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2023-10-27 08:21

「難しい「心理的安全性ってなんだろう」について一人でいろいろ考えています」

めんどくさいことを、考えないですむなら考えたくないのが人間の脳の本来の性質、かと思いますが、それとどう向き合うべきか、という話なのかなと。

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おはようございます。本日も環境音のないぼいろぐをやっていきます。このぼいろぐを始めてから、ちょっと一つ困ったなと感じたことがあって、それは通常のこれまでの量よりも、いわゆるギガが減るということで、たくさん通信量を使う必要があるということです。
今、音声を録っているんですけれども、これをこの後、Vrewという動画編集ソフトで無音部分をカットしたりとか、カットした後は音声出力ができないので、動画として出力して、その出力した動画をLISTENに上げるというのがあって、かつVrewでは文字起こしをしてくれるんですけれども、文字起こしをする際にはその情報も、
Vrewのサーバーに上げるということで、一度上げるたびにだいぶの通信料金がかかっている。そしてさらには、LISTENで上げるときに音量とかの調整ができる機能をトライして、何度かうまくいかずに何度もやり直したりしたことがあったので、
たぶんそんなこんなが積み重なって、一月の今までの通信量はあっという間に溶けてしまうということがわかりました。
なので、これまであまり気にせずにモバイル通信でやってしまっていたのが迂闊だったんですけれども、楽天モバイルも持っているので、LISTENの収録やアップロードするときは必ず楽天モバイルのテザリングで上げるということをすればいいのかなと反省しています。
さて、今日の本題なんですけれども、ちょっとだけ心理的安全性の話がしたいのでします。
といっても、あまり自分の中でも考えがまとまっておらず、心理的安全性に関する知識もそんなによく理解できているわけではないのですけれども、ちょっと一人ごとということで話します。
心理的安全性というのが誤解されがちな部分というのがあるということで、何というか、安心感に包まれた雰囲気というような単純な話ではないというようなことだと感じているんですけれども、いや、感じているというかそういうふうに理解して、理解が高まってきているんですけれども、
その代わりに何が心理的安全性というコンセプトの本質かというところで言うと、議論を深めやすいということなのかなという状況を作るということが大事なのかなというふうに理解しています。
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例えば、それは心理的安全性というときは複数の人がいることが前提となっているかと思うんですけれども、例えば自分で何かについて考えているとき、例えば今も自分は心理的安全性について考えているわけですけれども、
今考えているときに、もう考えの止めようみたいな感じにならずに、もっともっと考えて、あーでもない、こーでもない、ああかもしれない、こうでもしていないということを考え続けるということが、その量がたくさんになるということが良いことというような価値観なのかなという、
そういうのを複数人でやるときに、例えばAさんが私はこれこれなのでこう考えていますみたいなときに、Bさんが私はこれこれなのでAさんの考えとはこの部分が違ってこういうふうに考えていますというようなことを言うことが言いづらい度が低いと良いというようなことかと。
理解に最近は思っているんですけれども、そうだったとして次にちょっと思考を考えていく部分としては、例えばですよ、すごい心が太平洋みたいで器が大きくてどっしりしてて、
いつもブレずに、信頼感と安心感が溢れる話し方、立ち振る舞い、肝が座っていて、どんなことにも動じない人がいて、こういうふうにするのが良いと思うんだよ、これで行こうよというリーダーシップを発揮してしゃべったら、
その人がいるような雰囲気のあるチームとかは、もうその人にゆだねよう、この人なら信頼できる、この人の言うことなら間違いないと思わせるような人がいたとしたら、その人がいるチームの雰囲気というか心理的安全性は低いということになるのかなとかいうことをちょっと考えたりしています。
あとはヒエラルキー型の組織というのは、権限を持った人が誰かという組織の中でいう感じの部分がかなりあると僕は思っているんですけれども、
ヒエラルキーであればヒエラルキーの高い人が意思決定者なのでその人が考える、その人に考えてくださいみたいなことな状態が生まれるというと、これは先の考え方でいうところの心理的安全性が低い雰囲気、環境、システムということになるのかなとか考えたりします。
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なので心理的安全性を高めるということが大事だということであれば、そのチームというか場の中の人はできるだけフラットで、できるだけ裁量が同じで、できるだけ発言量とか発言の重みとかも完全に等分にするかどうかはともかくとしても
その偏りを極力減らす方向で頑張るというのが心理的安全性を高めるということになるのかなとか思ったりしました。
まあとは言うもののこんな考え方もあるかなというような話をしましたけれども、多分そういう部分っていうのはまだまだ心理的安全性という言葉が出てくるような場面の中での話としてはそんなに中心ではなくて、
もっと比較的安心感に包まれた場所というか、例えばすごい怒鳴りつけるみたいな人がいて、その人がいるチームの中で発言しようと思ったらもうビクビクしてしまうみたいな、
そういうようなシチュエーションの方が中心にあって、そういうのが中心にあるからこそ心理的安全性というワードが使われているんだろうなと思いますので、そういうバランスを見ながらこのキーワードと付き合っていけるといいかなと思っています。
皆さんの心理的安全性に対する考え方とかいかがでしょうか。また私も気が向いたらこのLISTENで心理的安全性で検索してそれが話されているポッドキャストも聞いてもらったりできるといいかなと思っています。
本日は以上です。ではまた明日。
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