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はい、こんにちは、まっちゃんです。2回目の録音。今日2回目です。
私の40年。 まああまりね、あの関心ないよって言われたらそれまでなんですけども、
ちょっとね、あの自分が精神障害者だった時のことをちょっと語ります。 ここでね、話せるっていうことは完全に乗り越えてます。その時その時代を。
私は今とても元気です。 普通に生きておりますけど。
えっとですね、まあ自分は子供の時は 何不自由ない生活を両親のおかげで、まあしていました。
友達も多かったし、学校では成績も一番になったこともありますし、まあ以前話しましたけど。
大学もまあ、高校進学校で大学も行きました。 ただね、この大学進学の時にちょっと
自分の不本意な結果だったんですね。 それでも何か自分で強がって無理して、例えば体育会系の
クラブにですね、入部したんですね。1年間。 全然自分に向いてないことをやってしまったんですね。
自分は誰にも負けないとか、
自分は一番強いとかね、自分の人生の落とし穴にはまってしまったようなね、今思えば思うんですけども。
それからちょっとまあ自分のやりたい勉強じゃないし、学部じゃないし、 ちょっと歯車が狂い始めてボタンを一つ掛け違えたような感覚になりました。
ちょうど就職氷河期2001年3月に大学を卒業して、就職氷河期だったんですけど、運良くある会社に内定を頂きました。
そこでですね、関東の方で千葉県の方で1年半ほど働いたんですけど、 ちょっとやはり地元で働きたいと思って
帰ってきました。地元に帰ってきました。 まあ実家暮らしはね、それからそこから実家暮らしで10年以上実家暮らしだったんですけども、
なかなか自分のやりたいことが見つからないと。
ただそれでも自分らしく生きていきたい、でも会社では自分らしく生きられない、そのジレンマが
ジレンマを抱えて生きていました。これはね、まあどんな方にもね、分かるよと当てはまるよなんてね、 あのところはあるかもしれませんけど
それで25歳の時に ちょっとパニック障害のようなね、あのちょっと電車の中に
電車に乗ったらちょっとパニックに落ちたような感覚になりまして、 ちょっと自分でも変だなと思って病院に行きました。
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だったらある病名がね、あの ちょっと出まして
それでもやっぱり実家暮らしで自分の親を心配させたくないということで、 ある会社にまたね入って職を2転3転しました。
そこで8年半 勤めたんですね。
若い20代前半の時に何やっても続かなかった自分が 8年半続けられたんだと
何か不思議な感覚になりまして、自信になりまして、その自信が高まった時に日本語教師に 転身しました。
これが人生の大きな私にとってのターニングポイント。 37歳で日本語教師になった時のターニングポイントです。
継続は力なりという言葉ありますけど、 私にとって
歯がゆい不本意な人生 8年半だったんだけど
続けたことで自分の自信になったと
自分が自分に自信がついてきて日本語教師に転身しました。 まあ1回ツイートでもしたことあるんですけど
夢は叶ってもそこに理想の職場があるわけじゃない。 まあもちろんいろんな悩みは今もありますけど、今は
病を克服して元気に 日本語教師をやっています。
まあね先ほど上昇に情緒に怒られる、叱られるという ラジオの録音もしましたけど
ものすごく今 辛い過去を乗り越えた過去はあったからものすごく幸せだし
ものすごく 楽しいし
人生を本当に楽しんでいます。
今度また日本語教師の皆さんと大阪でもいいし東京でもいいし また飲みたいです。
飲みながら話をしたいです。それまでにも自分も
成長して頑張って努力して
皆さんにね あの
マッチャンなかなかいい先生になったねと言われるように 頑張っていきたいと思っております。
今は私は元気です。元気に生活しています。 ありがとうございます。またツイッターで。バイバイ。