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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
現在ですね、書き上げ塾というもの、倉園圭道さんと一緒にやっている文章講座なんですが、
リアルで基本やる、ただしオンラインでもご参加いただけます。
こういうご時世ということもありますので、あと遠い方はですね、オンラインじゃないと参加しようがないということもあると思うので、
オンラインでもご参加いただけます。
第3期になっていて、私、いろいろなことをこれをやっていても思うんですが、
今後ですね、60ページ一層当量の文章をきっと電子書籍で出すと、それを読むという需要と供給がきっとあると思うんですね。
今まで商業で本を出すとなるとやっぱり200ページ相当になっちゃうんですよ。
200ページ相当に必ずフィットする情報内容というのは、必ずしもそういうもんじゃないんですよね。
それよりはるかに薄い本って現実に結構ありますね。絵本とかもそうです。絵本も最近出てきてるんですけど。
一方で、ブログで電子書籍60ページ相当の文章を書きました。
普通は読まれないですよね、これは。絶対それを読みたいという人は少ないと思うんですよ。
実質そうですね、3万字前後になっちゃいますもんね。
ブログに適切な文章量というのは、私は1000字から2000字の間だと思ってます。
1万字突破するというのは文章相当上手くてもちょっと付き合い切れないなというのが出ちゃうと思うんですね。
だから3万字というのはダメだと思うんですよ。
3万字でもなければ伝えられない内容というのもあって、
だからといって3万字を2回書いて6万字にして、ちょっと紙面を厚くすれば160ページにはいくのかな。
160ページにしなければならないかというとそうではないということも結構ありますので、
その辺のものを今後重要と供給が出てくることは間違いないので、
その辺のものを出していけるようになるという意味で書き上げ塾っていいと思いますので、
あと1石くらいなんですけど、3期はですね。
まだ始まってませんからよろしければご検討ください。
で、正月と昨日と。
昨日は相当珍しくこれにしては苦労して発信しましたが、
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いろんな話をした感じがします。
でもですね、私が喋りたいことは実は一つだけでして、
問題は今私の中で問題となっているのは分裂ということなんですよ。
自分の分裂です。
でもですね、私たちは原則として世界をイリュージョンで見てますので、
私が分裂していれば世界は何らかの形で分裂しているんです。
これが納得いきにくいということであれば、皆さんは夢を見てるんですよ。
夢を寝てる時ですよ。起きてる時ではなく。
夢を叶えるとかでもなく、夢を見るわけですよ。
今夜も見たはずなんです。
見ていないという人はですね、精神障害の恐れがあるんで、
しかしそれは大体そうじゃなくて、ただ忘れているだけで夢を見てるんですね。
夢を見てる時って他の人が登場するじゃないですか。
娘の夢には私が登場したりしますよね。
これはもう分裂です。間違いなく。
だってそこに私は登場していない。
娘が勝手に私を登場させているわけですが、
それは娘の脳がですよね。
脳が私を知覚している時と同じような状態に入っていて、
ということはつまり私を見ている時と全く同じような気持ちでいるわけですよね。
本人ではない。それは他人だと思っているわけです。
自分の脳が作り出しているものなのに、そこに他人がいると思っている。
これはもう分裂なんですよ。
そう考えると私たちはみんな分裂しているはずなんですね。かなりの程度。
この度合いがひどくなってくることが、
もう行き過ぎてしまえばこれを統合死長症というわけですけれども、
そこまでは大抵の人はいかない。
便利にむしろ分裂を使って生きております。
生きているんですけれども、
そうにもかかわらず実際にはこれが非常にいろんな問題を引き起こすわけですね。
私がこの分裂の話をずっとしてきているのは、
私の中では一つ意識というものを実現するにあたっては、
要は自分の意識を一つにまずしてしまう。
本当はグッドバイブスはこういう話じゃないんですけれども、
私の中ではまず自分の意識を一つにしてしまう。
つまり分裂をしない。
これはあくまでも理想の目標というやつであって、
現実にはそういうことはできないです。
夢を見ますしね。
多分現実に自分の精神が分裂の状態を一切含まない状態ってなったら、
それはもう悟りっていうのと多分ほぼ等しいですね。
なのでそうはいかないので、
私は分裂はしてしまっているんだけど、
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ここを一つにしよう一つにしようとしているわけですよ、今は。
これは多分一つ意識というものの目指している方向と同じになるだろうなというふうに思っているわけです。
だから分裂をすごく問題にしているんですね。
自分から分裂の方向に向かっちゃいけないというのは、
もう前提と言っていい条件。
今朝ですね、散歩をしていたんですけど、暗いわけですよね。
真っ暗なんですよ、今日みたいな日は。
薄曇りがあって朝6時というと今の時期真っ暗なんですね。
夜とほぼ変わらないですね。
で、なんとなくあるところに入っていくとですね、
不気味な感じがするんですよ。
これが分裂なんですよ。
いやそれは分裂じゃなくて霊が出ているんだという人もいると思います。
それはそういうご意見なんですが、
私はその種のものはちょっと苦毒なってきておりますけれども、
寺住まいでしたから、寺生まれでしたから、信じられない。
私は墓の横で寝ているということもあったんで、
なんも出やしないし、まず出ると少しでも思っていない。
そんなところで寝てられないです。
出ると少しも思えないわけですよ。
でもですね、ちょっとここの道に行くと出そうな気がするみたいな気に襲われるんですよ。
僕は自分だとむしろ不思議なんですよね。
信じてないから全く。
出るはずはないと、頭では分かっているレベルじゃないですよ。
出るとは全く思えないんですね。
どこから考えても。
そうするとこの出る感じというのを自分が抱くのはどうしてなんだろうと。
フィルジョンなんですけど、これが精神分裂の一つの形だなって思うんですね。
恐怖というものともちろん関係はあります。
でもですね、それよりも、
例えば太陽が昇っていたら全然そこに何も感じないわけじゃないですか。
これどういうことなんだろうと。
明るいと何がどう違うんだろうと。
一つは投影ですよね。
夜の雰囲気。
ドラマとか映画とかそういうホラー映画とか何度か見てるから、
その記憶を投影していて、
こういうところから何か出てくるシーンというのを何度か見て、
少し脳が怯えているということがあると思います。
もう一つは、
暗い方が投影ってしやすいです。
物がよく見えないので、物の輪郭もはっきりしませんから、
そこに何かしらを脳が勝手に見ちゃうと。
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やっぱり目をつぶっている方が空想しやすい。
これはですね、アメリカのハーバード大学のコスリンという教授が
細かく詳細に証明してくれているんですけど、
そういうことはあります。
実際に見えているものが何もない方が勝手な像を脳は描きやすいということですよね。
邪魔になるものがないから。
静かなところにいる方が妙な音が聞こえてくるというやつですね。
暗いから投影しやすいということ。
もう一つ、そのような風景にかつて投影させられたことがあるから投影しやすいということ。
いずれも分裂ですね。
自分の精神がやろうとしてもいない上に、
信じてもいないものをそこに見出すわけですから、
勝手に動き出す上に、
おそらくやや私に対して敵対的に働くわけですから、
もう完全に分裂ですよね。
そのようなものを見ることのメリットがない。
もう一つはですね、寝起きだからだと思います。
やっぱり寝起きってボケっとしてるんで、半分頭寝てるんですよね。
寝てる時というのは夢を見やすいようにですね。
投影もしやすいわけで。
たぶんこの寝起きだから、暗いから、
もう一つそういう雰囲気だからということで、
投影しやすい状態ができている。
つまり分裂もしやすい状態になっている。
精神が分裂する方向に向かっている。
ここでですね、私は立ち止まって必ず
一つ意識やるんですよ。
これが全部一つだと。
つまり自分の意識の中の出来事だから、
全て自分の意識、何て言えばいいんだろう。
自分の意識なんだから一つですよね。
自分の脳が一つであるように。
扁桃体とか、会話とか、小脳とか、
名付けられている部分はありますが、
一つに繋がっていることは確かなので、
しかも有機的に機能していることも事実なので、
一つですね。
これが本当に一つとして働くならば、
その種の投影は消え失せるはずですね。
だって何かを見ているわけじゃないんだから。
そこに本当に幽霊とかを見ているんだったら話は別ですよ。
それは知覚ですから。
何か外在するものがあるわけじゃないですか。
でも私はないと思っているわけだし、
おそらく現にないわけですから、
そこには何もない。
外にあるものを見て、それが自分でないと思うのは、
これは分裂じゃないわけですよ。
例えば太陽を見て、太陽は私じゃないと思うのは、
これを分裂とは言わないんですね。
太陽の像は別です。
太陽の像は私の脳内にあるものなので、
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太陽がさらにその像の向こう側にあると思うのは、
これは分裂じゃないです。
知覚なので。
グッドワイブスでいうところの一つ意識というのは、
もう少し世界全体を包括するようなものかもしれないんだけど、
私は少なくともまず、
イリュージョンまでは間違いなく自分だというふうに
捉えるところまで行きたいわけですね。
それは可能なはずだと思うんですよ。
それを見ていても、これは夢だと気づくこともありますし、
そうすると目が覚めてしまうことがほとんどですけれども、
でもとにかくありますからね。
例えばグッドワイブスを実践中であっても、
外在するものが自分の外に間違いなくあると、
確実に思わないといけないシーンというのもいくつかあるわけです。
確実に思わないといけないシーンというのもいくつかあるわけです。
これをグッドワイブス的にどういうかということとはまた別にですね、
例えば車の運転中、
1つだから大丈夫というふうに運転するのは危ないじゃないですか。
やっぱり、
少なくとも車の運転中は、
私、車、外にいる人たちというのは
全部はっきりと認識として
瞬別しておかないといけない。
もちろん、現在運転しているのは夢ではないだろうか
とか思うのもダメですよね。
夢の中で運転していることは現にあるので、
その辺も意外と微妙な問題を含むようなと思うんですけれども、
夢の中であろうと、
目が覚めていようと、
現在は夢ではないと思い込んでいたほうがいいシーンもあるわけです。
現在は夢ではないと思い込んでいたほうがいいシーンもあるわけです。
で、
そういうふうに一応私は考えてですね、
暗闇の中でお化けが出そうだと、
私が思うような、
後ろを振り返ると怖そうなんじゃないかと
私が思うようなところで、
一つ意識をやるわけですね。
そうすると全部消えるんですよ。
それも時間かかんないですね。
これは人にもよるかもしれませんけど、
私だったら数秒で全部消えるんですよ。
なんて言えばいいんですかね、
肝試しとかでゾクゾクするようなやつもあったとしても、
その場合でも弱くあるんだ、全部消えるんですね。
すっと消えるんですよ。
統一されて消えていく感じの中で消えていくんですね。
これはオカルトとかスピリチュアルとかとは何の関係もないです。
これはオカルトとかスピリチュアルとかとは何の関係もないです。
消えるのはつまり、
今私は明るい部屋で洗面所の前で収録してますけど、
今私は明るい部屋で洗面所の前で収録してますけど、
一切そういう感じがしない。
その状態にただ暗闇の中で入っていくというだけですよ。
その状態にただ暗闇の中で入っていくというだけですよ。
だから消えるに決まってるんですね。
でもこっちの方が一つだなというのは分かるんですよ。
さっきは分裂してたなというのは、
変化を感じ取れば数秒の中で切り替わると、
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変化を感じ取れば数秒の中で切り替わると、
切り替わるというのとはちょっと違うけど、
移行するんですよね。
動法失調と同行していた状態から一つになった状態に移行してみると、
動法失調と同行していた状態から一つになった状態に移行してみると、
こっちの方が正常だ、こっちの方が脳が機能してるというのが分かるんですよ。
こっちの方が正常だ、こっちの方が脳が機能してるというのが分かるんですよ。
これの先に一つ意識があるという風に思っています。
これの先に一つ意識があるという風に思っています。
が 逆に言うと、あれの先に同行失調っぽい体験がある。
病気の人、辛いなってやっぱり思います。
思います あのなんかねやっぱり分裂をしている時はただただいろんなものが分裂してしまっている
点ではないですねそこに何とも言えない不気味なものを感じるんです たぶん
恐怖感が精神を分裂させるせいで分裂そのものが恐怖を含んでいるというよりも あのでもここまで行くとちょっとわかんないですねどっちがどっちだかはでも非常に
よく言いますよね東郷市長賞の人が不気味なものを感じるっていう言い方を 私も何度かその東郷市長賞の人に聞いてます
あの特にやっぱりですね不気味なものを感じさせ得るようなものから感じるんですよ なんていうんですかね
見張っている感じがするものつまり目を連想させるようなもの信号機とか あと8ですね
あの 機械に過ぎないんだけれども一定のなんかシステムと機能を備えているようなものですね
信号機ってそうなんですよねまああれ単純なものだけどでもやっぱりこう あのなんていうんだろう
ただただ機械的に動いているというよりは何か思考でもしているような雰囲気が少しある じゃないですかやや間を置くし8
そのパッと一時黄色になって青になるみたいなそこに何かあるんだと思うんですよ 感じさせるものがですね
atm はすごく有名ですねまあ atm を単純な機械だと思うんですけどもでもあれは お金を吐き出すという意味においてもすごくこうなんていうんですかね社会機能として
高いものを持ってるので持ってないですけど持ってる感じがしちゃうので あの不気味なものを感じるつまり意思を感じるわけですよね
この意思を感じるということ一つとっても非常に分裂的っていうのがわかる気がするんですよ 信号が意思を持っているはずはないので
あの私は信号に意思を感じたことは1回もないので もちろん作っている人ほどないと思うんですけど
あの あったら困りますからね
あの今日は少し赤を長めにしようとかやられると非常に困るじゃないですか だから意思はないわけなんだけれども
そこに感じるというのは 結局その脅かされていると思うからですよね
虫怖がる人はみんな同じようなこと言います虫の意思を感じるんですよね でも虫はアホなので意思とか実は全然全くないんですけれども
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あの誰だったっけな鈴木さんっていう人心理学の学者さんが書いてましたね 想像したくはないけれどもゴキブリとボクシングをやったら絶対に勝てないと
えっとゴキブリというのはなんか知らないんですけどあの風を微分してえっと 絶対にこう手が少しでも動いたらそのパンチは当たらないように避けられるんだそうです
あの 嫌いな人は申し訳ないんですけどそういうことができるようなんです
でもそれは賢いからとかでは全くないですよね 頭で避けているわけじゃないからむしろそんなことができるわけです
でこれって結局そういうところに意思を見ちゃうんだけれども ただの反射なんですねそれは私たちが瞬きを意思でやるわけじゃないのと同じで
要は瞬きと同じことをやってるだけの話で ただそこに恐怖感を感じる人は意思と悪意を持つを感じるわけですよ
襲いかかってくるぞみたいな 襲いかかっては来ないわけですね
向こうからすると人間に勝ち目は全くないので 襲いかかってくるメリットはないですね
信仰とかも同じなんですけどだんだんその 分裂が酷くなってくると意思的なものを見た時には
はなはなこうみんな恐れるわけです あの
もともとそういうものでは全くないにもかかわらず 夜道のお地蔵さんの前を歩くのは嫌だっていう人は私友達にも結構いました
もう明白なイリュージョンですし そもそもお地蔵さんっていうのはうちの前にもあるんですけれども
ちょっとした交差点においじゃないですか あそこで子供が何かに跳ねられて亡くなったんですよね
それを痛んでるわけで 痛んでるということはつまり何て言うんだろうな
かわいそうだっていうことじゃないですか かわいそうだっていうのは死んだ人のためというよりは
私生きてる人の気持ちのためですよね この辺の宗教ってすごく私は
逆に捉えられていてそれは良いことでもあるかもしれないけど大変不思議だと 子供の頃からやっぱり思っていました
寺に来てたたられるということを恐れる人は大人にもザラにいるんですけれども
あれはみんな生きてる人のためのものであってですね あのある意味死んだ人のためのこととは到底言えないと思うんですよ
だってですね嫌じゃないですか自分が死んでその辺に放置されてますみたいな ふうに思いたくないじゃないですか
だからあえてこう ものすごく低調に扱うと
しかも実は何の関係もない人も一緒になってお悔やみ申し上げますお悔やみ申し上げます
富士山も山のように聞く言葉なんですよ悔やみ申し上げますと みんな
お悔やみ申し上げるわけですけれども人のに向かって つまり本当は悔やむ義理はないけど私も悔やみますっていう表明をしてあげることによって
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あの
失っちゃった人がつまりまあ物作業なんですけど物作業が
滞りなく進むようにするっていうあれは儀式ですよね でプラス自分が死んだ時にもちゃんと低調に扱ってもらえるということをやってみんなで
認識するわけですよね そのためのあの
なんていうんですかね早知と儀式は山ほどあります でも全部それは生きている人のための行為であって
亡くなった人のための行為ではなくはないけれど まあ亡くなった人のための行為とは言いがたいですね
もし亡くなった人のための行為であるならばこれはしなくていいだろうっていうのが いっぱいありますからでも生きている人のためであると思えばですね
まあまあこれも全部しといたらいいのかなっていう風になっているわけですよ あれはまあ私はただ横で傍観していただけで実際の当事者父なんで
まあ 何とも言えない部分もありますが
だからつまりああいうのを見て横でたたられることを恐れるっていうのはすごく 何かが逆転している感じがするんですよね
そういう意味では全くないだろうと 死んだ人のためのものではもともとないから死んだ人がその
お地蔵さんが恨んで何かとっついてくるとかそういう理屈にならないわけですよあれ そんなことだったら像を作んなきゃいいわけですから
なぜ作るのかというとかわいそうだというふうに我々が思うからですよね ちょうどあるんですよ
あのやっぱり交差点っぽいところですね あれを見た時も私はそれにたたられるとか思わないんですけど
一つ意識っていうのはつまり一応こういうふうにいろんなシステムの中に組み込まれても いるんだなという感じはします
あの 私たちは分裂
するわけですよ 昨日ツイッターでいただいたんですけれども
えっと多分あれは正月特番のそうそう ええ
プラザの計図さんと youtube で
グッドワイプスのぶっちゃけ相談というのをやっておるんですけれども これの正月特番を
現在配信中です その中でですね怒った方がいいんじゃないかみたいな話がつまり異論としてあった
反論でもいいんですけどね グッドワイプスは怒らないというふうに言ってますからで怒らないというのは
私のここのところ使っている文脈で言うとひどい分裂に自分が入っていくのを自分に許容しないということなので
怒るというのは 分裂なんですよあからさまに
なぜかというとまず怒っているのは多分間違いなく相手にではなく自分の中の対象 だから対象というのはこういう使い方をずっとこのところしてますけど
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要するに自分の中の相手のイメージに対して怒っているわけですね あるいは記憶とかよく言いますよね
えっと私ばっかり 家事をやらされて不公平だとここには記憶がなければ絶対にこのセリフは出てこないという
部分が入っていて過去の相手に対しても相当程度怒っているわけです で過去の自分の記憶というのは自分の記憶なので
えっと 相手の人に対して怒っているというよりは
自分が見ている相手のイメージに対して怒っている部分がものすごく大きいですね でこれは分裂です自分が自分に怒っている部分が絶対にあるので自分の脳が自分の脳に対して
攻撃を仕掛けている部分が非常に大きくあるのでかなり分裂 私は分裂した方がいい
メリットは全く 認められないんですよ
人は分裂するほど病気に近づくし非常に自分が分裂することを恐れています あの私ですね最近
他の方への コメントとして出したんだけど自分で考えたんですね
私は妻に怒られるもの何が怖いんだろうと 何も怖くないんじゃないんだろうかと
殴り合いすればしないけど負けるとは思えないし
困ることは本当は何もないような気がしたんですね本当に何があるんだろうって 一生懸命考えて結論として何もないんだけど一つあるんですよ
自分が この番組中で言う妄想ポジションに入りたくないんですね
自分が対抗したくない対抗というか対映というか幼児帰りというか赤ちゃん帰りというか 結局怒る時に
これは倉座野さんの言葉にあるんですけど自分が間違いなく正しいという確信を 怒る時は持つ持とうとするんですけれども持ちきれないんですよね
100%自分が正しくて相手が0%向こうに正当性はないというふうに論理的に実証するのは ほぼ不可能なんで怒る時は栄夜で怒るんですよ
栄夜で怒るということはですね 一旦赤ちゃん帰りしないと無理なんですよね
赤ちゃんまで行かなくても相当程度子供に戻らないと無理なんです これをやりたくないんですなぜかというと
赤ちゃんに戻るということは発狂するのと同じことなので そうだと思うんですよね
ここのところ番組でもずっと言ってますけれども 死中の成人が赤ちゃんに帰りました
言葉喋れなくなった 人の名前と顔も見分けられなくなった
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トイレもどこでしていいかわからず 箸の持ち方もわからず言葉も忘れる
多分精神障害とこれはみなされると思うんですね つまり私たちはそれを恐れていると思うんですよ
そうなっては極めてまずいと思っていると思うんです どうなるかそれじゃわかったもんじゃないから
で怒るということはそっちに近づくということなので
これを自分は恐れているんだと 要するに怒られて自分が分裂して赤ちゃんのようになってしまうということ
そっちに接近するのが嫌なんだということを 私は自覚したんですね
で一層怒るということを選択できなくなっていくんですよ もうこれでなお怒るっていうのは本当によっぽどで
怒った方がいいなどというシーンは一つも思いつかないです 想像もできないただただただ怒ってしまうことはあるのかもしれない
でもそれはもう発狂するに近いなっていう感じです つまり分裂がそうまで進行してしまったら自分の手にもう追えない状態
ここまで来てしまったらもう分裂させられてしまいました だから怒っちゃいました
後の責任は一切取れませんこういうことですよね もともと怒るということをすると後の責任は取りにくくなるんですよ
誰に対しても同じです仕事長間に対してもですね 誰かに対して怒りをぶちまけるということをするとその人との仕事の関係を維持するのは
起こる前より明らかに困難になるじゃないですか 関係の維持というものを最終的には必ず維持するぞと思っているならば
私は怒れないんですよね最初から これを最初私は昔は大変コンプレックスに思ってたんですけど
今はまあ自然の成り行きだろうなと思います
後で修復することを思えばつまりあれですよね もし茶具台をひっくり返して後で片付けるのも自分だということを確信していれば
多分ひっくり返さないと思うんですよ 少々搾取されているとか自分にとって損をこむっているとかは関係ないと思うんです
相手が片付けてくれると思ってるからひっくり返せるんであって 自分が片付けなきゃならないということが絶対であれば
私はこれはひっくり返せないと思うんですね つまり後の責任を取るつもりがあったら怒れないと思うんですよ
後の責任を取るつもりがあるというのは要するにしばらくこうやって生きていくつもりでいるっていう話と変わらないと思うんですね
よく汚い話が多く出て恐縮だと思うんですけど トイレでうんこしちゃったりできないじゃないですか
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この年になったら 後の責任っていうことがありますよね
赤ちゃんはできますよ平気で
後の責任を赤ちゃんに負わせようという人は普通はいないですからね こういうことなんだと思うんですよね
だから私は分裂ということと一つ意識ということであれば 自分の意識の話ですよ
一つの方を取りたい なるべくですね
そういうふうに考えてみるとやっぱりこう 怒るということは選択すごくしにくい
怒った方がいい場面というのは多分ないと思うんですね
あの搾取程度じゃ怒れないということですねこれは別の言い方をするならば それで搾取で怒るということは
怒れば搾取をやめて相手が反省でもして しかも関係は維持するということを期待するか
その関係はない方がありとあらゆる意味で自分にとっていいと判断できるか 私はどっちもとても無理だという気がします
そうじゃなくて対外怒る時というのは赤ちゃんが入りして後はどうなるかはもう考える能力を 失った自分にしてから怒る
俗に言うキレるってやつですよね あれをやってしまうとですね本当にそのまま永遠に赤ちゃんでい続けるつもりでいるなら
はいいかもしれないけど良くないと思いますがいいかもしれないけど まあ無理ですよね
絶対後ほど
そうするとその時のさっきのお悔やみ申し上げますじゃないですけど 悔やみが出ちゃうと思うんですよね
その一連の流れを考えるとこれは大変辛いと思うんです その後しかも関係の修復も恐らく図るわけですよね
とてもやってられない気がします
ので どちらかというとですねその時々でその時々でですねやっぱりこう
なるべく分裂をしないつまり 過去の相手を見ないということです過去の相手っての目の前には絶対いないので自分の
脳内にしかいないので過去の相手を見るということは自分の脳内を参照するということ になります
しかもそれに対して攻撃を加えるということは自分の脳内に攻撃を加えるということ になるわけじゃないですか
これをやっているうちに関係をご破産にして全部 ひっくり返して後で自分でそれを掃除する
ダメだと思うんですよねこれは全体の流れを考えるとすごいダメだと思うんですよ まあまあそういうことになっちゃうこともあるかもしれないとは思います
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事態があまりに酷い進行の仕方をすればですね 結局こらえきれなくなってつまりこれはこらえきれなくなって発生する事案であって
こらえきれている間は何かしらの方法でこらえきってですね 自分方向性を
模索した方がきっといいと思うんですね
唯一考えられる別の観点からすると起こった方がいいのもう一つの話はさっきの 搾取されました
それを起こるということによって相手の反省を促して 運というのは自分では修復しないと言っているわけですよ
これもですねえっとなんか これは別にそれそのこと自体を攻めたいとか
指摘したいというのではないんですけどこれはですね
人に 後始末をつけてもらっている感じがするのでこれはグッドバイブス的ではないですが
ちょっと恥ずかしいなと思うんですね チャブ台ひっくり返しておいてお父さん
片付けておけてあれ格好悪くないですかね あれは
お父さんが言うと何か無理やり格好がつくような形式を取ることもできるんですが あれをもし
4歳児がやって とても優しいお母さんがはいはいと言って片付けてくれるとしたらですね
これはかなり まあお母さんが立派だなと思う以外
ちょっとこうポジティブに捉えようがないじゃないですか 私はそのような立場に自分として立ちたくはないんですよやっぱり
4歳ならいいと思います 7歳ぐらいまでなら許されるかなそんなぐらいなんですよね
だから自分が切れて相手に情報してもらうというのはこの 少年とお母さん役に入っちゃう感じがしかも自分が少年役やるわけですよね
まあそうですね自分が90ぐらいになればそれはそれで許されるのかなっていう感じも しなくはないですけど
まあ あんまりこれも選択したくはないですねただしこれは
ちょっと格好をつけたいというイリュージョンかもしれないです 結局その僕の中ではもう
まあ昨日ノートにも書いたんですけど
ドコンジョガエルの娘みたいなのを読んでいてもつくづく思うんですけど切れる人 っていうのは幼児なんですよ本当に
いろいろ事情はあるんですよ幼児だからと言って一概にこう 避難はできないんですけれども
非常にいろいろ事情があるんだけどただ 今ここではその人は先祖帰りじゃないや
幼児帰りしているわけですよね結局その後始末をつけてくれているのは周りの人であって 怒った方がいいと言ってる時にはしばしばそれが入ってる気がするんですね