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2021-10-18 06:01

【第218回】80歳になった親父に関するエピソード③

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10月17日に80歳になった親父ですが、努力、根性、忍耐の人だったと思います。工業高校を出て日立に入社。当時は学歴社会。会社に黙って4年生大学工学部の夜間を卒業しました。反骨精神半端なし笑。尊敬しています。
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こんにちは、日本語教師まっちゃんです。
80歳になった親父に関するエピソード第3弾です。
私は、7つ上の姉がいると言ったんですけど、
7つ上の姉が、
私が中学生ぐらいの時に、20代の時か、
オーストラリアのシドニーに、
ワーキングホリデービザで行ってたんですけど、
私が、ごめんなさい、中学生ぐらいじゃない、大学生の時だな。
大学生の時に、
じゃあ、お袋と一緒に、
シドニーにね、
私が19歳の頃かな、
シドニーに、姉に会いに行こうと、遊びに行こうという話になって、
行ったんですね。
私が初めての海外旅行が、オーストラリアのシドニーになりましたね。
私が大学生の頃ですけど、
その時、親父のエピソードなんですけど、
親父がオーストラリアのパースで仕事をしてて、
じゃあちょっとシドニーで合流しようよっていう話になって、
シドニーで合流しました。
私はもう初めて飛行機に乗ったり、
初めての海外旅行でも、
全然浮き足立ってましたけども、
今ではね、飛行機に乗ることはすごく楽しいなと思えるようになったんですけど、
当時は浮き足立っててね、
写真で残ってますね、シドニーの写真がですね。
親父と家族4人で、
どっかのレストランでご飯を食べて、
いい思い出として残っております。
エピソード1,2と話が前後して申し訳ないんですが、
親父は工業高校卒といったんですけども、
当時高度経済成長時代に、
1960年代、70年代、80年代で、
学歴社会だったですね、間違いなくね。
学歴社会だった、それが信じて疑われなかった時に、
工業高校卒で結果的に最後は現場の所長として終わったんですけど、
親父はその時に気づいてですね、
近畿大学の工学部の夜間で入ったようですね。
4年間工学部で勉強したようですね。
理系だったんですね、エンジニアですからね。
それを会社に言わずにね、
学歴社会で全然給料もね、
大学卒業の人の方が上で、
自分は本当に惨めな思いをした経験、
今80歳ですから、まだ戦後ですね、
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日本が経済成長に真っ只中な時に悔しくて、
近畿大学工学部の夜間を結果的に卒業して、
会社に黙ってたそうですね。
会社に黙って、工業高校卒のままで会社に黙って、
会社終わった後、夜間で勉強して、
何食そうとすごく頑張ったようです。
会社に黙って卒業したようですね。
なめられて、なめんじゃないよという感じだったんでしょうね。
自分も頑張れるし、仕事もできるしというね、
頑張るしという思いはあったと思います。
反骨精神というんですか。
今までこそ根性とか忍耐という言葉は薄れてきましたけども、
本当は親父はそれが身についてますね。
努力、根性、忍耐の男だと思います。
ちょうど今私個人的にオンライン日本語教師の
アメージングトーカーの面接を終えたばかりで、
ちょっと疲れておりますので、
今第3弾、今4分経過しましたけど撮っておりますけど、
あとは80歳になって親父に関するエピソードとして、
やっぱりそういう影で努力する姿というのを
憧れてたおふくろですね。
おふくろの存在も欠かせないんですけども、
おふくろは夜間で頑張っている姿に惚れたそうですね。
お見合い結婚だったんですけどね、親父とおふくろは。
おふくろが77歳の吉寿なんですけども、結婚したと。
おふくろは当時24歳で、
やっぱり昔の日本人的に24歳で結婚するというのは
遅かったそうですね。
20歳とか21歳で結婚する人が多かったようですね。
今でこそ24歳で結婚するのって早く感じますけども、
当時おふくろとか親父の世代は24歳で結婚というのは
遅かったそうです。お見合い結婚でね。
やっぱり努力家という意味で
親父に惚れたおふくろですけども、結婚して50年経ちました。
純分満々ではない会社にさらります生活だと思います。
エンジニア生活だと思います。
世界20カ国行ってると言ってもね、
純分満々ではない姿も見ております。
また次のエピソードでお話しされると思います。
ここまで聞いてくれてありがとうございます。
バイバイ。
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