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皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオの時間です。
前回に引き続き、アマチュアイベントカメラマン・砂田耕治さんにお話を伺います。
定年後に立山市に移住をされ、その後ボランティアやカメラマンとしての活動、そして釣りを楽しんでいらっしゃる砂田さん。
さらにお話は、立山での生活について伺っていきます。
複雑ですよ。きれいであってほしい。来たときというのは、ともかく移住する前からですから。
感動の連続。いいなあ、いいなあ。
移住する前と、移住してからというのも、やっぱり印象とか、ちょっと変わってきますよね。
印象の違いと、今の話は現実が変化です。
ああ、そうか。
印象もありますよ。
私が考えるのは、今住んでいる家から数分の先の海岸に出ると、岬なんかから沖の島とか色々見えるわけですよ。
ひょー、いいなあ、パノラマはなんて思ってたけど、24年経って、今家に帰って、描いてみろって端から端までパノラマ描けないんですよ。
それは確かにちょっと難しい。
なんでかというと、良いことに慣れちゃって。それが良い意味に忘れることがおかしいんじゃなくて、もう自分のものになっちゃってるわけですよ。
みんなが共有して、来る人が感動。今でも立山いいなあってどこどこを見ても、地元の人はですね、子供の頃から住んでるんだろうなあって言うだけなんですよ。
私も24年経つとね、慣れてしまって。
それをね、良いところをもう一回見直す気持ちっていうのは、やっぱりなきゃいかんかなと思いますね。
ということは、自然が傷んでいく。
例えば沖の島なんかでも、昔から見るとずいぶん台風が傷んできてしまう。
ボランティア、NPO一緒に頑張ってるんですけど、時々行っても、住んではいるけれども、全体としてね、元のようにまだまだ時間がかかると思うんですけど。
まだそれでも住んでいればいいけど、いろんな港で港湾施設がね、破壊されて、もうコンクリートがこう船着き場が壊れたままになっちゃってるところが何年も放置されていたりね、そういうところっていうのはまだまだあるもんですから。
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寂しいなと思いますけど、考えてもしょうがない。昔はこの辺はなっていう。
写真も撮ってあるけど、全然違う。残酷なくらい食われてます。
だから地元にいるとね、そういう見方をすると。
地元の人は寂しいと思うんだけどね。地元のそこで生活してるからね。
そうかそうか。
思いますけどね。僕らでも楽しいんです。
そこ行くと、こういう状況があっていいんだな、カメラ持ってまた行こうかなと思っても、ああそうだった、全然イメージ違うなって。
それと釣りをしながら景色に馴染むっていう。
やっぱり釣りを見るときなんて、楽しむのは景色。海の海風とか、波の音とか、飛んでる鳥とかっていうのはどうしても自然に馴染みながら、ぼーっとして見てたりするところがあるんですけど、
やっぱり景色っていうのはとても大事です。
バンダっていうところが、今は車入れなくなったんだけど、東京にいた頃から大好きで、そこで投げ釣りやってると、右の方の岩場の近くにピンクのクジラの観光船がね、きてた。
それが立山の今の渚野駅のところの桟橋ができる同時に移ってきて、結局うまくいかなくなった。
別の会社がやってますけど、そのときの釣りをしながらやってるときに、こっちの岩場にスーッと軸の方からピンクのクジラがね、クルーッと軸の中で巡回しながら帰ってきて、そこが完全に絵ですよね、風景があって。
写真撮ったけど、写真なんか面白くない。写真は撮りましたけど、早々にやめちゃって、ただぼーっとしてて。
全体の雰囲気を楽しみながら釣りをしてる。
洞窟があって、砂浜があって、岩場があって、沖合の方に正面の景色と、動きのある岩場の船の姿ってね、自分流の楽しみです。
ぼーっとしてるから、深刻に考えないといけない。写真のときだけはさすがに構図とか、カメラのセッティングなんか、ちょこちょこ考えますけどね。
だから言ったら、舞台撮るときとかはそういう感じになってるんですもんね。
ですから、そういう意味で釣りはぼーっとしてて、おかずかく、東京にいるときは完全にストレスがある。
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発散、完全にストレスがある。
もう話してね、休暇もログイン取れない、厳しいっていうかね、過去の経験では通用しないような仕事ばっかりだったですからね。
やっぱり見通しが、壁ができて見通しが立たないときってのは、立たないときってのはやっぱり酒、うちで酒を飲むことも一つの発散ですけど、そんなんじゃなくて、釣りに行く。
魚釣りに飛び出すっていうのは何だったっけ、最高の発散です。
そっかそっか。
そこで大釣りして、たくさん釣れたら、もう最高の仕事のことになるから忘れちゃいますよね。
東京に行ったとき、平塚の海岸で、そく釣りって言って100を超えるとね、そく釣りって言うんですけどね、100匹以上釣ったときがすごかった。
100匹釣れるもんなんですか?
タテンバレで仕掛けにね、それをね、そばに餌つけて並べるんですよ。
投げて釣れるときはもうフサのようになってきますから、とりあえずそれを外して置いといて、
魚を釣ったのを投げて、それからこっちで餌は餌って針から外して、そんな繰り返し。
それもまた夢中になりますよね。
すごいですよね。
岩でも釣れるときにフサになって、恋の森のように。
そのときだけは忘れないでね。
釣りというのはね、ちょっとまた話をやらせちゃいますけど、
趣味の中で、よく釣りを始めて、釣りの関係でいろんな本を読んだり、インターネットで見たりしてますけど、
一生の趣味、一生続ける趣味を探すなら釣りをやれという言葉がかなり早くから目にしました。
やっぱりそれは言えるなと思いました。
いろんな人がいますよね。
自分、経営している会社の方もいるけど、それでも釣りに来たって言ってね。
インタビューした人が、どうですか、少し気持ち紛れますかって言ったら、
全然、頭の中には仕事のことがいっぱいです。
よく分かりませんよね。
楽しい世界とは言っても、本来の日常生活が厳しければ厳しいほど、
必死になってそれを切り替えようという気持ちがあっても甘くないですね。
それは、かつい釣りをしながら、つい仕事のことを考えちゃうんですね。
これはしょうがないですね。
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仕事のことを考えまいとして釣りに来たのに…
抜け出せない。
でもそれは人間だから仕方がない。
その代わり、行って帰ってきたときに何かがほっと一息するのは間違いないです。
そうか、間違いないですか。
それのために使った神経というのは、好きだから入り込むでしょ。
その集中というのは絶対にあるわけですよ。
でも襲ってくる仕事の世界というのは、それをじっとその姿に見つめているようなもので、
ふっとしたその姿にパッと襲ってくるような、
それを振り払うような感じで好きな世界にもう一回ぼっとするということが、
私はその人のことを想像すればそういうことで、
でも少しでもこれじゃ前に進まないから釣りをした。
その1日の時間をやり直しの切り戻しの切り替えにしようと本人は、
腹に秘めているわけですよ。
深刻さとかそういうのじゃない。
それしかないと、割り切りで。
だから人によってだけど、くよくよくしない人はもう大胆に、
今日なんで家しかつかないかと思いながら、さあ次だというわけで、
攻めの発想でガチッと何台と取り組むと。
いろんな人がいますから。
くよくよじゃなくて、私なんかくよくよしたことないけど、
カリカリのストレスで酒と喧嘩するようになっちゃいました。
それでもストレスは溜まりますから。
でもできるだけ自分でコントロール。
もうダメでも、ダメ元で。
でも必ず何かそこでいいものが働いて、
そうじゃしょうがないじゃん。次、次。
そうだね、無駄にしないで。
さあ、やり直しと。
みんなそう思ってるじゃないですか。ほとんどの人が。
そうか。
そうですよ。
毒薬じゃねえんだから。
むけかねることが順調にできるような薬になるんだ。
要は自分の気持ちを立て直さなきゃならないときに、
そうだよねと言ってくれるのが趣味じゃないかと思うんで。
それだってどうしても抜けられないっていうか、
やっても釣りのきっかけをくれない人だって結構いるかもしれない。
酒は人の過ごし方です。
人生でも一つの答えを出すだけの話ですから。
しょうがないでしょ。他にも方法があるだろう。
そうか、そうか。
酒飲んで。
うまくないですけどね、私は一人での酒は嫌いでね。
居酒屋でこんなことがあったら大嫌い。
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ああ、そうなんですね。誰かと一緒に。
仕事終わったらもう家に帰る前に嘘晴らしっていうか、
持ち込まない。勝手に持ち込まない。
みんなそんな年齢ばっかりなんで、そういう仕事やってる職場だからね。
相手がわーっと出かける騒いで。
途中からもういいかなって。ラーメン食って帰ろうかって。
お互いの気持ちが共通してますからね。
やっぱりそこは、なんていうんだろう。
戦友みたいなもんで。
助け合ったりもしますからね。一人じゃ。
でも結局仕事っていうのは個人に取り詰めてきますから。
まあ、所詮個人ではあるんだけど。
でも協力組織でやってるっていうのは協力関係。
人の力を借りなきゃいけない。確かに。
だから仲間意識っていうのはこれも欠かせない。
お互いに分かってるから、自分が調子いいとき、相手が落ち込んでるときに、
自分のやり方でいい形で激励したりするっていうのは、
そんな仲間でしかないね。
カメラや釣りを通じて立山の自然に親しむこと。
その風景を楽しまれている様子。
魚釣りに飛び出すのが最高の発散とおっしゃる砂浦さんにとって、
釣りは一生の趣味なのだそうです。
陸地では通らないっていうのは、やっぱりなんとなく負けないけど、
ぶつかっていくしかないみたいな。
何かどっかにヒントがありゃしないかなって。
笑われちゃって、よく他の人もやってたけど、
枕戻り、メモ用紙置いとくなんて、
音パッと、特に今でもそうなんだけど、
朝起きて、起き始めの時にひらめきってのは、いいね、そう思わない?
あると思います。
これはすごく貴重なんだよね。
歳じゃないなって思って。
今も何かパッて。
あるある。
何?どんなアイデアあったっつってね。
その点今は書かないですけどね。忘れないように頑張るんだけど。
はいはいはい。
パソコンに向かって付けて、自信あったか。
それはね、きっとみんなあると思う。
無常さっていうか、当たり前のように思ってるけど、
最近忘れること多くなったのも、
やっぱり音戻りそろそろかなって思ってる時に、
キーンとくるとさ、ちょっと待てよ。
よくもこんな、知恵が働くって言うからね。
ちょっとしたことでよくこんな考えが出てくるななんて。
自分ではまだまだ捨ててもんじゃないななんて。
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たまには場がありますからね。
本当のひらめきっていうのは、どう表現したらいいかわかんない。
そうですね。
全てがそれでいけばいいんだけど、そうはいけない。
そうですね。
プラスバイトしたら完全に壊れそうやな。
それは確かに。はいはいはい。
そっか。
まあでも本当ね、立山でも、
水の隅から立山は遠いことですから。
会社生活は後半、社宅住まいが多かったですからね。
その辺から準備してましたので。
一応、在籍中に今の土地を手に入れて、
ほぼ同時に家を建てるという、
そういう計画を進めてきたので、
計画通り辞めた2000年の4月には退職して、
2月には建物、家が出来上がってました。
4月にはちょうど全て切り替えになっています。
そうか。
ということなんですけどね。
まあ、水の隅からも家具が出来ましたから、
だから何と言ってもまず一番大事なのは、
友達一人もいませんでしたから。
ああ、そうですよね。
両方は出身地だから、同級生も家族もさ、
兄弟もいますし、親戚もいます。
全部助けられましたからね、その一発。
私は一人も友達いないですから。
釣りもいいけども、釣りよりもボランティアの人に、
人の関係を広げていくということとの絶対条件でしたから、
それがいい形で、
その中にカメラの世界がじわじわと入り込んで、
2時間も分けていった。
でも今は、カメラと釣りが、
この2点、時間的に良い。
健康と時間でこの2つに何とか縛る。
ここに来るまでにとても良い時間、
時間の作り方、生活の仕方をやっぱり。
そういう時間を過ごすことができたというのは、
本当に健康であるか良く思いますけど、
幸せだと思いますよ。
それは夫婦と言って。
ああ、そうですね。
体がおかしくなると片方で、
今のところ片方が悪いから片方が何とか。
今のところね、
頭のほうが合わせてちょうど0.5つになって、
体のほうもおかしくなれば片方が、
医者と相談して、
医者が病院に連れて行ったり、
そういうことの助け合いの状況というのは、
言う年齢なりにかみ合っていて、
そういう意味で2人で時々良かった。
よくここまで来たね。
おかしくなると、
子どもたちが東京に住んでいたのは、
もうアパートの中に入っていたのが、
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親が建屋に来たら、
ほぼ同時に千葉県人が。
ああ、そうなんですね。
ちょっと近くにこう。
近くはないけど、
千葉は枠張と千葉市です。
ああ、そっかそっか。
だけどすぐ来られる。
そういうことですね。東京よりは全然近いですし。
娘と息子の家族が何とかやっています。
両方が具合悪いというのは、
娘が専業職をやっているから、
来てしまう。
面倒見る。
ありがたいですね、それは。
娘はやっぱり伊沢に一人いたから。
そっかそっか。
ちょうど年取ったから。
あなたの親さんが生きていてくれれば、
今どんな話をしているか。
そうですね。
元々元気ね、ご主人通り。
朝鮮まで元気だったというから、
そういう人だった。
イメージも本当に、
人柄が良くてさ、
本当に僕はね、ちょっと余談になっちゃうけど、
年を取っていろんな人と会うけど、
会ってどんな人かなと思って、
良いイメージを持つ人の共通点はね、
謙虚だというか。
謙虚。
謙虚さを持っている。
いろんな生き方をしているわけでしょ。
良い思いも良い思いもしているけど、
傷だらけになってきて、
いろんな良いことも悪いことも経験してきて、
芸業帯になって、
その人たちの集まりに来て、
暖かいものの振り合っているような人が、
いろんな人と、
何て言うんだろう、
自分の世界を語り合えるような時があるけども、
良い人との共通して、
謙虚。
それは意識していない自分は。
何でかというと、
私の場合なんかそこまで行かないんだけど、
戦いで行かれている。
そういう時点であるけど、
自分がどれほどのものかということにも気が付く年です。
どんなにできるんだって、
いろんな失敗をしてきて、
うまくいったこともあるけど、
人のことをあれぐらい言うと、
ちょっと思った時に、
自分が一体どれほどのものなの、
どういう考え方ができる人というのは、
ものすごく謙虚に物を人にさせる時に、
そこだという風に感じるんだよ。
人はそんなことを、
人に話したことがないし、
人からも聞いたことがないけど、
大体みんなそう思っている。
年寄り同士が、
よろしくお願いしますとかね、
こんなこともよろしくとか言っている時に、
そう思う年寄りの人、
現役に対して、
どんな人だったのかな、
口ではサラリーマンとか、
自営業とか、
いろんな話をしても、
どんな経験をしたい、
いろんな苦労をしてきたのかな、
やっぱり辛い思いもしてきたのかな、
人を理解する見方が違うなとか、
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何かの時にグッと反応する時に、
その人の何かを言ったら、
分かんないけど、
この人のありの考え方が出たなという時は、
向こう側で経験してきた、
その人のイメージみたいなものをね、
何か押しているような、
そんなことがあるかもしれない、
人に関心を持つ、
関心を持った人には、
関心はないですよね、
そういうことを次に話をしていくと、
なんとなく、
知らない同士が、
なんとなく、
口には言えないけど、
分かり合ってきているような、
分かり合う男が出てきたな、
これから付き合っていくには、
もしかしたらいい人が、
なんていうのにどうなっていく、
と思うんだけど、
あとはもう、
自分で、
自分が経験して、
ここまで来ちゃったということで、
もう作りようがないんで、
欠点もいっぱいあるし、
いやもう、
欠点なんて言ったら、
もう数え切れなくて、
だから、
本来持っているものというのは、
出てしまうということは、
人間だから、
できるだけ知っておいて、
人の前では出さないように、
家族としても、
両方の前で、
子供の前で、
そういう欠点は出さないようにする、
ということだけ、
持っていないと、
人を傷つけたり、
一斉にやってしまうことは、
誰でもあることだから、
年取ったら、
欠点は、
知っておかないと恥ずかしいから、
何のために取ったのって、
いい年で、
あると思います。
本当にそんな考え。
あんまりね、
こうやって考えて、
この年になって、
あんまり話したことがなかったけど、
あんまり考えてること、
大したこと考えて、
ここまで話して、
こんな程度かなと思うのは、
やっぱりね、
とても自分にとっても、
僕らはとてもよかったね。
人に話をする。
夫婦でも、
そこまで話をする。
やっぱり、
人に、
共通の課題で、
自分がこう、
あるいは、
尋ねられて、
自分の体験、
過去の生活みたいなものを、
ないよ。
機会が少なくなっちゃって。
まだバリバリやってる、
ボランティアやってる頃っていうのは、
いろんな人と話してきたけど、
最近非常に、
世間が狭まっちゃってさ、
夫婦の時間の方が長くなって。
もう、
24:00
そういう意味では、
雰囲気が飽きちゃったじゃん。
日本人で怒られちゃうけど。
まあやっぱり、
変化とか刺激みたいなもの。
思考の活性化とか、
鮮度を保つために、
話をするっていうのも、
そんな気がします。
話をするっていう時代。
表現を自分で、
まさに話しながら、
自分の口から出る、
表現みたいなものとは、
確かめたら大丈夫かな。
前は心配なかった。
今は大丈夫かな。
そんな気持ちで
話したら一番。
立山への移住直後は、
友達がいなかった後のことですが、
ボランティアなどの地域活動を通して、
様々な出会いがあったそう。
僕の父が生前、
お付き合いをさせていただいていた、
砂田さんに、
今回は様々なお話を
いただいたのでした。
砂田さん、ありがとうございました。
それではまた次回、
雄名さんの聞く人ラジオで、
お会いしましょう。