除籍人を漁るのが楽しい日々
サマリー
2025年1月24日の配信では、軽症うつと認知行動療法について語られています。特に家族間の葛藤を通じて、他者との距離を置く重要性や、自責と他責の感情を理解することが強調されています。軽症うつと自己分析についての考察が進められ、リスナーは自己理解を深める手助けを得ることが強調されています。また、精神分析やカウンセリングの過程における課題とその影響についても語られています。このエピソードでは、軽症うつと自他分離について深く考察が展開され、医者になった経験から得た空虚感や承認欲求の無意味さについて議論されます。競争社会における人間関係の難しさと内面的な葛藤が語られる内容となっています。このエピソードでは、軽症うつの問題と自他分離の重要性について考察し、精神分析の経験を通じて解決を求める過程や自己成長の必要性が探求されています。さらに、アドラーの心理学的視点から、他者の課題と自分の課題を分けて考える意義が探求されています。このエピソードでは、日本の精神医療における軽症うつ病の増加と、それが社会全体に及ぼす影響について議論されています。また、子供の精神的な成熟度に関する問題や、親子の交流が減少している現状の危険性についても触れられています。このエピソードで語られる軽症うつの症状や影響は、人間関係や自己理解の重要性を強調しており、心の健康を保つための休息の必要性や選択肢についても触れられています。
配信の始まりと状況
それでは放送を始めます。進行は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
2025年1月24日金曜日12時58分。自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
本日3枠目かな。朝から何回かに分けて配信しています。朝からね、なんか寝起きが悪くてずっと一日ぼーっとしてます。
本読む気力もないし、何かする気力もない。ただこの後夕方からね、仕事があるので、ちょっとずつスイッチ入れていかなくちゃいけないんですが。
ちょっとそれまでの間、配信しようかなと思いまして。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
やはり夜配信するなら、あんまり良くなさそうだなって。夜更かししちゃうしね。そうするとこうやって朝、なんかぼーっとしちゃうので。夜の配信は避けようかなと。
今日もだから、こんだけ日中配信してるので、夜は配信しなくて済みそうですね。
さあ、とりあえず一枠か二枠かぐらいね、やっていきたいと思います。
最近あんまり人と話してなくて、ちょっとこう舌が回らないですけどね。
先生こんにちは。どうもこんにちはです。いちごうさんどうも。
本当に配信しなくなると、本当に人と話さない日が続くからね。リハビリですね、これは。
家庭内の葛藤
仕事上も患者さんと話すっていうより患者さんの話を聞くっていう感じだからね。
自分の意見を述べるっていう場面はほとんどないし、結構この配信が貴重なスピーキングの、日本語のスピーキングの練習にはなってるかと思います。
何か話題あれば、質問とか何かこういう話をしてほしいとかあれば、ぜひコメントをお待ちしております。
なければちょっとね、どうしようかちょっと考えます。
先生の認知行動療法は難しいです。どうしても向かってしてしまいますと。
僕の認知行動療法。
例えば何かと、どんな、どんなことをやろうとしてムカッとしたんですか。
何かこう困難を感じた具体的なシチュエーションがあると、もしかしたら何かアドバイスできるかもしれない。
すみません、ポッドキャストを聞いていたんですが。
うん、ポッドキャストを聞いていて。
どの場面だろうな。結構あのあくびが出ちゃうのは気にしないで。
昨日あんまり寝れなくてね。
集中しようとするとすごいあくびが出るんですよ。
いや、お母様と妹さんがいがみ合うところとかを聞くと、より多くのが一番だよって考えちゃうんですよね。
あー、そうだね。
どういうことかというと、うちの母親と母親の妹。僕から見るとおばですけど。
もう往年の、なんていうんだ、懸縁の中で。
で、祖母。つまり二人にとっての母親ですね。僕から見ると祖母。
で、祖母がもう年始早々に倒れまして、救急車で搬送されて、今入院中なんですよ。
そこらへんをきっかけに、この数十年来の懸縁の中の二人がどうなっていくのかっていうのが、ある意味でこの1月のこの配慮の中で。
最新のポイントだったわけですけれども。
まあ、その話ですよね。で、お母様と妹さんがいがみ合うところとかを聞くと、距離を置くのが一番だよって考えちゃうんですよね。
これは誰に対して距離を置くのが一番だよってことですか?
その二人が?
それとも僕が二人から距離を置くってことですか?
お母様が、あー、妹さんと距離を置くと。
距離を置くっていうのはもう、離さないでおくとか。
あの人おかしいんだから、もうほっとこうよっていうことですよね。
そのアドバイスはまず、結構いい線いってると思うんですが。
ただ現実に何が起きてるかっていうと、結局、また母親が過剰にワーッと反応して。
で、なんでお母さんのこれをやってないの?とかさ、っていうのをまた妹にワーッと言うんですよね。
で、そうすると妹の方も、そんなこっちが面倒を見てやってるのに、その言い…ねえ、なんか外から急に来て文句言うっていうのは違うんじゃないの?っていうふうに、まあ、おばもキレて。
もう二人がだからこうなんか、格分裂反応みたいにさ、なんかもう連鎖反応ですよね。
お互いがお互いにキレまくって、どんどんどんどん怒りが増幅してくっていうことが起きている。
だから距離を置きなよっていうのはすごく正論なんですが、実際にそれを実践するのは難しいみたいで。
まあ、あなたに置き換えてみてもいいんだと思うんですよね。あなたがムカつくなとか嫌だなと思うものってありますでしょ。
それから距離を置きなよって言われることは、まあその通りですよね。
それはそうだなってあなたは一度は納得すると思うんですが、それができてますかね。
何回も何回も臭いものに蓋をしようってするんだけれども、それをもう一回自分から覗きに行っちゃうことってないですかね。
っていう話なんですよ。
そうしたときに認知行動療法って結構役に立つんじゃないかなと思うんです。
例えば最近だと必要に、あの、何だろうな。
まあ兵庫県知事選の話題だとか、あるいは中井雅宏とかフジテレビの話題だとか、
必要に食い下がっている人たちっていますよね。
それなんかがまさにいい例だと思いますね。
自分の時間とか労力をものすごい無駄にしながら、多大な時間労力をそこに費やして、無駄な時間をそこに使って、
無駄なリソースを割いて、一日の大半を無駄に過ごされている方って世の中にたくさんいらっしゃると思うんだけど、
そういう人たちには結構認知行動療法は有効だと思いますね。
結局距離が置けない人たち。
きちっと自分と他者との間の距離を置けない人たちには結構いいかなと思うんです。
うちがそうなので向かってしてるんですよね。
結局まあ僕の母視点でね、認知行動療法を進めていくと、
母親のアセスメントをしていくと、その妹に対するある種の自動思考が立ち上がっていることがだんだん明らかになってきたんですね。
妹と接していると、自分の実の母親なんだからこのぐらいして当然でしょうとか、
娘なんだからこのぐらいの責任を果たして当然だろう、当たり前でしょうとかっていう自動思考が母の頭の中に結構流れてるんですよ。
あともう一つはその多析的な思考ともう一つが、
そんな母親を自分は今までほったらかしにしてきてしまった、自分はなんてダメな人間なんだっていう自動思考も入ってるんですよね。
なのでこのすごい妹に対するなんでもっとちゃんとやってあげないの、もっと優しくできないのっていう妹に対する怒りと、
そうは言っても自分はね結局旦那についてアメリカに行って、
そうやって見て見ぬふりをしてきしてきてしまった自分っていうのは果たして本当にね正しかったのだろうかみたいな、
自分に対する自己嫌悪、罪悪感、自責感みたいなものがこうないまぜになった状態で、
なんかこう隣散らしたりこうもっと優しくできないのっていう妹に対する怒りと、
そうは言っても自分はね結局旦那についてアメリカに行っちゃったりとか、あるいは今も離婚した今もあの新潟には住んでないわけですよね。
息子2人にね長文のLINE送ったりしてなんか発散してるんですよね。
問題はそこなんじゃないかと思うんですよ。問題はその母親の中にある他責と自責のこの情緒の不安定さなんだと思う。
だからそこをもう少し紙に書き出していって、まあそれをね、なんか直すってよりかはそれにもう少し何かこう付け加えられないだろうか。
まあ確かに妹に対する怒りとか自分に対する反省とか、もうね長い年月、30年とか40年かけて出来上がったものなんで、
そう簡単にはそこを無しにするってのはできないですけども。
じゃあその考え方をちょっと微調整できないだろうかと。
例えば妹が何にもやってないって言うけれども妹もまあまあやってくれた部分もあったんじゃないのとか。
あるいはね自分も何にもできなかった本当に自分はダメな長女だっていうふうに自分を責めてるけれども、
でも普段ね、あのいろいろ話しかけてあげたり、なんか年に2回ぐらい実家に帰ってるんですよね。
十分なんじゃないのって、そういう自分に対するいたわりの気持ちとかそういうのを追加したらどうですか。
で、自分の極端な考え方をちょっと中和したらどうですか。
そうすると自分に対する怒りとか他者に対する怒り、妹に対する怒りが、
まあ100の怒りが80%とか70%ぐらいにはちょっと穏やかなものになるんじゃないですか。
ゼロには持っていけないけど。
っていうのが基本的にはその認知行動療法の特に認知療法って言われてる部分ですね。
認知再構成法っていう技法なんですよ。
現実の妹との関係をどうこうするかっていう現実の話、これは行動療法ですね。
あともう一つは自分の側の余計な認知によってね。
自分とか他人を苦しめている部分をどうにかする。
これが認知療法。
で、まあ本当奇跡的なんだけど今回おばが、あ、おばじゃねえや。
認知行動療法の効果
祖母が救急搬送される前から去年の年末ぐらいから母親と認知行動療法をやってたんですよ。
特にこの認知療法の辺りをメインにやってたんですよ。
つまり妹をどうにかすることはできないけれども、でもそのろくでもないね。
死んだほうがいい妹っていうのをどうにか起源を取って協力していかないといけないわけでしょ。
おばあちゃんの体調が今よくないんだったら、そのおばをうまくコントロールして治療につなげていくようにお母さんは賢くなったほうがいいんじゃないか。
そのほうが最終的にはおばあちゃんのためにもなるし、お母さん自身の自責感もだいぶ荒ぐんじゃない?みたいな感じで。
いろいろちょっと認知のほうに働きかけてはいたんです。
なので今回そういう全く予想しなかった祖母が急に搬送されてっていうのもありましたけれども、
意外とそれをやってたおかげで、母もあんまり感情的にならずに冷静に対応して、
冷静にやっぱり僕と話し合った通りに、冷静におばと話し合って、
尺に触る部分も結構あったみたいですけど、あんまりここで爆発すると治療がうまくいかなくなっちゃうから、
ここはあえてこらえて賢く妹を使おうっていうふうにね、母はそういう感じで行動できてたんですよ。
だから僕ね、結構精神分析でこれをやろうとすると10年とか20年とかかかるんだけど、
認知行動療法ってまだ2週間ぐらいしかやってなかったんだけど、それでこの成果なので、
いや意外とすごいのでは?って僕思ってるんですよね。
本人にとっては辛いことかもしれないけど、自分自身の価値観とか物差しを一旦疑うっていう作業って結構ストレスなんで、
哲学とかね、現代思想とかやってる人は慣れてるかもしれないけど、普通の人ってなかなかそれできないので、
対象抵抗感があるんだけどね、自分のルールを一旦疑うっていうのは。
あいつね、嫌いなものは嫌いだからっていうふうにね、たけ終わったような性格の人は、
特に自分の内面とかに触れるのが苦手だと思うんですけど、
そういうのを母もちょっと苦しい時期を乗り越えてやったっていうのはなんか大きかった気がしますね。
そうですね。で、お母さんをおばあちゃんが操作して妹さんを思い通りにしたいんじゃないかと。
お母さんをおばあちゃんが操作して…。
ちょっとよくわかんないな。
それは1号さんの人生がちょっと放映されすぎてるような気がしてちょっとピンとこないです。
その見たては。
えーと、こんにちは、どうもこんにちはです。先生が精神科医じゃなかったらどうなっていたんだろう。
いや、僕はもう母親に怒鳴りつけてたんじゃない。うるさいよ。
こっちだって忙しいんだから長文のLINEをいちいち送ってくんじゃねえよっていうふうに、
俺は母親にブチギレしてたと思います。
で、母親もそういう言い方ないんじゃないの?母親に向かって。って言ってブチギレしてたと思います。
で、そうやってあの憎しみの連鎖がね、たたり髪の連鎖が起きて、
いたんだろうと思います。
お母様が自分の感情がどうして怒りになるのかを分析して怒りを抑える。
まあ抑えるというか、まあそうだね、ちょっとこう行き過ぎた部分は自分の中でブレーキをかける。
うん。ほら人から言われると尺に触るんで自分で気づかないとダメですね。
何もやってないって自分を責めてたけども、
まあ何もやってなかったわけじゃないよなっていうふうにこう思い出していくとさ、
自己改善とリスナーの分析
ちょっと自分の罪悪感が和らぐじゃないですか。
そういうセルフコントロールっていうふうに認知行動療法では言いますけど、
自己改善かな、日本語で言うと。
そういう自分で良くなっていくスキルとね、
私の見立てはスルーしてください。
そうこういう僕のまあ素材でね、いろいろ話をすると、
いろんな仮説とかまあいろんなスキーまで、
いや実はおばあちゃんがこうで妹さんはこういう狙いがあったんじゃないですかとかさ、
お母さんはね実は先生のことをこうやって怪獣してるんじゃないですかとか、
あのいろいろな説を唱えてくださる方がいるんですが、
残念ながらそれはまあご自身の自己分析になってるんですよね。
リスナーさん自身の分析を僕に語ってるんだろうなっていうふうに思うんですよ。
なので僕としてはちょっとこうリアクションが取りづらいね。
随分大変な人生なんですねっていうふうに、
お慰みをね、申し上げるしかない。
ほとんど的外れですね、残念ながら。
こんにちは、お邪魔しますとも。
3号さんどうもです。
みんな人の話を聞いているようで、
自分というフィルターを通した世界を見てるはずなんですよね。
だからすっごくさしみちゃん先生の気持ちわかりますっていうときの、
その人の中の脳内っていうのはもう自己分析になってるんですよ。
自分の人生を僕を通じて見てるんだと思うんですよ。
そういう形で僕の話を聞きながら、
おのおのでね、自分の中の脳内っていうのは、
見ながらおのおのでね、
ご自身の中で人生を振り返る機会になっているのかなと思いますけども、
でもそこで出た結論というのは多分僕の人生にはあんまり役に立たない。
たまに100回に1回ぐらいすごく面白い意見だなっていうときはありますけど、
基本的にはそのアドバイスはあんまり僕には響かないんで、
そのアドバイスは大切にあなたの胸にしまってくださいと。
それがおそらくあなたの人生にとって大事な鍵なんじゃないですかっていう風に
投げ返すようにはしてますけどね。
そういう形でなんかね、お役に立てたらいいなと思いますけども。
何かあなたが考えるための素材というか、叩き台をこちらを提示して、
カウンセラーのフィルター
みなさんみなさん自分で答えを見つけていくっていう。
フィルターで見ています。いや、僕もフィルターで見てるんで、そう。
これが5杯の問題だね。
でもなんか僕は全然、僕が言ったこととリスナーさんが理解したことが
この間真逆だったときがあったんですよ。
5杯、5杯の問題っていうタイトルでYouTubeに上げましたけど、
でも結果的にその人はなんか人生前向きに進んでるみたいだったんで、
まあいいんじゃないっていう。僕は一切その責任は負わないけども。
まあでもそれで前に進んでるんだったらいいんじゃないですかって言った甲斐があるんですよね。
だからまあなんか勝手に役立てればいいんじゃないっていう。
その責任まではね、僕は負えないですけど。
結構ね、その精神科だったり、まあそのカウンセラーだったり、
人の悩みを聞く系の職業をしているとね、知らず知らずのうちに
そのカウンセラー自身のフィルターで患者さんを見ちゃってるわけですよ。
その問題をどう回避するかっていうのが、
あのね、トレーニングの途上で必ず出てくる問題なんですよね。
精神分析で言うとこの逆転移の問題とかって言ったりしますけども。
とかアクティングアウトの問題ね、治療者側の。
つまりわかるわかる、そのあなたの悩みわかりますよーって言ってるときに、
ほとんど自分の思い出話を頭の中で再生してるわけですよ。
俺も昔こういうことあったなーとかさ、
そういえばあの部活のなんか柔道部の先輩にあんなこと言われたなーとかっていうのも
なんか患者さんのことではなくて、自分の頭の中でなんか再生してる時があるんですよね。
そこから出てきた結論とか仮説っていうのはもうそれ僕のね、
カンセラー自身の仮説なので、人生の仮説なので、
患者さんの話聞いてないんだよね。
だから聞くっていうのがいかに難しいかっていうのが、
だんだんトレーニングを受けていくとすごくわかるんですよ。
いやもう勝手に役立ててください。
僕も別にあのね、それでいいですから。
勝手に皆さんの心が健康になって、
もうこの配信来なくてもいいやって言って勝手に卒業してくれるのが一番嬉しいです。
勝手にあの忘れてください、僕のことは。
そういえばなんか昔、なんか一人暮らししてた時になんかあいつの配信聞いてたなーとかさ、
10年後ぐらいに思い出してくれればいい。
先生もそういうトレーニングはされてるんですか?
僕はね、その精神分析家になろうと思って考えてたんですよね。
訓練生になろうと。
キャンディーのトレーニングを受けて、
先生になろうと。
キャンディーデートって候補生って言うんですけども、
日本精神分析協会認定のIPA基準での精神分析家の資格の取得をね、
ちょっと結構真剣に考えてて、
結構その分析系のメインストリームにいる先生方に相談をしてね、
自分は結構分析家を目指してるんですけどって何人かに相談したんだけども、
まだ若すぎるからもう少しなんかいろんなことを体験したらいいよって言われて、
なんかなんとなくこう、いなされて。
そうこうしてる間に僕自身の問題が浮上してね。
キャリア上の。
それどころじゃなくなって、もう大学病院も辞めて、
今に至るっていう感じで。
なんかだからちゃんと正式にトレーニングを受ける前に終わった。
なんかそれどころじゃなくなっちゃって。
向いていることについての考察
なんか聞くところによるとあの早稲田メンタルクリニックの増田先生も、
精神分析家を最初目指していたっておっしゃってたんで、
結構もしかしたら近いところにいたのかもしれないなって思います。
でね、精神分析家になるには精神分析を受けないといけないんですよね。
自分が患者側になって。
分析家の先生に毎日通わないといけないんです。
だから大体精神分析目指すんだったらまず東京に住んでないともう話にならないんですよね。
都内にその訓練してくれる先生がいらっしゃるのでたくさん。
だから僕も都内に住んでたんですよ、そういう理由で。
志はそれなりに高かったんだけどもね。
でも多分ね、なんかそのトレーニングを受ける手前ぐらいの、
すごく若手の心理師とか精神科医が受けるちょっとした勉強会があったんですね。
精神分析科の先生が主催している勉強会に月一であって、
それになんかこう参加して臨毒会みたいなのにもやってたんだけど、
それも途中で行かなくなっちゃったんですよね。
何かこうすごく濃厚なある種の親子関係だと思うんですよね。
親がいて子供を育てるみたいな仮想の家族みたいな関係に入っていくときに、
ものすごい抵抗感があるんですよね。
やっぱその先生に対する申し訳なさとか、
あるいはちょっと存在にね、こいつなんか頭悪いんじゃないかなっていうふうに急に切れ始めたりとか。
やっぱなんか家族っていうものにものすごいもう拒絶反応が自分の中にあるんだなと。
その勉強会に参加しているときにも常に感じてたんで、すごく嫌だなこの関係って思ってたんで。
多分正式に候補生になれたとしても、途中でドロップアウトしてたと思いますね。
自分はこの業界に向いてないなってなって。
なのでまあもともとこういうことをなんかちゃんと真面目に、
なんかやる資格のない適正のない人間なんじゃないかなっていうふうにも思うね。
えーっとそういうことがあり先生勘違いされていると思いますけど、とこの前主治医に言いました。
声の頭が落ち着きます、どうも。
そのトレーニングはやりたかったですね。
トレーニングはやりたかったですね。
まあやったとしても多分うまくいってなかったと思う。
一言で片付けるならば、もうあまりにも傷つきすぎてたんだと思いますね。
あまりにも未熟な自己愛。
自分はできるはずっていう過剰な自信であったり、
でも内面の貧困さ。
できるって言った手前もわからないっていうふうに周囲にね、
あの泣きつくことができなくなって、本当に孤立していくみたいな。
ちょっと傷つきとして多分かなり次元が深かったんだと思いますね。
だから誰かに頭を下げて教えてくださいっていうふうにやること自体が屈辱というか。
そういう感覚が特に20代前半の頃は強くて、
とてもじゃないけどそういう都定制度の中に入って、
自分がこう修行を受けてっていうことはちょっと難しかったと思いますね。
あまりにも傷ついていて、あまりにも世の中を憎みすぎてたので、
なんで俺だけこんな人生なんだっていうふうにかなり憎んでたんですよね、周囲を。
なので、まあ多分そのトレーニーの先生から、
あの訓練をね、提供してくださる師匠の先生から
多分君は向いてないよっていうふうにどっかで多分宣告されてたと思いますね。
君は多分この業界に向いてないんですよ。
どっかで言い渡されてたような気もします。
自分が分析されるのは辛い。
分析って言ってもね、なんかこう爪を引っペガすような
辛いことをね、ずけずけ言ってくるってよりかは、
もう少しちょっと本質的なね、
あの、共感的にいろいろ言ってくれるんだと思いますけど。
先生は何が向いてるんでしょうか。
うーん、
だから僕は今、なんかもしかしたらすっごく向いてないことを
自ら好き好んでやろうとしてるのかもしれないですよね。
まあつまり、そのいじめられっ子がボクシングを始めるみたいなものでさ。
かつて非力でね、人からいじめられていて
クラスで一番弱かった子が
あの、ボクサーを目指すっていうのと近いかもしれないよね。
最も適性のない人間が、なんかこう、
自分の弱点を克服するような、
なんか今、僕の人生は結構それに近いのかもしれない。
本当はあの、政府属典の店長とかのほうが一番向いてるのかもしれない。
適性的には。
変にその、心に触れずにね。
あんまり心の深い部分に触れずに、
基本的にはこう、正接待というか、
こう、体のリラクゼーションみたいな浅い部分で
人を癒していくっていうのが、
まあせいぜいできることなのかもしれないし、
そっちのほうにむしろ自分は適性があるんじゃないかなって
2年、3年前くらいは思ってましたけどね。
こんにちは、どうも。
アホなフリをすると楽ですよ。
いや、僕も高田隼士になりたいですよ。
どうも、ジョニー・デップです。
1週間に1枠だけ、
適当なことをU枠作ろうかな。
中、中、中、中、中に
注意書きにさ、
今彼は冗談を言っていますっていう風に
画面に表示して、ずっと冗談を言い続ける。
嘘しか言わない枠作ろうかな、適当な。
意外と絵を描いたらめっちゃ上手かったり、
いや意外とね、めちゃくちゃ下手くそなんですよ。
棒人間になっちゃうんですよ。
僕みたいな人ってなんか繊細でね、
人を見る目があって、なんか絵を描かせたら上手そうじゃん。
めちゃくちゃ下手です。
あと音楽とかも、歌は結構自信はあるんだけど、
カラオケとかはね、結構点数高いんだけど、
音符が読めない。
先生っていい大学に行っていい医者になるって
成功の王道を通っているって表面は見えるけれど、
それでも深く傷ついて、心にマグマがあるんですね。
人生って難しい。
その都度その都度ね、自分にできるベストを尽くしてきたんで、
後悔はないんですけども、
そういった社会的な成功を手にしても、
空虚感と幸福の追求
心の傷は癒されないっていうことは、
身をもって学んだことですね。
なので今後ね、また何かに向けて勉強しようとか頑張ろうっていって、
その山の頂上に登り詰めようっていうのは、
正直もう無駄なんですね、僕にとって。
それをやってきたところで、一瞬ガツンと快楽は来るかもしれないけど、
自分の満たされなさらが満たされる、
この空虚感が紛らわされるっていうことは、
もうおそらくないので、
一回こうね、受験会で一回トップに立ってみて、
感じたことですね。
あ、こっから見える景色は素晴らしいかもしれないけど、
すごい時間の無駄だったなっていう感じがしたんですよね。
こういう形で幸福を追求するのは無理だろう。
すごい疲れる割には、
本当にその幸福感は一晩しか続かないから、
意味ないなと思って。
お坊さんになるしかない。
確かに。
お坊さんか。
いやでもいいかもしれないね。
心の傷は見えないですし。
そうね。
人からわーっと祝福されてね、
拍手喝采でわーっと眩しい視線を浴びて、
常にみんなの輪の中心にいてっていうのは、
すごいゾクゾクするしさ。
アドレナリンがブワーっと出るじゃない。
ドーパミンブシャーって出ると思うんですけど。
でもそういう形では、
埋め合わせないものがあるってことですよね。
だってそういう眩しい瞬間は、
その時にしか訪れないから。
その眩しい瞬間がピークアウトしてね、
一人また一人と自分の元から人が去っていくときに、
もうグサグサ刺されるような気持ちになるわけですよ。
一瞬紛れるかもしれないけど、
その後地獄が待ってるんで。
だからね、結構呪われてると思いますね。
自分が自分を認められなくて、
で、なんとかそれをね、認められようと頑張って、
社会から認められようと頑張ってる人って、
たくさん世の中にいると思うけど、
で、実際に社会からね、認められてそれなりに高い地位にいる人もいますけども、
びっくりするぐらい自己評価が低いんですよね。
そういう患者も中にはいるし、
僕もどっちかっていうとそういうタイプなんですけど。
だからなんかこう、満たされない、
飲んでも飲んでもね、
そこをいくら飲み込んでいっても、
満たされないんですよね。
なんかそういう、世間が押しつけてくるね、
これを頑張ればなんとかなるよみたいなものは、
だいたいなんとかならないので、
なんか違う方法を見つけなきゃって感じになってるんですよ。
それが僕20代後半ぐらいから、割と人生をそういう風にシフトしていって、
地位とか名声とかっていうものじゃない、
何か別のもの、
別の活動に傾倒していかないと、
これは魂は救済されないなっていう。
成功した直後にそんなことを思っていたんですか?
いやだからね、そう、そんなことを思ってたんですよ。
医者になればなんとかなると思ってたんだけど、
なんともならなかったんで。
しかもただ医者になるだけじゃなくて、一番いい大学に行ってね。
一番偏差値の高いいい大学に行ってって思って、
それが達成されたんだけども、何にもならなかったんですよ。
人生何にも好転しない。
満たされない。で、いざ付き合ってみるとね、
付き合ってみても壮絶な大喧嘩をして、
何か人間のクズみたいなことを言い渡されて離れていくわけですよね。
そこ、それはないだろうみたいな。
こんだけ頑張った人に対して失礼じゃないかみたいになるわけ。
うん。
俺はどんだけ頑張ったと思ってんだよ。
そうやって何かドツボにはまっていくんで、
何か頑張った…頑張るっていう方向はちょっと違うんじゃないかってなったんですよね。
だから今こうやって配信もしてますけど、
別に何かフォロワー数1万人欲しいとか10万人欲しいっていう、
あのラットレースにはね、こう入りたくないんですよね。
その先に待ってるのは結局辛い思いだと思うので、
承認欲求と人間関係
それをずっとただね、先延ばしにしてモラトリアム期間をただ延長してるだけなんで、
意味ないだろうと。そんな競争は。
これ本当に心からそう思うんですよね。強がりで言ってんじゃなくて。
何とかね、この競争の原理に巻き込まれず、
そこそこの幸せを手に入れたいなって僕ずっと思ってるんだよね。
もうこの時点でもうちょっと宗教家ですよね。
精神界というよりは。
だから何かこうアドラーみたいなね、半分宗教みたいなものを最近読んでるんだと思います。
お坊さんにそうだね、どうせ精神界やっててもまあ、ねえ、しょうがねえし。
頑張らない方が上手くいくかも。
最近本当に思うのは、やっぱりね、受験とか部活動とかね、やっぱり競争の原理に若い頃、幼い頃さらされるじゃない。
で、負けると悔しいから頑張ろうとかって頑張るじゃないですか。
そうやって頑張っていくうちにあっという間に1年とか2年で過ぎてきますよね。
それも大事なんだけど、なんかそう、今本読んでる時間すごい癒されるんですよね。
だからね、もう今後ね、そう人生にもしもはないんだけど、もしもあの時部活じゃなくて図書館にこもってたくさん本読んでいたらもう少し素敵な人生だったんじゃないかなとかって思うんですよ。
その代わり医者にもなってなかっただろうし、そんな偏差値は高い大学に行けなかったかもしれないけど。
それはそれでなんか変な傷つきは背負うのかもしれないけど。
まあでももう少し穏やかになったのかなっていう気もするんですよね。
そこそこまあ仕事をして、その限られた給料の中で本を買って、
古本屋さんとかに行くと結構いい本が安く売ってたりするからね。
そういうところで個人的に誰とも競争せずに自分の世界だけで充足していくっていうのも結構良かったのかなって。
認知行動療法的に彼女とうまくいくことを考えず。
感覚だけでめっちゃ合う。
この女の子って女性と付き合ってくださいってバリを思うんですよと。
あーめっちゃ合うなこの女の子っていう女性と付き合ってください。
いやそう。
でもあれでしょ?そういう感覚だけでめっちゃ合うなっていう女の子もさ、
なんか次の週末どこ行くみたいなこと聞いてくるわけでしょ?
俺がさ、いやちょっと令和風のギャルもう飽きたからちょっと真面目な話しようって言った時に、
わかりました、真面目なモードになりますみたいなさ、女の子いないじゃん。
なんかやっぱ平林さんみたいな鬼マナー講師みたいなのがいいよねとか言ったら、
わかりました、では鬼マナー講師モードになりますみたいなさ、彼女いないじゃない。
だから嫌なんだよな。
いやその感覚で合うなこの子って言って、子供ができて家庭内がめちゃくちゃになって、
もうこの子どうやって育てていくよってなるのがもう目に見えてるというか。
いやこれほんと笑ってほしいんですけど、僕なんか中学校の頃とか高校の頃ぐらいから離婚する夢をよく見るんですよね。
結婚する夢は一度も見たことがないんだけど。
めちゃくちゃリアルな夢を見るんですよ。
離婚届けがこれがみたいな人生の終末期みたいな夢をよく見るんですよね。
死ぬ夢もまあまあ見るけどさ。
だから嫌なんだよ。
その悪夢は見たくないんですよ。
山小屋の仙人。
そうだねー。
東出たよね。
漁師としてイノシシとか野生のクマとか駆除してさ。
でなんかイノシシと引き換えになんか村の若い女性を連れてってさ。
交換して、ブツブツ交換して。
でまた山の中に籠る。
でまた山の中に籠る。
土の子探せ。
って言ってるわけじゃないんですよ。
そういう感性がうまくいく人はいいんですけど、
まあ感性に従うと大変なことになりますよっていうことです。
先生どんな女性と付き合ったの?
うーん、まあ…
夢占いは信じますか?
いや信じない。
ほんと一晩語り合いたいですよ。
いやそう…苦しいね。
いやそうじゃないんですよっていう。
本当になんか女性がとかじゃなくて、
これが男性だとしてもあるいはもうなんか中性的な楽しんごみたいな人であったとしても、
やっぱ嫌なんだよね楽しんごとか。
もう人自体が嫌だな、受け付けないなっていう時があるんだよね。
で、そういう自分は僕あんまり自分じゃないと思ってるんです。
だからあんまりそういう僕を見て欲しくはないし、
ましてや好きな女性に見られたくないんですよね。
いや僕も彼女と付き合ってみて一番びっくりしたのは、
そのデートに行く瞬間とか、
彼女と付き合ってる時の自分っていうのがすごい嫌いだったんですよね。
ものすごい不機嫌になるしイライラするしね。
で、なんかこう店とかに行って飯屋に行って店員に対してすごい防兵になるし、
車の運転とかも危ないんですよね。
そうやって人と一緒にいる時の自分っていうのが、
一人でいる時の自分よりもすっごく露悪的で態度が悪いんですよ。
で、僕そういう自分がすごく嫌なんだよね。
一人でいる時はすごくいろいろピュアで、
なんかこう星の王子様みたいなさ、キラキラした存在なのに、
人といるとなんか汚れたなんかね、死神のリュウクみたいになるわけ。
人の寿命をすすって生きてるようななんかダメな人間になる。
そう東でみたいになる。
いやだからね、そうそういう自分になりたくないなってずっと思うんですよね。
一人でいる時の自分の方が好きなんだよね。
そう。
えーっと、そう東でも山にこもった結果、
人間関係が大切なことを思い知ったってコラムに書いてる。
うーん、嘘嘘。嘘です。
えーっと去年に、
えー今年は開示請求を目標にしていくと言っていました。
今後やっていくつもりですかと。
まあ酷ければやってきますね。
うーん、今まで黙ってたんですけれども、
あのー、そうある時期から定額で、
なんかこう弁護士に相談できる、その弁護士の保険に入ってるんですよ。
任意の。
なので別に相談しようと思えばできるし、
もういつでも開示請求はできる状態なんですよ。
今、単純にちょっと精悍してる状態なんだけど。
いややる時はもうダマで行こうかなと思いますね。
ある時急に裁判所から郵便が届くっていう状態になると思います。
これからやりますよっていうふうにも多分宣言しないので、
収穫のフェーズに入ろうかなっていう感じですね。
だからもし心当たりのある方は自発的に消しといてくださいね。
そんな人の悪口書いて自分の人生終わるなんて絶対に我に合わないから。
絶対に後悔するからね。
自己認識の問題
失敗や離婚したりするのが人生だと思っています。
だとしたら僕はもうちょっと違うことに失敗したいかな。
もう少しマシな失敗をしたいね。
先生はACですか?アダルトチルドレン。
そういうふうに言う人もいるでしょうね。
母親はドコオヤだみたいに別に見る人もいるんじゃない。
でもその相手の方の悪口を言わないのはすごく素敵なことだと思います。
相手も相手だったんだけど結局さっきの母親の認知の問題じゃないけど
僕側の問題が大きいな、半分以上あったなっていう感じがしてね。
それにその相手を巻き込んじゃったなっていう反省もあるんです。
だから現実の問題と僕側の問題がこれ両方同時に重なって見えちゃってるので
すごく難しいんだけど。
結局僕側の認知の方のあるいはもっと認知の根底にあるスキーマのね
中核的なスキーマの問題が解決されないとこれね、
人を変えても同じことが起こるんですよね。
軽症うつの問題
それを変えるのにものすごい時間もかかるし、
多分精神分析のトレーニングを受けていたら
精神分析科の先生にそこを多分すごく課題っていうふうに突きつけられてたと思うんですよね。
それがもう自分には痛いほどよくわかる。
精神分析科を目指す運の以前に、
僕は大学生の頃から10年間ぐらい、
だいたい週1のセッティングで精神分析的精神療法を受けてたんですよ。
だいたい高校生の高2から医学部卒業するまでぐらい、10年間ですね。
なので、まあ実質的に結構精神分析は長いこと受けてたんですけど、
その時の感覚があるんですよね。
だから精神分析も確かにここまではすごく役に立つんだけど、
でもこの問題に関してはすごく精神分析10年やってみたけれども、
あんまり解決されないんだなっていうのが、なんか体感的にわかってしまってね。
鏡合わせになっちゃったんでは。
相手も同じ傷を負っていたし、僕も同じ傷を負っていたし、
結果的に不安になってしまって、
相手も同じ傷を負っていたし、僕も同じ傷を負っていたし、
結果的に2人でその傷を広げることになってしまったということで、
とても残念でしたね。
私も相手によっては自分の中のお母さんが出てくることで苦しんでいたけど、
この人といるとずっと笑っていられる人と結婚しました。
いいじゃないですか。
僕はそれを全然否定しないです。
それも一つの答えだと思うし、
すごく恵まれた素晴らしいね、ハッピーエンドだと思います。
なので先生もぜひっていう気持ちもすごくよくわかるんだが、
僕はちょっともうそこに時間を使うのはもう疲れるし、
もったいないなっていう感じだね。
その偶然とか幸運を期待してもう1回くじを引くっていうのはもうちょっと疲れるのであまりに。
それだったら一人暮らしをしながらなんか猫ちゃんでも飼ってね。
その猫ちゃんとなんかこうゴロゴロしてた方が幸せです。
えーとじゃあ結婚後はシンデレラのように幸せになっているかというと母親問題で移っています。
心の課題の分離
もう取れない呪いです。母親問題。
そこであれか、距離を置いたらって話になってくるのか。
それは距離を置いた方がいいね。
あなただけのね、その問題ではなくて実際にお母様にもその問題があるんだとすると、
離れた方がいいね。
こんにちは、どうもこんにちはです。8号さんどうも。
僕は最近そのまあ半分宗教みたいなアドラーを読んでますけども、
まあ他者の課題と自分自身の課題っていうふうにやっぱり課題をきちっと分離して分けて考える必要がありますね。
お母様の問題はそれはお母様が解決しなければならない問題であり、
あの我々外部の人間が何かできるものではないですから、
そこは介入できないんじゃないか。
逆にあなたが抱えている問題というのがあると、
それはご自身で解決していったほうがいいと思います。
僕もね、結構その弟の話を聞いていると、
やっぱり弟がずっと30を超えてもね、
大学も結局中退してニート生活をずっとしていて、
まあ今ようやく就活を頑張るとかって言うんだけど、
まあちょっとこの履歴書だとまあボロボロだし無理だろうみたいに思うわけですよ。
で、その時にまあ弟もちょっとこうへこむし、
やっぱりお父さんもね、
なんか弟の面接の練習相手とかになっていると、
やっぱりちょっと心が痛むんですよね。
今すっごく一生懸命またね、前に進もうと頑張っているけど、
まあ社会はそんなに上手くないんだよなっていう風に僕は思っちゃうんですよね。
弟が頑張れば頑張るほどすごくなんか心が今辛い状態でさ。
でもその時にやっぱりその課題の分離っていうのは
自分の心にやっぱり言い聞かせてますね。
で、その時にやっぱりその課題の分離っていうのは
自分の心にやっぱり言い聞かせてますね。
で、その時にやっぱりその課題の分離っていうのは
自分の心にやっぱり言い聞かせてますね。
これは結局は弟の問題だから。
で、本人が結局自立しようという意思を結局最後まで持たずに
20代をだらだら過ごしてしまった。
その結果この履歴書がボロボロになって空白になってしまった。
でもそれは僕らのせいではない。
僕のせいでもないし、母親のせいでもないし。
もうね、小学生じゃないんだから。
本人のせいですからね。
本人がその、まあある意味
宿命を背負って生きていくわけだから
変にそこに僕がなんか罪悪感を抱いたり
何とかしてあげられなかったのだろうかっていう風に
心を病むのはもうやめようっていう風に
常に自分に言い聞かせてますね。
で、僕はあくまで弟が頑張るんだったら応援するよっていう
医者の役割と診断帰属
そのサポートのね、サポーターの
一サポーターの立場から援助するだけだね。
で、それがうまくいかなかったとしても
別に僕のせいではないし。
それは知らないです。
本人の人生だからね。
そうやってやっぱりかなりドライに切り分けることが
特に身内のこうメンタルの問題においては
すごい大事だなって
僕も日々実感してますね。
そのまんま、まあ本人がね
結局本人の課題を解決できないまんま
寿命の方が先に来て死んじゃう人もたくさんいますし
ずーっと周囲を呪いながら
世の中を呪いながら
うめきながら死んでいく人もいますし
精神科にはね。
そういうもんですよ人生って
誰のせいでもね。
弟さん会社員になる力も
自分一人で何かの起業もできなさげで
うん。
本質的にはすっごく就活をやっぱりしたくないんだと思うんだよね。
だから本人はしたいと言うんだけど
体が全くそっちに動いてないので
もう現代の人は
不一致もはなはなしいね。
だから本質的にはあんまりしたくない人なんだろうなと思うね。
できればこのまま父親に寄生して
生活費をずっと援助してもらいたいっていう。
うん。
まあうつの不利とまでは言わないけど
うつになっていれば
基本的には父親がまた金を振り込んでくれるだろうっていう風に
思ってるんでしょうしね。
病気とけびょうの
うーん。
まあ境目がすごく難しい問題ですよね。
このパーソナリティの問題って。
そう、生活保護は絶対に嫌だって
言うんですよね。
生活保護でもいいんじゃないとか
俺が口走ったときに
ものすごいいやそうな顔をするんですよね。
すっげえ不適されてにらんでくるんですよね。
うん。
僕はなんかよかれと思って言ってあげてんのにさ。
別にそんな頑張んなくても生活保護でいいんじゃない。
いずれあと20年もすれば
もう国民の99%は
たぶん生活保護に受給すると思うんだよね。
別にちょっと早めにね
時代を先取りしてゆっくりすればいいんじゃないとか
って言うとすっげえ嫌な顔するんだよな。
いやでもね。
あんたがそうしたいんだろうとか思うんだけど。
なんか意識とこの無意識がね。
言葉と行動がなんかずれてる人間の。
そっか。
まあ宗教ね。
まあ精神科医やってると
僕自身のね
いろいろ
人生も振り返られるし
まあまたいろいろなんか本が面白くなるんですよね。
あの患者さんが言ってた問題って
この本の中に書いてありそうだなとか。
今そういうまあ僕の中でこう
ワクワクする遊びの一つとして
まあ誤解を恐れずに言うとね。
まあ仕事遊びっていうのはどうかと
思う人もいるかもしんないけど。
ワクワクするアクティビティの一つとして
今精神科医っていうものがあって
それと今読書がすごい連動して
楽しんでるっていうのが
僕の中でね
そういうのがあって
それと今読書がすごい連動して
楽しいんですよね。
昔の人はね
おそらくまあ僕と同じ問題に
おそらく昔の頭のいい人も
気づいてると思うんで
その問題とかその実論の問題
っていうのを
昔の哲学者とか現代思想家とか
精神科医精神病理学者は
どういう風に回避したんだろう
どういう風にとりあえず解決したんだろうって
まあアドラーはね
もう僕が今持ってる意識と
ちょっと100年前ぐらいの人なんですよ
アドラーって
1920年代とか10年代ぐらいに
結構著作を残してる感じの人で
やっぱりこの甘ったれた人たち
甘やかして育てられた人たちとか
あるいは逆に甘えられずにね
急激に大人にさせられてしまった子供たち
っていうのが
まあ子供たちとか大人たち
っていうのを結構
中心に見てた人なんですよ
精神分析科を途中で
アドラーももう辞めて
フロイドとか
フロイドの元から離れて
独自の心理学体系を
立ち上げた人なんですよ
どっちかというと
人生相談とかそっちの方ですね
公開人生相談みたいなのをして
いろんな
何百人の人をね
一堂に集めて
その場で公開で人生相談をして
みんなに聞いてもらうっていうのをやった
その公開人生相談を
ずっとこう
記録し続けてた人が
実はいて
そういう人たちを
いろんな人と
話し合いをして
今で言うと
インフルエンサーとか
パフォーマーですよね
みんなの前に出て
いろいろお話をして
すっごいこのアドラー先生の言うこと面白いですね
って周りから支持されてた感じの人で
今で言うと
だからそういう
愛心者とかインフルエンサーとか
ユーチューバーみたいな人だったんだと思う
まあ昔風に言うと言論人とか
そういう文化人の人
こんにちはどうも
弟さんは
会社員になる力も
自分一人で何かの企業
これ読んだね
私は生活保護だと金が足りないに
がっかりしましたよ
ちょっと質問ですが
うつ病で就労負荷もらっていると言いながらも
普通に出かけて買い物を
外食
友達と遊んだり
趣味に没頭したりしている人
って何なんですかね
医者の前で演技している人も
演技でもしているんですかね
うーん
まあね
結局その先生のご判断だからね
うーん
うつ病ってすごくグラデーションの
ね
あるかなりレンジの広い診断なんですよ
だから本当にもう死が
迫った
重度のうつ病の方もいれば
まあ割とちょっと週末ね
なんか日曜日の夜辛いですみたいな
本当に軽い人も
中にはいて
今割とまあ
医者に行くとだいたい診断書書いてくれますからね
辛かったですねとかって言って
うーん
そういう緩い感じの
精神科医のいる先生のところに行けば
まあ割とカジュアルに
簡単に初診で診断書も書いてくれるでしょうし
そういう
そういう
状態だと思います
うーん
なのでここにはすごく問題がありますね
それは患者側の問題と医者側の問題
医者側も
まあ商売でやってますから
とりあえず診断書出せば5000円入りますからね
文書発行料で
まあそういう感じで
儲けでやってる先生もいらっしゃるんで
そういう問題も絡んできてると思います
で、僕は結構ね
そこら辺に警鐘を鳴らしてるんですよね
精神医療の問題
そもそもその事故は
まあちょっと自分に都合のいいように
診断書を書いてくださいっていう
頼んでくる患者も問題だし
またビジネスでガリガリもう儲けようって
やってく先生方も問題で
今そこがこう噛み合っちゃって
ウィンウィンの状態になっている
そういうちょっと危ない危うい
今日本の精神改良の問題ってあると思ってるんですね
これはあの
youtubeでもあの増田先生が
チェーン展開してる
精神科医の先生方がちょっとやばいんじゃないか
っていうご視聴者さんに
精神科医の先生方がちょっとやばいんじゃないか
っていうご指摘もあるんだけど
僕もまさに全く同じことを思っていて
結構今の日本の精神改良を
あと何年かすると
今のあの中井くんの問題みたいにね
精神科医がなんか会見を開いて
何やってるんですかみたいに
問いただされることも
まあ起こるかもしれないですよね
精神科医ってデタラメだったんですか
みたいにマスコミとか
SNSとかでそこに
なんだろうね
目が向いて
精神改良が一旦崩壊する
っていうことが
いずれあるかもしれない
僕は早くそれ崩壊した方がいいかな
と思ってるんですけど
僕は自分が精神科医でありながら
そういうデタラメ診療をされている先生方とか
デタラメ患者に対して
かなり批判的な立場を取ってる人間です
この問題はね
すっごく難しい
また使えないやつ
もう遊んでようが何してようが
使えないやつはもうさっさと診断書書いて
ちょっと出てってもらおうみたいな
その凶暴もあったりするんで
会社側にとっても無能なやつがさ
診断書取って最終的にやめてってくれると
すごくラッキーじゃないですか
なのでこれは精神改良だけの問題ではなくて
結構社会全体の
深い問題かなと思ってます
軽症うつ病の背景
今日はね
あんまりその話はしないでおきます
うつ病の診断学っていうところで
結構僕は深く話したんで
その回をちょっとぜひ聞いてください
プロフィールに
アーカイブが貼ってありますんで
今日はお休みですか
その後
この後もう少ししたら出ます
夕方からバイトの当直があるので
私は新入社員を育てているときに悩むんですが
絶対会社に向いてないよ
君ってこうもう入社してくるんです
差別することなく育ててるけど
どうしたらいいかと苦悩しています
いやそれでいいんじゃないですかね
そう向いてない人も
まあ何とかこう形にしてやっていくのが
まあ教育係ですからね
みんなと同じことが出てくる
そうすると
人もそれなりに形にしていかなくちゃいけないんで
その内面には触れずに
形を整えるっていうのでいいんじゃないですか
事例性と疾病性の話は
こないだしたと思うので
そのアーカイブもぜひ聞いてください
もう全部アーカイブ聞いてください
実はもうここら辺の話って
もうすでにしつくしたんですよね
この配信で
うつ病って結構ゆるくないですかとか
そのなんか
寝るときに
寝るときに
うまじめな社員に対して
何したらいいかとか
もう全部語ったので
事例性と疾病性
まあ事例性っていうタイトルの
アーカイブが多分上がってると思うので
ぜひそれを聞いてください
答えてくださりありがとうございます
いえいえ
でもその違和感は
結構多くの人が持っている
違和感だと思いますよ
だから精神改良ってなんか怪しいな
っていう感じですよね
本当に
あいつ病気なのか
脳の病気なのか
おっしゃる通りです
その違和感っていうのは
一番最初に気づいた人は
もう結構早いですね
1980年代とか90年代に気づいた
お医者さんたちがいて
あの
朝原よみし先生っていう人と
木村ビン先生っていう
まあもう天才ですね
精神改良の天才の人たちが
一応指摘はしてる
軽症うつ病
僕のちょっと物語になっちゃうけど
おそらくその
1970年代以降に
そういう軽症のうつ病が
どんどんどんどん出てくる背景には
子育てに対して
親があんまり時間を取れなくて
子供に向き合えない
で向き合われないまま
親にちゃんと向き合ってもらえないまま
なんか中学受験で四ツ谷大塚とか通って
毎晩勉強したりとかしてさ
それなりにすくすく育ってはいくし
脳も発達していくんだけど
心が貧弱で
結局わがままだったり
ナルシストだったり
自分が嫌だと思ったことは
やりたくないみたいな
自分身勝手なね
未成熟な自己愛だったり
まあそういう方が
1980年代ぐらいからだんだん増えてきて
今それがいよいよスマホを手にして
本格化してきたっていうところなんだ
と思いますけどね
まあスマホが1910年ぐらい
2009あごめんなさい
2010年とか2009年ぐらいから
いよいよ
そこから一気にこう
ロケットでいう次のブーストが
始まった感じなんだと思うんです
いよいよもうその
親なしで子供がスマホで
時間を潰すようになってね
本格的に親とのこう
情緒的な交流が立たれた
世代がそろそろ社会に
出始めてる頃なので
本格的にブーストがかかってきた
って感じじゃないですか
だから意外と意外とというか
なんか調子
いいこと言うんだけど
いざ入社してみたらすぐやめちゃうみたいな
なんだこいつらはみたいな
新しい人類が今出始めてる状態だと思うんです
でもその兆候はもう1970年代の
高度経済成長期からは
もう指摘はされてるんですよね
ちょっと継承化してるんじゃないか
未来の精神的課題
うつ病はって
今までその第一次大戦
あるいはもっと前の江戸時代とかさ
その1990
ごめんなさい
1800年代とか1900年代の
初頭の方
あんまりまだ目立たない
人たちだったと思うんですけど
でもアドラーは書いてるね
そう
アドラーは結構もう今
100年前にすでに
そういうスマホを手にした
余ったれたやつみたいな人を
結構書いてますよね
ちゃんと向き合われなかった人たち
が周囲を巻き込んで
身勝手になったり
あるいはちょっと自分の意に
沿わないことがあるとすぐ
体調崩したとかって言って
書いてるタイプの人たちを
アドラーは結構描いてる
これが100年前に書かれてるって
結構すごいなと思いますね
初見ですども
やっぱ天才だなと思う
今後さらにそういう
もっと徹底した若者が
増えてくるかもしれないですね
それはなんか悪夢のような話で
一瞬パッと盛り上がればいいや
っていう感じで
民主主義もどんどん
劣化してくんじゃないかな
そういうようなことが
日本でも起きてね
なんかワンイッシュで
とりあえずなんかパッと盛り上がる
華やかなこと言って
一気になんか与党になって
総理大臣まで登り詰める
みたいな人がこう
ネタ化してくんじゃないですかね
ネタ化してく政治が
今後日本にも入ってくるんじゃないかな
私は砂漠に水を注ぐのが
仕事だと思って日々注いでいます
もう文字通り不毛ですね
初見ですとも
先生目から鱗です
その通りかも
いやこれはもう
エビデンスがないので
統計とかないので
本当に僕の中の神話だけどもね
きっと経済成長とともに
人は忙しくなって
資本主義に取り込まれていって
でお父さんもね
残業ばっかりで帰りが遅くなって
子供と向き合う時間が減って
でも受験勉強は過酷になって
子供はずっと勉強しなくちゃいけないと
スマホもあるじゃない
勉強プラススマホで
いよいよ本格的に
親との交流が立たれてきて
子供はなんかすごく自己愛的なね
自分と同じ人と一緒に釣るんで
自分と気が合わなければ
ブロックしてっていう感じで
誰も自分の心と向き合ってくる人が
いなくなる
向き合ってくれる人がいなくなってっていう
今後だからさらにここに
チャットGPTが入ってくるじゃない
生まれた時には
生成AIが話しかけてくれる
みたいな状況の世代が
多分出てくると思いますよね
そうなった時に
このAIで基本育てられた子供たちっていうのが
大人になった時に
どういう人類になってんのかっていうのは
ちょっと想像絶しますし
ちょっと精神科医としても
恐ろしいなって感じだね
その時のうつ病っていうものが
どういう人を指すのかっていうのは
全く想像がつかない
相談です
精神科の
精神科の主治医にも話したら
抗うつ薬増やされただけなんですけど
うつがひどくなり
起きていることが
辛くて起きても
ホニャホニャ飲んでも
1日中寝てしまいます
起死念慮持ちで起きていると
死にたくなります
ちょっとその主治医の先生との
治療関係に入れないので
僕はちょっと安心して
コメントすることはできないんですけれども
一般論で言うと
起死念慮も高いし
っていうことなので
やっぱり薬が必要な状況なのかな
というふうに思いますね
薬を飲んだからそうなったんじゃないか
っていう疑念がね
あなたには終わりかもしれないですが
それも症状なのかなと思います
なのでやっぱり薬を使っていかないと
難しい状況なのか
そういう方も中にはいますね
でも
それを仮に例えば
お医者さんをもうスパッと変えてね
主治医を変更ってしても
劇的に良くなるとは思えないです
やっぱりすごく難しい
今状況にあるんだと思います
薬がスパッとね
ピタッとはまるわけでもなく
なかなかうまくいかない
あとは薬だけではなく
人間はいろんな人との
関わりの中で生きてますから
もしかしたらそういう
今置かれている孤立した状況も
あなたの中で
あなたのメンタルを
悪くしているのかもしれないし
あるいは毒親じゃないけれども
あなたのメンタルを悪くするような
敵みたいな人が
結構身近にいるんだったら
なかなか薬は効かないでしょうし
そこはやっぱり
主治医の先生と相談しつつだね
僕は何かしなきゃっていう焦りは
結構禁物かなと思っていて
とりあえず生きているだけでOKっていう風に
自分に合格点を出すことは
大事かと思いますよ
なんか余裕のある人とか
人の役に立てばいいだけで
人間の基本と心の健康
基本的に人間のデフォルトとして
人の役に立つ必要はないですから
全く何の必要もないんだよね
普通に自分が生きていければ
それで合格だと思います
ちょっとハードルを低くして
気持ちを楽にしてください
橘隆
銀座の3歳児は月曜から金曜の朝9時から
夜6時まで保育園にいるんですね
もう暗い夜道をポロポロ泣きながら
小さな拳で
お母さんをポカポカ叩いています
まあ確かに寂しい思いもあるんでしょうけど
一方で保育士の方が
お母さん代わりになって
いろいろ受け止めている部分もあると思うので
そこは救いなんじゃないですか
寂しいって訴える子を引きずるように
帰っていくお母さんも
仕事で大変なんだろうけど
浄土を豊かに育ててくれると
いいなと見守っています
ちょっと働きすぎだよね
お母さんが
お母さんが
お母さんが
お母さんが
僕なんかね
AIに仕事を奪われてしまうとか
っていうふうによく言うけど
仕事をさっさと奪えって思いますけどね
むしろね
精神回として
現代人は忙しすぎる
1日に7時間とか8時間とか働いているのは
基地外だから普通に考えて
江戸時代の人たちは
4時間ぐらいしか1日働いていないですからね
どう考えても長時間労働ですよね
人生のね
その仕事に奪われていて 人と接したりあるいは自分が自由に絵を描いて歌を歌ったりさ
あるいはワインを作ってみたりとかっていう想像的な時間がものすごく奪われていて 本当奴隷に近いよねこの資本主義って
複雑な家庭環境における選択
本当に良くないですよ なので僕はさっさと ai に奪ってほしい派です
そしたら人間は何やるんですかと 子育てでもすればいいじゃない子供でも作ればいいじゃない
歌が歌いたかったら歌を歌えばいいし 海外旅行に行きたいなと思うんだったら海外旅行に行けばいいじゃないですかやること
なんか山ほどある 何をそんなに奪われることを恐れてるんだろう不思議でしょうがないんですよね
ありがとうございます人とも関わりたくない状況で1日中寝ている自分が植物人間だって思えて うーん
ちなみにかなり複雑な家庭環境でどこがでした 以前は睡眠時間3時間で働いていた
楽しくなかったのしかったのに何もできなくなったのはなぜやだからその睡眠時間 じゃないですか
持続可能性がなかったんだよ あとはまあ総的防衛って言ってね人間て病んでるんだけど病んでない病んでないって
自分で言い聞かせてすごくそう状態に一時的になる人がいるんですよね すっごくほんとは心が病んでいるのに空元気みたいな状態で自分を必死に守ってる人とか
偽り続けることによって自分は病んでないって言い続けることでなんか元気を装っている 人がいるんですよ
そういう人も後で盛大に破綻して打つ状態になりますから 遅かれ早かれ必ず破綻するんだと思うんです
そう状態になる分そのタイミングが後ろにずれるだけでどっかで必ず破綻しますから まあ叱るべきタイミングにあなた破綻したんじゃないですかね
なのでゆっくり休む時間じゃないですか今人生で 休みなさいっていうことなんじゃない
休むのも切ることですね 前の旦那がうつ病で浮気をして子供を作り27歳で離婚しました
うん38歳で婚約して想像でした 今45歳でうつ病の人とお付き合いしています今お付き合いしている人は言葉の暴力が
酷いです酷いことを言っているのに俺は病気だ分かってくれと言いますそんなもの なのでしょうか
まあちょっと自分勝手な旦那さんのようにも聞こえますけどもね 分かってくれって言われるとなんか分かってないこっちがいけないみたいな感じが
しますよね そうやって罪悪感を植え付けてまあ
周囲の人をね 操作しようとするタイプの方なんでしょうね
まあそういう人を抱えて何とかねこう支えて生きていくっていうこともあなたの選択肢 に入っていると思いますし
そういう人と手を切って一人で生きていくあるいは別の人と生きていくっていう選択肢も 今あなたの手の中にあると思います
まあそれは自由に選べばいい僕が決めることじゃないです えっとじゃあ自分のお母さんが専業主婦だったから幸せだったのかっていうとすごく悪かった
んです そうなんだよね一緒にいればじゃあ心の病が消えるかって言うとそういうわけでもないし
ね
難しいんですよ いやーなんか幼い頃に両親離婚して自分は片親でっていうのを不幸そうに語って
いる人がいるのを見るとちょっと僕もイラッとするんですよね お前それ見なくてよかったかもしれないよって何が幸せかっていうのは結構わかんないです
私人生超楽しいと思った後を打つだった映ったんですがあれって総的だったのか そう総的防衛だったのか
めちゃくちゃ元気になったりなんかそれを本来の自分だっていうふうにその時は信じるんです けどね
でもなんか振り返るとおかしなもうジェットコースターみたいにあとはもう下るだけの 上りだったのかもしれませんね
確かにその通りでした自分ごめんなさい仕事をしているとき自分がおかしいと知らず 働き続けることが生きがいで
でも産業員に呼ばれて休みなさいと言われ受け入れたくなかった
もう戻れないまあもう 学んだよねこの元気はもしかしたら空元気かもしれないな
総的防衛かもしれないなっていうふうに警戒するようになるんじゃない だから過剰に何か急にね海外旅行に行こうとか頑張ろうとかって言い出した時にちょっと
待てよみたいじゃん この後ジェットコースターで下るんじゃないかなぁとかさ
次はちょっと勘付くんじゃないだからここは一旦ちょっと重大な決断するのやめようとかさ ここで fx をやるのやめよう
ここで家買うのをやめようとかさ海外旅行が海外に留学するのやめようとか 一旦保留にしようっていうふうに慎重になるんじゃない
それでいいんじゃないですかね 今これ頑張ってるけどこれって誰かの当てつけなんじゃないかな
一つ問いを持つようになるよね だから相手を後悔させるために今自分は頑張ってるだけなんじゃないかとか
だとするとそれは相手に支配された人生だからここで頑張ってもしょうがないよな そもそも自分が本当にやりたかったことってなんだっけ
思い返してみるとそんなに海外旅行海外留学することでもないし 別にあのキャリアをアップして子でもでもないかもしれないじゃない
他人の人生を生きそうになるのでその都度その都度ね 自分に問いかけて自分の人生って何なのかって
新たな発見と幸せの形
軌道修正できるようになるんじゃないですか あともう5分ぐらいで終わりますねこの後シャワー浴びてヒゲ剃って
もうそろそろ家でないといけないんだよ 家出る準備
1日無駄にしたな まあでもこういう日も大事だ
朝から配信しかしてない僕最近 なんか結構面白いかもとか楽しいかもと思ったのが
あの公立の図書館で あの助手席本って言ってねもうその書庫に入りきらない古くてもあんまり使い道のない
本を無料で差し上げますみたいなこう あったんですよバザーみたいなの
なんかもご自由にお持ちくださいって言って大量の本がぶどうさーっとこうあって それが僕宝の山のように見えたんですよね
まあ小説は僕あんまり読まないんだけどユング心理学とかさちょっと硬い系の心理学系 哲学系の本てみんなの持ち去らないんで
みんな読みたがらないんで僕それをもう両腕に抱えて抱えきれないんでもバックにも ギューギューに詰め込んでさ
40冊ぐらい持って帰ったんですよ 僕それが僕最近一番テンション上がったことなんだよね
こんなにもらっちゃっていいんですかって言いながらニコニコしながら帰ったんですけど それってあの実質0円じゃないですかお金払ってないしでもそういう経済の外側にある
幸せって結構あると思うんですよ資本主義の外側にある ね幸せ
それをなんかすごい噛み締めました 別にお金を払って旅行したりとかボーリング行ったりすることだけが別にアクティビティではないし
幸せではない 円溜めは金のないところにも結構転がってるんで
そういうのをなんか探すの自分好きなんだなーっていうふうに自分を再発見しましたね えっと私の夢って優しいお母さんなんです
人生のやり直しね kp どうも お話を聞いてくれてありがとうどうもです
いいねその夢に向かっていいんじゃないでしょうか じゃあそんな感じでちょっと早いですけど終わりますか
40冊なそう 自分の体重よりも重いぐらい
そんなことはないかこんなことはないと思うけど 車のトランクに大量に積んで帰りました
そうニヤニヤしましたねお疲れ様でしたどうも お送りしましたのは刺身ちゃんでした
で今日の夜はもう配信しないですあらかじめ伝えておきますけどこの後この枠の アーカイブ上げておきますので
あのまたゆっくり見たいという方はアーカイブの方 ホットキャストとあと youtube に両方上げておきますので
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