そうだ、クラスの女子の、とある女子の携帯が急にその、
緊急地震速報、 みたいなのが確かになったんだよね。
ウゥ?ウゥ?ウゥ?ウゥ?みたいなやつ、あるじゃないですか。 あれ、あれ、私嫌いなんだけど、ちょっと。
嫌いというか、めちゃくちゃうるさいし、ちょっとこう、ビビッ、ビガッてなるから、 あんま好きじゃないんだけど、好きな人はいないか。
好きな人はいないと思うんだけど、あれがなって、 で、授業中に携帯がすんげーなったもんだから、あの、
しかもその子だけだったんだよね。なぜか。 その子がもう、とにかく一番最初になって、
その後、誰かなったんだっけな。 一番最初にその子の携帯だけがまずね、一人だけ。
ウゥ?ウゥ?ってめちゃくちゃなって、なんでその子だけ最初になったのかわかんないんだけど、 その子がなって、
で、なったもんだから、こいつ携帯、授業中にめっちゃなってるわ、みたいな。 先生に怒られんぞ、みたいな感じで思ったら、
いや待てよ、この音って、みたいな、 感じで思ったら、その女の子が緊急地震速報来ました、みたいな感じで言うから、
え?みたいな感じで、 マジで?みたいな感じで思ってたら、
ぐらぐらぐらぐらぐら、おーやばいやばいやばい、みたいな感じで、 みんな机の下隠れろー、みたいな感じになって、
みんなの机の下に隠れるっていうのを、やりましたね。
で、ものすごい揺れで、
ものすごい揺れで、かつ長かったよね。 めちゃくちゃ長かったね。
最初ぐわーって揺れて、それがこう、ちょっとの間だったらまだわかるんだけど、それが結構ずっとね、
あんなにやっぱ長かったのは初めてかな、私も。
ぐわーって揺れて、これいつまで続くんだ、これやべえんじゃねえかって思って、 で、収まってから、
いろいろみんなで情報収集したりするけど、 なんかネットが流れにくいとか、
今状況どうなってるんだ、みたいなね、話になって、
えーと、津波が来てるらしいとかって話にもなって、 やばくね?ってなったんだけど、
言ったことあるかわかんないけど、私の家はですね、結構海沿い、 海沿いっていうことではないんだけど、
まあ家の2階とかに上がれば、あの太平洋が見えるレベル、
くらいには近くに、海の近くに住んでたりはするんですが、
なんだけど、 まあだからその、津波が来たって聞いたときは、
まじで、ちょっとうちやばいかもって思って、
学校自体はすごい高台にあるんですよ。 なんていうか、えーとね、
結構高い場所にあって、学校自体は。 だから当時その地震が起きたときは、私学校にいたんで、
地震のみは全然大丈夫だったんですよ。 めちゃくちゃ高い場所にいたから。
まあ学校自体も海の近くっちゃ近くなんだけど、
まあ、あの高い場所にあるので、全然問題はなかったし、 むしろ避難場所になるんじゃないかな、ぐらいの感覚でしたね。
ただ、私の家は、今住んでるここの家は、 海がすごい近くて、そこまで高い場所にあるってわけでもないので、
あの、正直ちょっと悟りました。 あの、あ、家が終わったわ、みたいな感じで。
あーもうダメか、みたいな。 あー家にいっぱいゲームとか、
お切っ端だったなー、みたいな。 あれ全部流されちゃうのか、みたいな感じで、
こう、覚悟を決めてたんですけど、 結局でも津波で流されたりとか、地震でなんか倒壊したり、みたいにすることは、
まあなかったですね、はい。
まあ良かったって良かったけどね、本当に。 で、結局、どんどんだけな、
学校の生徒はみんなやっぱ、帰れる人は、 なんとかして帰そうってことになって、
生徒たちはね、 帰そうってなって、
で、 ただ帰るには、公共の交通機関とかはダメで、
親とか知り合いが、
迎えに来てくれる人じゃないとダメっていうことになって、
迎えに来れる人じゃないと ダメってことになったんですよ、確か。
そうそうそう、自分で帰るのは、一人で帰るのは禁止ってなって、
で、迎えに来れる親とかが迎えに来れる人だけ帰った先にね、
近くに住んでる人もやっぱりいたから、そういう人たちはね、別にこう、
親がすぐに迎えに来てとか、すぐに帰って、みたいなことをしてたんですけど、
やっぱ中にはね、すぐ帰れない生徒もいて、私もそのうちの一人だったんですけど、
で、私も帰れなくて、
えーとね、 私結構その学校から離れたところに住んでて、
バスでね、 乗り換えの時間とかも含めると1時間以上
かかる場所に、1時間半くらいかかってたかな、乗り換えを含めると。
結構だいぶ遠いところに住んでたんで、学校と離れてるんで、
だからね、親も当時両親とも仕事してて、職場にいたから、すぐには帰れないし、
帰れないし、迎えにも行けないってなって、で、私は結局、
えっとね、学校で一番最後まで残ってました。
最後で、本当に最後の一人まで残って、私が一番最後に生徒で帰った、
感じになります。
夜の6時過ぎとかになると、もうだいぶ他の生徒もね、
だいぶもう親が迎えに来て、帰ったりとかしてたんだけど、
6時くらいになると、もう4,5人くらいしか生徒が残ってないような、本当にもう迎えに来れないような子供たちというか、
だけが残るような状態だったんだけど、その後も、ちらほら、なんとかさ、
お父さん迎えに来ました、お母さん迎えに来ました、みたいな感じで、
迎えに来て、で、そのまま帰るみたいな感じだったんだけど、私の家はですね、
どちらもちょっと迎えに来るのが難しいということで、妹とかもいたからね。
妹とかもいたし、私はね、一応その宝屋の安全な場所にいるっていうのもわかってたから、
それでたぶん一番最後に後回しにされたっていうのもあると思うんだけど、妹たちの通ってた学校は、
高台っていうわけでもなかったからね、まあどっちかというと、そっちが先だよねってわかってたし、
だからもう、3月だったからすんげー寒かったしね。
で、
学校の広いロビーみたいなところで、ストーブを先生がでっかいね、
焚いてくれて、そこでみんなで温まったりしていろいろ食べたりしてたんだけど、
いやでもあれはあれでなんかちょっと楽しかったなっていう気がするけどね、ちょっと非日常感があって。
で、先生たちといろいろ喋ったりとかしながら時間を潰して、
迎えこないねーって話をしてたんだけど、
で、結局その後一番何時ぐらいだったかな、ちょっと忘れたけど、7時、8時くらいかな、
で、やっと迎えに、父親だったかな、父親か母親かどっちか知って忘れたんだけど、
迎えに来て、なんとか帰ることができました。
でもね、先生たち大変そうだったね。
子供たちが全員帰らないと先生たち帰れないみたいな状況で、
なんかもう申し訳なかった、ちょっとかわいそうだったなって、今になって思うと、そういう風に思いますね。
先生大変だなぁと思って。
当時は私も高校生で学生だったし、子供だったからまだね、
先生っていうのがどんな、先生って結構なんか、
先生は先生っていう感じだったんだけど、今こうやって大人になってみると先生も一人の人間なんだなって思ったりするから、
うん、なんか、申し訳ないっていうのもあったけど、
まあ楽しかったし、楽しかったけどね、