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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
6月30日ですか、6月が終わりますね。
7時38分ですね、金曜日です。
ああ、6月今日で終わりなんですね。
だから、明日いよいよダスクシフトの散々言ってきているセミナーがあるので、
よろしければ最終チェックしてやってください。
当日、どうたさんかOKぐらいにしておきたいと思っているんだけれども。
2時間半と長いんですけどね。
質問もたくさん飛ぶと勝手に期待しております。
それと、7月17日、海の日、月曜日の、
グラドノケゾさんとですね、トークセッションというか、
ぶっちゃけ相談のリアル版ですね。これをやります。
1時から?
ここが相変わらず曖昧なんですが、大体でも午後です。
板橋、上板橋という東武東上線の池袋が多分ですね、
僕が昔使っていた限り10分とかかからなかったと思うんですよね。
池袋でしょう。北池袋、下板橋、大山上板橋、中板橋があるよね。
この後何かあって上板橋だから、10分かかんないと思ったんですよ。
でも、朝霞台まで確か17分ぐらいだったから、
10分あれば成りますまで行ってしまうので10分かからないと思うんですよね。
池袋からすぐなので、よろしければ。
特に埼玉県にお住まいの方とか、北東京方面にお住まいの方には
行きやすい場所だと思います。
あんま滅多にですね、あっちの方、練馬区、板橋区で
僕らはセミナーするってことは多くなかったんで。
昔池袋でやったことは何回かあったんですけど、多くはないんですよね。
どっちにしても。ということで、よろしければ。
まだ残跡ございますので、ぜひですね。
倉園さんに他で相談しにくいことをいきなり相談できるかという問題も
なくはないのかもしれないけど、色々引き出しが多い方なので
何か答えてくれるんだろうと思います。
勝手なことここで一人でしゃべっておりますが、一人でしゃべってるからね。
どんどん出てきちゃうんですよね。
それでは、よろしくお願いします。
これ聞いてる方なら、聞いてつまらないってことはないんじゃないかって私は思うんですよ。
特に自分の話を持っていかれればですね、絶対こういいことあると思いますので、
ぜひお願いします。
今日は、すいませんちょっと待ってくださいね。
外開けてるんで、開ける以外の方法はないから開けてやっているんで、
どうしても音がどのくらい入るのかっていうのもあるんだけれども、
入る入らないに関わらず締め切るわけにはいかないですから、
またちょっと環境を考えなきゃいけないかなと思いつつも、
今のところは、冷水シャワーでも浴びながら音出すもんなやっぱりな。
ダメだな。
今日はすごい湿度なんですよね。
僕は湿度は気にならないんですけど、なぜかというと汗っかきじゃないんで。
汗は出ますけどね、湿度はそんな気にならないんですよね。
でもこれだけ高温多湿となってくれば、すぐ頭の中がホワイトアウトしていく感じになっていくんで、
ちょっと考え考えでやっていこうとは思っています。
その割に今週うまくやってるんですよね。
多分5回ぐらい撮ってるじゃないですかね。
5回撮ると自分偉いなみたいな気に何の意味もなくなるんですけど、
別に回数によって何かが良いことが起こるみたいなことはないんだけど、
今週は8時に近づくとこれはGMV撮ろうみたいな感じに、
今週はなってるんですよ。
今日はですね、最近ずっと喋っている対人関係的な、対象関係論なんだけどこれは、
僕の中では、のアレゴリーの話をしてみたいと思ったんですね。
これは大橋哲夫さんあたりが得意な話なんですけど、
たまたま思いついちゃったんで、ちょっと喋ってみたくなったんですよ。
結論自体はあんまり面白いものになるかわかんないんですけど、
アレゴリー自体はですね、まあまあこういう考え方でもやってみたらいいんじゃないかというのを、
さっき運転中気づいたんですよ。
運転がアレゴリーなんですね。
運転における責任の置き方
つまり、まずですね、運転していて、
運転していて、ちょっと被害妄想っぽくなる人っていらっしゃるじゃないですか。
何かにつけて、相手が自分をいじめているかのような物言いというのか、
そういう運転になっちゃうわけですよね。
だいたいあれなんですよね。
自信過剰っていうケースはすごい少なくて、自信が過剰なんですよ。
例えば狭い道で対向車が来ると、先行ってよと勝手に言い出すんですよ。
なぜ先へ行かせたいかというと、うまく避けて擦るんじゃないかみたいな不安が芽生えるんですね。
たぶん道幅に対して車幅の感覚が怪しげで、
いやここすれ違う自信ないから、あなた先行ってよみたいな感じで、
ここにちょっと怒気が、怒りが含まれてるんですよ。
すごい面白いなって思うんですよ。毎度毎度。
まずこれって第一に、自分が下手っていう意識が強いんですよね。
自分が下手という意識が強いから、つまり、
うまければここをやり過ごすことができるのにっていう発想があるから、
それってある意味自分のせいじゃないですか。
ところが怒りが相手に向かってるんですよ。
僕はこれをラインの排出って言ったら怒られるかもしれないけど、
これが排出ってことなのに感じちゃうんですよ。
つまりこれは狭い道、そこにすれ違うのが難しいという
あるストレスが発生する状況が生まれたとき、
原因っていうのかな、責任を相手に置いてるんですよね。
これを避けるのはあなたの仕事でしょうと。
なぜそうなるのかっていうと、自分が下手だからってことになるんだけど、
あくまでも原因というのかな、責任を外に置くんですよ。
これのある意味、いいところは、これはつまり投影というのを防衛に使ってるんだけど、
相手に責任を置くことによって、自分を運転していられるっていう立場を確保できるんですよ。
非常に大事なことなんですよね。真逆をやればすぐわかるんですよ。
全部私が悪いんですってなっちゃったら、私が下手だからいけないんですってなっちゃったら、
運転しなくなりますよね。これが抑鬱状態だと思うんですよ。
どっちかっていうと、まずは人生において、
外に排出して外に排出するとうまくいかないので、
つまりそれって人々の行為に一方的にすがることになるじゃないですか。
うまくいかないケースが出てくるので、まず自分で責任を負えるような心理状態というものを理解するようになりましょうみたいなのが、
カウンセリングではよく普通にとっているわけですね。
つまり私が悪いんですっていうのが認識できるようになればいいと。
だけども、これを認識しすぎると運転やめちゃうんですよ。
これが抑鬱的な状態ですよね。
だから結局あるシチュエーションがあり、それはあんまりいいシチュエーションではないわけですよね。
狭い道、対向車来ました。あんまりいいシチュエーションではないんですよ。
こういう事態が起きたときに、自分のせいでここを乗り切れないってなると、
俺下手だからダメだみたいになると運転やめちゃうから。
だから我々は防衛手段としてこの責任を外に、外に置く。
責任を外に置くということ一つが運転を続けていくためにことを可能にするんですよね。
エナブルなんですよ。
まあいいや、とにかくそれを可能にするんですよ。
このやり方の、何て言うんですかね。
進みすぎると問題は、これ比喩なんてあくまでもね。
進みすぎると問題なのは言うまでもなく、全部相手の責任にしていくということはですね。
一歩間違うとものすごく運転というものがストレスフルなものになっていくはずなんですよね。
これはもう明らかですよ。
だって相手があなた先行ってよとかって言ったって聞こえやしないから、
聞こえやしないというのはすごい大事なポイントだと私は思うんだけど、
つまり日常生活で本当に耳に入る言葉で言ったから、相手にそのままの意味が伝わっているのは限りませんよね。
そういう意味で車というのはコミュニケーションの手段が限られているので、
チカチカってやったりプップッってやったり、
コミュニケーションにおける責任の置き方
ああいうわずかな方向指示器出す、ハザードランプ出す、そのぐらいしかないですよね。
こういうわずかなコミュニケーションの手段しかないから、
伝わらなさというものにみんなもどかしい思いを抱いているわけですよ。
だけどこれは日常のコミュニケーションでも全く同じことは実は起きているわけですよね。
そしてどうもうまくくぐり抜けられそうにないシチュエーションというものがあったときに、
例えば日本人はすごくこするとかいうことに厳しい国なので、厳しいシチュエーション。
これ空気読むっていう世界なのかな。
ひどくストレスを感じると思うんですよね。
中勤している車ほんと勘弁してよみたいな感じで、ものすごくつらくなっているわけですよ。
こういう中勤している車があると、対向車線にはみ出すと、
そういうことがいちいち心に刺さってくるので、車に刺さってくるから、
これは欲打つっぽくなりそうになるわけですよね。
私が上手ければ、でも私は上手くないという意識が確立している場合は、
あの中勤している車さえなければってことになるわけですよね。
責任を外に置くわけです。
この場合、責任は本当はどこにあるんだって話はしていませんよ。
大事なのは、これは全て主観的に見た光景だって点なんですよね。
まさに非常にカウンセリング的世界だなって思うんですよ。
どうやっても上空から見て、
明らかにこの中勤している車に責任の89%ありますね、
みたいなことは言ってくれないんですよ。
運転というのは結構一瞬の戦いなんで、戦いじゃないんだけど、
一瞬の話なんで、特に国道の大きな道を走っているときに、
スピードが上がっているときに、前に中勤している車がいて、
通路を塞いでいるよみたいな、後ろから車が来ているし、
横の車線もビュンビュンだしっていう風になったときに、
何パーセント何パーセントとか言っている場合じゃないわけですよ。
全て主観的な情報をもとに、事態を処理しなきゃいけない。
この時に猛烈に前の中勤にめちゃくちゃ腹を立てるというのが、
私は非常に妄想分裂ポジションと言いますか、
パラノイアと言ったらちょっと過酷かもしれませんが、
これはちょっと白外妄想チックなんですよ。
この状態というものが、世界のあちこちに出現してしまっているの、
辛さっていうのが、妄想的な世界の辛さなんですよね。
ここに目を向けてあげないと、
そういう人たちが何でそんなにしょっちゅうしょっちゅう
イライラしてしょっちゅうしょっちゅう怒っているのかっていうのが、
なかなか分かんないと思うんですよ。
そんなにひどいこと起きてないじゃんって思うのは、
その人の、まず自分が根実的に運転技術がないって思っているってこと。
次にちょっとでもこうするともう破滅だって思っているような感覚。
プラス、だからでも車には私は乗るんだっていう状態を確保するために、
すべて責任を外に置いたんですよ。
ここからその人のドライブというのは、
とても嫌なものだという、嫌なやつばっかりだっていうね、
この感覚が生まれているんですよね。
私、このアレゴリーを最近思いついてから、
この迫害妄想的な人の辛さっていうのがすっごい分かるような気がしてきたんですよね。
とにかくこういう人には、結論はつまらないものなんですよ。
迫害妄想的な人の辛さ
結論は最初に言った通り、とにかく優しくしてあげる。
親切にしてあげる。
非常に大事な意味を持つだろうなっていう気がするんですよね。
中勤していて、主催でいて、叫んでいる人がいたら、
すまんすまんって言ってすぐ出してあげる。
そういうことが極めてこの種の人には効果が大だと思うんですよね。
そうすれば、時間かかるかもしれませんけれども、
だんだん渡る世間は鬼ばかりじゃないなっていう感覚に
なってこれると思うんですね。
本質的に自分が下手だと思ってるっていうところありますし、
もうちょっとでもかすったら、
身の破滅で社会的信用も失墜して路頭に迷ってすぐ死ぬぐらいな、
そういう破局的な感覚を持っているような気がするんですよ。
そういうことでいちいち叫ぶみたいな人ってのはね。
そういうことにはならないっていうのを学習するのは、
この種の人にはとっても有意義だろうなっていうふうに思いますね。
もう一つが、だから運転やめちゃったんだよっていう、
すごい抑鬱的になってる人ね。
全部僕が悪いんですって、私運転向かないんですよみたいなね。
ちょっともうね、車線変更とかもできないしっていう、
なんかこう、あれなんですよね。
責任を全部自分の方に引き込んでしまったというタイプ。
僕はこれがタイプっていうのかな。
そういう心理状態になっちゃったっていうのが抑鬱ってことなんだと。
よく似ているんだけど真逆なんですよね。
よく似てて真逆なんですよ。
この抑鬱的な人の言ってることも実に被害妄想っぽいんだけども、
絶対他を悪く言わないです。
他のドライバーさんならできるんですよね。
でも私はできない。
このね、私の特殊性を言うんですよね。
そしてかつ、私が特殊なばっかりにダメなんです。
本当運転ってダメなんですよみたいなことを、
一生懸命自宅にPRしているうちに本当にそうなっていくって感じ。
運転してなきゃ下手になりますからね。
本当にそうなっていくっていう不思議な感じがですね、
抑鬱的な世界には渦巻いてるなと。
嘘は言ってないんですよ、ここは。
大事なところでそれなんですよね。
妄想とは言うけれど、嘘なわけじゃないんですよ。
確かに駐禁してる車がいなければ、そんな目には合わない。
確かに狭い道ですれ違うという事態が出現しなければ、
そんな目には合わないんですよ。
だからなんですよ、むしろ逆にね。
迫害妄想の人も抑鬱の人もそうなんだけど、
確かに嘘は言ってない。
でも現実の道路ってそういうもんなんですよ。
駐禁する車なんてあるに決まってるんですよね。
ここで社会問題である部分を捉えるのか、
審議の問題を捉えるのかという、
遠畑海斗さんがよく話題にされるテーマなんだけど、
それは大事なんですよ、確かに。
大事なんだけど。
駐禁する車のない国道ってあるかって話を考えてみると、
そんな国道はないんですよね、現実。
駐禁ダメじゃん、みたいな話を
もっと取り締まるべきだよっていうのは、
それはそれでいいと思うんですよね。
取り締まるべきなんでしょう。
取り締まって減らしていくことはいいんでしょうけど、
常時ゼロであるっていう世界を考えようって考えても、
全然現実的ではないですよね。
これをおかしな方向で解釈してしまうんですよね。
特殊な審議状態なんだと思うんですよね。
佐々木さんは上手いから避けられるんですよみたいな、
だんだん話がエスカレートしていくっていうのかな。
子供の時から上手かったんでしょうとか、
よくわからないことを言い始めちゃうわけですよ。
運動神経良かったんでしょうとか。
ちょっと関係ないですけど、
昔私がドコモサービスの派遣社員でやってたんですけど、
私がドコモサービスの派遣社員でやってた時、
佐々木さんは本当にパソコン使いこなせますよね。
やっぱり数学ができる人は違うって、
全然関係ない話を前の人にされて、
数学全くここで使ってないですよっていう話を、
ついに説得できなかったんですよ。
いろんな話をしてみたんだけど、
分かってはもらえなかったんですよね。
そういう特殊な解釈を自分に施すことで、
うちにこもるっていうんですかね。
なんて言えばいいのかちょっと分からないんだけど、
そんな中勤している車を国道で避けるために、
F1レーサーみたいな能力はいらないじゃないですか。
全くいらないじゃないですか。
欠片ほどもいらないじゃないですか。
そんなの僕にあるわけないんで。
誰でもできるんですけれども、
そこが特殊解釈によって、
ミラーを見るなんてことはできないとか、
それはマルチタスクになるとかね。
ミラーを見るのはマルチタスクじゃないですからね。
だから携帯、スマホとか今運転中いじるとか、
原罰に処されるわけですよ。
マルチタスクじゃない証拠なんですよ。
そっちに目をやっちゃったら、
前方不注意になるわけですよね。
だからミラーを見ながら前を見るっていうのは、
そんなに特殊技能ではないはずなんですけれども、
他のドライバーとの関係性
できないっていう話をしているんですよね。
できないっていう話になるんですね。
だからある種の人は2車線以上の車線を走らない。
これもある抑鬱的な僕は心理状態だと思うんですよね。
道路交通法をもっと整備しろっていうのも、
分からないではないんですよ、そこで。
あるいは最近面白いことに、
私はほとんど使ってないんだけど、
プリウスなんかだとサイドミラーが点滅するんですよ。
軽く光るんです。
今車線変更したらダメだよっていうタイミングに
パッと光るんですよ。
だから光ってないときは、
ある意味ほとんど確認せずに出ても
大丈夫なはずなんですけど、
僕は使わないですね、やっぱりね。
ミラー見ちゃいますね。
こういう技術を発達させるべきだっていうのも、
分からないではないし、
そうやればいいと思うんだけれども、
それとこれとは違うなって感じがするんですよね。
やっぱりできないと思い込めば、
どこまでもできないし、
外に原因本当にあるでしょうって言われれば、
あるいは私に原因本当にあるでしょうと言われれば、
そこは嘘ではないかもしれないけれども、
それを事実にしない方法はあります、
という感じかな。
その辺もすごく今言ったような、
これは本当にアレゴリーになっているのかというと、
どうなのかなとも思いつつ、
今言ったような心理状態。
だから車に乗りたくないです。
高速道路は走れないんですっていうのが、
すごく抑鬱心性だなって感じが。
こういう観点から不登校みたいなのも、
全部当てはまらないですよ、全然。
全部当てはまらないですけど、
見てみるという価値はあると思うんですよ。
そうやって見てみると、
どうして学校に行くことができるのか、
どうして学校に行くことっていうのが、
そう難しくなったのかっていうのを、
分かるような気がするんですね。
つまり、全部外に置くっていう、
これが一つの防衛規制なんだけど、
全部外に置くことで、
自分が運転するっていう事態を確保する。
そういうことをやっちゃダメなんじゃないか、
って思ってる意味では、
ある種の道徳観っていうのかな、
モラルみたいなものがそこにあるんですよ。
ここに抑鬱心性ってものがあるんだろうな、
と思うんですよね。
過剰に責任を自分で背負い込んでるっていうのかな。
もう一台でも国道に受験がある以上、
私が運転する資格はありません、
みたいな。
変ですよね、これ聞いてると。
変に聞こえると思うんですよ。
でも本人にとっては、
これはすっごい切実な問題になってるんですね。
で、普通の人はこのどっちでもありません。
でもしばしばね、
全責任は他のドライバーに気づっている人は、
結構見るんですけど、
でも大概の人はこのどっちでもないんですよ。
大概の人は、
関係性、
つまり、
良いドライバー、悪いドライバーが、
大概の人の脳内にいるんですよ。
これはもう良いおっぱい、悪いおっぱいと、
そのまんまなんですよ。
良いドライバーとの関係であれば、
私は良いドライバーなんです。
悪いドライバーが来るから、
私悪くなっちゃうんです。
っていう、そういう心理状態。
運転に対する非現実的な期待
だから煽り運転とかが、
すごい話題になるわけですね。
どうしてもこの良いドライバーとの関係が、
良いのは、
特に事さら意識する必要ないじゃないですか。
問題は悪いドライバーってやつですよね。
悪いドライバーが来た時は、
私は悪くなってしまうっていう、
この状態。
あるいは、
道路じゃない、
運転の関係性が悪化する、
そういう感じがするんでしょうね。
僕はここに、
ボーダーラインと言われているものが、
あるんだと思うんですよね。
急に機嫌が悪くなるみたいな、
そういうドライバーさんも、
結構いらっしゃいますよね。
なんだあいつみたいなことを言って、
今までニコニコしていた人が、
めちゃくちゃ切れるみたいな、
こういう心理状態は、
僕らごくごく普通だと思うんです。
なぜ僕らみんな、
ドライバーになった途端に、
ちょっとボーダーっぽくなるかってこと。
それはなりますよね。
よく煽り運転も問題だけど、
あれも本当に問題だけど、
例えばですね、
有料道路で、
正面から逆走してきたみたいな、
本当に僕だって絶対、
パニックになりそうだと思うんですよね。
合わせれば時速200キロ近いことになっちゃうじゃないですか。
しかも来ると思ってませんからね。
シューティングゲームやってるじゃないんだからって、
思うんだけど、
これはもう本当に、
何とかする方法の考えるっていう、
話に、
持っていきたいところではあるんですが、
とはいえ、
遭遇してしまったら、
それについて、
対応しないわけにはいかないわけですよ。
だから、
あくまでも物事は主観的にしか、
こういう場合見えないから、
私の観点から見るしかないから、
避けるしかないわけですよ。
避ける一点なんですよ。
だから現実は常に正しいわけです。
会ってはならないとか言ったと、
どうにもならないですからね。
この会ってはならないっていうのは、
ちなみにちょっと脱線するんだけど、
やっぱり脅迫的な世界だと思うんですよね。
あの車ちょっと中央部みたい、
はみ出してるよみたいな、
すごく脅迫的な感じがするじゃないですか。
あるべき交通の姿みたいなものに、
すごくこだわっていて、
みんなが制限速度通りに走り、
みんながこうね、
あの、
整然としている、
やっぱ整然としていると、
気が済まないという心理状態というのは、
やっぱりそこに、
ちょっと非現実的なものがあるけれども、
その人の心理状態にしてみれば、
なんでみんなこんなに無秩序なんだろう、
みたいなのはあると思うんですよね。
ただこれは、
えっと、
なんていうのかな、
そう思っているからといって、
運転できなくなるとか、
言ったことはないと思う。
過剰にイライラするとか、
少々イライラするかもしれないけど、
運転中の心理状態
そうじゃなくて、
僕らはみんなボーダーっぽくな、
車の運転をしている。
良いドライバー、悪いドライバーに、
スプリットして、
悪いドライバーを見ると、
逆上するっていうね、
逆上はしない人が多いと思うんですけど、
でも、
よく教習所で言われましたよね、
人格変わりやすいと、
運転中は、
あれどうしてなのかと言いますとですね、
これも僕の推測ですよ。
これは比喩ですからね、
なぜ我々は、
運転中はボーダーっぽくなるのか、
一つは、
やっぱりリスクがでかいからと、
運転中は危険ですよね、
普通の生活しているとき。
このことをよくよく覚えておくべきだと、
思うんですよ。
つまり我々はリスクを背負っていると思うと、
ボーダーっぽくなるんですよ。
良いなんとか、悪いなんとかで、
悪いなんとか、
ダメだみたいな、
あるいは良い、
良いものと悪いものが同じでも、
悪いものが現れたらもう、
本当に心の底から失望する。
二度となんとかしないみたいに、
縁を切ったり、
めちゃくちゃ食ってかかるとか、
そういう急に、
要するに本人が急に逆上してしまうんですよね。
面白いビデオがあったんですよ。
昔、教習所で運転免許取ろうとしたときに、
綺麗な女の人が歩いて運転席に乗るんだけど、
ドライバーになった瞬間に、
彼女が兵になっちゃうっていうね、
面白いな、
教習所って思ったんですけどね。
要するにそうやって逆上して、
人をはねかねない勢いで運転しちゃうわけです。
あれはすっごいボーダー神聖そのものを感じさせられるんだけど、
なぜか運転するってなるとそうなる。
いくつか理由があると思うんですよね。
一つはそのリスクを、
大きなリスクを背負うから。
もう一つは、
技能の世界だっていうふうに考えられてるからですよね。
運転技術って言うじゃないですか。
やっぱりドライブっていうのは完全に、
完全にというかその間、
時間帯は技術の世界にいるっていうか、
パイロットみたいになると一層そうなると思うんですけど、
やっぱり技術の世界に行くと、
どうしても優劣ってものを意識しがちになるんで、
人はボーダーっぽくなっていくんだろうなって思うんですよ。
良いドライバー、悪いドライバー。
まさにそういうことだと思うんですよね。
だから戦闘的になっちゃう。
ある意味では。
人より火出てればいいんだみたいな。
だから割と運転免許では言うんだと思うんですよ。
技能が大事なんじゃないんですみたいな。
態度が大事なんですみたいなことをよく言ってましたよね。
そういうなんか妙に、
社会道徳みたいな話を強調するのは、
みんな技能の問題だと思っていると、
みんながこう、
好戦的になってて、
危ないからなんだろうなっていう感じはしますよね。
で、もう一つがですね、
最初の方にもちょこっと言ったんだけど、
コミュニケーション手段が乏しいからなんですよね。
言葉でのやり取りというのができないから、
言葉でのやり取りというのができないから、
それこそ方向指示機とか、
ハザードランプとか、
クラクションとか、
そういうわずかなパッシングとかね、
わずかなコミュニケーション手段を使って
やり取りしなければならないために、
我々はですね、
それはつまり、
出せる信号が大雑把だってことですよね。
子どものコミュニケーションを見て、
子どものコミュニケーションを見て、
子どものコミュニケーションを見て、
子どものコミュニケーションを見て、
子どものコミュニケーションを見ていると
子どものコミュニケーションを見ていると
わかると思うんですよ。
すごい褒めたり、すごい罵ったりが激しいじゃないですか。
細やかなことを伝え合うほどの語彙はないので、
ざっくりしちゃうわけですよね。
ざっくりするということは、
いいときはいいし、悪いときは悪いという、
この二極に触れやすくなるという風に思うんですよ。
つまり、
俺の責任なのか、あんたの責任なのかみたいなことが
激しくなる世界なんですね、やっぱり。
あるいは、俺の方が上手いのか、
あいつの方が上手いのかみたいに、
運転中ってすっごいなりやすい気がする。
さっきの、技能中心だってこともあるし、
コミュニケーションが取りにくいから、
顔が見えないからですよね。
ものすごく向こうが遠いわけですよ。
この心理が割と、
私はボーダー的な状態なんだってことを意識すると、
非常にいいと思うんですよね。
競争的な世界
ある意味視野が狭くなっている。
あの人、急に近づいてきて、
人を理想化してみたり、
急に罵ってみたりするな、みたいな。
さっきまで穏やかだった、
急に佐々木さんの話は信用できません、
みたいになっちゃうな、みたいな人が
そういうことを考えたときに、
なんでそうなりやすいのかというと、
端的に言ってそれはですね、
競争世界に生きている感じってあると思うんですよ。
コミュニケーションがやっぱり、
ざっくりしているわけですよ、きっと。
語彙はその人の語彙が豊富だったとしても、
伝えてくる内容がですね、
やっぱり褒めるけなすっていうのがそうですよね。
優劣の世界に入っていて、
優劣の語彙に集約してしまう。
何か知識をひけらかすみたいな話もそうなんだけど、
そういうのって全部上下の世界に入ってきて、
そういう話でないとあんまり今日が乗らないというか、
あんまりなんかざっくりした山山話みたいなのは
すごく苦手みたいな、
そういう心理状態の人ってやっぱりいらっしゃると思う。
運転手中のことを考えると、
やっぱりドライバーは何よりも
ボーダーの人の世界
運転しなければならないから、
ある意味世界が狭まってますよね。
運転手になっちゃうみたいな、
そういうふうに特定の役割に向かって
前進しなければならない状態っていうのは、
そういう良いなんとか悪いなんとかに
ものすごくなりやすいと思う。
受験生とかそうじゃないですか。
良い学校、良くない学校とか、
良い成績、悪い成績とか、
そういうのに、
何ていうのかな、
ある程度没頭しないわけにはいかないですし、
そこで優劣もつきますよね。
だからみんなすごくある意味、
ボーダーっぽいというか、
昔受験生って本当にヒステリックだ
みたいなことを平気で書いていた
進路指導みたいな人とかいたり、
社会評論家みたいな人いましたけど、
今そんなことが言ったら炎上者だと思うんだけど、
そういうことに誰でも気づきますよね。
それはね、
自分受験してた時のことを思うと
よく分かると思うんですよ。
運転中はそこまでひどくはないけれど、
似てますよね、
ゴーヒーの世界、
ものすごく天国と地獄とかって言うじゃないですか、
まさにあれなんですよね、
良極に触れている、
総極的な世界なんですよ。
良い旗と悪い旗にバディッと割れちゃっていて、
良い世界か、
嫌な世界のどっちかしかない。
それはあれですよね、
煽り運転とかされたら、
ドライブの状態が一変しますよね。
良いドライブ、悪いドライブですよ、まさに。
そうなりやすいんですよね、
運転手の心理状態として見れば。
やっぱり運転に専念している。
だから、
僕ら一般的に言うと、
運転手の心理状態というのは、
抑鬱的ではないし、
被害妄想的でもない人が圧倒的だと思うんですけど、
ボーダーっぽさっていうのは出てくるとは思うんですよ、
どんな人でもありと。
だから、
そういうのがある意味向いてるっていうのは、
すごくこう、
高専的に自分の運転技術を、
誇るように運転するみたいな、
だから運転大好きっていうような、
そういう世界ってあると思うし、
それはそれでいいんじゃないかと思うんですよね。
私はそういうタイプでは全くないんだけど、
そういう運転ってあるだろうなって思うんですよ。
でも僕が言いたいのは、
ここでは運転の話では本当はなくて、
引き湯の話なんですよ。
引き湯の話、
引き湯の話では本当はなくて、
引き湯の話なんですよね。
つまり、
ボーダーの人っていうのは、
そういう世界に生きてると思うと、
えらい分かりやすいと思うんですよ。
ある意味、運転手になっちゃってるわけですね。
普通に世の中に生きてる人は、
みんながみんなそうなわけじゃないじゃないですか。
この世の中を、
一種の競争原理だけに捉えてしまって、
いい成績か、悪い成績か、
いい奴か悪い奴かっていう、
ひたすらその二分化でやってるわけではないし、
みんなが同じ運転ということをやってるわけじゃないんだけど、
ある意味、ボーダーの人の世界って、
僕はよく感じるのは、
同じ世界になっちゃってるっていうことなんですよね。
自分の中で例えば、
何者かになるのが大事ってなると、
全員そう思ってるはずだっていうような、
独特の決めつけがあるんですよ。
そう思ってない奴は、
一人もいないぐらいの勢いで、
もしだから、
倉園さんなり私なりが、
もう何者かになりたいとは、
特に思ってないですと言うと、
嘘だってことになるんですよ。
この嘘だがすごい大事なんですよね。
昔、日暮らしの泣くコロニーっていう、
可愛い女の子が、
あれもボーダー神聖の超究極みたいな形でしたよね。
いきなり可愛い女の子がニコニコして、
ロリキャラらしいことしか言ってないのに、
いきなり斧とか持ち出しちゃうんですよね。
嘘だっていうセリフが非常にキーワードでしたよね。
嘘だって言ったときに表現するわけですよ。
だから、嘘だってのはすごい大事なんですよね。
要するにお前らは、
何者かになりなかったのに失敗したんだろうと、
全員そういうことにされてしまうんですよ。
だから、みんないいドライバーであろうとしてるんだけど、
落ちこぼれたんだろうとか、
お前悪いドライバーなんだろうとか、
全ての人がドライバーなんですよ。
運転の世界ではまさにその通りですよね。
全ての人がドライバーです。
だけど、現実の世界では、
全ての人が同じことをやってるわけではないはずなんだけど、
ある種の人にとって、
ボーダー神聖って読みやすいな、
そういうことなんですよね。
全ての人が金儲けをしたいとか、
全ての人が恋愛をしたいとか、
全ての人が結婚したいというふうに思っていくと、
すっごくそういう心理状態に入りやすいと思うんですよね。
いい結婚相手と、
そうでない人とか、
結婚できない人とか、
そういう独特の二分化が発生して、
負け犬とかね、
そういうふうになっちゃいやすいんだと思うんですよね。
ドライバーの関係性と心理状態
受験生ってやっぱりそういう世界に生きてますよね。
全ての人が受験生みたいな、
あるいは受験生じゃない人のことは興味が全く持てないっていうね、
そういう心理状態になりやすい人生の時期っていうのはあるんだと思う。
私なんかも、
繰り返し喋ってますけど、
大学時代は、
彼女いる人いない人で、
人間を二分化していて、
例外なくみんな彼女が欲しいぐらいの勢いで、
特に男のことは見てましたからね。
ああいう時って、
ものすごく層局に触れやすくなるんですよ。
すっごい上手くいってるように思える時と、
絶望的に思える時、
後者の方が多い時、
そういう心理状態になりやすいのかなというか、
そういう感じがします。
それってのはつまり、
全部の責任を今度は関係性に見ちゃうってことなんですよね。
結局、良いドライバー、悪いドライバーってのは関係じゃないですか。
相手が良ければ私も良い。
相手が悪ければ私も悪い。
これ、そんなに言ってて、
軽易な感じはしないかもしれませんけど、
わからさまにこれやっちゃうと、
やっぱりおかしく見えますよね、
ある意味では。
相手が良ければ自分はいい。
相手が悪ければ自分が悪いっていうのは、
あんたは一体どこにいるんだってことになるじゃないですか。
リドマス試験試じゃないんだから、
相手次第で全部自分の状態が決定されてしまいますっていうのは、
確かにそれで大丈夫なのかなっていう感じがやっぱりしますよね。
そういうのが、
ボーダーの人の生きにくさという感じなのかな。
だから、その人にとっての、
まず、
価値観みたいなものっていうのが、
この種のケースではすごく大事。
合格が超大事ですとか、
彼女が超大事ですとか、
運転上手い子とか何よりですとか、
なんでもいいんですけど、
なんかあって、
割と分かりやすい何かがあって、
最初は大体理想化されるわけですよ。
なぜなら最初はお互い親切ですからね。
最初は理想化される。
途中から大体失望されるみたいな、
そういうケースはでも、
全然不思議ではないということですよね。
全く不思議ではない。
どんなドライバーでも、
細かく見ていけば、
必ず普通にミスしますし、
ミスした瞬間に、
絶望反転されるんで、
暗転していくっていうのかな。
こういう心理状態。
これがしかも、
僕はドライビングにおいては、
むしろ増えるっていう感じはします。
以上なんですよ。
ドライビングにおける心理療法の重要性
おおむね、
ただアレゴリーして終わりみたいな。
ただ最後に、
あまり面白くもない結論が大事で、
大事っていうのかな。
だからよく運転中の話って、
免許教習書の教科書に書いてありますよね。
思いやりを持って、
ゆっくりと、
余裕を持った運転を心掛けましょうという、
全然聞いてるとすぐ眠くなりそうなあれ。
あれが結局、
人間関係ではすごく大事なんだろうな、
と思うんですよ。
今のように、
ざっくりと、
整理してみても、
結局それしかないですよね。
相手が欲打ち的になっていても、
被害妄想的であっても、
ボーダー的であっても、
やることは同じですよね。
怖がらせないということ。
お互い焦燥感に満ち溢れた世界を、
作り出さないということ。
道路交通法も整備していったほうが、
いいでしょうという、
この面白くもなんでもない、
というところが、
大事なんですよね。
精神分析とか心理療法のゴールって、
きっとあるんだろうな、
という感じが、
やっぱりします。
そうすることによって、
みんな落ち着くことができるじゃないですか。
逆をやるより、
よっぽど落ち着くことができますよ。
なるべく違反をしないようにして、
駐車禁止マークのところで、
駅で駐車しておかないようにしましょう、
というのは、
結局そういうことですよね。
いろんな人がいて、
いろんな見方がある、
あるわけですよ。
どこでどういうふうに、
恐怖と怒りと絶望に包まれるか、
わかったもんじゃないからこそ、
割と基礎的にですね、
無理しないというのが、
大事ということですよね。
そして、
でも、
いずれにしても、
完璧な現実というのは、
ありえないということ。
ある意味、
グッドイナフドライバーで、
グッドイナフな道路事情しか、
出現しようがないですよ。
なぜならそれは、
道路というのは結局、
人間の作ったものですから。