕はいかないので、
まとまった情報としては、
こっちの方がおそらく、
聞いていただければですけどね。
1時間、40分くらいかな、
このポッドキャストは。
40分聞けば、
それなりにまとまった内容になってるはずですが、
あっちは多分3分で読み終わるけど、
それなりにまとまった内容には
なかなかなってない。
情報量少ないですね。
この辺はすごく、
なんていうのかな、
喋るというよりも、
はしょれる。
だけど文章は、
はしょれないですね。
だから、
かたつむりの歩みになってしまうので、
その分、
ちゃんと書いてはあるんだけど、
かたつむりの歩みになってしまうので、
時間がかかる。
そして、
体力が続かなくなる。
ということが、
最近改めてわかってきました。
こんな感じで、
両方から、
今はやろうかなと、
思っているわけです。
この、
もともとのタイトルは、
グッドモーニングボイスでした。
朝ね、
嫌なこと聞きたくないだろう、
というのが、
この番組結構嫌な内容になってるじゃん、
と言われると、
困るんですけど、
申し訳ないんですけど、
でも私はですね、
嫌な内容は聞きたくないだろうと、
思っているわけですよ。
あさっぱらから。
だから、
あさっぱらから聞く、
内容としては、
グッドなものでありたい。
最初だから、
グッドバイブスにかけて、
グッドモーニングバイブスだったんですよ。
このタイトルが、
私は一番、
インターネットラジオとしては、
一番いいタイトルだと、
思っているわけですけど、
残念ながら、
グッドバイブスの内容を、
私がずっと、
千回も喋れるかというと、
そうはいかないんですね。
本当に、
自分の中では、
全く内容が同じに被ってくるな、
精神分析にしても、
そうなんだけど、
そうでなくても被ってくるのに、
いっそ被って、
だんだんモチベーション下がるんだな、
ということが分かってきて、
しかもタスクシュートの話とかを、
ちょいちょい入れたくなる日もやってきて、
ほとんどグッドバイブスと関係ないな、
12:00
っていう日も、
出てくることに気がつきまして、
当たり前なんですが、
ボイスに変えました。
グッドモーニングボイスも、
いいタイトルだと思うんだけど、
内容がさっぱり分かんないんですよね。
この内容って、
パッと聞いた時、
聞いてて心地よくなるとか、
そういうものでもない気がするんですよ。
私が喋ることって、
大体そういうものではない気がするんですね。
つまり、
そんなにパッと聞いて、
心地よくなるようなものでもないけれど、
聞いていて気分がよく上がってくる音楽、
みたいなものではないけれど、
しかしこういう話を聞いていたいというニーズはあって、
それはもうあるってことは分かるようになりましてですね。
どうしてこの種のニーズがある中でですね、
なんていうのかな、
朝気分がよく悪くならないという、
グッドモーニングボイスなんで、
良いっていう多少ともファインなものを思考しているんですが、
それの意味するところはですね、
例えば、
そうだな、
耳に聞こえの良い、
ちょっとこういう言い方はアレなんですが、
でも今日はそういう趣旨もあるんでね、
聞こえの良い教訓を聞くと気分が悪くなるってことってあると思うんですよ。
それは何でかっていうと、
キレイなことだからとかではなくて、
何かが言いたりてないからなんだと自分は思うんですね。
あるじゃないですか、
よく居酒屋で、
あれはCMなんだけど、
親父の教訓みたいなのが貼ってあったりしますよね。
でもあれは教訓が結論として過剰書きになっているだけですよね。
だからあれだけ読まされるとですね、
他のところを全部考えなきゃならないんですよ。
その割にはCMだったりしますよね。
私が思うSNSの、
読んでいて多分早々、
もっと気分良くなっていいはずなのにと多くの人が思っているから、
一時、
TwitterバナでXになったからですね、
起きそうになった時に、
ブルースカイとかスレッツとか、
様々なものに多くの人が期待したんだけど、
なかなか期待通りのものは得にくいわけだと思うんですが、
それは短いところで言い切って、
さらにそれをグッドボイスにするっていうのは、
難しいんですよ。
15:00
私のこれだって、
5分ぐらいで切ったらですね、
結構聞いてて好かれるものになっちゃうと思うんですね。
40分かけているのは、
まあ私の力量の問題もあるんですが、
40分かけるのは、
やっぱり、
伝え切るにはこのくらいの長さが必要だからなんです。
ショート動画とか、
それこそショートメッセージとか、
何でも同じですけど、
マイクロになればなるほど、
ミクロになればなるほどですね。
難しいんですよ。
だからミクロで伝えられる人は天才なんですよね。
俳句とかがそうなんだけど、
あの寸言みたいなところで、
漢字が悪く心地悪くもならないものを書くっていうのはですね、
もちろん、ただ書いてありますっていうのではなく、
さらに漢字が悪くもならないように書くっていうのは、
本当に難しい話でして、
それだけに、
まあ私の場合は、
だらだらと相当の時間を必要とするんです。
これが、もっと短くできるんではないかと、
頑張ってみたことが何度もあるんだけど、
何度やってもダメだったわけですね。
それは、私の力量の限界でして、
この限界が、やっぱり、
Xとか、
ショート動画では、
なかなか突破できないところに強引に詰めてくるから、
読んでて実は疲れるんですね。
いろんな文脈を考慮してあげなければならない。
そして、いろんな内容がそこに、
フォントは含まれているはずなんだけど、
言い切られてしまっていたり、
そういうところに入ったものの、
読む側にとっての負担っていうのが、
私はその一端ですけれども、
あるんだろうなぁと思うんですね。
そして、精神分析っていう話は、
この負担をですね、
極力排除する。
なぜならば、
物の負担には耐えられないという人が、
クライアントさんですから、
極力、極力排除するとどうなるか、
どうなるかというときのノートにも書きましたけど、
何にも進展しないまま、
2年が経過するってことが起こるわけですよ。
で、
今、速攻性が勝利を収めた時代なんですね。
早い。
すぐ効くじゃないですか。
お腹が痛いと思って飲んだら、
半日後にはもう結構すっきりしている。
こういう魔法のような時代に、
なんていうのかな、
言い切らずに長い時間をかけると、
いったことが受けないのは当たり前で、
受けないわけですよ。
時間がかかってしまう。
なぜ時間がかかるかというと、
18:01
負担が耐えられないという、
そういう難しさを抱えている人が出てくるから、
負担に耐えられないわけです。
SNSとかをずっと見ているというのは、
非常に大きな負担になる、心にとっては。
業間がどんどんどんどん飛ばされていて、
結論しかないのに、
その結論については、
長時間的に押し付けられてくるわけだから、
新習を、小さな新習を、
満足的に受けているようなものになってくるはずなんです。
でなければ本当に単なる情報になるから、
本当に単なる情報というのは、
情動が動かされないという意味においては、
ある意味リグレットっぽくなるんですよ、今度はね。
自立しなさいと。
その自立の要求も、
極めて要求がましいところがあるので、
つらいんですね。
SNSを読むつらさというのは、
新習とリグレットが交互にやってくるようなものに、
ある意味触れ続けなければならない。
大変強い自我を要求されるんです。
あいったものをね。
だから、私はそうしているんですけど、最近。
ニュースを見るとか、
SNSを見るときは、
心して見ないといけない。
あの、
ふわっと見に行ってはいけないんですよ、
ああいうものは。
書いてる人に悪意があるとかでは、
一切ないですよ。
書いてる人に悪意はないです。
そもそもの前提がそうなんだから、
最初から、
Xは140字で書けっていうことになっているわけですからね。
しかも、
そこに流れてくるタイムラインには、
どんな人がどんな気分で、
どういうテーマについて書くかも、
いかなる制約もないわけですから、
傷つくんですよ、読んでる人は。
多かれ少なかれ少ないんだけど、
たまにひどいなっていう、
要するにインピンジメントが激しいなっていうね、
ケースがあるんだけど、
それはまあ、
置いとくとしても、
なんてことなくても傷つくはずなんですね。
だから、
傷つくと思って読む必要があるなと、
私自身についてはね、
思うわけですよ。
傷ついたからといって、
そこで困るってことはないわけですから、
ただ傷つくだけなんで、
いくらかの新集はやむを得ない。
こんなこと言ったらですね、
ニュースなんていうのはとんでもないものであって、
新集のオンパレードですからね、
あれで傷つくからニュース抗議するっていう人も
いらっしゃるかもしれないけど、
それは岡田ちがいというものであってね、
しょうがないんですよ、
それはね、ある程度。
ある程度。
ある程度ってものがあるんで、
そこに倫理って言葉が出てくるんだけど、
だから放送倫理って言葉がありますよね。
そういうものなんですよ。
言い切るんで、ショートで。
もちろん長く言ったからって、
それがマイルドになるかっていうと別なんですけど、
21:02
少なくとも長く話すことによって、
それが非常にこう、なんていうんですかね、
解釈に変わっていく。
精神分析って解釈の世界ですから、
解釈だけはOKだって考え方を取ってますからね、
解釈だって新集になる人にはなるだろうと言われれば、
なるんですが、
でも我々、やっぱりこうね、
神経症水準で生きている間は、
解釈の新集は多めに見るというか、
耐えられないと困るでしょうっていうのが、
そこは現実原則なんですけれどもね、
解釈でまで傷ついて立ち直れなくなっていたら、
やっぱりそこが本当に、
カウンセリングという仕事の難しさでもあるし、
一般の人はそこまではやっぱり、
人に要求できないと思うんですよね。
解釈されて腹を立てるなり、
罪悪感を持つなりというのは、
誇りにうることではありますが、
そこはもう、なんとか自分でできるでしょう、
という話なわけですね。
解釈じゃなくて、解釈未満のものが、
断片的にどんどん流れてくる世界というのは、
それがたとえ、
青い空と綺麗な雲の写真であろうと、
猫が可愛く遊んでいる写真であろうと、
私は親衆になりうる本当のところはですね、
非常にここは難しい話を聞かされている気がするかもしれませんけれども、
意味がわからない話は、
意味を我々は必ず保管して語らなければならないので、
仮にそれで傷つくということはなくても、
我々の心が努力を払う、
それも相当の努力を払う必要は出てくる。
たまにその文章とその短さで、
意味が十二分に通るという、
だからそれは傑作なんですけれども、
傑作が出てくるんですけど、
それに当たるまでは、
かなりの数を見なければならないわけですよ。
だから時間が節約されているようで、そうでもない。
これ故にあそこに行くと、
時間を使うことになるんです。
よく解けるって言うけど、私は解けるのではない。
あそこは時間をかけるべき場所なんですよ。
傑作を探しているわけだから、
その人その人にとってのですね。
それは大理を探せなんですよ。
時間がそこでかからないだろうと思っていちゃダメなんです。
一つ一つ見る分には時間かからないですけれども、
やろうとしていることはそういうことではないはずですからね。
あの中で自分にとっていいものを見つけ出そうと、
心して語らなければならないだろう。
ただそういうあてつけに、雰囲気になってないために、
解ける感じがするんですよ。
本当はそうじゃないと思うんですよね。
だって私のこれなんて、40分ですよね。
最初と最後の情報がいらんって言う人にとっては、
最後はちょっと違うか。
最初いらんって言う人にとっては、30分強ですよね。
必ずそれで済むわけですけれども、必ずではないか。
24:01
でもまあそれで済むわけです。
30分優に立ちますよね、ショート動画だったらね。
それは狙っていることが違うからなんですね。
私のワンテーマが一つの番組の中に集中されているので、
これを5分で伝えることは不可能なんですよ、私の能力では。
テキストだとできるんだけど、
そのためには私が今度2時間かけなければならなくなる。
そういうトレードオフが必ずあるんですよね。
私としては、テキストではこの内容は無理ですよね。
これと同じことをテキストでやろうとすると、
本1章分ぐらいにはなってしまう。
それはね、私は絶対に避けなければいけないなとは思っているんですよ、
現段階ではね。
ここまで話してきてみて、やっぱり感じるのは、
すなわち精神分析なんだなってことなんですね。
テーマがですよ、私がやっていることが精神分析ではない。
精神分析でもなんでもないです。
テーマはやっぱり精神分析なんだな。
精神分析っていうのは、途中チラッと言いましたけれども、
この現代社会における心の負担が
満足的に繰り広げられているこの世界では、
すごく負担が大きくて、
それを何らかの理由でですね、
心臓をもろに引っかぶってしまったタイミングがあって、
トラウマを宿していると。
そのトラウマを一発で治せないってことなんですよね。
ファイブームメントあるじゃないですか、EMDRっていうね、
目の運動をして、眼球運動をして、トラウマというものを癒していく。
あれはあれなりに理屈があるんだけれども、
あれも結局、時間をかけずにできるだけ済ませようと。
これは大事なことなんですよ、時間をかけないというのは。
何をしろ、まず我々は忙しいんで。
タイム・イズ・マネーの世界に依然として生きてるんで。
だから私はそこから早く降りたくて仕方がないわけですけれども、
というか、半ば降りるべく最大限の努力を払ってるんですけど、
マネーもタイムもいらんっていう、なるべくね。
グッドファイブスで倉園さんがおっしゃってるのもなるべくなんだけど、
彼の方が僕はラディカルかなと思ってるんですけど、
それは僕より10年多く生きてるからですが、
つまり10年多く生きると、いよいよそっちの結論に近づくということは、
タイムもマネーもいらんなって感じ。
タイムとマネーってのはどっちも間違いなく人間の作ったもので、
尊重しなさいねっていう社会的なコンセンサスを取ってるからさ、
すごい価値があるもので、
これはこのコンセンサスがなくなれば、
27:01
昔のドイツと同じようなことは起こるんですよ。
いくら金があっても何も買えないっていう風に。
そういう風にはなりませんけど、今の時代は。
ありとあらゆる形でシステムが構築されていますからね。
あの、何だっけな、あの人ですよ。
サピエンス戦士書いた人が非常に面白いことを書いていて、
あれが一番あの本で、
僕はこれで基本意義を表せてるなっていうのは、
あなたがお金が嫌いであっても構わないんだ。
人々がこれを好いていれば、それには価値があることになるんだと。
実際にあなたはインドのルピーが好きじゃないかもしれないが、
インドに行けばルピーが使えるから重宝するんだと。
これは非常に正しいんですよね。
人が、人々が信じていればそれで済むだけに、
それを人々に信じさせるシステムを構築するのは当たり前ですよね。
私は、あ、だから税金ってのは現金で払わなきゃいけないんだなっていうのを痛感したんですよ。
あれを読んでね。
やっぱりクレジットカードで払ったり、ペイペイで払ったり、
まあ今多分そういう動きになっていくと思うんだけど、
でも現金を取りたいですよね、国としてはね。
あの、紙を回収という、なるべくなるべくそうしてるじゃないですか。
結局のところ、紙を回収されるという意識がですね、
ここで経済活動するためには、
この紙を集めることに価値があるんだぞというのを
心理的に植え付けることが大事なんですよね。
しかも、脅迫的に気持ちが働けばですね、
まあいわゆる脅迫的償いってやつなんだけど、
税金を払うと何かを清算した気持ちになるはずなんですよ。
これは行動科学でも説明できると思うんだけれども、
それが報酬になってしまうんですね。
つまり税金払うのが報酬になるんですよ。
これは非常によくできてますよね。
税金払うなんてみんな嫌なんだけど、
払い終わると何かがスッキリした気が
借金を清算したときの気持ちと
おそらくほぼ同じだと思うんですけどね。
これによって我々は経済活動というものに
邁進させられていくというか、
邁進する気持ちが膨らんでいくようになっているんですよね。
これから降りるっていうのはですね、
これもさっきの言葉と被りますが、
よほど心してかからないと難しいだろうな。
私はもういい加減これに徹したいっていうのは
多いあるんで、自分の中では育ってきたんで。
このからくりを全部知っていて、
なおですね、邁進はしたくないなと。
まあ何でしょうかね、補聴を合わせる。
結局これやっちゃうと、
邁進するような気持ちに知らず知らずなっていくというか、
非常にそっちに持っていかれることはあるんですが、
それでもですね、極力スルーできるようになりたいと。
スルーできるようにはなりますからね、結局ね。
依存と今では言わないまでも、
それに限りなく近い心理的なシステムを
30:00
ここに用意してあるんだなっていうのは感じますね。
だからEMDRもそうですし、いろんな方法がある。
そしてそれらはすべて短時間で何とかしたいと。
短時間というものに価値があるというのは、
つまり効果を意識的に実感できるというところに、
我々の価値は重んじられているわけですね。
その効果の実感というのは快楽原則なんですよ。
ここは非常に大事ですね。
松木邑さんも書いていることですけれども、
一番わかりやすくてえぐいのが爆弾ですよ、爆弾。
爆弾というのは作り出すために、先日もお話ししましたけれども、
非常に精密な計算なり、科学の知識なり、知恵がいる。
でもやることは気に食わないやつをこっぱみじんにするという、
この快楽原則そのものなんですよ。
快か不快かがすべてになってしまうわけですね。
悪いやつを消滅させる。
つまりこれは幼児の現実感というのは、
現実から乖離しているわけでは全然ないと思う。
少なくとも対照関係論ではそういうふうに考えているわけですね。
メラニクライが言いましたよね。
歯が生え始めた幼児はおっぱいを粉々にする。
なんでか、おっぱいが出ないから。
あるいは私にとって一番いいおっぱいを用意してくれないから。
実に幼い感じがしますけど、爆弾落とすってそういうことですよね。
あいつらは俺に気に入らないことをしたから、
こっぱみじんにする。
そのために、ちゃんと計算し、
ちゃんと合理的に設計して、
現実に通用するような、
ピンポイントでここに落とせるっていう知識と技術を徹底して、
だってあの速度で走っているものがピンポイントである場所に落ちるって
すさまじいことですよね。
昔じゃ考えられないレベルじゃないですか。
現実原則がなければ、
つまり妄想、空想しているだけじゃ全然無理ですよね。
あそこに爆弾落ちればいいのにって空想しているだけでは
絶対できることではないですよね。
お隣の国でも頻繁に実験してますけれども、
すごい精度なわけですよ。
でもそれでやろうとしていることは何かっていうと、
おっぱいを粉々にするって話なんですよ。
いきなり一時原則、一時仮定に一気に対抗していくわけですね。
だから狙っていることは一時仮定、
やろうとしている技術は二次仮定ってのが、
人間の社会では、
ごく当然のように起きる現象でして、
例えば先日、
イカメラ飲みましたけど、
あれまさに二次仮定じゃないですか。
胃の中がどうなっているのかを、
画像でできれば動画で見る。
それによってポリープーなり何なりができていないか、
胃の中はきれいかどうかを、
定的に超高性能なモニターの技術とカメラを組み合わせる。
まさに二次仮定、現実原則に踏まえてます。
33:02
そういうことができたらいいのにドラえもんを持ってきてよっていうのは、
完全に万能空想でしかなくて、
これを実現したわけですよ。
でもそのために患者さんは辛い思いをするというのが嫌だ。
いきなり幼児みたいになってくるわけですね。
だから鼻にシュッとするスプレーで、
痛みを取る。
痛みを取るというのは完全に快楽原則ですからね。
そしてちょっと飲むと喉の方が麻痺するのは、
ガムシロップの味になっていたり、
ラムネっぽい味になっている。
これもう完全に幼児向けじゃないですか。
ラムネなんてのはまさにそういうものですよ。
お菓子みたいなもので麻酔をかける。
快楽原則、快楽原則なんですよ。
ただし目指すところは現実原則。
医療って完璧にそういうふうになってますよね。
少しでも痛くない。
少しでも飲み心地のいいもので麻酔なりをかけていくっていう、
こういう考え方。
バリウムもヨーグルトの味しましたよね。
そういうふうにできていますよね、私たちの世界は。
つまりなるべく快楽、快楽を追求していくために、
現実、現実の知識と技術を集中させていくというのが、
我々の生きている生活、生活する、
あるいはもうやっているすべてのべきシステムなんだろうと思うんですね。
そこの目指すところはいつも同じ。
で、こういう世界はしかし、私たちを傷つけるようになっていくんですね。
すべてが短時間で快楽が確実に得られるようになっていく世界に
私たちは生きているので、
自然的にナルシズムが進行をしますね。
自分の快と不快がすべてであるように、すべてであるように、
なるべく展開していくわけだから、
自分の体の痛みってものにものすごく神経を尖らせるようになりますし、
暑さとか寒さとか。
だから、クラゾン・ケイゾーさんがグッドバイブスで、
人間の幸せは環境次第では絶対に決まらないっていうのを、
常々第一原則的に強調するんだけど、
それは当然であって、ここを言わないと、
僕らは結局幸せは環境次第で決まるっていうふうに、
いとも簡単に信じる。
日々、もう毎分ごとにそれを信じられる世界に生きているわけだから、
Evernoteがいいように改善されてきたとかいった話題で、
僕もツイートしますけれども、
Xはある種の人たちにとっては、
それが何より大事なニュースになっていくに決まっているわけですよ。
そこで使われている音声なりアイコンなりが、
自分の耳にうるわしいかどうかとか、
その時に動く挙動の速度は十分スムーズかどうかとか、
全て快楽原則というのはわけですね。
決して僕らはこれらに囲まれていて、
ここの気持ちの良さだけを追求している限り、
36:00
ものを考えずに済む。
つまり、母親が不在だとか、おっぱいが出ないだとか、
それはつまりここに来ている音が気分の良いものじゃないとか、
サウンドが出ないとか、
通信環境がスムーズでないとかいったことについて、
いちいち本当は考えたくないわけですね。
もちろん考える人はいるんだけれども、
どちらにしてもなぜ自分はそれで不快なんだろうかとか、
考えたりはしないわけです。
そういう世界に生きていない。
なるべく快適にしようという方針だけが、
いわゆる考える頭脳というものが、
使われるに値する価値だというふうに、
だんだん信じられるようになってきているわけですよ。
常にそれが信じられるようになってきている。
だからその先はないわけです。
なぜ不快なんだろうというのがないんですよ。
時々私が、なぜそれで困るっていうのに言及すると、
セミナーで失笑なのか苦笑なのか、
和田ささきこれを言い出したよっていう笑いが起こる。
当然なんですね、これは。
なぜ当然かというと、そこを問う意味はないとされているからなんです。
快か不快かは全てであって、
不快であるのはなぜ不快かっていう私の問いは、
意味がないんですね。
なぜ母親はいなければいけないんですかっていう問いは、
意味がない。
そもそも母親っていうのは、
あなたに害を成していますか、それとも不在なだけですか。
この場合の母親っていうのは快適っていう意味ですよ。
この場合はね、快適という意味でほとんど使ってます。
赤ちゃんはお母さんに抱っこされていないと安心できない。
私たちはエバーノートに抱っこされていないと安心できない。
あるいはミサイルに守られていないと安心できない。
あるいはマスイーがよく聞いてくれないと安心できない。
あるいはお金がいつでも引き出せるぐらいあって、
クレジットカードがいつでも使える状態にないと安心できない。
全て環境としての母親です。
この母親がいないと、
どうして私たちはこんなに急に取り乱し始めるんですかっていうこの質問は、
これほど無意味なものはないわけですよ。
そこを問うには全くないんですよ、この時代においては。
だけどここを問わざるを得ない人々がいる。
なぜかお母さんを見失ったという人たちがいる。
この人たちの面倒とケアは一体誰がするのかというと、
時間かけてやらないとまずいわけです。
いやいやいや、大丈夫です。
お金ありますからって言われても、
その人たちの心は絶対に癒されることはないわけですね。
母親を見失ったという状態において、
快適なものが提供されるという保障は何にも意味がない。
ここが不思議に思われるという人は、
母親を見失ってないから分かりにくいんですよ。
見失いかけてる人は、
私たちはみんな見失いかけることはあるんですけれども、
その取り乱した時にですね、
こうなったら普通なのは当然じゃないかと、
だいたいそういう人、
どんな人でも言うんですけれども、
その時、母親というものを何に見ているか、
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人それぞれなので意外に共感されないし、
コンセンサスにとれないんですよ。
炎上するっていうのは絶対嫌じゃないですかって言っても、
みんながみんなそう思うわけではない。
時間を失うのは絶対嫌じゃないですかって言っても、
みんながみんなそう思うわけではない。
現に私なんか、歯医者の件では、
非常にこういろんな人と話していると、
実に様々だ。
人によっては、歯なんていくら削られても構わないとか、
麻酔は少々効かなかったって痛いのは耐えられるとか、
サッと言う。
これはいかに母親機能っていうものが、
精神分析的に言うとですよ、
母親機能というものが機能している時に、
人は苦痛に容易に耐えられるかっていうのを、
非常によく表してるなって思うんです。
私が歯が削られる時、
麻酔効かないと怖いなって思うのは、
こういう時私は母親を見失う。
痛みは大した話じゃないんですよ。
痛いですけどね。
でも多分大した話じゃないんですよ。
全然気にならないとか、
眠ってしまっておきもしないっていう人だって、
ちゃんといらっしゃいました。
私が話している範疇の中にいるんだから、
皆さんもいろんな方に聞いてみれば、
必ずいるはずです。
一方で麻酔の痛みさえ耐えられないという人すらいます。
だからいかに母親機能ってものが、
その人にとって、その人その人にとって重要か。
で、いつその母親機能を失うのか。
あの痛みは全然いけるけど、
ちょっとでもXで聴取されるのは絶対ダメっていう人もいらっしゃいました。
これはやっぱりその人にとって、
どこで環境としての母親が機能しなくなるかというのを、
非常につぶさに関わって、
どういう人もそうですけど、
もちろん違うこと言いますよ。
だって削られても痛いのはその時我慢すればいいだけだけど、
Xで重症されると私の仕事は回らなくなるんで、
これは障害に関わりますとか、もったいないことを言うから、
それで納得しそうになるんですよ。
でも多分違うんですよ。
こういうことではないと僕は思いますね。