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2020-12-23 36:15

【GMV280】自堕落な生活はなぜいけないのか?

自然に振る舞うことを戒める装置が私たちには備わっている
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えーと、本日もですね、クラスのケイゾーさんとグッドバイブスなぶっちゃけ相談という、現在YouTubeでやっている番組の収録をするんですよ。
で、これですね、ぜひ2021年度はこの視聴者数を伸ばしていきたいと、私は少し思っていて、
割と全部が全部はここではとても無理ですが、大体1回20分足らずの番組ですから、超えることもありますけど、
そこでお伝えしていることがですね、一番入り口として、私たちの生活密着感が高いかなと思います。グッドバイブスとですね。
でがやっぱり、どっちかというとグッドバイブスについてレクチャーリングするというよりは、
いただいたご相談にお答えするので、やっぱりそこが全部になっているので入り口のですね、必ずいただいた質問に答えると。
今度ですね、多分今日収録する内容は年始の、年末年始スペシャルみたいな感じでやりますので、
まあ年末かわかんないですけど、年始スペシャルみたいなものをやりますので、
多分ここでお伝えする内容というのはかなり入り口としては、入門というのかな、入り口としてはいいんじゃないかと。
ただグッドバイブスというのは、深くなってはいくけど、どんどんステップアップしていくみたいなものでは全くないんですよ。
最初は優しいけれども、どんどん難易度が上がって、よりグッドバイブス的に成長するみたいな、そういう側面もなくはないと思うんですけど、
割とどの段階であろうとも、一気にいくっていうところがあります。
この辺も何て言うんだろうな、精神分析って似てるなと思うんですよね。
今日も相変わらずそういう話になる予定なんですけれども、
とりあえずYouTubeの方でグッドバイブスな、多分人生相談とやってもぶっちゃけ相談とやっても、今はどっちもヒットすると思うんで、ぶっちゃけ相談になってますけれども、
見ていただいたらいいなと思います。
精神分析の話ではないんだけど、私が最近、今日は特に多分そういう話になりますが、
精神分析にすごく、何て言うの、猜疑してるわけですよ、私としては。怪奇してるというのかな。
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フロイト読み直しているんですね。
精神分析官にもなるつもりもなく、受けるつもりすらないのにフロイト読みまくるというのは、何かおかしな行動なんですよ、ある意味。
それはですね、ちょうどそうだな、ある先生が言ってたことだと思うんですけど、
スキーの話を延々聞きながらスキー場に行ったことがないですっていう、それに近いと思うんですね。
それじゃダメなんですけど、あるいはそうだな、水泳についての指導をずっと受けてるけど泳いだことはないみたいな、そんな感じなんですよね。
私は精神分析ってやってみたいとは思うんですけど、特に受けてみたいと思うんですけど、お金がない。
あれは高いんですよね、結構、ちゃんと受けるとなると。結構お金がいる。
ああいうお金はちょっと今の私にはどう考えても捻出できないので、ここはグッドバイブス、グッドバイブスはもう受けていると言ってもいい状況にありますね。
グッドバイブスで精神分析を経験する、どうしてもそれは同じにはならないんですよ。
例えて言うならばどっちがどっちってことはありませんが、海水浴とプールぐらいの違いは明らかにあるんですよ。
どうしてもそれはそうなるんですね。同じものにはならない。どっちから見ても同じものではないんで。
ただすごく接近しているケースもあるっていうか、すごく接近している概念もあるんですよね。
私の中で一番精神分析とグッドバイブスが近いかな。じゃなければもうマインドフルネスみたいな感じになりますね。
精神分析って多くの人はそうは思っていらっしゃらないんですけど、あれは心理学とは違うものなんですね。
心理学で絶対出てきますけれどもフロイトは。でも心理学とは違うものなんですよ。
例えばそれを言うならば哲学にはフロイトは絶対出てくるはずなんですけど、哲学と精神分析はすごい近いと思いますがやっぱり違うと思うんですよね。
精神分析というのは独立したものなんじゃないかと最近思います。グッドバイブスもそうですけどね。
ジャンルとして精神分析を宗教に含めるわけにもいかないし、
多分ね心理学に含まれていると思うんですけど、実は心理学ではないような気がします。
分けた方がいい気がしますね。
アメリカで心理学を勉強してきて思ったし、今はもうほぼ確実にそうだと思うんですけど、
やっぱりこれは精神分析というのは精神分析しないと決して分かるようにならない気がどうしてもするんですよね。
心理学は大学に心理学ってあるんですよ。あるし不思議ではないです。
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多分大学に精神分析学というのは一個もないんじゃないですかね。日本にはないと思いますね少なくとも。
で、エロヒトについて、エリプスコンプレックスとか、通称マザコンですからねこれ。
マザコンプレックスとか聞いても分かったことには全くならないし、それを聞くだけなら聞かない方がいいんじゃないかというぐらいずれてるところがあります。
でもすごい大事だと私は思うんですよ。私がマザコンなのかそういう話ではないんですよ。
マザコンな目はありますけどね。そういう話ではないんですよこれはねきっと。
ライフハッカーにとっても私はすごく精神分析って、あんなフロイド全集とか全部読むなんてとんでもないですけど、
損はないっていう感じがするんですよね。なぜならばライフハックやってる人はみんな長時間にやられてるって私は今では思うんですよ。
長時間にやられてるというのは病気ではないし、カウンセリングを受けるまでもないんだけど、
すごい苦しいところが場面によっては出てくるんで、これを知ってると大変いいと思います。
グッドファイブス流に言うとそれはどういうことかというと、正しさが手放せないってことなんですよ。
正しさを手放しましょうっていうのも結構グッドファイブスでは基本の方ぐらいな感じで、
初めの方に出てくる話なんですよ。セミナーとか多分耳に1回はすることになると思うぐらい品質ワードなんですよね。正しさを手放す。
で、長時間にやられるというのは正しさが手放せないということで、
例えばHSPっていうのもライフハックと、同じワードでは全くないですよ。
ライフハックに必須のワードとして繊細すぎますとか、人の機嫌、顔色が気になりますというのは絶対に出てこなきゃいけないわけじゃないんですけど、
かなり近接な感じがするんですよね。近い感じがします。
で、HSPっていうのも私はもう今では長時間にやられてますって感じがするんですよね。
正しさが手放せず、正しいとされてることをしなければいけないような気がしますっていうように聞こえるんですよ。
で、これどうしても私のいろんなものを探っていった中ではですね、論理行動療法とか、それでもいけると思うんですけど、
まして行動科学とかあるいは知覚花瓶とかそっちからの説明だとどうしてもですね、
何と言えばいいのかわからないんだけど、私の中では片付ききらない。
つまりそういう話を聞いて、例えば承認欲求とかね、あるいは人の目が気になるとか、
いろんな説明、あるいは自分はHSPだとカミングアウトしちゃおうみたいな、
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そういうことをしたとしても、やっぱり上司ですごい厳しい人がやってきました。
すごい無神経に、無神経にと感じるんですけどね。
怒鳴られまくりました。1ヶ月寝つけませんっていう状態が、あんまり変化しなかったらダメなんですよ、結局それは。
と思うんですね、私は。結局ぐさりと、わからない、ちょっと忘れましたけど、そういうタイトルの本もありましたね。
ぐさりとくる、一言をはね返す、なんとかみたいなかなり売れた本。
僕はあれを読んだんですよ。読んでもはね返せなかったんですね。
それではやっぱり十分じゃないと思うんですよ。
で、私はそのグッドバイブスを聞いて、なんかですね、これはすごくフロイトがいっぱい出てくる感じがした。
で、1年ぐらいかかってフロイトを読み直すようにしていると、少なくとも自分はHSPではなくなったんですよ。
聞きにならなくなったって話ではないですよ。
この辺はですね、かわいいハヨさんが面白いことを言ってるんですよ。
非常に面白いエピソードがあって、あるセミナーでかわいいハヨさんがですね、先生のカウンセリングをずっと受けて、私はものすごく変わりました。
本当に変わりました。360度変わりましたって言ったんですって。
で、360度変わったということはつまり全く変わってないってことですよね。
だって360度自分がぐるっと回ったら、つまり元のところを戻っているわけですよね。
でも、それは要するにかわいいハヨさんらしい大変面白いエピソードなんですけれども、多分患者さん本当にそれを言ったんですよ、自分で。
私も奥の奥と言ってるつもりで、裏の裏とか言っちゃってる時ありますからね。
裏の裏は表ですよね。
つまり、勢いで出現してるとも言えるんですけれども、そういう言い間違いをすごいフロイトは大事にしますよね。
360度変わるということはですね、でも全く変化してないということともちょっと違うという感じがあるんですよ。
私もグッドバイブスで、どこが何がどう変わったと言われると、それに近いことしか言えないんですよ。
360度変わりましたと。
それはつまり何も変わってないってことなんですけれども、畳には多分精神分析でもよく言われるんですよ。
畳には何の変化も起きたようには見えないっていう。
しかもそれであれですからね、精神分析というのはひょっとすると週5日1万円ずつ払って1年間みたいな。
ほぼ間違いなく宗教でぼられてる感じ。詐欺にあってる感じですよね。
でも360度変わるわけですよ。
そうすると畳には完全に年間で2、300万払って360度変わってどうすんだって話なんですけど。
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それだけのことはあると。
精神分析をやる人は言うんですよね。
これに近い感じってあるんです。
正しさを手放すというのはですね、正しさを手放したからといって畳には何も変わりはしないですよね、はっきり言って。
正しさを手放したからといってですね、急に裸の大将みたいな行動を取るっていう人にはまずならない。
そういう心配っていらないんですよ。
で、私は正しさを手放すということに本当にそうしたいと思ったので、本当にそうするためにフロイトを読み直したわけです。
それはですね、直感のようなものなんですよね。
フロイトがエリプスと言ったときに言ってたことはきっとそういうことに違いないと思ったわけですよ。
仏教でも言いますよ、もちろん。
ただ仏教でもそもそもアジャセコンプレックスって出てくる、あれは完全にエリプスコンプレックスなんですよ。
全く同じような話なんでね。
多分全く同じ話ですね。
お父さんを殺す王子様が出てくると。
エリプスもそういう話ですよね。
その上お母さんとやっちゃう。
本能ってよく言うじゃないですか。
本能じゃないわけですよね。
多分動物というのは近親相関って全然普通にしてますよね。
そんなことに気づいてすらいない動物の方が多いと思います。
鳥とかですね、魚とか。
多分気づく余地はないと僕は思うんですよ。
人間だけは気づかないってことわけにはいかないですよね。
昨日も言った通り、アクセルを踏むためにはブレーキが必要なんですが、
そんなのは動物にとってはお構いなしだと思うんですよ。
例えば、これは性的な話になるとすぐタブーってことも出てくるんだけど、
実は食だって全然タブーがあると思うんですよ。
今のような時代には分かりにくいにしても、
例えばご馳走があってテーブルについていて、
私アメリカに行ってサンクスギビング、つまり感謝祭の時に七面鳥ご馳走になったんですけど、
できないことってあるじゃないですか、そこで。
例えば、どーんと真ん中にもらわれてるからって七面鳥一人で全部食べるとかってできないですよね。
動物だったらそれできないってことは別にないじゃないですか。
いっぱいだから食べるのやめるっていうのはあると思うんだけど、
そうではないのに食べないっていうのは何かあるわけですよね、そこには。
で、一方で全く食べないってことはできないんですよ。
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はっきり言って私七面鳥なんて食べたいと思わなかったんですよ。
しかもアメリカ人というのは面白いことに、あんまり料理が上手な人はめったにほんとにいなくて、
七面鳥を美味しくなく料理するとですね、大変、正直もうほんとに、
そこら辺のセブンイレブンで鳥買ってくる方が100倍ぐらい美味いくらい美味しさに問題があるわけですよ。
見た目すごい美味しそうなんですけどね、ソースとかあって。
でもソースも焼き方も焼き加減もどれをとっても料理としては微妙なものなんですよ。
しかし食べるわけですね。
この食べる食べないが本能とか食欲とかによって決定できないんですよ、人間は。
ある状況においてはですね、ある程度は食べなければならない。
よっぽど理由をつければいいけれども、よっぽどの理由はつけにくいですよね、そんな場にもう来ちゃってるのに。
で、食べるわけですよ。
しかも美味しいとかって言うわけじゃないですか。
これは全て長寿がのなせる技ですよね。
結局私たちはですね、したいことをしちゃいけない。
したくないこともしなくちゃいけない。
なぜならお父さんに虚勢されるのは怖いから。
なんであってもそういう力がすぐ働いてくるわけですよね。
自然に生きていくことができないわけです。
自然に生きていってはいけない気がする。
なぜかというと正しくないことをすると社会的な制裁が加えられるような気がするから。
で、私はアメリカのマナーにおいてどのような社会的圧力があり、どのような社会的制裁が加わるのかなんて知らないです。
七面鳥の感謝祭で七面鳥を食べないといけないのか、食べすぎるといけないのかわからないです。
日本的にそこにあります。
このようにでも備わっているものは批判はされないんですよね。
つまりこの辺をフロイトは言ったと思うんですよ。
私たちは欲求というものがあり、何の欲求であってもあって、私たちは長寿がてものが備わる、機能するようにできていて、
どういう時でも機能するようにはできていて、
ただそれがですね、一つの文化圏にいるとわかりやすい形を取るわけです。
エディプスが一番わかりやすい形を取ったというふうに、つまりこの形の原型だったというふうに、
私たち全てに備わっているものの活性化はこういう形を取るんだというような形とのすごく典型的なサンプルとしてエディプスを選んだんだと思うんですよ。
母さんが大好きになるけど、母さんと恋に落ちてはいけないような気がする。
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どう虚勢されるとか言われるわけじゃない。
それどころか母さんと甘えていちゃいけないと言われるわけじゃない。
言われたけどね。
そういう言い方するじゃないですか。いつまでもベタベタしていてはいけないとか。
これがエディプスなんですよ、きっと。
好きなように好きなものを食べていちゃいけないとか。
感謝祭に招かれたらアーメンって言わなきゃいけないとか。
私言いませんでしたけどさすがにそれは。
みんなアーメンって言うんでね、うってなるんですよ。
うってなるというかグッとくるんですよね。
私テラーの子供じゃなかったら言ったかな。
でもあれをですね、みんなみたいにちゃんとした英語で言えもしないのに、
アーメンだけ日本語っぽくカタカナで言うのも非常にはばかられるじゃないですか。
これも超自我ですね。
超自我って働いてるわけですよ。
自分の中でですね。
これが私たちのごくごく正常な人間が感じるところの苦しみとして、
たぶん一番一般的なものなんですよ。
苦しい。
ついですね、これはついつい昨日も言ったかと思うんですけど、
外の何かとごっちゃにするんですよ。
自分の中にあるんですよ。
これ私だけの事情ではないと思うんで言いますが、
例えばすごい可愛い女の子がすごく露出度高いと来るじゃないですか。
これは自分のものだって分かりますよね。すぐ分かる。
自分に性器がくっついてるから分かるのかもしらんけど分かります。
なぜかアーメンと言ってはいけないような気がするっていうのも
同じだと私は思うんですよ。
自分の中から来ている力だと思うんだけど、
それは外から働いている感じがして、
ここを切り分けるのが昨日も言った通り困難な気がするんです、私の感じでは。
すぐ騙されちゃう。
だからツイッターとかで批判されてもですね、
ツイッターで際どい絵を見ると来るじゃないですか。
それは際どい絵が私の刺激したから来たんだというふうに説明するよりはですね、
もう私の中のリビドウが働いたんだって感じがするんですよ。
絵とリビドウは反応はしてるけど別々のものだってすぐ分かるんですよ。
そんなの当たり前だと思うじゃないですか。
ではどうしてツイッターで例えば佐々木はアホだって書いてあったのに対して
うってなった時には自分の中でこの力は働いたんだと、
さっきのムラムラっと来たのと同じなんだってなぜ気づかないんだろうってことなんですよ、これ。
ツイッターで佐々木はアホだとこっちに反応しますよね。
これは他のいろんな際どい絵と同じで、自分の何かに何かが反応してるだけであって、
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そのツイッターのそれ自体はどうでもいいものだっていうこと。
ツイッターのそれ自体が直接私を攻撃している感じを持つっていうのは大きな誤解だっていうこと。
気づいていいはずなんですよ。
つまりお母さんと恋に落ちるっていうのはそういう一つの比喩じゃないですか。
お父さんが虚勢しに来るそういう一つの比喩じゃないですか。
セットなんですよ、これは。
だから何かに反応するという言い方を私たちはするけれども、
全部自分でやってることだってことなんですよ。
最初からエディフスは私たち全ての一人一人に多分備わっていて、
最初から私たちは一人一人リビドを持っていて、
最初から私たちは一人一人長時間になるような何かを備えていて、
リビドが発生してはそっちに行きたくない、
自分の長時間がそれにブレーキをかけては苦しむんですよ。
この苦しみは外にはないんですよね。
自分の中にしかないはずなんですよ。
このことがはっきりわかるとすっごい楽になるんですよ。
全部苦しみは自分が作り出しているんだから、
人がパワハラするとかセクハラするとか指導するとか出席するとか、
全然関係ないんですよ、実は。
この長時間の働きさえ認識してしまえばですね、
外の人がだってきわどい格好をしてようと何してようと関係ないじゃないですか。
あれ、ある程度自分でコントロールできるじゃないですか。
自分のコントロール下にあるものだということを認識さえすれば、
いきなりおいしそうなケーキがあったからって、
いきなりバッと取って食べる人っていないじゃないですか。
それは、つまり食欲というのは自分の中にあって、
ケーキがどういうものであろうと、どんなにいい香りをさせてようと、
それが直接私をコントロールすることができないということは知ってるってことですよね。
知ってるわけですよ、そんなことは。
なのにどうしてこの失績と自分が自分に与えている恐怖感は
切り離しがたいと思っているのかと。
で、実は切り離しがたくはないんですよ。
切り離しがたくはないんですよ。
私はこの言葉なんか前日感じたことなんですよね。
フロイトのそのところをちょうど読んでいて、ちょうど感じたところなんですよ。
長寿画というものも要するに自分のオーガナイズでしかないんだということなんですよ。
このオーガナイズがあるから多分ですね、
社会は心を一つにしようという運動が起きるんですね。
このオーガナイズがですね、
すべての長寿画は正しいものを正しいと思うという考え方が
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これが多分全体主義的なものだし、宗教的なものだし、
小さなところでよく昔の学校の先生が教室の中で一生懸命喋ってた
あれなんだなということが感じられるんですよ。
面白いんですけれども、すべてのリビドを統一しましょうとはなーず言わないですよね。
これをみんなおいしいと思えよって、あんまりそういうことを人は強調しない。
やっぱりすべての長寿画を一つにすることを心を一つにするって言いますよね。
これに違反するとよく怒られるんですよ。
そしてとても不思議な感じがする。
私が今思い出せるのは3例ぐらいなんですけど、
1例はですね、ある人が私に相談というかそういう話をしてくれたんですけれども、
中学時代かな、兄ちゃんが殴ってくると。
なんで殴るのかというと、自分がくつろいでいると殴ってくると。
俺がこんなに大変なのになぜお前はそんな風に寝そべっているんだと。
これに近いことを言う人っているじゃないですか。
リビドが働くとき、私たちの中では長寿画が反応するんですよ。
ピクッてなるんだと思うんですよ。
くつろぐっていうのはまさにリビド的ですよね。
自然な振る舞いなんですよ、リビドっていうのは。
欲求ですから、ベースが。
くつろぐと。
社会的な理由があって、美女を全部自分のものにしようとしちゃいけないとか、
ご馳走を全部自分のものにしようとしちゃいけないとか、
お金を全部自分のものにしようとしちゃいけないとか、
全部同じですね。
これをすると集団が困るから、
多分人間の場合は本能ではそういうものが停止しないので、
どこまでも行っちゃうので、
分かんないですけどね、どこまでも行くかどうかなって分かんないですけど、
どこまでも行きそうになるので、
すべての人が長寿画を備えると。
アクセルがグーッと行くとブレーキが働くようにできていて、
しかもブレーキが働いたときは正義っていう信号が灯るんですよ、きっと。
だらーんとくつろいでいるということ、
だらだらするとか、自堕落な時間の使い方をするとか、
ライフハックの人はみんなそういうのをすぐ言うじゃないです。
自然がいけないわけですよ。
自然は悪だって言ったのは誰だったっけ。
いましたよね、ヨーロッパに。自然は悪なわけですよ。
で、だらーっとしているとブレーキがかかると。
多分ある人がずっと怠けていると、
集団が危機に陥るような時代が長かったんでしょうね。
で、ブレーキがかかり、怠けているだらだらした気持ちというものは
パージしなきゃいけない、バッシングしなきゃいけないと。
これは本来自分の中だけで働いていればいいんでしょうけど、
すぐここでだらーっとしたいのは自分だが、
ピシッとしていたいのは社会から来る正しい要請だって感じるんですよね。
自分が発生させていることなのに、
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多分正しい要請だっていうのがすぐ入るんですよね。
そうするとだらーっとしている人を殴りつけたくなるわけですよね。
なぜあいつはこの正義感が足りないんだということになるわけですよね。
私これに近い話はですね、
高校時代文化祭で元気に殴ったシーンを見ています。
それは文化祭の実行委員長みたいな人が
すぐ1年下の結構、
高まての兄ちゃんいきなり殴ったんで結構僕はびっくりしたんですよ。
それもだらーっとしてたんですよ、要するに。
みんなこんなに一生懸命やってるのになんだみたいな。
男子校だったんでね。
実にめんどくさい光景だとも思いましたけれども、
あの時の時にいつも私は考え、
なんかね、やっぱり記憶に残るんですよね。
この自分の長自我が過剰にアクティベートしているとき、
それを使って他人の行動に叱責を加えるっていうのは、
すごい何か不思議なものを感じるんですよ。
別にだってその人がだらーっとしてたからって、
他の人誰も困ってなかったんで。
で、これさっきの妹さんをいきなり殴るお兄ちゃんと
そっくりだと私は思うんですよね。
だから今感じて喋ってるんですけれども、
もう一つ思い出したのが、小学校時代なんですけれども、
なんかね、これ飲んでいきなさいとか言って
すごい暑い、遠足とか昔なんかやだらと暑い中、
やだらと歩かせてたじゃないですか。
しかもなんか水筒の水飲むの禁止とか不可解な発令がされるんですよね。
あれもリビドーと長自我で説明完全につくと思う。
だからあれエリプスなんですよ。
そういう感じはしませんけれども、
多分そうなんですよね、でもやっぱりね。
で、やっぱりこう水、みんな飲みたいわけですよね。
自然の欲求としてリビドーが動くわけですよ。
この場合の対象愛は水ですよね。
で、その時に横にたまたま通りがかっていた、
その家の民家みたいなものの横を歩いていくから、
民家の人がこの飲んでいきなさいとか言っていたんだけど、
私はふっとなんかこう感じたんですよね。
なんかこれを飲むと怒られるんじゃないかみたいな。
それ以前ですよね、ふっとこう恐怖感が。
私長自我にやっぱり敏感なんだと思うんですよね。
これがHSPってことの発端だと僕は思うんですよ。
ふっとこう、なんかこう暗い不吉なものを感じたから
飲むのをやめたんですよ。
そしたら案の定飲んでいた子がみんなビンタされてたんですよ。
これがつまり長自我ってやつなんですよ。
みんな喉が渇いているのに
お前たちは自分だけ良ければいいのかみたいな話になるわけですよね。
リミドー点が満たされることは良くないことだっていう
しつけというんですかね。
そういう正義感みたいなものってところどころで働きますよね。
あの都度なんかかなり理不尽な感じがするんで、
30:02
ただこれが理不尽な感じがするのは
現代がかなり物質的に恵まれているっていうことでもあると思うんですね。
やっぱり、ほらあったじゃないですか、あったじゃないですかって
薩摩藩が治水工事とか命令されるんですよね、幕府にね。
それでめちゃくちゃ貧乏になったとき
サトウキビを取った子どもは張り付けにされるみたいな
そういう話がありましたよね。
だからこれは理不尽な感じはあるんだけれども
必ずしも全く理不尽なわけではないんですよね。
リソースが限られているっていう実態があるので
多分人間の長寿がというのはそういう意味で
動物のようにはならないわけですよ。
社会全体でリソースを管理するって考え方が
多分長寿がと正義ってものの関係に結びついてると思うんですよね。
それが一番最初に現れるのが四歳児の性欲だっていうのが
多分フロイトの指摘したところで
私はこれは相当すごい発見な感じがするわけです。
だからリビドあるところには長寿がありなんですよ、きっと。
その長寿がが自分から出てるとは思わないんですよね。
社会が言ってることだと。
これ海外生活をすると少しわかってくるんですよ。
そうじゃないんじゃないかと。
なぜならば日本にいるとどういう長寿がの
どういう正義が正しいのかの信号が
みんなだいたいわかってるからあれですけど
海外行くとその信号が全然違ってるので
要するに所変われば正義はめちゃくちゃ変わるわけですよね。
でも時代背景とか住む国々によって
近親相関はどこまで許されるか議論って絶えないじゃないですか。
後妻いとことまたいとこみたいな話ですけど
ここまではいい、ここからはダメみたいなのが違うんですよ。
微妙に今の時代であっても。
それこそ人口中絶的な問題ってなってくると思う。
地域によって全然違いますよね。
そういうことってあるので
つまり長寿がはあるわけですよ。
正義っていう感じ
つまりリビドウ行き過ぎちゃダメだっていう感じっていうのは
みんな持ってるんだけど
それがどんな姿をとってきて
どんな禁止命令を出してくるのか
それを受け入れるのかは全然違うんで
ただその時に私たちは
自分の長寿がだと思わないんですよね。
外から来ていると思っちゃう。
それが多分一番自覚症状が薄くなると
ウィンタになるわけですけども
この長寿がを守らない者は死罪みたいな
そういうふうになっていくわけですけども
それは自分初だということの自覚が
多分全然ないときに起こることなんだと思いますね。
33:03
で、ここまで来ればですね
つまりその自覚まで入ると
例えばですけども
ツイッターとかで少なくとも読む文には
全く来なくなる。全く来なくなるな。
つまりそれでキューってなるとするじゃないですか。
それはあっきり言えば
勃起してるのと同じですからね。
つまり外と関係ないわけですよ。
だって外のを見てずーっと勃起してる人いないじゃないですか。
どっかで下がるわけでしょ。
それは自分である程度できますよね。
同じように自分である程度できなきゃおかしいわけですよ。
自分の中の心の中で起きていることなんで。禁止命令を。
しかもその禁止命令に自分が苦しむということは
必ず自分のどこかに関係するリミドがあるはずなんですよ。
もっと調子に乗っていたいとか。そういうやつですね。
で、その自分のリミドが
その自分のリミドがですね。
なんでもいいんですよ。ムラムラっと来るでも
食べたくなるでもなんでもいいんですけど
そうなったらまずいのかっていうと
外して全然まずくないわけですよね。
私のこのGood Morning Vibesだってそうです。
今はありがたいことに100いくつ、150ぐらいですけれども
これが1万5千とかになればですね。
絶対にあのインチキな精神分析と
なんかGood Vibesとかいうのは何なんだっていうの
飛ぶじゃないですか。
これを怖がるということはですね。
えーと、水着姿のお姉ちゃんを見ると
もうずーっと一生ボキしてなきゃならないですっていう恐怖と
変わらないと思うんですよ。明らかに。
だってその抜粋そのもの
私が精神分析の話をしていて
それがインチキだと言って家に火つけてくる人はいないんですよ。
で、そう考えるとですね。
そのツイッターの中で何かが起こっているというようなこと
それとそのことが私の心をダイレクトに苦しめるという風に
結びつけることと全然全く違うことですよね。
全然全く違うことです。
サトウキビとって逆さ張り付けにされるという時代ではないわけなので
基本的にはあれですよ、食べ過ぎて問題になるのは
パンシロン飲まなきゃなんなくなるかどうかの問題だけなんですよ。
でもですね、これを食べ過ぎて例えば人前でゲーするとか
かなりまずいじゃないですか。何でまずいのか。
カエルだったらそうは絶対考えないですよね。
あーゲーしてしまったら
えーと、殿様ガエルに怒られるとか
そんなことは絶対考えませんよね。
これを考えるのは自分のお腹の心配をしているんじゃないですよね。
社会的な不体裁の方を心配している。
つまり人道があるところには決まった長時間があって
その長時間が自分を苦しめることを恐れているんですよ。
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自分が自分を苦しめることを恐れているんですよ。
これは恐れなくてもいい話じゃないですか。
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