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2020-07-31 15:20

「アルジャーノンに花束を」第2回:読後感をしっぽりと

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今回は、ドラマ化もされたSFの名作「アルジャーノンに花束を」を取り上げました。
読んでみての感想をバラバラと。

みき(@miki_apreciar
のぞみ(@CobeAssocie

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書籍紹介(Amazonより)
32歳で幼児の知能しかないパン屋の店員チャーリイは、ある日、ネズミのアルジャーノンと同じ画期的な脳外科手術を受ければ頭がよくなると告げられる。手術を受けたチャーリイは、超天才に変貌していくが……人生のさまざまな問題と喜怒哀楽を繊細に描き、全世界が涙した現代の聖書。

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00:12
どうでしたか、Mikiさん、読後感は。
冒頭でも言いましたけど、あのすごい、せっかく獲得して知恵を失ってしまった話、みたいな風に思ってたんですよ。
で、ラスト、ラストの一言が、知恵を失ってしまったがゆえにちょっと可愛らしい感じになってしまってすごい、それがなんか悲哀、人間の悲哀を出してるみたいな、なんかすごいそういう悲しい悲哀のラストみたいな感じに思ってたんですけど、
今は思うと、今読んだら、なんか普通にもうちょっと人に寄り添う気持ちを、一旦失っちゃった人が、なんかもう一回取り戻す話、みたいな風にも感じるし。
なんか、結構その純度の高い感情と、なんか理性のトレードオフみたいな話にもちょっと思えて、私はすごい面白かったですね。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
特にこういうとこで感じたなみたいなのがあるんですか、そのトレードオフ感っていうのが、ある種ミキさんの中での感じたこと。
私が本当に思ったのが、最初はだんだん賢くなりにつれて、普通に人のことを好きになったりとか、一緒に繋がってたいみたいな気持ちとか持つようになるんですけど、
賢くなりにつれて、全然好きな人のことを好きって思う気持ちとか、繋がってたいみたいな気持ちがちょっと薄くなってきちゃうみたいな感じがあるなと思って。
どんな人も、あいつはこういう人、あいつはこういう人、しょうがないみたいな、スパッて人を切り捨てるような他人の余白を許さないというか。
そういう感じにどんどんどんどんなっていって、それってすごいどんなに頭が良くて、どんなに論文たくさん読んでも悲しくないって私は思ったんですね。
なるほど。
それでまた対抗すると、また好きだったり憧れみたいな感情とかが取り戻されて、そういう他人に寄り添う気持ちとかを最後また取り戻してるような話って感じましたけどね。
確かに途中で、このチャーリーが賢くなったチャーリーが、IQトップレベルにある状態で、とあるお店に行った時に、周りに笑われてる知的性があるっていう方がいて、
その人みんなが笑ってると、酒場でわざとお皿を割ったりとか、転ばしたりとかしてる時に、チャーリー自身もそれに加わって笑ってるっていうシーンがあって、なるほど、これは確かにハッとするなっていうのを読んでて思ったんですよ。
そうです。ちょっと前まで自分もそうだったはずなのに、でも自分も笑っていたのだ、みたいなことが書いてありましたよね。
03:04
その時ハッとしたみたいな。
そのフェーズの後に、自分はなんてことをしているんだ、みたいな反省すら後のフェーズに行ったと思ったんですよね。
まあ確かそういうの笑う人もいるよね、みたいな感じのフェーズに一回行っちゃったと思って。
高まっていくにしたがって。
そう、だから自分が本当は頭いいからっていうだけの人になっちゃった、みたいな感じがあって。
なるほどね。
それってなんかすごい、どうなんだろうっていうか、別にあんま楽しいのかなって思っちゃいますね。
へー、なるほど。
だからだんだん、もちろんIQが下がってしまったりとかするとすごい苦しいんですけど、でもだんだん人としての人として親しみが持てる存在にどんどん戻っていく感じ。
そう考えると最後のこの一文をどう書くかどう選ぶかっていうのは、日記さん的な読み方だと帰っていくみたいな読み方もできるじゃないですか。
もともといたところにある種いったものが帰っていくっていうのがありそうだし。
もしかしたら編集者の人って帰っていくんじゃなくて、進化をするとか、この経験を受けて別のところに行き着くみたいなことを心の中では期待して、書き換えたよみたいなことだったのかもしれないですよね。
そうですね。
なるほどな。
いいエンディング。何回も言うんですけど、いいエンディングなんだよな。
中途半端な理性とか教養とかって、確かにくしゃみを打ち込むっていうか、その感覚を鈍らせるところがあるよなと思いましたね、この本を読んで。
真の教養とか、経験に根付いてない理性とかって本当に意味ないっていうか、真の教養とはみたいなことをすごい思っちゃいました、この本を読んで。
例えば家族とか、分かりやすい例を出すと、例えば両親が、何て言うんだろう、そんなに学歴が高くないとしますと。
はい。
その時に子供がだんだん大学に行ったり大学に行ったりして、学を身につけていったとするじゃないですか。
はいはい。
そのことによって、自分の親ってそんなに賢くないんだなとか、なんでこんなこともわからないんだろうとか、思っちゃうシーンってありそうだなって思いますね。
ああ、そうですね。
思っちゃうことってありそうじゃないですか。
ありそう。
でもその時に、親がどういう気持ちで自分を育ててくれたのかとか、親の気持ちとかを忘れない心とか、それでなお愛す気持ちとか、そういうのがないんだったらそんな学問に意味あんのかなみたいな。
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だからそこで、うちの親って本当に頭悪かったんだなって思って終わっちゃうんだったら、勉強する意味ある?って思っちゃいません?
そうね、そうね。
みたいなことを思いました。私もちょっとそういうところあるけど。
違うお話なのかもしれないんですけど、今年アメリカ大統領選あるじゃないですか。
はい。
で、なんかこう賢い人であれば民主党に投票するだろうみたいな、なんかこうふんわりした空気感がありますと。
はいはい。
トランプのやってることなんてアホらしいでしょうと。
一定の知性を備えた人であれば、少なくとも反トランプに票を投じて叱るべきであると。
はい。
で、そう思うことは本当に知性を持った行動なのであろうかみたいな文章をどっかで読んで。
例えば多様性を認めましょうって言っている人が、反トランプですっていうのを強行に主張することによって、
例えば職場にもいるかもしれないわけじゃないですか。いや実は心の中でトランプを応援してますとか。
そういう人たちを排除することにつながっているのではなかろうか。
っていうことを書いているのがあって。
それが正しいか正しくないかちょっとわかんないんですけど、なんかすごく大事な視点だなとも思っていて、
特定のものを持っていないとダメだっていう考え方とかって、
自分がこう知識を得ていけばいくほど出てきてしまうもののような気もするんですよ。
確かに。
こういうことはわかって叱るべきだよねとか、こういうことをやったんだったらみんなそうやって振る舞って当たり前じゃないみたいなのって、
なんか出てきがちなのかなとも思ったりしますよね。
ていうか私にもそういう、こう振る舞うべき、私たちはこの世に振る舞うべきみたいなのがあるなって、
どんどん出てきちゃうなぁとは思いますよね。
ちょっと賢くなりすぎたんじゃないですかみきさん。
中途半端だからですよね。賢くなって。
中途半端に言ったら知識だけ身につけた結果そうなって。
もっと突き詰めて、突き詰めてどちらかに振っていかないといけないってことなんですか。
後書き読んで、このおびさん?おびふささんっていう翻訳家の方が、
そうですね、役者の方が後書き書かれてるんですけど、
後書きめちゃくちゃ良かったなぁと思って、
まずこの方が初めて役したときと、
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1932年の生まれって書かれてたので、初版がいつなのかな。
多分30代で役されてるのかな。
初めて読んだときにはもう感動があったと。
40代でもう一回読んでみると同情があって、
最後80代で読まれたとき、2010年代に読まれたときには、
愛と解放の物語だなと思ったっていう。
そうですかと。
さっきみきさんが言ってたみたいな、過去はこういう風なとこに目が行って、
今こういうとこに目が行くっていうのは、
この物語の多様性をおびさんと一緒に辿っていってるっていう。
そうですね。
めちゃくちゃ良い跡書きでしたね。
メモにも書いてありますけど、
初版の言葉の訳し方の考え方とかもすごい誠実だなって思いましたね。
山下清一さんっていう方の文章を参考に訳したっていう。
山下清一さんってどういう方かって言ったら、
誤解を抱えながら絵を描き続けた方の文章を参考にしたっていうのが書いてありましたよね。
ありましたね。
適当に書いちゃいそうじゃないですか。
訳せばいいでしょみたいな。
たどたどしく適当に書くかって並んだ時に、
そういうトレースする姿がすごい。
自分では適当に想像できないから、
ちゃんと近い方の思考をトレースしようという姿勢はすごい誠実だなって思いました。
プロフェッショナルですよね。
日本SF作家クラブの名誉会員らしいですよ。
おびふささん。
あ、そうなんだ。
他にもいろんなアイザック・アショモフの作品を訳していたりとか。
素晴らしい役者でしたね。
この小説思ったことたくさんあったなぁ。
私でもまだ、この後読み返した時にもうちょっと分かるんだろうなって思うのが、
結構家族との触れ合いのところはまだよく分かってないところが多いなと思ってて。
家族っていうのはチャーリーのお父さんお母さん?
チャーリーがだんだんIQが高くなりにつれて、
自分の記憶を遡って、自分の記憶を再解釈することができるようになっていくときに、
家族との思い出、自分はこういう経験をしたことがあった、こういう経験をしたことがあった、
回想をどんどんしきれな中に追加していくときに、
そのチャーリーのお父さんお母さんの気持ちっていうか、
どういう感じだったのかはいまいちまだ、
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もうちょっと年取ってから読んだら分かるんだろうなっていう感じはありましたね。
さっきみきさんが言ってた、過去のつらい経験を思い出すみたいなときに、
家族のことめちゃくちゃ思い出すんですよね、このチャーリーが。
チャーリーの家族構成で言うと、お父さんがいてお母さんがいて、あと妹がいるっていう、
4人が基本の家族像だと思うんですけど、めっちゃまとめて言うと、
お母さんは自分にめちゃくちゃ厳しい。
で、なんとなくお父さんはそれを守ってくれると。
で、お母さんが自分に厳しいことのきっかけというか、原因になっているのが、
例えば妹がいろいろやって、それに対してお母さんが妹に悪くしちゃダメとか、
妹を大事にして、自分を大事にしてくれないっていう記憶が、賢くなるにしたがって出てくるわけですよね。
これ、話の中に出てきますけど、お父さんとお母さん、会いに行くんですよね、チャーリーね。
そうですね。
そこのギャップ感というのは、チャーリーが夢の中で見て、自分が苦しんでいたお母さん像、
いいな、助けてくれたなと思っているお父さんというのとは、
実際に賢くなってから会いに行った時の空気感って全然違うじゃないですか。
そうですね。
あれって、どう自分として捉えて良いものやらっていう、確かにスッとしないところなんですけど、
さっきのダニエル・キリスのメモを考えると、ある種これが彼なりのテーマかもしれないじゃないですか。
ああ、そういうことか。
僕の教養は、僕と僕の相手の人たちの間に楔を打ち込む?
うん。
だから、賢くなって論文を書けるとか、教授との関わりとか、ある種その恋愛っぽいアリストの話とかあるんですけど、
この家族とのそのギャップ感って、
ダニエル・キリスがすごく大事にしてたテーマの一つなのかなっていう、
そこぐらいは意識しながら読んでました。
内容がどういうことかっていうとちょっと私も、
やっぱこうじゃないですかとはパキッと言えないんですけど、
めっちゃ大事なところなんだろうなと思って。
そうですね。
確かにこのメモを振り返って読むと、
自分が教養がまだないときに捉えていた愛が愛されてる愛されてないっていう感覚と、
ギャップを客観的に整理できるようになった状態で、
出会った時の関係性が全然違うっていうことをさ、
どう受け止めたらいいかっていう話と思うとすごい。
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でももう過去は不可逆だから、
すごい確かに難しい話でというか。
妹も全然違う感じでしたしね。
確かにな。
くさびってそういうことか。
なるほど。
膨らみのあるストーリーですよね。
とってもね。
そうですね。
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