1. むらスペ
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2022-10-24 20:15

知ってるつもり 無知の科学

夜音声配信では知ってるつもり 無知の科学という本についてご紹介しました. 人間は個人の中にあまり多くの知識を蓄えることはできないけどコミュニティ全体の中に非常に高度に発達した知識を分散して蓄積することができているので、個人一人一人は知っているつもりになっているだけでも、何とかやっていけると言う話です。 ただし小さなコミュニティにしか属していない人はそのコミュニティ全体で共有されている知識も少なく間違っていることもあるので、できるだけ多くの人が属している、より広いコミュニティに積極的に参加して行きましょうということをお話ししました。

--- Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/murasupe/message
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はい、冒険家の皆さん、おはようございます。今日はですね、2022年の10月24日、インドでは午前8時45分を回ったところですね、今日もツイッターの音声配信、むらスペを始めさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
今日お話ししたいのは、「知ってるつもり、無知の科学」という本なんですね。これを話そうと思ったのはね、ちょっともうどの本か忘れちゃったんですけど、なんかね、すごく面白い本を読んだ後に、次に読むおすすめみたいな感じでAmazonで提示されたから、これを読もうと思ったんですね。すみません、どの本かも覚えていません。ごめんなさい。
まず、この本について具体的なことをちょっといろいろお話ししてみたいんですけど、まずタイトルは、「知ってるつもり、無知の科学」ですね。これ、早川文庫NFのシリーズの中の1冊です。NFっていうのはノンフィクションか何かですかね。
Kindle版ももちろんありますし、印刷版もあります。これ、著者ですね、書いている人は、スティーブン・スローマンという人と、フィリップ・ファンバックさんというお二人です。このお二人は、
認知科学者というふうになっていますね。認知科学者の方です。この本の評価、レビューを見てみると、現時点で224個の評価があって、5つ星のうちの4.4になっています。
4.4が付いていますね。これ、かなり評価が高い方になるんじゃないかと思います。224個もあってね、これだけですからね。Kindle版は今のところ、990円で売られています。
この商品ページの宣伝、説明の文章をちょっとご紹介してみますと、以下のようになっておりますね。
自転車や水泉トイレの仕組みを説明できると思い込む。ネットで検索しただけで、わかった気になりがち。人はなぜ、自らの理解を課題評価してしまうのか。
認知科学者のコンビが、行動経済学やAI研究などの知識を結集し、知っているつもりの正体と知性の本質を明かす。
本の長さは364ページなので、この990円という値段で、これだけの量が詳しく説明されているのは、質とは別に、質も非常に面白い本ですけど、それとは別に、量とコストとか考えても、このコストパフォーマンスは非常に良いと思います。
これ、オリジナルの英語バージョンが出たのがいつか、ちょっとすみません、確認できていないんですけど、日本語のバージョン、日本語訳が出たのは2021年の9月2日ですね。
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だいたい、今から1年ぐらい前ということになると思います。この本も本当にすごい多様な内容が扱われているので、
今日はこの時間で全部ご紹介することはできないんですけど、中でもこの第11章。第11章は、賢い人を育てるというタイトルになっていて、教育を中心にした内容がここで書かれているんですよ。
例えば、この本ではジグソーメソッドと書かれていますけど、僕たちの日本語教師の実践として、皆さんが耳に馴染んだ言葉としてはジグソーリーディングというのがありますね。
それが、共同学習、コラボレートラーニングの例として挙げられていますね。この本は教育の専門の本ではなくて、かなり幅広い
コンテンツの内容を扱っている本で、その中の1章にすぎないので、それほど詳しく書いてあるわけではないんですけど、でも教育関係者の人はこの章だけでもいいので、読んでみるといいんじゃないかと僕は思います。
全体的にはどういうことが書かれているのかというと、要するに、現在は非常に高度に発展した知識が必要とされていて、
その高度な知識というのは、1人の個人、全員に共有されているのではなくて、コミュニティとか社会とかコミュニティ全体に分散して蓄積されているという現状認識がありますね。
なので、同じコミュニティの他の人が知っていることだったら、別に全員が知っていなくてもいいわけですよね。
だって、それ必要な時に聞けばいいわけですから。なので、そういうことに関しては自分も知っていると錯覚しやすいということが、かなり前提の認識としてあります。
この錯覚というのも非常に大きなこの本のトピックの一つですね。
だけど、狭いコミュニティにしか属していない人は、そのコミュニティ全体の知識が間違っていたりすることもあるので、それが問題になるという問題認識は、この2人の著者はお持ちのようです。
ちょっとね、以下のような引用文をご紹介しますね。私たちは同じくらい知識のない、同じような考えを持つ仲間に囲まれている。
知識のコミュニティで生きているが、残念ながら時にはコミュニティの科学的認識が誤っていることもある。
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科学リテラシーを高めようという試みは、コミュニティ全体の合意を変える、あるいは学習者を別のコミュニティに引き合わせることと組み合わせなければ、うまくいかない。
はい、これで引用は終わりです。今度は、ちょっとそれに続いて、別のページなんですけどね。もう中略とかじゃなくて、かなり飛んでいるページなんですけど、ちょっとその一緒にご紹介したい部分として、以下のようなものがあります。
どうして変わらないのかってことですね。どうして人が変わらないのかってことです。はい、以下引用です。
人の信念を変えるのは難しい。なぜなら、それは価値観やアイデンティティと絡み合っており、コミュニティと共有されているからだ。
しかも、私たちの頭の中にある因果モデルは限定的で、誤っていることも多い。誤った信念を覆すのがこれほど難しい理由はここにある。
コミュニティの科学に対する認識が誤っていることもあり、その背景に誤った認識を裏付けるような因果モデルが存在することもある。
ここまでで以上ですね。要するに、ここで言われていることは、
コミュニティで誤った考えが共有されていると、
脱することは非常に難しい。それから皆さんを裏切ることになってしまうわけですよね、信念をね。
そういう時にどうすればいいかというと、僕はですね、やっぱり小さいコミュニティではなくて、より広いコミュニティに参加することがいいんじゃないかと思います。
例えば、一番大きなコミュニティですよね。日本語教育関係者の一番大きなコミュニティとしては、日本語教育学会というのがあります。少なくとも日本語でね。
日本語でできるのが一番大きいかな。ごめんなさい、一番大きいとは言いません。だけど、日本語の母語話者で、
少なくとも日本に住んでいる人とかで、日本語の母語話者で
とりあえず、一番行きやすいところとしては、日本語教育学会という学会があるんじゃないかと思いますね。
もちろん、学会に行ったことがない人、そういう人にとっては、学会に行くというのがものすごい意識が高いということは、僕もよくわかるんですよ。
僕自身も、もちろん、学生の時に初めて行った時のことを覚えてますよね。 もうすごい自分が場違いで、こんな服で良かったんだろうかとか悩みましたしね。
浮いてるんじゃないかとか思いましたし。でもね、もう全然 ok なんですよ。周りの人はそんなこと気にしてないですから。
もう50代後半に入ってますけど、別に若い人が、よっぽど下着姿とかでいたら、それはなんだって思うかもしれないですけど、
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別に他の人がネクタイしているところにTシャツで着たって全然問題ないと思います。それで何かいじめたりすることはないですよ。
少なくとも、発表も何にもしない人が、多少変わった服とかで、挙動不審な人がいたとしても全然問題ないですので、皆さんそういうところにぜひ行ってみるといいんじゃないかと思います。
要するに、より広いコミュニティに属する、より広いコミュニティに参加するということです。
そのためには、学会とかの方が別にネクタイしなくてもいいですよとか、カジュアルな服でもいいですよとか、そういうことを明言したりすることも大事だとは思いますけど、
とりあえず、なるべく広い社会に広いコミュニティに参加するってことですよね。
別に発表とかしなくてもいいんです。そこでただ空気を吸うだけでもいいと思います。オフラインの対面の場合は、
皆さんと同じ空気を吸う。でも、そこで皆さんの話を聞いているうちに、
もしかしたら、自分の小さなコミュニティの中で常識とされていることが実はそうでもなかったということがわかってくると思います。
あるいは、全然自分が気がついていなかった、あんまり考えていなかったものが、別にそれが普通のものとして一般常識として、
そこでは扱われているとか、そういうこともどんどん気がつくと思います。そういうことが大事なんだと思うんですよね。
例えば、学会というのはちょっと真面目すぎて自分には合わないとか、そういう人もいるかもしれません。でも、そういう人は何千人という単位ではないですけど、他にももっと小さな、
一般の人が学校の中で開いているだけの勉強会とか、そういうものよりは大きな、複数の学校の先生方が参加するような、
そういうコミュニティもありますので、そういうところに参加してみるのもいいんじゃないかと思います。一つは、もちろんZoomでハナキンという、毎週金曜日に僕がやっている
オンラインのコミュニティがあります。でも別にハナキンじゃなくても、他にも昆布の会とか、西口先生とかやっている土曜の会とかっていうのがありますよね。
ああいうのでもいいと思いますし、とりあえず、自分以外の学校の人も参加しているコミュニティですよね。
そういうところに参加してみるというのは、とてもいいことだと思います。
少なくとも、自分の学校だけで信じられていることが、実はこの業界の標準ではないということがわかってくるだけでも、すごくいいんじゃないかと思います。
そういうためには、必ず広いコミュニティ、自分の学校内だけの勉強会とかじゃなくて、もっと広い、いろんな学校の人たちが来るようなコミュニティに参加してみるというのもいいんじゃないかと思います。
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ハナキングとかも、ただラジオ体操だけやって帰っていく人とかもいるわけですよ。
ですから、僕から見ると、なんで敷居が高いのかというのが、僕から見るとあんまりよくわからないんですけど、実際にそういうふうに感じる方はいらっしゃるんですよね。
ということは、やっぱりそういうものがあるんだと思うので、そういう人もマイクもミュートもオフで、ただ見ているだけでいいんですよ。聞いているだけでもいいんです。
何にも発言しないで、だけどそこで標準とされていること、自分の学校とは違うけど、でも一般的にたくさんの日本語教師の人が参加するところでは、標準となっていることは何かということが見えてくると思います。
そういうことで、さっきご紹介したような小さいコミュニティの中では、誤ったことが信じられているかもしれないけど、でもそれが広い、たくさんの人が参加するようなコミュニティだと、それがだんだん標準的なものになってくるというのはありますので、
そういうふうに、普段のコミュニティよりも一つだけ広いレベルの、別に偉いか偉くないかとかそういう問題じゃなくて、狭いか広いかという問題です。いつものコミュニティより一つ広いコミュニティに参加してみるということです。
それが、僕は知っているつもりの枠を出るためにも必要なことなんじゃないかと思います。
まず、すみません。話がずれちゃいましたけど、この本、知っているつもりという本ですけど、この本のタイトルだけ見たときは、人間の愚かさを嘆くような、皮肉っぽく嘆くような、そういう本かなと思っていたんですけど、全然そういう本ではなかったです。
むしろそのコミュニティですよね。コミュニティの大切さというのを非常に解いている本だというふうに、僕には感じられました。
誰かが知っていれば、自分はそんなに詳しく知らなくてもいいと。大切なのは、広いコミュニティに属していることということですよね。
ちょっと引用したところにもありましたけど、小さいコミュニティに属しているだけの人というのは間違った信念を抱いてしまうこともあるし、
その小さなコミュニティで共有されている信念を裏切るのはとても大変になってしまうので、なるべく少しずつ大きい、広いコミュニティの方にシフトしていくことが大事なんじゃないかと思いますね。
今、僕のこのポッドキャストで、僕の声を聞いている人たちに呼びかけたいことは、
Twitterのスペースとか、あるいはこのポッドキャストで、他の日本語教師とつながっている皆さんというのは、そうではない一般的な日本語教師の方よりも、
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はるかにもうすごく恵まれた場所にいるということなんですよ。なんでかというと、Twitterの日本語教師の人だって、それはもう何百人何千人と言っているわけですよね。
僕のポッドキャストを聞いている人というのは、人数的には多くはないですけど、でも、ポッドキャスト全体で見ると、例えばゆる言語学ラジオとかね、
そういういろんなポッドキャストもあります。なので、そういうところで標準とされていることはどういうことかというのが、聞いていればだんだんわかるようになってくるわけですよね。
こういうTwitterとかポッドキャストを聞いていない人、もう本当に学校内の小さなコミュニティでしか他の日本語の先生とつながっていないという、そういう人たちをこういうもっと広いコミュニティに引っ張り出すということが、
今、僕たちにできることなんじゃないかと思います。 例えば僕だったら、今インドにいるんですよね。
今インドにいて、他の先生方と全然つながりのない方とかもいらっしゃいます。そういう方を、まずはね、もちろん学校内のコミュニティを作るということもまずは大事ですけど、
でもそれだけではなくて、学校内のコミュニティではなくて、オンラインのね、最終的には学会みたいなところでどんどん発表してもらえればいいんですけど、
でもまあそこまで行くのはちょっとまだかなり、敷居が高いと思いますから、まずはそのツイッターのアカウントを開いてもらうということですよね。
今ね、そのスイッチっていう本をちょっと今読んでいて、これもねすごくとっても勉強になるんですよね。変われない人が変わるにはどうすればいいかっていうことが書いてあるんですけど、
そこではね本当にツイッターもありますよとか、ハナキンもありますよとか、学会もありますよ、で学会にはこんな種類の学会もありますよとかね、
そういうふうにいろんな選択肢を示してしまうと、結局ねどれも選ばないということになってしまうということがあるので、とりあえず一つだけやりましょうっていう、そういうことを紹介するね、
それが一番いいんだっていうことが書いてあります。たくさんいろんな選択肢を示すんじゃなくて、もう敷居が低い、たった一つの選択肢を示すとそれがいいですよってことが書いてあって、
それを考えると、今の人ね、特にインドの人はインスタグラムとかもみんな使っているので、そしたらツイッターとかだってね、そんなに難しくないですよね。
もちろんねインスタグラムで日本教師の方を紹介するのもいいかもしれませんけど、でもインスタグラムの日本語教師は僕はね、まだあんまりそれほどフォローしてないっていうのもあるし、
それからそのオンラインアクティビティ自体がちょっとツイッターの方がやっぱり多いように思うので、それで僕の場合はまずですね、そのツイッターを開いて、開いてもらうことをまずはやってもらおうと思っています。
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で、それはですね、僕だけではなくて、本当に今この僕の声を聞いている皆さんに本当にお願いしたいんですよ。もう別に学会に行きましょうとか言って、それ無理だっていう人の気持ちもわかります。
花キンに行きましょうと言ってもまだちょっと敷居が高いって人の気持ちもわかりますよ。だからまあそれは敷居が高いならやらなくていいと思います。
だけど、せめてツイッターね、ツイッターのアカウントを開いて、そこでその日本語教師とか日本語教育って、そういう言葉で検索して、そういう人をどんどんフォローしてみるといいんじゃないかと思いますね。
で、まあもちろん今はね、この先週末に日本語教育能力検定試験がありましたから、そのハッシュタグを見て、それをですね、どんどんフォローするっていう、それだけでももう全然問題ないと思います。
それだけでももういろんな人をね、若い人が中心ですけど、そういう人たちをフォローすることができるし、そうしたら、どういうことが日本語教育能力検定試験で出題されるのか。
そして、まあそれって基本的に標準ですよね。今の日本語教育の業界の標準的なものが多分出題されていると思うので、あんまり変なね、もう本当に1980年代の教授法に基づいた教科書の話とか、そんなに出てこないと思いますから。
なので、そうやってどんどん広いコミュニティ、一つだけ広いコミュニティに参加してみるっていうのがいいんじゃないかと思います。
そして、そういう敷居が低いことが大事なので、そういう意味ではツイッターのアカウントを開きましょうというふうに、周りの人にお勧めしてみるのがいいんじゃないかなというふうに思いますね。
それではですね、本日もブラスペにご参加くださいまして、ありがとうございました。今日のね、この知ってるつもり、無知の科学っていう、こういう本について僕が考えたこと、感じたこととかね、
それについて質問とかコメントがあるいはご感想とかありましたら、ぜひブラスペのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
それでは、今日月曜日ですので、今週もですね、良い1日をお過ごしください。そして冒険は続きます。
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