ラジオ収録の始まり
はい、レコーディングしました。
はーい。
はーい。
じゃあ、初めてのラジオ収録ってことで、本当に配信するかどうか決めてないですが、
打ち合わせ全くなしでスタートしましょうということで、
第1回目、とりあえずフェイスとフェイスでやりたいなあというのがあって、
なんとかズームでつないで目の前でやってますと。
はい。雪の降る美しい景色の中。
そうね。すごいよね。のんびりしてて。
リラックスできてて、できるだけ、もうだいぶいろいろ話しちゃったんだけど、
できるだけ2人でどんなこと話してるのかっていうのを、そのまま配信していきたいなあみたいなことを感じてます。
はい。そんなの誰が聞いてくれるんでしょうかって。
そうそう。そこはどうなんだろうなあと思ってね。
そういう声も自分から湧いてきますけどね。
はいはい。
そうそうそう。それはあるけれども、なんかこう、
そもそもなんか僕がずっとラジオやりたいって去年からかな?
言い始めてたけど、結局、今になっちゃったけど、
なんでやりたいかって、やりたいと思ったかっていうのを説明しておくと、
定期的にこうやってりょうちゃんと話してるけど、
なんか結構いい世界観だなってずっと思っていて、
一緒にお仕事してても、こんな世界観を、
なんていうかな、企業での研修とかでも、こんな世界観を伝えていきたいなってやっぱり思っているし、
なんか別にそういうきちっとした場じゃなくても、
普通にこう話しているみたいなところも切り取ってそのまま伝えちゃうっていうのはあるじゃない?っていうのを思ったんだよね。
うん。
しかもあの、りょうちゃん結構好きかもしれないけど、
僕はあんまりこう、書くとかっていうのはあんまり得意じゃないし、
好きじゃないし、あんまり多分それだと長続きしないなっていうのもあって、
あ、ラジオだ。
なんかこの、一緒にこの、ゆるい空気感も伝わるじゃない?
うん。
だからこっちのほうがやっぱりいいなって、なんかね、自分の中では、
すごいしっくりきたし、
あ、いいじゃんって。
明暗だなって、今も思ってるなっていう、そんな感じです。
はーい。
なので、いつも通りの部分を切り取っていきたいなっていう、それだけかな。
ラジオの目的と意義
うん。
なんか、最初に、そうね、なんかこう、打ち合わせの部分からちょっと取っちゃうっていうのも、
面白そうだなと思ってて。
うん。
具体的にりょうちゃんとこう、ラジオについてなんかちゃんと話したこととかないわけで。
うん。
うん。
もう一回言うと、りょうちゃんがどういうふうにこう感じて、
ここに参加してくれてるのかも聞いてないよねっていう感じだよね。
多分なんかいろいろ、なんていうかな、取り決めっていうのかな。
いや、こういう名刺はやっぱり出さないとかさ。
うん。
なんかこう、いろいろちょっとすることもあるんだろうなと思うんだけど、
そういうの全くやってないなっていう。
そうだね。
何分なのかも話してない。
あ、そうだね。
そうだね。
とりあえず始めちゃったけど。
それも気分でいいのかなみたいな。
なんとなく始まって、なんとなく終わり?みたいな感じでもいいのかなっていう感じです。
りょうちゃんは実際あれなの?どうなの?そのラジオっていきなり。
あ、でもちょいちょいなんか他の人からもうラジオやったらいいんじゃないって言われたとかって言ってたよね。
うん。
そうね。なんかラジオみたいなことを一回やったことはあって。
あ、あるんだ。
そう、なんかもともとその対話の子の方で、
まささんとのミーティングを録音して、録画して、それを文字起こしして、
ノートにしてもらうみたいなことは、もう何回かやってたんだよね。
で、その文字がさっきでノートの記事にしてたのを、
なんかまあこれこのままラジオに流してもいいのかなみたいな感じで、
トライアルでラジオにしては見たけど、その1回だけ、1回分だけしただけで終わりました。
あ、そうなんだ。なんで終わったのそれ?
私がなんか、1回やってみて満足したっていうか、
あ、こうやるんだなって、意外と簡単にできんだなっていうのを理解して満足して終わったんだよね。
あ、もう満足したんだ。
そうだね。
まあ、何をやってもあんま長続きしてないな。
ノートのその記事配信も、確か途中で終わっちゃったから。
あ、僕も長続きする方じゃないんだけど、そうなんだ。
りょうちゃんやったことあんだね。なるほど、なるほど。
これすら知らなかったけど。
うん。
あの、まあなんか思いついたとこだけ話すと、そういえばあの続けるっていうのも結構、
僕苦手なんだけど、まあ、りょうちゃんとほら定期的にミーティングしてるじゃない。
うん。
で、あの、毎回ミーティングの中で、そうだな、20分とかっていう時間を使って、
あの、毎回やっていけばいいかなと思ってて。
あ、ラジオを?
そうそうそうそう。
常にミーティングのときにはラジオを挟む?
録音しとくってことだね、録画か。
そうだね。まあ、どうせズームでやってるから、
うん。
録っちゃって、で、まあそこから切り取るって感じでもいいのかな。
なんとなくこうお互い意識して、ここの部分ラジオにしようかぐらいな感じで、
生きづらさについての考察
うん。
切り取ればいいのかなっていう感じがしてんだけど、
うんうん。
ね、そしたら、そしたら続くんじゃないって思ったんだよ。
うん。なるほどね。
うん。
うん。
そうなんですよ。
りょうさんはなんでラジオをさ、まあ形としてはラジオがいいってなったんだと思うんだけど、
ああ。
書くことよりも。
うん。
でもなんでそもそもこう、ラジオやろうって思ったんですか?
うん。
あの、そうね、まあでも、りょうちゃんの、りょうちゃんと僕の世界観ってやっぱあるなと思ってて、
うん。
最初はなんかね、りょうちゃんの世界観は、なんか伝えないともったいないっていう思いがずっとあって、
うんうん。
で、それをなんか伝えていきたいなって思うんだけど、なんかどうやったら一番伝わるのかなみたいなのを、
まあ多分これはね、結構何年も前から親と考えていたけど、
うんうん。
そういう時間があって、その後、あの、なんだろうな、自分は自分で、あ、悪くないなって思い始めたっていうか、
うん。
りょうちゃんと僕っていう、なんか僕は僕でなんかこう味出せるなっていう感覚も育ってきて、
うん。
じゃあなんか二人で話してるところっていうのを、なんかそのまま出しちゃえないかなっていうのが、
うん。
なんだろうね、自然と出てきたっていうか、
うーん。
さっきもちょっとだけ触れたけど、なんかこう、普通にこの話してる感じ?みたいな、なんかその、そこに結構世界観って現れてるよねって思うし、
うんうん。
うん。
まあそれがなんかラジオだとできそうっていう、
うん。
感じかな。
なんかこの世界観、世界観って言ってくれてるけど、
うん。
これを届けたい人とか、聞いてほしい人っていたりするんですか?
あ、いいポイントだね。
あの、そうね、なんか、うん、なんか明確にあるかって言われると別にないんだけど、
うん。
なんかこう、なんだろうな、結構こうしんどいなって感じながら頑張ってる人たちとか、
うん。
なんかちょっとほっとしてもらえるんじゃないかなみたいなところは本当に、
うん。
シンプルにそこにはなんかこう、大した、なんて言うかな、
うん。
本当に緩い話してるだけなんだけど、
うん。
なんかそういう人たちの役には立てそうだなっていうのは思うし、
うん。
まあ生きづらいって感じで、でも頑張ってる人たちとかってすごく多いなと思ってるけど、
うん。
うん、そういう人たちになんかちょっとほっとしてもらえたり、
うん、してもらえたらいいなっていうのはあるかな。
うん。
うん。
なるほどね。
なんかちょっと聞いてみたくなったんですけど、聞いてもいいですか?
あ、もちろん。
生きづらさって何ですかね?
生きづらさか。
ねえ、いろいろあるとは思うんだけど、よく聞く言葉だけど、
生きづらさって何があるんだろうね。
ねえ、生きづらさねえ、なんだろう、なんかりょうちゃんにも聞いてみたいなと思ったけど、
うん。
なんか一旦ちょっと言葉にしてみると、まあでもみんななんかそれなりにやっぱり持ってるなっていうふうには感じるし、
うん。
なんかまあ僕もまあそうなんだけど、なんか歯食いしめてなんかやってるっていう感じが普通っていうか、
うん。
なんか見る人、会う人そんな感じじゃない?
うん。
でもよくね、ニュースとか見ててもすごい思うんだけど、なんかみんな頑張ってるなみたいなことを、
うん。
よく口癖で、すごいみんな頑張るよねとか口癖で言っちゃうことがあるんだけど、
うん。
なんだろうね、もうちょっとこう、今話しながら思ったけど、なんか豪快を招くかもしれないけど、
なんかもうちょっとみんな楽ちんに生きられてもいいんじゃないかなっていうのがずっとあるような気がする。
うん。
でもなんか、自分でみんななんかそうなれないようにして、そこに挑み続けるみたいなことなんかやっているような気がして、
うん。
うん。
いや、もうちょっと楽ちんになればいいなっていうのは思ってるんだな。
うん。
なるほどね。
りょうちゃんはどう?
うん、いや、ひろさんの言ってる生きづらさっていうのは、なんかこう頑張らざるを得ないというか、
うん。
そこにね、すごい楽しくって、寝るままおしんでやってますっていう感じではなくて、
うん。
なんかすごい歯を食いしばって、
うん。
頑張って、時にはしんどいのをこらえて、
うん。
頑張ってますみたいなのが、生きづらさっていう感じ?
うんうんうん。
うん、ひろさん感じてるんだなって。
そうだね。
そうだよね、そんな人ばっかりだよね。
うん。
ほら、りょうちゃんも、
うん。
あ、ごめんね。
どうぞどうぞ。
信じることの苦悩
あの、お互い結構コーチングしてて、結構いろんな人の話を聞くじゃない?
うん。
やっぱりこう、みんな信じたように一生懸命やってるし、
うん。
それでもやっぱり、なんていうのかな、うまくいかないというか、
得られるものが得られないってこう頑張ってるっていうか、
うん。
それぐらいあるんだけど、みんなすごい頑張ってるよねっていうのはなんか感じない、すごい。
うんうんうん、頑張ってると思うし、ひろさんが今言ってくれたその、みんな信じたように一生懸命やっているっていうの、
言ってくれたんだけどさ、
うん。
何を信じてるんだろうね。
ね。
ね。
本当に何かを信じてるように見える。
うん。
けど、なんかそれは本当だろうかって言いたくなるよね。
うん、そうだね。
でも本当にそこを疑わずにそのゲームに参加してるっていうのはやっぱり思うよね。
うん。
なんかそれで言うと、私の話なんだけど、
うんうん。
母親が認知症だって診断されて、非常に今、
なんていうのかな、認知症になっているっていうこととか、自分がいろんなことを忘れてしまうっていうこともわかっている状態で、
うん。
で、これからそれが良くなることはないっていうのもわかっているっていう今が、すごいしんどいだろうなって実際しんどく見えるんだけど、
うん。
で、じゃあそこに何がしんどいかって言うと、
うん。
こんな私ではダメだっていう、
うん。
みんなに迷惑をかけていってしまうとか、
うん。
人からどう思われるかとか、
うん。
で、迷惑をかける私は、本当にその社会に出ていくべきじゃないとか、人目に触れるべきじゃないみたいなのが、
うんうん。
すごいあって、それが本当に苦しそうだなーって思っていて、
うん。
なんかさっきのそのヒロさんが、みんな何かを信じて頑張ってるみたいなのと通じる気がするんだけど、
うん。
そこに何が信じてるものとしてあるかって言うと、
まあ、そうね、
なんかすごい苦しいことが、
うん。
苦しいというか、頑張ることがすごいいいことだとか、
うん。
じゃあ何のために頑張るかって言うと、役に立つとか、人に迷惑をかけないとか、
うん。
より役に立つとか、
うん。
なんか人様のためにとか、
なんかそれが善とされてる、それがいいってされてるっていうことを、
なんかその一つのそういう価値観みたいなものを、
うん。
信じてるっていうのがあるのかなーと思って、
うん。
ね、なんかもちろん、私もひろさんもそういう教育を受けてきたしさ、
うん。
学校とかでも、
そうだよね。
会社にいたってもちろん、その会社に役に立つことが、その会社にいる存在意義だから、
うんうん。
まあ当たり前のように、役に立つために頑張るっていうのをやってるけど、
うん。
それで本当に人は幸せになってるんだろうかって、
うん。
思うよね。
そうね。
それを信じてることで、本当にまあ母親は信じてるっていうことも気づいてないし、
うん。
信じてるっていうか、そのそうじゃない選択ができるとか、それを信じ込まされている、
信じ込まされているっていうか、そういう社会だったから、
それを信じざるを得なくて、
うん。
自分はそれを今信じてる状態で、そこから苦しさが生まれてるなんて、
うん。
全く思ってなくて、それ以外の世界はないって、
うん。
それがこの世界の真実でって、そこに沿わない私はいるべきじゃないみたいなのをすごい思ってるから、
うん。
で、その世界の中で本当にこの人は命を終えていくんだろうなーって思うと、
うん。
本当にしんどいよなーって、何のためにこのお母さんの命は生まれてきたんだろうって、
うん。
思うなーっていう、
うんうん。
最近、そんなことを感じてますねー。
家族の影響
うん。
とび、ありがとう。
ありがとうねー。
あのー、すごい話聞いてて思ったのは、
すごく、このイメージなんだけど、
うん。
なんか、鉄棒がイメージできて、今。
うん。
なんだろう。
この鉄棒に、この鉄棒を掴んでいないといけないって、
うん。
思ってるから、一生懸命その鉄棒掴んでるんだけど、
体がなんかこう、違う方向に引っ張られてるっていうか、
すごくこう、体がねじれるし、引っ張られるし、
しんどいよね、そのまま手を持ち続けるのが。
うん。
なんか、結構朝あの話聞いて、なんか今そういう状況がイメージできたな。
うん。
なんかその鉄棒を離したら死んじゃうみたいな。
あ、そうそう。めちゃくちゃその鉄棒の外は怖い。
うん。
とにかく怖くて、想像、
そうだよねー。
想像もできない。
うん。
でもそれすごいわかるな。
なんか説明はできないが、もうとにかく怖い世界だし、
あってはいけない世界だし、
そうだねー。
うん。
なんか、なんだろうね、今ちょっとその話聞いててさ、
あまり怖くないんだけど、なんかこう、若干涙をうんでる自分がいて、
ちょっと今びっくりしたっていう。
そうか。
うん。あまり怖いのはないんだけどね。
その涙は自分の、自分にも同じ感覚がある。
うん。
同じ体験があるっていう感じ?
そうだねー、やっぱり。
なんかすごくそこに、あ、これだっていう感じは全然よくわかんないんだけど、
うん。
うん。最近まであまりなかったんだよね。
なんかこの辺はなんかもう、あれ?みたいなことが、
ちら、ほら、なんか最近あるなーっていうことを感じてて。
うーん。
うん。なんか今もちょっとびっくりした。
ぼーっと。
ラジオ収録し始めたとこなんだけどな。
なんかそういうことがあったけど。
うん。
まあでもすごく、あのお母さんの気持ちはわかるなーっていう。
うん。
いやもう、とにかく怖いよねって。
そうだねー。
うん、怖いっていう言葉じゃちょっと足りない感じがあるな。
そうねー。
できるならそこを、えっと、触れずにそのまま去っていきたいっていう。
うん。
そういう気持ちだなーっていう。
ねー、でもほんとにその世界、自分が信じてるその世界に、
うん。
これからも生きてたら、ほんとに認知症になった人とかって、
うん。
まあ、認知症だけじゃなくてね、なんかわかんないけど、障害を持っているとか、病気があるとか、
うん。
もう絶望しかないと思うんだよね。
そうだよねー。
でもさ、世界ってそんなこと言ってないじゃない?台本。
世界はそんなこと一言も言ってなくて、
うん、なるほど。
役に立たなきゃいっちゃいけないんだよとか、
うん。
この世界は誰も、誰もというか何も言ってないんだけど、
誰が言ってるかって人間だよね。
そうだね。
大事だからこそ、一生懸命苦伝してきてるしね。
うん、そうなんだよね。
うちの母親も父親から厳しいことを言われて育ってきたり、
自分の兄弟から、上のお姉さんとかお兄さんから厳しくされてきたから、
それが正解なんだって、そういうものなんだって体験からそう思ってるんだけど、
その母のお父さんだって、またお父さんとかお母さんから受け継いできているものだから、
個人のせいではないけど、でも個人からしか変えられないだろうなーとも思うし、
うん、そうだよね。
なんかこう脈々とつながれてきてるバトンだよね。
そうだねー。
実際あの、僕も特にね息子に対して、やっぱりこのバトンを引き継ぎそうになっているっていうのは自負あるし、
やっぱりあの、なんだろうな、すごいぐーたらしてる感じとか、
なんか、なんだろうね、こう感覚的に閉じこもるみたいな感じのとき、
そういうニュアンスを感じたとき、
うん、息子さんが?
自分の中で、あ、そうそう。
なんか、そんなんじゃ生きていけないぞーみたいな気持ちが自分の中に走るんだよね。
ひろさんはそうしてきたからだよね。
そうそうそうそう、ずっとそれをいうふうに、
いや、世の中に受け入れられる自分っていうのはね、やっぱり一生懸命作ってきたっていうのがね、
なんか、意識はしてなかったけど、
でもね、今息子を通して、すっごいそれがビュンビュンの中で走ってるっていう感覚があって、
もう自動運転よね、ここのね。
うん、本当そうだよね。
自動運転してると引きついちゃうんだよね、それを。
そうだよね。
そう、自分が育てられて、自分がそう生きてきたことをそのまま引きついちゃうんだよね。
うん。
いや、僕も結構危ういなと思ってるしね。
まあ、息子も今8歳だけど、
やっぱりなんかそういう自分で接してきているし、
今はね、なんかね、ちょっと変化起こってるんだけど、
自分のことがちょっとわかってきて、
それでも息子を通して、自分がどういう当たり前を生きてきたのかっていうのを感じることができるんだけど、
その度になんかね、首が締まるような苦しさっていうのかな。
個人の体験と感情
ちょっともだえるよね。
もだえるってこういう時に使うのか知らないけど、
自分がびゅんびゅん走ってる感じっていう、
なんかね、びゅんびゅん走ってるっていうのがすごい表現なんだけど、
もうちょっと教えて。
それって何?
僕多いよね、こういうのね。
なんかね、回転してる感じ。
伝わらない皮膚が。
回転してる。
伝わらない皮膚、ずっと言われてるけど、
なんかさ、あれあるじゃん。
棒があってさ、紐で結ばれたボールみたいなのがあって、
びゅんびゅん振り回すと、遠心力があって、ぐるぐるぐるぐる加速度が増していく感じっていうのかな。
自分の中にそういうびゅんびゅん回っているものみたいなのがあって、
それを感じながら、そういう行動しつつある自分と、
なんていうのかな、やっぱ瞬間的に対峙しないといけないわけじゃない。
親としての思い
時にはこうやっぱ言っちゃうし、
なんていうの、
うってそこに自分がいて、
自動的に口がその言葉を言ってしまうみたいな、
ところをその場で自分で見るわけじゃん。見るし聞くし。
いや、その苦しさは結構すごいなって思うね。
ヒロさん的には、棒で回している丸いものは何なんですか?
何を回してんの?
何かね、それが信じてるものなんだと思うんだよね。
今までは何かそれを見ようともしてなかったし、
何かめっちゃ高速で早くて見えなかったのかもしれないんだけど、
それが当たり前だと信じてたことだよね。
こんなんじゃ社会に受け入れてもらえないとか、
思い込んでたものだから、思い込んでるから見ようとしてなかったんだよね。
ルールとか正しいものをブンブン回して、
それで何か息子さんをぶつけようとしているっていうか、
ちょっと脅してる感じなのかな?
脅してるって言葉はちょっとゾクッとする響きがあるけど、
やってるよね。親として。
子どもへの影響
親のことだったら本当にこんなことになるよっていう。
そうだよね。
ちょっとそれをブンブン回してるヒロさんって怖いもんね。
いや、怖いと思うよ。
ね。
怖いと思う。
ぶつかったら痛そうだなっていう感じだよね。
そうそう。やっぱね、お父さんお母さん、
そうね、お父さんお母さんの会話とかよく聞こえてくるじゃない。
今も旅行中だけど、
隣のテーブルのお母さんの声とかで、
すごいよく聞こえるなっていうのが、
同じようなニュアンスよね。
そんなんだと。
うんうんうん。
昨日とかスキーのリフトで待ってるときに、
泣いてる男の子がいて、後ろで。
様子はなんとなく声の雰囲気で、
お母さんがいて、息子さんがいて、
息子さんがずっと号泣してるわけよ。
で、お母さんが、周りの人見てごらんって、
あなただけよ、泣いてるのって。
変でしょって。
そんなんだと生きていけないよ。
表現ちょっと覚えてないんだけど、
生きていけないよ的な、やっぱりこう、
言葉をね、子供に発してるわけだけど、
やっぱりこう、脅してるよね。
そうだね。
それは脅しだよね。
そうなんだよね。
私もその、言われた体験もあるし、
それを見た体験もある。
そうだよね。
うんうん。
あるか。
いやーそうだよな。
僕もやっちゃってるから、やっちゃってるし、
多分そう思って、やっぱちゃんと信じ込んで生きてきたし、
うん。
うん。
すごく気持ちわかるんだけど、
わかってる。
そうだよね。
うん。
まあ、脅して生きたくはないし、
うん。
まあ、子供にはやっぱり、
ああ、生まれてきてよかったなとか、
うん。
ああ、結構いいとこだなって、やっぱりこの世の中のこと思ってもらいたいなって気持ちは、
うん。
すごく強くあるから、脅したいわけじゃないんだよね。
うん。
それは本当にそう思う。
ね、その、ひろさんは、そのぶんぶん回してるルールとか正しさが、
それが正しいんだっていうのを信じたし、
うん。
で、そこに、
信じたね。
こうね、その中でよりよく安全に生きていく方法を、
たぶんひろさん的にはさ、
うん。
いい子でいるとか、
その、ネガティブなことは言わないとか、
そういう、こうね、うじうじしたことはしないっていうのが、
ひろさんにとっての成功パターンだと思うね。
そうだね。
だから失敗パターンをやっている息子くんを見ると、
やべーってなる。
そう、緊急信号みたいなのがね、やっぱり。
うん。
あのパトカーの上で回ってるやつみたいなのが、いっぱい回る感じになるよね。
そうだよね。
だからその、どぶんぶん回して、でんでん太鼓みたいなやつ回してるでしょ。
あー、そうそうそうそう。
やばいやばい。緊急事態やん。
そうなんですよ。
まあね、ほんとにそれが回ってるっていうか、だいだい引き継がれているけど、
ほんとにその、自動反応で、自動でそう生きてると、
そのままどんどん引き継いでいくんだろうなって思うけど、
うん。
そこに悔いを立てられるのって、やっぱりその人の意思なんだろうね。
うん、そうね。
なんか、生半科じゃないのはよーくわかったけど、
何年やってるのって感じやけど、
やっぱりそこは、意思っていうのはほんとに、
僕は強く持ってるなって思うし、
グッとそこに足で踏ん張るっていうか、
自分でそこを選ぶって、ちゃんと自分のことを見ていくっていうか、
小手先じゃ必要しない覚悟がやっぱり求められてるなっていうのは、
すごい感じるよね。
そこはね、頑張るっていうか、
そこはもう引き継がないぞって決めたけどね、
失敗してるし、
そういうこともめっちゃあるけど、
それも、頑張ったけど失敗してるよねっていうので、
それはそういう自分も、
そうやってずたぼろになってる自分も、
今悪くないなと思って見れてるっていうのはあるよね。
ゆるさと穏やかさ
ただ手遅れにならないようにしないとなーと思ってるけどね。
でもそのさ、意思っていうのが、
人間だけが持っている、
一番大事な能力なんじゃないのかなーって気がする。
なるほど。
うん。
あー、確かに。
そうね。言われてみるとっていう感じだよね。
あんま考えたことなかったけど。
うん。それ以外、何もできないよね。
何も持てないというか。
そう考えるとすごいよね。意思を持つっていうのは。
うん。すごいことだと思う。
すごいことだって、
より自覚的になってそれを使うっていうことができると、
すごくいいんじゃないかなって思ってて。
確かにね。
なんていうの、こう、意思を持つって言ってもさ、
なんか普通の範疇というかさ、
こうすることした、みたいなのって、
まあ、そのすごい決意みたいなニュアンスはそこにあるけど、
まあ人としては当たり前のこととも感じられるじゃない。
うんうん。
それがあんますごいことだっていう感じでは見てなかったなっていうのは今思ったね。
うん。
確かにな。
できてはいないが意思はあるっていう。
うん。そのね、ほんとに、
そのすごく純粋な意思っていうのにつながって、
すごくその純粋さに、
純粋さを自分で感じられると、
すごいエネルギーになりそうな気がするんだけど。
うん。
あー面白いね、確かに。
なんか足掻いてる人みたいに自分のことがちょっと見えてたけど、
今ちょっと話聞いてて思ったのは、
そこにそういう意思っていうもの、特別なものを持って、
望んでる一人の人っていう感じで。
うん。
見えるね。
すごいじゃん。
すごいじゃん俺。
すごいじゃん。
ちょっと特別感が出たね。
ちょっと全然関係ないんだけどさ、
今あのティラミスを食べてますが、
はい。
すごいチョイスをしたなと思って。
うん。
なんかおせんべいとかだったら食べれなかったよね。
あー音がして。
音がして。
限りなく口で溶けていくっていう。
確かに、噛みごたえがない。
口でシューッと溶けていく感じやからね。
うん。
それを見越してのティラミスだったんですね。
そう、見越してなかったが、
あっちりすぎて、
すごい食べやすいなと思って、
ちょっと言いたくなりました。
さすがです。
はい。
面白いです。
慣れてます。
なんかすごい、
ちょっとした打ち合わせしようかなと思ってたけど、
すごい深い話してるね。
そうだね。
ここの雰囲気がなんかちょっとそういうゆったりした感じだから、
すごい話になりやすいかな。
ちょっと一個思い出したんだけど、
そのヒロさんが、みんなが頑張ってるっていう風に見えて、
行きづらいっていうものが頑張ってる感じって、
そんなに頑張らなくていいよって言いたくなるっていうのを聞いて、
ヒロさんと研修をやったときに、
その研修を受けてくれている企業のみなさんに、
みなさん、休んでくださいねって。
たぶんすごく忙しいと思うんですけど、
休んで体大事にしてくださいねって言ってたのをすごい思い出して、
企業研修で休んでくださいっていう人いるんだなって思って。
僕が言ったんだっけ?
そうです。
面白いなあ、この人って思ってたのを思い出しました。
覚えてないね、僕は。
でも、思ってるからね。
言っててもおかしくないねと思うけど。
そうか。
言ってたか?
言ってました。
なんかあの、なんだろうね、
もともとなんかね、
夜寝るときに、
穏やかな気持ちでやっぱり眠ってほしいなっていう、
死ぬときみたいな話だけど、
穏やかな感じで眠ってもらえたらすごくいいなってのもあって、
もちろんね、その人なりに向き合ってるものがあって、
いろんな状況あると思うけど、
やっぱりなんか、なんていうの、眠るときにさ、
この布団気持ちいいなとか、
なんか枕がちょうどいいなとか、
お子さんがいる場合にはお子さんが、
時間がすごくいいなとか、
なんだろうね、
横にいる人とか、
肌から伝わってくる感覚とか、
体がちょっとこう、疾患する感じみたいなのを感じながら、
眠りについてもらえたらすごくいいなっていうのが、
なんかあって、
たぶん僕自身がそれをすごい大事にしてるんだけど、
そういう人が増えたらめちゃくちゃいいなと思ってるし、
そこにやっぱりちょっとこう、
貢献したいなって思います。
強いんだけどね。
だからなんかあんまり、
あんまりなんかこう、
体いじめてほしくないなって思うし、
頑張りすぎてほしくないっていうのは思うな。
なんかそのおこちよさとか、
ゆるさとか、
感情との向き合い方
なんかあったかさがひのさんにとってすごい大事なんだなって思ったのと、
たぶんそういう環境をつくる、
そういう状態をつくるのもすごい得意なんだろうなって思ったんですけど、
いつでもみんな何事もなく晩中うまくいって、
平和ですっていうことってなかなかないじゃないですか。
ないね。
そういう中で、本当に自分ではどうしようもないとか、
疲れてるときとか、
具合が悪いときとかもあるし、
自分ではない誰かのことで、
何かうまくいかなかったりとかする、
そういう日の夜、
お布団に入ったときはどうしたらいいんですか?
そういうときって本当に難しいなと思うんですけど、
なんかこれすごく、
そこに対して頑張って向き合ってるのかな。
でもやっぱり苦しさって変わんないよねって思うんで、
でもこの物事の見方みたいなのがちょっと変わるだけで、
すごく自分の中の感じ方みたいなのが変わるっていうのはやっぱりあるんだろうなっていうのは思うんですよね。
だから結局どういうふうに、そこから何を受け取るか、
どういうふうにそれを見るのか、
みたいなとこだなって思ってて、
結局それでそこからしか変えられないんじゃないかなみたいなところも思ってますね。
認知症との関わり
自分の物の見方を変えるっていうこと?
そうね。
ちょっと抽象度上がるんですけど、
僕もどうなんだろうっていうのは知りたいところだけど、
さっきのりょうちゃんのお母さんの話もしてたけど、
何か握ってると、それがすごく苦しいことなんだけど、
パッと離した途端、ねじれてたのとか、
なんかこう体が引っ張られてた感じっていうのがパッとなくなって、
あらっていう、結構こう自然な感じで流れ始めるみたいな感じっていうのかな。
そういうのってあるんじゃないかなと思ってて、
それってやっぱり怖いからさ、やらないわけじゃんみんな。
手を離すっていうこと?
そうそうそうそう。
多分手を離すっていうのは何かを受け入れていくっていう感じだと思うんですけど、
なんかやってみたら、あらっていう感じで、
こんなにあかがなくても済むようになったりするのかなって思ってるかな。
なんかままならないとかうまくいかないとか、
誰かとうまくいかないことも、そこに苦しさがあるとすると、
自分が何か握りしめてるものがあるっていう。
それを手放してみると、ちょっとゆるさとか楽さが生まれてくるんじゃない?ってそんな感じかな。
子供とか見ててもやっぱり思うんだけど、
大人だったらこれ結構気にすんだみたいなことでも、
結構あっさりと流しちゃってるなって見えることとか、逆もあるんだけどね。
そんなつまらんことで?とかちょっと思うこともあるんだけど、
なんかそこは子供とかも、正しく生きるみたいなことが、
いろんな意味で身についていたい年代だからこそ、
殺しまない?これでこれ何か?みたいな感じだよね。
だから握ってなければ、ガチっと握ってなければ、
すごい目の前にあって、すごい大変なことなんだけど、
あれ?みたいな、なんだっけ、大変だと思ってたのが全然違う感じで見えたぞみたいなことってね、やっぱりありそうだよね。
思うね。
うん。
どうなったろうね。りょうちゃんはどう思う?
探求してるとこではあるんだけど。
握りしめているものという感じが、あんまりわかりきってないかもしれないけど、
僕の中のイメージの世界だからね。
自分がどうかなっていうのを考えてみると、
例えば、母の認知症とかって、もう私にはどうしようもないことで、
苦しんでいる母がいるっていうのが、とにかく私にとってはつらいし、不快だよね、快不快でいうと。
そうだよね。不快だよね。
本当に。で、それは自分には変えられないことなんだけど、
自分が、そうね、なんか、本当にその起きていることを、
そうね、やってることは2つかなと思って、
1つは、何が自分にとってつらいのかっていうことを感じきるっていうことかな。
母の、こういうふうに見えてて、それの何が自分にとってどんなふうにつらいんだろうなーって。
私はこう、母の、まあ、愚痴というか、とにかく愚痴が多いんだけど、愚痴を聞けないとか、受け取りきれないとか、寄り添えないがあったけど、
何がつらいかって、結局母が、まあ、その1つは認知症という1つの現象だけど、
それを、その先に死が待っているっていう、母がいなくなっていくんだっていうことを、やっぱり自分は感じていて、
その、いなくなっていく、母というものが、まあ、その形、認知症というね、症状を通して、母というものがなくなっていく、まさに知ってるお母さんじゃないとか、
その、できることができなくなっていくもそうだけど、母というものがなくなっていくっていうことを、
私は受け入れられてないんだって、それをなくなっていくっていうことがすごく怖いし、悲しいんだなーっていうことを、自分で知る。
自分でそれに気がついて、あ、私はそれが本当に嫌なんだって思えたときに、受け入れられるようになってきたなーって、
なんか、それに気づいてないまま、何か恐怖心とか、なんかもう拒絶が生まれている。
でも、その正体をわかってないと、拒絶したまんまなんだよね。
なんか怖いから受け入れられないとか、目の前の母をそのまま受け入れてあげられないみたいなのが起きて、しんどい。
けど、本当に何が自分が嫌なのかっていうのが、ちゃんとわかることができると、受け入れられていくなーって思うのと、
決してこう、いいことには見えないかもしれないけど、認知症になるとか、老いていくとか、病気になるとか、でもそれもこの世界が作っていることで、
なんかその大いなるものなのか、神様なのかわからないけど、本当にこの世界が現象として作っていることで、
だとしたら、そこにどんな意味を自分が見出せるんだろうなーっていうのを探しに行くっていう、
なんかそれをしてみると、例えば、母が認知症になっていくって、本当に自分ができていなかった、できない、すごい課題があるなーって思っている人には、
誰もが平等で、すべての命が祝福されるものだっていうことを、すごく自分は作っていきたいんだけど、なんかそうできない自分がいるなーってずっと感じていて、
でもその、自分の母親という存在が、まさにそれを体現して見せてくれてるんでね、何もできなくなっていきますって、この命を私は尊重するっていうことができるのかって、
なんかそこにやっぱり意味があるような気がするし、母自身も役に立たない人間はいない方がいいって自分で思っている。
自分でそうやって、他人のことも見ている。
でもそういう存在に自分がなっていくっていうことに、母自身の人生の意味みたいなのが、今問われてるんだろうなーってすごく思って、
なんかそういう目の前で起きていることに、ちょっとこう俯瞰して、どんな意味があるんだろうとか、何を教えてくれてるんだろうって、見ることができると、そのちょっと俯瞰して見てる時点でちょっと体は、とか心は楽だし、スペースが開くし、
なんかそこに自分なりの意味が見つけられたら、より、なんていうかな、ポジティブにならなきゃいけないわけじゃないけど、その意味があるんだって受け入れられるようにもなっていく気がする。
無自覚な不快感
そんなことをしてるかなって思いました。
聞いてていろいろ感じることがあって、だけど、人ってやっぱり何を今自分が不快だと感じているのかに、驚くほど無自覚だよねって。
そうだね。
不思議じゃない?なんかこう、何か嫌な感じがあるんだけど、それって突き止めてないよね。
うん、だって不快だからね、見に行きたくないよね。
そこに行きたくないよね。行きたくない。
そう、瞬時に避けるっていうことをしてるよね。
そうだよね。でも、やっぱ不快、そうだね、不快イコール逃げろ、みたいな、なんかそこに自動のなんかこう、システムがあるよね。
そうだね、自動思考で自動行動してるよね。
不快だから、でもさ、人ってなんか、その無自覚であることに、無自覚というか、なんていうかな、そこに違和感なく、
あ、不快だ、なんか、はい、これを消さないといけません。この状態から逃げ出さないといけません。以上って、なんか違和感がないっていうのかな。
なんか、他のことと比べるとさ、なんか、なんだろう、明確にする世界観で生きてるなと思ってて、僕ら。
明確にする世界観?
そうそう、なんかこう、なんていうの、学校とかでも勉強を習った時に、なんかこの答えはありませんとか、なんかもやもやしたなって覚えがあるんだけど、
なんか、すべてにある程度、なんかきっちり、きっちり答えを見ないと、ちょっと気が済まないというのかな。
なんか、そういう世界観の方が強い世界観で生きてる気がするんだけど。
え、この社会はってこと?じゃなくて?
あ、そうそう、この社会が。僕らそういう風に訓練されてきている。
あ、そうだね。
なんか不明確なまま置いとかれたらって、なんか、ちょっとザワザワしたなっていうのは、僕の体験としてあるんだけど。
なんか、例えばこう、なんだろう、よくあるの、エジプトの秘宝あるかみたいな番組で、なんかだいたいよくわからんかったみたいなんで終わるなって。
あるかもしれないみたいな感じで終わるね。
結局わかんねえんじゃんって。
まあ、そういうなんかこう、明確になりませんでしたみたいな可能性あり、みたいな可能性を示したみたいな。
そういうのとかで終わられるのちょっとなんかもやもやするなとか。
なんかこう、仕事でもやっぱり明確にするみたいなことっていうのは、
なんていうのか、不明確なまま置いとくっていうのは、
いや、ここはちょっと不明確なんで、これはこのまま置いときましょうとか。
あんまりビジネスの場で聞いたことないなと思ってて。
うん。
うん。
なんだろう、イエスのを決めていく、バチッと決めていく。
それに必要な情報を収集してきちんとこう、ロジカルに。
イエスのを明確にしていくっていう世界観だなと思ってる中で。
うん。
でも、自分の心の中でこう、不明確なところっていうのかな。
そのままやっぱり置いとくみたいなのが一方であるっていうのは、
なんかそれを良しとしている。
でも、不明確なことを自覚してないから、置いといてる気もないんだよね。
そうだね。
たぶんね、ないことにしてるんだと思う。
不明確とかその不快が感じないようにしてるし、
それはないです。
ポッドキャストの開始とリスナーとの交流
僕、ポジティブです、みたいな。
あー、そうだね、そっちか。そうだよね。
そっかそっか。
不明確っていうことになってないんだね。
なってない気がするな。
そうだね、確かにね。
僕もミスター・ポジティブで生きてきたしね、なんかそうだよね。
ですよね。
はい、よくわかります。
そうだね。
なるほど。
まあ、って思ったのと、あと何思ったっけな。
なんかいろいろ思ったけど、今話してたら忘れちゃったな。
あ、忘れちゃったわ。
まあ、なんか悔しい。
なんか探りたいけど。
じゃあ思い出したら次回。
そうね。
これなんかこの話したら終わらなさそうやん。
ちょっと僕これどこで終わるのかなと思ってた。
1時間ぐらい経ってますからね、これで。
これ結構でもあれやね、楽しいね、なんかこう。
あの、そうそう、あのね、僕の中のイメージなんだけど、
あ、一旦これを閉じていこうかなって今思ってるんだけどね。
はい。
好きなこと、その時こう話したいこと話しましょうっていう感じだから、
よくほら、打ち合わせの時にやるチェックインとかしてるじゃん。
あの辺とかはすごくいいんじゃないかなって思ってたり、
してますっていうこととか、あとあの、
もしね、この、これ聞いてくれるとかいて、
なんかこう、こんなこと悩んでるんですとか、
なんかこう、
自分の状況とか、まあ人の状況でもいいんだけど、
ちょっと共有してくれるみたいなことが出てきたら、
なんかそれについて、りょうちゃんと話してみたいなっていうのを、
なんか思ってるっていう感じかな。
お悩みとか、
うん、そうそうそうそう。
さっきの息づらさみたいなこととか。
なんか、そういうことをこのラジオで話せたらいいなーっていうのは思うし、
僕自身がやっぱりそれを、こうやってりょうちゃんと一緒にこう、
なんだろう、考えられるっていうのかな。
すごい、自分にとってすごいいいなーと思ってて。
うん。
うん。
そんなイメージをなんとなく持ってますっていう感じかな。
すごい。
はい。
じゃあ、お悩みレター募集中。
そうそう。ゆるく。いつでも。
いつでもメッセージはひろさんまでお寄せください。
そうそう。まだ何も設定されてないけど、
そういう欄を置けて、
はい、募集したいね。
まあ、それまでは日々お話いらない人から聞いてるけど、
お互いね、なんかこう、今日みたいな感じで、
これってどうなんだろうみたいなところって、
今までもいろいろ話してきたけど、
ちょっと、いらなきり口で、好きなきり口で、
自由に話させてもらってっていう感じでいいかなと思ってます。
はい。
はい。
あっという間だね、1時間。
これあれだね、2回ぐらいに切ったほうがいいかもしれないね。
うんうん。
2回か3回かわかんないけど。
はい。
これ、閉まりました?もう。
閉まった感じ?
これはじゃあ閉めていこうか。
はい、じゃあそんな感じの第1回でした。
はい。
はい、じゃあお疲れ様です。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。