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このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人の学びをサポートしている2人が、
それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日もよろしくお願いします。
お願いします。
今日は、学習者のスタイル、自分も他の人もいろんな学び方があるよねって、
そのあたりをお話しできたらなと思っています。
はい、確かなんか前回、前々回の時も話してたかもしれないけれども、
えみさんは、特にマンツーマンで英語教育とかをしていて、
濃いんですよ、みたいな話があったと思うんですけど、
その学習者によって、他になんか調整するために見ていることとか、
きっかけにしていることとかってあるんですか?
そうですね、うちのプログラムではテイラーメイドっていう言い方をしているんですけど、
もちろんね、比喩的にその人にぴったり合うように、
仕立てていくっていうことなんですけど、
でも私としては本当にテイラーでスーツとかを作っているような感覚は持っていて、
最初にサイズを測るみたいな意味で、
今英語どんなふうに使ってますか?どういう感じ?
実際に英語で話してみたら、こういうサイズ感なんだな、みたいなことをやったり、
好みだったり、出来上がりのイメージだったり、
そういうものを聞き取ったりするっていうところが最初の部分ですね。
テイラーメイドっていうことがまず新鮮だったりすると、
既成品で私に何が似合いますか?っていうニーズの人に、
いや既成品じゃなくて、1から全部作るんですよっていうことを説明したりする。
それに対して他の人と違っていいんだって、割とすんなり受け入れられる場合と、
みんながやってないこと、私だけ変じゃないかしら?みたいなことだったり、
そういうところで質問をしたりお話をしながら、その反応を見て、
こういう感じかなっていう、私の方で違いを少しずつインプットしていく、そういうことでしょうかね。
なるほど、全てがテイラーメイドっていう感じなんですかね。
そうですね、特に最初の段階では、本人が自分のことをどれくらい知ってるかなっていうことも含めて、
聞いていく他ないので、あとは2人3脚しながら、
ちょっと変わってきたかなとか、こんな面があったんだな、早く言ってよみたいなこととか、
そういうのを拾いながら、試しながら、本当に押し立てなので、
仮縫い段階で1回来てもらって、ちょっと袖の動きが思ったより良くないですとか、
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丈が短いですとか言ってもらったら、じゃあここ変えましょうみたいな、
そういう作り方ですかね。
コーチングとティーチングの違いを話したエピソードの時に、
エミさんが確か、いつコーチングを使うべきかティーチングを使うべきかって、
相手の人が教えてくれますよねって教えてたのは、
多分テイラーメイドの仕立て屋さんをずっとやっているエミさんだから、
特にこの袖動かしたらきついって言ってくれるっていうのが慣れてらっしゃるから、
そういうふうなコメントになるんだろうなって聞いてて思いましたね。
私は逆に集団研修の畑からやってきた人間なので、
一人一人の洋服を作るお金もゆとりもないみたいな、
目も手も足りないみたいな状況で、
それでも中にいる多様な人たちに誰を排除するでもない感じの、
最大公約数的な場所を作るにはみたいな視点で、
どういう多様性があるかなっていうのもっと雑にですね、
テイラーメイドではなくて、なんかサイズSNLあるみたいなそんな感じかもしれないですけど、
そのぐらいの切り口で考えることがあるんですよね。
そうすると切り口がそんなにたくさんは持てないというか、
いや、それの方が学習者のスタイルに合わせていこうとかっていう話をした場合には、
難度が高いんだと思うんですよね。
例えば英語教育の場面で言うと、
クラスサイズが20人、30人いる教室の先生、
っていうのは今トモコさんがおっしゃったのにすごく近い状態かなと思いますけど、
そっちの方が難しくて、私みたいに1対1で、
いつでも好きなようにデザインが変えられるっていうのは、
すごく恵まれている環境だなというふうには思っています。
確かにそうですね、両方ともいいことがあるなと私は思ってるんですけど、
理想は集合があって、個人でフォローされて、
集合があって、みたいになるといいなというのがあるっていうのがあったね。
集合の時はどうしても4種類、カテゴリーがあって、
具体的には感情を表現する、抑えるが1個の軸で、
意見をたくさん主張する、言わないで聞いているみたいのが、
もう1個の軸で4証言、表されたところで、
アナリティカル、ドライバー、エクスプレッシュ、ベミヤブルみたいなことがあるんですけど、
その4種類の人がごちゃごちゃに目の前にいるんだろうなという仮説で、
研修の設計をしたりするんですよね。
要は質問ありますかって言った時に、発言したい人からは出てくるかもしれないけれども、
発言しないけれども持っている人たちが、同じように何か得るものを得られるっていう場は、
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どういうふうに時間配分した方がいいかなみたいなことを考えたり、
っていうレベルの多様な人たちを対応するみたいなことを考えたりしますね。
最大公約数っていう表現がありましたけど、それプラス時間的な制限がある中で、
それから本人たちもその時間を自分のものとして使いたいタイプの人と、
いえいえ私に時間を割かないでくださいっていうタイプと、
それも混在しているので、特にあんまり質問されたくないとか、
自分の意見を言いたくない人にとっては、他の人で進めていってもらいたいっていうのも、
希望だったりしますからね。難しいですよね。
一個大学院に行った時に、初めてその時に聞いた単語で面白いなって思ったのが、
オブザベーショナルラーニングとかいうのがあって、
今日は先生がティーチングしていて、子どもたちがいて、
子どもたちが別の子どもが発言しているので、ここで聞いて、
その先生と質問している子どもをオブザーブすることで、
全然会話に入っていない人に学びが起きているって、
今そういう概念のオブザベーショナルラーニングってあったんですけど、
名前つくんだ、それって思って、すごく新鮮だったんですよね、当時。
私、子どもの英語教室で初めて教育っていう世界に入っているんですけど、
積極的な子が質問してきたりしますよね。
それで、それに対して答えている時に、
こっちからすごく見ているなっていうのを感じながら、
なので、Aという子から質問を受けたんだけれど、
この子にだけ答えているわけじゃないんだな、
このAを含む子どもたち、クラスにいる子たちに対して、
私は答えているっていう意識を持ってないといけないなっていうのを、
すごく新人の頃に感じたことがあったなって、今思い出しました。
あ、そんな、もう既に体感されていた。
これ結構あると思うんです。
確かのチャットGPTの会社の時に、
モヤモヤとして、チャットに聞く言葉をまだ紡げない段階の時の気持ちはどうなるみたいな話があったと思うんですけど、
多分、オブザベーショナルラーニングがはまるフェーズにいる人たち、
それが合っている状態にある人っていうのは、きっと他の人が発言したりしているのが、
自分がちょっとモヤっとしてた、よくわからないことが、もしかしたら代弁してくれている時もあるわけで、
やっぱりその場にいるだけで何か得られるものがあるんだろうなって、
結構いろんなシーンでありそうですよね。
例えば、セミナーとか100人ぐらいいるセミナーで、
質疑応答のほうがすごい面白かったりする時あるじゃないですか。
聞いてくれてありがとう、その問いみたいなのも、あれもある意味、
なんとこの場にいて会話をオブザーブしているから、得られているっていうのはあるんだろうな、みたいなことを。
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そうですね。留学初期とかもそうじゃないですかね。
そうですね。
例えば、アメリカっていう国で、英語で質疑応答がなされていたり、
ディスカッションがなされているっていう時に、もちろん言語的なものもありますけど、
カルチャーとして、そういう質問をするんだ、そういう言い方をするんだ、みたいなのを、
ある程度オブザーバーとして吸収している時期っていうのがないと、
自分が質問をしたりされたりする立場には、なかなかいけないかなっていう感じがしますね。
転職した新しい組織に入るときも、大体みんなおさほをきょろきょろしながらキャッチしますよね。
それもけど、どのぐらいやるかは結構性格が出るなと私は思っていて、
もっと長く多面的に観察する人もいれば、さらっとおさらいして、こんな感じかなって言って、
先に行動する人もいたりとか、そこは性格が出るなという気はしますね。
あまり慎重にその時期を長く取りすぎると、今度は行動するのにハードルが上がりすぎてしまうってこともあり得ますからね。
それにつながる話なんですけど、経験学習のコルブさんいらっしゃるじゃないですか。
コルブさんが、人は経験から学ぶをさらに細かくモデルにしていて、
4ステップ、彼は体験をして、それを振り返ってパート2で、
パート3にそこから学びを抽出して、こういうことかなってちょっと抽象化した後に、
それをさらに新しい状況に適応するが4ステップね。
それをまたぐるぐる回るみたいなことを、
まんべんなくやりながら人は学んでいくぞみたいなことを言っている人なんですけど、
人はその4ステップあったとしたら、1と2のステップの間が特に得意な人とか、
2と3の間が特に得意な人とか、いろいろな人がいて、
その得意な部分とそうじゃない部分をバランスよくやっていくことが、
一番学習が高まっていくよみたいなことを言っていて、
さっきのオブザベシの7で最初に慎重に見る人っていうのは、
もしかしたらその抽象に落とし込むとか内省をするとか、
2ステップ目から3ステップ目のところにいることが比較的最初好きだったりとか、
逆にそこはそんなに長居はしたくなくて、
仮説を立ててこんな感じかなって飛び込んでいくのが好きな人は、
第4ステップ、第1ステップの間にいるかもしれないし、
なんかそういう、彼はQタイプいるっていう話をしてますけど、
学習スタイルがあるっていう話を聞いたときにですね、
いろんな人が自分の中に頭が浮かべて、
あの人はこう思って、私はっていろいろ考えたんですけど、
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エミさんって、1つ目の質問としては、
コルブさんのこの経験学習ってどこで聞きました?みたいな話と、
このいろんな学びの得意なタイプみたいなのがあるって聞いたときに、
エミさんご自身は得意な学ぶスタイルとしてはこういうのみたいなので、
なんか自己認識されたりしますか?っていう2つ目の質問ですね。
そうですね、多分教育大学院で聞いているんだろうと思っています。
でも、あんまり印象がないんですよね。
そうなんですね。この経験学習って結構、
企業研修とかリーダーとか、いろんな経験をして、
しっぱなしだと本来の学びにつながらないので、
振り返って、それがどういう意味だかっていうのを立ち止まって、
次、自分はリーダーとしてこうありたいみたいなことにつなげようね、
みたいな話で結構経験学習のモデルの話は、私は触れていたんです。
わかんないです。私が忘れただけかもしれないんですけど、
見覚えがあんまりないんですよ。
そうなんですね。今日初めて聞いたとして。
本当に初めて聞いたって感じなんですけど、
この中だと、リフレクティングだったり、アナライジングっていうのが、
傾向として強いのかなっていう気がします。
なるほど、リフレクティングとアナライジングということは、
ちょっとあれか、経験が終わって、
その後に内省して、それを中小化するフェーズのところが、
特に滞在しているとき、心地が良いというか、
それで学びが一緒化されていく感じなんですかね。
そうですね、おそらくそうだと思います。
さもこさんはどうですか?
そうですね、私は多分、えみさんの場合は観察した後の考える、
振り返るみたいなところかなと思うんですけど、
私は先に多分、行動してやることが多分好きなのと、
多動なんだと思って、えみさんよりは。
多動な中、振り返る、そういうのがあるっていうのを、
今回ね、学びのスタイルはっていうときに、ちょっと思い出したんですよね。
例えば、具体的な体験として、
自分はこういうときに焦るんだな、みたいな焦ったことを体験して、
そこから振り返って、あのときめっちゃ焦って、
本来だったらそういう自分じゃないのに、こういう風になってしまったなって振り返って、
教訓としては、みたいな感じで、多分、抽象度を高めた上で、
次回、こういう同じ状況が揃ったときに、
自分が自分でありたいバージョンになるためには、
次はこうしよう、ぐらいの明確なコミットメントができるぐらいまでが回って、
良かったってことになるんだと思うんですよね。
今、聞きながら、英語学習者だったらって思ったんですけど、
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例えば、実際に英語を話してみるっていうのが、具体的な経験ですよね。
それを後で、ここができたな、あそこ間違えちゃったな、みたいなことが2番ですよね。
例えば、話してる間、緊張してたな、頭真っ白になったな、までいくと、
それを緊張しないためにはどうしていったらいいかな、とか、
頭真っ白になったとき、その次に自分はどうすると、
その状況から抜けられるかなっていう、そういうステップっていうことでしょうかね。
そうなと思います。
最後のところって、やらなくても痛みはないというか、
やったらもちろん学びが高まるイメージがあるんですけど、
なんか結構やっぱり下手すると感じて、ちょっと振り返って、
おしまいみたいなことに一人だとなりやすいなとは思うんですよね。
そもそも抽象的に引き上げる必要が一人だと、
よほどそういうことが好きじゃない限りは、
また誰かにその学びを伝えなきゃいけないフェーズになってるとかじゃない限りは、
しないような気はするんですよね。
だからやっぱりその最後の方は、
それをやるモチベーションとなる仕組みを作っておくみたいなのが重要だと思いますよね。
抽象度を高めるっていうのも、なんか自分では十分高めたつもりでも、
結局同じところをぐるぐる違う表現をしていただけだったり、
っていうこともありそうですよね。
そうですよね。やっぱり次に行かせるためのっていう目的が、
抽象化の後ろにあることが重要なんだろうなと思うんですよね。
ここで言う抽象化って。
コルブさんはね、前回学びとはって我々アダコで喋ってましたけど、
彼は学びとは、自分の経験から独自の考え方を紡ぎ出すみたいな、
その能動的なプロセスを学びって呼んでる人なので、
だからこういうサイクルを回すことが学びだよっていう、
そういうふうになっているので、
それをフォローするとしたらやっぱり3番4番がしっかり起きるように、
ちょっと自分で意識するのが大切なんだろうなという気はしますね。
自らそれができるようになっていくと、
学びの達人みたいになっていくような、そういう感じですかね。
もう一つだけその学びのスタイルでよく聞くのはあれですよね、
視覚的か聴覚を使うか、それとも運動というか手を動かすとか、
いろいろな形の身体がありますけど、
バットモデルとかね、
そうですよね、これよく聞きますよね、ビジュアル、ビジュアルラーナーとかアクスティックとか、
ちなみにえみさんはどういうモードが学びに自分に合っているとかってあるんですか。
その学ぶものによったりもするなぁとは思うんですけど、
耳と目が同時に働いているとき。
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なるほど。
動画のイラストレーションとかは一番買いやすい。
それがね、文字情報なんですよね、私の場合はね。
文字で耳と目。
口出して読むってことですかね。
そうですね、目で追いながら音読をするとか、
読み上げてもらいながら目で追うとか、
あるいは耳で聞きながら文字起こしをするとかっていうのが、
一番脳に入っていく感じがあります。
なるほど、やっぱ耳いいですよね。
私は耳一つでも結構好きなんですけど、
耳と目がセットになっているっていうのが、
私はそれにさらに加えると、
私議事録取るの好きなんですよね。
そうですね。
すごくすごくなんか脳がアクティブに動いているときであれってやってる。
すごいと思う、ともこさんの議事録は。
手がね、やっぱり手を動かすっていうのがすごく必要なんですよね。
聞きながら手でタイプしながら目で書かれていることを見てっていうのを、
セットでやれるからなんかすごくエンゲージング。
すごいな、いいな。
私は手を動かした途端に目も耳も入らなくなってしまうので、
手はなるべく動かさないようにしています。
そうなんですね。
これどっかのエピソードで、
私高校の時に学びが面白いと教えてくれた先生がいるみたいな話をしたんですけど、
科学の先生が授業の教え方がすごく不思議で、
すごい分厚いノート、100ページか200ページの分厚いノート指定で買わなきゃいけなくて、
どういうふうに使うかっていうと、
ノートの左側は先生が黒板に書いたことを書くんですね。
ただ右側の白紙になっているところに、
その左に学んだことにつながる話とか、
自分の覚え書きとか、自由に右側を使うように教えられていて、
それがすごく今の自分の擬似録につながっている気がするんですよね。
余白を埋めるじゃないけれども、概念を見える化する、
それを手を使ってやるみたいなのを、
あの時に多分教えられた気がする。
あの音ってこうやって2つのバージョンを同時に走らせるのか、みたいな。
そう思ったのが新生だったんですけど、
今思うと言っているビジュアルで、
図とかも右で書けたりもするので、
図っていうかイラストとか矢印とか、
線を無視して書くこともできるので、
ビジュアルで覚えるとか、手を使うみたいなところは、
このラーニングスタイルの複数を横断する学びの場だったのかもな、という。
もちろん先生の講義も耳では一応聞いているので、
耳の方にも入ってくるみたいな。
なるほどな。
その場合のビジュアルっていうのもね、
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目から入るって一口に言っても、
トムコさんの場合はどうやら図とか、
絵も入ってくる感じですね。
そうですね。色とかもね、使ったり。
そうですよね。
うちの受講生の方にも、
もちろん英語なので、
どうしても文字情報とかね、
音声だとしても話し言葉だったりするんですけど、
やっぱり絵に書くのが割と学びやすいとか、
色を使った方が学びやすいっていうのも、
最初のね、最審の段階でいろいろ聞いておいて、
例えば、形容詞がうまく入らないなっていう時に、
じゃあ絵で書いてみましょうってなると、
意外と言葉がスーッと入ってくるっていう方もね、
いらっしゃったりするので、
本当にこのいろんなタイプがいるっていうことをね、
知っておくっていうのはね、大事なことだなと思いますね。
そうですね。
特にね、これから教える側としては、
昔はそういう情報があまりなかった気がするんですよ。
この人とこの人の学び方は違うとか、
でも今は明らかに違うね、みたいなのが言われ始めてもいるので、
教える側、関わる側がそれを想像しないってことは、
だんだんなくなってくるんじゃないかなと思うんですよね。
そうですね。
例えば一度で覚えられない子は落ちこぼれるみたいな、
そういうね、こちらのやり方に合うか合わないかで
測っていた時代が結構長かったかなっていう気がするんですけど、
もう今はね、それにこれからはもうそうではなくて、
学習者側がどういう学び方をしていくと、
それぞれ学んでね、進んでいけるかなっていうことを
プロデュースかな、
そういうのをする役目っていうのがありそうですね。
そうですよね。何がその人たちの学びのゴールなのか、
その向き方、到着の仕方はいろいろあるみたいな、
時間が決まった45分のテストで、
アウトカットを出さなきゃいけないみたいな、
そういう狭いルートだけじゃなくて、
この概念を分かってもらえるっていう定義だけをすれば、
それはいろんな形で表現っていうのができるかもしれないし、
自由課題で何かを作った方がそっちに行ける子もいれば、
論文書く方が好きな子もいるかもしれないし、
プレゼンテーションしたい人もいるかもしれないし、
そうですよね。
一人一人の学習者に対してプロデュースしてあげようっていう気持ちもありつつ、
例えばクラスとか団体であれば、
その相乗効果みたいなもの、
何かオーケストラとしてみんなでどうするかみたいな、
その場合はコンダクター的な役割っていうのもありそうですね。
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確かに確かに。
前はどちらかというと、
ギター振ってて後ろついてきてるかみたいな、
ついてこれてない子は遠くに居すぎて見えないみたいな感じだったと思うんですけど、
オーケストラの確かに指揮者が、
すべての楽器の人たちに目が届く立場に立っているけど、
必ずしも一個一個細かく指示をするんではなくて、
みたいな、こういう役割になっていくのかもしれないですね。
もっともっと。
その時々に一人一人のプレイヤーがどういう動きをするのか、
それをちょっと面白がったり、
そう来るならじゃあこっちはこうしようかみたいな、
そういうこともできていた方がきっとお互い楽しいですよね。
確かに。
ラーニングスタイルっていうだけでも、
そんなにいろいろな可能性があって、
教育者の役割に対しても影響があって、みたいな。
いろんな話になりましたが、
まなびの話は毎週1回配信しますので、
また聞いていただければと思います。
ではまた次回。