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2024-09-12 35:12

063初代 桂小南「競馬興業と競馬狂の話」

063初代 桂小南「競馬興業と競馬狂の話」

菊花賞・有馬記念でオルフェーヴルに2着で敗れ、そして天皇賞ではフェノーメノに。時代が悪かっただけのウインバリアシオンをぼくは忘れていません。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見ご感想、ご依頼は公式Xマでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。 さて今日は、
桂小南さん、初代桂小南さんの競馬興業と競馬狂、 競馬狂いの話、です。
落語家さんですね。初代桂小南。 落語の名席、初代と2代目は東京で神方落語をした、大阪の落語をした話家として知られる。
当代は3代目に当たるということで。 落語家さんもね、なんかね、落語を見るっていうのも結構いいんですよね。
いいというか、 面白い感じがします。
落語家さんをね、追っかけていくのがドキュメンタリーを見ているようで。 師匠と弟子の愛と憎しみの混じる絆の感じ。
あの
横浜家系が、 家系ラーメンが吉村屋からいろんな分発して流れていった系統図にして、ハウスツリーにして、
どこどこがどうだってなっている図見たことありますかね。ああいうのを分類するの好きなんですよ、男の子は。
で、同様に馬もね、今回の馬の お父さんが誰だ、お母さんとそのお父さんは誰だ、みたいなね、追っかけていくのが好きみたいなちょっとあるんですけどね。
どうでしょうか。 それでは参ります。競馬工業と競馬狂いの話。
スピードの世の中であります。 この意味において競馬は最も今日、高速度的施走の推移を如実に表示するものであろうかと思われます。
私が年末、大の競馬狂いとしてこれに没頭しますのも、そうした点に興味を持つからでありますが、
執着の結果は、 春秋の競馬シーズンを待ちかねて、どうかこれが同一の工種と実感と、室内において味わう工夫もがなと、
月には身をやつすので、 日夜先進先逸屈進を致しました。
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ところが、思う念願岩をも通すことわざにて、 私の顔よりも馬の顔よりももっと長い間の苦心が首尾よく今日に報いられまして、
ようやく格の如き室内競馬と銘打ったる高級遊戯セットの発明に成功いたしまして、 ただいま新安特許も出願中でございます。
このセットは普通の競馬組織を二手で下げ得るだけの小箱の中に圧削したものでありまして、
わずか5、6メートルの長さのお座敷ならば、 自由にゲームレースはできるのであります。
しかも模型の馬と騎手がスタートを切って、およそ1分内外に決勝点に入るまで、
一死一長、 そのいずれが先着を占めるかを予断しかねるところに、
実際のレースと少しも変わらぬところの環境が湧くのであります。 なおそれのみならず、一定の動力をもってして、
各場に一定の速度を与え、 レースごとに勝ち馬の見込みを異にするように装置しましたのも特別の入念を要した点であります。
さらば各ご家庭はもちろん、クラブ、ホテル、集会場、 カフェ等々にお供え付けして、
春の朝の閲落にも、秋の夕の生後にもどれほどに使わしいかは知れません。 あるいは、園養近海高校の既選内によりましては、
5,000客の新しい娯楽として、到底デッキ、ゴルフなどの日ではなかろうかと存じます。
どうか私のこの頭体相応の大きな苦心と、 両肩相応の小さな発明とにご声援を願います。
私が大阪から東京へ来たのが明治38年でした。 その当座、競馬の馬券は1枚10円で、
穴が出れば今のような10倍の制限でなく、 いくらでも取り次第というやりようでありました。
私が初めて競馬に行ったのは、横浜の新富町という寄せの主任をやっていて、 根岸に競馬があると聞いて、まるがり分からぬのにブラブラと言って、
ゆくなり驚いたのが入場料5円で、ちょっとヘキヘキしたが仕方がないので奮発して入った。 さあみんな、馬券をこうてどれだけ取られたと騒いでいるが、
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一向に勝手がわからぬ。 それからでたらめに、ほとんど献徳のような具合に馬券をこうてみた。
一向に当たらぬ。 この献徳ってのは宝くじのようなもののことを言っているようです。
なんでも8競馬か9競馬目くらいに、やはり献徳でこうた馬。 確か番号は5やったと思う。
見事に端の切れっぱなしで第一着に入ってくれた。 これが私の競馬に入り始めで、なるほど面白いということを感じた。
さあ少なくも10円が5、60円、もしくは100円くらいになったであろうと喜んで払い戻しへ愚痴へ行くと、
10円50銭の札がかかって、つまり50銭より儲けがなかった。 結局その日は100円ばかり損して帰った。
それがやみつきで、そのあくる日には連中一度をはかって、 真と未定の喜怒あがり50円で点切りをして、
これで馬券を買うことに競技の結果定まって、 で共同金の50円を持って、やはりほとんど献徳のような具合で順々に5枚買おうた。
その中で3つ当たって、 50円の金が200何本になった。
それをばつまり喜怒あがりに変えて割に割ったら、 今まで寄せで出たことのない石の割が取れたこともありました。
寄せの売り上げを全部競技にぶち込んだって話ですね。 その50円を丸存したら客が来なかったものとし、
買ったら客がその金高だけ寄せに来たものとして取って割りました。 なかなかその経緯は面白かったものです。
それから東京へ戻っても、その当時は松戸、 板橋、川崎と一日も欠かさず走り歩いて見ておった。
その当時、役者で好きなのはやはり今の歌えもんさんであった。 私は競馬の一番嬉しい勝ちようをしたのは板橋の競馬であった。
第11競馬が神馬競争で、 これを見ておると石に襲うなるので諦めて帰りかかると扇を拾った。
そこからまた献徳という心を出して扇を拾ったから斧つく馬を買おうと、 出馬の名前を見ると大山という馬が出た。
何心なく扇を広げてみたら、大山大将の写真が入っておった。 この時はもう川の内から撮れたような気持ちがした。
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で、大前2枚を買おうと見た。 すると橋を切っぱなしで見事一着を取った。
扇刀は600何歩であったよって2枚買おうて。 1200何歩の金を取って、ああ大い割で5人乗りの車に乗って宅へ帰ったことがある。
それから間もなく馬券というものが廃止になった。 よってしばらくは無沙汰しておった。
すると公認競馬で馬券でなく商品券という安売にして、 10円の入場料で2円券を5枚ずつくれることになったので、
それでまた夢中になっていっておったその頃には、とりあえずお客も今のように入っておらぬので、 競馬場も歓声なものであったが、
いつしかまた馬券が復活するという噂が立つと同時に、 おいおいとまた競馬が盛んになってきた。
震災後、よしよし馬券1枚20円という規則ができて、 12月に目黒で川切りをした。
その当時は大抵の観客は夢中で行っておったが、 私は景品券自分から行っておったので馬の調子をよく知っていて、
刀ならば馬をこうてもつまらぬと思ったが、 120、30円、もしくは200円の大穴が出るようなみんなの買い用であった。
ところがこの頃はみんなが上手になってきて、 なかなかそういううまいことはない。
復活べき馬を買うとほとんど配刀があるかないかくらいの始末で、 約2、3年はだいぶに損をしましたが、
もっとも競馬というものは決して儲かるものではない。 よく皆さんが
君競馬に行って儲かるかい?と言われるとムッとする。 なるだけ損を少なく遊ぶ場所として今もって欠かさず競馬は見に行っているが、
どうも1年に春秋冬2回の競馬では待ち遠しいもので、 全くイライラして競馬の夢を見たり、
ぶらっと何気なく競馬場へ出かけたり、 全くもって気違いじみた自分を見出すこともありました。
そこで研究の結果が禅術の玩具で、 つまり狂いの副産物です。
私が講座で枕に振っている役者の競馬についても、 この頃は役者も盛んに競馬を見に来始めて、
もう歌い者さんなんか古顔で、 役者と言うてもあの年だから色っぽくもなんともないが、
その息子の福助を始終連れて行く。 そうなるとあの大勢の婦人連中が誰もかも福助の方へ目をやって、
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どうかするとどの馬が勝ったか知らぬ婦人連もある。 で気についたことは競馬の馬券を売る女事務員が、
大抵みな年16、7から24、5止まりで、 住人並みの婦人を揃えてある。
やはり全てが女子の世の中と見えて、 ババアが馬券を売っては買うお客が気持ちが悪い。
これご時世的には厳しいですね。 16、7から27、8止まりで、ちょっとした女に馬券を売ってもらうと気持ちが良い。
まして馬券を買いに行くと皆さんご承知であろうが、 穴場へ20円突っ込むと混雑せぬように、その女事務員がこちらの手をばしばし握ってくれる。
20円を取って馬券を握らして返してくれる。 このわずか5秒か6秒の間であるが、
20絡みの美人にちょっと温かい手で握ってもらっている間の気持ちは、場合によると、 馬なんか負けても構わぬという気になってしまう。
これは私だけのことではない。 一般の皆さんがそうらしい。
ところがそこでガラリと様子が変わるのは、 役者が馬券を買いに行った場合、
女事務員の方が役者の手を握ることを大変嬉しく待っている。 よって福助が馬券場へ入っていくと、どの事務員もどの事務員も、
網窓の上から福助がこちらに買いに来ればいいがと、 他のお客が手を突っ込んだって打ち捨てておいて、
福助の方ばかり見ている。 これは2年前の目黒の競馬であったが、
ちょうど私の顔を灯っている馬を福助君も買いに来ておって、 私の隣の窓から今や手を突っ込もうとしておった。
その時に上から女事務員の顔を見ると、 ああ大穴でも取ったようなニコニコ顔して、
福助の手が握れるとむずむずしておった。 その時尺に触ったので私の手を横合からゆつと突っ込んだ。
ところが事務員はその前に福助がいるからその手を福助と思ったものか、 さあ握ったがどこともなく力が入ってぐっと握りしめた。
4秒か5秒かで済むものが、その時は12、3秒もかかったでしょう。 私もたびたび馬券売りには手は握られたけれども、
あの時ほど心持ちよう力の入った握りようをしてもらったのは初めてで嬉しい感じがしたが、 よくよく考えてみるとこれを私の手と思って握ってくれているならばありがたいが、
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その前にいる福助君の手と思って握っているからあまりありがたい気持ちがせぬ。 いよいよ手を抜きしなあに、上から首を出して事務員に言う手やりました。
君、福助君の手だと思うで嬉しそうにしばらく握っておったが、 実は横合から手を突っ込んだ僕の手だったよ。
と言ったら、 あら、
いけすかない落語家の手だったわとこんなことを言いましたが、 全く同じ芸人の手も役者の手は得なものである。
乗り合いで馬券を買いました。 これは横浜である人が、君10円乗らぬかというので勧めに来てくれた。
顔を知らぬ人であったけれども、よろしいと言うて乗りました。 その馬が買って配当が150円。
ああ、ありがたい。 思いもやらぬ馬を半分乗せに来てくれて75円儲かったと思ったが、
いつまで待ってもその人が持ってきてくれぬ。 これはよくあるやつで、時折当たるとその金を取って乗った人をごまかして逃げてしまう場合があります。
私もその手に引っかかっていたのであろうと探しくたびれて諦めて帰りました。 その時、私の切席が10番の福土停でした。
福土の切席に上がって閉めて帰ろうとすると、 木戸から帰りかけているお客が私を待っておって、
今日二人で交代圧が当たったから金を持って探し回ったが、どうしても馬券場で見当たらなかったので、 ここまで持ってきてやったという
75円くれればよろしいものをゴーシュに追いつけるというので、 80円もらうてこんな嬉しいこともありました。
そこでこういうのはやはり芸人の徳というのでございましょう。 競馬の歴史なんか調べている競馬狂いはまずありません。
そういう暇があればどの馬が勝つかを研究する。 それに競馬で勝った者は他の者と違って勝ったことを利口相に言う。
いろいろ批評してこの馬はこここういう癖がある。 これはこういうところで勝つ。
あんな馬でどうして勝てるものか。 これはこうしてこうと、それなのに外の馬を買う奴はバカだという意気がっておりますけれどもね。
また夫婦連れなので来て、俺が何番を買えというのに貴様がグズグズグズグズ言うから、それ見ろ、 こんな大きな穴ができたじゃないかと争っているのもあります。
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私は競馬となるときちがいじみて、 それでも商弁は一遍も休みはせぬけれども、ほとんど馬のことばかり言うておるでしょう。
みんながきちがいきちがいというのです。 それでみなに味を知らんでそんなこと言うけれども競馬に一度行ってみよう。
自分の買っておる馬が2番目が3番目についてどんどん走っていって、 いよいよ決勝100メートルからじりじりそれが向こうへ出てきて決勝近くになって、それが花を切り出したときの心持ちというものは他で味わうことのできぬ愉快がある。
だから競馬に行っておるものは半分きちがいだよと言っても、 根っからみんながその気にならんのでしょう。
それから落語家としてこれだけ流行している競馬を知らぬのは権利ない。 芸術の修養として見に行って価値があるだろう。
何も競馬をやりに行くのでない。自分の家業の一つとしてあれだけの盛んな競馬は、 なるほど競馬というものはみながきちがいになるものだ。
いろいろ階級などすごい人もいれば、その日に困っている人でもやはり行っているのですから、 そういうところを研究してくるのには
たくさん商売上の価値があるよと勧めたもんですから、 一遍見ようかと言ってちらほら来る。
来ればただ見ておられぬ。 ちょっと馬券を買う。負ければ口惜しいからまた買う。
その中に取る。 取った時の味が今言う通り何とも言いようがない愉快なところがあるから、 ついまた買う。
その日帰ってきても開くる日あると思うと、 開けるとじっとしておられませんで出かけて行く。
それで今のところでは連中内で20人くらいでしょうね。 だいぶ夢中になりました。
配当は、公認競馬は1割5分転引、 つまり競馬場の手数として取るのです。
残った8割5分を買った馬の馬券数に割って払い戻しということになる。 無論勝ち馬の投票が少なくて200円越せば、あとはクラブの習得となってきます。
草競馬は転引2割です。 それから面白いのは雨が降った日です。
歯のついた履物を履かしません。 いや、歯の物は雨が降っても降らぬでもそうです。
よって雨が降ると靴より仕方がない。 そうすると長靴履いて、それが妙麗の婦人ですわね。
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しかも一流の。 それが長靴履いてすっぽり街灯を着ておる。
もっとも婦人が雨の着流しの街灯がありっこはないから誰かの借り物でしょう。 それを着て、
頭から頭巾をかぶってしまって、そして無論長靴ですから、 お尻はすっくり端折っておる。
そばの人は、「随分あの女の風姿は何というのだ。」と思うけれども、 競馬場の中では決して人は笑えません。
とかめるだけの余裕がないのです。 気違いともに服装の云々はあるはずない。
あの風姿を気にするのは本当の競馬好きじゃない。 雨が降って馬券が買いに行けぬの。競馬を見ずに人の後に入って腰をかけるのと、
雨を避けてしゃがんでいるのは本当の競馬好きではない。 だから競馬場ではそういう風をしておる方が順当ですな。
競馬の広告については、すべて何が一番広告が行き届かぬと言うても、 競馬ほど行き届かぬものはありますまい。
というのが競馬があるのをこちらから探して行くのですから、 ただ公認競馬でも何でも新聞にちょっと出ているだけでしょう。
草競馬の方はいくらかプロなんかも出してやっておりますけれども、 私らが行ったときは草競馬まで行きましたがね。
けれどもあら、こんなところにあったのかねという場合があります。 まるで知らずにいることがあります。
他のものと違って競馬場ほど。 いろいろ競馬場の悪口はありましょうけれども、
お客の不便をかえり見ぬところはないでしょう。 現に雨が降って刃のついた下駄がいかぬので、それには服の人が多いから皆苦心する。
また私ら商売柄洋服を着ない。 それに私の洋服は映らんのです。
前に競馬に行くために洋服を作りました。 映るにも映らないにもよほど不格好です。
家内やら子供は、お父さんも洋服着ていくなら私一緒に行かないし、 もしも一緒に行っても別々にいましょうよ。
権利ないから。 というわけ競馬場でも笑われますよ。
あれは来ないや。服の映らぬ人ね。 と言われるから雨が降った日だけ服着て行って行ったのです。
去年の秋でしたかね。 去年の秋は雨が降りましたからね。
この雨では着物では仕方がないから服を出してくれと言うた。 ところが家内が2円で靴屋に売っちまいましたという。
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こしらえる時は670円かかった服でそれをたった2円で売ってしまった。 またクラブに対する不平はお客の方から申しますと
第1番の請求は200円で制限してあるのが一番ひどいです。 よって今までの馬券法の自分には10人の中で3、4人もまあ大げさに言えば自殺するとか
身のしろを潰すという人があった代わりに 1人や2人なり銀ができたりしましたが
今度のこの方法でやられたならば全部競馬ファンは肺結核にかかったようなものでじりじり殺されるのです。
そんな不服ならばこのでも良いではないかとクラブの方に言うでしょう。 ところがこれがタバコ好きがタバコの音が上げられたのと一緒で
仮に四季島が三十戦になってもひどいことしやがると言ってやめることはできぬ。 やはりブツブツ言いながらそれを飲むのと一緒で競馬ファンもその通りでクラブが不親切な残酷な暴利すぎると言いつつやめることができぬ。
それですからすべての人要請の中で私に言わせれば1番競馬クラブというものは大棒でしょうね。
やはり遮断法人というのを鼻にかけて祝っているのでしょう。 馬も良くなってきましたし騎手も上手になってきました。
よくヤオチョーヤオチョーという声が出ますけども、 障害と競馬速歩にはヤオチョーがないにも限りますまいが、
駆け出しには断然ヤオチョーがないと思います。 それでもあんな弱い馬を騎手が10枚も買って勝ったではないか。
ヤオチョーだと言いますが、 なぁに騎手の方では馬の調子も知っておるし、
外の馬と比べて今日の競馬はことによると勝つぞと調べがついておる。 お客の方ではいつも勝った馬でないから、
あんなものが勝つべきものでないというのが間違っておる。 馬や筋を調べますと、一生懸命に馬や筋は穴ばかり探して凍っているから大抵得しております。
よくお客が聞いておりますよ、騎手なんかに。 番組見せて騎手はだいたいわかっている。
じっと馬が出ましても2つくらい目をつけておる。 これとこれだ、これが出れば十分で、これが出れば穴だ、
それぐらいの見当はつけております。 お客が皆買う馬がダメで、意外な馬に騎手が目をつける時がある。
ヤオチョーでないのです。それがこの競馬の勝つべき馬なんだと言うけれども、 こそこそ馬や筋で買うからヤオチョーと言うだろうけれども、
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公然と買ったらお客もそれについてしまうから、 配当がつかなくなってしまう。
それですからこっそりわからぬように買う。 それから馬主と騎手の云々はあるのです。
早いことには今日は馬が傷ついてもよろしいから出せるだけ出してくれと注文する。 場合によると今日はあまり攻めぬでもよろしいよと言う。
それはあるのです。 つまりその日に楽をさせておいて、そしてここと賞金の多いところでひょっこり出させて、
それで賞金でも多く取り、馬券も余計買おうということになる。 配当が良くなりますからね。
現に去年の7月の中山の競馬で、松緑という馬を持っている人と誇れやすいのですがね、
松緑を持っている騎手は黒沢不美。 けれども親父は乗らぬで黒沢の息子を乗せるのです。
初日に部屋に行って、今日は松、どうだい? 松緑は好きですからね。
今日は調子は悪くないなぁ。 そういう、
彼らが調子が悪くないと言えばよろしいのですね。 そして探ってみると10いくら枚松緑を買いましたよ。
黒沢の手で。 それを見たもんですから確かだと思って、彼らに乗り、
こちらに乗りしてだいぶ買った。 黒沢の預かっている部屋で。
自分の息子が乗るのですから大丈夫と思って10何枚馬券を買ったから、 それを知って私からもやりましたが、だらしのない負けよう。
それからバカバカしいから部屋に行ってみた。 どうしたんだろう出ない。
外れちまいあがったと言っておりました。 その明るい日、
競馬場に入る前に部屋に行きまして、 昨日はまるで出なかったがどうしたい。
昨日は出なければならんのにあんな風になったんです。 あれでは受け合うことができぬ。
もちろんいつやったって受け合うことはできんけれども、と言って捨てることはできんので、
買うならば余計買わぬ方がでしょう。 というので黒沢で2枚しか買わなかった。
それが鼻切りっぱなしの第一着になった。 ですから八百丁もことさらできない。
草競馬はとにかく公認競馬では八百丁ではない。 馬の調子でわかってしまう。
それはあの馬に誰か乗ってそうだからどうだとか、 あの馬は3日前から物は食わぬのでいくらが体が悪い。
そうするとそういう奴が出るかもしれぬぞというのを探し出すのです。 ですが速報と障害は私はどうも時折八百丁があるように思うのです。
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つまり八百丁がしやすいのです。 今日は誰何がしに鼻を持たせてやろうと奇襲同士で義理の立て合いをする。
駆け足ではそういう具合にしようと思ってもいきません。 馬が調子づいている。障害はその前でちょっと注意すれば遅れます。
次にクラブの方では全然興行という意味は未尽もないのです。 まあクラブの言い草は100円や200円負けてくよくよいう人が来るところではない。
こちらは高級遊戯場だ。 1日200円や300円ずつ負けても差し支えない身分の人が遊びに来るところで、こちらに来て儲けて帰ろうなんというのはズーズーしいという。
一年中大きな馬場を遊ばしておいて、手入れしておいて、何万円という馬が10頭も20頭も飛び出してやる。
その中から儲けて帰ろうというのは無理だ。 理屈はこれになってしまう。
興行という意味はまるでありません。 ただし草競馬は興行式にやります。何でも構わぬ。馬券を余計売ってやる。
公認競馬でも馬券を余計売ればよろしいのですけれども、 かかっている人がとりあえず相当な人がやっているからあまり急がぬのです。
日本には公認競馬11箇所、草競馬100以上もある。 公認競馬は皆規則は共通で、ただ入場料が2円と3円です。
東京の方は2円と5円。他にどこも変わりはありません。 ただ他の競馬場はいくらか賞金が少ない。
何と言うても目黒がやはり一番よろしいでしょう。 目黒、横浜、大阪、京都という順のようです。
今度中山ができました。 ただし中山は今のところ京都の次ぐらいの馬券の売れです。
これはますます売れております。 東京の人が行きますからね。
今までの10円馬券の時で、配当無制限の自分にはずいぶんありましたけれども、 私はその間にあれでちょっと夢中になって、2年目か3年目に馬券が廃止であったものですからね。
わずかにこの前の馬券は4、5年間でしょう。 やってみてあまり乱暴になってきたので、やめてしまったらしいのです。
1997年発行。作品社。
日本の名水質、別館80。 競馬。
より読み終わりです。
読みづれい文章だったな、これ。 なんか
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落語家さん だからですかね。
読みづらい。
すごい読みづらい。 結局何が使いたかったのか。
自分が作ったおもちゃがあり、競馬がどんなに面白いのかを語り、 公営競馬と草競馬と言ってましたけど、これは多分後の地方競馬でしょうね。
ではなんか八百長があるかもしれないみたいな話に留まってましたけど、 二度とこの人の文章は読まん。
あんまり残ってなかったですけど、桂コナンさん。 皆さん競馬はお好きでしょうか。
僕はちょっと実は好きでですね 毎週楽しんでるんですけど
まあ趣味の範囲で いいもんですよ。
何がいいって少しやってると 人間の場合注目した選手
かっこいいなと思った選手 の子供って、その子供が活躍するって10年以上先
10、20年くらいとか待ついますけど、競馬の場合ね 下手したら
5歳の時の馬に、今あなたが何も知らない状態で5歳の馬に出会って、 その5歳の馬がその年引退して
その馬に惚れ込んでたとして、 3年後ぐらいにはもうその馬の子に会えますからね。
あの時お世話になったあの子の 子供が出てきたみたいな、そういう楽しみ方がね
できるんですけど。 まあ何事も運は運の要素は強いんですけど
まあ美しい生き物なのでね。 何が言いたいかわからなくなりました。
まあ何事も競馬、ギャンブルは程々にということでしょうか。
終わりにしましょうかね。はい、というところで今日の動画はこの辺で。 また次回お会いしましょう。おやすみなさい。
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