着地した。
いやでも感情労働であるっていうのを昔さ、
はいはい。
このラジオでも話をしていたけど、
うん。
それがあるゆえに余計難しいみたいなところありそうだよね。
そうそう。
そういう話というか。
そうなんですよ。
なんか言ってる職員がどうなんだみたいな。
うんうんうん。
そうだから子供に伝えるならまず自分たちができなきゃなって、
うんうん。
そうなんだよ。
ほんとだから。
それがちょっと難しい環境なのかなっていう気はするよね。
そうだね。
そうだから保育士しっかり、まあ保育園とかね、
こういう場の職員自身が自己検査する時間だったり、
勉強する時間をもっと働く時間の中で取れないとな。
そう思うね。
そうだね。
ゆとりは必要だね。
もうちょっとね。
いっぱいいっぱいじゃあそんなこと考えてられないもんね。
うん。
でも今1個感情の話してて面白いなと思ったのが、
うん。
やっぱりなんか基本的には喜怒哀楽って言われるように、
うん。
まあいろんなパターンがあるじゃない。
うんうん。
けどやっぱり感情って聞くとなんか我々の中で最初に出てくるのって
怒、怒りのところが大きいよなっていうのが今すごい面白かったなと思って。
うんうんうん。
うんうんうん。
ああ確かにね。
そうなんか喜びとかさ楽しいとか。
うんうん。
なんかそういう感情とこの怒りっていうのとかなんかちょっと、
うん。
なんて言えばいいんだろうね。
別物というかさ、
うんうんうん。
怒りがやっぱ対人関係での摩擦を起こしたのか、
うんうんうん。
一番課題を感じるというかみんなが真っ先にあげるというか話に出てくるのが怒りっていうところが、
うんうんうん。
なんか感情という言葉の面白さだなと思って。
うーん。
ああでもやっぱり発露するっていう時に一番近い概念な感情印象としてあるのかもな、
うんうんうん。
無意識的に。
うんうんうん。
そうだよね。
確かに確かに。
感情的って聞くとさ、
そうそうそうそう。
うんうんうん。
確かにすごい原始的な感覚だなとは思う感情の中でも。
うんうんうん。
やっぱり嬉しい楽しいとか、
なんかこう喜ばしいことの感情って結構成熟してからより深みを増すじゃない、なんていうか。
うん。
なんか変な話さ、あのー、
ハラハラと葉が落ちてくるだけでもなんかこう秋を感じてなんだか美しいわって思えたら、
そしてすごい成熟した感覚じゃん。
成熟してるね。
そうだね。
とかちょっと空見上げてこの夕焼けが綺麗でポロリと涙を流すみたいなのも、
ああ。
心としてはすごい複雑じゃないですか。
そうだね。
日本語で言うと心のキビがどうこうっていう時キビみたいな感じだよね。
そうそうそうそう。
そうなんかそう、
そういうのを思うと怒るとか、なんか怒りとかって、
ちっちゃいと言うかあんま変わらず突発的に。
ある種の暴力性を帯びているというか、そういうところがあるよね。
本能とかいう単語に近いような。
近いね。
なんかまあある種それがあるから、なんか怒りってすごいエネルギッシュじゃないですか。
エネルギッシュだね。
うちの今下の子がちょうど10ヶ月にもうすぐなるんだけど、
まあだいぶ前からそうだけど結構一丁前に怒るんだよね。
激しいのよそれが。
赤ちゃんとかもう子供の怒りってなんかやっぱりすごいまっすぐだから、
これはほんとよく言うんだけど、やっぱ目を見ちゃうとこっちもかきたてられるというか、
なんか放送本能みたいなものが湧き立ってしまうような感じがあって。
なんか大人になってもそういうところからね、受験に発達したりとか発展したりとか、
難しさもいろいろはらんでる怒りの感情だけれども、
アンガーマネジメントがね、いっぱいほぼブーブーみたいな感じでね。
そうだね、さっきせーたが言っていた感情と行動は切り離せるの話じゃないけど、
やっぱ子供の頃ってそこは不可分、不可分というか分かれてないじゃん。
感情と行動っていうのが。
続いてるね。
そうそう、それが大人になるにつれて、
そのある種客観的にそれを見る、メタ認知的な考えなのか、
ウェルビーング的な考えなのかわかんないけど、
っていうことができると、ちょっとなんか、
感情は怒っていても行動は違うことをするっていうことができるようになるのかなっていう。
変だかな音的なことですか。
怒りながら笑う。
怒り、笑いながら怒る。
よく伝わったな、我々。
笑いながら怒る。
それで言うと、そこが分かれていく、
感情と行動を分けれるよねっていうのって、
そういう場合に長先生が普段見てるような、
保育園児の6歳ぐらいまででは結構難しい。
いや難しいというか、やっぱそこ、
彼らの発達は今そこじゃないっていう感じ。
やっぱそうだよね。
彼らは今まっすぐに、
そもそもその感覚をどう自分でコントロールするかの段階だから、
6歳とかだったら。
怒るのは別にいいんだけど、
怒って人ぶん殴ってたらどうしようもないわけで、
怒った時に、じゃあどう対処するのか、
どう伝えるのかみたいな、
その伝え方を学ぶ時期だと思うので、
そのやっぱ行動を分けるっていうところ。
でも一番根っこだよね。
それがそもそもできないと、
ここの感情と行動を分けるまで至らないもんね、きっとね。
そうだね。
これは半分冗談の話だけど、
僕は追いっこにとにかく何かをしてもらったら、
思ってなくてもいいからありがとうございますを言いなさいって言い続けては、
あなたがどう思っていいようがありがとうございますと言えるようにしておきなさいと。
ごめんなさいとありがとうございますだけは、
感謝で言いなさいって言ってます。
せきずり感謝ね、もう。
お前がどう思ってるかじゃないんだ。
これを言っておけと。
スキルとして大事よね、やっぱり。
それを言うだけでちょっと周りが動いてくれるんだから。
便利なスキルだぞって。
そうだね、それは結構大人な教えだな。
だって俺もまだできてないもん、それ。
そうだね。
ありがとう言いなさい、ちゃんと。
でも多分、変な話で、
しつけとしては決して間違ってないと思うんだけど、
やっぱり大人があれこれしなさい、しなさいって言うこと自体が、
本当にその子がちゃんとありがとうとかごめんなさいを言えるようになるための、
神知かと問われると、おそらく違うんだろうなという気がする。
みんながみんな保育のプロではないし、僕も含めて違うから、
保育士さんだったらもっとこういう風に伝えるとか、
それこそもっと経験の深い、いろんな子供を見てきましたっていうお母さんだったら、
こういう風に伝えるとかね。
家庭でもいろいろあるような気がするんだけど。
そうだね。
そう考えると教育ってむずいな。
そうだよね。
難しいよね。
今のケイタの話、ありがとうって言いなさいの話で言うとさ、
多分それを言われてる当時は、自分のキャパ的に、はいはいとか、
なんとなく同じことこの人ずっと言ってんなって思うけど、
大人になってから、あれはそういうことだったのかみたいな。
あるよな。
時間がたくさんわたるタイプの話だよね。
苦戦を仕込んでる。
仕込んでるね。
だいぶ熟成されないとね、開かないけど。
でも大切なことだからね。
だから伝えることは本当に素敵だと思う。
ありがとうって言うんだよ。
ごめんねって言うんだよ。
言ったことをつけてるからね。
思ってなくてもいいからみたいなこと言わなくていいんだけど。
確かにね、本当はね。
そこが個性だから。
最近、動いたこと、感情が自分でこれは、
動いたな、感動したなでもいい。
感動したな。
でも俺はシンプルにゲームやってて楽しいってなる。
それはもう感動か。
感情が動いてるか。
楽、楽とか愛。
確かに感情が動いたって言われて、
やっぱりさっきの規則の指摘じゃないけど、
泣いたのいつだっけとか怒ったのなんだっけって、
なんか自然に考えちゃうな。
そうだよね、強いところが来るよね。
すげーこれで笑ったんだよねみたいなのとかも感動と、
あんまり認知しないなってすごい思った。
そうなんだよね。
俺も大学生とか高校、大学と入って、
わりかし他の周りの子から比べると、
そんなに感情のなんか発露というか、
触れ幅が他の周りの友達と比べると、
そこまで大きくないタイプの人間だと自分としてはね、
思っていたんだが、
保育園で働き始めて、
まっすぐに打ち切れる子供たちと。
一番もう忘れらんないんだけど、
一番最初に1年目で入った時に、
ちょっと延長版っていう時間帯の勤務も入ってて、
延長保育を利用してる当時、年長児のお子さんから、
嘘めバカ!みたいなことをすごい何回も言われたんだよ。
なんかまあさ、基本バカじゃなかったからね自分が。
そうだね。
そう、そんなに学歴的にはバカではなかったから。
バカだったことあんまりないもんね。
そうそう、中高、大とこうバカと言われることはあんまりなかったね。
なんかすごいまっすぐ怒りながらバカって言われて、
嘘バカじゃないし!みたいな。
すごい感謝的に言い返した瞬間があって。
はいはいはい。
あのすごい当時一緒に組んでた人がめっちゃゲラゲラ笑いながらいてて。
うん。
なんかやっぱ大学出てるとしげえな、みたいな。
言われたんだけど。
そんな反応しちゃうんだ。
そうそうそう。
ムキになんなよって意味だったんだけど、
あ、俺今ムキになったんだなってちょっとその時はすごい思って。
うん。
なんか以来すごい感情がある種豊かになった気がしますね。
子供とのやり取りの中で、すごい感情がやっぱ動かされる。
良くも悪くも。
怒ったりイライラしたりもする反面、
すごいほんのちょろっとしたことですごい嬉しかったり楽しかったり、
みたいなことがすごい増えて、
本当には感情労働っていうものはこうなんというか、
幅も広げなきゃいけないんだなっていうのをある種感じたというか。
自分のこの感情のフレ幅だけだと、
その先の奥の方のフレ幅にある子供たちの感動だったり、
その時の思いになかなかキャッチできなかったり、
あるいは拾いきれなかったりするなんというか、
範囲があるなってすごい感じて。
なるほどね。
面白いな感情。
でもね、感情のフレ幅を広げるとね、やっぱ多少は疲れるね。
そうだよね。
繊細さんとか最近言われてるけど。
あーね、あるよね。
HSPみたいな。
そうそうHSP。
だからやっぱそういう感情のフレ幅がやっぱあると疲れちゃう、
ストレスが溜まっちゃいますみたいな人もたくさんいるとは思うんだよね。
受け取る情報量が多いってことだもんね。
うんうん。
若干そのさっきのきそくんのゲーム楽しい、
もちろんその子供に言われてみたいなのってこう、
受動的に動かされたじゃん。
感情を動かされた感動。
そうだね。
自分は割ともしかしたら感情を動かさなきゃなっていう動かし方をすることが最近増えてきたかもしれない。
動かさなきゃな。
なんていうの。
ギアを入れる感じ。
たぶんチロが仕事に向かうときに仕事モードだみたいなのと、
本質的には近いと思うんだけど、
ある種こう、会社で働くにあたって、チームで働くにあたって、
チームの人たちを盛り上げなきゃいけないよねみたいなのとか。
あー、はいはいはい。
こう、ある種喜びの感情を動かしていかないといけないわけじゃん。
自分の中の。
そういうどっちかっていうと、動かされるもあるけど、
動かさないとなみたいなのって。
義務感みたいな。
そうそう、動かしたほうがうまく回るだろうなって動かすみたいな。
ことは、もうほうが多いというか、記憶に残ってる。
ヘイターは結構そういう目的ドリブンというか、
目的のために感情を動かしていくみたいな、
それを合わせていくっていう感じだよね。
感情も手段だよねっていう感覚が、
もちろんあるよ、漫画読んで感動するみたいなのが面白いみたいなのも当然あるんだけど、
なんか覚えてるのほうで言うとやっぱ、
自分で今こういう気分で行動したっぽいことをしているなみたいな。
行動によって感情を動かすみたいな。
なるほど、なるほど。
体を先に持っていく。
後から感情を乗っけていく。
発信とかをして、
本当は別にそこまで熱く思ってないけど、
熱くなって語ろうみたいな。
で、熱く語ってるうちに熱くなっていくみたいな。
順序だなっていう。
体を動かすことで感情がついてくるみたいなことのほうが。
それはめちゃくちゃでも一理あるよね、確かに。
うんうん、だし、川地らしい。
らしいね、なんかその義務感から動かしていくスタイル。
なんか変な話、俺とか高橋さんとかがあんまりストレスを貯めるタイプじゃないじゃないですか。
そうだね、ほんとに。
世間一般の平均からすると、
そういうストレス体制みたいなのがわりと強いみたいな。
高いと思うね、それは。
どっちかというと川地のほうがね、そういうストレスはちょっとぶつかれるじゃないですか。
意識的にそういうふうな動きをする時点で俺らってすげえよな。
でも感情を動かすって結構エネルギー使うと思うんだよね。
そうだろうね、なんかその根本の根本がなんというか、
究極的には全部どうでもいいからみたいなところあると思ってるんで、
だから動かさないと動かないんだろうなと思って。
それ面白いね。
面白い。
感情っていう面を切り取ってもやっぱり全然違うな。
シンプルに感情というものを改めて考えるということがまず面白いわ。
そうだねー。
でしょ?意外とこの企画いいんじゃないですか?
いいね。
保育の直球っていう形ではないし、
多分、なんか自分とかケイタとかさ、
保育業界の人間ではない一人間が改めてそれを考えることで、
一郎みたいに保育の領域で働いてる人でも、
その差を感じ取れるというかさ、
いろんな角度があるねって知れるという意味では、
なんか一つのテーマに対してこういうふうに、
それぞれの考えてることを言ってみるのは面白いね。
でしょ?
うん。
すごい多角的にこういろんな知見を持ち寄れて、
面白い気がして。
面白いね。
多分なんか言い方あれだけど、
保育業界の中の人同士で話すよりも、
あえて違う業界の方がその幅は出るかもしれないね。
そうそうそうそう。
で、なんかこうほら、やっぱり大人の感覚、
大人になった自分たちの感覚から話していったところを、
子どもの発達とか、
乳幼児の視点から捉え直すと、
今自分たちが育てようとしていることが、
最終的にこういうふうに発達していってほしいとか、
逆に大人からすると、
こういうふうに発達してきたんだ、
こういう順序だったんだみたいなのが分かるだけでも、
なんか改めて新しい築きがあったりとか、
そうだね。
できたらいいなと思っています。
なんか感情って聞いたときに、
感情って聞いたときに、
もうちょっとだけ話すと、
最近つってもだいぶ前からだけどさ、
エモいという言葉が使われるようになったじゃない。
エモいってエモーショナルじゃん。
感情的という言葉。
あれってめちゃくちゃ面白いなと思っていて。
確かにね。
エモいって結局何を言ってるんだろうね。
言葉で表せないけど何か心に来るものがあるみたいなときに、
エモいが使われがちなのかなって。
感覚的にはなんか教習とか、
そういう、
懐かしいにが一番近いのかなと思って。
フィルターとかを考えるとね、写真のね。
なんかこれエモいわみたいな。
でも確かにエモーショナルってあるってことだから、
めちゃくちゃブチ切れてもエモいではあるわけだもんね。
ブチ切れてるやつ見かけたら、
あいつ超エモくねみたいな。
あいつめっちゃエモい行動してんじゃんってことだもんね、それは。
なんかああいう和製英語というか、
造語だよね。
造語が作られるけど、
あれが最初に言ったんだろうな。
確かにエモいはもうエモいとしか言いようがないものになっちゃってるよな。
それが面白いよね、なんか。
こうやって新しい言葉ができていくんだなっていう感じ。
チルイとかね。
チルイとかね。
分かる。
次の工事員に乗るんじゃないか?
エモい。
子供とか言わないの?
それエモいね。
全然言うし、普通にキモいとかうざいとか、
もう当たり前のように子は言うし。
大人が使う言葉はもう子供も知ってるよね。
もうやっぱ吸収力がすごいよね。
そうだよね。
ちょっと怖いぐらいに、
いろんな言葉を覚えてきてはすぐ言うから、
それも意味も分からず言うし、
やっぱ言いたいよね、新しいこと知ったらさ。
そう、やるから、なんかね、
使ってね。
しょうがねえなと思いながらも、
ただ、なんというかそういう言葉を、
それは使っちゃダメなんだよ。
違うよって言うだけじゃ多分もうどうしようもないというか、
その子たちはそういう時代を生きてるんだなと思うと、
すごい変な話、
日本語っていうこの言語、言葉自体も何だとやっぱ変わっていってるんだろうなと、
そうだね。
すごいそれはね、思う。
一個だけそう、全然僕の試験を伝えると、
なんか、
例えばさ、英語はさ、やっぱりこう、
愛、愛が強いじゃん。
I think、I amみたいな感じで、
私がどうするか、私がどうするかみたいなさ、
感じの愛メッセージが多くて、
で、だんだんとこう、英語がご都合になり、
そしてね、話す人も増え、
やっぱり幼少期から英語をね、習わせたいネイティブな発音で、
やっぱ活躍の幅が広がってとかいろいろ思って、
英語を早期から習わせてるって方もたくさんあると思うんだけど、
なんか一方で、じゃあ日本語って、
なんかその奥行かしいとかさ、
こう気遣いがすごいとか、なんかいろんなものがある中で、
今海外からいっぱいさ、日本のいいとこ再発見みたいな感じで、
こういうとこが日本ってすごいよね、みたいなムーブもたくさんあるじゃないですか。
うんうんうん。
で、やっぱそれをそうたらしめてる一つのように、
やっぱこういう言語だからっていうのは絶対あるだろうなっていうのを温かく思ってて、
うん。
で、なんか一個懸念というか心配というか、
なんかこう変になんというか欧米化してしまった子どもたちが、
うん。
すごい強い言葉で相手をこう制圧するような感じが、
たまに感じるんだよなって。
うーん。
なんとなくね、これはなんか言葉が全部強いからとかそういうわけじゃないと思うんだけど、
なんとなくこう、その主張が強い子が来てしまうというか、
うん。
要はその英語的な、外国語的な、ただメッセージを伝えてるだけなんだけど、
いや私はこう思うよっていうのが、
うん。