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2024-08-20 13:53

#032_夏目漱石『こころ』の足跡を辿る

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サマリー

このエピソードでは、夏目漱石の小説『こころ』の舞台を巡り、登場人物や彼らの心情について議論しています。また、東京での文学散歩を通じて、作品の背景や漱石の影響を深く掘り下げています。

文学散歩の始まり
どうもお疲れ様です、いかです。この番組では、高校の国語化教育をしている私、いかが、仕事のことや仕事以外のことを有力おしゃべりしていきます。
2泊3日、東京研修&旅行から帰ってまいりました。
3日間で合計6万5千歩近く歩きまして、足が棒ですね。
いや、こんなにたくさん歩いたのは、もしかしたら初めてかもしれないですね。
特にですね、昨日はこころ、夏目漱石のこころですね、その中に出てきた土地をめぐる、足跡をたどるような研修でして、
2万歩ぐらい1日で歩きましたね。真夏の日差し照りつける中、またムシムシする中ですね。
なかなか過酷でもあり、でも有意義な時間だったなと思います。
今日はそのお話が少しできればと。
電通院に集合しまして、私を含め4人の先生が参加しております。
そこから水道橋方面に降りていきますね。
小説の中でこんな一幕があります。
私は猿岳町から神保町の通りへ出て小川町の方へ曲がりました。
私がこの界隈を歩くのは、いつも古本屋を冷やかすのが目的でしたが、
その日は手連れのした書物などを眺める気がどうしても起こらないのです。
私は歩きながら絶えず家のことを考えていました。
私にはさっきの奥さんの記憶がありました。
それからお嬢さんが部屋へ帰ってからの想像がありました。
私はつまりこの2つのもので歩かせられていたようなものです。
今読んだところは私先生が奥さんにお嬢さんをくださいと言って、
奥さんがようございますと結婚を許してくれたシーンのすぐ後です。
喜びのあまり先生は家にいてられなくなって外へ散歩に出るわけですが、
そのルートが猿岳町を出てそこから神保町の方へ出ていくと。
神保町を私も歩いてたんですけど、書店古本屋がめちゃくちゃたくさんありましたね。
専門的な書物を置いているところが多くて、明治あたりの文豪をメインに置いているところとか、
漢文、漢学の分野を専門的に置いている書店とか、それぞれちょっと特色があるような感じで、
大学とかとはまた違うけれど、情報にアクセスできるっていう場所があるというのはいいことだなと思いましたね。
冷やかす気になれないと言ってた書店を何点か見て、そこから次に向かったのは小川町ですね。
ここもさっき読んだところに出てきてたと思いますが、もう少しお茶の水方面に進んでいくと、
ホトトゲス社という雑誌の出版社が出てきます。
ここの会社は夏目漱石ゆかりがあって、ぼっちゃんとかいくつか書物ここから出版していると書いてありましたね。
ちょっとまた本文に戻りますね。
少しさっき読んだところ飛ばして、次。
私はとうとう万世橋を渡って明神の坂を上がって本郷台へ来て、それからまた菊坂を降りて、
しまいに小石川の谷へ降りたのです。
私の歩いた距離はこの山区にまたがっていびつな縁を描いたとも言われるでしょうが、
私はこの長い散歩の間ほとんどけいのことを考えなかったのです。
この辺ですね。
今出てきた万世橋、明神の坂、本郷台あたりも通りましたね。菊坂も行きましたね。
今iPhoneって便利で、私写真全部iPhoneで撮ってたんですけど、
その写真を一応心専用のアルバムを作ってですね。
そのアルバムの写真全部、地図を表示っていうボタンがあって、地図の中に写真を表示させることができるんですよ。
さっきの土地の取った場所と地図とリンクさせながら見てみると、確かに縁を描いているような感じでしたね。
ただ歩いてみてわかったんですけど、いや、かなり広いエリアですね。
この先生が歩いた範囲っていうのは、現代の電車とか車とかを当たり前に使っている私たちにとっては、なかなか広すぎてですね。
暑かったのもあって、こんなに歩かなくてもいいんじゃないかと。
この間ずっとお嬢さんとか奥さんのこととかを考えていて、全く系のことは考えていなかったと思う。
だから自分がお嬢さんを手に入れたぞと、自分のものになったぞ、うひょーみたいな感じでずっと歩いてたわけですよね。
いびつな縁を描いているけれども、その中でKは眼中に入っていない。
Kのことを思い出したのは、その後部屋に戻ってからKがもう病気はいいのかと訪ねたところで、
初めて彼に対して申し訳ない気持ちで一杯になるというような描写も出てきましたが、
歩いてみてしかわからないこともあるんだなと思いました。
なかなかの距離を彼はうひょうひょしてたんだなということで、先生たちの中で話題になっていました。
次に向かったのは灯台ですね。
さっき読んだシーンよりは少し前になりますが、私が図書館で本を読んでいて、そこにKもいて、
Kが私に対して声をかけて散歩をしないかということでね。
図書館から出て、立岡町から池の旗へ出て上野公園の中へ入りましたとありましたので、またそのルートをたどっていきました。
夏の上野公園、広大な池、あれなんていう名前だったかな。
忍ばずの池か、忍ばずの池の周辺の道があるんですけど、たぶんそこでKと私が散歩をするんですよ。
名シーンですね。
Kが私に対してどう思うと問うと。
要は理想と現実の間で方向しているKの様子が描かれていて、
私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見て、ここからめちゃめちゃ攻めていくわけですよね。
あの一番有名なセリフ、精神的に向上心のないものはバカだとブーメランと言いますか、
昔Kに投げかけられた言葉を私がそのままKに返すあの言葉ですね。
を言ったりとか、生徒にも注意して読んでほしいというか、私たちもすごい熱が入りながら教えるところですよね。
そのシーンの舞台になった池の周辺の道を歩いておりました。
そこで話題になったのが、Kと私そういう話が終わって、家までまた帰らないといけないのに、
結構また家までこれ距離あると。
これ気まずくなかったのかなと。
池をぐるっと回って、その間何か話してたのかなと。
おそらく私は得意の色があったでしょうから、ちょっとKよりも上の立場に立って何かいらない話をしたりして、
Kはますます何も言わないみたいな時間が流れたのかななんて。
フィクションに対して抱くようなことではないかもしれないですけれども、
すごい想像が広がる面白い時間でしたね。
Kの墓と文学の意義
そして最後に訪れたのがゾウシガヤ霊園でしたね。
さっきの上野公園からそこまで行くのには、さすがに歩いていくのは大変すぎるというか、
暑いし靴ずれも、4人中2人が、私もそうだったんですけど、靴ずれして、
もう限界を迎えていたので、タクシーを使って、ちょっとね、現代の文明の力を使って向かいました。
小説で出てくるように、Kの墓なんていうのはもちろんないわけで、
ただですね、夏目漱石の墓はありまして、立派でしたね。
もう夏目って結構大きな字で書いてて、
さすが、現代でこうやって文学散歩をする人がおそらくたくさんいるんでしょうけれども、
QRコードみたいなのが貼ってあって、それを読み取ったら、
夏目漱石の説明がスマホに表示されたりする仕組みもあって、
よくできているなと思いました。
夏目漱石だけではなくて、明治あたりに活躍した文豪であったり、あとは軍人ですね。
の墓が本当にたくさんありまして、
これはなんで、この造詞家屋の霊園に偉い人ばかりが作るんですかね。
お金を持っている人しか、そこに入れられないんですかね。
墓を建てるみたいなことは、そういうちゃんとお金を持っている人しかできなかったのか、
そこが名誉とされていたことなのか、
なんでそこにそんなに偉い人たちが固まっているんだろうな、みたいな話にもなっていましたね。
例えばラフカリオハーンとか、あとは竹久夢次とか、有名な人がたくさんいました。
人がいましたっていうか、有名な人の墓がたくさんありましたね。
私たちはタクシーで来ましたけれども、
ここもおそらく歩いて、都度都度先生は慶の墓参りに行ってたっていうことですよね。
かなりの距離ですよ。
夏目漱石がその距離を想定して書いているのか、あるいは小説の演出上、
そういう地名をまず入れて、距離とかはあまり考えてないのか、よくわからないんですけれども。
もし歩いていると想定して、その距離を想定して書いているのであれば、
この実際の距離、こんなに歩いているってことは、
その中で何を想像しながら歩いてたんだろうとか、
これぐらいは時間はかかると思うけれど、
その間慶のこと、あるいはお嬢さんのことをどういうふうに考えていたんだろうとか、
ただ読むだけではわからない想像が歩くことによって、実際に見ることによって膨らむなと。
またこの小説の読み方っていうのが変わってくるなということで、
今回すごく暑くて大変でしたし、足も疲れたっていうのもあったけど、
でもやっぱり歩いてみて、散歩してよかったなと改めて思いましたね。
だいぶ長くなってますので、今日は一旦ここで切りたいなと思います。
夏目漱石 心の足跡をたどる文学散歩でした。
ありがとうございました。
13:53

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