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2023-04-28 23:07

FIWA理事長 岡本和久さんに聞いてみよう~その1

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FIWA理事長の岡本和久さんにゲストで来ていただきました


岡本さんが昭和の時代から証券会社、米国で学んできたことが、日本において

証券分析

年金運用

の世界で日本でもスタンダートになっていったようです

次はお客様の立場に立ったアドバイザーの時代になるという展開をお話していただきました

岡本さんの経歴とFIWA設立の背景
FIWAスプレゼンツマネーマネーマネー for you
商品の販売に関わらないアドバイザーが
パパママ目線でお金に関する
さまざまな気になることをお話しする番組です。
個人向けに株式や不動産などの
負担コンサルティングをしている子や
子ども向けの貧乳教育を行っている子さんと
男子の3人でお届けしております。
お願いします。
今日はこのラジオで
ゲストで
FIWAの理事長
この番組が
FIWAプレゼンツということで歌っていますので
FIWAの理事長の
岡本さんをゲストにお迎えして
今日はお届けしたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
早速なんですけど
岡本さんで
僕らはFIWAにいますから
理事長のことは知っていますけど
ラジオを聴いている方は
岡本さんのことを初めて
耳にするというかね
方も多いと思いますので
まず岡本さんの方から簡単に
自己紹介というかプロフィールを
FIWAの設立に至る経緯と目的
教えていただいてもよろしいですか?
そうですね。私は1946年
昭和21年に生まれました。
戦争が終わった翌年ですよね。
生まれは東京都の目黒区ですね。
区立の小学校に行って
区立の中学に行って
それから地元の高校に行って
高校を卒業してから
私は慶応義塾大学
というところに入ったんですけれども
入って
在学中に2年間
アメリカの大学
コロンビア大学に
アンダーグラジエイトの
学生として行ってました。
これは非常に私にとっては
大きな影響があったことです。
帰ってきて日本の大学を終えて
そして日光証券という
証券会社に
1971年に入りました。
その後
2年間東京にいて
それから2年間ブラジルの
サンパウロに勤務になってましたね。
その辺の話は
長くなるので
あまり割愛しますけれども
要するに
非常に円高圧力が強まっていたときで
日本国内にある
資金をできるだけ
外に持っていってもらおうと
いうことで
お前じゃあブラジルに行って
中南米諸国の
国を回ってね
そして
日本で債券を発行してもらえと
その資金を持っていってもらって
円高圧力を回避しようと
国策に
根差したそんな動きだったんですね。
ところがいった途端に
オイルショックが起こって
とても日本は
お金を貸すような国ではなく
お金がなくなっちゃったし
南米諸国もとても
お金を貸せるような国でもなくなってしまったので
やることなくて
2年間ブラブラしてたら
1975年ですかね
非常に環境の悪かったときで
日光の
ニューヨークオフィスも
コストの高い人をどんどん
返して
安いやつに
変えていこうというのがあって
ブラジルでブラブラ遊んでるやつがいるから
こっちに持ってこいと
言うとこから私はニューヨークに行って
そこで証券アナリストの
仕事をやりだしたんですね
結局ニューヨークに
9年いて
日本に帰ってきたから
9年間これは本当にバブルの時代で
大変な時代だったんですけどね
ただ
欧米流の
証券分析のやり方や
日本の企業を分析して
そういうことをやってる会社が
他に全然なかったもんで
それなりに評価してもらって
喜んでもらったんですけど
バブルが崩壊して
いろいろ思いはあったんだけれども
とにかく
外資系の
アメリカの年金運用会社に
転職しまして
そこで15年間
これも
アメリカっていうか
全世界の
年金運用のやり方っていうのは
日本と全然違ってて
非常に合理的なやり方をやってたんで
これを日本にも導入したいなと
いうことで
やりだしたんですね
15年経って
その会社が日本でトップの
会社になったんで
そこで辞めて
それからこれからやっぱり
個人が自分の退職の資金の
運用というのをきちんとできるようにならないと
いけないという思いから
投資教育会社
IOウェルスアドバイザーズというのをつくって
その活動は今でも続いているんですけれども
そこから約
15年経って
ちょうど
2019年ですかね
やっぱり日本の
個人が本格的に資産を
運用していく上で
非常に大きなネックになっているのが
販売会社の影響力が
強すぎること
自分のニーズと関係なく
勧められたものを
買ってしまっているという
その現状で
やっぱりもう少しきちんとした
生活者も
ちゃんとしなきゃいけないし
販売とアドバイスというのは
違うんだということをね
認識して
それで
Pは
それについてはまた後でお話しますけれども
こういうNPO法人を立てて
ここに参加している
皆さんと一緒に
その活動をしているわけです
なんでね
証券会社入社時からの変化と今後の展望
そういうことを始めたかということにも
関係あるんですけれども
52年前に
証券会社に入った時に
ちょうど52年前ですよね
今4月の初めですから
入社式がありましてね
そこでトップが
2つのことを言っているんですね
1つは君たちは非常にいい会社に入ったと
これからいよいよ貯蓄から投資の時代が来ると
という話を
52年前に聞いたんですけど
ずいぶん時間がかかりましたけどね
ちょっと動きが出始めたかなと
重い腰が少し上がったくらいの感じですね
もう1つはね
証券業界のアドバイザーと販売者の違い
これは非常に記憶に残っているんだけれども
アメリカではね
いい人生を送るためには
3人のいい友達をお持ちなさい
ということわざがある
誰がどういう人かというと
医者と
弁護士と
証券マンだと
証券マンってそういうものなのかというので
非常に驚いたんだけど
弁護士とか医者は分かりますよね
特にアメリカは
健康保険制度もそれほど
充実してないし
また弁護士
訴訟世界ですから
それは分かる
証券マン
その後私はアメリカニューヨーク駐在になって
9年間いたんですけども
その間に色々
お客様の多くがですね
いわゆるアドバイザーだったんですね
はいはい
お客様の多くがアドバイザーだったんですね
それで
そういう人たちの
活動ってどういうのかというと
やっぱり
アメリカの
比較的富裕層だったり
そうじゃない人もいるんだけども
やっぱり
本当にその人に寄り添ってるっていうか
商品を販売することじゃなくて
その人に寄り添ってあげるっていうのが
本業なわけです
しかも多くの場合
それが世代を超えて
続いてるんですね
要するにお客様も世代交代していく
それから
そういうアドバイザー
アドバイザー会社を作ってる人も
自分の息子に
それを継がして
それがまた
同じお客様をずっと
フォローしていくみたいな
そういう関係が非常に強い
これと商権会社が
かぶってるっていうのと
ずいぶん違うなという気持ちはしたんですね
これからやっぱり
アドバイザーっていうのと
販売者っていうのは
セールスっていうのはずいぶん違うんだな
ということを非常に強く思ったんですね
日本の現状とか
現在の状態を考えてみると
非常に不条理なところが
売る人が
アドバイザーになっちゃってるってことですよね
要するにアドバイザーっていうのは
何が値上がりしそうか
いい銘柄を教えてくれる人
それがアドバイザーみたいな
そんな雰囲気になっちゃう
それはアドバイザーじゃなくて
セールストークなんですよね
セールストークとアドバイザーっていうのは
全然違うんだ
私もよく例えで言ってるのは
肉屋さんが副業で栄養士をやってたら
どうなりますかと
やっぱりどうしても
栄養士さんの言うアドバイザーっていうのは
肉中心になってしまうということがあるんで
やっぱり本業もありますからね
やっぱりバイアスがかかっちゃう
だから医者と薬剤師の関係ですよね
医者の役割っていうのは
きちんとした処方箋を作って
そしてそれを
持って患者さんは
薬剤師のところにいて
薬剤師は薬を売ると
でもね私もいろいろ
薬にはお世話になってるんだけども
薬剤師の方
やっぱりこの薬飲みすぎる
飲むとちょっと眠くなるかもしれないから
車の運転機をつけた方がいいですよ
とかね
ちょっと今日はあんまり無理しないで
早く寝た方がいいですよとか
そういうアドバイスしてくれるわけです
あるいは
お薬手帳を見て
別の薬、かかってるお医者さんっていうのは
他にどういう薬飲んでるかっていうの知りませんから
薬剤師さんそれ見て
この薬とこの薬は
ちょっと一緒に飲んで大丈夫かどうか
今お医者さんに聞いてあげますからね
っていうようなことをしてくれるわけですよ
そういう役割はあるわけ
販売する人には
だけど
お医者さんと薬剤師は違っている
お医者さんはとにかくその患者さんにとって
一番いい
ソリューションが何かっていうことを
それを教えてくれる人
そういう関係がね
やっぱりアドバイザーと
販売員の間にももっとできていくべきじゃないかなと
無駄なことに
お金が使われてるってことは
要するに
生活者の将来の資金が流出してるんですよね
その分
お金がなくなってる
これはねやっぱり
変わっていかないといけないなと
52年の証券人生で
米国流の証券分析の手法というのも
もう今本当に終了になってるし
最初は
そんなの絶対無理だって言われてた年金運用のやり方も
結局
欧米流のものに変わってきてるし
多分この分野っていうのも
これから時間はかかるけど
とにかく変わっていくんだろうなと
それについては
私は全く疑いを持っていません
その方が合理的だし
みんなのためにも未来のためにも
いいんだということですよね
それを我々は
推し進めていこう
そういう目的で作ったのが
フィーバー
みんなのお金のアドバイザー協会だということです
とにかく社会の中の
不条理を修正する
最初はみんな
絶対無理だっていうように決まってるんだけど
変わってくるやんみんなそれ
私は前からそういう風に思ってたみたいなことを
必ず言うんですよ
今までの体験で全部そうだから
すいません
今までのところで
どうですかナンシーキャサリンで
質問とか
聞いてみたいところあります?
私はですね
すごい岡本先生の
最初の経歴のところで
前から疑問に思ってたっていうか
フィーバーとはあんまり関係ない質問なんですけど
日光証券に入社されますよね
証券会社っていうのは
当時でいくと
今でこそ
証券会社に入るきっかけと考え
対等な立ち位置になってるかな
という気はするんですけど
なんていうのかな
半沢直樹でも銀行から証券に出向だ
どういうことやって
証券の方が隠したかみたいな
そういう世界があるような気がするんですけど
なぜ日光証券を選んだのかな
前から聞いてみたいなと思ってました
売った買ったの世界が
中心だというふうに当時
みんな思われてたんですよね
私も大学のゼミが
やっぱり
そこの仲間たちは銀行行く人が
非常に多かったです
だけどなんかね
銀行ってあんまり
面白くなさそうだなと
行員さんの姿を見てても
あんまり自分が
いたらどうかなと思うと
全然みんな座ってるだけ
あるいは預金集めで
経済の歴史と投資の意義
あちこち回ってるとか
そんなイメージしかなかった
証券の方がもしかしたら
証券とか
勝者ですね
そういう方が面白いのかな
私自身はやっぱり
アメリカ行ってたこともあって
英語ということと
グローバルな仕事がしたいということと
お金に関係したことをやりたい
という風には思ってたんですよ
それは私の父親が
勝者マンで
ニューヨークにも長くいましたし
家からも英語で
いろいろビジネスしたりしてたし
電話でね
それから
そういう意味ではね
お金とか
海外とか英語っていうのも
非常に
囲まれた環境の中に
いたんですよね
大人型のおじいちゃんが
同じで勝者マンで
1920年代に香港にいて
財務関係の仕事をしてて
実は父親と
同じ勝者で同じ部門だったんですけど
上司だったんですよね
要するに早い話は
上司が娘を
自分の部下と結婚させたという
そういう話だった
それで生まれたのが私で
雰囲気の中にあったわけです
何かやりたいなと
父親が勝者マンを知っている人がいる
と言って
一度会わせてくれと
会ったところが
資金調達とか
財務関係
債券の発行とか
株式の発行とか
非常に感動を受けたんですよ
こういう風に
預金集めるんじゃなくて
株式とか
債券というもので
資金を集めて企業がそれを活用して
ビジネスをやっていくんだなと
これは面白いかもしれないなと
これから将来性あるぞ
という風に思って
それで証券会社に
決めたんですね
資金を受けて
たまたま
合格して
初任給4万5000円で
約160人
いいようですよね
当時
それでコミュニティになった
それほど
深く考えたわけじゃないけれども
証券は面白そうだなと
思った
銀行よりも魅力を感じられたということですね
そうですね
なるほど
キャサリンはどうですか
他に聞いていたところで
聞いてみたいことありますか
聞いているとやっぱり
バブルも経験されていて
戦後というのも経験されていて
日本の
ポイントポイントを生きられている
という感じだと思うんですよね
今も日本ってすごい
日本だけじゃなくて世界も
コロナが来て不安定になっていて
ポイントになっている
時だと思うんですけど
それでもやっぱりより良くなると
よく言われて
より良くなるからみんな
その気持ちが投資新宅に乗って
右肩上がりに
全体で見たらなっているんだよ
って言われますけど
やっぱり歴史を見てきた
岡本先生
それは揺るぎないもので
ゆっくりでも右肩に上がっていくって
今でも思われるのかな
というのを聞いてみたい
今の日本とか世界の感じを
生きてこられた方として
どう思っているかみたいな
でもより良い生活したいと
世界中の人により良い生活を
思っているでしょ
いや
私は弱まっている気がして
子どもさんに育てているんですけど
私むしろ
今で十分という
感じに日々思っていて
より良くというよりかは
もう
これでいいなって思う
タイプになっているんですけど
そういう人が増えているような気がしています
それはそれでいいと思うんですよ
はいはい
結局悪くはなりたくないし
そうですね
安泰に
幸せに
少しずつでも良くなっていきたい
それは多分世界中の人は
みんなそう思っているんじゃないですかね
どんな人も
ウクライナの人もロシアの人も
より良くなりたいと思っているわけでしょ
やっぱりそれが原動力ですよね
投資というものの
そうですね
そういうニーズを
トータルで見ればより良くなっていきたい
そういう意思があって
その欲望を満たしているのが
民間企業であって
その民間企業を
保有しているのが
東信拓も含めて
投資家なんですよ
その企業の
生み出した付加価値の
一部が投資家の元に
リターンとして戻ってきたわけだから
確かにね
戦後はボロボロだったけれども
終戦直後の株価は
ものすごい値上がりですよね
むしろ終戦の直前
1945年の8月に
戦争終わっていますけれども
7月ぐらいから
株式市場では
食品とか医療とか
百貨店とか
そういう株がじわじわ
動き出しているんですよ
だけどそんなことを言ったら
いよいよ平和が来るなんてすればすぐ捕まるんで
なるほど
だから
株式市場の歴史的な出来事
隠れて平和株って言われてたんだけど
公式には内需株って言われてた
なるほど
マーケットっていうのはそういうのを反応してるんですよ
だから戦争終わった時に
今はひどいけど
こっからは良くなるんだっていう
その気持ちが強かったんでしょうね
確かに
私の52年の
証券人生で見れば
一番大きい出来事って
ニクソンショックだと思いますよ
へー
ボイルショックよりも何よりもニクソンショックでしょうね
それは世界の為替市場って
物の在り方を
満足してから変えてしまった
金による
それまでは
金ドル
本位制みたいなところがあって
各国通貨ってのは全部ドルに変更でした
ドルと金との交換性は
保障されてた
ニクソンさんが
ベトナム戦争やなんかもあったし
偉大な社会の創設とかそういうことがあったんで
それで
もうこれはダメだということで
もう交換はしないよ
っていうことを言ったわけですね
それが始まったために360円
っていうのが
そして
まずは308円になって
それから最終的にはもう完全フロート
完全変動相場制に
変わっていったわけですよ
それはものすごい大きな変化ですよね
お金っていうものの価値の基準がなくなって
相対的な価値
しかなくなってしまった
オイルショックも大きな問題
でしたよね
プラザ合意で円が急激に上がった
これも大変な出来事だった
でもそういう中で
日本はバブル
を迎えて
バブルが崩壊したっていうのもすごかったし
ひどい状態でしたしね
それはいい状態だった
コロナもそうですし
今のロシアの戦争もそうですけど
結構大きな出来事って起こってるんですね
起こってますよ
常に起こってるんですよ
それであってもやっぱり
過去を見れば
ゆるく全体に上がってるっていう事実があるっていう
そうですそうです
145年の歴史を見れば
日本のマーケットって600万倍になってますからね
株価指数が
株と日本株価指数
あれで見ると
本当に600万倍
戦後だって非常に
ものすごい大きな上昇をしてるし
だから
やっぱり上がってるんですよ
それは企業が価値を増やしてるから
価値が
その中では
倒産する会社だとか
旧正庁する会社だとか
色々あるけれども
まとめてみればやっぱり
価値全体が増えてるんでしょうね
心強い話を聞けた
だから分散が大事だっていうのと
長期っていうのも大事だよっていう
事なんですね
心強い話が聞けました
話題のFEVAについて
だから私の老後まで
ありがとうございます
話がだいぶそれちゃったけど
そうですね
そろそろ時間も
また来週もですね
岡本さんには
来週はですね
先ほどの後半の
独立されたというか
iOSの話から
FEVAに
どんな感じになっていったのか
みたいなところを
深掘りしていきたいなと
思います
今日は岡本さんもありがとうございました
ありがとうございました
ということで
FEVAプレゼントまるまるまる
というパーソナリティは
サンコンサルタントの小谷と
セファリンと
ナンシーの3人でお届けしました
ではまた来週
さようなら
23:07

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