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第310回妄想ロンドン会議を始めます。
水口です。
清水です。
よろしくお願いします。
ご無沙汰しております。
ご無沙汰しております。
不定期更新でお届けしております、
この妄想ロンドン会議2021年最後の収録となりました。
いや、最後かどうかはまだ分からないんですけど、
今年のマフタはどうするっていう相談も含め。
マフタね、皆さん覚えてらっしゃいますか?
私たちが主催しております、
勝手に取材させていただいております、
全面出資してますよ。
妄想ロンドン会議的アカデミーオブシアター
フィルム&シアター
フィルム&シアターアーツというですね、
今年でしたら2021年、この1年間に見たエンタメ作品ですね。
これの順位と言いますか、
賞をですね、贈ろう、称えあおうというね、
そういう賞なんでございますけれども、
今年ね、ちょっとまぁあるよね、
バタバタした時政も続いておりますし、
たのみのね、ナショナルシアターライブも、
今年見たのがめっちゃ少ないですよね。
そうですね。
数えるほどで、そして映画もね、
毎月見たいねって言いながら予定を組んだりはしていたものの、
なかなか公開が延期になったりだとか、
さらに延期になったりだとか、もっと延期になったりだとかで、
ようやく見れたね、007だったりもありましたけれども、
本数も少ないしということで、
本当はね、今日あたりにお届けしたかったんですが、
まぁあれですよ、レビューをしなければならない作品が
まだまだ渋滞しているということで。
なので、マフターは気が向いたらやります。
気が向いたらやります。そうだよ。だって知ってた?
あのナショナルシアターライブも、なんと今年は2021年度っていうことになってるからね。
次の3月まで続いてるから、この年度が。
次ロミー・ジュリーが1月に決まってるのも、
今年度ってことね。
今年度なの。だから年度形式に変えてもね、いいかもしれないね。
そういう案もありつつ、
年明けなどにマフター収録しているかもしれないですし、
何なら年内にやっぱりやろうかということでやってるかもしれないということで、
いよいよですね、本当に不定期を極め始めた私たち、
妄想論論会議でございますが、
本日はですね、先ほど話題にもあがりました、
ナショナルシアターライブ。
これのですね、最新作、現時点で最新作の
ジェーン・エアーを見てまいりましたので、
レビューをさせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
もうちょっとね、上映終わってしまって、
もう結構経つよっていうところが多いとは思うんですけれども、
これやらずにはね、済ませられないので、
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今年は終われないので、無理やり突っ込みます。
はい、私なんかもうね、見たのが1ヶ月近く前になるので、
ちょっと今日、しんちゃんとの収録に臨むにあたってですね、
だいぶちょっと記憶の引き出しをあけてですね、
ガサガサゴソゴソした後での今ですね、至っておりますので、
もしですね、ちょっと至らない点がございましたら、
申し訳ありませんということと、
しんちゃん助けてくれよっていうですね、
そういう気持ちを込めてお届けしたいと思います。
はい、よろしくお願いします。
はい、このですね、ジェーン・エアーでございますが、
こちらですね、2015年の12月にですね、
英国のナショナルシアターリトルトン劇場でですね、
上演された作品を今年、日本で、
映画館で上演してくれたという、そういう作品でございます。
ちょっとなのでまあ、タイムラグはあるっちゃあるけどね。
そうですね。
かまやしません。
かまやしません、そうです。
でですね、今私手元にジェーン・エアーのパンフレット、
いつも通りあるんですけれども、このジェーン・エアーですが、
本来でしたらね、この1ページパッとめくったところに、
一番大きくタイトル、ジェーン・エアー。
そしてその次に作家さんの名前がね、書かれているはずなんです。
ですが、こちらには今こう書かれております。
シャーロット・ブロンテの小説に基づき、
カンパニーによって考案されたものということで、
あの、作家の名前がございません。
作家、まあ脚本家さんですね。
まあタネアカシ、なんかね、メイキングでされてたけど、
全部エチュードで作った的なね。
何で作った?
エチュードで。
あ、エチュード、そうそうそう。エチュードです。すいません、聞き取れず。
すいませんね。エチュード、即興劇って言ったらいいのかな?
うん。
うん。
なので、あの、稽古場にあったのは、舞台セットと役者さんと、
あとは、あの、シャーロット・ブロンテさんの小説ですね。
うん。
それがありまして、あの、どういうふうにね。
まってまってまって、もう一個ある。
はい、何?
即帰する人とそのパソコン。
そうですね、あります。あと演出家ね、います。もちろんいます。
はい。
その演出家さんを中心にですね、たぶんそのワークショップ形式で、
うん。
エチュード形式で、あの、お芝居が作られていったのではないかなと想像します。
どんな感じでやったのかっていうのはね、
ちょっと、あの、そこまで細かくメイキングで言ってくれてなかったのでわからないんですけれども。
うん。
ね。でも、こういうのでもさ、あの、そういうふうに作る、作られるお芝居っていっぱいあるじゃない。
うん。
でも、それでも、その、脚本家、作家の欄には、
え、それに携わった人の名前、
うん。
ま、今回であれば、演出家の方。
うん。
うん。
の名前が作家として、え、メイキされることっていうのは往々にしてあると思うんですが、
うんうん。
本当にそれが書かれてないっていうことで、
06:01
うん。
なかなか、その、なんて言うんですかね、えっと、なんやろ、この、そこからですね、すでにもうこの演出家さんのですね、
演出スタイルというか、
うん。
作風っていうのが、なんとなく垣間見えるような、そんな感じがするなって、
うん。
思った私でございます。
結構自由に作ってらっしゃったのかな。
うーん。
なんかその、ものづくりっていうものを、本当になんかすごく楽しむ、楽しみたいみたいな、
うん。
勝手な想像よ。
うん。
あの、めっちゃ、その、なん、なんやろね、えっと、もの静かな感じで眼鏡をかけて、
あの、なんたら女子みたいな感じで座って演出するタイプの人ではないってことはもうわかるよねっていう。
わかる?
その偏見に満ちたイメージはなんだろうな。
偏見よ。偏見っすよ。
うん。
なんか、この作家さん、えっと、サリー・クックソンさんっていう方なんですけれども、
うん。
まあ彼女が、えっと、まあそうによると20代の頃にこのジェーン・エアーという小説をですね、
まあ、あのご自身が舞台に携わるようになってからですかね、
うん。
あの、見返され、読み返されて、で、ぜひ、あの、いやこれは舞台にしたいなって思いがあっての、今に至るっていう感じだそうなんですけれども、
うんうん。
はい。そんなね、演出家さんのもとで、このジェーン・エアーが2015年に上演されました。
実は、この今回ナショナルシアターライブ版のジェーン・エアーは、上演時間、休憩コミで200分の超大作ではあるんですけれども、
うん。
もともとですね、これは、その前にですね、えっと、ブリストルのオールドビッグシアター、
うん。
で、上演版というのが、ジェーン・エアーの、今回のジェーン・エアーの上演版、ややこしいんですけどね、
うん。
あの、このシャーロット・ブロンテさんのジェーン・エアーっていうのは、これまでにもう何回も何回も舞台化もされてるし、
映画化、ドラマ化をされている、本当にむちゃくちゃ有名な作品で、
うんうん。
今回のこのサリー・クックさんさんのチームによる舞台化っていうのが、このナショナルシアターライブで収録される前にですね、
上演バージョンっていうのがあって、
うん。
それが、なんと、4時間越えの作品で、
うん。
でですね、2日間に分けて、第1夜、第2夜っていう形でね、上演されていたらしいです。
うん。
これが2014年のことだそうですけれども、それがですね、
1年後に、まあ短縮バージョンというか、よりブラッシュアップした形で上演されたのが、今回のあれね。
そうなんです。
はい。
作品だったわけだね。
そういうことでございます。
はい。
このね、Jane Eyre、これはですね、パンフにはこう書かれております。
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原作は、ご存知、1847年に出版された、シャーロット・ブロンテの長編小説ってことでね、しんちゃん知ってました?この作品。
タイトルは知ってるよ。
うんうん。
タイトルは知っとるけど、まあ読んだことねえわな。
私も初めてだったね。
うんうん。
そう、どういうお話かっていうと、
はい。
この、みなしごのJaneさんがですね、
うん。
まあなんとも不遇な少女時代を経まして、
うん。
そして、家庭教師として住み込んだお屋敷のご主人と結ばれるまでのお話、ということですね、一言で言うと。
一言で言ったなあ。
そうなんです。で、今回のこのサリー・クックソンさん版のJane Eyreではですね、そのかつての映画化されたJane Eyreとかで割と取り上げられがちだった、このJaneさんね、Jane Eyre、女性の、主人公の女性の名前ですが、このJaneさんとですね、Janeさんの恋、恋愛模様について割と焦点を当てられがちだったけれども、
今回はその彼女の一生をですね、焦点当てたいということで、そこに重きを置いて作られた長編作品ということで、
自分たちの生まれたてから。
そう、生まれたところから始まったからね。
反骨精神ですとか、男女同権意識を持ったヒロインがですね、どんな困難にも属せずですね、属せずじゃない、屈せずですね、自らの力で人生を切り開いていく姿というのがですね、出版当時に、この1847年、新しい女性像ということで非常にですね、読者にですね、大歓迎ということで受け入れられた。
まあそうなんだろうね、今となってはね、当たり前に感じることも当時こんなに、なんだろうな、能動的に生きるっていうことがすごく新しく移ったんだろうなっていうことを踏まえながら見る作品なんだろうなっていう気配は感じてた。
そうですね。
まあそれから、出版当時から170年以上今経ってると、今なお世界中で愛されて読み継がれている普及の名作がこのJane Eyreでございます。
はい。
はい。
なにそれ。はいって言って、はい終わりますみたいになってますけど。
いやもう正直に、もうぶっちゃけていいです。ここネタバレです。
はいはい。
はいネタバレいきますよ。
じゃあもうすごいね、早いね。ネタバレいきまーす。
はい。
いいの?スイッチオフする?スイッチオフする?
この中でスイッチオンにしようか。
オンにする?
12:00
私たちのネタバレスイッチオンで。
あ、わかった。じゃあ、え、新しいね、なんかちょっとこんな年の背にそこ変えてくるみたいな。
OK?
じゃあスイッチオンの号令しんちゃんお願いします。
では私たちのネタバレスイッチが入ります。スイッチ?
入りました。早いよスイッチオンは。
はい。
入っちゃったんでね、消しときたいという方はですね、今パタンと閉じていただいて、
本当にね、このナショナルシアターライブ、全国いろんなところでですね、
ミニシアターさんだったりとか、どっかの会場さんがね、上演してくださるという機会が本当にあるんです。
増えてきましたね。
増えてきました。上演してくださるところがね。
ありがたい話。
そうなんです。なので、その時までちょっととっとこうという方は、
私たちオンなんですけど、オフにしていただいた方が良いかなと思います。
なんて逆説的な進行に。
ではオンのままで、スイッチオン入りましたんでネタバレ行かせていただきたいと思います。
はいしんちゃんぶっちゃけどうぞ。
なんかすごく刺激に満ちた舞台やねんけど、あんまりストーリー共感ができなくて。
ちょっとしんちゃん、何言ってるの。私も一緒やその感想。
なんでそこで起きれんねん。びっくりするわ。
え、びっくりなんやけど。
やっぱね、なんかその時代を経てっていうか、こういう作品を生み出した方がいらっしゃって、
呼んで影響を受けた人々がいて、この時代があるっていうのを、もちろんありがたさを享受してる身ではあるんだけど、
やっぱり目新しさはないよねっていうか。
演出的に?ストーリー的に?
ストーリー的にかな。何が新しかったんやろっていうのをずっと見てて、
あ、そうか、これはこの独立した女性像っていうのは、当時はすごく斬新で、
新しいライフスタイルとか、新しい女性の生き方として、ものすごいセンシェーショナルなものだったんだっていうのをずっとどっかで考えながら見てたから。
自分に言い聞かせながらみたいな。
そうじゃないと、全部がさらっと流れてしまいそうで。
演劇的な刺激とか、という意味ではなく、ストーリー展開とか、時代背景的なものだったりとかっていうので、すごく見過ごしてしまいそうやなっていう。
なるほどね。
で、物語に集中しきらんではないけど、なんか一個自分の中でクッションを置くというか、違う、これはすごいことなんだとか、これは新しいんだっていうのを常にどっかで考えながら見た作品やったなと思って。
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でもただちょっと印象はどうかっていうのが一個。
なるほどね。でもそれでいくとさ、なんかそのぐらい昔の年代の作品っていうのはさ、私たちいっぱい見てきてるじゃない、そのナショナルシアターライブでも。
でもそういうのの中でもすごい面白かったっていうのっていっぱいあるやん。
どの辺になるかちょっとわかんないんだけど、ヘッダガーブレルとかなのかな。
ヘッダガーブレル?ヘッダガーブレルいつなんやろ。
ヘッダガーブレル。
人と超人とかあの辺かな。シェイクスピアはもちろんもっと昔の話なので。
300年、400年もね。ヘッダガーブレルは、そうだね、一緒ぐらいだね。1891年。50年ぐらい後やけど。
同世代。
逆ではあるけど依存した女性像として描いてるものでもあるし、やっぱりヘッダガーブレルとかの時代になってもそれが当たり前やったんかなって思ったら、今回のジェイン・エアーっていう女性像がすごく新しかったっていうのは想像に固くないんだけど。
そうね。なんかでも私もそれをちょっと感じたのね。で、何を感じたかっていうと、ぶっちゃけパッとね、最初見たときに、すごい好みな舞台構成やなって、演出の手法的に私の好みのやつやって思ったの。
ベトベトさん好きね、あれね、きっとね。
そう、具体的なセットとか小道具を出すことなく抽象的なものが置いてあって、で、観客の想像力に任せてどんどんシーンが転換していく。で、出演している俳優さんもメインは7人かな、あとミュージシャンの方たちがいらっしゃるんですけど、
その7人の俳優さんが主役のジェイン・エアーを除いて、あとあの人もかな、なんたらさん、ロチェスターさん、ジェイン・エアーさんだけかな。
ジェイン・エアーさんが好きな男性ね。
あ、そうそうそう、ロチェスターさんと。
だからジェイン・エアーさんは一人でジェイン・エアーという人間を担っていたけど、あとは結構兼役してたというか。
そうそうそうそう、いろんな役を犬まで演じるみたいな感じの、そういう舞台で、
あ、ワークショップで作らはったやなっていうのがすごくよくわかる感じの演出だったのね。
で、もちろんこの作品が古いものっていうのはわかってて、
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だから、古いものの中にも共感できるものがあるかなとか、古いものだからこその違いとかストーリーラインとかを楽しもうっていう気持ちでもちろん見始めたんだけど、
なんか私もしんちゃんと同じような気持ちになっていってね、見ているうちに。
で、これなんでなのかなって思いながら見てて、
しんちゃんはストーリーの部分にさっき言及してたけど、
私は演出に関して、うーんってちょっと思うところがいくつか出てき始めてね、見ているうちにね。
こういうスタイルの演出が好きだからこそ、もっとこう詰めて欲しかったなとか、
ちょっと感覚で作った、もう勝手な偏見ですよ、今から私偏見に満ちた感想言うんですけど、
ワークショップでですね、これめっちゃ良かった、今のすごい良かったっていうところを活かすために、
その前後のシーンの繋ぎっていうのを無理やり繋いだとか、省いたとかっていうのが、なんか散見される感じっていうか、
なんかルールが統一されていないっていうか、なんでここの曲はミュージシャンが演奏しているのに、
このシーンはバンドのセッティングだけ置きっぱなしで、普通にスピーカーから音楽流れているのかなとか、そういうのが気になったりとか、
あとは、やっぱね、3時間あったわけじゃない、
3時間をシンプルなセッティング、舞台美術だけで引っ張るのは、ちょっと視覚的にしんどかったかなっていう思いもあります。
セット的には起伏が激しいというか、階段もあり、スロープもあり、梯子が対応されてて、高さの違いもあって、地下を表現するために奈落も効果的に使われていてとかっていう。
あれは効果的やなと思った。
なんか起伏に富んだ舞台セットではあるんだけど、やっぱ大前提として、劇局として作られたものではないから、
舞台設定とか、物語設定とかもやっぱり小説として書かれたものをどこまで表現するかって言ったときに、なんかもう一個アイディアいるよなと思った。
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なんかスタイリッシュじゃないっていうか、ちょっとスタイリッシュじゃないね、倉庫じゃないね。
なんかその付け足したりとか、削ったりとかする前にもうちょっと大事な基本の部分っていうのが、なんかあっても良かったんじゃないのかなって本当にごめんなさいなんですけど、
このもう本当にめっちゃいっぱいいろんなですね、あの絶賛の声をこの作品っていうのはもうもらってるんです。
特にこの賞を得てますみたいなこと書いてないんですけれども、もちろんねすごいあの好評やったからこそ翌年にナショナルシアター、ライブじゃない、ナショナルシアターでリメイクされてるわけなんだけれどもよ。
いやけど、なんかね、その舞台セットもね、私はね、なんか余計なイラン説明を付け加えないと理解できないようなシーンっていうのがいっぱいあったなっていうか、
この橋以降に彼を捕まらせて、上に前衛を立たせて、ここで2人が会話をすると絵的に面白いんじゃないかっていうので無理やりそこに持って行ってるとか、なんかそんな気がしちゃったの。
なんか、ロチェスター。
うん、ロチェスターさん。
白爵だか黄爵だかが、1シーンだけ、2人のすごく象徴的な出会いのシーンだったので、何かワンアイディアってなったんやと思うねんけど、馬に乗るっていう表現。
はしごに足をかけて、なんか上でゆらゆらするっていう。
してたし、何してんのかなっていうね。
で、前衛屋と出会った。で、びっくりした馬がまた上々したときに落馬して、それが2人の出会いだったっていう、すごく意味のあるシーンなんだけど、
この見立てをここだけぶっこんできたな感がちょっとあって。
そうなのよ。そういうのがいっぱいやったんよね。
うん、なんか徹底されてはないよな、とか。
なんか、ワンシーンワンシーンをすごいその、みんなで作って、そのときのなんか、
これ、それ面白い、それ面白いって。
いいやいいやいいや、それやろう、それいこうみたいな。
すごい、それがもちろんいいように働いてるからこそ、この作品の魅力ってそこなんだと思うんだけど、
ただちょっとそれが、3時間見てると、ものすごい気になった。
もしかしたら90分の作品だったならばね、これがね。
そう、それだな。
24:00
多分そこまで思わんかった。
だからその、2日間かけて上演したとても長い物語、長いからこそすごく繊細な映画に行ってって評価されるものを縮めるってのがあったときに、
なんで3時間にしたのかなっていう。
後の1時間、どこ行ったの?
そう、じゃあもうブラッシュアップするのであれば、2時間に削ることを1回やってみないと、
中途半端やね、縮め方が。
ちょっと待ってしんちゃん、間違えてた。4時間じゃなかった、4時間半だった。
おっけー、じゃあ1時間半がどっか行ったよな。
1時間半どっか行った。
30分が消えたな。
やったら、それを2時間にする努力がいったんじゃないかなっていう。
これと似たような作品で、私が未だにもう1回みたいな忘れられへんなっていうナショナルシアターライブ作品があるんだけど、構成はほとんど一緒です。
観客の想像力を使った、限られた人数の出演者による3時間の舞台。
はい、問題です。それは何でしょう?しんちゃん。
3というのにとらわれていいですか?
そうです。
リーマントリロジーですかね。
そうですそうです、ザ・リーマントリロジーなんですけど、
これはね、見たら210分でしたね、休憩コミ210分、本当に3時間ですね。
いや長いと思ったよ。
でもね、これやっぱり、すごい計算されつくしてるなっていう感想が、最初にあったと思う、私たちの感想のときに。
リーマントリロジーに関しては、見た瞬間に、「おい、そんだけやるんかい、3時間で。」って正直思いながら見て、
あっという間というか、時間の立ち方がすごい緩急があって。
そう、自然だったし、もう。
可不足ないっていう表現やと思うんだけど。
感性されてた。
で、今回の前夜に関しては、その初演バージョンは不足はなかったよと思うのね。
たっぷりとゆったりと、そういうものを見に行くと思って行った観客が12分に楽しめる作品やったって言って、
で、今回その短縮バージョン、ブラッシュアップバージョンとして用意されたものが、可不足やったのね。
可不足、不足じゃない、可不足。
可不足やったと思う。
あるし、不足でもあるね。
そうだね。
確かに。
27:01
なんか学校のシーンとかもすごく、幼少期を過ごしたすごく厳しい。
学校のシーンとかも、半分とまでは言わないんだけど、3分の2で良かったなとか。
確かに確かに。
ちょっと繰り返しが多く感じてしまって、何かを見せたいのかって言われたら、それは他のところで描かれているので、繰り返しに感じてしまったりとかっていうのが、ちょっと冗長に感じてしまったのね。
っていうのが、いろんなシーンでちょこちょこつけられてしまって、そこにとっていない演出があって、乗っかってきたらまた見え方は別だったんだろうけど、アレンジとしてもそこまでアレンジがなくて、いきなり見立てとかが入るから、
なって思ってる間に、そこのシーンは次に行くんかいとか。
そうね、どこを際立たせたいのかが、ちょっと流れていっちゃう感じも受けた。
これでもね、もしかしたらやけど、私がただ単純にこのジェン・エアーっていう作品そのものが好みじゃないっていうのも理由の一つにあるのかもしれないね。
まあそうね、テーマ的というのか、描き方というのか。
そうそうそうそう。
こちらの好みではなかったんかな、全体的に。
って言ったらもうね、しょうけない。大のお気に入りで見てらっしゃる方には本当に好きなんだけど。
そうなのよ、そうなのよ。
これだけで終わってはいけないなと思ってね、私もね、映画化されてるっていうやつをちらっと見てみたいなと思って。
ミヤワシコースカさんがやってる、スケさんになっちゃう。
最新の映画かな、ミヤワシコースカさん。
スケさんになっちゃった。
ジェン・エアーをミヤワシコースカさんが演じて、ロチェスター伯爵を、伯爵であったんかな、すごい公爵だからすみません。
マイケルファスベンダーさんが演じておりまして、
結構ね、出演者は私たちにとってもなじみの深い方ばっかりで、
最初の、最初のって言ったら違うね、ママ母?ママでもないのか。
ギリの。
ギリの。
喫煙ではあるよね。
喫煙ではないよね。
あれ、お姉ちゃんが死んじゃった。
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お姉さんか、とにかくおばさんよ、おばさん。
育ての親ね。
育ての親はサリー・ホーキンズさんが演じてまして、
そしてロチェスターさんのお屋敷で働くフェアファックス夫人をジュディ・デンジさんが演じてらっしゃると。
ご褒美ですね。
すごいよね。
で、このブロックル・ハーストさん、えっと、学校の偉い人かな、をサイモン・マック・バーニーさんが演じてみて、
で、最後に出てきますセント・ジョンさん、あのー、
宣教師。
宣教師みたいな、そうそうそう、をジェイミー・ベルさんが演じられてると。
で、しかも監督がキャリー・ジョージ・フクナガさんですよ。
あら、見ないと、私そこで見ないと。
私たちにとってのキャリー・ジョージ・フクナガさんは007の最新作ですね。
007感っていうのは全くなかったんですけどもね。
あの、ちなみに私これを見たのではなく、すいません、ここまで言っといて、
これ2011年の作品なんですけども、2006年のですね、えっと、BBCドラマ版。
はいはいはいはい。
これですね、すいません、私が知っている役者さんは誰も出演してらっしゃらなかったんですけれども、
Amazonプライムで見れましたので、ちょっとね、つまみつまみ見せていただきまして。
すいません、ずっとね、流して、流してじゃないや、最初から最後まで見るべきだったと思うんですけど、
4話か5話ぐらいあったやつかな。
あと、あのね、なんて言ったらいいのかな。
雰囲気というか、作りの素晴らしさ的には、きっとBBC版の高慢と偏見みたいな感じ。
そうそう、あんな感じでね。
えっと、で、あ、そうかと。
ストーリーはね、やっぱりあんまり好みじゃなかったんです。
それは、もう仰らない、人の好みによるものやからね、置いといて。
一つね、どうしてもね、この舞台版の想像力がですね、補えなかったところっていうのが、
もう本当ごめんなさいなんですが、主役のJ.エアーを演じられました。
この方、マデリン・ウォーラルさん。
はい。
あの、J.エアーって、この方が本当に生まれたての赤ちゃんのところを除いて、
その後のJ.エアーのシーンを全てですね、少女時代から女性となって結婚するところまでっていうのを演じられてるんですけれども、
ドラマ版で私が見たJ.エアーはですね、ほとんどの間を、長き間をですね、
18歳役の女の子がですね、18歳を演じてるっていう、そういう見た目なんですよね。
33:06
で、マデリンさんは、ちょっと申し訳ないんですけれども、18歳っぽさというのを感じませんでして、
年齢不詳感はすごいけど、
すごかった、すごかった、そうなんよ。
あるいは別に40歳にも見えるときもあれば、20代にも見えるときもある。
で、別にそこは全然気にしてないっていうか、そういうことじゃないっていう作品なのは重々承知なんですけど、
なんかこの生活に疲れた感といいますか、
家庭教師をしていて、ちょっと新しい生活に踏み出さなきゃねとかって言ってるのが、
家庭教師何年目かがわからんくって。
そうなんだよね。
モノイイもすごく強くて、マデリンさんの演じるJ.エアーはね。
それが今回のJ.エアーの特徴でもあるんだろうと思ったんだけど、
そこが違いとしてはね、大きく違ったなっていう。
その焦点の当て方が、人生全部を描くか、
焦点を当てて若いJ.エアーの移ろいゆく乙女心を描くのかっていうのが違かったと思うんだけど。
演出家さん。
サリー・クックソンさん。
サリー・クックソンさんは、このマデリンさんをとても年齢不詳というか、
妖精さんやと思ってらっしゃるのかなっていうのが、
劇場で、ナショナルシアターライブで他にもやってたピーター・パン。
その方がウェンディーやられてたね。
見た?予告。
予告見てなくて。
見ました見ました。ウェンディーだ、飛んでた飛んでた。
好きなんやろね。
無垢な感じとかっていうのも、すごくわかるのよ。
年齢不詳感はすごいねんけど、だからといって18歳に見えるかって言ったら見えへんし、
10歳に見えるかと言っても見えへんし。
そうなんだけどね。
だからその役を演じてはいけないって決して思わないんだけど、
その文脈で来るならば、30代40代のジェン・エアも見たかったなっていう。
言ってないよね、そこまで。
わかんないのごめんなさい。何歳かわかんないのよ。
わかんないの。学校の先生何年やってたかもわかんないね。
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でもあれよ、ロック、ロックちゃうわ。
えっと、誰?名前がわかんなくなっちゃった。ロチェスターさん。
ロチェスターさんのとこに行ったのは18歳ぐらいよ、10代。
え、でも学校の先生ずっと来る日も来る日も、春夏秋冬教えて教えてみたいなことずっとやってたやん。
割と若いうちから先生になってたね。
それがすごく年を重ねてるような表現になってたから、
何回も何回も同じことを言って同じフランス語を練習してっていうのを繰り返してると、
このままじゃやだみたいなね。
やっとすごい年月が経って、このターンに一回終止符打ちましょうやっていうのまでにすごい段階を経てる感あってんけど、
実は若かったんやって言ったら、あの演出なんやったんやろうっていう。
ここにね、小説の説明があるんですけど、
10歳で寄宿学校にね、行きます。
で、その後6年間生徒として過ごせます。
そして16歳になってからですね、教師として2年間。
とりあえず2年だけやった。
2年にしては繰り返しすぎたよね。
そう、なんかだからさ、もう25歳ぐらい若くてもね、なんかなって思ってたの。
10年ぐらい教師の生活を続けてるベテランの息に入った人が飛び出したんやと私は思っていたね。
たぶんそこで物語と祖母が生まれてしまってるから。
生まれてるね。
なんかのタイミングで18歳じゃないけど、なんかそういう会話をたぶんしたんじゃないかな。
年齢バーカル的なね。
で、私はてってなって、私もはてってなったんよ、だから。
いや、でもその後あの演出いらんわ。
バランスよね、バランス。
横削るハットなんか知らんねんけど、その4時間半から1時間半に縮めるときに残したのが、あの学校のシーンだったのかもしれないね。
じゃあなんで同じことをずっとやるんだっていう。
だってもう教えたことは同じ人には教えないでしょって。
学年が違ってまた始めることはあってもっていうのがわからんくって。
そうね。2年です、教師生活。
意外と若造やったんよ。
ほな、言動も理解がいく。
39:00
言ってることを押さないやん。
でもなんか最初そう思ってなかったから、なんかいい歳したさ、大人の女性がさ、なんかギャンギャン言ってるみたいにちょっと見えちゃったとこもあって、なんかね、ちょっと入りにくかったね。
それはでももう、英国の人たちにとっては古典中の古典で、一般常識の中に入ってるような有名やし、著名な作品やから知ってて当然っていう演出をされているので、
共有としてなかった。
私たちが至らなかったので、
それはある、それはある。
すいませんって。
勉強不足でごめんなさいとしか言いようもないんだけど。
そうなんよ。
その可能性はある。
ただ、さっきしんちゃんがピーター・パンで出してくれた名前をさ、
私このサリー・クックソンさんのことがすごい気になって、
ピーター・パンと、あともう一個気になるタイトルで、ピーター・パンはね、ジェン・エアーの後、2017年にナショナルシアターで上演されてて、いっぱい見たよね、あのポスター。
で、もう一つは、怪物はささやく、現代だとモンスター・コールズっていう、
これも映画化されてるすごく有名な自動小説なんだけど、私も読んですごく面白かったなって思ってた作品なんだけど、これの二つ演出してて、どんな演出なんやろうと思って、
まあYouTubeでね、今見れる時代なので、
トレーラーをね、持ってたので見たんです。
そしたら、このジェン・エアーの演出をもう10倍、20倍ぐらい見た目にね、楽しく派手になったような演出されてた。
この人本当に何やろう、感情とかを視覚的に見せるのがきっと得意な人にあるなと思って、
抽象的な道具とかを使ってね。
で、ただその抽象さ加減っていうのが、ジェン・エアーではちょっとその3時間持たせるのに、こっちもちょっと飽きてくるっていうか、
それ何の意味があるんやろうって、疑問さえ生まれ始めるような物語に乗れなかった私たちはね。
だったのが、まあトレーラーなので分かんないんですけど、前編体感してみたわけじゃないからね。
だけどすごい、そこからブラッシュアップされてる感じというか、
いろんな道具を使って、それをそうやって表現しますかっていう、エネルギッシュな演出、カラフルで、
っていうのが、その2作品から感じられて、ほんとちょっとナショナルシアターライブさん、どっちかそれ見せてくださいって思った。
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どっちもそれってファンタジー作品やから、ピーター・パンと怪物をささやく。
だから、ファンタジーとかのほうが合うのかなって、ちょっと思った。
見てみてほしいもん、ピーター・パンの。
ちょっと予告編後で拝見します。
エチュードで作ったっていうのも、どこまでやったか分かんない。
なんとかみんなが原作を読んで、自分なりの解釈をして、どのセリフにポイントを持っていくかとかっていうのを、
役者さんの即興演技の中で、計って作っていったんやとは思うねんけど、
言葉が、やっぱり自分でオリジナルでウロ覚えで喋ってるものが、どんどん原作のセリフに立ち返っていったみたいなことを、
制作過程でおっしゃられてて、それはすごく正しいなと思って、
1回自分の言葉で出したものを、このセリフの、このやつを表現しようと思って出したセリフやから、このセリフに戻していこうとかっていう作品が。
そうね、感情を先に入れてから元のセリフに戻すってことよね。
その、ジェン・エアーなりロチェスターなりの気持ちをここを表現したいっていうのを、もう1回原作に立ち返って、
美しい言葉、完成された言葉に戻していって作るっていうのは、とても難しいことだし、正しいんだろうなと思ってるけど、
それで作れるってすごいなって、役者さんの力量も含めてね。
それはありますね。
そうなってくると、役者さんとかが、もうちょっと私、登場人物、出演者が7人いたのか、もうちょい当分でくるんかなと思ったら、そんなバランスでもなくて。
そうやねんよ。めっちゃ役をする人もいれば。
メイン、ちょっとお耳が特徴的な美しい方。
はいはいはい。
なんか結構、肝で入っていってて、変換期を迎えるような役をずっとやってて、
で、私がすごく好きなキャラクターやなと思って見てた、ちょっとおじさんな感じの人、最初に校長先生やってた人。
うん、好きでした。
ものすごい上手やなと思ったけど、結局メインのキャストは犬やったんや。
ずっと犬やったね。
ものすごい犬やったよね。
最後まで犬やったよね。
うん。
そうだよね。
すごい犬やねんで。
うん。
称賛すべき犬なんだけど、もうちょっと見たかった。
45:00
そうやねんね。しかも犬がさ、なんか端休めな感じで出てくるからさ。
出てきたからちょっと一息ついて、犬でひと笑いして、はいどうぞっていう、
面白おかしくできる技量を持って、春からこそやり張ってんのけど、
もうちょっともったいないけど、見慣れる役があるのかないのかもちょっとわかんないから。
そうだね。
バランスが難しいなと思いながら。
まあでも、いい意味でね、捉えると、逆にここまで完成してるけど、まだまだ荒削りで良くなる余地がめちゃくちゃいっぱいある舞台というか、
演劇って本当に何回でも作り直すことができるから、その時に見たものを、だから古くなんないっていうか、どんどん新しくなるものだと思うから、
これがまたね、さらにブラッシュアップされて、どっかで上演されるんじゃないかなって、
なんとなくそのピーター・パンと怪物は囁くのトレーラーを見た私は、そう感じました。
うんうんうん。
演出家さんってやっぱり、もう一回やりたくなるよね。
自分になる作品とかね、今の自分がどこまでできるかとか、
っていうのを試す作品っていうのを、たぶんね、それぞれに持ってらっしゃるんやと思うし。
そうだね。あとはこの作品で私がすごく好きだなと思ったの、音楽で。
音楽良かったです。
ナショナルシアター系、ああいう音楽好きね。なんかいっぱい楽器使うって、4、5人で演奏するんだけど、山盛り打楽器とか出てくるやつ。
ちょっと環境音楽っぽいというか、ノスタルジックなフォークというか、民族音楽が入ったような、好きね。
そうね、やっぱりなんかちょっと、なんやろ、いわゆる演劇の音楽っていう感じがするのも良かったし、あとメロディーラインもすごく印象的で、ちょっと物悲しかったりとか、なんかちょっと民族っぽい感じもあって。
ちょっとなんかね、北部の方の音楽なのかなとかっていうのを思いながら、レイヤーの舞台となった中国に伝わる音楽とかなのかなって思いながら聴いてて。
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そうだね、あとはまぁあれやね、やっぱりこの作品っていうのが、原作のこのシャーロット・ブロンテさんの自身の生い立ちを元にした自伝的作品っていうのも後から知って、ここがこういう風に活かされてたんだなとか、なんかそういうのを後々から、もうね本当に全エアで調べたら大量に出てくるその情報。
やっぱ私は、しんちゃんもかもだけど、全然知らないことが多いから、そういうのを知ると、あーなるほどって思うところもいっぱいあるし、だからこその今回の演出だったり解釈なのかなっていうところももちろんあって、本当にね、全然多分、何キロ何メートルも離れたね、何時間も時差のある、
この日本のね、一現代の女性がね、この芝居だけを見て、どうやこうや言うのは本当におこがましいことだなと思うんだけれども、なんかこう、そういうことを逆に感じられた作品だったなとも思いました。
本当にあのすごくこの作品を見て楽しかったのに、そんな風になんか文句ばっかり言って、この楽しかった思い出を怪我してって思ってらっしゃる方いっぱいいらっしゃると思うので、もうそれは本当にごめんなさいなんだけどね、しんちゃん。
私たちの今のテンションとかに合わへんかった部分があっただけなんで、面白いと思うところももちろんいっぱいあったし、なんだけね、はしごのぼりおりしてとか。
そうなの?そうなのよ。でもなんかいちいちやっぱ、なんやろね、これはそんな意地悪な見方すんなよって感じかもだけど、なんか意味とかをなんか考えちゃうのよね。なんかその世界のルールとか、その芝居のルールをこう見ながらさ、こういうことね、こういうことね、それはすごいなって思いながらストーリーも追いかけるし、
例えば今回で言うと、最初はわからなかったけど、しんちゃんがさっき言った奈落の部分、階段があって、舞台の下に続いていってて、私たちはそれはどうなってるか、人はもちろん見えないんだけども、そこに人が入っていくと、あ、お亡くなりになったんだなっていうのを口で、セリフで説明することなく、それで表現してるっていうのはすごくいいなって、
本当に素晴らしい演出だったなって思うんだけど、
さっきまで喋ってたのにスーッと降りはるからね。
そう。で、何回かそういうのがあって、あ、亡くなったんやって、たくさんの人があの階段降りていかはったけど、
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天に登るじゃなくて、階段降りていくんだなっていうのとかもすごく、キリスト教圏の世界観にしては、なんか斬新にも感じたし、
で、亡くなったよって言うのでもない、亡くなる瞬間を見せるとかいうのでもないっていうのが、
でも視覚的に訴えてくるものはすごくあるし、見送る姿に何か感じるところもあるし、
なんか、ああいうピリッと効いた部分っていうのが、何個か本当はあったはずなんだろうけど、私が見落としてるのか、なんかね、ちょっと煩雑やったなっていう印象、あんなん欲しかった。
ピンポイントやねんけど、2015年の作品やっていうのを、神知ろうよ私って思うねんけど、ものすごいピンポイントな話すると、その場走りを久々に見たなと思って。
あのさ、そう、いや、しんちゃんでも、2015年だからといって、2015年にあれがすごい流行ったってわけじゃないと思う。
いや、そうね、昨今見ないなっていうのを再確認したのよ。
あれ衝撃状特有の演出ね、その場で走るっていう。
日本の演劇界で言うとキャラメルボックスさんとか、学生ピスタチオさんとかに代表されるような、その場で足踏みをして走っている表現をするっていうのの、なんかモーションワークみたいなのが、まあまあ多種多様なものが生まれてきて、もう散々やってるよねっていうのが、久々に見たって思って。
思った、思った思った。
あの時は思い浮かんだよね、しんちゃんに、ちょっとその場で走ってんだよってすごい見たくなった。
別にその場で走る表現はダメだの、そんなこと言ったわけでは決してないけど、久々に見た。
久々。
長らく見てなかったよね。
しかもなんかこう、割とそれ、ムービングというか、動きもすごいつけてるし。
そうなのよ、もっとすごいのあるのよ。え、走ってんのにどんどん視点も変わってみたいなのがね。
うん、もうさんざっぱらめてきて。
もう完成された。
やってるのをふといろいろ思い出して。
ちょっと懐かしかったね。
今回の演出でももちろんそのワークはやってらっしゃったので、すごいなとは思うし、結構すごい距離走ってはったし、距離ってあのね、体感なんですよね。
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すごい時間走ってはるんだけど。
しかもなんか、セリフ言いながらね、みんなで群衆、群衆しながらね。
で、動線もすごいややこしい動きをしてはったりとか、すごいなと思って見てるんだけど、あ、でも走るフォームはそれぞれなんやとか。
そう、あの、そこちょっとラフな感じよ。
うん。
それが2015年版なんよ、きっと。
そういうことか。
ただね、しんちゃん。
うん。
サリー・クックソンさん。
はい。
今しんちゃんに2つのトレーラー送りましたけど、
はい。
どっちやったかな、どっちかのトレーラーでもですね、やっぱその場で走ってた。
だから好きやねん。
サリーさん好きなん、この演出が。
やっぱなんかね、めくるめく距離感を出すとか、世界観が映っていくとかっていうのはね、もちろんすごい表現しやすいものではあるので、
しやすいからこそみんながやって完成されちゃったっていうところもあるので、
うん。
なんか面白いなと思いながら見てたけど。
うん。
だから、そう。
なんていうピンポイントの話してんの?
通じねえぞ、これ。
うーん、そうだね、でもエネルギッシュな方なんじゃないかなって本当に勝手に想像してます。
ウェンディーさんやられてても、これあれね、年齢は不詳ね。
ウェンディーね。
うん。
ウェンディーこそ、私たち知ってるじゃない、彼女がさ、何歳ぐらいの子かっての。
はい。
だから、もうそういうの無視してるしかいっすよ、みたいな、ピーター・パンも結構なんかね、少年ぽくないっていうか。
そうやな、おっさんやな。
だから、そういうんじゃないね、みたいな。
その場で走ってた。
あ、ピーター・パンやった?
ピーター・パンで走ってた。
そっかそっか、そうなんよ。
ピーター・パンやったか。
そう、走ってるわって思って、好きなんやなって。
動きのある演出がきっと好きなんじゃないかなって。
そやな。
そうなんよね。
いろいろ、なんやろな、さんざっぱら言ってきてますけど、興味深くあるし、楽しんでないかって言ったら、決してそうではない。
楽しんだからこそっていうところはもちろんあるので。
もちろんです、もちろんです、その上でです。
そうそう、だから、まあでも本当にね、ちょっと他の作品も見たい、見て確認をしたい。
なんの?って言われたら、その場走りを何回するかの確認ではなくですね。
何メートルぐらい行ったかな?
ではなくです。どのぐらいの距離走ったかじゃなく。
そうそう、なんかきっと2015年のこの時から、かなりブラッシュアップじゃないけど、されてると思うので、それをぜひ見たいね。
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あとこの、マデリンさん、ジェニア役の、彼女のウェンディー役も見てみたい。
ウェンディーの方が似合うんじゃないかなっていう。
不思議感がすごかった。
不思議、不思議感出るよね。
一周しか写ってないけど、不思議やったもん。
やばいよね。え?みたいな。いいんですか?それでみたいな。
ただそこで出たのがすごい。
そう、あと本当にピーター・パンってね、日本ではファミリーミュージカルとして有名だけどさ、もちろんそのフライングシーンみたいなのもあったりして、
どういうふうに演出するんだろうと思ったら、トレイラーを見たら普通に、よく見える紐、ハネスつけて飛んでらしたので、全員飛んでたので、
なんかその辺もなんか、なんやろ、わりとその、完成のままじゃないけど、飛ぼうみたいな、みんな飛ぼうみたいな感じで、ここ飛んでますみたいな、そういう演出。
ワンポンされるみたいなね。
ベッドも飛ばそうみたいな。
アホの子みたいに言っちゃってる、サリーさんのこと。
そういう言動力はあるんやなと思う。
あとはこのサリーさん、もともと10年間俳優をされてたらしいので、そういうその俳優目線での舞台作りっていうのもあるのかもしれないね。
すごくね、私は演出家さんに興味を抱いた作品でしたね、ジェンエアです。
ほんとに、みんな脱水なへんでよかったって思うぐらいに、
え、何になれなくて?
脱水症状になって、ずっとそこまで、主役のマリーラさんもずっと泣いてて、
泣いてたね。
脱してあかんって、ちょっと溜めときって思うぐらい。
もうなんか酒焼けしてんかな、みたいな声だったしね。
こういう地声なのかな。
ピカピカだったやつは多くない?
なんか喉大丈夫かなって心配になったんだけど、そういう声なんだったらね、まあいいんですけど。
ちょっとハスキーなね、ハスキー。
ハスキーやけど高い、なんやろ、不思議な声でした。
やっぱすごいパワフルになったので。
まあね、私はでも一つ褒めてほしいのは、この作品は朝の9時から見たっていうこと。
それはね、ほんとに褒めたたいてほしい、しんちゃんに。
私はそれを断念した身なのね。
結構ね、疲れた。
だと思うわ、朝1時から見た。
うーん、そうそうそうそう。
回避したら、私がちょっと見るのがね、別の劇場に見に行くのが起きてしまって、ちょっとね、予定が狂ったので。
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でもあの劇場で、この作品3時間見るのもなかなかしんどいなと思ったけど、大丈夫やった?
一番前で見ましたよ。
一番前で見た?え、音響とかどうなん?長らく行ってなくてさ、あそこ。
いや、悪くなかったし、一番前だけすごいふかふかの椅子置いてくれてたから。
あ、そうなの?
うん。
え、何人ぐらい見に来てたの?
3人、私入れて。
3人か、へー。なんか喋りたくなるよね、そんな状態やったらなんか。
どうでした?みたいな。その場で走ってましたよね?とか、言いたくならへん?
その場ばっかり何年ぶり?
もう、あかんあかんあかん、もうなんかディスになってるこれ。あかんあかん。
いや、あのね、なんよ褒めですよ。やってた人間やからこそね。
そうよ、あなた何回その場で走ってたよ。ずっと走ってたよ、90分間ぐらい。知ってるよ、私は。
うん、もう何百キロそう走ってるんじゃないかなって。
そう走ったよ。
うん。
ね。
はい。
走ってた身としてはね、本当になんかもう、私もちょっとこうね、走らせてた身としてはね、やっぱおもとくありましたよ。
懐かしい。
嬉しいよね、なんか。
懐かしい嬉しいところ。
そういうのやってるんや、あのナショナルシアターでもやるんや、みたいな。
その場で走ってんやーって。
なんかね、そうそう、そういうのよ。そう、ただの一観客ではなく、ここがね、ちょっと作り手としてね、そういう思いがあるよね。
そう、だからね。
でも私この人ね、絶対このね、演出家さんなんですよ、ばっかりしてるけどね、知り合いの演出家さん、女性の方のすごい思いを感じちゃって。
だから、うん、ちょっと後で名前は言いますけど、しんちゃんのときにね。
うん、元気かなと思った。
なるほど。
そうそう、です。
まあね、本当に申し訳ない、好き勝手喋ってきましたけど。
はい、ほんまそうです。ほんとそうです。わー、1時間だ。やばいやばい。
というわけでですね、はい、私たちの2021年のナショナルシアターライブはこれでおさめ。ナショナルシアターライブはおさめということで。
作品としてはまだ来年1月にロミオとジュリエット決まってるので、それは楽しみにしてて。
ロミオとジュリエット、うん。1月28日から2月の3日までですね。
おお、さあはい、OK。
忙しい?
頑張る。
OK、OK、OK、頑張ってね。
まあ、またあるんじゃないかな、最上映的な何かがね。
サイモン・ゴッドウィンさんが演出で。
そうなのね。
はい、出演がジェシー・バックリーさん、ジョッシュ・オコナーさん、タムシン・クレイグさんや。
おお、あ、そうそうそうそう、そうなの。
うん。
えっと、黄色い靴下のマルボーリー・アーをやってた。
そうそうそうそう、マルボーリー・アーの人ね。
ジュニア?ジュニア?
うん。
タムシン・クレイグさん見ないと、何役かしら。何役?
1:03:02
キャプレット夫人かな。
あー、そのあたりよね。
そのあたり。
ここの役の番組的には。
ジュリエットや。
ジュリエットじゃないことはもうよくわかってる。
やっぱり。
ジュリエットここで笑ってるから、この、そうそうそう。
ですね、ぐらいかな。はい。
まあ、あとナショナルシアターライブの予定はそんな感じで、私たちの予定は完全に未定なので、
はい。
違う向いたものを。
そうですね。
お送りさせていただきます。
私は近々行けたら、ラストナイトイン双方を見に行こうと思ってました。
はい。
しんちゃんはね。
はい。
え?しんちゃんは見たんだよね。まさかのこのジェーン・エアートの日本盾で見るっていう。
吐きそうだった。
なんかもう強者やなと思って、よう見たね。
うん。ほんま吐きそうだった。
で、ラストナイトイン双方は本当にしんちゃんによると語りがいいのある映画ということで、非常にね、私も楽しみなんですが、
あと本当は後が使えてまして、キングスマン、これもね。
うん。
ファーストエージェント。
うん。
ね、先週始まったばっかりやけど、見て、これもね、またレビューと言いますか、
ただただ私たちの感想をね、語るっていう。
はい。
レビューっていうのも奥がましいよね。分かりやすいからレビューって私も書いてるけど。
感想。
感想よ。ほんと感想よ。
これから感想に変えようかな。
なんか恥ずかしくなってきちゃった。
試験。
うん。そう。でも、まあね、感想にしよっか。急に変えるね。
感想とか試験とか。
試験ね。
ただただ。
試験課題ね。私の見解の試験。
そう。ただただ雑談。
雑談ね。雑談はずっと雑談やからね。
あ、そっか。
そっか。書いたほうがいいと思う?試験、ナショナルシアターライブ、ジェーンエアとかに変えようか。
ナショナルシアターライブ、ジェーンエアの感想でいいと思う。
頭悪そう。
しゃあないや、頭悪いねんから。
そうやな。頭良かったこと一回もないからな。
ないです。
頭良くなりたいわ。
もうちょっとなんかね、専門的な話とかしろよって本当に毎回思うんですよ。
本当に思います。
できなくてね。
ねえ。いつになったらできるのかな。80歳ぐらいになったらできるようになるのかな。
80歳。
ほら、村一番のおばばみたいなさ、長老みたいなさ、そんな人になれるのかな。
1990年代の演劇界はNO。
そうそう。それただの昔話してるおばあちゃんやな。
そうね。
そう、まあなかなかね、今はね、全員100年ぐらい生きるからね。
80歳そこそこなんてね、語れへんね。
で、まだアホやの?いう点で。
むしろアホさ増すよ。だって80年も生きててこの程度みたいな、やばいね。
1:06:01
私ら今これ80歳までやろうとしてることが一番やばいよね。
ちょっと待って、入れ歯ずれた。
入れ歯は絶対、私入れ歯回避するから、頑張ってるからね。あと歯磨き。
何の話やねん。
80歳になったときの話。
ここで失礼しましょう。
そうですね。
はい、というわけで、妄想ロンドン会議ではお便りを募集しております。
ハッシュタグ、妄想ロンドン会議をつけて、ツイッターでつぶやいていただくか、直接私たちまでリプライください。
直接の、メール?直接じゃないね。
メールでのお便りもお待ちしております。
どうしどうし、よろしくお願いいたします。
あかんね、久しぶりに言うと噛むね。
私も噛んだね。すいませんでした。
はい、というわけで、今日はこのあたりでお別れしましょう。さようなら。
ありがとうございました。