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  2. 幸田文「台所のおと」 #2
2023-08-29 24:19

幸田文「台所のおと」 #2

今回は、「台所文学」の旗手としての名高い、みきさんの高校の先輩、幸田文先生の短編小説を一緒に読みました。


#↓サマリは生成AIくんががんばってくれています。

台所とは公会のような密室のような場所である

人の心は公会のような密室のようなからくりでできている

台所は料理の作業や思いを秘めた場所である

字幕をつけてみたいな感じになること

浸透圧弱めのものをじっくり吸収すること

登場人物の人生経験の豊富さ

文章なんですけど

なんか感動しましたね

遊び方

恋人役

コミュニケーション

心の内に思い出すことの重要性

お茶を飲む関係性

## 何度でも読める小説

- 話者が何度でも読める小説は少ないと感じている。

- 台所ノートとその後のエピソードを非常に高く評価している。

- 話者は、自分の深い感情や秘密のようなものを他人に共有することの難しさを感じている。

- 話者は、小説がそのような深い感情や秘密をうまく描写していると感じている。

- 特に、夫婦の間での静かなやりとりや心の内を垣間見せてくれる描写に感動した。

## 台所とは公開のような密室のような場所である

- 話者は神田彩さんのエッセイ集を読んでいる。

- エッセイ集は、台所に関連する話題をまとめたものである。

- 台所は公開的な場所でありながらも、個人の密室のような場所である。

- 台所には様々な道具があり、時には刃物を使って料理をする。

- 台所の活動は単なる料理だけではなく、人の心の内面とも関連していると感じる。

## 人の心のからくりと台所

- 台所は一見公然としているが、多くの感情や心の葛藤が隠れている。

- 料理という作業を通して、様々な感情や想いが映し出される。

- そこには、愛や恨み、嫉妬や怒りなどの情熱的な感情が存在し、それを料理として表現する。

- 人々は台所で感情を解放し、その結果として作られる料理を通して他者に自分を伝える。

  

## 台所の役割としてのエッセンス

- 台所は公開される場所である一方、多くの心の動きや感情が隠されている。

- 料理を作ることは、ただの食事を作るだけでなく、その背景にある想いや感情を表現する手段となる。

- そのため、台所は心の動きや感情の舞台とも言える。

- 人々の心の中に秘められた思いや感情は、料理を通して表現され、共有される。

## 現代の感受性と台所

- 現代人は情報が溢れており、すぐに物事を消費する傾向がある。

- そのため、ゆっくりと物事を感じ取る、または感情を感じることが難しくなっている。

- 映像やメディアは情報を詰め込むことで、人々の感受性を鈍らせているとも言える。

- 一方、台所や料理は、時間をかけてゆっくりと感じることができる場所や手段である。

- そこには、人々の感情や想いがゆっくりと表現され、共有される。

- このような台所や料理の中には、現代人が忘れてしまったゆっくりとした時間や感受性が存在すると言える。

## 浸透圧弱めのものをじっくり吸収すること

- 浸透圧弱めのものに関する考察。

- 最近は濃い内容のものが多いとの感想。

- 登場人物や小説そのものも浸透圧が低いとの指摘。

- 小説に登場する人物が多くの経験をしていることが語られる。

## 登場人物の人生経験の豊富さ

- 「台所帳」という同シリーズの別の作品に言及。

- お父さんの特異な教育方法について触れられている。

- 物語のシーンでのお茶の説明が詳細で感動的。

## お茶の描き方

- お茶を沸かすシーンに関する詳細な描写。

- 主人公の周りの女性キャラクターに関する言及。

- 3人の女性キャラクターの描き分けや、それぞれの関係性についての解説。

- 主人公が恋人としての役割には向かないが、夫婦としては良いとの評価。

## 遊び方

- 恋人役を上手く演じる人への傾向や考え方について触れている。

- SNS上での人気者や、恋愛に関するSNSの振る舞いについての考察。

## 恋人役

- 感情や態度の変化について述べている。

- アキさんの一人目の旦那さんに関する言及。

- グズ酔いの男に関する意見。

- 現代のカップルの関係性やコミュニケーションの考察。

## コミュニケーション

- 言葉を使わなくても理解し合える関係性の重要性について。

- 言葉で伝えることの限界やケースによる違いについての考察。

## お茶を飲む関係性

- 二人の深夜のお茶の時間に関する描写。

- その時の細やかなアクションや気持ちを詳細に触れている。

- 大人としての関係性やその納得感についての考察。

00:11
何度でも読める小説って、私そんなに多くないんですけど、1回読むともういっかなーってなっちゃうんですけど。
なんかね、何度でも読めるなーっていう作品に久しぶりに、この台所のおとだけじゃなくて、後半の食欲とか、
後のお気見上げとかもすごい読んでて、めっちゃ良かったんですけど、何度でも読み入れる小説だなーというのは本当にその通り。
なんか結構、大事な恋愛とか、本当に大切な思い出とかって、人に言っちゃうのももったいないからとっとこう、みたいなとこあるじゃないですか。
それを全部書いてくれてる感じがするんですよね。
なんか、これ人によると思うんですけど、聞いてよーとか、この前こういう楽しいことがあってさーとかって言うのって自分ではないというか、人に言うようにデフォルメしたり、
何かが削ぎ落とされてもいいやっていうことを織り込み済みで、聞いてよーって言ってみんなと楽しくシェアするみたいな。
ちょっと前にこういう恋愛があったんだけど、そういうネタになったから話すみたいなとこがあるかなと思ってて、
ネタにしたくない、何かを削ぎ落としたくないものは、あんまり言わないでとっとこう、みたいなとこって人間あるかなって思うんですけど、
その、言わないでとっとこう、みたいな話が全部詰まってる感じがして、それを覗かせていただいてる、みたいな感じがすごいしましたね。
うーん、なるほどね。
この台所の大人って夫婦の方が聞いてた、聞かれてたみたいな話で、それ別に多分この夫婦が何か実はうちの旦那が私の台所の男をこっそり聞いてたのよ、みたいな、
そういう話とかなんかしなさそうじゃないですか。
まあそうだね。
あって聞いて、ああそういうことはって、お互いの二人の心のうちの中でのやりとりみたいなのを、本当に観させていただいてる、みたいな感じがすごいしましたね。
どの短編もそういう、自分の心の中だけにしまっとこう、みたいな風に思ってる大事な話を覗かせていただいた、みたいな感じがあって、それがすごい、
そういう世界を描けるのが大人なんだなって思ったし、その尊さがわかるようになったんだな、自分も、みたいなこととかを振り返って思ったりしながら読んでるんです。
うーん、今の話を聞きながら思っていたのが、さっきの台所長っていう神田彩さんのエッセイ集も一緒に読んだんですけど、
03:06
神田彩全集っていう、全23巻あるやつから台所に関連するようなやつを引っ張ってきて、まとめたやつなんですけど、
それの一番最初が台所っていう、そのまままっすぐなタイトルで、 その後半が
みにきさんの今のことを言っているように聞こえたので、読むと、
台所という場所は、航海のような、また自分だけの密室のような不思議なところである。 しかも秘密の道具を備え、刃物があり、血を流すことがあっても平然としていられる部屋である。
そこで自分は何をしたろうと思う。 もちろん身を動かして、魚卵を扱い、料理の作業をした。
それだけだったろうか。違う。 人の心も航海のような密室のような怪しいからくりでできていると思う。
台所で私はどんな気で作業していたか覚えがある。 料理という航海の作業に隠して、欲も恨みも不倫も嫉妬も冷淡も憎悪も、
こんな一通りの業を晒していたのは否めないのである。 それ故に私はあそこで、我慢の後の安らぎを、悲しみの後の優しさを、
憎悪の後の責め、嫉妬の後の虚しさを教えられたのではないか。 あそこは大根や魚を漁るところでもあったが、
女の心の業をこなす場所でもあった。 教室だったと思う。
っていうのが最後の方に出てくるんですよ。 だから台所っていう、
今回のこの小説の中でも、 先知とこの
秋さんって料理屋をやってるわけなので、 ある種航海の場所ですよね。台所って作ったものが外に出ていくって場所ですけど、
その中でいろんな思いを秘めて台所っていうところに立ってるわけじゃないですか。
この先知もなんで料理人になったのかとか、 秋も別にもともと料理できなかったけど、
先知が体調悪くなったから一人で頑張らなきゃいけなくなって、 料理をしていると。
だからその外に出ていく料理っていうものと、 その中でいろんな
ある種の悲鳴ごとを、心の揺れとかも含めて描いている台所っていう場所っていうのが、
神田彩さんなりの場所の捉え方だったんだなっていうのを、 今の石田さんの話と、
なんかね、聞いて感じましたね。 どっちかしかなくなっちゃうじゃないですか。
聞いてよ聞いてよっていうフルオープンと、 誰にも言わず墓場に持って行きますっていう悲鳴ごとの、
そのちょうど中間ぐらいの場所が、 この台所っていうところにあるんだっていうことの一番ね。
そうっすね、うんうんうん。
06:00
今言ったエッセイを書いたのが、 61歳の時ですって。
へー。
どうですかみきさん、台所立ってますか?
立ってますけど、マジでパスタ茹でるしかしてないから、 音なんて立ててないし、みたいな。
あれじゃないですか、茹でてる音に注目して、 そろそろだなとかって言われるのが台所なんじゃないですか。
私だからそういう台所みたいな場所ないなって思いました。
なんかどうしようもないことだったら、 散歩したりカウンター行ったりするけど、台所じゃないなって。
うーん、なるほど。
あとなんかそもそも噛み締めるみたいなこと、 すごい苦手だからなーって思って。
このアコーナーへの3ページ出てくる人たち、 皆さんなんかこう、
他人からこういうふうに言われた、 こういう振る舞いをしていることがわかった。
それを自分の中で受け止めて、 こういうことだと感じた、みたいなことが多いかなって思って。
例えば、秋と咲吉でも、その台所の音を聞いて、 それを慰めにしているっていうことから、
愛を感じた、みたいなことを思っているシーンがあったりとかして、
なんかそういう、ゆっくり受け止めて感じる、 みたいなことを私すごい苦手だなーと。
だからこそすごいこの世界の人たちを 怒らなって思う。
パッて受け止めてパッと解釈したい、みたいな。
そういうどうしようもない反射しかない人間だなと、 私のことを思いましたね。
うーん。
今の映像のメディアにしても何にしても、
もう字幕をつけてこの一瞬で、 みたいな感じにどうしてもなっちゃいますもんね。
うん。私なんかその、ゆっくり感じるっていうのが、 今思ったのが、
映像とかだと圧倒的に情報を込めて、 情報が濃すぎるから時間がかかる、みたいなやり方でしか、
感じられないなって思って。
こういうふうに浸透圧弱めのものを、 ちゃんとじっくり吸収していく、みたいなことが、
なかなかないことだなって思ったってことです。
うーん。浸透圧はなるほどね。 浸透圧弱めのものね。
をちゃんと吸収するっていう。 時間をかけて吸収するっていう。
そうねー。最近は濃いものばっかりだもんね。
朝漬けみたいなやつ。
そうだよなー。そうだねー。
09:00
だからこそそういうことができることに対して、 すごい大人だなーとか思ってるんだな。
この登場人物もそうだしね。
この小説自体も、そんな大事件が起きるわけじゃないから、 この小説自体も浸透圧低めですもんね。
味薄めというか。
でもしっかり出しきいてるとか。
なんか言いかけてたね、みきさん。
あと、こうだあやさんがめちゃくちゃ恋愛とか、 いろんな人生経験をすごいしてきてる感じがするなって思って。
それが不思議な感じがするって。
そうねー。お父さんこういう人だよね。 確か旦那さんも早めに亡くなってるんですよね、確か。
娘さんと二人で、なんちゃらみたいな何かを見たなー。
22歳の時に弟も亡くなって、
あ、ちゃうわ。亡くなったって言っちゃった。 離婚したのか。
1938年に離婚をして一人でってやつか。
さそがきの解説だと、現実世界においては、 ロハンは昔かたぎで、
多くの局面で娘に向けて理不尽な教育とか、 厳しかったって書いてある。
それをこうだあや自身は本当は父の命に従いながら、 心の内部に果てもない反抗情を養うこととなった。
その反抗情がこういう形で出てるのか。
さっきの台所帳っていうやつと同じシリーズで、 しつけ帳っていうのがあって、
そこにお父さんの意味わかんないしつけみたいなのが、 めっちゃ大量に出てくるんですけど。
結構なかなかすごいですよ。
お前そんなにかゆくないからとりあえず料理頑張れみたいな、 なんか言うねお父さんっていうのもすごいあるし。
そうだろうな。感が悪いのでめっちゃ頑張りましたみたいな。
なんか浸透圧弱めって言ってるけど、 浸透圧弱めなんだけど安心はできないっていうか、
そういう感じがありますよね。
そうね。
本当さ、一個一個いいんですよ、めっちゃ。
で、私、この39ページぐらいにあるお茶を沸かすシーンがあるんですけど、
12:11
この咲地と秋さんのお家はお茶を1回1回焙煎してというか、
お家で行って飲むっていうお家と描かれていて、
その真夜中にもかかわらずお茶を沸かすシーンが書かれてるんですけど、
なんかね、香り立ってくるような文章なんですよ。
茶仏の蓋を抜いて、
そこから茶宝寺に茶を移して火をかけて、
葉っぱが丸まってきたところに土瓶に移してお湯を注いでシュワッと音が立ってみたいなところのお絵描きかとも言ってても、
なんと七八行なんですけど、何と無駄のないというか、
ある種しっかり読んでますかってことを問われるような文章なんですけど。
なんか感動しましたね、このお茶の絵描き方。
あきさん、奥さんだけが、この旦那の作地のある種の余命を知ってるっていうことですね。
その緊張感みたいなこともある種見えるし。
三木さん、この中に一人目、二人目、あと三人目のあきさんって奥さんが出てくるじゃないですか。
一人目は同じ村の生まれで、いろいろ仲良くやってたんだけど、いろいろうまくいかずに、
あきちんも若かったのもあって、別れてしまって。
っていう一人目と、二人目の万っていう、何て言うんでしょうね。
強い料理もできるけど、適当にちょちょっとやって、最後はいい感じに刃物で戦って別れるみたいな。
二人目と、あきさんといるわけですけど。
こういう女性周りは三木さんのほうが解像度が高そうな気がしていて。
一人目、二人目、三人目の女性残し方はいかがですか。
その描き方というかは、三人目であきさんでピタッと収まっている感じはすごいあるなとは思いましたけど。
15:01
いきなりあきさん行くと、ちょっと物足りなかったりとかしちゃうのかもしれないなとか。
さっき言ってたあきさんが15個ぐらい差があって、
一人目でももの静かな感じの、ちょっと控えめな感じのあきさんと、
どこに収まって、すごい磁石がピタッとくっついたみたいな感じがあるなと思いましたけど。
あきさん自身も黒鬼なんですもんね。何人目かの。
おっとって書いてある。収まっている感じね。
収まっている感じがあるし、女性に関してはこの先地は、
ちょっと男としてはやや物足りなかったりするんだろうなっていうことが、
その女性の感じからあきさんの描き方に関しては、
男としてはやや物足りなかったりするんだろうなっていうことが、
その女性の感じから感じるなって思いましたけど。
ほう。どんな感じで?
恋人役みたいなのはあんまり得意じゃなかったのかなというか。
うーん。恋人役ね。
確かに楽しくデートに行ける感じの男の人ではなさそうですもんね。
でも恋人役をやって欲しい時と夫婦をやって欲しい時があるじゃないですか。
そうそうだね。
夫婦としては、変な遊び方もしなくていいのかもしれないけど、
恋人役をやってくれない人なんだなっていうことを、
マンとかは特にそれで、より恋人が上手な人のところに行ったんだろうなとか、
いつも恋したい人だったんだろうなとかは思いますね。
うーん。なるほどね。
だって私、マンさんの気持ちは結構わかるなって思って、
音が雑だったとか言われて、そんなしたことじゃないの?みたいな。
そんなこと言われてしまったら、
もうちょっと気にかけるべきこととか書けることとかあったんだろうよとは思いましたね。
なるほど。マン派ってことですね。
確かに今のSNS上にいる女性でモテそうならマンさんですよね。
モテるのかって言ったらツイッターでいいね押し付けしたくなることかわかんないけど。
器用でいろんなことができて、
容量を抑えてパパッとやると。
パパッとやってみたいな。
そうなんだよな。
うーん。いやーそうだね。
まあね。
18:00
サキチより気のたくましい、人の悪い、利己な男のところへ行ってしまいってことだね。
まあそうだろうな、マン。
台の子にも気まぐれに物を弾く音を、
好きな時は色っぽく感じたけど、今日お座りしてから勘に触ったとかも、
何にも言わずに勝手に心の中で心変わりしてるだけじゃんかと思って、
いいよ!って思ってそうだなって思いました。
わかるな、でも突然イライラしだすのあるからな。
うん。
アキさんの一人目の旦那さんは酒にだらしのないグズ酔いの男って書かれてて。
グズ酔いっていいね。いる?グズ酔いの男。
グズ酔いの男。
あんまりいないですね。
グズ酔いの男なー。
なんか現代のカップルってだいたい都市都会も近くて、
平氏と定宿と同じくらいで、同じくらい対話できることがかっこいいカップルみたいなとこあると思うんですよ。
そういうなり方じゃないですよね、今改めて思ったんですけど。
ここだよ。
何でも同じくらい言葉を背負わせて確認し合って、
コンフリクトが起きても会話で知り合わせていこうみたいな感じのカップルが多いな、
好ましいなって私も思うんですけど、そういうことじゃないですよ。
言わなくても通じてる部分があることとかの方が重んじられてる感じがありますよね。
それは時代かもしれないけど。
うーん、そうだね。でもそうじゃない?
私も、なんだろう、どいなかの人間だからいまだにそう思ってるもん。
言わなくても通じるものがある方がいいなって。
そう。
だって思ってるなら言えばいいじゃんっていうのって度性論なんですけど、
それで上手くいった例を私はほとんど見たことがないし、上手くいくとも思ってないので。
確かに、軽有なカップルだなって思う。同じくらい言語化できてるカップルは確かにものすごく軽有なカップルだなって思う。
そう、そうなんですよ。だから言わなくても分かるというか、別に言ってもいいし言わなくてもいいけど、
分かり合ってるのっていいよねって思っているし、言うことでそれが促進されるとは思わないよねっていう感じかな。
よくあるじゃないですか、いろんな男女の喧嘩で、「それ言ってくればよかったじゃん!」とか、
そういう時って言わないからダメなんだよみたいなのってあるんですけど、
言った後であんまりハッピーにならないんじゃないかなっていう感じはするからね。
難しいね、なんでもね。
確かに、今その私の価値観が浮き彫りになりましたわ。
同じくらいベラベラベラベラ喋ってるカップルの方がイケてる感じがするわって思ってることを確信しました。
21:03
そう、良かった、一つ明らかになったね。
だからこそ、私だったら言わざるを得ないから、
どんだけ心の内に思い合ってるってだけ成立して、
しかもそれが長い時を経て、何ら遠塾の息に達してることとかを、
すごい大人だなって思うんですよね。
大人としなかったってことがすごいことのように感じてるんだな。
意外とこの佐吉と彩さん、会話はありますよね。
お茶飲んでる時の。
やっぱ茶飲んでるのよな、玉露じゃねえよな、俺たちはみたいな謎の会話もあるし。
結構このお茶飲んでるシーンだと、
秋田ちゃん真夜中だなと思いつつ茶筒の蓋を抜くっていうところが結構好きで私は。
真夜中だなって思ってるし、
お互いそれが気にならないから、お茶をわざわざ行って飲めるっていう関係性だってことがここで出てていいなって思いますね。
うーん。
そういう時にわざわざ言わないといけない。こんな山間にお茶飲んじゃってとか言わない感じがいいなって思います。
そうね。
普通に飲もうっていう感じ?
文章として、この前のところまで書いていって、
茶談数得たついでに見ると一時を半分回っていたっていうのがその前の文章じゃないですか。
はいはい。
そこからその後真っさらだとして、
真夜中だなと思いつつ茶筒の蓋を抜くっていう日本語を書けるのすごいですね。
真夜中だなと思いつつ茶筒の蓋を抜くって書けるかな?
なるほどね。表現も素敵だし。
真夜中だなと思いつつ茶筒の蓋を抜くか。
生きる表現よりも、真夜中だと思いつつ茶筒の蓋を抜く、
蓋はいいって語体で抜けてくるみたいな、
熟練というかいつも通りのいい感じになった蓋。
真夜中であろうと二人が飲みたいから飲めみたいな感じの関係性がすごい大人だなって思ったんですよね。
ここで言うと。
大人か。
ここに二人の納得があるっていうか。
この蓋の抜け具合がいいとか、お茶を茶葉からいって飲むこととか、
二人が飲みたかったら真夜中でおでんで、
真夜中だねとか言わずに入れ始めるところとか、
ピタッとパズルのキースがはまってる感じがすごいあるなって思いましたけどね、夫婦として。
24:06
なるほど。
24:19

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