1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. グッドバイブスとタスクシュー..
2024-01-04 38:31

グッドバイブスとタスクシュートとポッドキャスト【GMV912】

呼吸の音が聞こえる。

サマリー

彼らの時間を上手に使うためには、タスクシュートを無意識の行動に近づけることが大切です。タスクシュートを使うことで、容易に時間を管理し、レビューやプラン作成の必要もありません。そして、毎日繰り返すことで、時間を上手に使うことができるようになります。 グッドバイブスとタスクシュートとポッドキャストについて話され、人徳や精神分析の意味について考えられます。権力に左右されずに生きるタスクシュートの考え方について話します。タスクシュートによるタスク管理は自由連想法に近く、頭の中が真っ白な状態で話すことが理想的だと考えられます。 Web 2.0の登場以降、ブログやSNSが人々の情報交換や交流の場となってネットコミュニティが大いに盛り上がっています。そこで技術ブログを通したマーケティングの有効性が高まっています。

00:04
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
現在、1月3日水曜日の20時50分ですが、これは明日のアップにしようかなと思っています。
あの、なんていうのかな、3月日で、ニュースは大変いろいろありますけれども、3月日って一般人、一般人ね、一般人としては大筋結構暇じゃないですか。
あの、浦沢直樹さんだったかな、20世紀少年に、
正月って楽しいかっていうふうに子供が聞いて、
聞いてましたけど、あの、ケンジ君たちがですね、聞いてましたけど、あれは痛感しますよね。
正月って子供にとってはやることがあんまりなくて、しかもテレビ番組も、
昔私ですね、おみそかでドラえもんを見るの、すげえ楽しみだったんですけど、年々時間減っていったんですよね、私が子供の頃は。
ドラえもんの人気が低迷していったんだろうなって思うんですけど、歌番ばっかりになるじゃないですか。
で、私、歌わかんないんですよ。
で、紅白とか見ると、間違いなく途中で寝落ちする人間なんで、一つたりともわかんないんですよ。
当時、あの、あの、まだね、かなり人気を二分していたのが、あの、聖子ちゃんと秋名さん、中森秋名さんっていう人。
どっちがどっちだか、僕、見てもわかんなかったし、当時は、今ならわかる、わかりますよ。
当時はわかんなかったし、あの、家にしばらくテレビがなかったというね、これはもう、うちの父の意味不明な教育方針でなかったわけですけど、ね。
なかった時期が、幼稚園の年中、年長、小学校1、2、3、4の途中までなかったから、もう、この辺ないとですね、不意にテレビがあっても、もう、見ないわけですよね。
見た試しがない。あの、結構見ないんですよ。私、テレビ見てても、すごい虚しくなってくるっていう、困った人間で、あれは絶対良くないと思うんですけど、あのね、代わりに本を読ませるとか言う、言うじゃないですか。
テレビを見る代わりに本読めって。私、テレビを見る代わりに本を読むようになって、精神病んだなって思ってるんでですね、非常にこれが教育的に良いっていうのが信じられないんですよね。
もう、なんかこう、中学生の頃は、起死念慮に取り憑かれるようになっちゃっていて、なんかもう、本当に、高校時代か大学ぐらいかな、もう、サルトルとかばっかり読んでましたよね。
なんかこう、虚しいっていうね、ひたすら虚しくなるんです。何がどう虚しいのかは。
私、全然わからなかったんですよね。
今、僕が一番は、説明として正しいのは、母親の不在っていうね、これも、あの、いくら話してもピンとこないかなって思うんですよね。
母親はいたんですよ。母親の不在ってのは、そういう意味ではないんですよね。
この話も、聞き飽きてる方が多いと思うんで、いい加減やめておこうと思うんですけど、でも、まあ、今年もこういう話が多いだろうなとは思いますね。
で、えーと、いきなり、
告知なんですが、えー、1月、これちょっとどうしようかな、1月20日の土曜日、山崎孝明さんでね、東京ライフハック研究会を新宿で開催します。
オンラインでもやりますということで、こちらをですね、ちょっともう、えーと、もっと強力に打ち出していきたいと思っているんですけれども、もしかすると全然そんなことを思ってるのは僕だけかもしれないんですが、まあ、そんなのはね、
今、今に始まったことではありませんから、強力に打ち出していこうと思っておりますが、あの、これを聞いている人はですね、ぜひ、あの、もう、僕としては、えー、安心感の関係上、1月の、そうだな、13の週にお申し込みいただけると、すごい、個人的には嬉しい。でも、まあ、いつでも、申し込んでさえいただければ、ありがたいって、ぜひ、お願いしたいと思うんですけどね。
はい。
まあ、これが告知かなぁ。
うん。
これ以外、告知があんまり思いつかないし、ないから、まあ、それはそれでいいやということですね。
はい。
えーと、で、まあ、今日は、もう聞いてて、イメージされてるとおり、超ダラダラモードなんですよ。
あんまりこう、正月から、なんか飛ばしてきましたから、えー、1日、2日と連発してきたんで。
まあ、昨日ちょっとですね、なんかあれ、アップ、何かアップでつまずいたんですよね。
でも、なんかサーバーの問題なのかもしれない。
ちょっとよくわかんないですけど、不意に落ちちゃって、で、朝になって気がついて、また上げ直したのかな。
ちょっと、どんな感じで上げ直ったのかがわからないんですけれども、えー、上げ直したとは思うんですけれどもね。
うん。
えーと、まあ、多分上がっているとは思います。
で、あの、
私は、2000、去年ね、2023年に、大体自分の仕事の方向性というものは固まってきつつあるので、あとは、単調をどうやって出すかっていう問題が、これ単調をどうやって出すかっていうのは本当はおかしくて、えー、依頼いただいて書くのがやっぱり本だと思いますんで、私がどう出すかって考えるばっかりっていうのも、個人的にはどうかなとよく思っておるんですけれども、
強調はね、もう、Jさんと出しているやつがあるんですけれども、
強調はね、もう、Jさんと出しているやつがあるんですけれども、
強調はね、もう、Jさんと出しているやつがあるんですけれども、
強調はね、もう、Jさんと出しているやつがあるんですけれども、
手慣れていくって感じなんですよ。
ほら、ゲームとかってそうじゃないですか、ピクミンとか、ピクミンなんていい例じゃないな、マリオとか、マリオ僕下手なんで、わけわかんないんですけど、うまくなってくると、もう、どこでどうするかっていうのが、仲間無意識でいくじゃないですか、ビビビビビビビビビみたいな、この音に何の意味があるのかっていうぐらいですけど、あるじゃないですか。
こうなりたい、こうなってもらえればいいって思うんですよね。
タスクシュートの使用方法
タスクシュートで、もう、なんかこう、記録をなぜつけてるのかとか、いつレビューをするのかとか、そういう、
そういう状態では本当は、いかんと思ってるんですよ。
もう、なんか、次はこれね、次はこれね、あーっていう風にやってって、ずーっといくと、なんかここらで一息つくから、ちょっと休憩というものにしよう、みたいなね。
で、なんかこう、人にお願いされたら、これとこれとこれっていう風に言って、すぐにでも再生をして終わったら終了を、もう、なんかこれを、再生と終了を押すから面倒くさいとか、再生と終了を押さなきゃっていう風に思って、
思うという状態ではなくしてですね、えっと、なんかこう、ピピピピピピピピピって感じで、タスクシュートをやってるなんてことは、意識の上に上ってこないぐらいなことが、状態がいいわけですよ。
今はパソコンの前にいるから、タスクシュートを、クラウドをやってるし、スマホしかないからスマホでやると、こういう感じが望ましいと思うんですよね。
それがもう、いちいち意識の上には上がってこないというのが、ある意味理想的かなと。
そうなったら、多分私が、えー、普段、あのー、
無駄に喋っていることなんて、常識になってくると思うんですよね。
勝手にそう思ってるだけなのかもしれないけど、あのー、現在しか時間はありません。
死ぬまで時間はなくなりません。
えーと、やりたいこと、人にやってほしいと言われることをやるのに、十分な時間があります。
時間を上手に使うための考え方
先のこととか、過去のことについて、えーと、特に先のことについて、あれこれ考えたところでですね、そうはなりません。
し、そうなってもいいことありませんっていうのは、もう、
なんか、一生懸命、私は喋っていて、ディスカッションも起こり、議論も言われればするけれども、
そこに意味は、ほぼ全くないなと、正直思って。
だって、これは僕からすると、えーと、当たり前なんで、もう、空気には窒素が入っていますぐらいに当たり前なんで、
そんな話してもなーみたいな感じ、そんな話いくらしてみたところで、時間使うのが上手くなんてならないんですよ、はっきり言って、私が思うに。
あのー、時間使うのが上手くなるというのは、このー、私からすると、タスクシュートが、
黙っててもできるようになるというのに限りなく近い、私にとっての会話、それしかないんですね。
他の方法も、ありますとかね、タスクシュート使ってなくても上手く使えてる人はいますとか、そんなのは当然ですよ。
僕からすると、それはもう、太陽は東から昇りますぐらいの話で、興味が湧かないんですよね。
だって、それはだって、上手く使える人がいて、当たり前じゃないですか。だから、それだったら、その方法でやればいいわけですよ。
あるいは、えーと、
使わなくてもいいんですって、それも当たり前の話なんですね。私は、ただ、私の解としては、答えとしては、
タスク、時間を使う、上手く使いたければ、タスクシュートが、ほとんど無意識に近い領域に沈み込むというのが、一番上手くいく。
そうすればですね、えーと、なんかこう、やろうとしていることに妥協してしまうとか、そういうことで悩むはずがないと僕は思うんですね。
でもまあ、そんなことを言っても無駄だなっていうのがある意味、思うところもありまして、
なぜなら、使う方がいいから、使う方が早いから。これはですね、えーと、
地方での生活に車が欠かせないっていうのに近いんですよね。
タスクシュートの効果
あの、いやいや、一生懸命やれば、電車とバスでも同じぐらい早く行けるんですよっていう議論には、あまり意味を感じないと思うんですよ。
地方に暮らされている方で、しかも、ある程度、車のようなものを使って、足を使わなければ生活がままにならないという状態で、車使っているという方は、なぜ車を使っているのかというと、
車を使うとどういうふうに、時短になるんですか?チェックしてみましたか?とかって、なんか不毛な議論な感じがするじゃないですか。
いやいや、そんなことはどうでもいいんだよっていう感じがすると思うんですよね。でも、使わずにうまく生きてる人もいます。いや、そりゃそうでしょっていう感じなわけですよ。
それとも、ほとんど僕にとってのタスクシュートを使うことが、えー、なんだろうな、時間を使うのがうまくなるというのは、えーと、いちいち、本当は、えーと、再検討したり、
反省したりする意味があまり感じられないんですね。うーん、これは、仕事をするのにパソコン使うよねに、もうほとんど、僕にとってはイコールなんですよ。はっきり言って。
やめるということはできるんだけれども、えーと、やめるということになると、すっごい努力がいるだろうなって、ある種の、ある種の努力はいるだろうなと。
それはですね、ちょうどこう、箸を左手で使うようにこれからしてくださいって言われてるぐらいの感じは、いけるんですね。できなくはないと思いますよ。
ただ、なぜそれをしなければならんのかっていう話は出てくる。これと、私にとってのその、えー、時間を使う容易さと。時間というのは容易に使えるものだって感じ。
こういうのがね、なんか余計なことを言ってる感じがするんですよね。こういうと、容易に使うとはどういう風に使えばいいんでしょうっていう話になっちゃうじゃないですか。
容易に使うにはタスクシュート使ってください。でしか言いようがない。そして、レビューはしなくていいです。プランもいり、いりません。
あのー、ルーチンから出てくるのが1日のプランになって、やらない、やりたくないやつはやらなければいいのです。そして、やり損ねたやつは全部削除してしまえばいいんですよ。
タスクシュートライトなら、これらのことは容易にできます。それを毎日繰り返していれば、必ず上手くなります。以上ですよ。
これ以上ね、本来僕は言うべきじゃないんですよね。でも、言わなければならないから言います。
言う、言う、言うというのはつまり、言葉に直すことによって、えー、これがベースになる。
えー、これがベースになる。
これが便利に使えるとか、それが便利に使えるとか、えー、レビューが役に立つとか、PDCAとか、その、なんだろうなー、そういうふうに考えてみると、幸せな気持ちになるのかもしれないから言ってみる、みたいな感じなんですよね。
人徳と精神分析
本音を言えば。本音をというか、僕の実感として。本当はそうじゃないのかもしれない。本当は、なんかPDCAとかが正しいのかもしれないんだけど、僕の実感にリアリティがないんですね、ここにはね。
そういうことかなーと思います。
はい。
あとは、あの、ほら、なんていうのかなー、よく会社ではスマホを使えない。まあ、これはね、本当に、お気の毒だから、そうとしか言いようがないです。
あと、子供の、お子さんの前でスマホ使いたくない。まあ、これもわからないではないです。
ただ、私は、えーと、一瞬で済むんで、えーと、子供の前では使わずに、まあ、子供の前では使いますけどね、僕は。
なぜなら子供がいくらスマホ使っても全然かまわないと思ってるんで。
僕は使いますけど、えーと、使わずに済ませたいということであれば、僕は一瞬で済みます。
使わずに済ませたいということであれば、僕は一瞬で、見てないところで済むと思っているんで。
開始ボタンを一瞬押すなどというのは、もう本当に、えーと、人が気づく、要注意で見てる人は気づくでしょうけれども、うちの子供は、そんなふうに僕に興味ないから、そんなことには気づかないわけですよ。
まあ、僕は別に、あの、娘がいくら使っていると、そんなことに興味ないんで、同じく。
えーと、この辺も、実はあると思うんですよね。
お互いがお互いに、そういうふうに。
そういう点に興味を持たなければ、えーと、そういうところで、難しい問題は起きないんじゃないかと思うんですよ。
親がやってること、だから、子供もやっていいとか悪いとかいう話って、僕はナンセンスの極みだと、いつも思ってるんですよね。
例えば、あの、なんだろうなー、私、あの、割と若い頃から、10代の頃から、放出制限、強くかけてたんですけど、別にね、お袋が、ケーキ、目の前で食ってるから、なんだって感じがするんですよね。
それと私とは関係ないです。
あの、別に、母はアトピーじゃないんだから、食べたいもの食べりゃいいわけじゃないですか。
えーと、それを、なんていうのかな。
それが子供に悪影響を及ぼすっていうのは、僕は、自分が6、7歳の時から納得のいかない話をしてんなーと思ってたんですよね。
好きなことをしたらいいじゃないですかっていう感じがしてたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよね。
この、表示画でお互いを縛ることの意味っていうのが、どうもよくわからなかったんで、今でもよくわからなかったんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよね。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
だから、もっと好きにさせてくれよっていう感じも持ってたんですよ。
聞くんだけどそんなことはどうでもいいっていう感じで戻ってくるんですよ
勉強はしてるんですよねそういうもんだと思うんですよね
したくないときはしないと思うんですよ
何の話をしてるんだか全然わからない
長寿がというものなのかなと思わなくはないんですけどね
これ僕の性格を娘に遺伝したのかは知りませんが
娘の意見はこれは娘が4つのときから一貫して変わらないんですよね
僕も3,4の頃からこれは一貫して変わらなかった気がするんですよね
親の真似をしたいという気持ちがよく理解できないんですよね
親の行動が制限されているとそれに沿って
ほら僕さっきも言いましたけど
テレビ見る代わりに本読むのがいいことだと決して思わないので
僕はですよだからなるべく僕はテレビを見るようにしてます
今でもね自分はね
娘は本を読んでますテレビ好きじゃなさそうだから
それはしょうがない
しょうがないというかよしよし関係ないと思うんですよね
メディアについての
この話は一旦ここで終わりにしてですね
先日幸運と流宝の話をしてこれ受けてないんだけど
流宝ってのはグッドバイブスだよなっていう風に思っていたわけですね
彼は何にもできない人なんですね
そして全然得の高くない人で能力もない人で
だって定調時代も女遊びしかしてなくて
皇帝になってからもやたらと即出がいて
あれが彼の死後非常に重大な問題を引き起こすんですけど
だからねやっぱりね僕ではないと思うんだよね
人徳でやるんじゃなくて
ああいうのを何とかしておかないと
後々災いが起きるみたいなことは
誰かが検討してもよかった
あれほど頭のいい人周りにいたわけですからね
この辺難しいですよね
この辺難しいですよね
この辺難しいですよね
この辺難しいですよね
彼がやってることは何も問題ないと思うんですよ僕は
ただああいうことは起こる
ああいう行動をとっているとですね
タスクシュートによるタスク管理
やっぱりああいうことは起こりますよね
だから恐ろしいといえば恐ろしいので
やっぱりあの辺は何か考えなければいけなかったんじゃないだろうか
という感じがしなくはないわけですよ
でそのまあ流報の話は実際はどうでもよくて
私が言いたい話はですね
このグッドバイブスというものをやってて
やっぱりこう得とかじゃないな
人徳という話とは全然関係ないなと思うんですよね
全然関係なくはないかもしれない
全然関係なくはないかもしれないんだけど
人徳ってものが意味を持つのは
ああいう死後の災い
まあ流報の場合のね
死後の災いみたいなものを未然に防ぐっていうような
かなり消極的な意味ではあるのかもなっていう感じは
しなくもないという話と絡めて
さっきのちょっとこう
タスクシュートの話にも近いんですけど
僕去年もそうでしたけど
今年ももう3点なんですよ
グッドバイブスとタスクシュートと精神分析なんですね
でなんで精神分析がここに入ってくるかというと
これもタスクシュートと限りなく似てるんですけど
僕にとっては
ただ精神分析は
ちょっとこれも前にお話ししたと思うんですけど
精神分析は精神分析の中にあるんですけど
野の医者をどの程度当てにして
当てにした野の医者との自分との間に
起こる出来事とは何なのかを
検討するために
グッドバイブスじゃなくて精神分析は役に立つ
だから私にとっては
なくたっていいんですよ
だからこれ説明に関して使ってるだけなんだけど
私にとっては一番大きいのは
グッドバイブスで大きくこの人生は好転した
なぜそれが起きたのかの説明に
精神分析が役に立つ
私にとってタスクシュートっていうのは
ただやってるだけで
時間に関しての問題を全部解決してくれて
言ってみれば
デイビッド・アレンさんが言うから言うんだけど
GTDというのはタスク管理における
常識というものを全て盛り込んだものなんだと
私はそれは今は真実だとは思いませんけれども
彼の言い分を通せばそうなる
私も確かに
丸々GTDをやってたんですよ
それはGTDをやってたんですよ
GTDを学んでやってたんじゃなくて
やってたらGTDだったわけです
それを確かに徹底して突き詰めると
ああなるなって感じがしたんだけど
あそこからこれだとどうしても
営業妨害的で良くないんですけど
廃坊されたんですよタスクシュートで
つまりやんなきゃいけないこと
でもないんだなっていうのがですね
これはタスクシュートで
自明だと僕は思うんだけど
なかなか自明にならないんですけどね
でも自明だと思うんですよ
これは本当はタスクシュートと関係ないんですよ
つまりどういうことか
というと例えば私の部屋
今ちょっと散らかってるんですけど
片付けなくたっていいんですよ
こういうとどうしても
話が伝わらないように思われるらしいんだけど
これは客観的には
事実だと絶対思うんですよね
片付けなければいけない
っていうのが客観的に証明されてる
っていうのはものすごく変ですよ
これはね
あれですよ
例えば
水素と酸素で水ができますっていうのは
客観的に
おそらくね
おそらく客観的に正しいじゃないですか
私の部屋は散らかってるから片付けなければ
行政は絶対酸素と水素
足すと水になりますには
匹敵しないですよね
絶対匹敵しないと思う
だいたいこの部屋が散らかってるかどうかだって
私の主観が大いに関係してますから
だから
私たちのタスクってそういうもんなんですよ
自然法則じゃないんですね
自分で勝手にそれが必要だって
決めてるにすぎない
この話は去年何度かしました
例えば千葉ロッテマーリンズのスリーランホームラン
あれに価値を認めるのは私だからですね
私の本に
星1がアマゾンレビューでついてほしくないのは
私の勝手な都合であって
そんなものは
客観的にはどうでもいいことなわけですよ
主観的な価値とタスク管理のジレンマ
だって私現に
多分
フランスの領書とかが
素晴らしい本に星1ついてるってことを
知らずに生きてるし
そんなことは僕にとってはどうでもいいことだから
事実存在しないにも等しいですよね
全ては主観だってことです
そしてその価値は
勝ちづけてるから価値なんですよ
部屋片付けるのもそうです
勝ちづけてるだけなんですよ
そんなものは別にしてもしなくてもいい
ここが
タスク管理してると
わけわかんなくなっていくんですね
わけわかんなくなってきやすいんですよ
ていうかその前からもうわけわかんなくなってるわけです
これは絶対しなきゃいけない
したほうがいいんだ
っていう話になりやすいんですよ
テレビを見るより本を読んだほうがいいんだ
思春とか
全然いいとは思わないんだけど
いいんだってことになっちゃうんですよ
子供の前でスマホをいじるよりも
本を読んでるところを見せたほうがいいんだ
っていう全然事実じゃない
私にすると
むしろ良くないと思うんだけど
いいってことになっちゃうんですよね
誰かがそうしてるんですよ
そこに暴力に近いものが働いてると
時々僕は思う
権力に左右されずに生きる
少なくともそこに権力は働いてると思うんですよね
だってそういう話が
教科書とかに載ってたりするんですよ
教科書っていうのは
権力者が書くもんですからね
やっぱりね
しょうがないんですよ
それが悪いとは僕は思わない
僕が権力者になったって
教科書が作るだろうなって思いますもん
国を治めやすくするっていう発想になってくる
どうしてもそうなっていくだろうなって感じはします
ただしそれは事実ではない
ご都合に合わせられている話であって
よしよしはないけれども
そういうもんだから
それでいいんですけれども
真実とか客観的真理とかは
関係ないとは思うんですよ
これはもう50年ぐらい生きてると
常識だと思うんですよ
そんなことは
だからそれでいいわけです
だから
でも別に我々は
権力に施行されなくていいわけなので
権力に左右されずとも
別に構わないわけなので
部屋片付けなくてもいいし
本読まなくてもいいわけです
だからタスクの大半は
勝手に落ちるはずなんですよ
でこの時
この時タスクシュートは
できないよってことが分かる
でこの時に
できなければいけないのに
できなかったっていう風になるってことは
すごく権力志向になってるって感じが
私はするんですね
権力者のほぼ言いなりぐらいな感じがするんですよ
僕はそれは
権力者に
ぜき払うぐらいはしますけど
タスクを左右されるつもりはないんでね
そこまで不自由でも
人生いいですとは思わないので
捨てます
そういうものはね
これを捨てると
捨てるのに勇気がいりますってのは
僕はおかしいと思うんですよね
勇気はいらないだろうって思います
ぜき払わないのは勇気いりますよ
はっきり言って
この2つは同じことだと思うので
長寿がの命令だと思っていますから
長寿がの命令というのは
親の命令に近いものであり
親の命令というのは
うちの親そんなことは命令してないんですけどね
社会の命令であって
社会の命令を出してくるっていうのは
権力者の命令なんだと思うんですよ
だから下側は別に構わないと思うんですよ
逆らうのも
別に構わないと思うんですよ
別に僕はヘロをしようってわけじゃないんでね
ただ自分のタスクの中で
やらなければならないという風に
社会で規定されがちなものを
片っ端から捨てるという程度であって
そんなのは大した反抗ではないわけですよ
だからそれでいいんだと思うんですね
これを僕は自分に説明するのにも
自分がこういう性格であるということを
説明するのにも
精神分析というものが
説明上非常に有効なものだと思うんですよ
精神分析が有効だったという理由で
ここでお話ししている
同時に
つまりエリプスコンプレックスってことね
結局はフロイトが
これも最終定義ではなかったけど
フロイトが
超自我とエリプスコンプレックスの
直接の末裔だみたいな表現を
とってるんですけれども
要するにお父さんが怖いから
言うことを聞くわけですよ
部屋片付けろなんてまさにそういうものです
部屋片付けろというのは
お父さんの命令なわけですよ
それが自分の心の中で
自分の中に入っちゃってるんで
部屋片付けた方がいいよねって
部屋片付けてると気分いいよねって
気分がいいのは父親ですよ
私の父親ではありません
父親という象徴です
そして
社会が秩序だって方が
雑然としているより
いいよなと思う人は
どっかにいるわけですよ
官邸とかにて
それはそうですよ当然ですよね
私だってそう思います官邸に入れば
社会の中で
あちこちから火の手が上がっていて
なんかこう
園さんの声が沸き起こっていて
官邸取り囲む人々が
暴徒化しているなんていうのが
いや望ましいわって思わないですよ
権力取ったらね
当然ですよね
生前として主流だった方がいいに決まってます
こういう風に考えていけばいくほど
税金をきちんと納めてあるとかね
時間にみんなが遅れないとかね
時間通りに電車が発車するとか
すべてがある種の方向性を持っていて
しかるべきだと思います
ただそのためにする努力というものが
すべて妥当だとは思わないということです
そんなのは国だって
私にそこまで求めてきませんからね
まあ多分2月15日だか3月15日だかにまでに
申告しろとかは言ってくるんでしょうけれども
ある程度はそれに合わせますけれども
それを日々粛々とこなしたいとは
全然思いません
私はそこまで国家に忠誠高い方の人間ではない
でこの説明に関しても
タスクシュートでも精神分析でもいける
グッドバイブスでもいける
罪と罰はないっていう発想があるからね
そういう意味で何か僕はですね
洗い出して水のような心になるっていうのは合わない
なんて言うんだろう
それはですね
すごくすっきりするってことが
長時間は満足するっていうことと
区別がつきにくい方法論だなって思うんですね
タスクシュートのいいところは
すっきりしないところなんですよ
ある意味で
いつもいつもすっきりしない
あれが僕は正しいやり方なんだと思うんですね
きちんと部屋が片付いているからといって
大喜びになるのは長時間の方であって
私の幸せと直結しないんですよ
ある程度片付いてていいわけです
全てがある程度
不都合ないレベルに入ってればですね
雑然としてた方がいいぐらいに
だって私は思うんですね
それは何でかっていうと
生きてるからですね
応えられるとすれば
生きてるっていうことは
雑然としていくんですよ
生きてるというのは
エントロピーが増える方向にむしろ向かうべきであって
増える方向に向かってったら死んじゃいますから
エントロピーはこう
要するに乱雑さはある程度は進まなければいけない
もちろん
タスクシュートの考え方
えーと
代謝したり物を消化したりして
集約する方向ってあるんだけども
何もかもが集約するんだったら
やっぱり
僕死んじゃうと思うんですよ
変化しないってことなんで
だから生きてるってことは
やっぱり雑然としていくものなので
部屋も生きてる人がそこにいれば
生きてる人がいないと
部屋っていうのは整然としてますよね
動かないってものは勝手に普通の方が
だから
あの雑然としないというのは
危険な話なんですよ
と思うんですね
でこの雑然とするんで
タスクシュートも雑然とします
これがある程度のところで
許容されるように
働きかけているよねっていうことが
目に見えるっていうところが
すごいんですよ
すべてがきちんとなって
水のようだ
水が静かになってるようだっていう状態が
えーと
そこにずーっと現れるタスク管理っておかしいと思う
心はそれでいいと思う
だけどタスク管理がそうなるってのは
私は自然だろうなって感じが
どっちかっていうとしますよ
うん
尻滅裂ですね
今日の
この尻滅裂さを
明日アップするかどうかを
今の段階で判断するのは難しいですけれども
アップはしようかなと思ってます
これは本音に近いんでね
やっぱりこう
ポッドキャストっていうのは
去年までずーっとやってきて
900回を超えて
思うんですけれども
これも私のタスクシュートに出て
無意識とまでは言いませんけれども
タスクシュートと精神分析
何のプランニングもなければ
理念も方向性も思考性も何もないんですよ
ただ僕がベラベラ喋っていると
できるものなんですよ
これが一番いいなって
そう700回を超えたあたりから
分かってきた話なんですよね
フォロワーが増えなくても
増えることは嬉しいですよ
増えなくていいって思ってるじゃないですよ
僕はそういうふうには
あのメディアやってて
思わないようにしてるんだけど
増えることは嬉しいですよ
ただ
満員にならなくても増えなくても
どういうふうになるのがいいんだろうって
思った時に
何にも考えずに
ある意味口が動いてる感じ
この口が動いているところから
喋っている話を
これほどの多くの方に
聞いていただけるっていうのがいいんですね
これはある意味ではなんですけれども
ちょっと精神分析っぽいのかなって思ってます
自由連想法って
こういう感じなんじゃないかな
僕すっごい今くつろいで喋っているんですよ
これから喋ることが
全く頭の中に浮かんでこない
です
すっごい何にもない
あえて脳内を言うならば真っ白です
ホワイトアウトですね
あのホワイトアウトって怖いですよ
東北に行った時
秋田に行った時
本当に怖かった
あの運転している人間からすると
本当前後左右白ですよね
いやいや絶対ダメだろうって思いました
でも道路なんて止まれないじゃん
止まったら後ろから追突されますよね
で後ろがダンプだったら死んじゃいますよ
ホワイトアウトは本当恐ろしいですよ
でその状態です
今は僕の脳内は前後左右真っ白です
この状態で喋っているというのが
僕は一番
なぜなのかの説明はできませんけれども
一番理想的だろうと思います
ラジオの有名なパーソナリティさんという方々は
こんな風に喋っているんじゃないだろうかと
勝手に本当にど素人の推測で
本当憶測で申し訳ないんですけどね
全くこの状態で喋っているというのが
この状態が僕は望ましいと思います
時々ですよ
本当に時々なんですけれども
私あの原稿書いてる時
こういう状態になるんです
何も考えてない
何にも考えていないんだけど
指は動いてるんですよ
でどう変換してるのか
もう読んでるだけなんですよね
読んでるだけなんですよ
指が勝手に動いていって
原稿用紙に文章が進行していく
これはなんかね
名人芸とか達人みたいに思われるかもしれないけど
僕そういう能力はないです
倉園慶三さんの書き上げ塾を
ご一緒していて
つくづく思います
僕はある種の訓練が不足しているから
こういうことが分かってないんだな
というのが分かります
つまり物書きのプロとは
言い難い人間なんですよ
ただそれでも
商業で深刻に
ある程度の売上を維持しながら
本を出し続けなければダメだ
食いっパグれて
ダメになってしまうというものがあったから
頑張って書いてたんですね
私なりに
ただただそうやって
何百万字の文章を書いていくと
そんなことしない方がいいのに
ホワイトアウトの中での文章執筆
っていう意見は分かりますし
その意見は間違ってはいないと思います
ただ生きていくというのは
そういうことでもあるんですよ
これしかできない人間っていますから
そしてたまたまそれをさせてくれる
世の中があったと
世の中であったと
出版業界であったと
その中で100万字200万字と書いていくと
やっぱある種のことができるようになります
文章が上手くなるっていうのではなくて
本を売ることができる能力が高まるというのでもなくて
でもある種のことは
ある種の名付けがたい能力が発揮されていくんですよ
その能力の一つに
こういうあるところまで位置付いた先にあったのが
その頭の中が完全にホワイトアウトしている中で
誰が書いてるんだかよくわからないんだけど
誰かが書いている文章を私は読んでいく
っていう形に入りながら
えっと物を書けたら
書いていくんですね
あれは私はグッドバイブスだと
それはどういう意味なのかわからないです
えっと一つ意識なのかもしれないし
まあでも罪の意識はゼロでした
それは間違いない
不安恐れ合い不安不安
それってのはもともと
文章書くときはなかった気がするんだけど
不安もなかった
そして怒りもなかった
そういうだってホワイトアウトってそうですよね
これといった感じはないです
ホワイトアウトに
名付けるべき感情はないです
悲しみとか喜びとかもないです
ただただ書いている
今私がそうなんです
呼吸とタスクシュート
ただただ読んで喋って言い間違いもあるんですよ
何が間違ってて
何が正しいのかもよくわからないんですけど
なんかえーとと言わない方がいいって
あのがあるじゃないですか
僕は全くそれは同意しないんですね
えーとっていうのは構わないと思います
関係ないんで
えーといっぱい言っててもいいと思います
文章では書きませんけどね
フィラーって言うんですが
フィラーは文章ではあまり出てこないです
どこで等点打つ
丸を打つって何も考えてないんですけど
自然と出て行く
そして何かを批判するつもりは一切ありませんが
アウトライナーっていうのは
まったくここでは私の場合には
出てくる余地がありません
皆無と言っていいと思います
アウトライナーには例えば丸が無い
突けてもいいんでしょうけど
普通突けない気がします
アウトライナーにあるとか反対に言ってるのに
例えばあるかもしれないけど等点が足りません
なぜ等点を打つのか
呼吸かなって思うんですけれどもね
アウトライナーには等点がない
等点がないというものが
私が書くべき文章に先行して存在していて
欲しくはないんですよ
私としては
だから章立てというものは存在しますけど
この章はここで終わりっていうのも
ホワイトアウトの中から出てくるものなんです
そして次の章を書くってことも
します
それは第1章書き終わったから
第2章書き始める
そこが先に第2章と第1章のタイトル案だけが
出ているというのは
私はおかしいような気がします
このホワイトアウトみたいになった時には
それが分かるんですよ
通常は分からないです
なぜなのか分からないけど
自分はアウトライナーって得意としないな
っていうことだけは分かってますけれども
これが呼吸ね
今息を一気に吐きながら
喋りましたけれども
ここで呼吸をしなければならない
この間に等点が入ります
っていうことを事前に予知して書くことも
考えて喋ることもできません
だからアウトラインっていうものはありません
タスクシュートもこれとよく似ています
呼吸があるんですよ
ここでタスクは終わる
そしたら次のタスクが始まる
っていう呼吸があります
これは事前には絶対に分からない
だからプランニングを立てるということは
ある種不毛な作業
近い
だからどこでどう呼吸をしたかのレビューをするってのは
ある種の楽しみではありますけれども
そこに意味はあまりありません
ここで呼吸しました
なぜするのかというのは
私の肺に聞いてくれって話なんですよ
なんとなくなんですが
私はこれがグッドバイブスでものです
私にとって
そしてこのグッドバイブスが
なぜ私に出来事として起きたかは
なんとなく精神分析が教えてくれました
精神分析ってのも僕はですね
あれですよ
自由連想をしている時に喋ってる時
呼吸するじゃないですか
私は精神分析家は
そのクライアントさんの呼吸の音を
聞いてるんではないかと思います
これがオンラインでは難しい理由の一つかもしれないと
時々思いますね
次の質問です
38:31

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