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はい、こんばんは、なおくんです。ということで、連日、連投、鬼更新で申し訳ないんですけれども、
うざい場合はですね、無視していただくか、フォロー外していただくかしていただければと思います。
はい、マイペースでやっていきたいと思います。ということで、今回のテーマはですね、
中学校時代の外国人英語教師の話についてね、ちょっと思い出したので話しておこうかなと思います。
一つ前の投稿で、しょぼい英語のスピーチをやってみたんですけれども、その話をですね、ちょっと日本語訳みたいな感じで話そうかと思うんですけれども、
一つ前の英語でスピーチしたやつがあるんですけれども、その話の元になった、その話なんですけれども、
中学校時代にですね、外国人の英語の先生がいたんですよね。
皆さんもね、そういう人がいたかどうかわかんないんですけれども、中学校時代に普通の日本人の英語の先生がいて、
補助的な立場で外国人からネイティブの、多分アメリカ人だったと思うんですけれども、
外国人が来てくれて、生の英語を聞かせるためのスケット外国人というんですかね、補助的な外国人が先生として来たみたいな、そういうシステムがあったんですけど、その人の話なんですよね。
それはね、ミスター・ミルトンっていう名前だったと思うんですけど、ミルトン先生って言ってたと思うんですけども、
多分当時30代、40代くらいの男性の先生だったと思いますね。
ネイティブなんで、英語しか喋れない人で、日本人の英語の先生が通訳してコミュニケーションをとるみたいな、そういう感じの人でしたね。
普通授業に関しては基本的には日本人の英語の先生が進めていくんですけれども、一応その中、外国人の先生も横に立っていて、ちょっと補助的に参加するみたいな感じの立ち位置だったと思います。
中学生時代、僕が中学生時代、多分中学1年2年とかそのくらいだったと思うんですけれども、英語の授業の中でスキットって言って寸劇みたいなことをやらされるっていう言い方あるんですけど、
そういうスキットっていう寸劇、ちょっとしたミニコント、コントじゃないけど、お笑いは求めてないんですけど、ちょっとしたお芝居っていうんですかね、ミニ芝居っていうんですかね、ショート芝居みたいなことをやるような授業があって、英語の中でそれが本当にマジで苦痛だったんですよ。
もう人前に出て喋るのがめちゃくちゃ苦手だったんですよね。今もそうなんですけども、特に中学校時代はめちゃくちゃ陰キャだったんで、人前に立つとか、ましてや自分で作ったものを発表するなんて正気の沙汰ではないっていう感じだったんで、しかも英語ですよ。
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30句ですよね。英語でかつ自分で考えたものを作ってそれをみんなの前で発表するっていうもう地獄の時間だったんですよね。2人1組みたいな感じで組んで、しかもその2人1組っていうのも僕は友達いなかったので、無理矢理組んだような感じの人と組んだのでもう全然楽しくないんですよね。
英語の文章に関しては完全に相手が作ってくれた文章なんですよね。英語の寸劇の文章も。だから僕は何もやってなかったんですけど、相手にお任せして文章を作ってもらって、ネタ作りは完全にお任せしてる漫才コンビのネタ書けない方みたいな感じだったんですけど。
相手が文章を全部作ってくれて、僕はその文章を読みながら、別に暗記はしなくてよかったと思うんですけど、確か細かいこと忘れましたけど、そういう感じで寸劇をやるんですよね、みんなの前で。
めちゃめちゃ恥ずかしいんですよ。本当になんかもう、もう多分棒読みみたいな感じだったと思うんですよね。で、声もちっちゃいし、なんかそんな感じだったような気がしますね。もう本当にね、あのもう、もう嫌だったんですよね。
で、その寸劇みたいなものを、なんかこうスクリプトみたいなのを確かね、紙に書いて、で、提出してみたいな、それそれに対してその先生が寸表というか、こうなんか一言書いて返してくるみたいな、そういうのがあったと思うんですよ。
で、そのスキットっていうかね、その寸劇の台本みたいなものに、なんかこう、その外国人のミスターミルトンがですね、あの書いてきたコメントが、Don't be shyなんですよ。Don't be shy.
って書いてあって、で、そのなんかアメリカ人独特の、あの独特の書体があるじゃないですか。アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、
アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ
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アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ
アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ人が、アメリカ
思いつつもですね、このなんか本質を疲れたような気がして、すごくね、なんか腹が立ったと同時に、ちょっとね、こうグサッと刺さったのもね、事実だったんですよね、もう、だって面識もない外国人が一言、初めて僕に直接語りかけてきた言葉、まあ語りかけてはないんですけどね、直接書いてきた言葉が、Don't be shyですからね、なんかすごいこう腹が立ったし、めっちゃムカついたし、でもなんかグサッと刺さったし、
しかもなんかこう本当にめっちゃシンプルな言葉じゃないですか、Don't be shyですからね、日本語にはなかなかない表現ですよね、
日本語だとね、まあまあ打ち切りにならないで、もっと前に出ましょうねとかってそういう言い方だと思うんですけども、英語のなんかこう英語ならではね、このなんかすごい直接的な表現でありね、もうそれ以上でもそれ以下でもないみたいな言葉なんでめちゃめちゃ印象に残ってたんですよね、
なんかすごいこうムカついたし腹が立ったんだけど、でも確かに、まあシャイなことをね、一目で見抜かれたような感じがして、
それがね、もう中学校時代のことなのに未だにこうずっとその赤いペンで書かれた文字、文字面がですね、ずっとこう心に残ってて、
で、まあここ最近そのラジオトークで、自分の英語を練習するためにどうすればいいかってことを考えたときに、やっぱり英語をアウトプットするのが一番早いなって思って、じゃあそういう時にどうすればいいかって考えたら、まあ恥ずかしいけどラジオトークで英語のスピーチというかちょっとしたミニスピーチを上げ続けたらだんだん上手くなってくるんじゃないかって思ったんですよ。
それはこの日本語のトークと同じように、日本語のトークも上手くなろうと思って毎日ラジオトークにアップロードし続けたら、ちょっとずつですけど話が上手くなっていったと、まあ僕は思ってるんですけれども、それと同じような感じで、じゃあ英語も同じようにラジオトークでコツコツアップロードし続ければだんだん上手くなるんじゃないかなって思ったんですけど、でもね、とはいえやっぱり英語をね、アップするのはめっちゃ恥ずいんですよ。
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そんな人いないじゃないですか。ラジオトークで見たことないですよ、英語を発信してる人なんて。英語が上手い人だったらともかくとしてね、下手なくせに英語を発信するっていうことはなかなかハードルが高いじゃないですか。
なのですごい勇気がいったんですけども、その時にね、パッとね、その時の記憶を思い出したんですよ。その中学校時代のね、ミスター・ミルトンが書いた赤い文字のね、Don't be shy。それがね、パッとフラッシュバックじゃないですけど、覚えてはいたんだけど、だいぶ記憶の奥底に埋もれていた記憶だったので、普段、日常で思い出すことはなかったんですけども、急にまたそれが出てきて、
なんか、あの時めっちゃムカついてたけど、その、なんかDon't be shyって、あ、その通りだなって今思ったんですよね。このDon't be shyの意識で、あのラジオトークで発信すれば、こう、なんかちょっと勇気をもらえたというか、壁を破る一つのなんかきっかけになったっていうことで、
なんか、今更ちょっと感謝の気持ちが湧いてきたというか、そのミスター・ミルトンにね、もうそれまでは本当にただただなんか腹が立つというかなんか、お前に何がわかんねえっていう感じだったんですけど、なんか今になってその言葉の意味がちょっとわかったというか、結局なんか英語がこう話せるか話せないかって、もうDon't be shyの精神なんですよね。
まあ多分日本人の多くはそうなんじゃないかなと思うんですよね。やっぱりこう、中学で英語を習って高校で英語を習ってってある程度基礎はできてるのに、ほとんどの日本人がなかなか英語がしゃべれないっていうのはやっぱりこう、うん、やっぱりこうシャイな気持ちを打ち破れないっていうね、そういうところがね、あるんじゃないかなと思って。
うん、だからそういうことをちょっとね、発信というかシェアしようかなと思って、まああの拙い英語でね、しゃべったっていうのが一つ前のスピーチなので。はい、あの、もしよかったらね、聞いていただいて、いいねをいただけると嬉しいかなと思います。そしてね、もしね、この僕のこの勇気のある、勇気のある発信にね、こうインスパイアされた方がいたらですね、同じようにですね、あの英語のスピーチをね、アップロードしていただけたら、僕もね、あの励みになりますのでね。
はい、ということで、今回はですね、中学校時代の外国人の英語の講師ですかね、英語の先生の話について思い出したので、ちょっとね、言語化してシェアしておきました。はい、ということで、以上です。ありがとうございました。