それでも全体としては回せてるみたいな。
そうだね。
ちょっと話ずれちゃうかもしれないですけど、
一昨日ミキさんが勧めてくれた舞台を見に行ったんですよ。
はいはい、大人計画の福助ね。
福助を見に行って、すごい楽しく見たんですよ。
先週別の舞台を見に行って、キャラメルボックスの無伴奏を見に行って、
2つ1週間で見に行ったんですけど。
すっかり感激おじさん。
すっかり文化人ブルおじさんをやってるんですけど。
嬉しい。
その2つの舞台も福助の方が今の我々の社会との距離が近いんですよ。
歌舞伎町を舞台に。
ああいうことって起きそうだなっていう気がなんとなくする内容なんですよね。
逆に無伴奏そなたの方って、もう2歳の段階でみんな人間が選別されて、職業が決められてうんぬんみたいな。
だいぶ現代との距離があって。
距離近すぎるとあんまり楽しめないのかもしれないと今みきさんの話を聞きながら思ってましたね。
相対的にですけど。
なるほどね。
遠ければ遠いほど楽しいっていう。
エンタメとしてはね。
そうそう。
でもただ宇宙戦争とか言われちゃうとちょっともう高等向けすぎて無理みたいな難しいバランスはあるんですけど。
エンタメとしてはちょっと距離が遠い方がもしかしたらグッと楽しめるところがあるのかもなと思って。
見てましたね。
なるほどね。
野富さんはこの1984のどの辺が良かったですか。
どうだろうね。
私結構全体のお話よりも個別の書き方みたいなのが心に残るところが多く。
例えばこういう作品書きたいなと思うとするじゃないですか。
そう思った時に第一部の最初どういう書き出しで書くかめちゃめちゃ考えるやろうなと思って。
ここの中に大事なコンセプトっていくつもあるじゃないですか。
例えば言葉を省いていくニュースピークっていう辞書を新しく作るお話とか。
二重思考っていう矛盾するものを同時に考えるみたいなコンセプトがこの作品の中にたくさんあるじゃないですか。
何をどういう順番で最初から匂わせていこうかしら。
書く側として考えた時にこの第一部の最初の書き出しすごい工夫して考えてんねんなっていうのをまず楽しく読みました。
マンションの中に砂ぼこりの状態で入っていく様子とか。
そのビッグブラザーがあなたを見ているっていう絵を読者に想起させるところとか。
即出てきますよね読み始めて。
ビッグブラザーが何かとか説明もなく、とある絵があって絵の下にビッグブラザーがあなたを見ているっていうキャプションがついてますっていう。
なんじゃそりゃみたいな話が始まるのを見てると。
現代だと1984がどういう作品かをなんとなく理解をして想像して読むわけですけど。
1949年の電子書籍もなく普通に本屋さんに本が並ぶわけじゃないですか。
パッと開いて1ページ目これ書いてある時みんなどういうことを考えてたのかなと思いながら。
面白かっただろうなと思って1ページ目を読みましたね。
野辰さんは書き出しこだわるというか書き出し褒めがちというか書き出し好きですよね。
書き出し好き。書き出し好きよ。
なんかいろんな文章書いてると書き出しむずない?
めっちゃむずい。めっちゃむずい。やっぱり書き出しがハマらないと後も良くないし。
全ステして書き出しからもう一回書き出した方がいい時とかもあるし。
やっぱり作家って本当にすごいんだなって思いましたね。
いかに内容が良かろうと難しいじゃない?書き出しで全部台無しになっちゃったりもするからさ。
まず書き出しと。
書き出し褒めがちね。
あとは書き出し後は?
書き出し後はそうだね。
部分が良いというか考えたことなんだけど。
どこだっけな。結構後半、真ん中やや後ろぐらいに
正規かどうかは統計上の問題ではないっていう。
あったあった。私もそこ何か覚えてるな。
何かね出てくるんですけど。
この作品の中で
2たす2は4って言うかどうかみたいなすごい大きいコンセプトなんですよ。
最後めちゃめちゃ拷問されてる時に2たす2は5だってめちゃくちゃ言われて。
最後2たす25だよなって主人公が思う感じで終わるんですけど。
でも我々からすると正規の沙汰じゃないじゃないですか。
だから一応その2たす2は5なんだよねって言ってる主人公は別に世の中の人が2たす99%の人が
2たす2は5であると言ったとて正しいのは2たす2は4だと。
その時に4ですよって主張できるのが人間の自由意志でありすごく大事なことだと思っている。
つまりこの2たす2が4だっていうのは統計上正規じゃなくなっちゃうわけですけどそういうことじゃないんだと。
4が正しいんだから別に統計的に人類みんなが5だと言おうと4は4であるっていうのが彼の主張で。
そうですね。だから自分が思うそのまま2たす2は5だってなっちゃうのは切ないですよね。
そのギリギリのところで出てくるのが正規かどうかは統計上の問題ではないっていうやつなんですけど本当にそうだなと思いながら。
でも結局日々生活をしていた時にだってそうだからって言っていることの結構半分ぐらいが統計上そうだからねえだったりするじゃないですか。
心に突き刺さる何かですよね。
確かにね。
正規かどうかって統計を一回脇に置くと何が何で担保するんだろうなーみたいなことを読んでいる時は思ってすごい味わいがある部分でしたね。
正規かどうかは統計上の問題ではないっていう。
その前後で何か方法は分かってるが理由は分かってないみたいな。
うん。
あのあれだね。
革命家なんじゃないかと思った人からもらった本を読んだ独語感みたいなところで出てくるね。
知識を持っていることは理由にならないというか。
すごい思考の制限にすごい有効だと思うから
講述筆記を続ければ続けるほど
自分の思考で狭くなっていくんじゃないかなって思うんですよね
もしくは固まって一つのもの
何ていうの多様性のないような思考になっていくだろうなって思います
それに加えてニュースピークっていう語彙を極限まで減らした
言葉を使ってみましょうって政策も入ってて
より乏しいワードで
より自己検閲を強めながら話していくっていうことは
どんどん同じような確立からされた
適合のいい思想の人間が生まれてくるだろうなって思いました
そうかそうだよね
そうなんだね欠かせないほうがいいんだね欠かせないし
欠かせないし嫌とかちょっと手を止めて考えるとかもない方がいいっていうか
そうだね
講述筆記って基本推考がないじゃないですか
そうだねそうだねそうだね
いや仕事のこの会議とかを
私も最近はデフォルト全部録音して全部文字起こしするようにしてるんですよ
でそういう文化がない会社というか場もたくさんあるじゃないですか
でその文字起こしたやつをお客さんとかに送ると
いや私こんなこと言ってないっすねみたいな人普通にいるんですよ
うん気持ちはわかるけど
いや面白いなと思って
面白いというのはいくつかあって
その言ってない発言したことを覚えてないっていうのももちろんあるし
発言したことを思ってないっていう人もたくさんいるんですよ
でこんなこと私は思うはずがないみたいな
そんなロジックを私は使うはずがないみたいな人がいて
いや言ってたけどなみたいな
やっぱそれぐらい頭を通さずに出ちゃうんですよね
口からっていうのは
こうやって文字でこうやって出すのとこう出るのと全然違いますよね
そうだねそうだね
この本の最後の方にも2たす2は5だと信じようとしたんだけど
突然そのウィンストン・スミスがジュリアって言っちゃって
もう一回拷問を受けさせられるっていうシーンあったもんね
言っちゃうのかもね衝動でね
言っちゃう
まあそうだよね
そうか
2つ思ったことがあってさ
1個はなんて言うんだろう
ちょうど今収録しているのが8月の真ん中ぐらいじゃないですか
なので街中ではいろんな方々がデモをされていたり
いろんな方がいらっしゃる
戦争の?
戦争系ももちろんあるし
天皇云々みたいなのもあるし
いろんな方がいらっしゃるんですけど
気軽にデモできる国っていいなっていう
この本を読んでると改めて思うっていう
それは表裏って言ってることを結構無茶苦茶だったりするんですよね
消費税は0%にとか言ってる
消費税を0%にすると現役世代の恩恵がとか言ってるんですけど
なんか不思議だなと思うロジックなわけですけど
彼らは自分の言ってることを文字起こししたことはあるんだろうか
とかっていうのを思いつつ
そういう主張でも言える世界というか社会というかになってるのは
いいことだなーみたいな
一層この本を読んでると日本の平和を痛感するっていうやつでしたね