1. 名谷教会 podcast
  2. 2019/09/29:神に祝福された人..
2019-09-29 43:51

2019/09/29:神に祝福された人生の法則21(13)栄える人生のための法則

2019/09/29 聖日礼拝

尹善鎬牧師

ダニエル書 6:7-10,26-28

00:01
感謝します。改めて皆さんおはようございます。
今日も礼拝にお立ちいらっしゃいました。
では、お祝いの前に、周りの方と元気よく挨拶をしました。
それでは一言お祈りいたします。
このバニエルは、ダリオスの知性とペルシア人クロスの知性に栄えた羽。
神様、あなたの御言葉を伝えています。
心を低くして、上から上をもって、あなたの御言葉を、
私望んでいるこの群れの上に、全ての兄弟姉妹たちの上に、
主よどうぞ、あなたの御声を聞かせてくださいますように。
そしてその御声を聞いて、その御言葉が私たちの命となり、力となり、希望となり、救いとなって、
それによって生きるものとしてくださいますように。
主よ、祝福してください。
私も見てにがねて、ジェス様の御名によってお祈りいたします。
アーメン。
神に祝福される人生の法則21のうちに13回目になりますね、
今日で半分超えてここまで来ました。
今日のタイトルは、栄える人生のための法則、栄える人生のための法則です。
タイトルだけ一見見たら、ちょっと小妙的なタイトルのように見えるかもしれませんけれども、
でもですね、聖書をよく読みますと、
この栄えること、栄えるというものは、実は神様の御心なんですよね。
神様が喜ばれることなんです。
私たちが栄えるものになることを、主は喜んでまた願っておられるということなんです。
聖書を読みますと、一書一章8節にこういう言葉があります。
前の画面をご覧ください。私が読みします。
この立法の書はあなたの口から話さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。
そのうちに記されているすべてのことを守りおこなうためである。
03:03
そうすれば、ここから読みます。あなたから三愛。
あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。
それから四編の一編三節。
その人は水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は何をしても栄える。
その他にも、聖書には十四回、この栄えるという言葉が出てきます。
成功という言葉まで含めると、もっと多くの聖書にはこの言葉が出てくるんです。
でも、神様が語られる栄える、それはこの世の人々が語ることと、
本質的には異なる言葉であります。
もちろんですね、結果的には似ているように見えるかもしれませんが、
その法則、そのプロセスは全く違うものなんですよね。
今日、私たちは時代を越えて、環境を越えて、年を越えて、自分の年齢を越えて、
とても長い間、神様に祝福されて、持ち入られて、
それこそ栄えた人生を過ごした人物のことを見てみたいと思います。
誰だと思いますか。ダニエルです。そうですよね。
ダニエルの話。
まず、今日もう一度、今日の六章の二十八節だけ一緒に読みたいと思います。
六章の二十八節。
今日、ダニエルは六章、一章、三章を開いたりしますので、
よろしければ、すぐに開いて読めるようにしていただけたらと思います。
六章の二十八節をご一緒に。
このダニエルは、ダリオスの知性とペルシア人クロスの知性に栄えた。アーメン。
この期間がどれくらいなのか、また後から話しますけれども。
ダニエルと一緒に行きましょう。
ダニエルとの一章の三節四節をご覧ください。
三節四節ですね。私が読みますよ。
王はカンガンの城アシュペナーズに命じて、イスラエル人の中から王族か貴族を数人選んで連れて来させた。
この少年たちは身に何の欠陥もなく、容姿は美しく、あらゆる知恵に忌いで、知識に富み、資料深く、
王の宮廷に使えるにふさわしいものであり、またカルリア人の文学と言葉とを教えるにふさわしいものであった。
06:07
この中に誰がいるわけですか。ダニエルがいるわけです。
前を向いていただけますでしょうか。
ダニエルの歴史ストーリーを理解することが、今日の法則を理解するに非常に大事ですから、ちょっと前を向いてください。
ダニエルは今読みましたように、少年のときにイスラエルがほぼ潰れてしまって、
バビロンに、当時はバビロンでしたね。バビロンに捕虜として連れて行きました。
そのときがヴィリシー605年頃でした。
でも今読みましたように、ダニエルはただの労働のために連れられた、行った捕虜ではなく、
いわゆる植民地の人材として、素晴らしい人材としても選ばれてバビロンに行ったわけです。
それは当時、バビロンは巨大な大帝国でした。地図を見てみましょう。
ここの、これはバビロンなんです。
あとは、ダニエルは、メディアと書いてありますが、
メディア・ペルシアが、今のクエイト、イラク、シリア、ヨルダン、レバのイスラエル、
北のエジプトに至る巨大な国になるわけなんですね。
このバビロンに、このイスラエルからここまで捕虜として連れて行ったわけなんです。
さあ、いいです。資料はこれぐらいでいい。
さあ、このときに、バビロンもそうですけれども、いわゆる植民地の政策の人の中で、
あまりにも広い巨大な植民地ですから、それの支配のために、それぞれの植民地に素晴らしい、
さっき言ったように、知恵もあって、資力もあって、文学にもとても身体的にもエリートだし、
選んで、そしてよく教育して、そしてまた彼らを自分の国の植民地に戻して、
そしてバビロンのために整理してもらう、そういう人材として、いわゆるバリエルは抜擢されるわけなんです。
ところが大事なのは、そこに行って試練があるわけなんです。
というのは、バビロンもフェリシアも、その王様は神様なんですね。
その王に拝む、使える、彼らの宗教を信じる、宗教の風習を学んで守る、異教の宗教を受けることになるわけなんです。
09:17
でもどうですか、ダニエルは神の国の人なんです。イシュラエルの人。
だから、いくらエリートで選ばれていたとしても、もし自分はそれを、私はこの異教の風習を守ることはできません、しません。
そしたら、もう処刑されるか、単なる労働者に転落するか、どっちかになるわけなんです。
ところが今日、六章にありますように、このダニエルに大きな危機がやってきたわけなんです。
その前の三章にも、そういった一つの危機がありました。
三章の十七節を読みますと、十七、十八節を私は読みますね。
三章の十七、十八節。
金の像を拝むこともしません。
ダニエルははっきりと、あのバビロンの金の像、宮像に拝むことはしません。はっきりと拒否しました。
その結果どうなったんでしょうか。火の燃える、二十三節に行ったらですね、火の燃える像の中に落ち込んでしまいました。
もう迷い込まれたわけなんですよね。
でもどうなったのか、不思議なことが起こるんですよ。二十五節にいると。すると大は言った。
だが私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。
第四の者の姿は神々の子のようだ。
それでですね、二十七節を見るとですね、二行目にですね、火は彼らの体には効き目がなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火の匂いもしなかった。
このようにですね、ダニエルは、その友達は、燃える火の籠の中に寝込まれましたけれども、そんなことがあってもどうしましたか、ダニエルは。ムードに拝むことはしません。
12:14
私は神の人です。と、もう固くですね、自分の人口を押し、ところは再度ダニエルと私が連れられていったときのバビロンは、さっきの地図に見たですね、あのバビロンは潰れてしまいます。
もう時代が変わるんですよね。バビロンの後には、さっき見たメディアが出てきましたよね。ちょっと地図をもう一回見ましょうか。
このね、このバビロンがね、もう潰れてしまって、このメディアとメディアペルシア、最初はね、メディア人がペルシアを支配したから、メディアペルシア、今日も出てきますけど、こういうふうになります。
そしてあとはペルシア帝国になりますよね。こういうふうに時代が変わるんです。それで、そのメディアとペルシアの時代になって、そのときの王の名前が、今日ね、6章に出てくる、6章を読んでないですけれども、1節見ると、その王様はダリオってなんですね。
ちなみにこのダニエル巨は、時代順になってないんですよ。フォーデの学びで言ってましたけれども、時代が行ったり来たりするので、この順番で読んでもわけがわからないわけですけれども、ダリオスの時代はアドの時代になります。
そのダリオスの時代になっても、ダニエルは変わらなくて、その人生は栄えて、もうすごい総理大臣のように用いられて、そしてこのダリオスにとても愛されて、もうとても親しい親友になって、信頼されて用いられていたわけなんです。
ところが、このダリオスの時代に、いわゆる権力争いが起こるわけなんですよね。このメディア人、あるいはガルディア人から見たら、このダニエルという人物は違法人なんですよね。
全然別の国から捕虜で育れてきたもののくせに、このメディア・フィルシアのとても王の次のみたいなくらいについているわけですから。眠いですか、皆さん。目を覚めました。びっくりしたでしょう。目を覚めましたね。
ダリオスの時代になって、王の次のくらいについていたわけなんです。そうすると、そこの国のメディア人、ガルディア人の政治家たちが寝たわけなんですね。それで権力争いが起こる。どうしたらこのダニエルを倒すことができるんだろうか。
15:25
よく見たら、その敵たちはよく見たら、このダニエルというものは、神様をとても忠実に信じて、いつものように祈って、自分の神に毎日3回必ず何があっても祈っていることが敵たちにわかりました。
ダニエルで、あ、これだ。そしたら、もう法令をつくろう。このダリオス王以外に拝む者はもう全部処刑する。法令を、法律をつくろう。そしたらダリオスも、こういう家臣たちの圧力があるから、もう拒むことができないんですね。だからダリオス王もそこに署名をしたわけなんです。
でもどうなりますか。今日読んでくださった見言葉によると、ダニエルはその金銘に署名されたことをわかりました。どうしましたか。ダニエルは10節、10節大事ですから一緒に読みたいと思いますよ。前の画面か正書か読みますね。10節いいですか。
せーの、ダニエルはその文章の署名がされたことを知って、自分の家に帰った。彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かって開いていた。彼はいつものようにシニーさんのひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。
みなさん、今どんな時ですか。ダリオス王以外の者に拝む者は、もう処刑なんですよ。殺される、死ぬわけなんですよ。その神明の法令をダニエルはわかっているに関わらず、ダニエルは何にも変わらず、いつものようにという言葉が大事ですね。
いつものように自分の屋上の部屋に行って、もうイスラエルの方に窓開いて、みんな見ろ、みたいにね。誰かが見られて私はびくともしない、恐れない、こういう信仰を持って窓開いて、堂々と祈っていたわけなんです。
一日三回ですよ。朝昼晩でしょうね。朝五時半。いつものようにですから、彼は毎日バビロンに来る前にも連れて来た後にも、総理大臣になってからも、国が変わっても王様が変わっても、彼は祈り続けていた。
18:05
敵たちには嫌ったわけなんですよ。ほら、ダニエルは変わったんですよね。でもダニエルは祈り続けてきました。どれくらい長い間ダニエルが祝されたのか、ダニエルの時代をちょっと簡単にまとめさせていただきますので、ちょっと見てみましょう。前の画面をご覧くださいますか。
さあ、バビロンのネブカルネザル、この時代にイスラエルが、イスラエルは南ユダが、確かにエホヤキム時代だったと思いますけれども、BCだいたい605年のこの時代にダニエルがイスラエルからバビロンに連れられて行ったわけなんですよ。605年です。
その後、時代が変わりますね。バビロンの最後の王のベルシャカル、これもダニエルに名前が出てきています。この時もモチラル。そして時代が変わりますね。メディア、ペルシアの王のダリオス、今の時代です。
そしてペルシア、メディアの時代が変わって、いわゆる族が変わって、ペルシアの王クロースの3年の時まで、ダニエルはペルシアの王の次の皇官であった。その時代がBCだいたい536年なんですよ。ここから僕を引くとだいたい70年ですよ。
連れられてすぐに総理大臣になったわけではないんですけれども、起用されてだいたい65年か70年か、彼がもし15歳に、うちの子孫ぐらいみたいに、あるいは20歳ぐらいに、だいたい10代の者たちが小さいときに連れられていくわけです。選ばれて。
15歳だったとしたら、だいたい85歳まで、国が変わっても時代が変わっても世界行政が変わっても、ダニエルはもうバビロンの総理大臣、メディア、ペルシアの総理大臣としてずっと祝福されて、持ち入られて、今日の6章の最後の28節のように。
皆さん、しこいと思いませんか?しこいことなんですよ。あまりしこいと思っていないと顔がひとりぼっちになります。
皆さん、日本の政権だけ見ても、党制度が変わると全部変わるじゃないですか。だいたい4年、長くても7年ですよ。70年ですよ。
今から2600年前の話なんです。しかも、日本人が日本で政界になるのは可能性はありますけれども、イスラエル人が全然別の国で、しかも末端の公務員でもなく、王の次の位についたわけですから、これはもう奇跡なんですよ。
21:15
でもこれは、何より偉いからではない。神様が彼の人生を栄えさせてくださったからです。でも、誰でも、神様が栄えてくださる人生に、ああいうことができるのか?そうではない。そこには理由があるんです。
今日は3つその話をしたいと思います。まず第一、まとめました。
それを頼りにするのではなく、自分を助ける方は、ただ唯一神様お一人だけだ、こういうことを堅く信じていきたい。この信仰がダニエルの人生を栄えさせたということなんです。
ところがここで、私たちはもう一回言ってはいけないことがあります。ダニエルが、私は聖なる国のためなのに、こんな違法の国の政治家になることはできません。
それで、この王たちを全部敵にして、彼らと最悪の関係を持っていたならば、後々イスラエルの人々が、クロス王の時代に、バビロンに捕虜になって、人々がイスラエルに戻ることは起きなかったかもしれない。
ダニエルはね、今日読んだダリオスの後からの話をしますけれども、もうダリオス王とものすごく関係が良かったんです。ダリオス王はもうダニエルを愛して大好きでした。
それほど信任を得ていて、より人間関係を持っていながらでも、その中で自分の信仰を徹底的に守っていたわけなんです。
後患として、自衛部閣の政治をしていました。
エジプトの総理のヨセフもそうだったでしょう。ヨセフは、神の知恵を持って、エジプト人も食べさせるために、神の知恵を持ちにいたわけなんです。
24:05
世の風習や、世の信仰や、世の偶像には従わない、拝まない。
しかし、この世の人々を、今方に言うならば、神様、未信者を全部敵にするわけではないんですよ。
それは健全なクリスチャンの様子ではない。
そうしたら、全部敵になるわけなんです。
今方に言うならば、信じない未信者の人とも親しくなって、本当に良い関係を持ちながら、
たまには会ったり、たまには食事をしたり、お茶を飲んだり、時が横にも行ったり、
そして、その中で信頼を得て、その中で我々を通して、神の御業を表すこと。
それは皆さん、教会があの山のてっぺんにあるんじゃなくて、隠れているんじゃなくて、
この世に出てきて与えられている理由がそこにあるわけなんです。
ところが、さっき申しましたように、本当にこのダリオス王の相愛と言いましょうか、
その愛を受けているダニエルを倣んで、権力争いをした愛をね、
法令を救って、にもかかわらずダニエルは祈っていたんですね。
さあ、その結果はどうなったのでしょうか。結果を見てみましょうね。
まず、今日読んでないんですけれども、今日の6章の18節ご覧ください。
ここから読みたいと。あ、16節から読みましょうかね。16節、聖書ご覧くださいね。16節、私が読みます。
そこで王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。
王はダニエルに話しかけて言った。
あなたがいつも仕えている神が、これを皆さんよくつんぺして、あなたがいつも仕えている神が、
ダリオス王も知っていたわけなんですね。
ダニエルはいつも自分の神に忠実に仕えている人であることを、
違法の国のあのペルーシアの王さえも知っていたわけなんです。なおお救いになるようにと。
そしてね、18節、こうして王は、ダリオス王がですね、ダニエルをどれくらい愛していたのか。
18節、こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。
また眠気ももようさなかった。
27:02
これほどダニエルは信頼を得ていた。
用いられて愛されていたわけなんですよね。すごいことなんです。
でもどうですか。
19節、王は夜明けに日が輝きだすとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。
だからその結果を知っていますね。どうですか。
ダニエルは平気。何の結果もしていない。
22節、一緒に読みましょうかね、22節。最初の面白い方は一緒に読みますね。
私の神は御誓いを贈り、獅子の口を塞いで下さったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。
それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。
王よ、私はあなたにも何も悪いことをしていません。
そして23節、私は読みますね。
そこで王は非常に喜び、自分が愛しているダニエルがもう生きている。
わあ、うれしいということですね。
ダニエルをその穴から出せと命じた。
ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。
彼は神に信頼していたからである。
これですね、ダニエルは人に信頼するのではなくて、誰に?
神様だけに信頼していたから、
彼は時代が変わっても、獅子の穴に、あるいは火の燃える牢の中に投げ込まれても、
彼は神に守られたんですね。
そしてその後ですね、このダニエル信仰の証を通して、
この違法の国のダリオス王は神を崇めるんです。
神を賛美することが起きたんですね。
なんと素晴らしいことでしょうか。
これがダニエル信仰です。
人を頼りにしない。神様だけを頼りにする。
このダニエル信仰、この人生を神様が祝福してくださった。
栄えるものとしてくださった。
皆さん、私も同じなんです。
神様の御言葉を通りにしていけば、我々の人生は栄えるものになります。
アメですか、皆さん。
さっきの読みました、内々の一挙八節。
この立法の証をあなたの口から放さず、昼も夜も、それを口ずさまなければならない。
その内に記されている全てのことを守り行うためである。
30:02
そうすれば、この御言葉を守り行えば、
あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。
2番目。
2番目。
ダニエルが、ダニエルの人生が栄えた理由は、人を恐れず、神様だけを恐れたからです。
恐れ、あえて恐れ、感情。
ダニエルはどうですか。人を恐れなかったんです。
バビロンの王であろうが、ベルセルであろうが、
このダリオス王であろうが、誰も恐れなかった。
皆さん、恐れなかったということは、恐れないから軽んじった、笑った、舐めた、敵にしたという意味ではないんです。
恐れないんだけれども、愛していただけるんです。
だから先ほども言いましたように、自分はこの国の王様の下の者として使えることは使える。
政治家として活動することはするしか、その人を恐れはない。
ただ、神様だけを恐れている。
これがダニエルです。
これがダニエルの人生が栄えた秘訣なんです。
皆さん、私たちの人生が栄えて、することを全てで反映する秘訣される秘訣は、
神様だけを恐れかすこむこと。
神様だけを愛すること。
神様の御言葉だけを守り行うことなんです。
それだけなんです。
皆さん、人を恐れることはありません。
恐れないでください。
人は愛する相手なんです。
恐れるべき方は、ただ神様お一人だけなんです。
神言の29章の25節に、こういう御言葉があります。
一緒に読みたいと思います。
3回。
人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は守られる。
アメン。
どうですか。
人を恐れると罠にかかるんです。
しかし、主に神様に信頼する者は守られる。
まさに、ダニエルの生涯があれなんです。
時代が60年、70年変わっても、
ダニエルは人を恐れないで、神様だけを恐れるこの信仰を徹底に守り通した。
33:15
立派なんですよね。素晴らしいんです。
王者を知れない、ぶれない、まっすぐ、一直線。
我々もこういう信仰のものでありたいんです。
王者を知るのではなく、
誘惑に死んだ魚みたいに流される、
秋の晩室に落ちてしまった落ち葉みたいに流されるものではなく、
時代が変わっても、環境が変わっても、
自分の状況が変わっても、
元気であっても元気がなくても、
神様だけを恐れかしこむ信仰を持っていきたい。
その具体的には、まずこの風習にならわないことですね。
世の風習にならわない。
世的な考え方、世的な生き方に従わない。
真似をしない。
そして、またこの世のものと妥協しない。
ただ神の御言葉だけを守り通すことなんです。
そうなんですよね。バニエルは一切妥協していない。
血の燃える牢に入れられても、死身の穴に入れられても、
時代が変わっても、
ああ、またバビロンからこの国が変わったよね。
どこのラインに立てば自分の政治生命が延命できるんだろうかね。
今はそうじゃないですか。
誰々の名前は言いませんが、
誰々の幹事長、誰々のラインに確かによって自分の生命が長くいくかどうか、
みんな政治家はよく考えるわけなんですよね。
日本も政権が変わるたびにね。
バニエルはそんなことを考えないんです。
教室に歩む。
神様だけを愛する。
妥協しない。
世の風習に倣わない。
非常に良い人だったんですよね、バニエルは。神様は。
そんなバニエルのために、
剣士を使わせて、
師匠の口を塞いでくださった。
奇跡が起きた。
もう大逆転が起きたわけなんですよね。
36:05
この出来事から、
あの権力争いをしていた敵たちは、
もう何も言えなくなってですね、
もしかしたらダリオス王と一緒に、
ダニエルの神様を挟めていたかもしれない。
皆さん、神様だけを信頼する者、
神様だけを恐れかしこむ者を、
主が守って、
憐れんで、
祝福してくださる。
天秘を行う。
使わせてでも、
そして神様はこのダリオス王を通して、
ダニエルも高く上げてくださって、
神様もご自分の水面でね、
高く上げてくださって。
3番目。
ダニエルの人生が救えた理由は、
祈りの人だったからです。
祈りの人だったからです。
さっき読んだ十節の御言葉、
もう一度皆さんよくご覧くださいますか。
残したの十節。
私は読みますね。
ダニエルは、
その文書の署名がされたことを知って、
自分の家に帰った。
彼の屋上の部屋の窓は、
エルサレムに向かって開いていた。
彼は、
その次ですよ。
いつものように、
いつものように、
木に三度、
跪き、
彼の神の前に祈り、
感謝していた。
どうですか皆さん。
ダニエルは、
祈りの人でした。
彼は、
たまに祈る人ではないんです。
状況が良ければ祈れる人じゃないんです。
祈りたい時だけに祈る人ではないんです。
どんな時も、
祈る人がダニエルです。
死ぬこと、
処刑されるかもしれないことを
分かっていても、
しかも堂々と祈る人です。
祈れない時ですよ、
この時はね。
絶対絶命の時なんですよ。
敵たちがもうね、
本当にもう目に火をつけてですね、
見ているわけなんですよ。
いつものように、
木に三度、
跪き、
感謝していた。
皆さんこの、
いつものように祈っていた言葉、
そこからで読んだ記憶ありません?
ありませんか?
ある人、
何ですか?
イエス様。
39:00
イエス様が、
いつものように、
いつものまとに、
って祈られたでしょう。
皆さんご存知ですよね。
ダニエルも、
イエス様も、
シノパウロもそうだったんです。
ペテラ達もそうだったんですよ。
祈る人は、
どんな時も、
祈らなければならない時には、
必ず、
もう一時三回かどうぐらいでも、
それは関係なくってね、
いつものように、
いつもの場所で、
祈る人でした。
イエス様。
あの、
オリブヤまでね、
湯をあける、
床をあける前に、
祈って笑いました。
皆さんこの、
いつものように、
祈っていたこの言葉は、
聖書が決めている、
祈りの人を表現する時に、
とても重要な表現だと思うんです。
祈る人は、
いつも祈っていました。
皆さん私も、
ダニエルのように、
イエス様のように、
いつものように、
いつもの場所で、
祈る人でありたいです。
祈れなきゃ、
祈らなければならない時に、
祈るべき時に、
祈る人です。
祈れる時に、
祈ることも、
まあいいんですけどね、
祈りたい時に、
祈ることも、
祈らないよりは、
いいかもしれませんが、
それを乗り越えて、
祈れながら、
そんな時にも、
祈る人、
どんな時にも、
祈る人で、
あなたから、
あの65年、70年、
国が変わっても、
世界が変わっても、
大阪が変わっても、
ずっと神様に祝福されて、
用いられて、
栄える人生の主人公です。
何と素晴らしいでしょうか。
彼はね、
漠然と祈るものではなかったんです。
このダニエルの書をよく読むとですね、
例えば、
2章の20セフから読むとですね、
ダニエルは、
自分が信じる神様が、
どんな方なのか、
はっきりと分かって、
祈る人でした。
私が読みますね。
2章の20セフからです。
ダニエルはこう言った。
神の皆は、
常世から常世まで、
法むべきかな。
知恵と力は、
神のもの。
神は、
季節と時を変え、
王を廃し、
王を立てん。
下には知恵を、
理性のある者には、
知識を授けられる。
神は深くて、
計り知れないことも、
隠されていることも、
あらわし、
暗黒にあるものを知り、
ご自身に光を宿す。
こういう風にですね、
ダニエルは、
もう少年時から、
祈っていたんですね。
何と素晴らしいでしょうか。
皆さん、
この通りに、
祈ってみてください。
自分が信じる神様に対する、
42:00
この神を褒め称える、
あらめる、
祈りをね、
祈っていこうではないでしょうか。
ダニエルは、
信じて祈る人です。
信じていることを、
言葉にし、
信じていることを、
祈りの言葉にしたわけなんです。
皆さん、
私は、
自分が信じていることが、
祈りの言葉になります。
メッセージをあげたいと思います。
ダニエルは、
どんな時にも、
40、50、60、70、80、90になっても、
何の変わりもなく、
まっすぐに、
神様だけに誓い、
神様だけに信頼し、
神様だけを、
恐れかしこむ人であります。
それで、
いつものように、
祈ると、何と素晴らしいことでしょうか。
皆さん、
人を恐れることはありません。
環境を恐れることはありません。
人を恐れることもありません。
ただ、神様だけを、
恐れかしこむものと、
ならしていただきましょう。
そして、いつものように、
神様に祈るものと、
ならしていただきましょう。
人生が栄える、
道、秘訣は、
遠いところにあるのではない。
我々の、皆さんの、
信仰の場所に、
皆さんの、
祈りの膝があるところに、
皆さんの、神様を見上げる、
その目に、お祈りしましょう。
43:51

コメント

スクロール