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2024-07-30 36:32

「隠れ家」としてのカウンセラーの選び方【1028】

カウンセラーとは密会してくれる人。
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あ、落ちちゃいましたね。ちょっとびっくりでした。
そう、選ばなかったんですよ。
なぜ?と思うんですよ。
なぜっていうかね、正式、例えばですよ。
例えば、初回面接設定時、話しやすい人とか、質問には的確に答えてくださる人にしましょうと。
ま、全くもっともんじゃないですか。
でも、例えば私の今の受けているカウンセラーさんは、相性がないとかでもないに等しいところがあるな。
相性がいいかどうかという話で言うと、微妙だなって思うんですよね。
決して、トークが雰囲気良くなるとか、質問に的確に答えてくれるかって、そんなことはないわけですよ。
それは、私に対してはそうで、他の人には違うのかもしれないんで、一般的に言っての評価とかレビューをしているわけではないんですね、私としては。
ただ、私はそういう人ではないなっていう感じで選んでいる。
これはね、私自身は初回面接設定で、とっつきにくいとか言われることは実に多いんですね。
これは、野良カウンセラーとしては非常に良くないと思ってるんで、上手い具合に改善するべく考えてはいるんですけど、野良医者は笑うわけですよ。
もっと笑うべきなんだと思いつつ、そうじゃないのがいいっていう話まであるんで、笑えばいいってもんではないが、笑わなくていいってわけでもない気がするので、ここでちょっといろいろ考え考えやっているわけですね。
思い悩んでるっていうのはおかしいんで、やっぱり考え考えやっているわけですよ。なるべく一層良くはしたいわけですよ。
でも、私のできる範囲には限度があって、私が抜けている人も思いっきりそういう感じなんですよ。思いっきりそういう感じなんですね。
正確に質問に答えるっていうのは大事なことなのかと。例えばそれがお金に関することならば大事ですよ。いくらですかって言ってもにょもにょって言われるってのは良くないと思うんだけど、いくらですかみたいな質問をしてないですけど、したら的確に答えて返ってくると思うんですね。
しかし、例えばそうだな。でも例えばも何もなくて、私が今のの医者としてサンチャレンみたいなものをやってますがどう思いますかって、全然的確な答えは返ってこないと思うんですよ。これに的確な答えを返すというのは、私は大事なことだとはちっとも思わない。
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どんな答えが返ってくるかわかんないし、意外に現実的な答えが返ってくるかもしれないですけど、たぶんなんですが、私のこれはこういう空想するのが良くないんだけど、今は話を分かりやすくするためにしますが、例えばなぜ佐々木さんはそういう質問をするんですかって言われそうな気がするんです。
例えばですね、こういうのが的確な答えかというと全然そうは思わないけど、これはいかにもこの種のカウンセリングでは出てきそうな言葉だとは私は感じ、そういうところに通っているわけでして、そういうところに通うことに意味あるのかと言われるかもしれませんが、この意味というのが厄介なんですよ。
この意味が厄介だと私は思うからこそここに言ってるんだけど、あのガイドラインを読むとですね、こういうところは敬遠されちゃうかもしれないような気がするんだけど、そういうガイドラインを出したくなるのはどうしてなんだろうと私は考えてしまうんですね。
ここが私のものの考え方のこのややこしいところだろうとは思うんですけれども、でも精神分析というものはですね、精神分析じゃないと言われるのかもしれませんが、そのガイドラインを出した人にしてみると、精神分析っていうのは結局そういうものだと思うんですよね、ある意味では。
そして僕は割と何度も言ってるし言ってないのかもしれませんが、言ってるつもりになっておりますが、カウンセラーをやり始めると結局フロイトにぶち当たることになると思っているわけです。
なんでなんだろうって考えながら最近藤山直樹さんの本を読み返してるんですけどね、松木さんの本が著しくホットになって、もう2、3冊買って2、3週しようかと思ってたんですけど、そう思い直して藤山さんの僕が勝手に三部作と呼んでいる、まあでも三部作なんじゃないかなと思うんですけどね、
三部作と呼んでいるかなり上品な感じの写真がどんと真ん中に、子供が子供の手を引いている。あれは盲人が盲人の手を引いているのかもしれませんけど、とにかくそういう写真がある三部作を読んでいて、やっぱり冒頭にいきなりフロイトに当たるんだよって話になってるわけですよ。
ここが僕がすごくこだわってるところなんだなと。フロイトじゃなくてもいいじゃんと言われるといいんですよ別に。全くいい。なんでもいいです。なんならこう、なんならって言ってここで人名を出すのはディスってるみたいになるんでやめますが、なんでもいいんです。
でも私はフロイトに行き着くことにきっとなると思うんです。どうしてかというと、彼が喪失したからなんですね。これ以前には絶対人生相談だったと思うんですよ。いわゆる懺悔っていうのは人生相談だったと思うんですけれども、でもフロイトは人生相談のようなものを多分やったと思うんですよね。
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最初の、一番最初のアンナ王と通称されている患者さんを見た時のあれは、人生相談的なものに近い治療だったんだけど、治療である人生相談みたいなものとして漠然とっていうのは変なんだけど、すごく野心的にだとは思いますが、後から見れば漠然と始まったものだという気が私はするんですね。読む限りは。
でも突然もう始まっちゃってるわけですよ。
普通人生相談というものが始まるときは、私がそうであるようにですね、いや、モテないんですとかって言ったらいいじゃないですか。それは人生相談的ですよね。
ここには少なくとも、言葉が通じる。そしてその言葉のやり取りには意味があるという大前提が必要ですよね。そしてその言葉をやり取りする背景もある程度は両者にいきなり了解できると。
でもこれってよくよく考えてみると変なんですよ。
モテない相談をカウンセラーにしてモテるようになるかっていう話。何とかコーディネーターとかのところに行った方がいいんじゃないのっていう話。
いろんなことがありますけど、例えばその見ず知らずの初対面のお互い何も知らない人間同士、ここはすごい大事なんですけどが、モテませんっていういきなりものすごくパーソナルでプライベートな話に入っていくっていうのはどうよっていうような話。
これらが最初から実はどういう形をとっても発生しちゃうんですよ。
そのことを一番最初にかつ系統的にしかもお医者さんがそれも治療目的でやりだしたのがフロイトだったんですよ。
僕はいつも密会という言葉を考えてしまうんですよね。
昨日もそうだったんですけど、わざわざ行き、そして誰一人人知れずそこに行き、藤山直樹さんは隠れ家って呼んでもいるんですけどね。
2人しか知らないんですよ、会ってる人間同士。そこで親も知らないような話が交わされる。密会と言ってしまったら問題があるかもしれませんが、密会そのものだと思うんですね。
ちなみに私は3ヶ月チャレンジで密会にならないためにもオンラインでやってるっていう側面もあります。
いろいろあるんですよ。野良カウンセラーは野良にしかできないことをやる。野良にしかできないことだけをやってちゃダメだと思うんだけど、野良にしかできないことを必ず社定に置くっていうのかな。
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眼中に入れておくというのは考えるんですよ。
例えば海外在住の日本の方がいらっしゃりもするんですけれども、海外在住の日本の人は多分私のこのサービスを3ヶ月チャレンジを続ければ続けるほど潜在顧客的になっていくと思うんですよね。理由があると僕は思うんです。
まず海外在住の日本の方はカウンセラーを正式のカウンセラーを受けようとすると外国語でやり取りしなければならなくなる。私はこれは成立ほとんどしないだろうと思うんですよ。
その人の英語力とかいう話では全くないんですよ。
昨日くしくもJ松崎さんとなんと読書会というね、読書会は私Jさんも行ってましたけど初めてなんですけど、自分の本の読書会で出てみたわけですよ。出てみたっていうか出る筋だなと思ったんで出席させていただいたわけですよ。
そしてJさんは本当に辛かったと。鬱状態のどん底だった時にカウンセラーすらいないのが本当に厳しかったって話をされたんですよ。ドイツに彼住んでるからね。こういうことが起こるわけですよ。
ドイツ語でやればいいじゃんなんて言うほど、彼はドイツ語堪能じゃないってこともあるんだけど、ドイツ語堪能だったとしてもですね。
例えば、あなたナルシシスですって言われてどういう気持ちになるかってことですよね。自己愛性パーソナリティ障害ですって言われるのは全然違うんですよ。彼はそうは言われないと思うんですけどね。
だけど、欲打つですとか打つですって言われるのと、ディプレッションですって言われるのは違うと思うんですよ。意味がわかったとしたって。
だから、カウンセリングを海外で受けるっていうのは、正式の受けるっていうのはね、僕は大変難しいことだなって思いますね。
しかもですね、日本人の正式の人もアメリカならいると思うんですね。探すの難しいですけどね。
でも、その人に受ける気しないだろうな、私だったら。調子悪い時は特に。
これは進んでみるとわかると思いますが、いろいろ今日ここで詳しくは説明しませんけど、いや、受けるっていう人も受けたくなるっていう人も全然いて、全然OKなんですよ。
僕は避けちゃうだろうなと思います。今ならばなんとなく持っていける気もするんですけど、ちょっとね、留学してた当時なんて全然無理でしたね。
まあ、そもそもアメリカ人に何かを相談する気がしなかったということはありますが、英語で日本の人にはなおのこと無理でしたね。
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だから私はオンラインというものがこの世にある以上、この種の需要は必ずあると思うんだけど、正式の人はこれを良しとしない。
特に精神分析は厳しいと思うんですね。これも昨日藤山さんの本を読んでいて、精神分析家は時間の賃貸という概念は強く意識するだろうと。
何時から何時までこの時間は全部患者さんのものになると。患者さんの自由連想ずっと聞いてるってある意味ですから、自分でやりたいことはそこでは一切できないわけですからね。
だからクライアントさんの時間とその時間の予約だという意識は強く持つだろうけど、空間を提供しているという意識はもっと持つべきだ。あるいは持つべきだとまでは彼は書かないんですけど、本当は空間を提供してるんだよということを彼は書いてたんですね。
でも私はしてない。私はあくまでもオンラインでやってるんで、今のところは空間の提供なるものはしてないんですね。
ここは面白いことが書いてあったんですよ。日本ではめったに自宅なり、少なくとも自分が所有している分析空間にクライアントを招き入れるということをやってない。やってる人はかなり稀なはずだと。
おそらく開業している人ですらも賃貸でパートナーにマンションの一室を借りて、そこでやってるだろうと。でもそれだって収支をプラスにすることができるレベルの人じゃないとできないから、簡単じゃないはずだっていうニュアンスで書いてあったんで、それは全くその通りだと思うし、
私の知っている、私自身も含めてですけど知っているカウンセリングは、ルームは全て賃貸契約のルームなんですよ。これは偶然ではないと思うんですね。自宅っていうのは聞いたことがない。私は知っている人にも誰もいない。あったらぜひ行ってみたいと思わなくはないですね。
とにかくこの空間を貸す、空間を差し出すという、時空間ってことですよね結局ね。を差し出すってことに意味があるんだと。そしてそこは隠れが敵になっていくんだっていう、これはですね、これは私はそのカウンセラーの最確に寄らないなって思うんですよね。ここだけはやろうと思えば、まあ難しいですけど、やろうと思えば絶対できるじゃないですか。
そしてその人が仮に無能力なカウンセラーだとして、無能力なカウンセラーにそもそもそれをやるという気になれるだろうか。そしてそれで生計が足すだろうかっていうのはありますが、あったとしても時空間を提供するってことだけはできるわけですよ。
このことをフロイトが意識したと思うんですよね。やっぱりああいう座組みを作ってるということは、ここまで来るということは、人生相談としてスタートしたものがここまで来るということはですね、やっぱりそれまでにはなかったことだと思うんですよ。たまたまじゃないね。全然たまたまじゃないんだけど、残下室ってものがこの世の中にありましたね。
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残下室って自分の時空間では普通ないはずなんですね。うち寺だったから分かるんですよ。寺ってプライベートとパブリックな空間を分けるんですね。フロイトってのはよく考えたんだなと思うんですよね。プライベートとパブリックの空間を分けるんですよ、お寺というものは。
基本的に信者さんはパブリックな空間にしか入れないようになってるんですね。プライベートな空間に入ってきちゃう人いますけど、基本的にはパブリックな空間の方にしか入れないような設定になってるわけです。これは設定なんですよ。入ろうと思えば入れちゃうんですよ。
このことはすごく大事なんですよ。やっぱり。あれは間違いなく時空間を提供しているんですね。しかも金は取らなくても払わなくてもいいことになってるんだけどね。
この辺の、つまりお寺に来なさいお寺に来なさいをうちの父は本当にそれしか言うことないのかぐらい言ってたわけですけれども、お寺に来るだけで人生が好転する。こうすると完全に宗教になるじゃないですか。でもここに隠れがというキーワードをポンと当ててみるとですね、なぜ好転するのかが少し分かるような気がしてくるという人はたぶんたくさんいらっしゃると思います。
この人はたぶん自分のはっきりとしたプライベートなプライバシーが確保される空間というものを渇望しているとか、そういうニードルがあるって言い方をしちゃえば済むんですけれども、それに飢えているという可能性が少なからずあるだろうなと思うんですね。
で、その空間を寺なら寺でいいんですが、そういうのってあるじゃないですか。社員食堂とか学食とか、私学食の隅っこのある一角を自分のプライベート空間のようにしつらえていた時期っていうのは実は今思い出してあったんですけれどもね、これはね、とても意味がある子にとっては意味があるんですよ。そこにカウンセラーがいるわけじゃないですよ。
で、カウンセラーがいたとしてもそれができるようになったらかなり意味があるじゃないですか。カウンセラーがそこにいたとしてもその空間に入って自分がそこに収まると自分は落ち着くことができるって空間が一箇所確保この世の中になかったのに確保されるようになりましたってことになったら、それは心理的にはかなり大きな効果を得ますよね。こういうことを私はできてないっていうことをさっき申し上げたわけですけれども、野良だからね。
できてないけどやってますっていうのは野良的なわけですよ。ここはすごくだから読んでいて意味が深いなと思うんですね。そういう意味で最初からしっくりいく初回インテークみたいな言い方をする、初回面接設定みたいな言い方をするんですけど、そういう本があるし、私も一通り読んだんですけれども、でも私初回面接設定を読んでみてもですね、あれはカウンセラー向けの本ですが、
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これにかかるときに最初の相性とか質問に的確に答えるとか、もちろんその方がいいとは思いますよ、私はね。ただそういうふうに果たして本当になるんだろうか、そしてなることはいいことなんだろうかって考えるとですね、そもそもそれ可能かって考えていくとですね、なんかこうモニョモニョモニョっとした気持ちになってくるわけですね。
それがあれですよ、ガイドラインとしてノートに書いている以上そう書くべきですよ。私も初回不愛想な人でもいいんですとか、初回の面接設定でしっくりこなくても大丈夫とかってそうは書けないですよ。
ただ、僕が思うに初回からしっくりくるような人にそんなに切実にカウンセリングっているだろうか。これを別の言い方を今の文脈に当てはめて言うとですね。
最初からいきなりいった有料の人が室内だって、そう藤山直樹さんも強調されてましたけど、室が人が用意した、その部屋のデザインなりセンスなりは全て基本的には分析家が提供したその空間がいきなりいった瞬間にしっくりくる。
しかもそれは隠れ家であるっていうようなことってあり得るだろうかって思っちゃうんですよね。しかもそれができるような人がこの世では息が継げないっていう、それってよっこど極端なケースなんじゃないだろうかというか、めちゃくちゃレアじゃないそんなこと言ってたらっていう気がしちゃうんですよ。
これは非常にひねくれたものの見方なんですが、つまり私は初回行った時に全然しっくりはこなかったし、くつろげてもいなかったし、実はまだくつろげてもいないんですよ。そして僕はここに意味を認めているんですね。しっかりくつろげるようになったら、私のような人間にはもうそこはそれほど、そういうところがとても大事だってのは分かりますよ。
お金払ってでも行く価値があるってのは分かりますよ。だからここで言うのは相談が大事じゃないって話なんだけど、でもしかしながら、それができるようになってもなおそれが必要だというケースと、それができるようになったらもうそれは必要なくなるというケースと、どっちもあると思うんですよね。
この世のいろんな空間がありますが、どこに行ってもくつろげないっていうのが生きづらさってもんじゃないですか。その人がうまくやってるとか、社交的に愛嬌があるとか関係ないんですよ。まさにそういう話も昨日読んだし、まさにそういう話を読んだ直後にオフなまで行って、こういうことなんだよなと思いながら僕の話をしてたわけですけれどもね。
つまり、ある女の子が、思春期の女の子が、前思春期みたいに書いてあったかな、くつろげないわけですよ。だけれども、こういろんな大人たちはですね、彼女の沈黙と、彼女がやってるんですよ。前思春期の女の子の沈黙、だんまりを決め込むわけですよ。
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すごい周りの人気揉むことになるじゃないですか。しばしばそういうことありますよね。しかもその女の子は上手で、ずっと黙ってると相手にされなくなるじゃないですか。ずっと黙ってはいないんですよ。急にこう、なんかいいこと言ってくれると微笑むと。しかもそれは自由自在に、いくらでも作り出すことができるというのを藤代直樹さんが書いていて、とても痛ましい話だと。そうなんだと僕は思うんですよね。とても痛ましい話だと思うんですよ。
これはどこに行ってもくつろげないと言ってるようなもんですから。だからその女の子は、どこに行ってもそこそこ上手くやれるんだけど、ものすごく疲れて、しばらく閉じこもったまま、家から外出できなくなるみたいなそういうことが起こるというところで、藤山さんのところに連れてこられるという流れになってるわけなんですよ。めちゃくちゃカイスマンで言うとこういう話なんですね。
これに、こういう人にくつろげる空間が提供できたら、かなり話は早いですよね。しかしそういう人って自分でも無意識のうちにある種のことをやっちゃうんですよ。つまりカウンセラーという人を、必要もないのに自分の努力によってカウンセラーの方をくつろがせてしまうんですね。
これをやるためにその人は自分がくつろげなくなってるんだけど、もうある種の病理で意識しないでやっちゃうわけですよ。現にその人はカウンセラー相手にもやってしまうわけですよ。だからカウンセリングに行く気がしなくなるわけですよ。
カウンセラーはそれをやめさせてあげるという仕事を受け負うんだけども、そう簡単にやめろと言ってやめられるわけじゃないし、結局のところくつろがせ合戦みたいになっていくわけですね。でもそれは全然くつろげないじゃないですか。だから私は初回面接設定でくつろぐことができる。本当にそういうもんだろうかと思うんですね。
いや、それは重症な人だからであって、重症じゃない人はくつろげるんじゃないですかって言われるかもしれませんが、現状の日本で一時間で効果があるともないともはっきりしない、おそらく毛の生えた人生相談ぐらいに思われているカウンセリングに1万円もかけて、ただくつろぎに行く人、そしてそれができちゃう人が行くかなーって感じはしますよね。
つまり、人をくつろがせてしまう病みたいな、まあ人に気を遣いすぎるって俗に言われるでしょうけど、それがうんと講じたような人ですよね。そういう人が初回でしっくりくるような人を選びましょうっていうガイドラインを読んで、どうするんだろうなーって思いません。私は思うんですよ。どうしても思ってしまう。くつろがせに来ちゃう。
というか、そんな気はないんだと思うんですけど、いかないと思うんですよね。しっくりくる。しっくりくるっていうことが、その人にとっては重荷にしかならないようなしっくりき方しか知らないっていう人がしっくりくる。質問に的確に答える。つまりそういうことはいくらでもできるというタイプの難しさを抱えている人っていうのは少なからずいらっしゃるわけですよね。
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ニッコリ笑って、機嫌が悪くなったらだんまりを決め込むと。振り回せるわけですよ、周りの大人なんて。その子がそれなりに人好きのする、そして和術も巧みだったりすると余計にね、頭が良ければ一層ですよね。そしてその人は一人でどんどんどんどん疲弊していくっていう。
で、自分でもそれをやめられない。こういう話には結局のところお母さんとの関係っていう、もう馬鹿の一つ覚えみたいで、私が言ってるわけじゃないんですけどね。恐縮ではありますけれども、お母さんとの関係というのが必ず出てくるんですけど。
そして例のですよ、倉澤慶三さんのグッドバイブスで、もうこれももうお馴染みのお母さんの罪悪感というものが絶対出てきちゃうんですけれども。だからこういう話では野杉山直樹さんにしては珍しくですね、本にしては珍しく母子面談というものをやってるんですね。母子同時に。私はあれはしないですね。できないというのかな。
だからオンラインでやっていて、私がやれるのは絶対成年後以後のしかもオンラインが耐えるっていう空間提供というものは成し得ない状態でもできるっていうのが今のところの制約であり、また特権でもあるんですよ。私が精神分析家だったらこれ許されないと思うんで、いずれも許されないと思うんですよね。未成年は見ませんとか、オンラインだけですとかってそういうのはダメだと思うんですよ。
そもそも週4以上とかっていう話ありますからね。だから場が長くなるわけですよね。週4なんて僕は滅多に行われてないと思うんですよ。週1が圧倒的に多く、よくて週2だろうと思うんですね。
精神分析的心理療法ってやつを掲げるわけですよね。半文字。精神分析的心理療法。9文字。半字が9個並ぶわけですから、すでにこの段階でだからポストとかって言いたくなるのは当然だろうなと思うんですよね。郵便局とかぶっちゃうんですけど。
で、今日はこういう話に終始しておりますけど、要は僕が初回面接設定というものの、いろんな意味で厄介な話のはずだと思うんですが、もちろんガイドラインを示すならね、しっくりくる、相性がいい、質問に答える、きちんとしているっていうのは大事だと思いますよ。
私だって書けって言われてそう、だから書かないですけれども、何か書いたほうがいいんですかね。ちょっとこれもいっつも悩むんですよね。僕がノートで書いたところでバズるわけじゃないんで。
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詩詩みたいなのを書いておくってことに意味があるのかもしれないけど、この私のようなやり方でやってる商売の詩詩っていうのは、詩詩それ自体が変わるんで。だってあの絶対オフラインがいいですって言われて、しかも資金とは言わないまでも神奈川県内ですって言われたら、絶対ダメですっていう理由があるかなって考えちゃうんですよね。
そうすると、詩詩作っておくと例外を増やすことになるじゃないですか。で、私はやることも言うこともどんどん変化していってしまってる。まあ、良くも悪くもいい加減なところがありますんで、大筋悪いんでしょうけれども、これも特権ですからね。
結局のところ、私はライフハッカー、ビジネス書として始めた人間として、今はそのことをすごい意識しているんですよ。最初は意識してなかったってことですよ。これは結局意識できてなかったってことですね。何が言いたいかというと、つまりですね。
つまり、詩品というものを作るということはですね、私は構造の下にいるって意味になると思うんですよ。精神分析ってまさにそういうものなんですね。フロイト以来、これすごいことですね。フロイト以来繋がってるわけですね。
そこでは一つの空間を共有しなければいけないとか、50分でやんなきゃいけないとか、時間は守らなければいけないとか、料金を途中で変えてはいけないとか、週に4回以上会えとか、すべてそこには構造があるんだけど、これを守るためには守らせる外部の人が必要なんですよ。
つまり組織がいるってことですよね。精神分析的というか適当なことを言うと、エディフス的って僕は思うんですよね。お父さんが作ったもので、このお家に住む限りにはお父さんの言うことはちゃんと聞きなさいねってことですよ。ところで、野良ってどういう意味か。お家がないってことじゃないですか。お家がないということは、お父さんの言うことなんか知らんよってことを言えるってことなんですよ。
ライフハッカーとかビジネス書とか仕事術といったものはですね、野良であるにもかかわらず、ここは非常に大事だと僕は思うんですが、野良であるにもかかわらずお父さんを持ってないんですよ。持っていないくせに持っているかのような形式を整えた世界。
それがつまり、要するに掘った手小屋を建てておいて〇〇系とかって書いてる。そういう世界なんですよ。ビジネス書の世界ってのは僕が思う。だからダメだって言ってるわけじゃないですよ。僕は。だからいいって言ってるんですからね。いいとまでは言えないかもしれませんけれども、ここに面白さがあるでしょうって言ってるんですよ。虚構新聞ってあるんですけどネットには。あれとちょっと似てるんですよ。
僕は知的生産の世界で学者でもない人が、さも論文を書くようにね、引用しては1とかって書いていく。あれは非常に意味のあることだと思ってるんですよ。これはつまりママごとなんですよ。もうちょっと言うとミニコット流に言うと遊びなんですね。これをどこに持っていっても通らないですよ。どれほどその論文がよくできてたって、受理は絶対されない。
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もちろん、何でもいいけどAPAとかにも載りません。載るはずがない。どれほどその英文がきちんとしていて、カンマの打つところがきっちりしていて、参考文献がバッチリ揃っててもダメです。
野良はどこまで行ったって野良です。将軍家とか名乗るわけにはいかない。公的じゃないんですよ。公ってのは天皇家でしょ。天皇家じゃないんですよ。まつろわないんですよ。我々は。まつろったものとは違うんですよ。で、まつろったものの真似をするわけですよ。いじましいじゃないですか。このいじましさが見えないビジネス書ってのは僕は受けないと思うんですよね。根本的に。
だからそういう世界で遊んでいる人間というのは学者の真似っ子なんですよね。ある意味では。でもどこまで行っても学者にはなれない。エセ学者にとどまるわけですよ。やってもやなくてもいいことやってるってことですよ。別の言い方をするとね。
カッコ2とかカッコ3とかいらんのですよ。学者ならダメですよ。あそこつけないってのは許されないはずなんだけど。APSIの守れとかって絶対言われるんですけど。APNPってちなみにサイコロジーなんですけどね。アメリカ心理学協会かな。だから心理学ってそういうところが多分にあるってことですよね。形式にうるさいと。なんで形式にうるさいのかは私はわけがあると思ってるんだけれども。
そういうことなんですよ。我々は野良だから。野良であるということはつまり正式ではないということだから形式を真似ることはできても形式に沿うことは不可能。だから指針というものを作ったところでその指針は指針の真似事でしかないんで。だからいきなり切り替えてもあいつ馬鹿じゃねとは言われるかもしれないけれども批判はされないんですよ。
抽象されることがあったとしても批判はされずに済むんですよね。悪口言われるだけだってことですよ。これで済むのは野良だからなんだと思うんですよね。家から追い出されるということはないんです。なぜなら家がないから。
ここがすごい大事なんですよ。その特権をフルに活かしつつ、家があるものの真似をするっていうこの形式をやっていく。多かれ少なかれやっていくことになる。
これは藤山直樹さんが書かれてたと思うんですよね。調子が悪いんですと。都市の中でいくら医者にかかっても治んない。つらいなあという時にですね。ヨーロッパの話なんで都市郊外に出ていく。
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都市郊外に出ていくとどういうことが起きるかというと、色のついた水とかを差し出されて。絶対飲みたくないですよね。でもその人はすごいつらい。あるいは焼いた芋とかを出されて、これを食えと。
そしてこの色のついた水を食後に3回ずつ飲めと。医者の真似してるじゃないですか。しなくていいのに。その人は都市から追い出されてる存在じゃないですか。でもなんかできめんに良くなったと。でもそのことを人には言えないんですよ。火破りとかになるからね。こういう話ですよね。野良カウンセリングっていうのは。
不思議なことに精神分析ってそういう話なんですよ。隠れ家ってそういうことじゃないですか。秘密の場所に行って秘密の人と会うと、何か事態が急に好転する。本当はそういうことはあってはいけないことなんですね。なぜならその人はそういうものを食べさせていいと。王様からの認定証をもらってないから。都市であれば都市の領主様みたいな人がいるはずなんだけど。
その人が犯行するわけじゃないですか。これが認定ってことですよね。だからこれをしてないのに、人に色のついた水とかをあげちゃいけないわけですよ。私が東映ドイツかとか口走るってのはまさにそういうことなんですよ。これが初回面接設定ではすっごいあからさまになる。本当は正式の時にもめちゃくちゃあからさまになっていくと思うんですよね。
結局のところ、こいつ信用できるのかどうかっていうのを、色のついた水飲めるかどうかっていうのは、それをもらいに行った人が最終的に判断するしかないじゃないですか。領主様に聞いたらダメだっていうし、他の人に聞いてもダメだって言うでしょ。でも自分の病気は治らないんですよ。その人たちの言うことを聞いていたとしてもね。ビジネス書って僕はそもそもそういう位置づけのものだったと思うし、ライフハックもそうだと思うんですね。
だからこれが公式に認定されるというのは、基本的には価値を既存するもんだろうと思います。デミニコットっていう人は非常にそういうつむじ曲がり感がある人だったので、新聞説は基本的には公式のものになっちゃダメだって、藤山直樹さんもそういうようなこと書かれるんですけどね。そういうようなことを言ってるんですよ。保険つけるなんてとんでもないと。
だからこの番組でも何回か紹介した、そんなことをすると患者が分析化を憎めなくなるじゃないかっていうこれを手紙に書いたのかな。そんなこと書かれても言われても多分相手は理解しなかったと思うんですけど。要するに公式になっちゃダメだってことなんですよね。
こんな色のついたミス飲ませやがって、本当にそのおかげで下痢になったし酷い目にあったんだよって言って怒ることが必要だったりするんですよ。来た人にとってはですね。でも初回はそうじゃないじゃないですか。ある意味初回は騙されてるとも言えるじゃないですか。騙されてるっていうのは他の人の言うことですよね。
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そんなところに行って芋に食わされるなんてお前バカだなって言われるっていうこれ。これが必要だっていうことなんですよこれは。こういうことが起きないで、好転しない時代っていうものがこの世の中にはあって、つまり僕が言いたいことは、野良は必要だってことなんですよ。
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