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2024-08-29 32:09

誰かのせいにしたい気持ち【1045】

「悪い」のは「自分」じゃない!
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おはようございます。Q100日セラピー第1045回をお送りします。
8月の29日ですね。29日、木曜日の朝10時5分です。
台風の進路がですね、心配で、私もあさって土曜日には、
池袋でセミナーのお手伝いをするということになっておりまして、 大丈夫なのかというか、大丈夫かどうかが全然わからない動きじゃないですか、この台風は。
全くこう、前へ進むんだかどっちへ行くんだか、なんとなくルートがわかってきたけれども、
なんかこう、日本を真横に横断するみたいな感じですけど、今の感じですと。
まあ、とにかく、いつにそれがなるのかがわからないので、全然わかんないなと。
今、さっきはすごい降ってたんですけども、ピタッと止んでるんですよね。
神奈川県西部で。
これが当日どうなるかで、ちょっと僕の動きも、ご参加いただく方の動きも、
お悩みになってると思うんで、一両日中にはですね、何とか結論を出さなきゃならないのかなと思ってるんですけど、まだちょっとよくわかんないかなというところで、
でも、こちらを聞いてる方は、ほとんど関係ない話かもしれないので、とりあえずお知らせですね。
先ほど、昨日あたりからも言ってますが、9月の15日に、先、逆算せずに締め切りに間に合わせるためのタスクシュート時間術といった話をまとめていたします。
2時間かけて、9月15日、日曜日、オンラインのみ開催となります。
最近、このオンラインのみが多くなってますが、リアル開催はどこかでどういう形かでやりたいなと思いつつ、思ってるだけになっちゃってるわけですが、どっかでやろうかなと思ってます。
そっちは3ヶ月チャレンジのメンタル系の話にしたいと。
両方混ざってくるので、混ぜるのがいいんでしょうけどね。
とはいえ、混ぜると話が膨らむし、まとめるのが難しくなるし、時間も長くなるので、
メンタルの話は別にそんなに興味ないっていう人も、でもその場合私の話ではない人のお聞きはいいか。
だからそうですよね、そういう澄み分けをしていけばいいんでしょうけどね。
とにかく15日は両方割と混ざってる話だけど、ややタスク、いややじゃないな、タイトル通りタスクシュート寄りの話にします。
03:03
だから出版記念の時よりはタスクシュート寄りだということですね。
よろしければどうぞ。
今日は短めにしたいというか、いつも短めにはしたい。
短めっていうのは25、6分から30分の間でまとめたいという感じなんだけど。
本題に入ろうと思うんですけど、どっちの話がいいんですかね。
いつもいつもいつもしている系の話を、でもやっぱりもう1回しましょうか。
今やですね、私が考えているいろんな分野には誤解を招く表現だと思うんですけど、
かつてではなく今もだと思ってる、信じてるんですけど、
僕がアメリカで勉強したフェミニズム、これが特にテーマとした課題について、
私は精神分析で、この2つ相性悪いとされてるんだけど、入っていくのがいいだろうとずっと思っているんですね。
これだけを言うと意味不明なんですが、私がアメリカで習ったのはフェミニズム心理学ってやつでしてね、
非常に感銘を受けた時なんですよ。
これでもこれでもというか、夏休み中の講習だったんですけどね、
この番外編的な心理学の講習があって、フェミニズム心理学という。
なるほど、このいちいち指摘は最もだと思いながら、やっぱりここ先というのかな、
対象とするテーマは結婚とか社会進出にだんだんなってきますよね。
あと収入ですよね。アメリカですからね、収入とかも詳しく詳しく詳しく攻めてきますから、
そうかなるほどっていうふうに思ったわけですが、
ただ私アメリカで稼げるというイメージは全く湧かなかったんで、
あんまり自分ごととしては、つまり男性の収入だって安い人は極端に安いというか、
ほぼゼロですからね。アメリカでほぼゼロだったら大変ですから。
国民健康保険すらない国なわけですからね。
だからちょっとアメリカで整形立てようとするのは、現実的に真面目に考えないほうがいいなと、
その図を見てですね、フェミニズムとはまた全然違うアジア人的観点で留学生ですからね、見たわけですが、
留学生ってね、金持ちは金持ちです。すさまじいんで、格差とか言ってもですね、
やっぱり日本国内にいるのとは感覚が全く、こういう話をするからやっぱり時間が、
私の友達は、友達の一人、台湾人の友達が、なぜか彼は私を聞いてくれたんですけど、
空港3つ持ってますよ。空港3つですよ。
君大学生やんっていう感じなんだけど、僕よりだいぶ年下だったし、
空港3つ、彼と親しくなって友達になっておけばですね、
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僕は何にもしないで生きていけたかなと思うんだけど、
そこまでは、私はそういう女才のなさがないんで、
あと薄くかもしんないからね、空港3つ持ってます証明書を見たわけじゃないんで、
でも彼は金持ちだなってのはもう、誰の目にも明らかなレベルで金持ちでした。
ので、格差どころじゃないよねって感じはしましてですね、
しかも私は、私がどっちかといえばそういうクラスではない人間だけど、
ハングリー精神とか肝骨精神が薄いところのある人間なんで、
濃い人間として私の父がいるんだけど、父の真似はしたくないというのがありましてね、
薄いんですよね、どっちかというとそういうのが。
ハングリー精神とかないんだけど、別に大金持ちってわけでもないし、
僕の得意の中途半端なポジションなんですよ。
このフェミニズム心理学というのを見たときに、
収入のことはもちろん最大級のポイントになると思ったんですけど、
僕はやっぱり心理学なんで先行がね、
ここを心理学的に見るっていう方に非常に惹かれた当時記憶がある。
で、全くその通りだと思ったのが、
夫婦の関係性においてどちらが権力があるかって話になってきたときに、
起きがちな心理的課題、および収入もそうなんですけど、
収入というのは結局のところ、男性が築き上げた社会ですよね、ある意味ね。
例えば相撲の世界っていうのは間違いなく男しかいないんで、あそこは。
ああいうふうに私もよく心当たりがあるのは、
うちの父が入っていた世界ですよね。
まさに武家社会みたいなものがモデルになっているような坊主の世界なんだけど、
そういうところが男しかいないんで、
築り上げたところに女性が解放されたというからといって入っていくと大変難しい。
そのときに起きる心理ですね。
ここで多くのフェミニズムだけを取ると、これは社会モデルになっていくんで、
それは良くないよねとか、この構造を何とかして破ろうって話にはなるかもしれないんだけど、
私はそのときに入った人の心境がどうなるかっていうのに、
やっぱり注意が自然と向かっていってしまうわけですね。
結論として、両方とも、両種性とも対等であるというのがいいのは当然なんですけど、
そのプロセスで起きる心理ですよね。
私がそこに非常にやっぱり惹かれたわけですよ。
当然そこでガチャガチャすると、
例えば男の人しか実質多く稼げない社会において、今でもそうですが、
多く稼いでる男の人がこの対等だってなったときには、
かなりミミッチーな話になってきますけど、
09:00
かなりミミッチーな話になりますが、
そこで対等でありかついい関係というものを維持するとなると、
どういう関係になるのかというのは、
対等ですと言っただけでは結論が出ないよなって思うんですよ。
対等なのはいいんですよ。
対等なほうがいいと思うんだけど、
どういう関係になるんだろうと。
結局例えば何かの決断を下すってなったときに、
結論が2者しかいないんでね、ここにはね。
一歩一歩制であることを念頭に置くと2者しかいないんで、
例えば子供を作る作らないって話、
もっともっとミミッチー、
今日外食行くかどうかみたいな話になったとき、
金を出すのが例えば夫の方が出すとか両方で出すとか、
いろいろあると思うんですけど、
収入が対等でない場合、
どっちが両方どのくらい出すって話が、
きっちり半分にするっていうのも一つの手だと思うんですけれども、
ここに脅迫的なものが混じってくるじゃないですか。
僕はそういう感じがするんですね。
例えば分けるってなったとき、
じゃあ2人で食べたのがいくらだから、
みたいになったら微妙じゃないですか。
1円玉をやって、
残りのこの0.5円は割り切れないから、
次回は1円あなたが多く出すみたいなね。
でもこの対等って仲が良ければそうはならないだろうって話を、
多分になるはずなんですよ。
でもそうするとこの話、
対等であるということが目標だったためにですね、
仲をずっと良くするということが、
従属的な手段になっていく気がするんですね。
これは一つの例ですよ。
しかもですね、
50年も60年も一緒にいて、
果たしてずっと仲良くできるかっていう、
この問題は昔かわいはやおが既に提起していて、
ロマンティックラブで結婚するのはいいけど、
ロマンティックラブが100年も続くと考えるのは、
それはあまりに子供っぽいってさらっと書いてたんですけど、
まあそうなんですよ。
アメリカ人は表面的にはロマンティックラブを、
維持しているように見えているんだけど、
あれはこれ以外にないから、
ロマンティックラブみたいなものを、
お年寄りになっても手繋いだりイチャイチャしてるっていうのが、
素敵っていうような風に言われるんですけど、
当時から言われてたんですけど、
そうではなくて、
そうしていないと大変なことが起きるんだよっていうことを書いていて、
そんなもんなんだって、
僕は若かったんでね、
ぼんやりと読んでたんですけど、
そういうことなんだっていうのが、
言ってみて痛感したんですね。
だからその、
そんなに老、
何ていうの、
年配じゃないんですけど、
でも、
4,50の感じ、
大学生いますからね、アメリカには。
結構こう、
いわゆるいい感じで、
素敵なのか知りませんが、
イチャイチャしてる感じなんですけど、
玄関だったらめっちゃ怖いんですよ。
いやこれはやばいでしょっていう、
なぜやばいか。
アメリカっていうのはスーパーで銃を撃ってる国ですから、
12:02
本当にやばいんですよ。
見てて、
ハラハラするわけ。
こっちのほうがですね。
そうか、
これがやっぱりロマンティックラブしかない世界の、
夫婦間のアッパークラスでしたから結構、
こういう喧嘩しないだろ普通っていうぐらいの、
喧嘩になっちゃうんですよ。
分かんないですけどね、
アメリカの平均的な夫婦関係なんて、
僕なんかに分かるわけがないんですけど、
しかしただ、
私はその人と結構親しくしてたんで、
実に喧嘩の種が些細な、
めちゃくちゃ些細な話なんですよね。
端的に言ってバッテリーが上がったってことなんですよ。
これでこんな殺し合いみたいになっちゃうんだ、
大変ですよねっていう、
畑目で傍観者的に見ていたわけですけども、
対等であるということは、
仲良くするしかないんですよね。
そうしないと仲が良くもない対等は、
脅迫的に脅迫的になっていく一例ですよ。
可能性があるので、
リスクがあるので、
他にもいろんなリスクがありますよね。
一本が違うと最悪じゃないですか。
昔そういう漫画をコミックエッセイで読んだことがあるんだけど、
家の中に境界線を引くんですよね。
こっからこっちに入ってこないでねみたいな、
ガムテープとかで境界線を引くんですよ。
ここまでいくと脅迫では済まないよなっていう。
だから仲が良いことを前提に、
しかも対等な結婚生活が始まっちゃうと、
仲悪くなったらどうするんでしょうかっていう、
離婚すればいいでしょうって考え方もあると思うんですけど、
簡単にできない場合はどうするんでしょうかっていうのが、
答えが僕はない感じがするんですね。
一つはあれですよ、
元に戻ってしまう。
奥様が犠牲的世話役に回るっていう、
いわゆるマゾキズムに回ってしまうという。
しかもここにはですね、
だから精神分析なんだけど、
マゾキズムというものが性癖に近い人は、
一体何が起こるだろうと、
考えるだけでも想像がつくんですけれども、
欲不遂がいは答えがないなって感じがする。
つまり結婚生活がうまくいかなくなる、
対等であり仲が良くないという時に起きてることって、
さっき言ったバッテリー上がりましたみたいな、
ミミッチ問題に決まって、
でもミミッチってのはどういうことかというと、
生活臭が極めて強い問題に決まっているわけですね。
お茶は終わったとかね。
それはどっちが悪いんだって言い始めた場合、
常に白黒がつかないケースが多いんですよ。
だから喧嘩になるんだ。
喧嘩している奥様とアメリカ人の喧嘩、
喧嘩すると英語がめちゃくちゃハイプシーになるから、
何言ってるのか全然わかんないけど、
大筋、僕が理解したところによると、
バッテリーを上げてしまったのは奥様なんだが、
その原因を作ったのは夫なんですね。
わかんないですよ、本当のところなんて。
でもそれは大いにあり得ると思うんですよ。
15:01
チャージするためにはかなり定期的に乗らないといけないんですよね。
アメリカなんでめちゃくちゃ広いんで、
普通車は定期的に乗りますが、
たまたまそれを夫が休暇をとっていて、
怠っていて休んでいたと。
そして奥様がたまたま電気つけっぱなしにして、
車はそんなに日本車みたいに素晴らしくはないんで、
バッテリー上がりやすいんだアメリカは。
しばしばアッパークラスぐらいの人が乗っている車でも、
割とすぐ上がる。
しかもそのお家はいわゆる共和党の方で、
アッパークラス多いですけど、
できれば割とアメリカ万歳なんですよ。
日本大好きだけどアメリカ万歳だから。
日本車乗んないんですよ。
どってことはないんですよこの話は本当に。
どってことはないんだけど、
こういうふうにいろいろな構造があるってことね。
そうしている中でバッテリー上がりました。
奥さんは怒りだしました。
電話をしました。
夫はもっと怒ります。
結局夫が迎えに来るわけですからね。
俺は休んでんだみたいなことをどうせ言うんでしょうけれども、
それで電話の口でシャラッとみたいな感じになって、
ものすごい感じになって、
ちょっとしょうご、ウォルモアと付き合ってみたいなことを言って、
ウォルモアといいよみたいな。
なんでみたいな。
銃買ってくるみたいな。
いやいやいやいや。
銃、このシチュエーションで銃を買うとはどういう意味なんでしょうかっていう感じで、
ちょっとなだめたという、
僕の極めてつたない英語でなだめたんで、
しょうごはとてもいい人だみたいなことを言われたんだけど、
日本人の平均的な人間なら多分こう言うだろうなっていうのを、
ものすごく下手に言っただけなんですけど、
そういうことがあったわけですね。
だから対等でロマンティックでいくっていうのは難しいことなんだということですよ。
今日はこの話これで終わりにしてもいいんですけど、
この方は幸いというか何というかものすごい強気な方なんで、
そうそう鬱っぽくならないとやっぱり鬱っぽくなるんですよ。
だってどっちかが折れるしかないわけじゃないですか。
夫を徹底的にへし折れば今度は夫が鬱になって会社休んだりするじゃないですか。
それはそれで非常に困ったことになるんで、
結局のところはあれですね。
スプリットオフした悪いもの。
これがつまりバッテリーが上がったってことなんですよ。
ここに自分というものが対照的に気も付いてしまいますよね。
自分が上げたことは確かなんで。
僕も注意しとけばよかったんですけど、
電気ついてんなみたいなのが確かに目に入ったような気はするんですよね。
でも車内灯がちょっとついてて30分ぐらい開けてたからってバッテリー上がるかっていうね、
そこが問題だと思わなくもないんだけど、
そうすると日本車の自慢みたいになるし、
日本人だし私、
ろくなことにならないだろうから、
ごめんね、僕も気を付けてればよかったよって、
こういうことはアメリカ人言わないから、
しょうもない人だってことになったんですけど、
いやこれは文化だよなって思うんですよね。
つまりですね、
こういうふうにしてスプリットオフする、
18:02
良いものと悪いものを分ける、
悪い事態というものを意味付ける。
今回はバッテリーが上がりました。
余計な支出がかかります。
これ日本のと違ってJAFとかもエグいんで、
保険とかも非常に細かく、
だからその辺脅迫的なんですよね、
アメリカは金については。
全てが金である程度動いてる世界なわけですからね。
余計な金がかかる。
でもアッパークラスなんで別になんてことはないんですよ。
で夫も来なきゃならない、
悪、悪なわけです。
だからそれをスプリットオフして、
なんとか相手にねじ込みたいわけですよ。
この人は幸い私にねじ込まずにいてくれたんで、
私とか射殺されずに住んでるわけですけど、
こうなっちゃうから怖いんですよ。
で、まあその夫にねじ込みたいと。
で夫は当然休んでるから奥さんのせいだから、
奥さんにねじ込みたいと。
これが要するに同外報復ってやつですね、
昨日お話しした。
で、この同外報復を避けるとどうなるかというと、
自分にねじ込むことになり、
悪いのは私だ、
私もう生きていく価値ありませんみたいな、
極端なケースではですね。
でもそういう極端なことを言う方は、
結構いらっしゃいますから。
欲打つ不安ですよね。
まあ欲打つ的になるということです。
今後このような生活を続けていれば、
繰り返しこういうこともあるでしょうか。
現にあるんですけど、
こんな人と一緒にいると、
私はいつもこういう目に合うんだ、
みたいなことになると、
よりよううつうつとするじゃないですか。
でももう私は世話役に転じて、
この人上でいいや、みたいになると、
犠牲的マゾヒズムみたいになっていくわけですよね。
ついでにお話をちょっとまた広げてしまうとですね、
スプリットオフというのは、
この場合は観念というか抽象概念ですよね。
バッテリーが上がりました、
悪いのは誰ですかっていうのは抽象ですよね。
それに対応する具体物は、
バッテリー具体物だけど、実質ないですよね。
ここを昨日申し上げた精神病水準だと、
具体的な世界になってしまうんですよ。
私が悪いっていうのは、
私の気をつけないのが悪いとか不注意が悪い、
全て抽象概念なんですけど、
私が悪いというのがですね、
子供の世界ではすごく具体的になっていくので、
で、例えば爪をむしるとかいう事態が発生するわけですね。
これは事態ありとか言ったりすると、
関わりがあると思うんですけど、
オートエロティシズムの話ですね。
つまり、私が悪い、
切り離したいわけです、悪いのは。
私の領域に入ってこないでくれってことなんですよ。
バッテリーが上がった、それは私のせいではない。
バッテリーをちゃんとチャージしておかなかった、
夫のせいであるっていうふうに、
夫の場に押し付けるんだけど、
それは抽象概念なんですよ。
でも、ちっちゃな子供の場合、
私が悪いって言ったら、
私の指の先の皮とかよくむしる子いるじゃないですか。
この私が悪い、この悪い部分を、
21:00
なんていうんですかね、
物質的に取っていこうみたいな、
そういうことをやるんですよね。
手を抜くとか、爪をちぎるとか、
そういうことですね。
ヴィオンに書いてありましたね。
私はペニスが良くないから皮膚をむしっているんですっていう、
なんか精神病水準の人が出てきましたけども、
あなたはそうやって、
昨日私が言った解釈の言葉が気に入らないから、
そのむしったものを私に投げつけようとしているんでしょうみたいな、
どうしてそういう話になるんだって思うんだけど、
ちゃんとそれで会話が成り立っていくっていう、
昨日もそういう話しましたけれども、
私などには想定できない世界だなって思いながら、
ヴィオンの本はよく読んでおりました。
で、このオートエロティシリズムなんかに
象徴されるようなことって、
でも私たちも時々やっちゃいますよね。
かさぶたの皮剥ぐみたいな感じで、
時々やってたことがある人はいると思うんですよ。
あるいはもう少し中小水準が上がると、
断捨離みたいな行動に、
断捨離は別に悪く言ってるわけじゃないんだけど、
物捨てまくるみたいな、
私の中の悪いものをどんどん排出して、
だから排出になっていく。
外へ外へ外へと出すと、
ゴミ収積場に大量にゴミ出して、
あ、すっきりしたみたいな。
部屋もすっきりするし、
私もこれで善人になれましたみたいな。
つまり、悪いものというものと、
自分を切り離したいわけですね。
つまり、つまりっていうか、
ここで言いたいことはですね、
フェミニズム心理学から遠く離れてきたけど、
でもこれは僕はフェミニズム心理学だと思ってるんですけどね。
つまり、先に気持ちの方があるってことなんですよ。
一見したところ、
いやバッテリーが上がったから私は腹が立ち、
バッテリーが上がったから夫を責めているんです、
っていうことになるのかもしれないけど、
そうじゃないと思うんですよね、やっぱりね。
自分の中に良い悪いという考え方、
まあ長自我的なっていうのかな、
良い悪いっていう悪いものが攻撃されるべきだっていう、
その感情というものがくすぐっていて、
何かの出来事をきっかけにその感情がアクティベートされて、
この感情がその出来事に投影されているに過ぎない。
出来事そのものはやっぱりよく言われる通り、
良くも悪くもないんですよ。
バッテリーっていうのは時間が経てば上がるものなんですよ。
そこに良し悪しはないんだけど、
この事態はなぜこう悪いんだ、
なぜ私の時間を無駄にするんだみたいな、
その説明が入っている時には、
すでに自分の心の中には、
攻撃しねえばっていう感情が始まっちゃったんですよね。
こっちが先だと私は思うし、
こっちが先だというふうに考えることによって、
いろいろな事態に非常に簡単に収められるというか、
そもそも収める必要自体が存在しなくなるということを、
24:03
グッドバイブスで気づかされたってこともありますし、
倉園さんが繰り返しおっしゃってるから、
私もそれに乗っかってるって部分もありますし、
グッドバイブスの倉園圭三さんがね、
最近大阪でこういう話されたと思うんですけどね。
私はそれを精神分析でも同じものを見つけたから、
この部分を語るのは辛いんですよ。
いやそうじゃないだろうと。
それは夫が悪いんだろうって話にする人はしたいじゃないですか。
その話をさらに膨らませると、
男がエバってるからいけないみたいな話に、
休んでいるのじゃなくて妻を助けるべきだみたいな話が、
悪いのはどっちかっていうのが前提になっちゃうんですけど、
善悪を作ったその気持ちが、
私は先行して存在していたと思うんですよ。
これを言われるとカチンと来る、みんな。
多分、出来事に罪があるのであって、
私の罪悪感がアクティベートするのが先なんてことはありえない
っていうことになるんだけど、
でも私にはやっぱりカレオバナに幽霊を見るというのは、
人の不安が作り出したものであって、
カレオバナが幽霊のはずはないって思うんですよ。
外在している悪はないって言ってもいいんですけれども、
そういうことなんですよ。
外在している悪がなければ、
じゃあどうやってその気持ち沈めるのっていう話なんだけど、
外在している悪が本当になければ、
気持ちはもう沈まるんですね。
その延長線に昨日も言ったような話が出てくることになるんですよ。
先送りしなければならない仕事って一個もないはずなんですね。
嫌な仕事というものを、
外在していないんで、仕事というもの、
仕事そのものが意味付けですが、
仕事というものに私を責めてくる、
私が失敗する可能性に対して攻撃を加えてくるその仕事っていう、
その感情の乗せ方をしているというこのからくりが分かってくればですね、
外在している箱と、
その箱に嫌なイメージを塗りたくっている私の心というものは、
バラバラにそもそもあったはずであって、
別々にあったはずであって、
この塗りたくっているという事象を、
塗りたくっているという行為の主体がどこにあるのかを自覚すればですね、
箱そのものを見て嫌な気分になるはずはない。
この箱が確定申告であり、
上がったバッテリーであり、
何でもいいんですけど、
いわゆるハテナって書いてあるブラックボックスみたいなやつなんですよね。
この箱は何にでもなる。
私たちの意味付け次第で何にでもなる。
対象だって事なんです。
対象というより意味付けられている対象なんですけれども、
この感じってものをお伝えしたいわけですよね。
だから大学に行きます。
大学は男性社会ですみたいな話になった時にも同じで、
27:02
やはりそこにですね、
昨日お話ししたばっかりなんですけど、
夫婦関係もそうなんですよね。
新しい考え方を導入しないと、
今までのやり方に戻ってしまったり、
それこそ銃を買いに行きますみたいになってしまいかねないので、
そうではないものを模索するしかないと思うんですよ。
その時に僕らは、
動外報復というのと欲打つというものにひたすら気を付けるしかない。
最初はですね、
動外報復で銃買ってくるっていうのはまずいじゃないですか。
同じように私ナンバー2でいいって言って、
欲打つになるのもいいことだと思えない。
対等は対等であったほうがいい。
仲が良いっていうのも必要だと思うんですよ。
ただずっと仲良くあり続けるのは無理なんで、
なんかこう違ったあり方というものを、
やっぱりクリエイトしていくしかないと思うんですね。
先人はクリエイトしたわけじゃないですか。
一歩一歩制だって最初からあった制度じゃないんで。
何かクリエイトしていくより他、
しようがないだろうなというふうに思うんですね。
簡単なことだとは思いませんけれども。
大学なり宗教なりでもいいですよね。
女性が進出したら、
その時に起きる心理状態っていうのの記述がまず、
本当は必要なんじゃないかなっていうふうに私は思うんですよ。
対等になるのが合理的だとは思いますけれども、
そもそも対等でないところからスタートした時に、
対等になるプロセスでどういう心理が記述されていくのかと、
その時にその人のナルシシズムって問題絶対出てくると思うんですよ。
例えば親を見返したいと思ってましたとか、
そういうリベンジって言いますけれども、
ナルシシズムですよね。
そういうものはそのプロセスにおいて出てこないはずはないと思う。
ないしはヒステリーみたいな、つまり乖離ですよね。
叫び出すとか泣き出すとかいう話ではないです。乖離ですね。
乖離が起きる。憤怒とかって言うじゃないですか。
めちゃくちゃ腹が立つとかってよくおっしゃる方いらっしゃるじゃないですか。
男性社会で、天井が低いとかね。
憤怒ってやつですよね。精神分析では憤怒っていう表現を取る。
あるいは、貪欲って言葉もありますよね。
貪欲ってあれは、単に欲深いというよりは、
満足することが不可能だって感じなんですよ。
上を目指すってそういうことですよね。
ある地位に入っても、次にもっと上の地位というものを目指すって時に、
貪欲ってことがありますよね。
前にこの番組で言いましたが、
おこのぎ圭吾さんのチョコレートを食べてしまったら、
チョコレートがなくなってしまうのを心配する子供は貪欲なんだと。
そういうことですよ。不安なんですよね。
その不安っていうのは、自分の心の中にあるものであって、
男女不平等からくるものではないですよ。
自分の心の中にある不安というものは、
もちろんそれは、家でお父さんを奪ってましたってことも大いにあり得ることだから、
30:02
男女不平等と無関係ではないんだけど、
あくまでも不安なのは自分の心の中の不安なのであって、
社会制度を変えることによっては、その不安なくならないと僕は思いますね。
だからその不安を何とかするっていう方向は、
その方針には必ずクリエーションがあると思うんですよ。
何か新しい道を見出さない限り、
その不安というものが根源的にその不安というものと
うまく付き合っていけるっていうことは起こらない感じがします。
ので、自分からスプリットオフする不安。
スプリットオフしまくってる人も結構いらっしゃるんですよ。
スプリットオフしまくると自分が半分になっちゃうんで、
良い自分だけになってしまうんで、
多分仕事をするモチベーションってすっごい下がると思うんですよ。
だから心の中で爪をむしっていてはいけない。
爪は良いものなんで、自分が作り出した良いものなんで、
やっぱりこの自分が作り出した、
内側から出てきた良いものは大事にしておくという。
カサブタだってそうじゃないですか。
これは治る過程じゃないですか。
薄汚いから取ろうみたいな。
そういうふうに自分の悪いものをそこに投影して、
ここから自分を切り離すと、
一時的にスッキリしたような気がするんですけれども、
きっとそれによってはスッキリしないと思うんですよね。
こういうことが乖離みたいな話。
乖離って結局自分を分けるってことになってるんで、
スプリットしないようにするっていうか、
それをするとすごいモヤモヤするんで、
そのモヤモヤをどうするかって、
そのモヤモヤに圧倒されて
抑圧的にならないためにどうするかってことが、
ずっと課題としてありますが、
やっぱり新しいルートを開拓するっていうのが、
それはどういうルートかって言われると、
それはその道に入っている人に分かることです。
としか引用はないですが、
今のところそういうことかなと思いますね。
32:09

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