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2023-04-03 14:16

#70: イケボレトリックポエミーラジオ

よこやまがむかし書いたnoteの記事を解説しました。


よこやまのnote

https://note.com/yyyokoy/n/nc5250058d2d2


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人間FMへのおたよりはこちら

⁠https://forms.gle/atg3mpRJ6W83DjYv9

noteブログの挑戦
横山です。
大樹です。
僕一応noteのアカウントを持ってるんですね。
note.com。
はい。
で、ブログを書く習慣をつけようと思ってnote頑張ろうとしたんですよ。
うん。
それがちょうど4年前。
おお。
で、1個目はリリースしましたと。
4年前ぐらいに。
はい。
うん。
で、2個目は下書きに残ったまま延々に眠ってたと。
うん。
いう感じですね。
要するに1発。
1発で終わりました。
いいな、三日坊主のいいとこで。
堅苦しい文章の苦労
ちょっとなんか日々考えてることを文章にしようって思って1個書いて満足して、
次書こうと思って下書きに残したまま執筆活動することはなくなったっていう。
うん。
で、最近久しぶりにnoteにログインして、
「俺なんか下書きに書いてあんじゃん」って思ってそれ読んでたんですよ。
あれこれ普通に出していいやつじゃんってなったから出したんですね。
うん。
その下書きに残ってるほぼまんまで出したんですか?
そうです。
読める読める全然って思って出したんですよ。
なるほど。
なんか書いてる時、自分に厳しくなる時ありますよね。
はい。
雑誌って確か5いいねぐらい、5好きか。
5好きぐらいついて、なんか人読んでくれてんなってことで安心して普通に出せたんですね。
けど当時はこんな文章じゃよくわからんって言って、
延々と推考しまくって結局出さないってのやってたんですよ。
なんかちょっともったいないことしたなって思いつつ、
で、今こうやってラジオで全部拝接してるんで、
単純に文章書くのがだるかったってだけでやめてたから、
喋るのであればいいやっていう風に。
こんだけの内容があるのに全く拝接しなかったのは変な感じですね。
うんうん。
そうですね。
だから拝接の場所を見つけたっていうのがこのラジオですね。
で、ノートでも拝接してりゃよかったって思って、ちょっと後悔してますと。
で、その時書いた記事、
いや確かにこれ書くの時間かかるわっていうか、
あの、わざわざなんかすげー難しそうなテーマに挑んでるんですよ。
1個目書いたのが多様性とは何かみたいな話で、
2個目の話は教育とは何かみたいな。
だからそういうのなんかね、
壮大なテーマに挑もうとしてっから筆が進まねえんだよってことで、
こう難しいことをカッコつけて書いてんなこいつっていう風に思いながら、
まあでも読めるなっていうレベルでしたね。
僕も読みましたよ。
かこやまさんの最近のやつ。
教育=神。
はい、そうそう。
なんか教育について、教育とは神なのだっていうような、
主張をしているようなノート書いたんですけど。
うん。
ちょっと説明欄に貼っときますね。
はい。
これマジで文章が絶望的に堅苦しいんですよね。
うん。
どの立場で何を喋ってるのか分かんないレベルで、
文章が堅いんですよ。
なんか謎っすよね。
このスタンス意味分かんないですよね。
うんうんうん。
で、このスタンス2連続でやったら、
もう自分が何なんか動かなくなってきたんで、
はい。
俺はこんなスタンスで喋りたいわけじゃねえんだよっていう思いで、
あと文章を書くのはちょっとやめちゃいましたね。
言い訳かもしれないですけど、
文筆スタイルに心地よさを感じないんでね、
ちょっと文章による拝説は向いてなかったっすね。
教育=神の解説
うん。
まあその分あと時間がかかるんで、
ちょっと「あ、拝説しよ」って思った時に、
パッと拝説できないのもしんどいっすよね。
(♪)
で、これ教育=神っていう話なんですけど、
ちょっとその解説をする回ということで、今回は。
まず最初ちょっと好きで、
うん。
人間は羊ではないっていう風に入るんですよ。
うんうんうん。
で、その人間は羊と違って、
社会は複雑であるから、
管理というか、
何かしらの方法で人々をまとめなきゃいけないよねって話から入るんですね。
羊ではないってどういうことなんですかね。
いや、まああれです。ただの比喩として、
多分これなんかの本を引用して、
「お、この説かっこいいな」ってことで思ってきたんですよ。
で、人間は羊ではないっていう風に書いて、
人間と動物の本質的には違いは何かっていうことで、
まあその社会の秩序の維持の難しさっていう風に、
一応前提を置いてるんですね。
ちょっと飛んで、一番最後の章に行くと、
もう一回「人間は羊ではない」って言うんですよ。
うん。
その後に、
「人間は羊ではない、
そして羊もまた、
皆、同じではない」っていう風な形で、
人間、だから羊って全部一緒のように見えて、
なんか同じような動きするじゃないですか。
うん。
だから、羊は羊って適当にガシャッと管理しちゃって、
人間みたいに個々に寄り添うってことをしなくても大丈夫でしょっていう話から、
冒頭始めてるんですね。
うんうんうん。
最後にそれをひっくり返すって形で、
この「羊ではない、
レトリックについての考察
そして羊も皆全て同じではない」みたいな感じに入れてるっていうのを、
なんかちょっと書いてて、
「あ、これええやん」っていう風になって、
ちょっとなんか勝手に一人で気持ちよくなってたやつですね。
けど多分伝わってないですね、これ。
確かに。
なんか僕読みましたけど、
そう、確かにそうだったなって今言われて思うけど。
いや、だからこういうのを、
なんか色々知りばめたいって思いで、
この文章と向き合ってて、
その、だからあれですね、レトリックとかを、
色んなとこ本から収集してたら、
終わんねえんですよ。
いや、文章の方がそこら辺、
まあ、あれですけど、
できますよね。
なんかラジオとかで、
ちょっとかっこいいオチとかつけたくても、
なんか適当に喋ってるんで、
なんか難しいですよね。
まあもちろん完全な台本を書いて、
やればいいんですけど、
それってもうその台本をリリースした方が早いんですか?
そうですね。
ラジオの方がライブ感があっていいですね。
うん、楽ですね、単純に。
僕文章書くのもそんなに嫌いじゃないんですけど、
あのラジオの方が圧倒的楽すぎて。
はあはあ。
そう、もう苦手っす正直。
このレトリックで人をなんか沸かすっていうのはできないですね。
勝手に自分で気持ちよくなってるけど。
沸かすのが、あのそもそも、
なんか目的なんですね。
社会秩序と教育についての考察
まあでもこの羊のくだりは、
お、これ良くねって思って勝手にテンション上がってるやつなんで、
もう伝わらなくてもいいから、
書いてて勝手に気持ちよかったっていうやつですね。
(♪)
で、その後話がちょっと進んで、
人間は社会秩序の維持が大変だからっていうことを言ってますと、
それの対比として、
なんか映画を引用してて、
えっと、『猿の惑星』を引用してるんですね。
で、『猿の惑星』の中では、
そのリーダーとなるやつが、
とりあえず秩序を適当に維持してりゃ、
上手く回ってたっていうところから、
いや今の人間はそんなんじゃ上手くいかないから、
まあ宗教とかそういうので縛っていった必要あったよねっていう話に、
じゃあ確か繋がってるんですよ。
これ微妙で、
え、なんで『猿の惑星』なんてなったんですよね。
うん、確かに。
引用する映画微妙すぎねって思って、
いやここ直してーって。
別に『猿の惑星』がそんなに圧倒的なリーダーで、
どうなんだろやってんのかなみたいな。
なんかそれを言うなら、
フランス革命以前の人類がそうなんじゃないみたいな。
うんうんうん。
なんかここ、
いきなりトーンダウンというか、
なんか映画のセンス微妙じゃねっていう風になるところだから、
ずっと直したかったところなんですよ。
教育の問題提起と答えのなさ
へー。
直したい直したいって思って4年経っちゃったんで、
もういいやって思って。
なんかこのノートに対する解説っていうか、
反省会みたいな感じですね。
反省会確かに。
だから別に書いてないよ、ファジショーもないんで。
教育っていうのはみんなで同じことを信じていった方が、
秩序維持に繋がるから楽だよねっていう話。
今後今はそれが通用しなくなってるからどうしようって話なんですけど、
特に答えとかも見出してなくて、
おのおのちゃんと考えましょうって終わらせちゃってるんですよ。
だからこのノート実際内容ないですね。
それっぽいかっこいいことを並べようとして失敗してるノートなんですよね。
へー。
冒頭の羊しかり、陰陽の猿の惑星しかり、
なんかあれですよね。
星3つにはなり得ない要素ですよね。
あーどうなんすかね。
わかんないですけど。
ここはだから勝手に一人で反省してるやつですけど。
そうなんだ。
いやなんかシンプルに、
なんかよくわかんないけど難しくて自分には理解が難しいなって、
なんか思って僕はこれを読んだんですけど。
いやそういうコンテンツっすよ。
だからなんか難しそうなこと言ってるんだな、よくわからんけどって、
実際中身ないっていう。
そもそもこう難しそうなことコンテンツだったんですね。
そうですね。
前回のノートもそれなんですよ。
難しそうなことコンテンツでなんか塗り固めて、
それっぽいこと言ってるだけっていう。
特に主張はないっていう。
でこれの本質的な問いがこのノートの、
教育っていうのが今みんなにとっての正しさとして広く信じられてる、
ある種神のようなものであるっていうふうにまとめた上で、
かといって教育っていうのは絶対的な正しいものではないよね。
今後の教育ってどうしたらいいんだろうね、
みたいな問題提起をしてるノートなんですよ。
答え出てないんですよね。
だから適切に教育しましょうみたいなちょっとフワッとしたことになっちゃってて、
いけてないなって思うんですよ。
教育と秩序の関係
かといってこれに対する答えってマジで出せないと思ってて、
ある種これに対して答えを出さないっていうポジションを取ったこと自体が答えなんじゃないかって思えるんですよ。
なんか今パッと聞いて思ったのが、
教育=神であるっていうのは、
もしかしたら結構同じことの言い換えというか、
トートロジー的な話なのかなって、
なんか思ったりはしていて、
今あえて言うのは学校=神みたいなところが、
もしかしたら横山さんの言いたいことなのかなって。
昔はその宗教、ある意味宗教が教育だった。
今は学校が教育になったみたいな話で、
教育=神ってことは元々で、
変わってきたのはそこだよねっていう話だと思っていて、
なんかそれで言うと、
学校=神っていうところの次は一体何が教育になるんだろうなみたいなことをちょっと思いましたね。
この教育がいけてないってこと自体は多分みんな同じ感覚として持ってると思うんですよ。
かといってこれの次が見える人なんていたらもうそれ実際にやってるでしょってこともあるし、
なんかそれができない原因もあるだろうしで、
すぐには絶対変わらないものなんだなとは思うし、
別に変える必要もないなとも思うんですよ。
どうなんだろう。
ユタボンとか見てると、
YouTube=教育になってる世の中も部分的にはあるのかなみたいな。
別にそれは政府が意図して変える変えないの話じゃなくて、
世の中が変わってきてるみたいな意味で言うと。
学校というものに触れる以外のところでの影響力が高まっていて、
それが実質的な教育になってるんじゃないのかなっていうのは思います。
あとこれで書きたかったのが結構あれですね。
正しい教育をしたいっていうのが人間の主たる目的ではなくて、
秩序の維持っていうのが主たる目的なはずなんですよ。
だから秩序維持のためのシステムである教育っていうのを維持する必要は全然ないってことなんですね。
だから逆に言うと、秩序維持っていうのは外部の世界のことを反映した上で維持をしていかなきゃいけないわけじゃないですか。
だからシステム維持するというよりかは秩序を維持しなきゃいけないんで。
なるほど。教育は手段であって目的は秩序の維持。
で、他の手段が見つかるんであれば別に教育を守らなくてもいいよみたいな。
究極的にはその秩序が維持できさえすればいいんだから、教育を変える必要があると。
教育によるシステムの維持
だからシステムの維持っていうのが目的になっちゃってて、
秩序の維持ができてないっていうのがもしかしたら今の現状かもしんないねっていう話をしてるんですね。
SFであったのが、サイコパスって見ましたか?
あれですか、アニメとか。
はいはい、見ました。
あれのシビラシステムだなって思って。
はいはい。どうなんですか、あんまり覚えてないですけど。
なんか覚えてるのは、マイノリティリポートみたいなもんですよ。
世の中、なんちゃらシステムみたいなやつが、それぞれの人間の性格診断みたいなのをみんなにして、
で、こいつ犯罪起こしそうだなみたいな、いわゆるサイコパスのやつを見つけたら、
別に犯罪起こす前にそいつ捕まえちゃうみたいな話ですよね。
それが秩序維持のためのシステムじゃないですか。
で、シビラシステムのいいとこは、秩序の中に、じゃあ秩序を目指すハズレ値が発生したら、
そいつをシステムの中に取り込むってことをやってるんですよ。
ハズレ値にも対応できるようになって、よりシビラシステムが正確なものになるっていう。
教育にもこれが必要なんじゃないかってことで、
ユダボンがハズレ値だとしたら、それをなんかうまく取り込むっていうようなフィードバックループがあれば、
システムも維持し、秩序も維持できるような完璧なものができるんじゃないかっていう。
なるほど。教育をちゃんと制止というか、コントロール配下に教育をもっと持ってこようみたいな話ですね。
教育システムの問題点と改善策
今そもそも秩序を維持できてないんですか?よくわかんないですけど。
まあ、ってか歪み自体は出てるじゃないですか。
みんながみんな学校に行ったら幸せかってわけでもないし、
その学校に始めない人も、だからいじめとかも起きるし、
っていうような細かい話ですよね。
ある意味、もともとそういう歪みはあると思っていて、
今が秩序が乱れてるかどうかっていうのは別にして、
みんなでもっとハッピーな世界を作っていくために、教育はどうするべきかみたいな話ですね。
だから他に変わる手段は全然あるでしょっていうのがありつつ、
それを実現できてないのが今の状態だけど、
それに変わるものはすぐには見つかんない。
かつ、あるとしたら、しびれシステム的な進化をするべきであって、
学校の教育現場から紛失した問題っていうのすらをシステムの中で取り込んじゃうような
フィードバックループがあったら、なお良いんじゃないかっていう。
今だと、外れ値が出てたらそれに蓋をするような感じで解決してると思うんで、
それはないみたいな。
だからそれをなくしてければ、良い世界になるんじゃねってとこまで書きたかったんですけど、
イケボレトリックポエミーラジオの構想
そんな体力がなかったっていうことですね。
なるほど。
[音楽]
それをだって、この今のちょっとよくわからない話を、
理論的に話すのはまずいいですけど、レトリックくっつけて話さなきゃいけない。
そんな制約ないっすよ。
ちょっと比喩とか使って。
これがね、やっぱ文章書くとこの難しさっすよね。
ラジオもある意味、レトリック使えよって思われてるかもしんないですけど。
どうなるんすかね。すげーなんかポエミなラジオになりますよ。
でもそれイケボのやつがやらなきゃいけないやつですよ。
ちょっとなんかイヤホンして聞いてください。
ASMRでイケボでレトリック満載のラジオをするっていう。ありそうだなでも。
そういうノートを目指してたんですよ。だから僕は。
イケボレトリックポエミラジオを文章でノートでやりたかったんですけど、
それができなくて挫折しました。
別にイケボ、なんだっけ。イケボレトリックポエミラジオか。
イケボレトリックポエミラジオを目指してもないし、できるわけでもないし、文章でできるわけもないし。
なんかあれですね。文章か音声かっていうよりは、
イケボレトリックポエミを目指すか雑談を目指すかっていうテーマ性の違いだったかもしれないですね。
そうですね。イケボレトリックポエミ状態になったらノート書きゃいいのか。
まあそうかも。
イケボレトリックポエミモードとお便り募集の紹介
3年に1回くらいあるんですよ。このイケボレトリックポエミモードが。
それ掴んだらすぐにノート書き起こすようになりますね。
別番組作ってもいいですよ。
イケボレトリックポエミラジオ?
その気分の時だけそっちで声優を雇って、その時は喋らせる。
むちゃくちゃなラジオになったな。
ノートは今後期待しててください。またレトリックポエミラジオ来るかもしれないんで。
ノートの紹介でした。
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