制作と人間関係の相互作用
いやー、けど、あれなんだよな。その、モテたい、誰かと仲良くなりたい、友達になりたい、人間関係に未来を見出したい、みたいな気持ちと、結構、その、制作してる時と、同じ筋肉使ってるところもあって。
そうなの?
だから、両方同時には全然できないなっていうふうにも思うっていうか。
同時にできない?もうちょっと教えて。
いや、まあなんか、普通に物理的にパーティーしながら絵描くっていうのはできないんだけど。
あ、そっか。
物理でそうだよね。
物理的にはできないんだけど、なんかその、めちゃくちゃ真剣に絵描いてる時って、パーティー行ったぐらい疲れる、みたいなところはある。
同じ筋肉ってのはそういうことか。同じところを動かしてて疲労するっていうことか。
てる感覚が結構あるから。
それってさ、その、描く絵の見る人のことを想像して、みたいなこと?
そうそうそうそう、そういうこと。
へー、なるほど。
これは多分イラストレーターによって感覚の違うところだけど、スムーは結構その、この絵を見てる人と仲良くなりたい、みたいな。
お手紙書いてるぐらいの、そのコミュニケーションをする一つの手段みたいな感覚で絵を描いてるから。
へー。じゃあ目の前にいない人とパーティーしようとしてる。その時に絵を描いてるってこと?
そうなんだ。
むずそう。
でも誰かなんだね。自分ではない誰かなんだね、相手がね。
あ、そうね。自分のためだけに描く絵みたいなのももちろんあるとは思うんだけど、スムーは割とこれ見たら人はどう思うかな、みたいなことを結構考えちゃうから。
エッセイストとしての制作体験
どう受け取られるかなとか、仲良くなれるかなとか、親しみ持ってくれるかなとか。
そのさ、きかちゃんとかってさ、文章を書いたりするじゃん。
そうだね。
その時ってパーティーの感じする?
今ね、聞いててね、私はだいぶ違うなって思った。私たぶんね、私は、私はエッセイストなんだけど、エッセイストってすごくない?
エッセイスト。
なんかさ、嘘の職業みたいなね。私いつも思うんだけどさ、こんな職業の人いないなと思うんだけどさ、実際エッセイストなんだけどさ、私はさ。
なんだけど、だからずっとさ、エッセイを書いてるのね、朝から晩まで。でさ、それってたぶんね、誰に向けてじゃなく、本当にただ文を書いてるんだよね。ただ。
自分に向けてですらないってこと?
自分に向けてですらない。なんか、何かものすごいさ、すごい霊的な作業なんだよね。
霊的な作業ってどういうこと?
なんかこう、意図を止めて。
亡くなった先祖とかに向けて書いてる?
そう、ちょっとなんかイタコっぽい感じなんだよね。なんかこう、何かこう、情景とかを下ろして、それを模写するような作業なんだ。
文章を書いてる時って、私がこの世にいないような感覚なのね。
へー、めちゃめちゃ面白い。
だからさ、私さ、1日、たとえば5時間とか6時間とか文章を書いてると、5時間とか6時間、この世にいないんだよね。
へー。
だから、私今さ、すっごい生きてる時間が短く感じてんの。
へー。
なんか。
逆だと思ってた。
え、本当?なんかすごい短い。
エッセイストっていうか、エッセイ書く人ってさ、自分のしたこととか、自分の見たこととかをすごい残してるから、めちゃめちゃ生きてる人だと思ってたんだけど、違うんだね。
結果的にめちゃめちゃ生きてることになってるんだよね。その生化物によって。
でもさ、書いてる作業の時は、本当にどこに自分がいるかは全然わかんなくって。
日記と時間の感覚
なんか、たとえば昔のこと書くとしたら、昔に行くんだけど、その昔に行ってる間って、なんか今ではないじゃん。
今の時間を生きてないんだよね。だからなんか、時間がすごいない感じなの。
めっちゃ面白いな。
へー。
そうスリップしてる感じ。
そんな感じ、そんな感じ、昔のこと書くとか。私日記芸でやらさせていただいてるからさ、日記を結構書くんだけど、それ昨日のことを文章を書いてないところに飛んで行って、見るんだけど。
だから、それは昨日に戻ってるから、今じゃないんだよね。
なんかさ、すっごい短いんだよ、1日が。
それはそれでわかんない。きかちゃんとすんが同じ時間と違うのかって結構難しいなと思って聞いてたんだけど。
なんかめっちゃ共感できるところもあるんだよね。
あ、そうか。
時間が止まってるというか、そのすんは、その昨日あったことをちょっと聞いて聞いてみたいな感じで、絵とか漫画とかを書くんだよね。
そうだね。
それに1日2日かかってると、その昨日の時点から止まってる感じは、すんもするのよ。
そっか、それはコミュニケーションとは違うもんね。その時間が飛ぶ感じっていうのはね。
作業中に時間が飛ぶ感じはね。
確かにそうだね。
それはめっちゃわかるし、なんか実際それが時間が少ないのかって言われると、聞いて聞いて、昨日さ、みたいなことを書いて発表して、見てくれる人が、例えば10人いたら、10人がその話聞いてくれたっていう感じになって。
10人と話す時間がバーって増えるみたいな。
増幅する感じだね。
なるほど。
感覚もある。だから書いてる途中はすごい、なんか自分の時間少なみたいな感じがするけど、その反響次第では、なんかギュッと時間が凝縮された時間だったのかもなみたいな。
なるほど。
ふうに錯覚する時もあるみたいな。
そっか。それがさ、もし10万人とかに届いたらさ、2日で10万人と話したみたいな感じになってたもんね。
そういう錯覚もあったりもするから、っていうのが寸の体感だったり。
それすごいさ、寸ちゃんらしいね。なんかその、やっぱりコミュニケーションに、すごいなんていうのかな、表示がある感じがするな。なんか私結構本当に人のことほっといてる感じする。
そうなの?
いやいやいや、かっちゃんの制作のほうが美しいと思うな。
いやいやいや、全然全然、なんか私は本当に自分しかいない感じがすごい。
すごいよね。
家になってる。家を領域展開してる。
なんかさ、その、全然さ、俺はエッセイって書いたことがないからさ。
うんうんうん。
ま、でもどうなんだろう、SNSとかってエッセイなのかな?ちょっとわかんないけど。
あ、だと思うよ、そう思う。
そうか。
うんうんうん。
日記とか書いててさ、どういう反応が来たりするの?その、私もこのお店行きましたとかじゃないよね、多分。なんかどういう感じの。
そうだね。
どんなコミュニケーションが発生するんだろうっていうのが、あんまり想像できてなくて。
本当に読んでいただいて?
うんうんうん。
そうだね。
私は、日記に関してはさ、2冊本があるやつは、まだ子供がちっちゃい頃のことが結構書いてあって、だから子供のことについてリアクションもらうことが多いかな、なんか。
あー。
うんうんうん。
リアクションが来た時にどう思うか、気になる。
あー、気になる気になる。
え、嬉しっぴよ。
嬉しっぴ?
嬉しっぴだね、最高嬉しっぴだね。
誰かに向けてとか、なんなら自分のためにも書いてるわけでもない、霊的な状態で。
霊的な状態で、そう。
制作をしてなって、リアクションが来たら、なんかびっくりしたりするのかなと思って。
そうだね。
あー、びっくり嬉しっぴだね。びっくり嬉しっぴ。
びっくり嬉しっぴ。
嬉しっぴだね。
そうそう、さっきも言ったけどさ、私やっぱできることがすごい少ない幼少期を送って、生きてきて、できることがやっと見つかって、それがまあ日記とかそのエッセイだったんだよね。
できるから、やらさせていただいてるみたいな感じ。
へー。
うんうんうん。
うんうんうん。
なんだよね。だから何のためにっていうか、これしかできることなかったんです。
せやせんがこれでやらさせていただいてみたいな感じ。
へー。
それ見つけたのいつ頃とかって覚えてる?
えっとね、見つけたのはね、2018年の年末とかだね。
2018年の秋ぐらいに日記書き始めて、そしたらすごいうまく手が回った、手も頭も回った感じがした。
へー。
めっちゃいいな、なるほど。
ウェブの記事とかもずっとやらさせてもらってすごい大切な仕事だった。
うんうん。
なんかそっちはもっと得意な人がやっぱいっぱいいて、周りに。
なんか勝てなさみたいなものはずっとあったが、なんか日記とかしてるのほうがなんかハマってる感じがやっぱその時ぐらいからしてきた。
へー。
そっかそっか。
うん、そうだね。
なんかすんの絵を描くこととの出会いともちょっと重なるっていうか。
あ、そうだね。だってね、だって描いてたらそこからハツラツとしたんだもんね、すんちゃん。
そうそうそう。
そっかそっか。
すんの絵の場合はなんか周りに人がいて、なんか仲良くなれたんだよね。
なんかその実感が強いから、絵を通して人と仲良くなるってできるんだみたいなのが強くて。
だから結構余計社交と結びついてるというか。
なるほどなるほど。
人間関係みたいな。
ここ見据えて絵を描くのが現体験としてあるのかなみたいな風に思うんだし。
なるほど。
きかちゃんのそのパターンもすごいおもろいし。
そうだね、幸せなことだよね。
出会えてよかったよね。
いや、出会えてよかった。もうちわき肉踊るようなさ、感覚だよね。
もうさ、描いててさ、こうゾワーッとしてさ、めちゃくちゃ興奮するんだよ。
でもう、俺の人が出まくるみたいなさ、もう目がランランとしてさ、
それでさ、描き終わった後とかさ、もういてもたってもいられず、うろうろするみたいな。
めっちゃいいね。
手応えがあって。
へー。
そうそう。
それってさ、日記ってさ、寝る前に描いて寝るとかさ、
まあなんか想像するんだけどさ、日記描いてちわき肉踊るってどういうことなん?
いやそう、それ気になる。
うん、気になる気になる。
手応えがあってっていうのは、どこで手応え感じる?
そうだよね、自分の生活じゃん。
エッセイを書く意義
そう、自分の生活なんだけど、描いてるうちに思いもよらないロジックが発見されるんだよね、自分の生活の中に。
へー。
なるほど。
そうそうそうそう、これはこういうことだったんだ、それで私はこう思ったんだっていうことがさ、描いてる間に見えてくるわけ。
謎が解かれるみたいな。
そうそう、薄もやの中に見えるのよ、最初は。
それをさ、つかんで引っ張るのね。
そうするとずるずるずるって出てきて、めっちゃクリアになるの。
へー。
うわ、見えたって言って、それがまた見えなくなるうちに早く描くのよ、バーって。
あー、めっちゃいい話。
そうそうそう、そんで、よかったよかった、具現化できた、できた、できた、できたってなると、
うわー、すごいって思って、もう、で、もうなんか嬉しい。
めっちゃわかりやすい。
わかりやすい。
めちゃめちゃわかりやすい。
なるほど。
なんか、そう、ライターとかでもっと上手く描ける人はいるって言ったけど、
日記でもっと上手く描けるってどういうことって思ってたけど、
なんか、そういうの掴む感じとかが得意っていうのがわかったってことなのかな。
そうだね、たぶん日記に関しては誰とも比べない自分の手応えを得たんだろうね。
へー。
上手い人はもう恐ろしくたくさんいる世界だけど、自分なりの手応えが見つかったんだよね。
めっちゃ嬉しい。
そうね。
そう。
そうそう。
なるほど。
うん。
言語化、言葉にして、で、自分が、あ、こういうこと考えてたんだ。
今まで、もしかしたらこれとこれもずっとそういうことなんじゃないか。
そういうこと、そういうこと。
で、整理されてすっきりするみたいなのがすごい共感できるし。
うん、その通り。
普通にもそれを絵でやろうとしたことも。
うん。
あ、あるんだ。
あったし。
へー。
もう一歩踏み込んだ質問をしたいんだけど、きかちゃんに。
うんうん。
え、なんだろう。
何?
こう、自分の日常の伏線を回収するみたいな。
うんうんうん。
こうだったのではって言って解釈するっていうことは、すんも思い返せば絵を描く中でとか、なんか作品を作る中で結構あるんだけど、すんはある時なんか、やりすぎたなみたいな。
お、へー。
伏線を回収しすぎた?
うん、なんか伏線回収したいが欲があるあまりに、なんか無理やり点と点を線にしちゃったなとか。
へー。
ちょっと乱暴な解釈しちゃったなっていうことが結構3、4年前ぐらいにあって。
あったんだ。
なんか、それで結構反省をしたというか。
へー。
うんうん。
なんかそこから、なんか伏線っぽいけど、あえて回収しないでおくとか、あえて解釈しないでおくみたいなことがちょっと増えた気がするんで。
表現技法の工夫
押されそうだよね。
そういうのはない?エッセイ描いてて、ちょっとこれ点と点と点、線になるんじゃないって思ったけど、やや乱暴か?みたいな順々というか、悩みみたいなのがあったりするのかなっていうのが気になったんだけど。
あるある。それはさ、結構悩みっていうよりもそこ多分、なんかギミックなのかなって思ってて。
そこは、例えば、ちょっと今あいの手で言っちゃったんだけど、ここは結ばない方がおしゃれかなとか。
あー。
うん。そういう、その、なんていうのかな。
手法としてのカッコつけをしたりとか、ここはカッコつけないでぼくとつにいこうとか、そういうことはもう全然考えちゃう。
なるほど。考えちゃう。
そういう、わざとのポーズはバチバチにやる。
へー。
だから。
リアルだね。
そうだね。ここは論理で行きたいときは、全然点と点を線でつないでドヤってするし、もっと漠然と取り留めのない感じを出したいときは、
放り投げるように、なんていうのかな、自然的に、自然の風景というか、何か急に目で見た景色を語るように。
それがリアリティだったりもするもんね。
そうそうそうだね。
点と点と点が、点と点と点のままである。
ままであるみたいな、そういうおしゃれもする。
なるほどね。なんなら読み手が発見するみたいな感じもあったりするもんね。
それはね、それも最高にいいね。それもすごくいいね。
なんか、はったりを聞かせたいって思ってて。
はぁ。
なんか割とその、けれんみというか、かっこつけたりかっこつけなかったり、緩急つけて、びっくりさせたい、みたいなすぎやあるな。
めっちゃいいじゃん。ギャップだ。
そうだね、ギャップだね。ギャップ萌えを、なんかやる。すごい。
いろんな自分見せちゃうぞ、みたいな。
見せちゃうぞ。楽しみにしててね、みんな。っていう感じ。
めっちゃいいじゃん。
そういうのってさ、もともとさ、きかちゃんがさ、どこで知ったの?っていう感じもするの。
そういうわざというか、ギミックみたいなのがあるぞとかさ。
めっちゃエッセイ読んでた。
全然それはなく、でも私さ、やっぱり文芸というか、あんまり本をいっぱい読んできた子供ではなくて、ぼうぼうとして生きてきたから、大人になってからちょっとずつ読むようになって。
で、私さ、インターネットの世界でもやっぱり仕事ずっとしてきたから、ネットの文章はそれなりに読んできた。
そっか。
だからそこがまがったりしてんだよね、結構。
なるほどね。
ネットで文書いてる人って結構そういうところがあるんじゃないかな。
まあ、文芸とかも結構好きで、ネットのあのミームっぽい世界観とかも、なんていうか、勘どころがあって。
おもろ。
うん、それで。
そっか。なんか、なんとなくエッセイめっちゃ読んだのかなとか、本めっちゃ読んだのかなと思いきや、我々が日常を目にしているインターネットはめちゃめちゃ文字だしなって、もう気づいた。
そうよな、ほんと文字読んでんだよね、ネットやってるとさ。
なんかさ、忙しすぎるときってマジで本読めなかったりするんじゃん。
いや、読めん読めん。
本読めないとかって。
確かに。
もう読めんよね。
私、なんて、うち、うち、みたいな。
あ、プレッシャーね。
そうそうそう。
プレッシャーなるよね。
プレッシャーになったりするけど、読んでるわ、めっちゃ、文章。
読んでんだよ。インターネットやってるからさ。
胸張ってこって思った。
相当インターネットやってるじゃん。
めっちゃ読んでるね。
思った。
読んでんのよ。読んで読んでる。