2024-08-20 23:32

『本を読む本』 #2

--お話の内容--

  • 没頭するみき、分析するのぞみ
  • 速読ってどう?
  • 文体とか言い回し、気になったりする?

--書籍紹介--

本書は、1940年米国で刊行されて以来、世界各国で翻訳され読みつがれてきた。読むに値する良書とは何か、読書の本来の意味とは何かを考え、知的かつ実際的な読書の技術をわかりやすく解説している。初級読書に始まり、点検読書や分析読書をへて、最終レベルにいたるまでの具体的な方法を示し、読者を積極的な読書へと導く。単なる読書技術にとどまることなく、自らを高めるための最高の手引書。

サマリー

このエピソードでは、読書と人間性の関係について論じており、特に読書が心の豊かさに与える影響に焦点を当てています。シントピカル読書と分析的読書の違いが議論され、著者や哲学者の視点から学びの重要性について触れられています。様々な読書アプローチが取り上げられ、分析的に読むことの楽しさや速読術に対する疑問も提起されています。また、教養書と小説の関係性についても言及され、読書体験がどのように形成されるかについて考察がなされています。このエピソードでは、著者の文体や文章の締め方が読書体験に与える影響についても議論されており、特にノートやフットノートの多い本への苦手意識や嫌いな文末について、個々の読書スタイルの違いが探求されています。

読書と心の豊かさ
例えば、仕事で見る長いパワーポイントの プレゼン資料があるとするじゃない?
スタートアップのピッチじゃなくて、コンサルが作るような ミッチミッチのやつあるじゃない?
あれを読むときは、Mikiさん、 これの前半にあるような読み方はしない?
それはするんですけど、別にだからそれは完全に 読書じゃないっていうか、
情報処理だったらマシンのつもりでやってるっていうか、 それこそ動画とか見てみたいな感じですけど。
だから読書じゃないっていうことに、Mikiさんの場合は 集約される感じがしますね、なんか聞いていると。
だしなんていうか、それこそここで言ってる。 理解をしないと心が豊かになりませんよ、みたいな。
だから別にそのパワフォーを読んでも、 自分の人間性が豊かにならない。
別に豊かにするためにやってないというか。
うーん、それはなんか人間性とかの定義の問題な気がするけど。
でもMikiさんが言っている、 それがもししっくりこないポイントだったら、
私そこを全然読んだ記憶がないから。 なんか適当に読んでるんだろうね、そこ。
シントピカル読書の理解
なるほどね。私がそれを気にしてるのかもね、確かに。
この読書ができるかどうかと人間性って全く関係ないからね。
え、あるよ。
え、あんの?この人が言ってる最終段階の、なんだっけ、 シントピカル読書。
なんか一冊読むだけじゃなくて複数のことを混ぜてみたいなやつ。
シントピカル読書ね。
なんかこれができるかどうかと人間性って全く関連がないと思うんだけど、 あるのかな。
それがもし仮にこの人の主張だったら私は全く同意しないけど。
さっきもまた200ページ上るんだけど、 こういう本こそ読者の心を広く豊かにしてくれるので、
心が豊かにならなければ満々だとは言えない。
うん。じゃあ学ぶと心が豊かになりますって言ってるわけだよね。
うん。
で、良い学びの方法って別にこの読書に、
読書は学びの方法だとは書いてるけど、 学びの全てが読書ですとは書いてない。
だから別にいいんじゃない?他の方法で学べるんだったらって思ってるから、 私多分あんま思ってないんだと思う。
この読書をしないと豊かにならないとは、 豊かになれないとは全く言えない。
この読書をしないと豊かにならないとは思わないけど、
読むなら豊かになるように読んだほうがいいっていう主張に思ってるけど。
読むなら豊かになるように読んだほうがいい。 でもそれはそうなんじゃない?
精神的な成長がなければ意味ないと書かれてると思うんだけど、
読書をするからには精神的な成長があってこその読書で、 そうじゃなかったらただ地面を追ってるだけですみたいな。
でもそれはそうなのかもね。
明らかに書いてると思うんだけど、
同じ本を読んでなんでこんなに感想違っちゃうんですかね。
なんでだろうね。
多分、これは私傾向だと思うんですけど、
小説を、まあ儀局とかでもいいんだけど、 ミキさんと私で読むとするでしょ?
逆にさ、圧倒的に私の方が読む方が多いと思うんだけど、
読むとするでしょ?
逆にさ、圧倒的に私の方が想像力が貧困なんだと思うんですよ。
感じるものが少ないと思うのね。
多分それはさ、読書っていうものの、
そういうものは読書ではないっていう強い主張をする時にさ、
ミキさんのベースにある読書って多分、
どっちかっていうと儀局を読むこととか小説を読むことが中心にあると
なんとなく思うわけですよ。
そのさ、この後半の小説の読み方みたいなことを読んでるとさ、
なんちゃうんだろう、すげえ本当にめちゃくちゃいいことを言うなと思ったんだけど、
小説とかを読む時の、なんかしてはならないことみたいなのが書かれててさ、
なんか第一条が文学の影響力に抵抗してはならないみたいな。
いや、かっけえみたいな。
すげえいいこと言うじゃんと思ったり、
なんかさ、このなんだっけな。
精神の向上と学び
物語にか心に働きかけるに向かせってやったとこじゃない?
そうそう、任せる感じがするじゃない。
多分それがこうベースにあるってさ、
多分その読み方ってさ、
完全に本のタイプが違う時に切り分けるのってすごく難しいじゃない。
でさ、私多分どこまで言っても分析的に読んでるんだと思うのよ。
どんなものも、小説しかり、儀局しかり、
なんか単歌集とかのそうやって読んでるからさ、
私は多分読み方がすごい貧困なんだと思うわけ。
貧困と思うんですね、それを。
そう思う。
その影響力をガンと受けようみたいなやつってさ、
私は多分あんまり、
何て言うんだろうな、分析的だからさ、
そういうもんだな、なんだなみたいに感じちゃうのよ。
だから、ここの本の前半で、
この本自体もそうなんだけどさ、
影響力を受けようと思って書くと、
すごいまっすぐに言うと書いてないことまで書いてあるように感じながら読む人っているじゃない。
ガンが治りますみたいな本さ、
一応厳密に言うとそういうこと書いちゃうと出版できないから書いてないんだけど、
なんとなく読み終わった後に、
この方法やればガンが治るんだって思っちゃうみたいな。
というのはさ、多分、
フィクションの読み方を、
それをもってして教養書っぽいものを読むと、
そういうものまで見えるんだろうなっていうのを思うわけだから、
表裏だなっていう感想かな。
この人哲学者だからさ、
哲学者なんて、
一行を一年かけて考えるみたいな人たち、
だから厳密性命みたいなことなんじゃないかなと思うと、
それはみきさんがやりたい読書とは違うだろうなって感じはするよね。
厳密性命だったらね、そうかもね。
何がおもろいねって思うでしょ。
でもその一方で、読者は必殺な本をくまなく理解することよりも、
その本が自分にとって役に立つかどうかを見極めるように心がけること。
それを忘れないでほしいとか言ってて。
だからこの人が知っている読書の景色は、
私は知らないかもしれないとか思いましたね。
それさらに251ページね。
これ聞いたかったんだけど、
いい本は思うとわかりますって251ページに。
再読の必要がない本はわかります。
本を読んでいるときの感じでわかる。
再読の必要がないということは、
本を読んでいるときの感じでわかるものだ。
その本を読むことによって精神が向上し、
理解が深まるにつれて、
その本から吸収するものはもうないということが完全にわかるのであるって書いてあって。
私こんな経験をしたことないんだけど。
私もない。
これない?
野杖さんにはないのかと思った。
もちろんない。
読むことによって精神が向上し、
その本から吸収するものはもうないということが完全にわかるような読書を
私はしたことがないなと思ったんですよね。
それはね、私もないし、
一生でこれを感じられる自信も全くないね。
大変だね、なんか。
そうだから、こういう精神が向上する読み方。
でもなんかいいのかな。
私、ここでいう分析的読書みたいなやつはすげーあると思うんだけど、
本を読んでて、いやー俺精神が向上してるって思ったことないもん。
文学作品を読んでいるときにあります。
向上っていうよりかはなんか、
喧嘩してるっていうときは。
それはどういうこと?
どういう喧嘩している?
精神が向上?ただ、向上かはわかんないけど、
なんか、新しい世界の見方を教えてもらってるっていう感じの時がある。
それはなるほどね。
例えばだけどさ、
バッタを倒しにアフリカへみたいな本があるとするじゃない?
はいはいはい。
あれもなんかさ、
そんな人いるんですか?みたいな意味では、
新しいそういう考え方があるんだなぁになるじゃない?
うん。
それは私もあるよ。
そんな感じ?
え?
バッタを倒しにアフリカへをまだ読んでないからわからないけど、
そんな人いるんではないかな?
へー。
もうわかんない、自分の精神が向上したこと。
え、でも、
最近、もどりさんちょっと思ってた、
反脆弱性の人なんだっけ名前?
あー、ニコラス・タレブ。
タレブ、タレブ。
とか読んですごい色々考えたりとか、
あと、組織という免許?
会社という免許。
あ、会社という免許か。
うんうん。
何回も読んだよ、色々考えてますみたいな。
あれって、精神を向上させてくれる本じゃないんですか?
どうだろうね、面白いと思う。
面白いと思うのよ、まず。
面白いと思うが、精神が向上している。
難しいね。
精神が向上していると、これさ、
コントロールF欲しいんですけど、
ちょっともう支線張ってないから分かんないですけど、
心を豊かにするとかも何回も出てくるよ。
出てくるね。
だからもう同じようなことだと思うんですけど。
私、心を豊かにしようと思って読書したことないからさ。
それそうでしょ、だけど勝手になるんですよ。
それが読書だと思ってるんですけど、私。
へー。
だから、もう不要意に感動したりというか、
もっとうっかり心を動かされたいというのが、
私が読書に求めるものなので。
心を豊かにするぞとか思って、
豊かになることなんて無理じゃないですか。
そうだね。
読書の楽しさとアプローチ
そんな人心があるうちはね。
だけど、そんなことを忘れて夢中になって、
自分の輪郭もなくなって、
世界に入った瞬間に、はっ!ってなる。
じゃないの?って思って。
へー。
それ以外の読書の仕方を知らん。
と言われてみて思ったけど、
確かに私は分析的に読書をした方が、
本が面白いと思うことが多いから、
そう読んでるんだろうね。
その読んどが楽しいもん。
なるほどね。
小説とかは全然あれだけど、
分析的に読んだ方が楽しいと思う。
あと学術とかは分析的に読まないと、
無理、頭が追いつかないととかありましたよね。
30ページくらい読んで、難しすぎるわって思って、
一旦ちょっと、学術とか構造とか書き出す、
みたいなことはありますけど。
そうだね。
例えば、さっきのニコラスタレブの
反脆弱性とかさ、ミゼニオキレイとかもさ、
あれもそうだね。
ほぼ語りだからさ、
どこまでできるかってことはあるんだけど、
構造を理解して読んだ方が、
私は楽しいんですよ。そもそもが。
楽しいんだ。
そう。
その方が、
なるほどね。
自分の精神が充実するとは思わないし、
心が豊かになるとは思わないけど、
楽しいですね。
その方が楽しい。
私はもう、構造を頑張って捉えるフェーズになったら、
それはもう、頑張ってって感じで、
結構苦しみのフェーズに入っちゃうっていうことですわ。
それは、なるほどね。
それはしんどいね。
だから、それを管理するってことは、
何か思わなきゃいけない理由とかが発生していて、
私と関係ないところで。
教養書と小説の関係
なるほどね。
じゃあ、みいきさん、
例えば、そういう本をさ、
速読したい、
速読術を身につけたいなとか、
思うことはあるの?
ない。
つらいことだけどさ、
仕事上やらなきゃいけない瞬間とかが、
出てくるとするじゃない。
そういう時って、
速読できれば一気に処理ができるみたいになるのかなと思う。
裏返しとしてはさ、
速読は私できるんです、やりたいんですっていう人って、
多分その人、読書好きじゃないんだなと思うタイプなのね、私。
それって、
私は速読についてあまり理解がしなくて、
それって本当に理解したことになるのかっていうか、
体通さなくて大丈夫か問題がそれは本当に発生するっていうか、
一応、内容を叩き込んでおかなきゃいけないっていう時に、
速読でそれが叶うんですかね、本当に。
どうだろうね。
頑張って行動とかを抑えながら、
飛ばし飛ばしたし、
内容を確認しながらだけで一応読んだっていう方が、
私的には、
それが最短距離で理解したことになるって感じがしていて、
なるほどね。
結局のところね。
今のミキさんの理解するっていうのは、
たぶんすごくいい切り口で、
私、分析的に読んで、
構造が頭に入った時に理解したと思ってるからやってんだろうね。
たぶんそれが楽しいと思ってるからやってる。
ミキさんどっちかっていうと、
体で浴びるみたいになっちゃうんだろうね。
そうですね。
そういうことを理解するというか、
体験するっていうことで言ってるんだろうね。
そうかもですね。
それを教養書とかでもなるべく浴びる型でやった方が、
私的にはまだ肺深いと言ったら肺の方になるから、
一番必要体験だけ浴びて終わりにするみたいな、
っていうときのやり方が、
構造を把握し、
人の解説とかもちょっと読んでから、
バッて一回読んで終わりにするっていうやり方でした。
ゆっくり一文字一文字追っていくのも無理だから、
そういう風にする。
なるほど。
結局、どうやって読むのが楽しいかっていう話と、
どうやってやるのが理解しやすいかっていう話で、
たぶんこのアドラーさんとドーレンさんは、
私の頭の構造が近いっていうだけのことなんだろうね。
たぶんね。
本っていうものの定義が、
のぞみさんとこのアドラーさんとかに近い。
私は最近は日記本とか、
文化人類学の本とかって結構、
エッセイと小説の間みたいなやつとかも多いなと思ってて。
ナラティブだもんね。
確かにね。
そうそうそう。
ナラティブ系のキシンマセクスとか、
学術書って隠れたけど、
なんか全然物語みたいなタイプのやつとかもあるじゃん、
みたいな風に思いながらやってたから。
だから一概に教養書だからといって、
っていうような感じのことを思ってたけど、
だからこのアドラーさんが思っている本、
読者に知識や経験をもたらしてくれる本っていうものと、
のぞみさんがよく読む本の形式が近いっていうのがあるのか。
文化と読書体験
それはそうかもね。
ほんとここに書いてあるように、
俺読んでる気するもん。
いいことじゃん。
100年くらい保証されてるよ、
だからこの読み方。
本に限らず私たぶん、
お客さんが出してくる提案のストーリーとかあるとするじゃない?
もう私全部こうやって読んでる気がする。
でもそれは私も仕事には生かした方がいい気がする、
この読み方。
この前半の教養書とか。
しかしみきさんの中で読書よりかは、
仕事にひも付くってことなんだね。
このハウは。
そうとか、自分の成長のためっていうよりかは、
役割を果たすのでいいよって。
それは、
仕事って基本は辛いことだから、
これをやるのは辛いことに、
人体の構造上、脳の構造上になる気がするね。
確かにね。
でも、
私たぶん、
本を読み始めるのがものすごく遅かったんですよ。
小中高の時とかほとんど本なんて読んでないわけ。
最初にまともに本を読み出したのって、
私大学の2年くらいの時だと思うんですよ。
あるある。
だって高校の時は、
本を読み始めるときは、
ほとんど本を読んでなかったんですよ。
で、
最初にまともに本を読み出したのって、
私大学の2年くらいの時だと思うんですよ。
あるある。
だって高校3年生まで野球しかしてないから。
でも高校になって、
現代文学の時は、
心とかを読むじゃないですか。
やっぱりそれが気づき、
気になるなーと思って読んでて、
そのまままとめそうな時は、
ハマったりしてないんですか?
えっと、今、
みきさんの独白が始まりました、今。
あ、違う違う、
これは私の話じゃないですけど、
別にそういう人って多いから。
いやー、みきさんだから、
それは文化土ですよ、やっぱり。
そっかー。
もう、長野の田舎の中学校、
まずもう私が行ってた中学校とか、
超荒れてるんで、
もう国語の時間とか、
先生はもう必死に、
1時間を終わらせることに必死なわけですよ。
っていうのと、
もう高校に行くと、
もう何て言うんですか、
文学を何とかするとかっていうよりかは、
何て言うんですかね、
言ったらテストがベースなわけですよ。
中間テスト、期末テスト、
で最後になったら、
センター試験だ、大学入試だ、
ための現代文になっちゃうから、
もうこっち側のアンテナも、
面白い、心って面白いなーとかって、
全く思わないですもんね。
そうなの?
ないない、全然ない。
あ、夏目漱石っていう、
なんかあの、肘ついてる、
お雑の人ね、みたいな。
なんかそういう人がいるんだ、
みたいな、よくわかんない文章だな、とか、
もう何にも、
何にも感じることはなかったですよ。
あ、そんなんだろう。
どっちかっていうと、
漢文とかの、
語言ゼックとかあるじゃないですか。
はいはい、
見破れて参加ありね。
ああいうやつの方が、
なんかリズムもいいし、
グッとくるみたいなタイプでしたね、私。
だから大学の時に読み始めてるから、
その時ってある種、
学問をやってるわけじゃないですか。
だからそのタイミングで、
本を読み始めるから、
本を読み始めたタイミングの時に、
D、頭の中にある基本的な思考が、
もうそういう学術なんだよ、多分。
それをベースに、
小説も読むし、
何単語も読むし、
だから最初の頃の小説を読んでも、
何も面白くないですもん。
確かに私の友達でも、
一人小説を読めないって子がいるんですけど、
確かに理系だし、
他の本を読み始めた時期は、
すごい、
すごくそう思う。
すごく納得いたしました。
はい。
みきさんのこの、
前半のが、
は?って思うのは、
すごく豊かな文化の現れだと思いますよ。
豊かかわかんないんですけど、
なるほどね、
出会い方と情報処理
出会い方の問題。
出会い方はね、
適当にズルズルだったからね。
絶対あると思うよ。
適当に読み合わさって、
いい思い出してきたみたいな、
気持ちがあるかもね、確かに。
なるほど、なるほど。
うん。
さっき私が、
みきさんに聞きたいなと思って、
言いかけてたのは、
2つ聞きたいことがあって、
こういう本得意ですか、苦手ですか、
質問なんだけど、
中とかフットノートが多い本あるじゃないですか、
うんうん。
みきさんは得意、苦手、
別にどっちでもいいって言うと、
どうなんですか?
どっちでもいいんですね。
ただ、よっぽど気に入らない人は、
普通は読み飛ばしてます。
すごい好きな時だけ読んでる。
へー。
私の想定では、
まず先に自己開示すると、
私、中めちゃくちゃ嫌いなんですよ。
ほとんど読むことない。
うんうん。
んですよ。
で、私の希望で言うと、
みきさんは是非、
中は私より嫌いであって欲しかったんですけど、
すごいノイズじゃないですか、中。
せっかく気持ちよく読んでたのに、
突然ちなみにみたいな話だったり、
これを深く知りたい方は、
このURLみたいなやつが、
うんうん。
読み飛ばしちゃう。
うんうん。
あれか、読み飛ばせてるから関係ないから、
別にどっちでもいいっていうこと?
あ、そうそうそうそう。
読み飛ばせてるから関係ないから、
本当にどっちでもいい。
私も読み飛ばしているし、
もうそこに書かないで欲しいと思っちゃうんですよ。
もう。
なるほど。
中書くぐらいだったら、
いやなんかもうそんなの書かずに、
もっと本部を増やせやとか、
思っちゃうタイプなんですよ。
それはちょっと分かりやすい。
中多い本は何だろうと思います。
そうっすよね。
お前下手かよって思いますよね。
うん。
本当にそう思って。
なるほど。
それが一個聞きたかった。
文体の影響
本当にすっごい読み飛ばしてた。
やっぱそうだよな。
あと、この嫌いな文末、
どうですか?話なんですけど、
私、こういう文章の締め方多い本、
本当に読めないっていうのがあって、
例えば、何とかと言わざるを得ないとか、
だるい文末ってあるじゃないですか。
二重否定半語みたいな。
そう、二重否定半語もそうだし、
何とかになることは論を待たないみたいな。
お前、大学生がレポート書いてんじゃねえかみたいな。
自数稼ぎしてんじゃねえかって。
そうそう。
っていうのが入ってきた瞬間に、
私もゼロになるんですよ、理解が。
分析的読書を仮に私がしようと思っても、
もうできなくなっちゃうんですよ。
イライラして。
なるほどね。
みきさんはそういう文末気になるタイプかどうかを聞きたいんですけど。
全く気にならないですね。
すごい、本当?
何とか論を待たない、普通に。
ノットとか指定ってことだけじゃない。
次に行く。
すっげえ。
分析的になんでないから。
一般的なイメージで、
みきさんが仮にナラティブっぽく、
ここで本で言う小説とか、
儀巧っぽく読んで、
私が前半っぽく読むとすると、
一般的には私の方が情報を抽出することだけやってそうじゃないですか。
で、みきさんの方が読んでいくときの、
そういうのがうざいみたいな。
こういう言い方気に食わないみたいな。
やめちゃうみたいな。
私の方がそういうの得意そうだなと勝手に思ったんですよ。
だからこれも同じようにみきさんにはすげえ気になってて、
そういうの文体が気にならないなと思った瞬間、
読むのやめますぐらいのことを期待してたんですけど、
気にならないのか。
強いなあ。
気にならないっていうか、だから、
つまりのぞみさんの読み方の方がちゃんと向き合ってるんだと思うんですよ、テキストと。
で、私はなんかもうちょっと雰囲気でやってるっていう感じだと思うんですよ。
でも、論を待たないとか言ってる奴の雰囲気嫌じゃないですか、なんか。
だからそれ嫌な雰囲気だなとか思うかもしれないんですけど、
でもそれは誰が言ってるかとか言う。
なるほど。みきさんもう著者、この人いいじゃんと思ってるところから入って読んでるんだとすると別にいいかっていう。
こいつの、この著者は好きとかそういうのもあるし、
もしくは役者のせいかなとか思ったりとかもするし。
確かにね。
これはもうちょっとやめられないかもしれない、むずいっていう時に、
それが文体のせいだったのかどうかをお気にせなかった。
もしかしたら文体のせいだったのかもしれない、今まで。
あー。
あーもうちょっと無理だ、一旦ようやくサイト行こうみたいな。
ようやく読んでから戻ってこようとかってなる時の、
もしかしたらそういうポーズに行く時の理由の一つで文体があったのか。
なんか文体の研究とかになると皆さんこう文学をやらはるじゃないですか。
うん。
ビジネスショー文体研究誰かしてないのかな。
確かに多くの人を達成させる文体みたいなのありそうなんですよね。
ありそう。めちゃくちゃありそう。
めちゃありそう。
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