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2024-11-30 41:18

#26 保育園看護師と一緒に考えよう!「感情」について編

現役保育園看護師のチロ先生と高校の同級生たちによる保育の情報ラジオ「ホイクベースラジオ」。 今回のラジオでは、現役看護師のチロ先生と高校の同級生二人が「感情」について語っています。


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BGM : MusMus

サマリー

このエピソードでは、感情の重要性が探求されます。保育園看護師の千尋先生が、子供の感情表現とそれに対する大人の反応について考察し、大人になってからの感情の抑制や認知にも触れます。保育園看護師が中心となり、子どもたちの感情教育の重要性とその実践方法について討論されます。特に、感情のラベリングと保育士の自己検査の必要性が強調され、怒りに関する感情の理解が深まります。また、感情労働についての理解を深めるため、保育園看護師との対話を通じて、子供たちの感情の幅や成長過程が個性に与える影響を探ります。「エモい」という言葉を通じて、感情の表現や新しい言葉の変化についても考察されます。さらに、保育園看護師と共に「感情」の重要性について考え、幼少期から感情をどう伝え、コントロールしていくかに焦点が当てられます。連想ゲームを通じて様々な観点からのディスカッションも行われます。

00:01
こんにちは、保育園看護師の千尋先生こと佐藤です。
報道会社黒船の木曽です。
同じく、黒船の川尻です。
僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規授業を作ろうと日々頑張っているところでございます。
特にこのチャンネルでは、現役保育園看護師である僕千尋先生が日々考えている保育や保険の情報を中心に、
保育士さん、保育園看護師さん、あるいは小さいお子さんを育ての保護者の方に向けて、
何か情報発信等できたら良いなと思って続けているラジオです。
というわけでですね、僕、あまり筆が乗らないと書けないタイプかということが最近発覚しまして、
ノートでずっとお仕事紹介シリーズというのを書いているんですけど、
それがちょっと今、頑張っているというところでございます。
ありがとうございます。応援待ってます。
ただ、話したいことはたくさんあるなと思って、せっかくお二人、保育畑ではない、
普段はスタートアップ系の仕事をされているお二人と、こうやってお話しする機会を普段作っていただいているので、
なんか、一個ね、連想ゲームみたいなことをしたいなと思っていて、
一個ね、僕がお題を出すので、それについてイメージすることとか、
こんなようなことを思ったなとか、何でもいいのに、そこからどんどん話を広げていつつ、
でも最後には、結局保育って大事だな、保育ってすごいだっていう話について、
絶対に着地するっていう、そんなお話、おしゃべりゲームをしたいなと思っています。
連想ゲームっぽいね。
実験的な回ですね。
実験回だ。
実験回ということで、
やりましょう。
よろしくお願いいたします。
はーい。
では早速、始めていきたいと思います。
はい。
感情の出発点
感情って言うと、なんか面白いなと思って、
自分は子供は、喋ってたびと言ってますけど、子供はいないけど、
追い込み1個がいるんで、そこでたまに会うたびに言ってるけど、
こいつら喚けば何でもやってくれると思ってるな、感情をむき出すことに、
なんていうか、何の躊躇もないな、みたいな。
それはあるし、こう、
感情を出したらお母さんやお父さんが、こう、相手をしてくれるだろうという、
安心感のもとを出せているみたいなところもあるんだろうな、というのがあるんだけど、
こういうのって、こう、
出させれば出させるほどいいものなのか、とはいえ、こう、
褒めないと、社会的に適合できないよ、
圧縮にならないよ、とかがあるもんね。
それが、こう、
こういうのをやると、
自分が、
褒めないと、社会的に適合できないよ、
圧縮にならないよ、とかがあるものなのか。
ああ。
難しいね。
なるほどね。
なんか、あるしね、もう、僕ら30歳も越えてくると、
そんなに、こう、感情的になることってね、
ないじゃないですか。
大人と感情の関係
少ない?そっか。
まあまあ、チェロ先生はね、感情労働の人なので。
そうだね。
いや、ちょっとまずは、せんとすきその、
考える感情を聞きたいな。
俺の考える感情?
うん。
感情というワードから連想する話でも何でもいいけど。
感情、
そうね、でも今、
ケイタが言ってたような話だけど、
やっぱ30歳超えてきて、
むき出しでどうこうってことってあんまりないかなと思っていて、
うん。
で、別に感情がなくなってるわけではないんだけど、
多分、仕事とかをする上でさ、
なんか表面的に感情むき出しにしても物事進まないよね、
みたいなタイミングが結構あって、
それを勝手に学んできていくのかなっていう風に思っているんだけど。
へえ。
なんか、
それが大人になるってことなのかと思うと、
大人になりすぎてるんじゃないか、自分って。
よく丸くなったみたいな話あるじゃん。
尖って、昔は尖っていたのに、みたいな。
あれも、ある種その感情の発露みたいなものが、
分かりづらくなっているというか、
抑えるなり、なんなり。
っていう、なんかその、
ある意味で自分の感情に、
嘘をつくではないけど、
それをなんかソフトにするみたいなことに、
慣れてきてしまっているんではないか、我々大人はっていう、
感覚は持ってるかな。
確かにね。
危機感がある。
その、感情を出せないことに対して、危機感がある。
なんか、これでいいのか。
全然違くて面白いな。
本当だね。
でもその、高橋的にはなんか、
もっとここは、こう、
ある種怒りのエネルギーを使って、
もうちょっと物事を押し進めたいみたいな場面が、
仕事の中でも実はちょっとあったりとか。
いや、怒りのエネルギーを使ってとか、
怒ってたら多分それを考えられないから、
そうなる前になんていうの、
早期に、あ、やべ、ここは火が起きるぜ、みたいな。
感覚を持っちゃってるんだと思う。
感情教育の重要性
自分の感情に対して。
今までの経験がやっぱり活かされてるってことだね。
そうだね。だから学んできてしまっているんだろうな、
って気はするよね。
なるほど、なるほど。でもさ、そう思うと、
なんか丸くなるっていうのは、
ある種感情のベクトルが、
なんていうか、いい意味で縮まるというか、
大ぶりしないというか。
そうだね。大ぶりしないよね。
感覚なんだな。
うん。
なるほどね。
なんか大人でもほら、
類活がいいとか言うじゃないですか。
類活?
類活って知らない?
涙。
涙。
感動して泣くみたいなね。
あー、へー、俺超初めて知ったわ、それ。
あ、ほんと?
うん。
類活っていう言葉があるように、
はいはい。
大人がね、この現代社会で普通に働いていて、
うん。
いい意味で蓋をするような場面とか、
ある程度コントロールして何とかしたりする、
っていうことが多々あるでしょうと思うんだよね。
うん。
で、僕なんかは最近自分の子供を子育てしてて、
うん。
もうほんと、もういい加減にしてほしいなって思ってた。
あははは。
なんていうか、夜泣きもするしさ。
うん。
なんかもうこっちも割と一杯一杯の中でやってる中で、
うん。
そういうことされるとなんかもう、
あー、みたいな場面がやっぱまだあるわけで。
そうね。
もうなんかほんと、ほんと今日の朝なんか、
もう俺は一回感情に蓋をするっつって、
もう無の状態で一回。
あははは。
自分でこう、そう無を作らないとちょっと、
自分がきついなって思うような場面がやっぱりつって。
なるほど。
なんかそんなところにも、
まあ感情の難しさというか、
うん。
あるなぁとは思いつつ、
なんか言っていたように、
なんでもかんでも発露すればいいのかと言われると、
うん。
もちろんそうではないんだが、
うん。
ただまあ僕が普段関わってる保育園児とか、
その辺りの年代の子供たちでいうと、
うん。
やっぱりいろんな感情をこう、
少しずつ分岐して、
深い深いのこっち良いか、
こっち悪いかの状態から、
うん。
こう分岐していった枝端状に分かれていった結果、
いろんな感情があって、
そういうのを頑張って覚えてる時期というか、
うん。
この感情はこうなんだ、
この感情はこうなんだみたいなのを、
こう一生懸命学ぶ時期というか、
うんうん。
で、ある意味なんか今までこういう感情とかって、
こう時代にもよると思うけど、
こう、
割と大人から抑えつけられる場面の方が多かったような気がするんだよね。
ああ。
なので泣くんじゃないとか、
男なら泣くんじゃないとか、
あるある。
ね、いっぱい言われるじゃないですか。
確かに私、我々、
まあ今30代とか40代50代とかもっとそうかもしれないけど、
うん。
なんかこう、やっぱり自分の感情に、
こう素直ではない、
うん。
うん。
状態をこう、
なんか上手く使ってしまってるというか、
うん。
がゆえにこう自分の体と心とちょっとすれ違っちゃって、
心の方が先に疲れちゃって、
病気になっちゃって、
っていうパターンもあるかもしれない。
うん。
そういう時に、
なんか折に触れて、
ちょっと自分の感情を流すようなことをしないと、
やっぱ溜まっていくような感じがあるだろうし、
と思うと、
うん。
こういう幼少期から、
自分の感情っていうものを正しく認識する、
認知する。
うん。
この感情ってこういうことなんだなとか、
僕今怒ってるんだな、
僕悲しいんだな、
これは喜んでいいんだなとか。
ああ。
この感情ってすごい大事なんだよっていうのを、
私ちょうど昨日一昨日ぐらいで、
うん。
ちょっとヤホーでね、
いろいろ検索しておりまして、
ヒャンボーズ。
まだナイツ引きずってるんだな。
確かに。
健康教育の中でね、
いろいろやっていく中で、
ちょっと感情教育っていうワードを見つけて、
へえ。
で、
要はさっき言ったみたいな感情のラベリングをしてあげる。
この感情はこういうことなんだとか、
うん。
感情、言葉を結びつけてあげるのが今大事な時期だっていうのと、
うん。
なんかそういう感情を抱えたときに、
じゃあどういうふうに表現するのかとか、
じゃあどうコントロールするのかとか、
うん。
自分でその感情にまず気づけるかどうかとか、
うん。
なんかそういうところをこうやっぱり育ててあげたいよね、
っていう文献をなんかざーっと読み合わさってる途中で、
うん。
だから今感情ってお題が出てきたんだと思うんだけど。
うん。
そういう話いいよね。
うん。
僕は個人的な思想として感情に蓋をすることがいいとは思わないけど、
うん。
感情と行動は切り離せるといいよねとは思っている、
うんうん。
主義の人なので、
うんうん。
それのためには多分今自分は怒っていると認知できるとか、
そうそうそう。
自分はどう怒っているとかどうムカついているみたいなことを認知するところから、
うんうん。
多分始まるんですよね。
うんうん。
で、それを認知した上でじゃあ行動はどうするかっていうのは別なんだけど、
そうなの、そう。
切り替えられるかどうかっていうのが、
そこが分かると分からないとではまるで違うわけで、
うん。
やっぱりこれを正しく理解、正しく認知していない状態で、
うん。
まあ大きくなっていって、今大人になった世代の人たちで、
それこそ同僚に切れ散らかすとかね、
うんうん。
いろんなハラスメントがあるんだから、
不機嫌のハラスメントもあるじゃないですか。
うんうん。
そうですね。
不機嫌でいることで周りにちょっとマイナスの影響を与える、
うんうん。
みたいなのも、
なんかやっぱりこう自分の感情とのその付き合い方が、
まああまり得意ではないとか、
うんうん。
なんかそういう大人もたくさんいる、
だからそう思うと、こんな僕偉そうに言ってるけど、
うまくやれてない大人と自分自身も含めて、
感情教育の重要性
うまくやれない場面とかで結構たくさんあるじゃないですか。
うん。
そうですね。
で、我々ちっちゃい時そんな感情教育なんて聞いたこともないし、
ないね。
なんかされた記憶も個人的にはありないんだけど、
うん。
でもなんかこういうことが分かってきて、
うん。
じゃあ子供たちにこういうことが大事だよねっていうのが、
やっぱりいろいろと分かってきたっていうのを、
うんうん。
どんどん現場にも取り入れていきたいなと思うと、
保育の中で当たり前に感情のラベリングってされては来てるけど、
うんうん。
なんというか感覚的にやるのと狙ってやるのとで、
やっぱりその精度が違うじゃないですか。
うん。
だから僕はもっと保育の現場でそういうのを狙ってやれる。
うんうん。
みんな保育者が最新のそういったことを理解して、
うんうん。
持っている状態に持っていきたいなとちょっと思っているっていう
着地になっちゃいました。
怒りの感情の理解
着地した。
いやでも感情労働であるっていうのを昔さ、
はいはい。
このラジオでも話をしていたけど、
うん。
それがあるゆえに余計難しいみたいなところありそうだよね。
そうそう。
そういう話というか。
そうなんですよ。
なんか言ってる職員がどうなんだみたいな。
うんうんうん。
そうだから子供に伝えるならまず自分たちができなきゃなって、
うんうん。
そうなんだよ。
ほんとだから。
それがちょっと難しい環境なのかなっていう気はするよね。
そうだね。
そうだから保育士しっかり、まあ保育園とかね、
こういう場の職員自身が自己検査する時間だったり、
勉強する時間をもっと働く時間の中で取れないとな。
そう思うね。
そうだね。
ゆとりは必要だね。
もうちょっとね。
いっぱいいっぱいじゃあそんなこと考えてられないもんね。
うん。
でも今1個感情の話してて面白いなと思ったのが、
うん。
やっぱりなんか基本的には喜怒哀楽って言われるように、
うん。
まあいろんなパターンがあるじゃない。
うんうん。
けどやっぱり感情って聞くとなんか我々の中で最初に出てくるのって
怒、怒りのところが大きいよなっていうのが今すごい面白かったなと思って。
うんうんうん。
うんうんうん。
ああ確かにね。
そうなんか喜びとかさ楽しいとか。
うんうん。
なんかそういう感情とこの怒りっていうのとかなんかちょっと、
うん。
なんて言えばいいんだろうね。
別物というかさ、
うんうんうん。
怒りがやっぱ対人関係での摩擦を起こしたのか、
うんうんうん。
一番課題を感じるというかみんなが真っ先にあげるというか話に出てくるのが怒りっていうところが、
うんうんうん。
なんか感情という言葉の面白さだなと思って。
うーん。
ああでもやっぱり発露するっていう時に一番近い概念な感情印象としてあるのかもな、
うんうんうん。
無意識的に。
うんうんうん。
そうだよね。
確かに確かに。
感情的って聞くとさ、
そうそうそうそう。
うんうんうん。
確かにすごい原始的な感覚だなとは思う感情の中でも。
うんうんうん。
やっぱり嬉しい楽しいとか、
なんかこう喜ばしいことの感情って結構成熟してからより深みを増すじゃない、なんていうか。
うん。
なんか変な話さ、あのー、
ハラハラと葉が落ちてくるだけでもなんかこう秋を感じてなんだか美しいわって思えたら、
そしてすごい成熟した感覚じゃん。
成熟してるね。
そうだね。
とかちょっと空見上げてこの夕焼けが綺麗でポロリと涙を流すみたいなのも、
ああ。
心としてはすごい複雑じゃないですか。
そうだね。
日本語で言うと心のキビがどうこうっていう時キビみたいな感じだよね。
そうそうそうそう。
そうなんかそう、
そういうのを思うと怒るとか、なんか怒りとかって、
ちっちゃいと言うかあんま変わらず突発的に。
ある種の暴力性を帯びているというか、そういうところがあるよね。
本能とかいう単語に近いような。
近いね。
なんかまあある種それがあるから、なんか怒りってすごいエネルギッシュじゃないですか。
エネルギッシュだね。
うちの今下の子がちょうど10ヶ月にもうすぐなるんだけど、
まあだいぶ前からそうだけど結構一丁前に怒るんだよね。
激しいのよそれが。
赤ちゃんとかもう子供の怒りってなんかやっぱりすごいまっすぐだから、
これはほんとよく言うんだけど、やっぱ目を見ちゃうとこっちもかきたてられるというか、
なんか放送本能みたいなものが湧き立ってしまうような感じがあって。
なんか大人になってもそういうところからね、受験に発達したりとか発展したりとか、
難しさもいろいろはらんでる怒りの感情だけれども、
アンガーマネジメントがね、いっぱいほぼブーブーみたいな感じでね。
そうだね、さっきせーたが言っていた感情と行動は切り離せるの話じゃないけど、
やっぱ子供の頃ってそこは不可分、不可分というか分かれてないじゃん。
感情と行動っていうのが。
続いてるね。
そうそう、それが大人になるにつれて、
そのある種客観的にそれを見る、メタ認知的な考えなのか、
ウェルビーング的な考えなのかわかんないけど、
っていうことができると、ちょっとなんか、
感情は怒っていても行動は違うことをするっていうことができるようになるのかなっていう。
変だかな音的なことですか。
怒りながら笑う。
怒り、笑いながら怒る。
よく伝わったな、我々。
笑いながら怒る。
それで言うと、そこが分かれていく、
感情と行動を分けれるよねっていうのって、
そういう場合に長先生が普段見てるような、
保育園児の6歳ぐらいまででは結構難しい。
いや難しいというか、やっぱそこ、
彼らの発達は今そこじゃないっていう感じ。
やっぱそうだよね。
彼らは今まっすぐに、
そもそもその感覚をどう自分でコントロールするかの段階だから、
6歳とかだったら。
怒るのは別にいいんだけど、
保育士の役割と実践
怒って人ぶん殴ってたらどうしようもないわけで、
怒った時に、じゃあどう対処するのか、
どう伝えるのかみたいな、
その伝え方を学ぶ時期だと思うので、
そのやっぱ行動を分けるっていうところ。
でも一番根っこだよね。
それがそもそもできないと、
ここの感情と行動を分けるまで至らないもんね、きっとね。
そうだね。
これは半分冗談の話だけど、
僕は追いっこにとにかく何かをしてもらったら、
思ってなくてもいいからありがとうございますを言いなさいって言い続けては、
あなたがどう思っていいようがありがとうございますと言えるようにしておきなさいと。
ごめんなさいとありがとうございますだけは、
感謝で言いなさいって言ってます。
せきずり感謝ね、もう。
お前がどう思ってるかじゃないんだ。
これを言っておけと。
スキルとして大事よね、やっぱり。
それを言うだけでちょっと周りが動いてくれるんだから。
便利なスキルだぞって。
そうだね、それは結構大人な教えだな。
だって俺もまだできてないもん、それ。
そうだね。
ありがとう言いなさい、ちゃんと。
でも多分、変な話で、
しつけとしては決して間違ってないと思うんだけど、
やっぱり大人があれこれしなさい、しなさいって言うこと自体が、
本当にその子がちゃんとありがとうとかごめんなさいを言えるようになるための、
神知かと問われると、おそらく違うんだろうなという気がする。
みんながみんな保育のプロではないし、僕も含めて違うから、
保育士さんだったらもっとこういう風に伝えるとか、
それこそもっと経験の深い、いろんな子供を見てきましたっていうお母さんだったら、
こういう風に伝えるとかね。
家庭でもいろいろあるような気がするんだけど。
そうだね。
そう考えると教育ってむずいな。
そうだよね。
難しいよね。
今のケイタの話、ありがとうって言いなさいの話で言うとさ、
多分それを言われてる当時は、自分のキャパ的に、はいはいとか、
なんとなく同じことこの人ずっと言ってんなって思うけど、
大人になってから、あれはそういうことだったのかみたいな。
あるよな。
時間がたくさんわたるタイプの話だよね。
苦戦を仕込んでる。
仕込んでるね。
だいぶ熟成されないとね、開かないけど。
でも大切なことだからね。
だから伝えることは本当に素敵だと思う。
ありがとうって言うんだよ。
ごめんねって言うんだよ。
言ったことをつけてるからね。
思ってなくてもいいからみたいなこと言わなくていいんだけど。
確かにね、本当はね。
そこが個性だから。
最近、動いたこと、感情が自分でこれは、
動いたな、感動したなでもいい。
感動したな。
でも俺はシンプルにゲームやってて楽しいってなる。
それはもう感動か。
感情が動いてるか。
楽、楽とか愛。
確かに感情が動いたって言われて、
やっぱりさっきの規則の指摘じゃないけど、
泣いたのいつだっけとか怒ったのなんだっけって、
なんか自然に考えちゃうな。
そうだよね、強いところが来るよね。
すげーこれで笑ったんだよねみたいなのとかも感動と、
あんまり認知しないなってすごい思った。
そうなんだよね。
俺も大学生とか高校、大学と入って、
わりかし他の周りの子から比べると、
そんなに感情のなんか発露というか、
触れ幅が他の周りの友達と比べると、
そこまで大きくないタイプの人間だと自分としてはね、
思っていたんだが、
保育園で働き始めて、
まっすぐに打ち切れる子供たちと。
一番もう忘れらんないんだけど、
一番最初に1年目で入った時に、
ちょっと延長版っていう時間帯の勤務も入ってて、
延長保育を利用してる当時、年長児のお子さんから、
嘘めバカ!みたいなことをすごい何回も言われたんだよ。
なんかまあさ、基本バカじゃなかったからね自分が。
そうだね。
そう、そんなに学歴的にはバカではなかったから。
バカだったことあんまりないもんね。
そうそう、中高、大とこうバカと言われることはあんまりなかったね。
なんかすごいまっすぐ怒りながらバカって言われて、
嘘バカじゃないし!みたいな。
すごい感謝的に言い返した瞬間があって。
はいはいはい。
あのすごい当時一緒に組んでた人がめっちゃゲラゲラ笑いながらいてて。
うん。
なんかやっぱ大学出てるとしげえな、みたいな。
言われたんだけど。
そんな反応しちゃうんだ。
そうそうそう。
ムキになんなよって意味だったんだけど、
あ、俺今ムキになったんだなってちょっとその時はすごい思って。
うん。
なんか以来すごい感情がある種豊かになった気がしますね。
子供とのやり取りの中で、すごい感情がやっぱ動かされる。
良くも悪くも。
怒ったりイライラしたりもする反面、
すごいほんのちょろっとしたことですごい嬉しかったり楽しかったり、
みたいなことがすごい増えて、
感情労働と感情の幅
本当には感情労働っていうものはこうなんというか、
幅も広げなきゃいけないんだなっていうのをある種感じたというか。
自分のこの感情のフレ幅だけだと、
その先の奥の方のフレ幅にある子供たちの感動だったり、
その時の思いになかなかキャッチできなかったり、
あるいは拾いきれなかったりするなんというか、
範囲があるなってすごい感じて。
なるほどね。
面白いな感情。
でもね、感情のフレ幅を広げるとね、やっぱ多少は疲れるね。
そうだよね。
繊細さんとか最近言われてるけど。
あーね、あるよね。
HSPみたいな。
そうそうHSP。
だからやっぱそういう感情のフレ幅がやっぱあると疲れちゃう、
ストレスが溜まっちゃいますみたいな人もたくさんいるとは思うんだよね。
受け取る情報量が多いってことだもんね。
うんうん。
若干そのさっきのきそくんのゲーム楽しい、
もちろんその子供に言われてみたいなのってこう、
受動的に動かされたじゃん。
感情を動かされた感動。
そうだね。
自分は割ともしかしたら感情を動かさなきゃなっていう動かし方をすることが最近増えてきたかもしれない。
動かさなきゃな。
なんていうの。
ギアを入れる感じ。
たぶんチロが仕事に向かうときに仕事モードだみたいなのと、
本質的には近いと思うんだけど、
ある種こう、会社で働くにあたって、チームで働くにあたって、
チームの人たちを盛り上げなきゃいけないよねみたいなのとか。
あー、はいはいはい。
こう、ある種喜びの感情を動かしていかないといけないわけじゃん。
自分の中の。
そういうどっちかっていうと、動かされるもあるけど、
動かさないとなみたいなのって。
義務感みたいな。
そうそう、動かしたほうがうまく回るだろうなって動かすみたいな。
ことは、もうほうが多いというか、記憶に残ってる。
ヘイターは結構そういう目的ドリブンというか、
目的のために感情を動かしていくみたいな、
それを合わせていくっていう感じだよね。
感情も手段だよねっていう感覚が、
もちろんあるよ、漫画読んで感動するみたいなのが面白いみたいなのも当然あるんだけど、
なんか覚えてるのほうで言うとやっぱ、
自分で今こういう気分で行動したっぽいことをしているなみたいな。
行動によって感情を動かすみたいな。
なるほど、なるほど。
体を先に持っていく。
後から感情を乗っけていく。
発信とかをして、
本当は別にそこまで熱く思ってないけど、
熱くなって語ろうみたいな。
で、熱く語ってるうちに熱くなっていくみたいな。
順序だなっていう。
体を動かすことで感情がついてくるみたいなことのほうが。
それはめちゃくちゃでも一理あるよね、確かに。
うんうん、だし、川地らしい。
らしいね、なんかその義務感から動かしていくスタイル。
なんか変な話、俺とか高橋さんとかがあんまりストレスを貯めるタイプじゃないじゃないですか。
そうだね、ほんとに。
世間一般の平均からすると、
そういうストレス体制みたいなのがわりと強いみたいな。
高いと思うね、それは。
どっちかというと川地のほうがね、そういうストレスはちょっとぶつかれるじゃないですか。
意識的にそういうふうな動きをする時点で俺らってすげえよな。
でも感情を動かすって結構エネルギー使うと思うんだよね。
そうだろうね、なんかその根本の根本がなんというか、
究極的には全部どうでもいいからみたいなところあると思ってるんで、
だから動かさないと動かないんだろうなと思って。
それ面白いね。
子供の個性と成長
でもすごいよね、その動かそうと思って動かせるその幅がさ。
そうだね、そっちのほうが正直エネルギーは使うよね。
止まってるものを動かさなきゃいけないわけでしょ。
体に来るよな。
でもなんかやっぱりこう、自分が死なそうなことするのが好きなんだよね。
なるほどね。
あえてね。
ドM。
そのちょっとこう、本当はインダー派で暗くて、
なんか自分自己内向的なタイプの人間がこういう振る舞いはしねえだろうなみたいな、
振る舞いをしてみたらどうなるんだろうみたいな気持ちがちょっとあるのかもなという。
確かに。でも自分で振ってちゃんと綺麗に落としに行くみたいな、
なんかそういう差が面白いね。
でもなんかでも子供の中にもね、僕が普段関わってる乳幼児の中にもやっぱり、
なんというか他の子と比べて割と物静かなタイプと、
やっぱすごい怒るけど、
なんか優しい時と差はすごい激しい。要は振れ幅がでかいタイプと、
振れ幅が少ないタイプとって、やっぱ個性というかその個人差がすごいあって、
なんか本当ね、すごい普段静かで、
大丈夫かなってぐらいぼーっとして見えるのに、
ポロッとおもろい子ということが結構。
いいキャラしてるなーみたいな、めっちゃ面白いなーっていう子供たちと出会うとすごい嬉しい。
確かにそういう物静かとか、
ふるさわがしいとか、そういうのはもちろん子供の個人差もすごくあるだろうし、
成長の過程で行ったり来たりもするよね。
もちろんね、もちろんあると思う。
なんか特別ね、やっぱりそういうのを学んでいく過程を思う。
でも割と赤ちゃん、僕が普段抱える赤ちゃん、ゼロサイズが多いから、
ゼロサイズの頃からその変流はあるなという気はしちゃった。
そうなんだ。
個性の変臨が。
今ちょうどもう年長人の子たちは、僕がゼロサイズの頃から見てた子たちだから、
毎年毎年成長していくにしたがって、
やっぱりあの子はやんちゃに育ったなーみたいなことがあったり、
この子はすごい優しい子に育ってるんだなーとかっていうのも感じるし、
面白いね、子供の育ちってのは面白いなーと毎回思うけど、
言葉の変化と文化
面白い。
感情っていう面を切り取ってもやっぱり全然違うな。
シンプルに感情というものを改めて考えるということがまず面白いわ。
そうだねー。
でしょ?意外とこの企画いいんじゃないですか?
いいね。
保育の直球っていう形ではないし、
多分、なんか自分とかケイタとかさ、
保育業界の人間ではない一人間が改めてそれを考えることで、
一郎みたいに保育の領域で働いてる人でも、
その差を感じ取れるというかさ、
いろんな角度があるねって知れるという意味では、
なんか一つのテーマに対してこういうふうに、
それぞれの考えてることを言ってみるのは面白いね。
でしょ?
うん。
すごい多角的にこういろんな知見を持ち寄れて、
面白い気がして。
面白いね。
多分なんか言い方あれだけど、
保育業界の中の人同士で話すよりも、
あえて違う業界の方がその幅は出るかもしれないね。
そうそうそうそう。
で、なんかこうほら、やっぱり大人の感覚、
大人になった自分たちの感覚から話していったところを、
子どもの発達とか、
乳幼児の視点から捉え直すと、
今自分たちが育てようとしていることが、
最終的にこういうふうに発達していってほしいとか、
逆に大人からすると、
こういうふうに発達してきたんだ、
こういう順序だったんだみたいなのが分かるだけでも、
なんか改めて新しい築きがあったりとか、
そうだね。
できたらいいなと思っています。
なんか感情って聞いたときに、
感情って聞いたときに、
もうちょっとだけ話すと、
最近つってもだいぶ前からだけどさ、
エモいという言葉が使われるようになったじゃない。
エモいってエモーショナルじゃん。
感情的という言葉。
あれってめちゃくちゃ面白いなと思っていて。
確かにね。
エモいって結局何を言ってるんだろうね。
言葉で表せないけど何か心に来るものがあるみたいなときに、
エモいが使われがちなのかなって。
感覚的にはなんか教習とか、
そういう、
懐かしいにが一番近いのかなと思って。
フィルターとかを考えるとね、写真のね。
なんかこれエモいわみたいな。
でも確かにエモーショナルってあるってことだから、
めちゃくちゃブチ切れてもエモいではあるわけだもんね。
ブチ切れてるやつ見かけたら、
あいつ超エモくねみたいな。
あいつめっちゃエモい行動してんじゃんってことだもんね、それは。
なんかああいう和製英語というか、
造語だよね。
造語が作られるけど、
あれが最初に言ったんだろうな。
確かにエモいはもうエモいとしか言いようがないものになっちゃってるよな。
それが面白いよね、なんか。
こうやって新しい言葉ができていくんだなっていう感じ。
チルイとかね。
チルイとかね。
分かる。
次の工事員に乗るんじゃないか?
エモい。
子供とか言わないの?
それエモいね。
全然言うし、普通にキモいとかうざいとか、
もう当たり前のように子は言うし。
大人が使う言葉はもう子供も知ってるよね。
もうやっぱ吸収力がすごいよね。
そうだよね。
ちょっと怖いぐらいに、
いろんな言葉を覚えてきてはすぐ言うから、
それも意味も分からず言うし、
やっぱ言いたいよね、新しいこと知ったらさ。
そう、やるから、なんかね、
使ってね。
しょうがねえなと思いながらも、
ただ、なんというかそういう言葉を、
それは使っちゃダメなんだよ。
違うよって言うだけじゃ多分もうどうしようもないというか、
その子たちはそういう時代を生きてるんだなと思うと、
すごい変な話、
日本語っていうこの言語、言葉自体も何だとやっぱ変わっていってるんだろうなと、
そうだね。
すごいそれはね、思う。
一個だけそう、全然僕の試験を伝えると、
なんか、
例えばさ、英語はさ、やっぱりこう、
愛、愛が強いじゃん。
I think、I amみたいな感じで、
私がどうするか、私がどうするかみたいなさ、
感じの愛メッセージが多くて、
で、だんだんとこう、英語がご都合になり、
そしてね、話す人も増え、
やっぱり幼少期から英語をね、習わせたいネイティブな発音で、
やっぱ活躍の幅が広がってとかいろいろ思って、
英語を早期から習わせてるって方もたくさんあると思うんだけど、
なんか一方で、じゃあ日本語って、
なんかその奥行かしいとかさ、
こう気遣いがすごいとか、なんかいろんなものがある中で、
今海外からいっぱいさ、日本のいいとこ再発見みたいな感じで、
こういうとこが日本ってすごいよね、みたいなムーブもたくさんあるじゃないですか。
うんうんうん。
で、やっぱそれをそうたらしめてる一つのように、
やっぱこういう言語だからっていうのは絶対あるだろうなっていうのを温かく思ってて、
うん。
で、なんか一個懸念というか心配というか、
なんかこう変になんというか欧米化してしまった子どもたちが、
うん。
すごい強い言葉で相手をこう制圧するような感じが、
たまに感じるんだよなって。
うーん。
なんとなくね、これはなんか言葉が全部強いからとかそういうわけじゃないと思うんだけど、
なんとなくこう、その主張が強い子が来てしまうというか、
うん。
要はその英語的な、外国語的な、ただメッセージを伝えてるだけなんだけど、
いや私はこう思うよっていうのが、
うん。
感情の重要性
すごい強くその発言としてそこをこう制圧してしまって、
うん。
なんかそうではない子たちからするとなんかこう、あ、やっぱ引いてるみたいな。
そうね。
日本語を母国語とする集団にそういうベースの中に違うものが入ったらそういう風な形になっちゃうんだよね。
なんかそのあたりが良いとか悪いとかじゃなくて、
すごいいろんな文化を変えつつあるな、そういう気はするのよ。
そうね。
そう、だからね、なんか長きにわかる日本の文化の中でこういう言語の変化というか、
それこそエモいって言葉が出てきたり、
いろんなね、もう人種の人たちも生活するようになったりっていう中で、
日本って、じゃあ日本を楽しめるものは一体何になっていくんだろうみたいな。
そうだね、これ言葉はまあ深いテーマだね。
なんか言葉に分けることで世界を理解するから、世界の理解の仕方とかも。
そうそうそうそう。
なんか文化を学ぶことな、文化を学んでたんだな、英語って言ってすごい思った。
うんうんうん。
それまでは何も分からず英語を勉強してたんだなと思った。
そうだね、物事の考え方が変わるからね、枠組みが。
そうだね、思考はやっぱり言語体系に少し影響を受けるからね。
で、ハーフの子がすごい増えてるね。
うんうんうん。
お父さんがアメリカ人でお母さんが日本人とか、いろんなパターンがあるんだけど、
そういう子の頭の中ってほら、ほぼ完全にバイリンガルな状態で育つじゃん。
うん。
すごい上手な日本語も上手だし、喋ろうと思えば英語も喋れるみたいな子がいっぱいいるんだけど、
どうなってんだろうなーって頭の中だと思って。
あれ結構難しい話だよね。
でもこの言語の話してるとまたここから1時間くらいかかると思う。
そうだね。
ちょっとじゃあ一回締めようかな。
はい。
はい、今日は、何て言うんですかね、これ。
討論会。
感情をテーマに連想ゲーム会。
そう、連想ゲームっていうのをね、今回実験的にやってみたんですけど、
こんな感じでね、多角的な、普段保育現場にいる僕、内野先生の考える感情というものとはまた違う視点からお二人が話してくれたり、
でもやっぱりその幼少期から感情についてこう伝えていくとか、
どういうふうにコントロールしていくのかっていうのを伝えるのが大事なんだっていうのもやっぱり分かるというか、
そんな着地にもなれたかなと思っておりますが、この連想ゲーム企画いかがでしょうか。
連想ゲームの実施
いや面白かったよ。
面白かったし正直これはさ、話を広げていくっていうスタイルじゃん。
はい。
だからほぼ無限に話せるね。
終わり方が分かる。
いやなんか居酒屋トークみたいなのとそんなに変わんないかなと思って。
確かに正直あの普段僕らがご飯とか飲み行きながら話してる話とそんなに変わんないと思う。
変わんないよね。
そうだね。
でも意外とこういうところから、ためて保育ってすごいなとか保育士の保育の専門性が実はそのエッセンスとしてあるんだなとか、
なんかあのそんな風な角度で見れるんじゃないかなって気がちょっとしてるので。
どう使うかは知らないけど、この話の中に出てきているそれぞれの観点とかをさ、参考になるかは知らないけど、
なんかうまく活かしてもらって、なんかどっかしらねその保育とか、みたいな教育って言うとあれだけど、
繋がってくるところがあるといいよねぐらいのこうちょっと無責任な回ではあるかもね、俺らにとっては。
そうだね。情報をただただ荒れ流しにしたような考えを殺しただけの回になってしまいましたが。
でも本当超雑でもいいからこういうのに話してくださいとか欲しいよね。
欲しいね。
一言でいいからね。
感情とか言語ぐらいの単語でいいから。
ツイッターとかでも募集した方がいいかもね、今はXが。
ほぼ大切りみたいな感じで、何でも広げられますってね。
それこそ育児とか保育とか教育とか、もうそんなレベルでも。
これ、そこで募集してるテーマというかさ、内容ってもはや出発点でしかなくて。
そうそうそうそう。
どこに着地するかはね、毎回わからないけど、ハッシュタグがつけやすいかもしれないね、出てきたタグがいっぱい。
入り口はこの話してたよって言って、出口は全然違うかもしれないけど。
でもそういうふうな連想ゲームを通じて、保育について考えていくみたいなのもちょっと今後やっていきたいなと思っているので、
ぜひぜひ質問等々を含めて、GoogleフォームのURLから飛んでぜひ送ってください。
スタッフからお聞きの方はレター機能でも何でもいいので送ってください。
何でもいいのでね。
というわけで、今回は連想ゲーム会ということでありがとうございました。
ありがとうございました。
41:18

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