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メタ音声配信ラジオ、3月26日の木曜日、いかがお過ごしでしょうか。こんにちは、いわみです。
なんか知らないですけど、今日金曜日のつもりで言ったら、まだ木曜日なんですね。
あと1日頑張っていこうということで、よろしくお願いします。
今日はですね、ちょっと気づいたことがあったので、それについて喋ろうと思うんですが、
それが何かというと、共感についてなんですよね。
割と僕の中でですね、今、なんていうか、関心どころというかになってまして、
大きく言うと、40代のちょっとしたテーマだと思ってるんですよ、共感することっていうのは。
というのもですね、僕はおそらく男性と言ってしまいますけど、男性の中でも極めて共感性に乏しいと自分では思っているんですよね。
一般的に女性男性で言うと、女性は共感力が高くて、男性は共感力が低いって、
統計的に見たら別に間違いはないと思うんですけど、そういうのを飛ばして本題に行きますと、
最近ここでも何度か話題に出した、夫婦のポッドキャストというのを何回か撮ってみて、
まだ配信できてないんですけど、編集とかしてからちゃんとやろうと思っているので、
割と1回で50分くらいの収録になっているんですね。
編集するの大変だなって思ったりするんですけど、それは良いとして、
その一つのテーマとして、夫から妻へ共感について質問する、男性から女性に向けてということでもいいですけど、
質問コーナーみたいな、別にそういうテーマは取ってないですけど、
共感って何ですかっていうことを聞いてみたんですよ。どうやったらいいんですかっていうことですね。
別に恥を晒して、別に恥ではないか、とにかくそういうことを聞いてみたら、
うちの妻が面白いことを言ってくれまして、それがいろいろあったんですけど、
一つに相手と同じ方向を見ることっていうことを言っていて、
それがすごく面白いというか、分かりやすいと思ったんですよね。
僕は今まで共感っていうのは、相手になりかわってというか、相手に移りかわって、相手の立場に立ってっていうことで、
心の部分を共感しなきゃいけないもんだとずっと思ってたんですよね。
ただそんなことできないし、それをやったら結構しんどいよなって思ってたんですけど、
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妻が言うには、別に心じゃなくていいんだと。
身体の向きで、向きというか、ぐらいでいいみたいなんですね。
船に例えて言うと、同じ船に乗ってみるっていうことで、
そこに寄り添うことが共感なんじゃないかっていうことを言って、なるほどと思ったんですよね。
いいこと言いますよね。我が妻ながら。まあいいですけど。
だから今回僕が言いたいのはですね、共感の仕方がわからないとか、
そもそも共感ってどういうことなんだろうって思っている人って、割と言える気がするんですよね。
そもそもの問題として、男性は共感性に低いって言われるし、
それはある意味では信じてたと思うんですけど、そうは言ってもですね、
特にこれからの時代と僕は思うんですけど、
そういった共感性に乏しい人間っていうのは、割と生きていくのに苦労しそうだなと思って、
それは別に、結婚とか子育てとかに限らずですね、
普通に生きていくに対して相手に共感できないっていうのは結構なですね、
反利になるなってことを断ることに感じていて、
まあもう結構いい年ですけど僕も、今からでも遅くはないんじゃないかとですね、
思ったわけですよ。
正直なことを言うと、これを一つのコンテンツになるなっていうそういう下心もなくはないんですけど、
その前に自分のですね、問題を解決するっていうところで、
その共感っていうのはどういうことかっていうのを言語化するっていうのと、
それを何ていうか体系的というかマニュアルみたいなことができたらですね、
割と参考になる人っていうのは多いんじゃないかと思って、
その中でその同じ方向を向くっていうですね、
それは要するにその精神じゃなくて、心じゃなくて、
身体っていうことですね。フィジカルにただ同じ位置に置いてみるっていうのはですね、
これはかなり有効な手なんじゃないかって僕は思ったわけですね。
これを掘り下げて考えてみるとまたちょっと面白いことがわかったというか思ったんですけど、
それが何かというとですね、言語の力を過信しないっていうことですね。
これ面白いことによる音声配信ともちょっとつながってくるんですけど、
何かというとテキスト的なものっていうのは要するにその情報におけるですね、
あらゆる非言語情報の中でですね、テキスト的なものっていうのは、
テキストは言語情報ですけど、大して多くを占めてないんだっていうことですよね。
要するにそのテキストより音声の方が情報をたくさん詰め込めて、
動画の方はもっと詰め込めるっていうのはその非言語情報というものが含まれているからっていう、
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よく言いますけど、人とのコミュニケーションの中で言語情報は確か7%ぐらいしか含まれないっていう何かを見たことがあって、
つまりですね、その共感っていうのは相手の会話とかにおいて、
こちらが何を言うかっていうのはですね、別にそれほど重要な問題じゃないっていうか、
回答を求められていないというか何ていうかですね、7%ぐらいなものなわけですよ、何を言うかっていうのは。
それよりもっと重要なのは他の視線とかそういう表情とか、声の高さとか低さとか体温とかそういういろいろあると思うんですけど、
それによって別に自分じゃどうしようもできないじゃないですか。
僕にとってはどうしようもできないんですけど、それじゃなくて体の向きを相手と同じにしてみるとか、
あとその同じ視線を見てみるっていうですね、それぐらいのもんでいいんだっていうところですね。
しかもそれは割と言語よりも大きな効力を発揮するっていうですね。
考えると面白いというか新しい発見があったんですね。
まだ自分の中でうまく言語化できていないので言えることは限られますけど、
何ていうかですね、その同じ方向を見るだけでいいっていうのはですね、
他の共感だけじゃなくてコミュニケーション全般にですね、言えるっていうかヒントになると僕は思ったんですよね。
つまり何が言いたいのかというと、言葉で何を言うかっていうのはそれほど大事じゃなくて、
そこにいることだけでも言葉以上の価値を割と人は持っているんだっていうですね。
ところが別の視点から見ると、あなた自身の存在をもっと肯定するというか、
どうしても解決策を提示したかったりとか、役に立とうとするっていう面は僕に限らずあると思うんですけど、
それが求められていないときっていうのは結構あって、何ていうか普通に同じものを見てみるっていうですね。
ああ、なんとかだねって、花が咲いてるねとか、虫が歩いてるねって、虫は歩かないか、そういうことですね。
同じものを感じている人が隣にいるっていうことをわかるっていうことが割と大きな効力があるんじゃないかっていうことを思ったんですよね。
これはそもそもの出発点としては僕は夫婦関係とか子育てについて、
またコンテンツになりそうだと思って妻に質問してみたわけですけど、思いも言われないですね。
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発見があったなっていうことで。
最近なんかこうやって割とダラダラ喋って、ノー編集であげて終わりみたいな感じになりつつありますけど、
一人が当たりのポッドキャストっていうか音声配信はこんなものでもいいのかなっていうですね。
それもさっきの話につながってくるんですけど、
こういうのを聞いてくださる方が求めているっていうのは別にその言語情報だけじゃなくて、
何かその全体的な相対的な感覚みたいので続けて聞いてくださる方もいるっていうことですから、
それにはですね、どもりとかつまりとか、何言ってるかわかんないみたいなことも含めての
一つの音声配信なんじゃないかと思ったりしてるっていうことですね。
はい、そんな感じで今日も終わりにしたいと思います。
お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。また明日。