本物とレプリカの価値
今日配信された気まぐれFMで、本物とレプリカという めちゃくちゃ面白いテーマのお話がありました。
これは高橋さんの個性数の方であらかじめ記事が上がっていたので、 このテーマについて考えられているのは知っていたんですけれども、
改めてお二人のトークで聞いて面白いなと思ったので、 少しその感想を、僕が考えたことを話しています。
いくつにも投稿したんですけども、僕は本物とレプリカの間には 越えられない壁があると思っている派でして、
それは理屈ではなくて、本当に本物へのリスペクトとか、 そこにある歴史とかストーリーとか、
そういうものに対して、やはり越えられない壁があるなと思っています。
技術が進んで全く同じレプリカが作られたとしても、 例えばその昔の時代に作られた、
あるいは人間の手によって作られたということに対して、 やっぱり価値があると思いますし、そういうところが重要だなと思っています。
大変興味深かったのは、ひまぐれFMではその本物を見たというと、 本物を見たという情緒的な部分に関しては、
それは置いておいて、みたいな感じですごくさらっと流されたんですが、 僕はそこにこそ重要なと言いますか、
個人的には一番大きな価値があると思っているので、 そこは興味深かったです。
例えば、めちゃくちゃ精巧な細工が施されている何か、 美術品があったとして、
それを最近の3Dプリンターで再現できますよとか言われても、 それはそう、みたいな感じで、
やっぱりそれを人間の手で作ったとか、そういうところに対しては何か価値があると思いますし、
そもそもその歴史的な背景とか、そういうところに価値があると思っている派です。
これは自分でも理屈じゃないと思っているので、 これ以上話すことはないんですけれども、
そういう感じで、そこにある歴史とかストーリーとか、 あるいは自分が本物を見に行ったんだということが一番重要だと思っているという感じです。
例えば、こういう話をすると、 本物と偽物を見分けつかないでしょ、みたいなことを言う人もいると思うんですけれども、
僕個人としては、本物だと言われて、 その本物を見に行って感動した気持ちは一番重要なものであって、
そういう他人の足を取って楽しむ性格を変えた方がいいんじゃないか、 という感想しか出ないなという感じです。
科学と倫理の交差点
さて、そういう感じで、アウトプットだけではなく、 歴史が大事だなというところがあるんですけれども、
その他に対して、ちょっとテーマが違うんですが、 似たような話を少し前に勉強して、
いろいろ考えたことがあったので紹介したと思います。
それは、ニュートンという科学雑誌の2024年6月号の特集でして、
Xで流れてきて気になった記事があったので、 都市間まで行って読んでみました。
その特集というのが、科学と倫理の交差点という特集でした。
これは、科学における倫理、 あるいはその周辺の問題について特集したものです。
私はめちゃめちゃスポーツが好きなので、 特にこのスポーツに関する公平性みたいなところに着目して読みました。
そこで出てきた面白い概念というか、 勉強になった概念としては、治療とエンハンスメントというものがあって、
治療というのは、何かマイナスがあったものを ニュートラルに戻すようなもの、
一方でエンハンスメントというのは、 それをプラス側まで持っていくようなものという感じです。
例えばわかりやすいところでいくと、 ドーピングになっているのはわかりやすいエンハンスメントになります。
一方でデリケートな問題としては、 例えば視力が0.1とか0.0なんぼしかない人が、
コンタクトレンズやメガネをつけて試合に出るというのは、 みんなそれは治療だと思って文句を言う人というのはほとんどいないと思うんですけれども、
それが例えば胴体視力をアップさせるとか、 そういう何かプラスの要素まで含んでいるとなると、
それはデジタルドーピングじゃないのかみたいなことで、 受け入れる人が一気に減るんじゃないか、みたいな議論が流されています。
それは全くもあってその通りだと思っていて、 そのあたり本物とレプリカとはちょっと毛色が違いますけれども、
どこまでその辺が受け入れられるかというのは、 ものによるかなと思います。
例えば最初からルールによって、 ドーピングでもデジタルドーピングでは何でもありだという、
無差別級みたいなものがあるんだったら、 それはそれで皆さん何の気が出なく楽しめると思うんですけれども、
人間が自分たちの体を鍛えて勝負するんだというような、 前提があるようなスポーツにおいてそれをやると、
多分受け入れられない人がたくさん出てくるんだろうなと思います。
例が出てきていたのが、例えば厚底シューズですね。
例えばそういうものを履くと記録が伸びたりするわけですけれども、 それをどこまで受け入れるかというところがあったりします。
あるいは水泳でも一時期、めちゃくちゃ速い水着みたいなものが出てきて話題になりましたけれども、 その辺もあったりします。
さらに義足をつけた人が走り幅跳びとかで、 もう健常者を超えるんじゃないかというようなところまで記録を伸ばしていたりします。
そうなってくると義足の反発力がどこまでか、 みたいなところが議論になってきたりしますし、
実際に過去のオリンピックでは義足の人がパラリンピックではなく、 普通のオリンピックに行ったこともあるそうです。
公平性の問題
そうなってくるとどこまでが公平なのか、 みたいなところが問題になってくるかなと思います。
というところでは、結局そういうところって単純なアウトプットだけではなくて、 そこにどういう歴史とか、あるいはリスペクトとかがあるかとかも含めて、
みんなが判断するものかなと思うので、 必ずしもアウトプットだけでは判断できないところかなと思うので、
私は本物トリブリカの間には大きな差があると思う派だという感じであります。
例えば将来、合成肉が出る気になったとして、 それでもやっぱり本物肉っていうのはすごくステータスが残るような気がしますし、
最近ですと写真の加工ってバンバンされてると思うんですけれども、 例えば家族旅行で写真を撮ったときに、
あいにくの雨だったとして、じゃあこれ映えないし、 みんなで写真撮ったやつをあれにAIで加工しようかってなるのかなと、
ちょっと私は不思議に思います。
僕個人としては雨のまま置いとく派で、 あれなんかに勝手にすんなよと思う派なんですが、
そのあたりも、例えば背景で色物を消したりとか、 そういう機能が最近たくさん出てきてますけれども、
僕はそういうのに対して割と反対派で、 でもそういうのは全然受け入れられる人もたくさんいるんだろうなというところで、
そこはいろんな価値観があるんだろうなというのを感じています。
というところで、この本物トリブリカっていうのは、 ちょっと話が逸れた部分もあったかもしれないんですが、
個人的に非常に面白かったトピックでした。
ちなみに前半で高橋さんのコセンスにすでに、 この本物トリブリカに関する記事が上がっていたというのは、
純木さんと高橋さんのコセンスをきちんとチェックしているというマウントです。