イントロ
はい、えっと、今回はですね、イナズマキャストが3月末に収録して以来の収録ということで、だいたい2ヶ月空いちゃいましたけど、
今日ゲストにお越しいただいてます。えっと、今日は朝の矢に来て収録してるということで。はい。
はい、えっと、お名前お願いします。ところとの清水です。よろしくお願いします。
ところとの清水ですということで、お馴染みの方です。お馴染み、はい。一応意識してますけど。
いや、あの、ところとの清水ですは、最初は何とも思わなかったんですけど、フレーズね。
はいはいはい。ところとの清水です。でも、インスタのとかフェイスブックの投稿の冒頭に必ず出るんで。
そうですね。それがもう毎回出てくると、もう、あ、出てきたっていう。
あ、そうですか。
感じで、見させてもらってて。
あ、そうなんですね。ありがとうございます。一応ちょっと意識しているというか、結局ね、あの、僕、どっか名刺渡すにしても誰かと初顔合わせの時に、
ところとの清水ですって言うから、同じことかなと思って。やったらそれを文字にしておいて、同じ挨拶文という感じで考えたんですよね。
いや、僕もその、ところとの清水ですっていうのを真似して、僕もその稲妻の井上ですっていうのをちょっと。
やってます。
やろうとしてて。
結構、ところとっていう言葉の響きも、僕好きだったから、そういうのもあって、あえて使ってやったりしてますね。
ああ、そういうことね。
うん。スルッと口から出そうだしとかね。
まあ、多分真似する人もいるだろうなと思いつつも、音の流れとしてはところとの方がいいかなっていう、ちょっとそういう自負はあるけどね。
ああ、なるほど、なるほど。そうですね。
まあ、そんな清水さんに今日、2ヶ月前ぐらいにお話っていうかお願いさせてもらって。
そうですね。
いろいろあって2ヶ月経っちゃいましたけどっていう形なんですけど。
そうですね。
で、清水さんとちょっとまあ、ところとの話も後ほどしようかとは思ってるんですけど。
鉄道トーク
あの、まあ、多分僕がこの番組というか稲妻キャストで言ったことないんですけど、鉄道が好きだったんですね、小学校の時にね。
そうですね。
で、清水さんも清水さんで鉄道が好きだったっていうのがあって、ちょっとなんかその辺のマニアックな話も含めて。
マニアックな話?
話したらいいんかなと思って、ちょっとアイスブレイクとしてね。
はいはいはい。そんなに僕はどっぷりマニアックな話は、要は鉄道のこと細かく知ってるわけじゃなくて、どちらかというと乗るのが好きで。
で、だから乗った電車のことはいいんだけど、形式は何だとかそこまでちょっと実はわからないんですよね。
そうなんですね。僕はその、おじいちゃんがSLに乗運転士、機関士だったので、そこから影響を受けて鉄道に興味を持ったんですよ。
で、例えばそのSLでも、今山口で走ってるC571って機関車あると思うんですけど、例えばCの意味、なぜCなのか。
そういうのは知ってますよ。
知ってますよね。
それはもう常識というか。
知ってますよね。
そうね。
で、そのCだったら動輪が3つあるからCですよね。
ABCのC、はい。
で、D51だったらDだったら4つってことですよね。
これ結構マニアックだと思うんですよ。
そうなのね。
意外と。
そうかそうか。
みんな知らないですよ、そんなCがとかDがとか。
まあそうなんですかね。
いや、知らないですよ。
それを言うと例えば、みんな見たことは見てないと思うんですけど、電車の横にクハとか。
あります。
クとかハも意味があって、クは運転席付きとかね。
ハは客車とか。
あとネ、オのネとかネは寝台車とかね。
そういうのがありますね。
そういうのは何だろう。
まあ僕らは普通に理解はしてたね、といえば。
そうですよね。
そうか、一般の人は当然知らないよね。
知らないし。
何かね、C571ってあるけど、まあそれは一番最初に作られたから1であって。
それは1、そうですね、そこは数字通りでした。
広島鉄道トーク
あとまあ電気機関車もEFとか。
ありますね。
Eはまあ電気なんですけど、その次のFは同じように動輪の数なんですよね。
そうそうそう。
だからそれで見るとEDとかいろいろあるから、それで同輪の数がわかるっていう。
だからそのままSLから来てるんですよね。
まあ、同輪が何個だからどうってことないんだけど。
まあそこはもうそう、我々の世界では。
ありますよね。
で、なんか清水さんだったら金鉄が一番近かったじゃないですか。
そうですよね。
金鉄はやっぱあれですか、当時のもう電車の、どんな電車がしてたかとか何か記憶に割と残ってるのってあるんですか?
えっと、あのね、銅明寺線で言うと、あそこは一番古い車両が残ってて、
昔は床が木で、窓も木で、で一番上の窓をグイッと開けて、
で、外を見てたんです。首を出して外を見てて、でパッと中に首を下ろした途端ガサンと降りてきたっていう、なんかそういうボロさがあった。
今はね、そんなない、ありえない、ゆっくり降りたりするし、
ちゃんとどうなってるのかな、詳しくはわかんないけど、昔は本当に木の窓だったから、
突然落ちてきたりとかするっていう、そういう怖さがありましたよね。
で今はその、赤字に、赤字でクリームのラインが入ってるんですけど、昔は全部赤一色だったし、
まあそういうところから始まってますね、僕の場合はね。
なるほどね、そうですね。ただあれですよね、僕の場合だとその広島にいたんで、JR国鉄なので、
あの、まあ思い出深いのは、東京から九州に向かって、九州から東京に向かって寝台列車が走ってましたね、ブルートレインっていうのが。
で、広島近辺だと、まあ止まらないんですよね、通過しちゃうんで。
そうですね。
で、止まるとしても、まあ日出ぐらいしか止まってくれないんですよ。
中学時代の撮影活動
で、あとは夜中のなんか2時、3時ぐらいに通過しちゃうので、それがね、なんか中学生ぐらいの時に、
友達と5、6人で、あの真夜中ですよ、2時とか3時まで、みんなで行って、線路の近く行って、ブラシバンパンたいて撮ってたんですけど。
今は怒られるパターン。
今はきっと怒られるでしょう。
そうでしょうね。
ですけど、で、その、例えばなんか早草とか、桜とか、水穂とか、朝風とか、いうのが、まあ東京から来てたりとかして、
で、あと大阪からも走ってたんですよ、銀河とかね。
銀河は東京、大阪。
東京かな、東京、大阪かな。で、銀河、朝、なんか。
あかつきとか。
あかつき。
那覇とか。
那覇、そうそうそうそう。
明城とかね。
そうそうそう。
水星。
そう、水星とかね。
いっぱい出てきますよ。
そういうのとか、やっぱまあ、結構キャッチーな、僕ら、僕にとってはすごくなんか印象的な電車として撮られてて、
あとはその、お座敷列車的なもの。
大阪にまだあるかもしれないですけど、なにわっていうのがあったり。
その他なにわまだありますね。それも乗ったことあります。
ありますよね。
うん。
とか、そういうのを、その雑誌とかで、何時に、何日の何時に通るからというのが載ってて。
はいはい、載ってましたね。
鉄道代情報とかっていうやつに。で、それ調べて、マークしといて。
大人になっての再燃
はいはいはい、そういうの僕もやってましたよ。
よく言ったりとか。
なるほどね。だから多分、大阪、大阪駅行って、よく写真撮りに行ったんですよね。
大阪発の特急列車もいっぱいあるし、夜になればさっき言った寝台列車もいっぱいあるから、
昔はなんかもう、いろんな種類の電車が見れて、めちゃめちゃ楽しくて、
一日、大阪駅の中を走り回るっていうことはできたんだけど、今はそういうの全然なくて、ちょっと寂しいです。
そうですね。
あれはあれで楽しかったですよ。
だから、僕もその最寄り駅が広島の福山駅だったんですけど、福山駅の駅員さんと仲良くなって。
あ、そうなんですか。
で、例えば新幹線のドクターイエローとかあるじゃないですか。あれも、僕が見てた当時はゼロ系って丸めのやつなんですけど、
あれが通る時間とかを教えてもらって。
それはなかった。
すごい仲良くなって。
それは羨ましい。
何時の何日に通るから来たらいいよって教えてもらって。
羨ましいですね。
20件買って、生えて取ったりとかね、してましたね。
なるほどね。
写真撮ったりしてたのは、やっぱり中学生ぐらいの時だったんですけど、本当はだから乗りたいんですよ、僕としてはね。
でも、そんな中学校の時なんてお金ないし、そんな寝台特急なんてそんな簡単に乗れないかったから、
本当に写真撮ったりとか鉄道模型買って遊んで、夢を見てたというか憧れをずっと持っててっていう感じでしたよね、当時はね。
でも高校入ってからそんなちょっと熱が冷めて、しばらく冷めたままだったっていうか、
なんていうかね、あと若干恥ずかしい時期だったんですよね、鉄道ファンって言えない、なんかほらオタク的な、とかキモいっていうそういうカテゴリーだったんですけど。
確かにそうでした。
そうなんですよ。で、最近になって田森さんが電車付きっていうのを公言し始めて、メディアでも取り上げられるようになってきたから、今は堂々と言ってるけども、
なんかそういうのもあって、なかなか踏み込んでなかったんですよね、なんでか知んないけど。で、大人になってまたちょっと復活して、本当になんだろう、電車乗りまくってる感じ。
お金も余裕が出たというとは言えないけど、大人としてのお金が使えるようになったから、乗れるときは乗ると。
特急列車の取り合い
で、その時も、同じ乗るならこういう車両がいいとかっていうのがあるんですよ、この何時の何号乗ると新型になってるからいいとか、あとはロマンスカーとか、小田急にロマンスカーっていうのがあるんですけど、それ展望席がついてるんですよね。
一番前に絶対座ると思って、ちょうど1ヶ月前の、当時は2ヶ月前の10時から発売するんで、パソコンの前に待って、10時になったら即予約すると。
そういうのをやったりとか、あとJR、今唯一残ってる寝台があって、それを取るために品川駅に行って、それも1ヶ月前の10時から発売になるんで、みぞりの窓口行って、十字打ちっていうのをやってもらうんですよ。
十字打ちってなんだ?
それは我々の業界でお馴染みなんだけど、要はみぞりの窓口で駅員さんにチケットを手配してもらうときに、同じですよ、パソコンでやるのと同じで、10時ぴったりになって時計見て、みぞりの窓口に10時になるとピッピッピッって鳴ってくれるんですよ。
それを聞きながら駅員さんが10時にパカッと打ってくれる。それで取れる取れないっていうのがあって、それを十字打ちって言うんですよ。
だから10時ちょっと前に行って、切符のところで、10時打ちお願いしますって言ったら、ちょっとじゃあ横で待っててくださいって言って。
それ通じるんですね。
通じる通じる。
そう、10時ちょっと前に、じゃあそろそろって並んで、普通に買いに来てる人は待たされるわけ。10時打ちこれからしないといけないから。
なるほど。
だからそういう、そこまでしてくださってるんで、なんとか取ったりとかして、頑張ってますよ。そこまでして乗ったりとかして。
してたんですね。
うん。なんか全然平気。
え、今って東京からって銀河でしたっけ?違うでしたっけ?銀河もなくなったんでしたっけ?
そう、サンライズ・イズモ。
あ、サンライズか。
だからイズモに行くやつと四国の高松に行くやつ。それもなかなか取れないですよ。
で、人気なんですか?
え?
人気?
寝台や観光列車について
人気、もうそれしかないから寝台が。で、人気もあるから、だからそれはもう十字打ちしないと取れないし。
まあただ、前日ぐらいにキャンセルが出たりとかしてたまに空いてたりするんで、それはラッキーで乗れたりしますけど。
なるほど。
だいたい十字打ち。
十字打ち。
それ常識。乗りたい電車があれば言っていただければ。
それはいいですね。
じゃあ寝台とか乗りたい電車があれば清水さんにアクセスすれば何かノウハウ的なものが教えてもらえるかもしれない。
そう、ノウハウは教えますよ。
そうですね。
そうなんですね。
今あと観光列車とかっていうのが充実してて、電車の中で食事ができるタイプのとか、あれも乗ったりしますけどね。
結構その食事も、なんだろう、ちゃんとした食事が出るのもあるんですよ。
で、地元の有名なレストランが監修して作ってるのがあったりとかして、もう味もかなどに。
じゃああれシェフが乗ってとかなんですか?
乗ってやってるのもあるし、積み込むパターンもありますけど、乗ってやってるのだと本当に目の前で料理、目の前というかその調理をする車両がちゃんとあって、昔の食堂車みたいなものですね。
それで楽しめるという、そういうのも好きですよね。
懐かしいですね。
そうですね。
新幹線もね、食堂車とかありましたからね。
そうそうそうそう。
カレーとか食べれましたからね。
そうそう、ビュッフェもあったし。
ありましたよね。
今ないもん。
新幹線も2階建てとかありましたよね。
ありましたありました。
ありましたよね。
そうなんですよね。
そういうのがなんか、もうバッサリなくなっていったんで。
だから逆にそういう観光列車っていうのがまた重宝されてるんでしょうね。
あと鉄道模型もやってたんですよね。
そうですね。
Nゲージ的な。
やってましたよね。
やってました。
あれはまあ広い場所通るから、なかなかそう簡単にできないというか、
やる前にまず線路を引いて、で遊んで片付けるという、結構めんどくさかったから、
しょっちゅうやるわけにはいかずって感じでしたけど、そういうのはやってましたよね。
鉄道模型について
あれ意外と高いですよね、機関車とかでも。
そうですね。
機関車1車両が5000円くらいしますよね。
そうですね、モーターついてるとそうしますね。
それがね、今はちょっと高いですけど、1万円しないですけど、値段あんまり変わってないんですよね。
僕らが小さい、中学校の時からその値段で、やっぱり中学校の時はさっきも言ったけどそんなにお金ないから買えなかったんだけど、
今はまあついつい買っちゃうっていう、やばい状況なんですけど。
大人買いってやつですね。
大人買いなのかようやく追いついたのかはよくわかんないですけど。
そうですね。
しかも最近のはものすごい成功にできてる。
ディティールがね。
やっぱ昔とは違う。
全然違う。
もう技術がかなり格段に上がってて扱いが大変なぐらい細かく。
じゃあちょっと丁寧に触らないと壊れちゃう感じ。
子供とかだとすぐ壊しちゃう。
そういう感じなんですか。
そうなんですよ。
写真について
じゃあその辺の技術も進歩してるし。
そうそう、それもわかる。面白いですよ、やっぱり。
あとはそうですね、僕の印象だと、
さっきの駅員さんと仲良くなったっていうのもあるんですけど、
僕のおじいちゃんが岡山機関区っていうところに勤めてたんですね。
で、岡山機関区の中に入れてもらったりとかね。
それめっちゃ羨ましい。
それめっちゃ羨ましいですね。
小学校高学年の頃におじいちゃんと一緒にまた友達五六人引き連れて、
岡山まで電車で行って。
で、絶対岡山機関区って入れないんですよ、一般人は。
入れないんだけど、中入れてもらって機関車、
例えばEF66とかEF65とか置いてある目の前で写真を撮ったりとか。
それいいですね。
そういうのをね、させてもらって。
それは羨ましい。
でも一回あったからなかなかないですよね。
昭和だったんで、そういうのが許されてたと思うんですよ。
ゆるい部分はありましたね。
結構普通に入らせてもらえたんですよね、頼めば。
たぶん今だったら無理だと思うんですけど。
さすがに何か理由を言われて、ちょっと無理ですみたいに言われそうだけど。
そうだね、一般は無理だし、親族でも無理なんでしょうね、今はね。
たぶん無理だと思うんですよね。
そのゆるいとこがあったから良かったなっていう。
まあ写真撮るときもね、線路の中に平気で入ったりもしてたし。
そうだね。
っていうのはね、鉄道…そうですね。
僕は乗るがメインじゃなかったですけど、鉄道の写真撮る側がメインだったんで。
当時フィルムカメラで撮った瞬間見えないし、現像しないと絵が見えないんですけど。
その楽しさっていうのはありましたね、すぐ仕上がりがわかんないっていう。
そうですね、当時は意識はしてなかった、それが当たり前でしたからね。
今はだからそういう意味では、すげえ羨ましいですよ。
いくら枚数撮ってもいいし、当時はもう貴重とかそんなバシャバシャ撮るわけにいかんし。
そうですよね、36枚撮り入れて。
そうそう、36とか、それで無くなったら。
終わりですもんね。
また買わなきゃいけないし。
で、プリントするはプリントしたでお金かかるし、すごい貴重でしたけどね。
今は無料みたいなもんじゃないですか。
そうですよね。
1枚、2枚、100枚撮っても。
写真撮影時代の変化
そう、別にプリントする必要もないし、画像で見て楽しんでるし、全然感覚違うんだろうなと思いながら。
ほら、今の撮り方と昔の撮り方もまた違うんだなと思って。
例えばオートフォーカスとかもなかったんで。
マニュアルでピントを合わせてね。
ピントを列車の移動に合わせて指導で動かしながら撮らなきゃいけないとか流し撮りとかしてたじゃないですか。
でも当時はそれが当たり前だったし、カメラ雑誌とかにも流し撮りの撮り方とかピントの合わせ方とかあったじゃないですか。
あと車両の頭を左端右端に合わせるためにちょっと早めにシャッター切るとかやっててませんでした?
いや、俺そこまではやってなかった。
取り手つやの方は撮る方にそんなに力入れてなかったもん。
僕の場合は例えばフレームの半分くらい来た時に頭がシャッター切るとちょっとタイムラグがあって、
で、右端でちゃんと撮れる場合もあるけどちょっと出ちゃう場合もある。
なるほどね。ああそうか。
とかそういうのありましたね。だからもちろん連写っていう機能もありましたけど、
フィルムが瞬間的に10枚くらいいっちゃうので。
そこもまたもったいないからなかなか踏み込めない。
そういうのあったりして面白かったなと思うんですけどね。
やっぱりどちらかっていうと本当にそこはこだわってなかったな。
旅行計画と鉄道旅行
ただただ見て、写真は撮りますけど、乗りたい憧れが強かったな。
今も旅行行く時も全部時刻を調べて、
例えば四国なら四国一周回るんですけど、
でもこの時間にこれが出るからそれに曜日合わせたりとか、
ヨーロッパ行った時もスイス、ヨーロッパも回ったのかな、その後。
パリに行ったりとかした時もこの電車に乗るとか全部先に予約して時間も合わせて、
そのために行ったようなものになっちゃうんですけど。
だからそういうの全然得意というか、もしかしてすごい得意かもしれない。
そういうことなんですね。
なかなか。
あとでもね、海外とか行くと列車が突然キャンセルとかなったりしてるんですか?
さすがにそれはなかったな。
出くわしたことないですか?
うん、ただめっちゃ遅れたことがあって。
それこそさっき言った次の列車ももう決めてるから、
あの時は寝台のチューリーからオランダのアムスまで行きの寝台に乗った時も、
途中すごい遅れちゃって、
でもそのアムスからパリまでのタリスっていう新幹線に乗りたいから、
もう当然予約してるわけですよ。
それ乗れないかもしれないと思って。
地図を見て、ここからショートカットできるぞって発見して途中で降りたりとかして。
でもそれはもう本当何とか間に合いましたけど、
そういう時間の遅れっていうのはありましたね。
トコロトの立ち上げ
キャンセルがなかったから良かったけど。
いや結構なんか、
イギリスに僕がいた時に、
同じように清水さんと同じようにネットで時刻調べて行ったんですよ。
そしたら、ここで乗り換えて、何回か乗り換えて着けるっていう時刻まで見て、
朝タクシーでその駅まで行ってとかっていうとこ調べたんですけど、
行ったらもうキャンセルって書いてあって、
で、インフォメーション行って何でキャンセルなのって聞いたら、
リザーブ席ありますよね、予約席がね。
いや予約席がもう空やから動かさないよって。
うん、ありますね、そういうのね。
あったりして、日本じゃ考えられないですか。
考えられないですね。
え、え?とか思って。
そうですね。
で、あ、もうだったらちょっとここまで行きたいから、
どの列車だったら行く教えてって言って、書いてもらったんですよね。
で、行ったりとかしたんですけど。
あーなるほどね。
なんかそういう国、お国柄によって違いますよね。
スイスはすごく鉄道王国だから、あまりそういうキャンセルとかないはずですよ。
時間も正確だし。
うん、だからまあいい、まあでも分かんないですけどね。
スイスとか車窓とかすごい綺麗ですよ。
あそこはすごい良かったです、やっぱり。
普通に走ってても、あのハイジの世界。
あーハイジの世界か。
うん、あれは本当に、だからスイスは3回ぐらい行きましたよね。
えー3回も行ってるんですよね。
そうヨーロッパ、まあ学生の頃も含めてですけどね。
あそこはヨーロッパでやっぱり一番好きかも。
車窓も含めて。
っていう感じでですね。
もう30分弱。
あーマジですか。
待ってしまいました、鉄道話。
あーやばい、大丈夫かな。
大丈夫です。
鉄道、でもまあ鉄道話も多分あまり出てこない話題なので。
あーそうですか。
いいかなと思ってまして。
あー良かったですね。
で、そこからちょっと今日は浅野屋に行こうさしてもらってて。
で、普段清水さんは建築のお仕事されてるのかなとメインは。
そうですね、設計やってますね。
うん、設計やられてて、東京の方におられるっていうことなんですけど。
まあそれとは別でトコロトの清水ですのトコロトを立ち上げられてっていうのがあると思ってるんですけど。
その正直ちょっと僕も詳しくよくわかってないところがあって、トコロトっていうものについて、音について。
で、そもそもそのトコロトっていうのがどういった背景で立ち上がったのかとか、どういう気持ちで立ち上げたのかとか、その辺なんか語れることありますか?
2つパターンがあって、状況がそうなったのと、僕は建築を設計する中でこういうデザインがしたいっていうのがあって、それをミックスしてトコロトができてきたんですけど。
浅野家を活用したまちづくり
状況としては、母が4年前に亡くなったもんですから、でこの家が朝野家が父親1人だけになったので、管理するのが大変だろうということがあったので、まず父親は隣のアパートに引っ越してもらって。
で、この朝野家の家を継いだのは、相続したのは長男の朝野篤っていうんですけど、長男が継いだんですけど、長男がこんな古い家を継いで管理できない、壊して駐車場にするとかって言い出したから。
で、その時に僕は設計の建築家という立場からすると、もったいないと。で、同時に僕はその頃、設計をしている立場でありながら、新しい建物を作ることになんか若干違和感を感じ始めてて、それデザイン的なことなんですけど、
僕らはゼロから作り始めるんだけど、結局いろんな法律があったりとか、いろんな規制があったりとかして、ある程度自由にできなくて、当然その中で作るのは建築家の仕事なんだけども、
ただそれでも、例えば窓にしても決まったサッシをつかないといけないとか、サッシの大きさもこれが限界とかいろいろあるんですよね。ずっと消化不良になってきて、新しく作ることになんかすごい若干を感じてた時に、この古いものって、昔はそんな規制もなかったし、ある程度自由度があったし、
ある程度その人の生活に合わせた作り方をしてるんで、そっちを大事にしたい、そっちになんか新たなデザインできないかなっていうふうに考えたのもあったんで、この朝苗を残して、この朝苗を人に使ってもらう、そこをデザインしたいなと。
で、その人に使ってもらうたびに手を加える。それに合わせて。それがなんか心地いいデザインかなと思い始めて、それをちょっと突き詰めたいなっていうのがあって。
で、その時にこちらの藤平近辺のなんか、小民家を扱ってるとこなんかないのかなって調べてるうちに、マナーリンク協議会っていうそこにたどり着いて、西村さんという人に出会って。
街づくりをやってるんで、街づくりって今の既存の街を活性化させる、簡単に言うとそういうことなんですけど、じゃあそれは一番もしかして俺が思ってたとこの一かなと思って。
で、ちょっとでも本格的にやりたいから、西村さんとか兄もそうだし、松川さんに声かけたのは西村さんなんだけども、声をかけて会社を作って本格的に街づくりに取り掛かりませんかっていうちょっとそういう話をさせてもらったのが初めですね。
じゃああれですね、この浅野家のなんていうのかな、ここ200何年以上ある?
160年ですね。
160年、地区160年の歴史があるものがどうしようかってなったのもあれば、清水さんの興味がちょっと変わってきたっていうのも当然あるわけですね。
だから、みんな街づくりをしようっていうスタンスで、やっぱり活性化しようっていうのが多分第一義にあると思うんですけど、僕はちょっと裏テーマとして、人が使う空間のデザインをちょっと意識して取り組んではいるんですよね。
それは別にかっこよくするとかそうじゃなくて、ここで何か使われることも含めて全部デザインだと思ってるから、それによって生まれてくる何かもデザインだし、そこもだからここの浅野家でイベントやるときも、まず浅野家を感じてくださいと。
で、そこでこういう展示をしたいとか、ここでこういうことをしたいとか思ってくれた人は大歓迎。全然どこでもいいんだけど、どっかないっていう人は別に断ることはないんですけど、なるべくならここをまず気に入っていただいて、ここで表現したいっていう人に使ってもらうのがいいなっていうのがありますね。
さっきデザインの話ありましたけど、僕もそうなんですけど、デザインっていうといわゆる見た目の装飾的なデザインもデザインだと思うんですけど、その仕組み作りとか企画とか、あと人をどうやって呼び込むかとかっていうのもデザインの一つじゃないですか。
トコロトの誕生
そういう意味で、最近すごいデザインの意味が広がってるなと思ってて。
おっしゃる通りだと思います。
その辺で、建築もデザインだと思うんですけど、その辺でやっぱりいろんな意味でのデザインっていうので、しめさんだけじゃなくて松川さん、てっちゃんみたいな人もデザインの一つの役割になって入るとかっていうことで、たぶんチーム組んでるのかなと思ったりしてるんですけど。
だからそのトコロトっていう名前も付け方も僕考えてたんですけど、トコロっていうのはこれから今から行くところだよねとかって、今落ちたところやねんっていう人の行動を示すところ。
で、あと場所のところ。だから人と場所を結びつけたいんで、トコロトっていう名前にしたんですね。
そういうことなんですね。
僕がね、一番最初にトコロトのバナーを見たのが、たぶんFacebookかなんかなんだよね。
Facebookに出てきて、トコロトのホームページが立ち上がりましたみたいな。
トコロトってって。
どういう印象でした? 俺それ聞いたことないな。
トコロトって思って、どういう意味なんっていう感じですよ。
で、最初にそのトコロトっていうのはもう今はね、馴染んじゃいましたけど、馴染んでない状態で入ってきた時に思ったのは、疑問符っていうのかな?
ハテナっていうのがまず来たんですね。
だからそれは一つ僕にとっては成功だと思ってて、
ハテナがあって、なんなんこれっていうトリガーになる意味では、
トコロトっていう名前は、僕にとってはですけど、良かったのかなと思ってて。
で、何も引っかからないような言葉だったら、たぶんスルーしてたかもしれなくて。
流れちゃうってことか。
僕はそこまで考えてなかったですけど、トコロトになるいろんな候補があったんですけど、
最後にトコロトいいやんって、高山さんですね、今朝に僕が練習やっていただいてる高山さんが最後に言ってくれたんで、
彼はどういうつもりでいいやんって言ってくれたのかちょっとそこはわからないですけど、
もしかしてそういう疑問を感じると思ったのかもしれないし。
トコロトのスタート
そうですね。なるほど。
そのトコロトが始まったのがもう2年?
そうですね、2年ぐらいですね。
2年前の11月だから、2年半ぐらい経ってるかな今。
そうですね。
始める前と始めて2年経って変化とか感じることあります?
もともとはトコロト具体的に何をするかって言ったらウェブサイトを立ち上げて、
そこにみんなが活動している内容を記事にして、それで収益を得ようと思ってたんですけど、
やっぱりそういう辺だけじゃイベントやるときにウェブサイトに載せるメリットがあるか、
つまりトコロトのウェブサイト、サイトパワーがあるかっていうところになってきて、
なかなかそこは今伸びないような現実なんですよね。
そこはやっぱり難しいなっていうのがあるし、
だからもっともっとトコロトのウェブサイトのパワーをつけなきゃいけないなっていう意味で、
トコロト自身もプロジェクトを仕掛けたりとかしたりするし、
あとはまたトコロトがみんなのキャッチになるようなイベントをちょっと作りたいなと。
そのイベント名が膨らんでいけば、それを扱ってるトコロトのサイトパワーも上がってくるかなっていう。
要はたくさん記事を載せるっていうことに集約するんじゃなくて、
こちらからの動きもちゃんとやっていかないと成長しないなっていうのが最近思ってますね。
あとはさっきお話しあったように、
例えば朝の屋っていう場所でやりたいことがあったら、
例えば清水さんにお声掛けして、こういうのやりたいんですかみたいな話を持っていくのも全然いいんですよね。
もちろん私でもいいし、ここに直接来ていただいて。
来てもらってでもいいし。
全然構わないですね。朝の屋はトコロトが建物を管理してて、
今運営してくれてるのが朝の屋ブックスっていう。
だから基本的には朝の屋ブックスが窓口になってるんで、
そこに言ってもらうのが一番いいかもしれないし、朝の屋ブックスの高山さんも橋本君も、
ここで何をするかっていうのがよくわかってくれてるんで、その辺はちょっと任せてますけどね。
なるほど。
まあ、ここに何かその町づくりっていうところについて、
その町づくりは健康な体を取り戻して健やかに楽しく暮らすための意味ある行動っていうのが清水さん書いていただいてるんですけど、
これは何かの何て言うんですか、メタファーというか。
それはね、さっきの話に戻るんだけど、昔ほら町づくりとかっていう時に、町づくりっていうのは町を活性化するっていう時に、
有名な建築家がこういう建物を建てました、巨大なショッピングセンターができましたとかって、
そういう人を寄せつけるための何かを作ろうという発想だったんですよ。
で、それが人が来て町が潤うと思ってたんですよね。
実はそんなことなく、潤ってるのはそこだけだし、有名になってるのはそこだけで、別にその町は別にみんな騙されてたって、
騙されてたって言い方悪いけど、ちょっとそこも違和感をずっと感じてて、
だからそれって、要は町に効きのいい缶フル剤とか注射を打つようなもんで、
一瞬治って元気になったけど、でも一つ一つは全然、一つの細胞は何にも元気になってないんですよね。
そんなことしてるから、お金税金だけ使って、そこの地方の外から来る人たちだけが楽しんでとか、
そんなになっちゃってるから、それだったら町に住む一人一人の方が元気になるように。
町に住む人たちって、全然知らなかったんだけど、いろんなポテンシャルを持ってらっしゃる方がいるから、
そういう人たちが活躍できるようなことにすれば、町も自然に活性化するし、
かつ町の中で自分たちの表現もできるし、そういう意味で、それが一番健全かなと思ったんですね。
やっぱり、町づくりの目的っていうのが、この町に住むことが嬉しいとか、心地いいとか、安らぐとかね、
そういうのがあると、やっぱ長く暮らしたいって気持ちになりますよね。
富士山はね、別に大した特産もないし、風光明媚なところもないから、本当に普通の町なんで、
富士山での表現と地元の発掘
でもやっぱりさっき言った人、面白い人がやっぱりいるし、面白い人がちゃんと表現できてないという現実もあるから、
それをもうこの富士山の場所でね、できれば一番いいんじゃないかと思ったんですよね。
そう、なんか、僕が今撮ってる稲妻キャストとところと、もうなんかこう、重なる部分あるなと思ってて、
僕はまあラジオっていうか音声で届けてますけど、ところとは例えばイベントを起こすとか、あとデザインするとかっていう形は違うけど、
目指そうとしてるとこは、なんかは結構似てんのかと思ってるとこもあって。
そうですね。言い換えれば地味だけども、必ず効果があると思ってやってます。
そうですね。だから、僕もその恥の里に来てみたら、まあまあ話してみると面白い人いるし、ユニークな人いるから話し聞いて、
やっぱ、僕に留めとくんじゃなくて、外に出してあげたら、やっぱ、こんな人いるんだっていうことになるじゃないですか。
そうしたら、恥の里なら恥の里に住んでる人も気づかない人もいるし、意外と地元にずっといると地元のこと見なくなるじゃないですか。
まさにそうね。僕もそうだった。
僕もそうなんですよ。広島の福山市ってところに実家ありますけど、そんな掘り起こそうとは思わないですね。正直。
そうですかね。福山は有名だからいい気がするけど。
ただ、なんですけど、やっぱ、そういう掘り起こしとかっていう仕掛けみたいなのがあると、動きがしやすいというか、何もないところから企画立ち上げるのも難しいじゃないですか。
でも、そういうベースがあるといいと思うんですね。
そうですね。確かにそれは思いますよ。しかも、馴染みやすいんですよね。そのベースがあるから。別に無理もしてないし、カッコつけてもないし、でも馴染んでるから、それってすごい健全だなと僕は思いますよね。
建物のアピール方法に対する考察
最近、そういう考えもあって、僕は東京で設計してるんですけど、自分の作った、設計した建物も、昔はここがいいでしょとか、こういう見て見てカッコいいの作ったでしょって、そういうアピール、簡単に言うとね、そういうアピールの仕方してたんだけど、
それって何っていうか、本当に冷めた感じになっちゃって、それよりもこういう使い方、こういう人は暮らしてるんですよとか、こういうふうに暮らしてもらうと面白いんですよっていう話をした方がいいのかなとか思い始めてて、あんまりちょっとその辺もどういうふうにアピールするのがいいのかなっていうのを実は模索中ではあるんですけどね。
写真撮り方にしても、何かいかにカッコよく見せるかとかってそんなことじゃなくて、例えばこの窓辺から見える景色がいいんですとか、多分そっちの話の方がみんな響いてくれるのかなとかね、思ったりしてるんですけどね。
たぶんその、まあ僕の解釈ではそのカッコいいとかっていうのはその一時的なものかなと思ってて、建物でもそのカッコいいっていうのは確かにあると思うんですよ。パッと見た時にカッコいいなって。
まあそれはね、ありますよね。
でも、じゃあそこに住み始めて1年2年3年経った時にずっとはカッコいいと思わないですよね。
まあそうなんですよ、まさにおっしゃると。
うん、じゃあさっき言ったようにその窓から見える景色とかがいいとかっていう方がやっぱなんていうのかな、暮らした後の姿が見えやすいのかなと思ってて。
そうですね。なんていうのかな、まあ憧れだけで暮らすよりも実際に暮らす方がよりリアルだし、みんなもそっちの方がわかりやすいのかなとか思ったりしてるんですけどね。
だから最近どうなんだろうな、最近思うのは昔僕らの業界では新建築っていう雑誌があるんですよ。
新建築。
で、毎月新しい建物が出てる雑誌があって、もしこれが今出てるやつが30年後、逆に言うと30年前の旧建築とかっていう雑誌出した時に、みんなどう思うんだろうなと思って。
しかもその当時こういうつもりで作ったやつがちゃんと使われてんのかなとか。その当時は花々しくデビューしてもみんなにもてはやされてたんだけど、30年後に見たらみんなどう思うのかな。
恥ずかしいって思うじゃない。そんなことを作ってたのかなとかね。みんなはちょっと他の人はどう思ってるかわかんないけど、そういうところもやっぱり見てくれとかデザインじゃない、見てくれとかかっこよさじゃないなとかね、思ったりしてるんですよね。
まちづくりに対する考え方と活動
結構なんかそのデザイン、建築のデザインも複合的な要素というか要件みたいなのが増えてるような気がしてるんですけど、そのまあ装飾的な外からの見た目だけではなくて、中入ってきた時にどういう風な人が動くかとかっていうのも当然あるでしょうし。
まあありますね。
あとその場所だからこの景色が見えるとか。
ありますよ。
ね。
だから当時はメディアがまだ未熟だったのかもしれないけどやっぱり雑誌がメインだったから、やっぱり写真写りっていうのはやっぱりどうしても一種になってくるから、その窓から見える風景なんか別に誰も喜ばなかったっていうのもあるのかもしれないですよね。
でも今そういうのを感じ、ちゃんと見せれることもできるメディアもいっぱいあるし、それをちゃんと感じてくれる人もいるから、だったらそっちを中心に考えて、かといってまあ変なものを作るつもりは一切ないけど、それはもうちゃんとしたかっこいい建物を作るのはもう当たり前っていうところから入らないとちょっと話にならんかなっていうのはありますよね。
そうですね。なんかその、ま、まちづくりっていうのがメインテーマだと思うんですけど、ところとに関してね。
そうですね。
で、いろいろなんか話が聞けたなと思うんですけど。
ところとでその今後そのなんていうのかな、ま例えば恥の里なら恥の里っていうのがどういう状態になったらそのところとにとってあるいは住んでる人にとって望ましいっていうなんかイメージみたいななんかあるんですか。
まあシンプルにだから関係人口ことですよね。関係人口っていうのもとにかく人口を増やすのではなくて、興味を持って暮らして関係してくれる人を増やすってことですよね。だからまあそのイベントを仕掛けたりするのもそうだし、今はその学生さんとかにも一緒にところとやりませんかっていうのはそういう活動をしたいなとも思ってますね。
そうすればもう外から見て今度あそこなんか元気だねっていうところまで行けば、じゃあどう、まあ今度次のビジネスの話になっちゃうんだけど、ところとがこういうふうにこういう活動をして町が元気になりましたっていうところが定着すれば今度ところとのビジネスとしては他の町にもアピールできるかな。
他の町も同じような仕組みでちょっとそれを売るっていうとね、やらしいけど、ビジネスとしてはそういうところもちょっと考えてますけどね。
クリエイティブな活動に対するイメージ
なるほどね。そうですね。
まあまずはあれですね、この辺エリアというか、で、ところとありきっていう感じに。
そこまで持っていくと嬉しいですけどね。
行きたいですね。
そうですね。
ところとがあったから、行きたいな。
それ言ってもらえると嬉しいね。
そういう状態になったら嬉しくないですか。
それはめちゃめちゃ嬉しいですよ。
でも目指すところはそういうところですよね。
そうですね。
だいたいところとについてお話し聞けたかなと思うんですけど、
まあ今日はね、しめんさんのところで鉄道の話半分くらいしてましたけど、ところともでも半分くらい話したんで。
まあ大体話せきにはいいかなと思うんですけど。
このラジオで最後に聞いてるんですけど、ゲストの方に、
そのクリエイティブとか想像的なことをする活動っていうことについて、
まあ今回だったら清水さん自身がどんなイメージで捉えてますか、
どういうイメージで向き合いますかっていうのを聞いてるんですけど。
ものを作ることに関して。
なんでもいいんです。
暮らしの中でもいいし。
街づくりと建築の関係
クリエイティブって言葉?
どう捉えてるか?
今どういうふうな印象なのかっていうところですね。
難しいかもしれないですね。
まあそれを言うと止まらない状況、立ち止まらない状況だなと自分、
それはすごい嬉しいんですけど、
今の歳になってくると、わからないですけど、
今の方って何十年も勤めてきたら会社辞めて、
飲居するっていう言葉あるんですけど、
なんか想像って止まらないから、
多分一生何か考え続けられるだろうな、
それってすごい幸せだなっていうふうには思って、
想像するっていうのはそういうことかな、
幸せなことかなと思ってますけどね。
今、独立して20年経つんですけど、
2年以上か。
結局その前の修行の段階からもう、
10年単位で変わっていこうと思って動いてるんですよね。
だからそれも今50代だから、
50代は今で言うと街づくりを含めたデザインをしていこうと思ってますけど、
次の60代はまたちょっと何をしていこうか考えたいなと思ってるし、
そういう意味でずっと続ければ体がどうなるかわからないけど、
そういう喜びを持てるのが想像かなと思うんです。
想像かなって感じですね。
いやなんかあれですね、今まで多分出てきてない形の考え方だなと思いますよ。
本当に別に卑下してるわけじゃなくて、
サラリーマンの方ってどうやって逆に生きてるのかなと心配になっちゃうぐらいなんですけどね。
別に余計なお世話かもしれないけど、
仕事辞めてみんなどうするんだろう、俺には想像できないなって逆に。
将来への想像
ちなみに僕もサラリーマンっていうか会社員なんですけど、
僕の場合は定年後のことをある程度見据えて、
稲妻キャストやったりとかプログラミングの教室的なものをやったりとかしてるっていうのはありますね。
サラリーマンというよりだから想像してるわけでしょ?
想像してますね。
してる人だよね、どちらかというとこちら側だから。
だから当然定年は必ず来るので会社員だったら、
その後のことをいきなり定年になってじゃあってなっても何も動けないから、
10年、15年前から人のつながりもそうだし、
あとその実績とかもちょっと少しずつステップ踏んで、
定年になった時にうまく乗り移れるようには考えて動いてますね。
そういうことですね。
たぶんそうか。
稲妻さんは定年っていうのがあるけど、
稲妻さんは別に立ち止まるつもりはないってことね。
僕は定年したからといって何もしないでゆるゆるそうとは思ってないです。
それも憧れですけどね。
でもずっと考えられるっていうのは幸せだなと思いますけどね。
そうですね。
こんな感じですかね、今回のエピソードは。
ありがとうございます。
1時間弱でしたけど。
ところとの清水からでした。
ところとの清水さんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。