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こんにちは、いわみです。12月30日の土曜日、いかがお過ごしでしょうか。いよいよ年末で、ラジオの更新、今年は多分これが最後になるかなと思います。
僕は今日も仕事をしてました。まだしてるんですけど、一応今日を仕事納めにするつもりなんですけど、やっぱり個人で動いていると、
自分のパフォーマンスっていうのは収入に直結するわけで、その時に体調というかリズムみたいなのが崩れるのを自分がすごく怖がってるなってことに気づいたんですよね。
それはどういうことかというと、一回休んでしまうと、それを取り戻すのに結構時間がかかるっていうのを経験的に分かってきたので、
だから思いっきり休むってことが逆に悪空になるっていうね、そういう現象が起きてるんですよね。
運動とかスポーツとかが分かりやすいと思うんですけど、筋肉とかって一回休むと衰えるじゃないですか。
ジョギングとかでもしばらく走らないとすぐ筋肉痛になったりとか、すぐ疲れるようになったりっていうのは誰しも経験があるんじゃないかなと思うんですけど、
頭を使うこともね、脳みそも結構それに似たようなものがあって、というか全く同じじゃないかなと僕は思ってきたんですけど、
だから常に適度な負荷をかけてないとすぐに生まれてしまうってことですね。
でもやっぱり家族がいて、しかも今冬休みでいろいろ時間を持て余す環境の中で、それをキープするっていうのはやっぱりすごい難しいし、
でもやっぱりこれがね、フリーランスの結構な家族とのあるあるというか、結構奥深いテーマなんだなというふうに思うんですよね。
全く年末感のない話をしていますが、大晦日とお正月だけちょっと特別感を味わえたら、僕はそれで十分かなと思うんだけど、
なかなかね、やっぱり一人で生きているわけではないので、そうはいかないってところがありますが、はい、いろいろ考えてみたいと思います。
今日も話してみたいことを話してみます。
テーマはですね、自分の認知にバグを見つけたっていう話をしてみようかなと思います。
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認知っていうのはあれですね、認める、知るって書いて、自分の状態を自分で知るみたいなことですけど、
さっき冒頭で雑談代わりにした話と結構つながっているのかもしれませんけど、これはその、やっぱり同じように、
自分個人でパフォーマンスを上げるときにですね、これは知っておくべきことだなと思ったので、あまりまとまっていないんですが、思っていることを話したいと思います。
気づいたきっかけっていうのはあるんですけど、それをあまり具体的に言っても、あまりしゃべりたくないことだし、
しかもあまり具体的すぎてもこれは理解されないことだと思うので、ある程度抽象的に話してみたいと思うんですけど、
それで理解してもらえるのかよくわかりませんが、話してみると、例えば誰かに何かを指摘されたときに、
その指摘自体には確かにそうだなって思いつつも、その場かもしくは時間差を空けて、別の理由をつけてその人を非難したくなることってありませんかっていうか、
僕はあったんですよね。その瞬間をまざまざと自分でわかったときがあって、「おお!」って思ったんですよ。
ちょっと難しいんですけど、その言い方が。何かを指摘されて、僕は指摘されるのが得意な人はいないと思いますけど、
思い込んでいるところに、視覚の外から指摘されるとやっぱりちょっとひるんだりとか、
冷静で言おうと思うけど言えないことって多分あると思うんですよね、誰しも。
それでそのときに、そのポイントじゃないところで自分は感情を乱されているって思うことは結構あるなと思って、
それを感情の認知のバグって僕は思ったんですけど、そうやって読んだんですけど、
つまり本当に極客観的に見て、例えば動物が何か頭をつつかれていてなーって怒ったとしますよね。
それでその動物、外から見たら普通に頭をつつかれて怒ったみたいなことになると思うんですけど、
もしかするとその本人というか、ネズミだかサルだかわかりませんけど、
その動物からしたら別の理由で、別の認知をして怒るっていう行動、反応自体は変わらないんだけど、
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それが何によって引き起こされたかってことが、多分その怒っている本人はですね、
正確に理解できていないことがほとんどなんじゃないかなってことを思ったんですね。
またその人間のことに置き換えてみると、誰かに何かを指摘されて、
それが多分自分の間違いを指摘されたとしますよね。
それでその時に、頭の中では自分の仮説は間違ってたなと、
自分が考えていたことは違うから、それは方向修正をしなければって思うんだけど、
その瞬間はですね、それを全部受け止めきれずに反射的な何か行動を取ったりするんですけど、
その時に自分の頭の中で何が起きているかっていうのを後で冷静に考えてみると、
別の理由をこしらえて、そこに向かって怒っているみたいなことがあるなって思ったんですね。
これって、僕は自分の例でまざまざと認知したわけですけど、
結構世の中にある炎上もそうだし、
あとは何でしょうね、いろいろ人間関係のトラブルって、
だいたいこの構造というかこの原理で起きているんじゃないかなって思うんですよね。
そこまで言うとちょっと範囲を広げすぎですけど、
だいたい誰かに向かってネガティブな感情を抱いている時って、
あんまり合理性がない時ってのは多いと思うんですよね。
合理性がないっていうのは他の人からするとどうでもいいことだったりとか、
細かいことに見えることでも本人の中では大きいって。
本人の中でそれがそう思えていれば、それがある意味真実ではあるんですけど、
でもそれを一歩引いて客観的に見た時にバグが起こっているっていうのはね、
これは頭の片隅に置いておいた方がいいなって僕は思うんですよね。
これは別に誰しもがこうやって客観的に自分を動物として見た方がいいって言っているわけじゃなくて、
僕の場合ってことですね。
これは仕事とかでパフォーマンスを出したい人には
だいたい当てはまることなんじゃないかなと思いますけど、
だいたいパフォーマンスを出せない時って何かしらのブロックとか足枷みたいなのがかかっていて、
そういうのはだいたい自分の中にあることなんですね。
本当はその自分の中にある問題なのにそれを自分で認められずに責任を外にですね、
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点火するってことですよね。責任点火。問題を点火してそこにクレームをつけようとするっていう。
これ言ってて思ったんですけど、よくあれですよね、
本当にめんどくさいおじさんがよくやっているようなことかなって思ったりするんですけど、
だからお店とか図書館とかでもいいですけど、
たまにそんなことで怒るなよっていうことでひたすら熱々怒ってるおじさんって僕何回か見たことあるんですけど、
外から見てるとこの人は寂しいんだよなって思うんですけど、そういうことですよね。
問題はたぶんそこの従業員の態度とかサービスにあるんじゃなくて、
そのおじさんの生活環境というか人間関係に本当は問題があるのに、
おじさんはそれを認められないんですよね、自分では。
これは寂しくて怒ってるんだなってそう思えたらね、たぶんその問題は解決できるはずですから。
本人はそこに蓋をして、本当は客観的に見ればかなり明らかなのに、
本人はそれを全然見えずに自分のことはわかりませんから。
それでその矛先を作るために問題を作り出しているというか。
アドラーもそんなことを言ったような気がしますね。
あんまり僕知らないですけど、嫌われる勇気にそんなことが書いてあった気がしますが、そんなことを思いました。
まとめというか、別の言い方でまとめてみると、
人が頭の中で理解したことっていうのはほとんど意味がないというか、
解決にはならないんじゃないかなと思いました。
特に自分の感情の問題を理解しようとするときに、直接的な原因は自分ではわからない。
わかるときもあるけど、それをするには結構客観的に見たりとか、
自分に余裕があるときじゃないとできないと思うんですよね。
疲れてたりすると、それをもう一歩グッと入って自分を客観的に見るっていうのは結構な体力がいることですから、
いつでも誰でもできるってもんじゃないと。
だから本当に大前提として、頭で理解したことは大して宛にならないというか、
本当に根拠なんてないんだなって思っておいた方がいいなって僕は最近よく思ってます。
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そこの問題を解決したいんだったら、解決策は目の前じゃなくて斜め横にあるっていう風に僕は思ったんですね。
斜め上というか、もしくは反対裏側かもしれませんけど、
だから自分が直視している方向には解決策っていうのはだいぶ抽象的でわかりにくい話をしてしまったかもしれませんが、
12月の30日にこんな話をしてしまいましたが、今思っているので喋ってみました。
こんな感じで今日は終わりにします。
おそらく次は年明けに音声配信になると思いますので、
今年も何回も聞いてくださった方はありがとうございました。
大体皆さんも仕事納めをしてのんびり過ごされていると思うんですが、
こういう配信を聞くのは来年になるかもしれませんので、
その時は来年の挨拶はまた別にしたいと思いますが、
今年もお疲れ様でした。
来年も良いお年をお迎えください。
ありがとうございました。さようなら。