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基本的に新しい何かを始める時というのは、僕はまずその形式についてひたすら考えて書いたり喋ったりし続けるということを毎回最初の1週間ぐらいはし続けてしまいがちなんですが、
今回もなので、この声日記というものの形式、あるいは5分で終えるというルールの意味みたいなところについて引き続き考えていきたいと思っています。
基本的に文字であれ、声であれ、どういう形でそれを公開するのか、もしくは公開しないのか、どのような言葉遣いやどのようなフォントやどのような大きさ、質で言語というものを運用していくのかというところを決めていくというのは
かなりプラットフォームであったりとか、その形式、箱に強く規定されているというふうに思っています。
なので、基本的に何かその人独自のものがあるというよりも、まずはじめに入れる箱があって、その箱の形に順次で中身が決まっていくというような発想が自分の中ではおなじみが強いような気がしています。
基本的に前回は、人というのは自分が知らないけれども誰かが知っていることというものを知りたがって、何かおしゃべりであったり文章というものに触れてアクセスするのではないかというような話をしたんですけれども、
僕はもともとこの4,5年日記を一目に触れるところで書き続けていて、日記というものはそれこそ自分の生活についての記述なので、自分の生活ほど自分にとっては退屈なほど当然のもの、基地のものでありながら、他人からしてみれば全く神奇なものに見えるという題材もないわけで、
日記についてはなので、自分で自分の生活に驚いているような日記っていうのは大抵面白くないんですね。
基本的に誰かからしてみれば神奇なもの、ヘンテコなもの、とんでもないものについて、誰かにとってはそれが非常に日常的な妨な出来事であるかのように存在に書き飛ばされていくっていう、そこに日記の面白さっていうものは宿ると思っているので、
自分がこんなに破天荒な生活をしているんだとか、自分がこんなにヘンテコな体験をしているんだということを見せびらかすような、書き手のドヤ顔が見えるような日記っていうのは大抵面白くない。
これはエッセイであったり、基本的に身の回りのものを書いているという題材で書かれた文章を全体に見えることだと思うんですけれども、
基本的に本人にとっては大したことないと思われていることが、それを外部からの目からにさらしたときに、いかにヘンテコなものであり、面白気なものであり、信じがたいことであるのかっていう、
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この本人が認識しているその物事の大したことなさと、他人から見たときのその物事の未知である感じっていうところの、それぞれの生活圏の落差みたいなところから、日記というものが読み物になり得る予知というものは生まれているんだというふうに考えています。
なので、前回この5分の中で僕は自分にとっては当たり前のことしか喋れないであろう時間の中で、いかにして自分が面白がれるかっていうようなことを考えながら喋っていたんですが、おそらくこの5分だけ喋るっていうことが自分にとって楽しいものになること、自分にとって何か発見があるものになることっていうのは今のところあまり期待ができなくて、
その代わり自分がこうして喋っていることっていうものが、確かに旗から見たら少しおかしなことかもしれないというか、そもそも自分が一人でこうやってだらだら喋っているっていうこと自体がなかなかに異様な光景ではあるんですが、
その中で自分にとって当然であり他人にとっては当然でないものっていうものについての感覚、それの自他の間にあるギャップみたいなものに対する感覚っていうものはもしかしたらこの声日記の実践を通して研ぎ澄まされていくのではないかなというようなことを考えています。
今回も早速お時間が来てしまいましたのでここまでにします。