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ながら聴きラジオ
キコアベ
おはこんばんちは、アーベイのAです。
7月6日、水曜日、ながら聴きラジオ、キコアベへようこそ。
この番組は、われわれ社会人演劇カンパニーアーベイが、
あなたのための心地よいながら聴きラジオを目指す番組です。
岩手の皆様、聞こえてますか?アーベイです。
略して、コアベということで、
私、Aの実家、秋田のお隣の県、岩手。
実家に帰ると、よく森岡に遊びに行っておりました。
一度、お仕事で芝居の公演をしたこともあり、
私にとっては馴染みのある岩手県でございます。
冷麺やわんこそば、海産物もおいしいですね。
みなさんは、イチゴ煮という郷土料理をご存知でしょうか?
もちろん、イチゴを煮たものではなくて、
ウニとアワビをお吸い物にしたものなんですけれども、
とっても贅沢でおいしいですよね。
小岩井農場で牛乳、ソフトクリーム、
チーズと出来立てのおいしさを味わい、
花巻温泉でゆっくり湯に浸かる、
なんてルートで日頃の疲れを癒してみるのも、
いいかもしれません。
さて、岩手の回し者こと映画をお送りする本日の聞こわべは、
Dさんの豚さん文庫、「男嫌い」という作品を朗読いたします。
それでは今日も最後までお付き合いいただけますか?
聞こわべ、スタートします。
さてさて、auユーザーの皆様、大変でしたね。
かっこいい私もauユーザーなんですけれども、
会社に電話を入れることも出来ずに、
ちょっと困ったことにもなりました。
携帯電話、スマホの普及で家電を手放し、
公衆電話もめっきり見なくなりましたからね。
電話がないと困ると久しぶりに思いました。
LINEの未読にね、受験の表示があって、
通信障害の初日だったんですけれども、
緊急の要件だったらどうしよう。
Wi-Fi拾えないと、
あ、Wi-FiじゃなくてWi-Fiね。
Wi-Fi拾えないとLINEも見ることができなくてね、
もう急いで家に帰りましたけれども、
中身はね、緊急の要件ではなく、
U字さんのお敷の写真10枚でございました。
ほっとしました。
そしてめちゃめちゃ美男美女でした。
ちょっとびっくりしました。
お二人とも普段のイメージと違って、
本当にかっこよくて超綺麗でした。
幸せそうに笑う二人にほっこりしながら、
通信障害だからって、
イライラしたり焦って過ごすのはやめようって思いましたね。
03:03
7月4日収録日の現在、
復旧はいたしましたけれども、
皆様は影響ありませんでしたでしょうか。
さあ、それではコーナー参りましょう。
今日はBさんの豚さん文庫、
豊島由夫作、男嫌いという作品です。
どうぞご一人お楽しみください。
男嫌い 豊島由夫
男嫌いと人は私のことを言うけれど、
そうと決まったわけのものではありません。
男の人はだいたい、いいえ、
皆が皆いやらしく、汚らしく、
だから私は嫌いです。
いやらしくも汚らしくもなく、
本当にすっきりした人があったら、
私だって好きにならないとも限りません。
シャカムニとかマホメットとかのことは知らないが、
キリストなら私は好きです。
ミッションの学校にしばらくいたことがあるから、
そういうのではありません。
キリストはすっきりしています。
悲しいほどすっきりしています。
つまり、男臭さがないのです。
男臭さ、それがどういうものか、
私はしばしば考えたけれど、
いまだにはっきりしません。
匂いだけのことではありません。
体臭だけのことではありません。
何かこう、油切ったもの、不潔なもの、
どきついもの、むかむかするもの、
そういうもの全体のようです。
姉さん、ここではおかみさんですが、
姉さんが一人でいるときは、
その室の空気も清らかです。
香水や化粧品の匂いは別として、
全体の空気が清らかです。
ところが、犬親さんがやってくると、
空気が濁ってしまいます。
ことに、止まってでも行くときには、
胸悪くなるような空気になります。
姉さんは寝床の上げ下ろしを自分でしますから、
私は助かるのですが、
後で私がお掃除をするときでさえ、
室の空気はいやらしい。
その元はみんな、
犬親さんの男臭さにあるのです。
犬親さんは寝るときでも足を洗ったことがありません。
靴下を脱いで、そのまま寝床に入ります。
靴下が新しいときは良いけれど、
少し汚れてきて、
おまけに雨の日などは、
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湿っぽく濡れて臭い匂いがしています。
その匂いは足にも映っているに違いありません。
水虫ができたようだと指先で書いたことがあります。
その足のまま寝床に入ってしまうのです。
他国の人はどうか知りませんけれど、
日本人は寝るときぐらいは足を洗ったらどんなものでしょう。
靴の革の匂い、靴下の濡れた匂い、不潔ではありませんか。
男の人の皮膚もだいたい革に似ています。
だから絹の手袋よりも毛糸の手袋よりも、
革の手袋が似合うのです。
動物的です。
毛が多すぎます。
ひげ、胸もすねも、
あちこちに毛がたくさんあります。
井上さんと来たら鼻毛が濃く、
耳の穴にまで毛が生えています。
それに気がついてから私は一頃、
うちの店や電車の中などで、
男の耳の穴をそっと盗み見たことがあります。
もじゃもじゃ毛のある人が多いのにはびっくりしました。
毛が多くて、革に似た皮膚をしていて、
その上、臭が臭いのです。
酔った人の息となったら一層たまりません。
いつぞや井上さんが酔っぱらって、
姉さんに甘えていった言葉を、
私は忘れられません。
酒を飲んだ時の君の息は、
発火の香りがするよ。
姉さんは綺麗好きだし、すっきりしてるから、
酒を飲めば息に発火の香りがするかもしれません。
けれど井上さんは、
反対に息が臭く汚くなるばかりです。
男の人は皆そうです。
塾垣のような息と言いますが、
塾垣がどんな匂いか私は知らないけれど、
もっともっとひどい匂いです。
その臭い臭は酒のせいばかりではありますまい。
体内にそうしたものがあるからです。
体内にムカムカするようなものがあるからです。
その臭い臭と一緒に同じ布団の中に入ったら、
どんなことになるのでしょう。
思っただけでもゾッとします。
胸悪くなり、気が遠くなるかもしれません。
姉さんが平気でいるのが私には不思議でたまりません。
井上さんのお世話になっているから、
我慢しているのでしょうか。
ある時寒い晩でしたが、
下の室にこたつをこさえて、
皆でごろみをしたことがあります。
09:00
井上さんが大勢のお客さんを連れてきて、
2階は散らかり放し、
大島さんは帰ってしまい、
後片付けを明日にしようということになったのです。
特別の陣が持ち出され、
私も水に薄めて飲み、
一気に発火の香りがしてきました。
井上さんと姉さんとの間には、
酔ってくるとしばしば同じ話が繰り返されます。
姉さんのほうでは、
東京都のこんな出外れの川っぷちより、
旧市内のほうへ帰りたいというのです。
井上さんもそれは同意しますが、
適当な家がなかなか見つからないそうです。
井上さんのほうでは、
紙にポマードを塗りたくっている男について、
姉さんに嫌味を言います。
土地の御服屋の若主人で、
衣類短物のことについてはこちらがお客様ですが、
うちの喫茶店ではあちらがお客様です。
二階の室と特別な料理や飲み物は、
井上さんの連れの人だけに限ったもので、
他の人はみんな下の喫茶だけです。
けれど喫茶のお客の中にもちょっと区別があって、
お酒につまみ物ぐらいは出すこともあります。
このお酒について、
ことに要所について、
井上さんは監督が大変厳重です。
ポマード男、
倉道さんに酒を飲ませすぎはしないかと、
じわじわ嫌味を言うのです。
やきもちを焼いているのか、
からかっているのか、
どちらともわからない調子です。
姉さんのほうでも弁解するのやらしないのやらわからない、
曖昧な調子です。
聞いていてじれったくなります。
どちらとももっとはっきりしたらよさそうなものなのに、
他に話すこともないから、
そんなことを酒の魚にしているのでしょうか。
私は陣をなめながら、
息に発火の香りがますます強くなります。
そうしてみな寄ってこたつにごろ寝をしました。
ふと私は目を覚ました。
胸がむかつき息苦しくて叫びました。
男臭い、男臭い。
実際に叫んだかどうかわかりません。
叫んだつもりでした。
同時に飛び起きました。
まったく男臭かったのです。
井上さんが私のほうへ寄ってきて、
私のほうを向いて、
いびきまじりの息をしています。
その息が私の頭や顔にかかってにちがいありません。
ぬるい、なまぐさい、酸っぱいような息です。
口を少し開けて、
煙草の槍に染まった黒い歯を出し、
その奥の深い喉から音を立てて臭い息が出てきます。
12:05
酒の匂いだけではありません。
男臭い。
息を詰めて座りなおしました。
どうしたのよ、寝ぼけているわね。
姉さんが私のほうを見て、
そしてすぐ向こうへ寝返り打ちました。
その背中のほうへ取りすがるようにして、
私は入って行きました。
大きく息をしました。
変に眠れません。
室の中全体がいやらしく汚らしく思われます。
ドマのほうでカサカサ音がします。
黒犬のクマが体をかいているのです。
シッ、シッ、
叱ってもまだカサカサやっています。
何か皮膚病かでしょう。
あんな犬をなんで飼っているのか、
姉さんの気が知れません。
ただ真っ黒な小さな普通の犬で、
どこからか迷い込んできたのです。
泥棒よけにもなりはしないでしょう。
そのつまらないクマを、
ポマードのクラミスさんが特別にかわいがるから、
おかしくなります。
だいたい、あのポマードがおかしいのです。
長い髪をバッフにして、
ポマードをコテコテ塗りたて、
毛先よりももっと光らしています。
女の日本髪に瓶付け油を用いることはありますが、
それだってあんなにピカピカ光らしはしません。
油が浮いて流れるように光っていて、
どうかすると白くホコリがくっついていることもあります。
かえって不潔です。
その上、ポマードの匂いと犬の匂いと一緒になると、
とても嫌なものになります。
クラミスさんはいつでもクマをなでさせり、
膝に抱き上げることさえあります。
男の人は一体、犬の匂いをどうして嫌がらないのでしょう。
嫌がらないばかりか、むしろ好きなようです。
犬が好き、そしてポマードが好き、
両方の匂いを一緒にすると、
それはスケベ根性の匂いです。
あ、とんだことを口走ったが。
こうなったらもう後へは引きません。
むちゃくちゃに何でも言ってしまいましょう。
クラミスさんもそうですし、犬上さんもそうですが、
物に腰掛けるとき、両の膝を広く両側へ広げます。
男の人は皆そうします。
電車の中などを眺めても、膝を両方に広げて、
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自分の股の間は空いているのに、
隣の人とは股で押し合っています。
なぜあんなことをするのでしょう。
腰の骨組みのせいではありますまい。
股の間に男のあれがあるので、それが邪魔になるのでしょうか。
そのことについて、私はおかしな話を聞きました。
犬上さんが連れてきたお客同士の話です。
男はいつも口がんがさっぱりしていなければいけない、
ということに二人は同意した上で、一人は言いました。
そこで僕は、毎朝起きると口がんを水で洗うことにしている。
さっぱりしたものだ、
もう一人は言いました。
僕はいつも猿股も何もかも脱ぎ捨て、
すっぱだかになって寝巻きに着替え、
そして寝ることにしている。
さっぱりしたものだ。
聞いていて私は決まり悪いよりむしろ、あきれました。
毎朝水で洗うことも、パンツ一つないすっぱだかで寝ることも、
どちらも変なものです。
けれども、それはそれだけの理由があるに違いありません。
つまり、そんなことをしなければ、股倉がさっぱりしないのでしょう。
そんなことをしなければならないほど股倉が、
何と言ってらよいか、
まあ、陰質なのでしょう。
そうです。男の股倉はみんな陰質なのです。
だからいつも両股を広げて風通しを良くしたいのです。
両股を女のようにつぼめて風通しを悪くすると、
ますます陰質になって気持ちが悪いのです。
女の方が不潔だなんて、どうして言えますか。
女はいつもさっぱりしたものです。
男はさっぱりしていないのです。
股倉が陰質なんです。不潔ではありませんか。
陰質な不潔さ、そこからも男臭い匂いが発散してきます。
裸になると、男より女の方が不格好だと言われています。
それはそうかもしれません。
胴の割に足が短く、尻が大きくて、格好は良くないかもしれません。
けれどもそれを女は衣装で補っております。
衣装は単に寒さ、暑さを防ぐだけのものではなく、姿を美しくするためのものでもありましょう。
姿を美しくするためのその衣装を、男の人は何と思っているのか、すぐに脱ぎたがり、肌を出したがります。
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肌を出しても良いのは、むしろ女の方ではありますまいか。
女の肌は滑らかで細かく、皮のような男の肌よりどんなに美しいかわかりません。
それに、男の人は一体無性です。
耳垢をため、鼻くそをため、肘や膝はザラザラです。
人前でも平気で、小指で耳垢をほじくったり、人差し指で鼻くそをほじくったりします。
倉道さんにせよ、井上さんにせよ、苦労を馴れ回し、鼻くそをほじくったその汚い手で、お菓子をつまんで食べます。
女は、私だって姉さんだって、そんなことは決して致しません。
恥を知るが良い、そして恋知心を持つが良い、姉さんが御差ししたハンドバッグを、赤サンゴの帯留めを、私の前に並べて、これは倉道さんからのものだと言いました。
あの人の店にある品物ではなく、東京の町に出たついでに買ってきたもので、普段、コーヒーや酒でいろいろお世話になっている、その礼心だとのことです。
私はびっくりして尋ねました。
私にですって?お姉さんには?
姉さんはキレの長い目で私をキッと見て、それから突然ホホホと笑いました。
私なんかどうだっていいじゃないの。
姉さんは元芸者をしていたことがあるので、人から物をもらうのももらわないのもどうだっていいでしょう。
けれど、私としては、倉道さんからそのような物をもらうことが、なんだか変でした。
姉さんを差し置いてという気もするし、後が怖いという気もするし、それからまた、ハンドバッグにも帯留めにも犬や鼻くすの匂いがうつっているような気もしました。
ちっともありがたくないばかりか厄介にも思われました。
次に倉道さんに会った時に、ちょっとお礼は言いましたが、ツンと済ましていてやりました。
ピカピカ光っているポマードの髪が憎らしくさえなりました。
姉ちゃんの気に入るかどうかわからなかったが、まあ我慢してくれよ。今度また何か見立ててくるよ。
倉道さんは親しげな口を聞き、どんな物が好きかなどと尋ねたりして、ウイスキーをいつもより余計飲みました。
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物恋じゃあるまいし、もらってやるものか、と私は思い、何か仕返しをしてやろうかとさえ考えました。
ところが倉道さんばかりでなく、犬親さんまで私に物を持ってきてくれました。
模様のあるハンカチとかつおりとかいうようなものです。
臭い息がかかっているようで嫌でした。
私がもじもじしていると犬親さんは私に取り合わず、ちょっぴりヒゲのある太った顔を姉さんの方へ向けて他の話を始めるのです。
私はみんなから馬鹿にされているようでもあり、そっと目をつけられているようでもあります。
男って、どうしてこんなに厚かましくずうずうしいのでしょう。
この気持ち、姉さんにはわからないようです。
私に代わって姉さんが倉道さんにも犬親さんにもお礼を言ってくれます。
街のお祭りの晩には特別に酒がたくさん用意されて、誰にでも飲ませることになりました。
表には蝶ちんと桃の花が吊るしてあります。忙しくて私はだいぶ疲れました。
犬親さんが来ていて、姉さんは二階に上がっていることが多いので、店の方は私と雄島さんと二人きりです。
もうだいぶ遅くなって五、六人の男が入ってきました。ずいぶん酔っているようでした。
「倉道君は来ていないか?」
「いらっしゃいませんよ。」と雄島さんが応対しています。
なんだかごたごたしてその人たちはテーブルに着き、安物のウイスキーを飲み始めました。
「倉道君はどうした?隠してるんじゃあるまいね。」
雄島さんはもう相手になりません。
「おばさんじゃ信用ならん。みえちゃんはどこへ行った?」
「おい、みえちゃん。」と呼ばれて、私は隠れているわけにゆかず、出て行きますと顔を知っている人たちです。
「倉道君は来ていないのかい?」
「本当に来ていないんだね。どこかに隠れてるんじゃあるまいね。」
一度に問い詰められて私は困りました。
「みえちゃんがそう言うなら本当だろう。もう少し待ってみるか。」
そしてウイスキーを継がせられているうちに、誰かがダンスをしようと言い出しました。
私はダンスは知りませんし、男の人なんかと踊りたくもありません。しかし捕まってしまいました。
雄島さんがレコードをかけます。何のレコードだって構やしません。
テーブルを少し肩寄せて、そこの狭い戸までただ動き回るだけです。私を真ん中にしてぐるぐる回ります。
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たるみ腰だ。わっしょい、わっしょい。
何?ひめみ腰だ。わっしょい、わっしょい。
私はひめみ腰にされ、皆から取り巻かれ、肩や腰に手をかけられぐるぐる回らされます。
その男たちのねばねばした手が私の手に触れ、くさい息が私の顔にかかります。
いやらしくて汚らしくて、私は懸命に逆らいますが、離してくれません。
悲鳴をあげ、涙ぐんで、日当たり次第に引っ張ってきました。
どうした、あまり騒ぐんじゃねえよ。
和服を着流しの中尾さんです。井上さんと奥で密談をして帰りかけたところです。
時々物資の取引かなんかのことでしょうが、井上さんと密談をすることがあります。
土地の顔役だそうで頭の剥げた老人ですが力が強そうです。
あ、中尾さんですか。
一度は静まりました。私は解放されました。
若い娘をいじめたりしてみっともねえぞ。お祭りに酒が足りなかったらしいね。
俺が奢ってやろう。頭をかいてお辞儀をするものもありました。
いいえね、みえちゃんが倉光くんをどこかに隠したというんで救命してたんです。
バカ言え。
テーブルを並べ直してそれぞれ席につきました。
不思議なことに井上さんまでが中尾さんを送り出すところではありましたが、その席に腰を下ろしてしまったのです。
井上さんが土地の人と一緒に飲むなんてことはこれまでになかったのです。
倉光くんは今日はまだ一度も来ないのかい。
そんなことを井上さんまでが大島さんに尋ねています。
料理は何にもいりません。つまみ物だけで日本酒のおかんをするだけです。
姉さんも出てきたので私は奥に引っ込んでいました。
顔を洗い手を洗いました。男臭くてムカムカしました。
中尾さんはもうおじいさんですがそれでもなんだか嫌です。
少しく胃首で肉の厚ぼったえその首筋が日焼けしてザラザラしてるくせに変に脂っこい感じです。
しばらくして若い男たちは帰って行きましたが、中尾さんと井上さんは居残って特別のウイスキーをビールに割って飲みました。
ひそひそと話し合ったり、ふいに鷹笑いをしたりします。
密談の締めくくりをしているのでしょうか、それともワイ談でも始めているのでしょうか。
姉さんまで一緒になって笑っています。もうつくづく嫌になりました。
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その後、中尾さんが帰って行き、尾島さんもちょっと片付け物をし、店を閉めて帰って行きました時、
二階への梯子段の上り口のところで、井上さんは突然よろけるような風をして私の背にもたれかかりました。
本当によろけたのではありません。
背中に追っかぶさるようにして、両手を肩から胸へ回し抱きしめてしまいました。
熱い息が、頬から襟元へかかります。
私は呼吸も止まる思いで立っておられず、へたへたと崩れおれて、そこの板敷きに突っ伏してしまいました。
井上さんは何とも言わず、よたよたと梯子段を登って行きました。
私は起き上がって、体中、着物をはたはたとはたきました。
それからまた、顔から首まで洗い、手を洗い、足も洗いました。
胸がむかついてき、残っているウィスキーをやけに飲んでやりました。
どこもここも男くさくて、汚らしいのです。
そればかりでなく、妙に恐ろしくさえなりました。
どんなことが起こるかわかりません。
何か真っ黒な怪しいものがいつ襲ってくるかわかりません。
得体の知れない、いやらしい恐怖です。
私はウィスキーを飲んでやりました。
何の役にも立たないかもしれないが、熊を檻から出して土間に放ってやりました。
熊は土間をかき回って、また檻の中に入ってゆきます。
私はそれを蹴りつけてやりました。
それから布団を引きずり出し、着物のまま頭からかぶりました。
表に二、三人の足音がします。
足音は家の前で止まりました。
戸に寄りかかって、トントン叩きました。
もう寝たんですか?
酔っ払ってると見えて大きな声です。
もう寝たんですか?
トントンと叩きます。
ミエちゃん、ミエちゃん、ちょっと開けてくれ、僕だよ。
今度のはクラミツさんの声です。
大きくトン叩きます。
黙っているとまた叩きます。
30:01
姉さんがまだ寝ていなかったらしく二階から降りてきました。
姉さんは私に声をかけましたが返事をしないでいると、
自分で表へ行って戸を少し開きました。
三人ばかり、男の人が飲めるように入ってきました。
クラミツさんのポマードの髪がピカリと光りました。
私はもう起き上がっていました。
クラミツさんたちが何か言ってゴタゴタしている間に、
そっと室から出て、通りを突っかけ、裏木戸を開け、外に抜け出ました。
うちの中がこれ以上男臭くなってはもうとてもたまらず、
外の清い空気が吸いたかったのです。深い霧でした。
それでも霧の中がぼーっと明るいのは、月の光が射していたのでしょうか。
そのような霧を、私は夢で見たような気がします。
濃い深い霧で、少しも動かず、遠くまで、高くまで、じっと淀み、たたえているのです。
月はどこにあるのかわからず、ただぼーっと霧の中が明るいだけです。
小さな道を行き、少しく登ると、川の堤防の上に出ます。
川の水は、霧の下を、音もなく流れていますが、見通しは聞きません。
遠くで太鼓の音がしていました。
この夜更けに、お祭りの太鼓をまだ打っているのでしょうか。
そのかすかな音にぼんやり耳を貸していますと、
あの男臭い家も、空気も、だんだん遠くへ引いていくようで、気持ちも落ち着いてきました。
私は堤防を紙へ歩いて行きました。
私の跡が少しついている霧の、ひろびろとした堤防です。
木立もなく、草原だけで、春草はまだ臭を出していません。
何にもなく、人影もなく、ただ深い静かな霧が一面に欠けています。
その霧の中から気づかぬ間に、何かの形が浮き出していました。
それとは、はっきり気をつけて見た時には、もう人の姿となっていました。
堤防の上ではなく、川の上を、こちらへ徐々に近づいてきます。
見覚えというほどのものではなく、漢字に覚えがあるようです。
あっ、確かに覚えがあります。キリストの姿です。
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それも、偉い画家が描いたキリスト像ではなく、世間に留付している通俗なもの、
至る所で見られるような、何の特徴もない画像です。
それが、川の上を歩いてきます。
湖水の上を歩いて渡ったキリストも、この通りだったでしょう。
その最もありふれた普通の姿のキリストこそ、私にとっては最もすっきりしたもの、
最も男臭くないもの、最も清らかなものだったのです。
そのキリストなら、私も愛します。心から愛して、抱きしめてあげたくなります。
私は身内が熱くなり、嬉しいというよりも感激した気持ちでそこにひざまずき、
顔を伏せ、両手を胸に組み合わせました。長い間のようでした。
キリストは近づいて来ませず、絹ずれの音もせず、香ばしい息も感じられません。
私は顔を上げました。キリストの姿は消え、どこにも何も見えず、一面に茫々とした霧ばかりです。
私は泣いていました。泣いてはいましたが、期待を裏切られた気持ちはみじんもなく、
自分自身を清らかに清々しく感じました。私は立ち上がって歩き出しました。
まだ目には涙をためながら歩きました。ぼーっと明るい深い濃い霧の中をゆっくり歩いて行きました。
どこへ行くのかわかりません。ただ、もう引き返すことだけはできません。
男臭い、いやらしい、汚らしいところへは断じて帰りません。
堤防の上を上手い手へ上手い手へと川を遡って行きました。
よし、寝るぞ。せーの。
おやすみー。
36:12
エンディングのお時間です。
ながら劇ラジオキクワベ、本日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
今日はラジオ大人クイズとこれなんて曲をお休みいたしまして、
豚さん文庫をお送りいたしました。
今回の作品は女性目線の作品ということで、
Bさんも苦労したんじゃないかなと思いますが、いかがでしたでしょうか。
これからもラジオ図書館的に様々な作品をお届けしたいと思います。
次回もどうぞお楽しみに。
それでは皆様、今日も慌てず急がず、良い一日をお過ごしください。
毎日曲りくねった道。
でも少しずつ近づいている。
毎日が消えかかったサインのよう。
でも少しずつ近づいているの。
元気な私へ。
サンキュー。シェリル・クロー。
ながら劇ラジオキクワベ、お相手はアーベイのAでした。
次回土曜日にまたお会いいたしましょう。
それではごきげんよう。
ばいちゃ。