子育てに自信がなくなった時の考え方
こんにちは、すぎべです。いかがお過ごしでしょうか?
私はやっと、1週間ぶりの一人の時間を過ごしております。
というのも、先週はですね、月曜日から大休でスタートしたんですね。土曜3巻の大休からスタートして、
で、大休が終わったと思ったら、小学校が学級閉鎖になっていたので、
本当に先週は1週間ほぼずっと、子供たちが誰かしら家にいるっていう状態だったんです。
で、週末を経てね、ようやくいつも通りの1週間がやってまいりますと思っていた時に、
月曜日の朝よ、末っ子が寝室から降りてきて、すごいね、なんかこう絶妙な顔で降りてきたんです。
お鼻が詰まってしんどい。幼稚園休みたいって言ってきたんですね。
もうマジかと思って、次はそっち?みたいな風になりまして、
で、熱測ったら熱もないの。だから多分私が働き方としてね、外に出ていく働き方をしていたら、
休ませへんかったやろうなっていうぐらいの症状だったんですよね。
鼻がちょっとずるずる出てるかな?ちょっと詰まってるかなっていう感じ。
だけどすごい必死に訴えてきたし、私も仕事の予定として、家で仕事ができる日だったので、
まあまあ休ませてもいいかということで休ませました。
結局私は午前中、コミュニティのメンバーの方とズームが入ってたから、ズームはさせてもらい、
末っ子にも、ママお仕事するから、その間、ネットフリックなり、アマゾンプライムなり、ディズニープラスなり、
何なり見といてねって一緒に遊ぶことはできないよって言って、そこは末っ子も分かった。やった!みたいな感じで言ってね、
なんとかどうにかこうにか予定をこなしたりしておりました。
結局その後も熱上がらなかったし、いけたやろって思ってるんですよ正直。
いけましたよねって思ってる。
私のズームが終わってから末っ子が言ったのは、さあお昼ご飯どこに食べに行こうかって言ってきたんですよ。
いやもう元気やんと思って。
我が家ブロンコビリーっていうね、ハンバーガーのチェーン店があるんですけど、そこがすごく好きで、家族全員好きでよく行くんですよね。
で、産官日の後とか、末っ子と一緒に帰らないといけない時とかも、2人でブロンコビリー行ったりするんですよたまに。
だから、今日も幼稚園休んだから行けるんじゃなかろうかと思ったのが、
じゃあズームも終わったしブロンコビリー行こっかみたいな感じで言ってきて、
いや行きませんけどみたいな。あなたしんどいって言って休んでるんでしょ。行きませんけどと思って。
結局お家でお昼ご飯を済ませましたが、そんな末っ子だったので火曜日の今日は元気に登園していきました。
久しぶりの本当に1週間ぶりの一人の時間。
本当にいろいろ流行ってますから皆さんもお気を付けください。
私が言ってる一人の時間って、ちなみに言うておきますけど、優雅にコーヒーを飲む時間とか読書をする時間とかお買い物に行く時間とかさ、
そういうレベルの高い一人の時間を言ってるんじゃないんですよ。
とにかく私以外の家族全員が出払っているっていう状態。
一人で家事ができるとか、一人で自分の仕事をできるみたいな、そういう時間です。本当にそういう時間。
これがね、なかなか予定通りに作るのが難しいなと思いながら、でも健康第一やしなと思いながら、
とにかく疲れたなみたいな気持ちで火曜日を迎えております。
今日はですね、私の家の近くにある大好きな本屋さんがありまして、
いろいろ回った結果ここが一番相性が合うなという本屋さんがあるんですね。
そこの本屋さんの送料からお届けをしております。
この間、車の中からカメムシは外に解き放ったはずなんですけれども、もう一匹いたようで、
ちょっとね、またブンブン言ってますね。
こっちにさえ飛んでこなかったらいいんですけど。
今日も少しだけお便りをご紹介させていただきたいと思います。
少し前のエピソードで、本音が嫌味というエピソードだったりとか、
あと贅沢な悩みっていうエピソードがあったんですよね。何回目だっただろうか。
542回目と543回目。
このエピソードに関してはすごく反響が大きくて、いろいろなところからメッセージをいただいております。
本当にありがとうございました。
それをちょっとだけピックアップしてご紹介しようかなと思います。
スポティファイの方にもコメントが入れられるんですよ。
感想を教えてくださいっていうふうにメッセージが入れられるようになっているので、
そこにも送ってくださっております。
私も中学生だった時のことを思い出しました。
自己肯定感の低さの下りで涙が出ちゃいました。
私も必死に嫌われないようにしてきたつもりだったけど、結局100%嫌われないわけじゃなかったなと。
今はよっぽど本音を出せるようになりましたけどね。
とっても素敵なポッドキャストでしたというメッセージをいただきました。
ありがとうございます。
本当そうなんですよね。
結局100%誰からも嫌われないなんて不可能なことなんですよね。
冷静に考えたら本当にそう。
こっちが相手に合わせて相手が欲しそうな言葉を発したところで、
嫌われないかどうかとか、好きになってくれるかどうかって、
本当に相手が決めること、相手が感じることだから、こっちではコントロールできないんですよ。
だけども、どうしてもやっぱり嫌われたくないじゃないですか、基本的にはね。
だから、そんなふうに強く強く、特に学生の頃は思ってたなっていうのを、私も振り返っておりました。
そして他にはですね、
贅沢な悩みの方かな。
聞きました。なんか雑に扱ってた。だってね、そう、贅沢な悩みだから自粛してました。
というコメントをいただきました。
ありがとうございます。
特にそうよ、もうね、こんなぐらいの悩み、こんなぐらいのちっぽけな悩みとか思っちゃうんですよ。
だから誰にも言わずにね、そっと仕舞い込んだりしてしまうんですけど、
チューブラリーになってもやもやね、自分の中では無意識の中でしてしまってるとかっていうのもありますからね。
はい、ありがとうございます。
次。
パンツ脱いだ話もすごく響きました。何とかして人からの評価を気にしないようになりたいです。
これはね、本音は嫌味のところかな。
私がグダグダ言ってたんですよ。とっても個人的な話だし、私のコンプレックスみたいな話だし。
で、自分のコンプレックスって多分人からしたら、いやそんなのコンプレックスに思わなくてもいいのにみたいな風に感じられることもあるなと思うんですよね。
だけど、その本人はもうほんまにそこを話すのパンツ脱ぐより恥ずかしいみたいな気持ちになるから、
そうだからこんなこと言ったら嫌われるとかグジグジね、543回目のエピソードで言ってたんですけど、
それに対してもこんな風に言っていただいて本当にありがとうございます。
はい、ということで、他にもたくさんいただいていたんですが、ちょっと全てご紹介できず心苦しいですが、
随時メッセージ、感想などなど募集しておりますので、ぜひメッセージいただけたら嬉しいです。
教育と子育ての違い
今日のテーマは、子育てに自信がなくなった時の考え方、教育と子育ての違いというテーマでお話をしたいと思います。
結論から言うとですね、何が言いたいのかというと、
教育と子育ては違うっていう風に捉えておいた方が、子育て楽に進んでいくんじゃないかなということです。
捉え方というか考え方というか、姿勢みたいな話ですね。
私は特に過去の私はよく日々毎秒思ってたし、今も定期的にふとその気持ちが現れることってあるんですけど、
私って子育てほんまにうまくできひんなとか、ほんまに向いてないなとか、下手やなとか、こんな育て方してるから子どもがこんな問題起こしちゃうんじゃないかなみたいな風に、
むやみやたらにっていうのかな、必要以上に自分自身の子育てとか、親としてのあり方に罪悪感を抱いたりだとか、落ち込んだりとか、責めたりするみたいなことがあったんですよね。
それってよく自分を責めないでとか、罪悪感を抱かないでとか、そんな風に落ち込まないで落ち込まなくても大丈夫とかっていう言葉をよく聞いたりするじゃないですか。
それさ、わかってるんです。本当にわかってるんです、頭では。
ここに罪悪感を抱いたところで何も変わらんと、ここで自分の子育てを後悔したところで何もいいことないことぐらいわかってるんですよ、頭で。
だけど、罪悪感を抱く、落ち込む、自分を責めるみたいな風に、自然とそういう思考回路になっちゃったりする時もあるわけですよね。
で、そんな時に、そうやって思ってしまうことはもうコントロールできないしやめられないから、別にそれは思ってもいいと思うんです。
だけどしんどいじゃないですか、そういう風に思うのって。
そういう時に、教育と子育ては違うもんなっていうような考え方を持っていることができたら、ちょっとね、その罪悪感だったり落ち込みだったり、自分を責めるみたいなところが少なくなるんじゃなかろうかと思うんですね。
ちょっと本題に入る前に、本題というか内容に入る前に、そもそものところをお話ししたいんですけど、そもそも教育って何?子育てって何?って思ったんですよね。
これね、辞書を開けば、絶対に辞書を開けばって、紙の辞書じゃないかな、最近は全部ネットかな、わかんないけど、
教育と子育ての違い
それをちゃんとしたところで調べたら、教育とは何?子育てとは何?ってバチンって出てくると思うんですよ、その意味が。
だけど、私が言いたいのはそこじゃなくて、一人一人、教育とは何なのか、子育てとは何なのかって捉えているものが、それぞれあると思うんですよね。
で、私は教育っていうのは、私自身はですよ、正しい知識を持って、正しく教えるっていうのが教育なのかなと思ってるんですよね。
だから、しつけだったりとか、勉強だったりとか、あと世の中のルール、交通ルールみたいなこととかを、それを知らない子供たちに教えるっていうのは教育なのかなと思ってるんですよね。
だから、一言で言うと正しさみたいなものが教育なのかなと思うんです。
で、子育てはじゃあ何かっていうと、教育がイコール正しさだったとしたら、子育ては正しさではないもので、時には包み込んだりとか寄り添ったりとか見守ったりとか、うまくいったりいかなかったりみたいなことなのかなと思うんですよね。
だから一言で言ったら、愛みたいなものなのかなと思うんですよね。
なんかすごい一言にしちゃうとさ、チープな感じになりますけど。
だから、そもそも教育と子育ての捉え方が私の中では違うなっていうふうに思ってるんですね。
で、子供を育てていく中で、どっちも大事だと思うんです。教育も大事、子育ても大事。
だから正しさも大事だし、正しくなさみたいなものとかも大事だと私は思ってるんですよね。
だけど、子育てしんどいな、なんか私うまくできひんな、子育てに自信がないなっていう時って、このさ、子育てと教育をごっちゃにしてしまってる時なんじゃないかなと思うんですよ。
なんか教育っていうと正しさだから、本当はこうした方がいいとか、なんだろうな、こうするべきだみたいな知識として持っている。
だけど、自分のキャパとか、時間帯とかさ、子供の状態とか、自分たちの期限とかさ、体調とかいろいろなもので、なかなかその正しさだけではうまく乗り越えられない状況もたくさんあるじゃないですか。
だから、私はそういう時は子育てをしてるなって思うんですよ。
自分が余裕があって、子供にも余裕があって、すごい穏やかな時間を過ごすことができていて、その上で教育っていうのができるんじゃないかなと思うんですよね。
例えばすごいお互いに親子共に落ち着いていて、時間もあって気持ちの余裕もある時に、しつけの話をするとかさ、勉強をわからないところを教えるとか、世の中のルールを教えるとかはできると思う。
だけど、そこの気持ちにも時間にも余裕がある状態じゃなかったら、そこに余裕がないのに無理やり教育をしようとしても、それは親子関係も崩れていくよねと思うんですよ。
こっちも機嫌悪い、あっちも機嫌悪いのに、無理やり勉強を教えるみたいなことをすると、正しさだけを求めて、本当にこの土台のところが結構崩れていくんじゃないかなっていうのはすごい思うんですよね。
で、この話をしながら私がすごく振り返っていて、このことかなって思うエピソードがあって、それが何かというと、前にも話してるかもしれないんですが、我が家の長男は小さい時に、
両育に通っていて、そこでいろいろ1日の生活習慣の話とかを聞くんですよね。やっぱり小さい、まだ1歳半とか2歳になる前とかだったから、生活習慣がやっぱり大事、すごく大事っていう話を教えてもらったんです。
で、長男の生活リズムを見ても、やっぱりこれはもっと早く寝て早く起きて、日中は公園で遊んで太陽を浴びて、しっかり遊具で遊んで体力をつけて、夜ご飯の前とかに変なお腹が空いて、ギャーギャーギャーギャーお腹空いたお腹空いたお菓子お菓子ってならないように、
保食と呼ばれるおやつを定期的にあげるみたいな、そういう流れが理想だよねっていう風にならったんですよね。で、そこから子供の朝起きてから寝るまでのこと細かな記録みたいなものを毎日つけるっていう習慣というか、それが宿題みたいな感じで出てたんですよ。
だから、私は必死ですよね。もう10年ぐらい前の話ですけど、必死にそれをつける。で、記録をつける。で、記録をつけていると、あ、できてないなっていうところが目立ってくるわけなんですよ。
あ、今日、ほんまは8時とかに寝かせたかったのに、無理やった。9時になった。10時になった。もう10時過ぎた。で、寝ろ寝ろ寝ろ寝ろと思ってるのに全然寝えへんみたいな感じ。
で、そうなったらまたほら朝もずれ込んできてとか。で、起こせばいいんですけど、寝ておいてくれた方が家事とかをはかどるから、寝かしておいて起きるまで寝かしておいて、そしたら遅くなってまたその1日のリズムが崩れてみたいな感じで、もうそれを記録して、で、どんどんどんどん自分がしんどくなってみたいな。
で、自分がしんどくなるぐらいならまだ、まだね、まだ100歩ずつ良かったんだけど、それがうまく動いてくれない子供へのイライラにどんどんどんどん変わっていったんですよ。もうこの時間にお菓子食べたらあかんって言ってるやんみたいな。もう1歳半とかですよ。まだまだちっちゃいのよ。
なのに、この時間にお菓子食べたらあかんって言ってるやんとか、テレビは1時間までって決めてるやんとか、なんか早く寝なあかんねやからみたいな。こんな言葉で言ったりはしてないけど、そういう気持ちがどんどんどんどん積もってきて、早く寝かさなあかんのに、早く寝かさなあかんのに、早く寝かさなあかんのにみたいな感じで、どんどんどんどん切羽詰まってくるんですよね。
で、早く寝かせるってことはお風呂もご飯も早くしないといけないし、でもご飯を食べさせているときに、我が家は2歳1歳で年子だから、なんかこっちのご飯入れたと思ってやっと食べれると思ったら全部ジャーって床にさ、バーってやられたりとか、また1から最初からやとか、でこっちの片付けしてる間にこっちがまた同じようにバーってやったりとか、お風呂も嫌がったりとか、なかなか上がってこなかったり着替えるの嫌がったりとか、
で、やっと寝た!もうやっと寝そう!みたいなときに旦那さんがさ、めちゃくちゃでっかい足音立てて帰ってきて、また寝かしつけふれだしに戻ったりとかしたら、もう子供にも腹立ち、旦那さんにも腹立ち、すべてに腹が立つみたいな感じになってたんですよ。
で、これって何が起きてたかっていうと、もう私はこの教育と子育てがごっちゃになってしまっていて、教育のところにもっていかれすぎてたんですよね。
もっともっと、当時の私に今の私が声をかけるんだとしたら、もっともっと応用力をつけないといけなかった。
今日は疲れてるから、もうここまでするのは無理やなとか、ほんまおはよう寝なあかんってわかってるけど、今日は無理やなとか、ご飯の前にお菓子あげたらあかんってわかってるけど、
もうこのギャーギャーを聞きながらご飯作るとか用意する気力が今日の私にはないなとかっていう臨機応変に、そこは教育と子育てを使い分けないといけなかったなと思うんですよね。
その考え方を習得した今は、それは余裕があるときは、しっかり話もしたいし、したいと思っているし、いろんな大事なこととかも伝えたいと思っているし、伝えたいことなんていっぱいあるんですよ。
だけど、できるときにはそれをする。でも無理なときもある。こっちもそんなもん。毎月ね、生理前にはいらいらするし、なんかすごい食べて顔とかブツブツになって、うわーっとか思って機嫌が悪くなったりするし、そんなもん。毎日120%じゃないんですよ、こっちもさ。体調も崩すしとか。
無理なときは、私は今教育じゃなくて子育てしてるんやなって思うようにしてるんですよね。
今教育してます、今子育てしてますっていうのを自分の中で、自分の中だけですよ、分かっていれば、教育と子育てはそれぞれ違うと。それぞれ違うけど両方大事なんだっていうスタンスで子供と接していれば、
あー私なんか子育てもいてないなーとか、子育て下手やなーとか、子育てに自信ないなーみたいなふうに必要以上に自分を責めることは少なくなると思うんですよね。
本当にそう思う。ここがごっちゃになるから迷ったりとか、必要以上に迷ったり、迷うことは悪いことじゃないけど、必要以上に迷いすぎたりとか、分からなくなっちゃったりとか、迷子になって疲れ果てて、
それが負のループに入ると自己嫌悪になったり、自信なくしたり、みたいなところに行くのかなって思うんですよね。それだったら今は教育をしています。今は子育てをしていますっていうふうな考え方、使い分けるみたいなふうにしてたほうが楽になるんじゃないかなって思うんですよね。
教育者としての自己評価
ちょっとね余談なんですけど、私こういう発信をしているので、杉部ちゃんで教育者だよねみたいなふうに言われたことがあるんですよね、過去に。あなたはすごい教育者だよみたいなふうに言われたことがある。ありがたいことに。
だけど、教育者っていう言葉は私はあまり当時もピンとこなくて、今もあんまりピンときてないんですよね。なんでかっていうと、私は教育のプロじゃないっていうふうに思ってるからだと思うんです。
子育てはすごい試行錯誤して、言っても3人ですよ。3人を試行錯誤して、3人も一緒にこねくり回しながらいろいろやってきたんです。
だから、あくまでも私はどこまで行ってもお母さんだっていう感覚なんですよね。だし、もっと言うとずっと教育者でいることって私には難しいなと思うんです。
ずっと正しくあることとか、ずっとお手本であることとか、ずっと子供にとっての完璧な人であるっていうのはやっぱり私には難しいんですよね。
だからそこは本当に何か精進していかないといけないところだなと思いますけど、だからもっとキャパが大きくなったりとか、もっともっと身も心も余裕な部分を大きくできたら、教育と子育ての教育の割合を大きく広げられるのかなと思うんですけど。
でも今の私の現状の役割っていうのは、何か正しいことを教えるっていうことよりも、子育ての方の教えるとか伝えるよりも、子育ての方の正しさだけではないもので包むみたいな方の割合の方が大きいし、そっちの力の方が私には大きいのかなと思ったりしてますね。
この教育と子育ての違いについて考えだすと本当に宇宙に行ってしまうんです。
よく私のお名前を出してくださってありがたいんですけれども、よく本当に聞くたびに私の名前を出してくださっているティーチャーティーチャーというポッドキャスト番組、大人気のポッドキャスト番組があるんですけれども、
その遥香先生に私の最近の頭の中は教育と子育ての違いですみたいな風に言ったら、いやもう哲学者ですねみたいな風に返ってきたんですよ。
もう哲学者ではないんですけど、本当にね、なんかこの、好きなんですけどね、答えのない問いを考えることが私は趣味みたいなものなので、
ちょっと一人で宇宙に行って、そろそろこの宇宙に行った経緯をポッドキャストで話したいなと思っていたので、これをシェアさせていただきました。
ということで、今日のテーマはですね、子育てに自信がなくなった時の考え方というテーマでお話をしました。最後まで聞いていただきましてありがとうございます。
子育てに自信がなくなった時の考え方
子育てに自信がなくなったり後悔したりとか、もうそれって本当にする必要はないんですよ。する必要はないんだけど、後悔したり自信なくなったり下手だなと思ったり向いてないなと思うことで、
なんか罪悪感をね必要以上に抱いちゃったりとか落ち込んだりとか自分をこう責めたりしてしまうことってあるかもしれないなと思うんですね。
だけどそんな時は、子育てと教育は違うし、今私は子育てをしていますっていうふうに捉えることができたら、そういうちょっとこう不快な感情みたいなものを減らしながら、
そしてそこが減ったら前に進んでいけると思うので、ちょっとずつね、じゃあどうしたらいいかっていうふうに前に進んでいけるんじゃないかなと思いました。
はい、ありがとうございます。このお話を最後まで聞いてくださって、これについてはね、なんか誰かと語りたいという気持ちです。
私にとっての教育、子育ての違いって何かなみたいなふうに考えてね、それぞれこれ答え本当にないと思うんですよ。
そう、だからなんか皆さんの考えも聞きたいなと思いますし、ぜひぜひねメッセージで教えてくださったら嬉しいです。
はい、メッセージはですね、LINEの公式アカウントがございます。URL概要欄に貼ってありますので、ぜひぜひそちらからメッセージを送っていただけたら嬉しいです。
はい、そして公式のグッズを販売しているのと、あとこの番組を応援してくださる寄付サポーターというのも募集しております。
この寄付サポーターの特典なんですが、毎月25日に更新されます杉部のおかんだよりというのが特典としてついてきます。
なので、初回号、ボリューム0号はですね、今月の24日までの配布となりますので、まだ初回のおかんだよりもらってないよという方とか、
それはいらんけど応援したいな、この番組が続いて欲しいなというふうに思ってくださっている方は、ぜひぜひサポーターになっていただけたら嬉しいなと思います。
はい、ということで今日も素敵な1日になることを願っております。