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超ブログ思考
はい、こんにちは、ポロです。
今日はですね、頑張らないことを頑張るという話をしていきます。
最近ですね、この頑張らないことを頑張るという言葉が非常に流行っているようで、
どうやらですね、そういう名前の書籍も出ているとニュースをね、見たことがあるんですけども、
なんかですね、この言葉がすごく一人歩きしているんじゃないかなというふうに僕は感じるんです。
で、この言葉の意味するところはですね、おそらく我慢しないようにしようということだと思うんですよ。
もっと自分を大切にして、無理してね、我慢して生きていくことはないよっていう意味の
頑張らないことを頑張るというニュアンスだと思うんですけども、
どうやらですね、この言葉を間違った使い方というか、
違う解釈で考えている人が多いような気がするんですね。
あたかも頑張ることがダメであるかのようにですね、感じるわけですよ、そういう言葉を聞くと。
でも決してですね、頑張ることそのもの自体は悪ではないと思うんですよね。
頑張らないことを頑張るっていうのをちょっと間違った解釈で捉えている人っていうのは、
努力しないとかね、怠けるっていう意味で使っているような気がするんですね。
で、なんでこういう本が流行るのかっていうと、頑張りたくないっていう人々の欲求があるからですよ。
努力したくないとかね、楽したいとかっていう欲求がある。
それを出版社側も理解しているからこそそういう本を出すわけですね。
人々が求めているそういう本だからこそパカ売れするわけですよ。
そこで頑張って努力しましょうみたいな本を出しても売れないじゃないですか。
やっぱり出版社がね、利益を出さないといけないので売れる本を書く必要があるわけですけど、
そうするとやっぱり再集計するようなテーマ、コンセプトの本を作る必要があると。
人々が今で必死に頑張って我慢してきたからこそ、そういう本のタイトルがすごく受けるわけです。
ただ、このね、頑張らないことを頑張るっていうのは、
なんていうんですかね、行動しない自分をいい言葉で正当化しているみたいな感じですね。
単純に行動しないっていうことに対して人々ってこう罪悪感を感じるわけです。
努力できない自分を責めたくない。
でもそういうふうな言葉を使うことによって、
なんていうんですかね、正当化できるというか、きれいな言葉にしているわけじゃない。
頑張らないことを頑張るイコール、要するに怠けるってことですね。
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でも怠けるっていう表現はあまりにもダイレクトすぎて、
それはね、どっちかというと否定的なニュアンスに感じてしまうので、
そういう言い回しを使っているわけですけど、
その間違った解釈をしている人たちは、その言葉を、
要するに、怠惰な自分を正当化するために使っているような気がするんです。
でも本当の意味のところはですね、そういうことではなくて、
もっと自分を大切にして、我慢しながら生きる必要はないですよ、
もっとやりたいことをやって、ストレスのない生活をしましょうっていう意味なんですけど、
ただ頑張らないっていうのとは違うと思うんですよ。
例えばね、本当に頑張るのをやめますとかってなって、
いや1日中家にこもってね、ずっとテレビゲームしている人生って本当にいいのかってことですよ。
そういう人が世の中にあふれたら、もう社会って機能しなくなると思うんですね。
人生っていう観点から見てもですね、
じゃあ例えば、私は頑張るのやめますという形で、何もしない。
家でダラダラダラダラ過ごして。
でももちろん、それなりの生活はできているわけですよ。
ある程度の収入が入ってきて、お金持ちにならないけれども、
でも働かなくてもいいし、自分の好きなように過ごせる。
そういう人生がですね、例えば10年、20年、30年とか続いていって、
これで楽しいんですかってことです。
6日で虚しくなると思うんですね。何のために俺は生きているんだろうみたいな。
楽だけども、何やっているんだ俺は毎日みたいな感じになると思うんですよ。
最大になればなるほど人間というのは堕落していくので、
水と人間というのは止まると腐るんです。
行動が止まった瞬間に人間の成長というのはストップして、
どんどん退化へと向かっていく。
そしてそれが長く続けば続くほど、人間というのは腐っていくわけですね。
だから仮にそういうね、頑張らない、俺はもう楽して生きるんだという風になって、
仮に働かなくてもいい状況ができたとしてもですね、
それが果たして人生的に幸せなのかどうかです。
例えばずっと今ね、自分が例えば30歳だとして、
あと50年間ね、一切働かずに生きていくと。
家でダラダラして好きなことやって生きていくってなったときに、
じゃあ人生ね、80年で終わりを迎えるときに振り返ってみて、
俺の人生って何だったんだろうってきっと思うと思うんです。
努力することとか頑張ることは決してダメじゃないんですね。
人間というのは自分の願望、その欲求の中に
自己実現欲求ってあるじゃないですか、一番高いところ。
やっぱり何かを成し遂げたいっていう欲求があって、
それに向かって努力するところに幸せを感じたりとかね、
それを達成したときに充実感を感じたりとかっていう、
そういう喜びもあるので、
頑張ることも決して悪いことではないんですね。
長い人生1回ぐらいね、死ぬ気で頑張ってみろよって僕は思うんですよ。
そんなこうずっとダラダラダラダラやってんじゃなくて、
そっちの方が絶対あとあとね、
あの時頑張ってよかったなって思える瞬間が必ずあるはずなんです。
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でもそれを楽したい、ダラダラしたい、怠けたいっていうのを
認めてしまったら、もう今の自分から成長することがないわけです。
つまりずっとこの状態が続く、もしくは今からどんどん退化していくっていう、
どちらかしかないわけです。
それで本当にいいのかっていう話です。
努力することはやっぱりね、僕は素晴らしいと思うし、
何かに向かって一生懸命頑張ってる人ってすごい輝いてるじゃないですか。
そういう人っていろんな人から応援されるんですね、頑張ってる人って。
でも頑張らずに怠けてダラダラしてる人って誰からも応援されないじゃないですか。
頑張ってる人ってのは燃えてるわけです。
燃えてるってことは光になっていることですね、光になって。
だからこそいろんな人に光を与えることができるわけですけど、
怠けてばっかりいたらそういうような存在になることはできない。
むしろそういう光っている人を足を引っ張るようなことをしてしまうわけです。
だから僕はこの言葉ってすごく都合のいいように使われてるなと思って、
確かに今の時代ってそんな無理してストレスを抱えて我慢して生きるような時代ではないので、
確かにそういう意味では頑張る必要ってないと思うんですよ。
無理していやいや、そういうブラック企業に勤めてね、
お金のために生きていくみたいな生き方はしなくていいと思うんです。
でもだからといって努力を放棄しろっていう意味じゃないと思うんですね。
努力するところに喜びを感じる人もいるわけですよ。
そういう自分の成長に喜びを感じたりとか、
今までできなかったことができるようになってすごく嬉しかったりとかありますよね。
だからこういう夢に向かって努力するっていうのも一つの幸せでもあるし、
そういう目標があるからこそ人間は生きる力を得ることができるわけです。
もしこのまま何も人生変わらないって言ったら、ある意味絶望じゃないですかね、そっちの方が。
だってもう人生が、自分の人生がどういうふうになるのか分かってるわけですから。
ってなると、あともうひたすらに死が訪れるのを待つみたいな人生になってしまうわけですよ。
そっちの方がよっぽど僕は辛いと思うので、早い段階、特に若い人とかにはお伝えしたいんですけど、
早い段階でそうやって自分の成長を制限してしまうのは非常にもったいない。
せっかく一度きりの人生だから、できるとこまで行けばいいじゃないですか。
それを自分で制限して、どうせ自分はこの程度あって決めつけてしまったら、
その瞬間に自分に可能性が閉ざされるんですよ。
だから、この言葉を歪んだ解釈というか、都合のいい解釈で使わないでほしいんです。
平らな自分を正当化するために使うのではなくて、我慢しない、ストレスを抱えないという意味で使うのはいいんですけど、
やっぱり平らになればなるほど人間というのはどんどん堕落していくし、どんどん腐っていってしまうので、
そうなってしまったらもう本当に取り返しがつかない、終わってしまうことになるので、
人生という長いスパンで見て、絶対に努力した時というのは、死ぬほど努力した時というのは、
後から振り返って必ず自分の財産になるんですよ。
あの時本当に頑張ってよかった。
それが仮に性感がつながろうがつながらないが、
俺は一生懸命やることをやったんだという一つの証になるわけなので、
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それが人生においての一番、自分にとっての一つの性感みたいなものだと思うんですよ。
でもそれがないと、何のために生きていたんだろうとね。
ただただのらりくらりと生きて、寿命が来るのをひたすら待っている人生って、本当にそれで幸せなのか。
確かにそこに苦労はなかったかもしれないけれども、
ただなんとなく毎日ね、食べて飲んで寝てみたいな感じの生活を繰り返しているだけっていう。
それってすごくもったいないと思うんですよ。
せっかく一時の人生だからできる限りのことはね、全てやりたいじゃないですか。
自分の実現したいことは。
ということになるとやっぱり今の自分のままではそれが達成できないわけだから。
必死に努力する必要があるし、その努力っていうところも、
本人が望んでやっていればその努力って悪痛じゃないんですね。
好きなことをやっている人ってその努力って感じないっていう。
でも端から見るとそれは努力に見えるわけです。
それが一つの頑張るっていう状況じゃないかなって僕は思うんです。
だからそこを放棄してしまったらもう人としてね、成長が止まるんで、
そうなってしまったらもうちょっとね、人生どうなんだろうっていうふうに思うところがあるので、
この言葉ね、あんまり都合よく解釈して、
怠けるために使うんではないっていうことを今回はお伝えしたいと思います。