2024-02-20 06:33

0219

花束は思い切り捨てるくらいでいいの

00:03
2月19日、深夜1時前、散らかりっぱなしの部屋でこの日記を取っている。
結局土曜日と日曜日は、もうずっと貝のように縮こまって、のその外冬眠から明けるように月曜日。
急いで用意をして、シャワーも浴びて、少しベッドメイキングをおろそかにして、家を出た。
動きづらい足を無理やり動かして、朝はスターバックスを買って、久しぶりにグランデサイズなんかを頼んじゃったりして。
仕事に行って、そこからは全部忘れるかのように、シャニムに働いて、働いて、働いて、人と関わって関わって、しゃべってしゃべって。
お家に帰ったら、どーっと疲れが出ちゃった。
人里に降りて、人間と話すっていうのは、やっぱりどうしてこうも難しいのだろうか。
昨日と同じ、人ができるもの、私が難しく感じるもの、そういうものにどうしてもスポットライトが行っちゃう日々が続いて、それもまた一つクタクタになった。
LINEもまだ返してなくて、ああ、私はダメだなーって、ちょっと落ち込んだりもした。
さて、これからどうしようかな。
まずは少し部屋を片付けて、もうできるだけ早めに眠りにつこう。
それで明日は、ちょっとゆっくり眠って、朝ごはんおにぎりでも買って、外に出ようかな。
そう、今日は少し立ち寄ったお店で、爪がとってもかわいいですねって褒めてもらって、そうやってふと他人に救われる瞬間もあったりした。
はじめからそうやって、それに期待して、それに期待して、期待して、依存してしまうと、きっと後から自分が苦しくなるんだけど。
03:02
でも、ふとポロリともらえる、そういう小さな花っていうのを抱きしめてみてもいいんじゃないかなって思う。
私は常々思っていることは、自分だけで得られる幸せ、自分で完結できる幸福っていうのは、自分の中に灯る灯火のようなもので、
他人からもらうもの、他人と共に作るもの、そういう幸福は花束のようだと思って分けているようにしている。
灯火を忘れなければ何度でも灯せるし、花束はもらえたらとっても嬉しいけど、いつか枯れゆくものだと、
そういうものだと知りながら、目いっぱいその匂いや、その色や、その食感や、そういうものを味わって、そして潔く手放していく。
触れることや手放すことを恐れないで。
疲れた時は、アスフォルトの中に、もうない、咲くはずのない花束を探してしまいそうになる時があるけれど。
でも私には消えない灯火があるし、たとえ消えたと思っても、まだ点けることができる。
私の暮らしは不可侵で、私が守れるもの。
忘れないで。孤独はいつもそばにいてくれることを忘れないで。
寂しくなった時は、どこかで花束を見つけて、街中を探してみてもいいかもしれないけれど。
靴ずれがしない程度で、たくさん眠って、たくさん食べてもいいんじゃないかしら。
よし、LINEは明日の朝。
とりあえず今日はこの部屋を片付けて、明日の朝の私への綺麗な部屋のプレゼント。
音楽を聴いたり、ラジオを聴いたりしながら部屋を片付けること。
部屋を片付けたら、ご褒美にとっておきのチョコレートを食べること。
チョコレートを食べて、YouTubeを見て、ゲラゲラ笑って眠ること。
明日は起きれたら起きること。
綺麗な部屋で起きて、化粧は気の向くままでいいや。
06:04
それで、適当に外に出ること。
以上。
うん、大丈夫。
私は死ななくて、生きていて、生きるしかなくて。
でもどんな風に生きても大丈夫だから。
大丈夫。
大丈夫だよ。
今日もいい日だった。
さよなら今日の私。
おやすみ。
06:33

コメント

スクロール