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2024-02-04 36:41

好奇心と共に働く 前編 | Shinくん(Customer Success)

第一回目のゲストは番組の編集長で現職はカスタマーサクセスをやっているShinくん。この番組に込める思いや自分自身のキャリアについて時に広く、時に深く語ってもらいました。


▼番組へのお便り・質問はこちら

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サマリー

初回のエピソードでは、ハタラクボクラとShinさんが質問形式のインタビューを行いながら、働くについて話しています。Shinさんのキャリアの編歴についてお聞きしながら、彼の最寄り駅の経歴に触れています。仕事選びにおいて思考や暮らしの思想を重視されるShinさん。無印良品の店舗で働かれた経験や転職活動を経てベトナムに移住し、自分の暮らしの基軸にしながら海外で働く経験を積みたいとお話ししています。ホーチミンでの生活と仕事を楽しまれるShinさん。フィリピン人の講師のクラスを中心に、お客様と関わりながらさまざまな業務を行っていらっしゃいました。しかし、コロナの影響でベトナムに人が来なくなり、帰国されることになられました。キッチンの収納の相談に対して、ファイルボックスを提案することで解決策を示し、新規営業を避けてカスタマーサクセスに絞った仕事をすると決意されています。

00:02
スピーカー 2
こんにちは、ハタラクボクラです。この番組は、毎回違う働く人をゲストにお招きして、働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろう?を考える番組です。
今回、初回は、編集長のShinくんと、私、モグがお話をさせていただく回になります。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
というわけで、ついに始まりました。ハタラクボクラです。
編集長のShinくん、どうですか?
スピーカー 1
始まりましたね。
明け物橋の端っこのボロい部屋で今撮ってますね。
スピーカー 2
初回っぽくて。
いいじゃないですか。
だんだんこれがね、グレードアップしていく。
スピーカー 1
そうね、最後あの窓の外に見えてる30階建てぐらいのね、タワーマンションでね。
スピーカー 2
見えるとね。
スピーカー 1
撮ってるかもしれない。
スピーカー 2
かもしれない。そういう番組になると嬉しいかもしれない。
ということで今、明け物橋ですね。
4時半なので、夕焼け小焼けが外から聞こえてくるのと、あとどこか、どこかね、消防車の音が聞こえる。
消防車?救急車の音が聞こえるんだよね。
なかなかエモい初回収録になってるんじゃないかな。
スピーカー 1
夕方的だね。
スピーカー 2
こんなんでいいんだろうか。
番組自体はですね、真面目に。
実はこれ初回収録と言いながらですね、我々何回目かこれは。
スピーカー 1
3回目ですね。3回目かな。
3回目の初回収録ですね。何回か失敗があり、やっと形になるかな。
長かったね。
長かったね。これで2回目の方が良かったってなるとちょっと不安なので、頑張ってはいきたいですよね。
スピーカー 2
実はもう、初回から言っちゃうと2回目の収録は終わってるんだよね。
そうだね。
2回目のゲスト、また2回目の時に来ていただければと思いますけど、その方との収録はもうすでに終わっていて、かなり面白い話が撮れていると。
初回でこの話をするのがどうなんだろうってところなんですけど。
スピーカー 1
後追いする形で初回を撮って、初回から出ると。
スピーカー 2
出ると。
スピーカー 1
いいですね。
スピーカー 2
失敗して1、2回目はずいぶん前から撮ってるからね。
スピーカー 1
そうだね。
基本的に話したいことっていうのはある程度変わらずに精度だけが上がるといいなと。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
思ってます。
スピーカー 2
編集長の欠席としてね。
欠席。
で、あと目標は今後ね、窓から30階建てのビルが見えるくらいのところで収録できる。
スピーカー 1
そういう会が1回あってもいいかもしれない。
スピーカー 2
1回だけなら作れるっていうね。
スピーカー 1
今回もね、レンタルスペースなんでね。
スピーカー 2
それからそっちに。
あれだよね、フェルナンドショー。
オフラインというかね、みんなで会議みたいな。
ラジオってあるじゃない?
スピーカー 1
あるね。
スピーカー 2
それこそ東京エヘルム、アベレージが日産スタジオでやる。
そんな大きいものになるか分からないけれども、リスナーの方とね、そういう会ができたら嬉しい。
スピーカー 1
それいいね。
スピーカー 2
めちゃめちゃ面白い。
ミートアップとかね。
そういう夢見ながらって感じですかね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
番組の企画の趣旨としては、働く人の話を聞いていく。
その中で働くと考えよう。
どっちかというと、有名人というよりは、めちゃめちゃ活躍してるとか超有名人というよりは、普通に働いている。
スピーカー 1
あなた、皆さんが聞いている右隣、デスクがある方、デスクの右隣で働いている人の働くについて聞くみたいなものだと、コンセプトとしてはそういうルールだと思ってもらえる感じですかね。
スピーカー 2
そうですね。
今オンラインの時代なんでね、Zoom会議の右の画面にいる人、この人の働きを聞くって感じですかね。
スピーカー 1
オンライン、オフラインというかお隣さんですね。
スピーカー 2
そう思いますので。
今回初回は、編集長のしんくんのインタビューを僕がやるという感じですね。
基本的にインタビュー形式で進んでいくので、その感じで。
なので今日は編集長働くについてを聞けると嬉しいという感じですね。
スピーカー 1
そうですね。編集長って言ってるけど、あくまでも別に本業が編集に携わってるわけではないので、これからお話ししていけるかなと思ってます。
スピーカー 2
そうですね。
僕が勝手に編集長はしんくんとか、本当に勝手にね、任命してね。
心よくね、本当に会話聞き取らんです。心よく聞き受けてくれました。
特に文句も言わず、ああ、やるよと。
本当に。
普通さ、編集長頼むよって言ってたら、え?編集長とか言うじゃん。言わないの?彼はしんくん。
ああ、やるよ。
スピーカー 1
ちょっとね、もうちょっとハードルを下げて引き受けるべきだったかなと思う。今は思ってますね。
スピーカー 2
そっかいかな、そっかいかな。
スピーカー 1
冗談だって。
スピーカー 2
いやいや、言いながら彼はちゃんとやる人なんですと。申し上げつつね。
じゃあまあそろそろ本題に入っていきましょうか。
ところで、この番組のですね、構成としてはまず一番初めに2つの質問をしますと。
2つの質問というのは何かというと、1つがまずはキャリアの編歴ですね。
つまりこれまでどういう仕事をしてきたのかを一通り予定で話してみてください。
で、もう1つの質問が最寄り役ですね。
働き始めてからどういう最寄り役の編成があったのかについて、まず2つの質問をしますと。
で、この2つの質問からインタビューを始めるという番組になっていますのでよろしくお願いします。
ただ最寄り役に関しては、このプライバシーの時代なんであんまり精密に言えない場合もあります。
なので人によっては関東とかね、もしくは東京の西とかそういう感じになるかなと思うんですけれども、
言える方は言っていただいて、その中でその人のお話を掘り下げていく感じになりますのでよろしくお願いします。
スピーカー 1
暮らし自体も点としてどんどん移り変わってるっていうのを少しでも聞けたらいいなっていう意図ですね、その辺は。
そうだよね。
聞いていきましょうか。
スピーカー 2
まず1つ目の質問ですね。
Shinくんのキャリアの編歴
スピーカー 2
あなたのお仕事の編歴を教えてください。
スピーカー 1
今は3社目なので、1社目からいくと大学卒業して、まず無印良品を描いている良品計画会社に入社をしました。
もう2017年とかに入社をしているので、そこで約1年間、店舗の社員として湘南のお店に配属をされて1年ほど仕事をしてました。
1年経った後で転職をして、それからベトナムの会社にいました。
ベトナムでは3年ほど仕事をしてて、そこでは教育系のペンチャーに勤めていました。
どういうことかというと、アセアン、ベトナムであったり他の国に駐在で来る人たち、
暮らしている日本人とか韓国の方とか向けに英語の授業、レッスンを提供する。
英語だったりその現地の国の言葉のレッスンを提供するっていうような言語のビジネスを手掛けている会社にいました。
そこで約3年働いて、ちょうど今から3年半くらい前に帰国をして、
今いる3社目の会社、これは建設系のITの会社ですね。
いわゆるバーティカルサースという垂直型、その業界に特化をしたサースビジネス。
建築現場で使うようなアプリだったりを作っている会社で、今カスタマーサクセスとして働いています。
スピーカー 2
ありがとうございます。
なので結構点と言うか、あまり話し点で聞くと、
良品計画からベトナムに行って、で、サースのカスタマーサクセスということで、
なんだそれはというところ、なかなかないキャリアだと思って、その話めちゃくちゃ楽しそうだと思って。
もともとしん君と僕は友達、受け入れていただいている方はわかると思うんですけど、
友達なんだけど、なかなかこうやって改まって話を聞く機会がないので楽しみにしています。
じゃあ2つ目の質問です。
Shinくんの最寄駅の遍歴
スピーカー 2
続いてあなたの最寄駅の遍歴を教えてください。
スピーカー 1
はい。1つ目は湘南辻堂ですね。東海道センジアルの辻堂駅です。
で、その後ベトナムに移ってからは、実は最寄駅という駅はないので、
使ったことはないんですが、一応最寄駅ということになるのかなと思っています。
で、帰国してからは浅草橋と本駒米の2つですね。この4駅ですね。
スピーカー 2
はい、ありがとうございます。最寄駅っていうね、なかなか聞き慣れない駅なので、
このコーナーあたりね、めちゃめちゃ気になるなというところで、
まずここを聞きつつ、遍歴も続けていけたらなと思うのでよろしくお願いします。
まず一番初め、やっぱり料品計画のところからかなと思うんだけれども、
なんで料品計画に入ったんだっけ?
スピーカー 1
大学で政治思想とか哲学寄りの勉強をしていて、いざ就職活動になった時に、
あまりやりたいことはなかったんですよね。
ただ所属する会社としてその会社が何を考えて事業ビジネスをやっているかという観点で見てた時に、
料品計画は実はかなりロックなことをやっているんじゃないか。
もともと声優のプライベートブランドとして生まれたものが会社化して今に至っているんですけど、
もともと立ち上がりというのが資本主義へのアンチテーゼとか言っているわけですね。
それは民間企業が言っているのって、
多分基本的にありえないアプローチだなと思って、
そこはかなりロックというかパンクというか、
というのでもともと物としても好きだったし、
そこに加えて会社として興味を持ったというのが初めですね。
販売職ないしは高利用をやりたかったというわけではないですけど、
その事業であれば共感して仕事ができそうだなというところと、
あとなぜかやっぱり海外展開みたいなところに興味があったので、
海外でも支持されているブランドであれば、
いずれ海外で仕事をする機会も得られるかなというのが当時は思っていたことでしたね。
スピーカー 2
結構だから思想に共感しているというところがあるんですね。
スピーカー 1
完全にそう。
無印で田中育子という夢のデザイナーがいたり、
もともと創設には関わっていたり、
今でも深澤直人さんだったり原健也さんだったり、
もう本当にスタッフ知っている人は知っている有名なデザイナー、
プロダクトデザイナーだったりが絡んでいるような事業だったり。
そこに自分の時間というかを投下するのはすごい面白そうだなという感じが強かったなと思います。
スピーカー 2
いいですね。
政治思想をやってて領土計画ってなかなか結びつかなさそうなんだけれども、
これ話を深く聞くとなるほど思想という観点で共通する話です。
思想に基づく仕事選び
スピーカー 2
仕事の選び方、決め方ってそういうこともあるんだなっていうのが
すごいシンクな話を聞いていていつも面白いなと思うところなんだけれども、
ただ領域としては小売になるわけで、実際仕事始めると小売になるんだよね。
だから本当に店舗に配属されて、そこはどんな感じの仕事をどんな風にやってたんですか?
スピーカー 1
実際結構機関店というかかなり大型店ではあったので、結構スタッフも多いんですよね。
普通に表に出て、例えば商品の補修をしたりとか、それこそ試着室の案内をしたりとか、
試食の提供的なことをちょっとやったりとかもいろいろやってました。
あとは裏でちょっとした管理業務を習いつつやったり。
無印の場合って多くの店舗で基本的には製品のカテゴリーごとに担当が分かれているので、
僕はステーショナリー文房具とファウンドオムジというセレクトショップ的な機能、
例えばスペインのバスク地方で見つけた道具みたいなのを特集してた。
そういうのがある店舗だった。
そこの売り場の担当という仕事でしたね。
スピーカー 2
かなり売り場だよね。
スピーカー 1
かなり売り場。
ただ全然、当社員としての適性は低かったんだろうなっていうのは、
今振り返れば思うところで、
もう何回か話したかもしれないですけど、
ゆっくりね、お客さんも声をかけやすいようにゆっくり歩いてたら、
当時の上司に偉そうな歩き方がお客様なのは何なんだって叱られて、
申し訳ないですみたいなことがあったり。
そこを見て流れているかもなとは今思えば感じるところです。
スピーカー 2
やっぱりお客様ってね、なかなか前世に言われない言葉だなと本当に思うので。
そんなことね、言わなきゃいけなかったかもしれない。
毎回店員さんってシュッと歩いてる。
シャシャシャシャ歩いてるなみたいな。
多分こう、だいぶ雄大に歩いてたんだろうね。
スピーカー 1
だいぶ雄大に歩いてたんだろうね。
スピーカー 2
しんくんが今隣にいるから、
リアルな世界というかね、
しんくんが無印良品の店舗でゆったりと歩いて店員さんをしてる姿がめちゃくちゃ目に打ったかもしれない。
こういう感じなんだろうなって感じなんですけれども、なるほど。
じゃあまあそうなると、マッチしてなかったと言うか、
あとは1年ぐらいで辞めてるじゃない。
あんまり会ってなかったと言うか。
ベトナムへの移住と転職活動
スピーカー 1
会ってなかったから辞めたというよりは、
今後ずっと自分がここで働いてるイメージが湧かなかったというのが正直なところで、
会ってない部分もあるし、
展望が当然見えないじゃないですか。
それはある程度どこの会社に行っても一緒なんだろうけど、
例えば5年後はどこで何の仕事をしてるんだろうというところが全く自分のコントロール外にある。
そうなった時に、ちょっと転職を考えてもいいのかなと思っていた。
ベトナムにいたのはというところまで話しちゃうと、
もともと大学の時にインターンシップでベトナムのホーチミンの宿ですね、
ホステルみたいなところで1月2月くらい、
インターン、アルバイトみたいなことをしてて、
かなり面白い国だなってその当時から思っていたので、
いつかちゃんと暮らして働いてみたいなという気持ちはずっとあった。
であればもうその1年で転職をするなら若さを売るじゃないですけど、
このタイミングで行くのもいいのかなと思って、
ベトナムの転職活動を始めたっていう経緯ですね。
スピーカー 2
そこを少し気になるのが、展望が見えないみたいな。
僕もそうだから、社会支援労働だとなかなかね、
この会社で10人働けるのかしらみたいな、
10年の企業と30年働けるのかしらっていうのも、
なかなか悩むかなと思うんだけど、
どっちかというとベトナムに行った方が展望より見えなくねっていうのも、
思わなくはないというか、その時は何?
スピーカー 1
そうね、言われてみれば確かに展望は見えないが、
その時で行くとただ、
結局海外で働いてみるっていう経験を積みたいっていうのがあって、
少なくともそれは詰めるなっていうだけ。
それ以降は別に全然予測不可能であっても正直構わない。
だけど、今同じことというか、同じことの延長5年続けるよりは、
とりあえず行ってみたい海外ってところで、
場所をずらして働いてみて、
あとは本当に展望見えない状態でも構わないかなっていう感覚だったかな。
予測不可能な状態自体は好きなので。
スピーカー 2
なるほどね。もともと予測不可能は好きだけれども、
あれだよね、希望が見えないというか、
そういう状況なのかな。
それこそもともとは海外に行きたい。
ブジェル氏を選んだ時も海外に行きたいって思いましたけれども、
5年後、海外に行けるかもわからない。
でもベトナムに行ってしまえば行けるもんね。
で、ベトナムで行ったその先はわかんないけども、
経験っていう意味で海外で働いたっていうのがいいだろう。
そんな感じなの?
スピーカー 1
そうそう、そうだね。
今思えば別に海外で働くことが目的か、
よく言われるじゃないですか、
それは目的じゃなくてみたいな手段で。
でも個人的には別に目的でもいいんじゃないかと思ってて。
感覚としては、それがたまたまベトナムであっただけで、
鎌倉移住とあまり感覚は変わらないわけだよね。
結局この都市に住んで働きたいなっていう。
それを自分の暮らしの基軸にした上で、
何かしら仕事を選びたいなっていう意味においては、
それがたまたま海外だからちょっとトリッキーに見えるだけで、
ベトナムだろうが、カリザーだろうが、宮崎だろうが、
それはあまり同じなんじゃないかなっていう感覚でおりました。
スピーカー 2
それめちゃくちゃ面白いなと思うのは、
もともと会社の選び方も思想じゃない?
思想で選んでるっていうところと、
加えてその先も割と思想より暮らし方。
そうね。
一気通貫してるなっていう。
あと面白いのは、カリザーに移り住むのと、
ベトナムに移り住むのは同じじゃない?っていう。
その感覚、あんまり普通の人っていうかでもあれだけど、
結構海外ってハードル高いなって結構あるよね。
その感覚ってなんだろう?
もともとそんなフラットな感じで持ってた?
スピーカー 1
どうだろう。
もちろん行ってみるまで、
実際にその転職で住むまでは、
ちょっとこうやっぱ海外、
自分際で自分でも行っちゃうぐらいだから、
その多少気負いは、
気負いみたいなものはおそらくあったんだと思うんだけど、
まあなんか、
実際に1、2ヶ月住んだこともあるし、
多少イメージができる。
その当時知り合いも現地に少しできてた。
っていうハードルがもちろん下がってたところはあると思う。
ただ、多分当時から言ってたはずで、
まあ別に、
それこそ一社目湘南なんで、
湘南に移住してきた人たちって結構いるんだよね、周りに。
と、まあなんか多少距離と時間と文化の違いみたいなものの差分は大きいけど、
別に根本は同じかなっていうのは多分思ってたと思いますね、
その時から。
なるほどね。
スピーカー 2
根本的には、
どっか自分が暮らしたいところで働くっていう。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
スピーカー 2
そうすると変わんないよね。
まあ確かに、実は少し暗示されますけど、
ふとしんくんの出会いはね、
放置民なんだよね。
スピーカー 1
そうだね。
僕がその当時大学の時にインターンシップしてた宿に、
彼がたまたまその旅をして泊まりに来てたっていう。
スピーカー 2
そうだね、僕がね。
スピーカー 1
それこそ沢木孝太郎の旅路に行こうと同じルートだったのか?
いや全然違う。
ベトナムでの生活と魅力
スピーカー 2
家族すると沢木孝太郎の深夜特急っていう。
で、それに憧れて東南アジアを暴露する学生っていうのは、
エンプレみたいなことだった。
今ちょっと恥ずかしいんだけども、やっていて。
で、そこでたまたまベットナムで出会ったのがしんぺいで、
で、もうそれから広がりつつ10年後としてるのかな?
スピーカー 1
そうだね、もう10年にさす。
そうだね、10年経つね。
スピーカー 2
で、なぜか編集長をね、やってもらうっていう。
はい。
不思議な。
スピーカー 1
ご縁が。
スピーカー 2
まあそういうメモリアルな土地、
まあ僕にとってだけどね。
で、まああの時楽しかったなみたいなのもあるよね。
で、ベットナムに暮らした。
で、もちろん暮らしてどうだった?
スピーカー 1
よかった。
非常に満足度は高くて。
で、まあなんかちょっと働くってことから直接それるんだけど、
個人的に何がベットナムっていう国が特に魅力的だったかなって思うかっていうと、
非常にこういろんな文化が混合してるっていうところと、
なんかそれがすごくエネルイッシュに成立してるっていうところなのかなと思ってますと。
で、なんかベットナムってほら上は中国。
まあハノイの方に行けば中国に接してて。
で、植民地としてはフランスが入ってきたから、
街中にはこういわゆるコロニアル様式の植民地様式の建築があったり。
で、かつメコンデルタっていう非常に豊かな川があって。
なので、すごい食べ物とかはベトナム戦争の時でも余ってたってくらいにお米が取れたり。
そうなると、例えば食文化とかってすごい発展するよねっていうのもあって。
で、なんかそういう国なので、飽きるっていうことは全然個人的にはなくて。
で、なんかずっと土地のものも食べたり、日本食も食べたりしつつ。
で、歴史もそうだし、音楽とか文化みたいなところも含めて、
なんだろうな、わりとずっと刺激みたいなものを受けつつ。
でもなんか別にそれを慌ただしく過ごしてるっていうよりは、
わりとのんびり暮らしてたなっていう気持ちではいますね。
すごい満足だと思います。
スピーカー 2
ベットナムね。
確かに言われる通り、めちゃくちゃ文化が混ざってるというか、なかなかない感じがするよね。
アイス文化の感じじゃないというか。
ホーチミンでの生活と仕事
スピーカー 2
めちゃめちゃするよね。
で、それ以上でもめちゃめちゃ楽しいんですよ。
でも確かに当時思い返すと楽しそうだなというのがすごい思い浮かべる。
スピーカー 1
来たもんね。
スピーカー 2
いただいて。
エネルギッシュっていうのもそうだよね。
発展途上なのに、これから伸びるぞっていう感じがするよね。
本当にね、確かに。
あれ、でもそこで生活は楽しみつつ、仕事は何してたんだっけ?
スピーカー 1
仕事は語学学校。
基本的な拠点はホーチミンっていうベトナム縦長に南北にある南の境内の中心の都市。
ホーチミンの拠点にいました。
そこの会社のビジネスモデルっていうのは、
いわゆるフィリピン人の講師とかのクラスを中大であって、お客さんがコマンスまで受けるっていうもの。
僕は英語を教える人ではない。
例えばお客さんの直接窓口っぽい対応もしたり、
かと思えば社内システムみたいなものを、
例えばエクセル管理してたものをシステム導入しましょうよって言って、
システムで整備をしてみたりとか。
あるいはちょっと身を見まねでフライヤーを作ったり。
あとちょっとインドネシアのジャカルタに拠点を立ち上げるよっていうので、
その拠点の立ち上げに行ったり。
もう本当に何でも何でも屋さんみたいな。
お客さんとはある程度関わりつつ、
いろんな業務を一緒にやっていくっていう仕事でした。
スピーカー 2
本当にだから旧会社に何でもカスタマーサポートもあれば、
ITもあれば、立ち上げもあればっていう感じ。
スピーカー 1
それはどうだったの?
スピーカー 2
それこそ小売っていうところから、
やや向いてないなって。
何かしら見つけた?
その中で。
それあって、その何でも屋さんがあったのか、
スピーカー 1
それとも全部やってみてなかったのかと思うのか?
何でも屋さんは一定あってたと思うっていうのは、
飽きが来ないという点においてはあった。
基本的に全部素人なんで、
ちょっとずつ調べながらやる。
もちろん素人の勉強だし、
全然限界はあるし、
レベルが高くないとは別に思うんだけど、
それ調べながらやっていって。
小さい規模でやってるから、
形になったもの、
手触り感みたいなものも目に見えるのはすごく良かったし、向いてた。
多分その中でも業務として、
割と会が大きいというか、
ちょっとデザインしたりみたいなのも良かったんだけど、
あとシステムを入れて管理しやすくしたり、
効率よく回せるようにしたり、
みたいな仕組みを作ってあげる。
っていうのは割と楽しく作業できてたな、
楽しく仕事できてたなっていうイメージ。
一応結構あるから。
なるほど。
スピーカー 2
だからあれだよね、
何でも屋さんだから飽きが来ないっていうところで、
何でもやれるそれは好きだったけど、
まずその働き方自体が好きだったし、
その中で特化していくんだったら、
仕組みを作るみたいなところが好きだった。
スピーカー 1
うん、そうだね。
カスタマーサクセスへの転職
スピーカー 2
それは会が大きいというか、快楽が大きい。
スピーカー 1
そうそうそう。
自分の中で作業した時に、
もともとこれだけごちゃごちゃとなっちゃっていたものが、
スコーンと流れるようになったな、みたいなのは、
目にも多分成果が見えやすいっていうのがあるし、
多分それをある程度聞いた後で作業してるっていうのも含めて、
割と楽しんでたんだと思いますね。
それは目に見える形で成果が出るから楽しんでた?
あー、うん、そうだね。
なるほど。
スピーカー 2
その成果っていうのは?
スピーカー 1
うん、あーそうね。
成果っていうとちょっと語弊があるか。
なんかそれでいくと多分新しい仕組みで、
おそらくそれは自分の中ではよくなっているであろう、
っていうものができてる状態が、
多分もう面白かったんだと思う。
だからそれは他の部署の人から見たらどうだったんだろうっていうのは、
今振り返ればわかんないし、
その成果を明確に特定するための指標だったりまで、
決定してたわけではないんだけど、
少なくともそこの管理をしてる自分だったり、
他の近しいポジションの人が前より楽になったねっていうのが見えるのは、
結構そこがなんか嬉しいというか面白いというか、
なのかなって思って。
スピーカー 2
あーなるほど、確かにね。
まあ自分の中でこうあるべきみたいなことがあるんだけど、
スピーカー 1
それをうまく踏み立てていって、
スピーカー 2
周りの人がよくなったら嬉しいっていうものが割とあって。
スピーカー 1
まあそうだね。
スピーカー 2
じゃあまあ仕事として聞く限りは結構充実していて、
加えて生活もめちゃめちゃ楽しい。
上級で何年?3年だっけ?
スピーカー 1
そうね、3年、約3年。
スピーカー 2
でそれなんで辞めちゃった?
スピーカー 1
コロナになってベトナムに人が来なくなったんですよね。
スピーカー 2
はいはい。
スピーカー 1
っていうのが一番大きい、
まあちょっとプライベートで結婚するみたいな話もあったっていうのも
タイミングとしては同じなんだけど、
仕事で行くと基本的にやっぱり仲裁員を相手にした事業なんで、
入国がね、
ベトナムって特に早くから対処が厳密にやってた分、
新しく人が来なくなって、
基本的に減っていくばっかりなんですよね。
でなった時に、
まあちょっとこうあまりやることもないな。
帰ろうかな。
なるほどね。
スピーカー 2
確かにね、仕事が減っていってね。
スピーカー 1
あとはいずれにせよ進むつもりはなかったんだよね、ベトナムに。
それは20年30年ベトナムに進もうみたいな気持ちは最初からなくて、
でそれはもう何でかっていうと本当にあれなんですけど、
個人的には東南アジアにずっと長くいるって、
やっぱりゆったりして居心地がいい国なんで、
崩れていくんですよね。
ある捉え方をすれば。
でなんかちょっとその、
いろんな東南アジアおじさんみたいなのに、
あまり自分はこうなりたくないなって当時思って、
だからある程度期限を決めて帰ろうっていうのは最初から思ってた。
それは3年から5年ぐらいだろうなっていうイメージとしてあって、
それとコロナのタイミングとかがもろもろ重なって、
帰国に行ったって。
全然別に飽きたとか、
嫌になったとか辛くなったではない。
帰国って感じかな。
スピーカー 2
東南アジアおじさんね。
イメージがつかない人向けに補足をしておくと、
崩れるって話があったり、東南アジアって結構維持だよね。
日本崩れるっていうのはどういうことかというと、
日本に適応できなくなる。
日本の社会に戻れなくなるっていうことが一定発生しがち。
適応しすぎちゃうんだよね。
だから別に適応し尽くしてそっちで暮らす分には良いんだけど、
でも日本に戻っていきたいってなった時に戻ってこれるかっていうと、
なかなか難しくなっちゃうとか。
それに慣れきっちゃうとね。
それはやっぱりそこまで行こうとは思わなかったね。
スピーカー 1
そうだね。それは多分もうなんか美式っぽい話で、
帰国と新たな仕事の決定
スピーカー 1
なんかその大敗的なものへの憧れあるけど、
その大敗はいいかな自分はっていう話だと思う。
なるほどね。
スピーカー 2
でもやっぱりだから日本に戻れる状態というか、
日本人として大敗したい。
スピーカー 1
まあそう、日本人として大敗はちょっと分かんないけど、
スピーカー 2
その話はまた別のね、
哲学的な話でやろうというところなんで、
まあまあ確かに。
で、そこでじゃあ同じように骨を詰める気はなかった。
だから日本に戻ってこれるって決まって、
で、ちょうどコロナがあっての方に戻った。
で、日本に戻ってくる過程で今の仕事になったんだっけ?
スピーカー 1
結局決まったのはもう帰ってきてから受けた面接。
帰国しようって決めたあたりからオンラインの面接を受け始めてて、
ただ結果が出るより先に帰国、
本帰国の日にちが来たので帰国して、
で、ちょっと実家の福岡で1、2ヶ月に度間外の暮らしをして、
その中でお仕事が決まって出てきたっていう感じかな。
だからあれだよね、
スピーカー 2
カスタマーサクセスって仕事もともと知ってたわけでもないし、
やろうとも思ってなくて、
ただ帰ろうだけが決まって帰ってきて、
その仕事を見つけたって感じ。
スピーカー 1
帰ろうってなった時点で、
じゃあどういう仕事で転職活動するかっていうのは、
ちょっと自分の中で整理を始めて、
いくつかエトしてる軸みたいなのがあったんだが、
最終的にその1、2社目での仕事の共通点って、
多分その通信でお客さんと接するっていうところ。
で、あと今やってた仕事でどういう内容、
何が面白かったかというと、
さっき言ってたシステム周りを整備して、
効率化を図るみたいな話は、
割と自分の中では面白みを覚えてた一つだな。
なった時にそれを掛け合わせて、
かつやったことない2Bの領域で仕事をするとしたら、
っていうのでカスタマーサクセスっていう職種を知るというか、
そういう求人というかをいくつか見定めて、
見つくよって応募してたっていうか。
スピーカー 2
なるほど。
転職活動の過程で知ったっていう。
じゃあこれまでの仕事で何が楽しかったかな、
みたいな割と抽象化したときに、
何か仕組みかみたいなのを連れてって。
スピーカー 1
できることとできそうなこと、面白そうなことの掛け合わせが、
割とカスタマーサクセス業務に近接した。
それを何でそう思ったんですか?
何でそう思ったんですか?
スピーカー 2
近接してるなっていうと、
カスタマーサクセスっていうといろいろな捉え方で、
自分の中では何がそこが近接していた?
スピーカー 1
店舗の仕事も結局売るだけの部分もあるんだけど、
例えば無印良品に来るお客さんって、
これが欲しいから来る人と、
何か生活でこれをこうしたいんだけど、
キッチンの収納問題の解決策
スピーカー 1
何かいいものがないかなって来る人も当然いたりする。
例えば、キッチンの棚がこういう形なんだけど、
今フライパンをうまく収納できていないんだ。
何かフライパン縦みたいなやつとか、
何かいい収納道具がないだろうか、
みたいな相談をたまにされたりする。
それに対して、
ファイルボックスをキッチンの引き出しの中に立てて入れてあげれば、
フライパン縦に収納できるし、
結構収納量増えますよね、みたいな話ができたりする。
それって別にただの物売りというよりは、
解決策の提示みたいな話じゃないですか。
スターティングとは言わないですけど。
そういうやり取りって確かに面白いなって。
あと、システムも何となく自分でやっぱり入れて、
ただ作業として面白かったっていうのもあるんだけど、
自分なりにそれを突き詰めると、
何で今こういう管理になってて、
どうしたいからを作らなきゃいけないんだな、
みたいなことをやっぱり自分なりには考える。
で、何でサクセスの業務採取を知ったのか、
たどり着いたのかは覚えてないんだけど、
調べてたからなのか、
たまたま受けた求心がそれだったのか、
エージェントに教えてもらったのかは覚えてないんだが、
そういう1社目の仕事とか、
2社目の仕事とかで大垣さんを接するみたいなところが、
うまく繋がったんじゃないかな。
スピーカー 2
なるほどね。
ある種、ソリューションの形を作っていくみたいな、
今あるソリューションをそのまま当てはめるんじゃなくて、
あるべき形に組み替えていって、
スピーカー 1
今あるものからみたいなところ。
そうだね。
カスタマーサクセスへの専念
スピーカー 1
かつ、それで新規の提案営業じゃなくて、
カスタマーサクセスを選んだのは、
単純に新規営業をしたくなかったっていう。
スピーカー 2
もうそれだけですね。
営業が自分に向いてないというところも分かった上で、
スピーカー 1
じゃあもう1個ありそうなカスタマーサクセスに絞って、
スピーカー 2
それこそカスタマーサクセスでソリューションの形を作っていく。
お客さんごとにあるべきソリューションの形を作っていくみたいな仕事。
引き付けたときにやれそう、面白そうっていう感じだね。
なるほど。
これまで無印でカスタマーサポートとか社内システムだと、
あんまり関連なさそうなんだけれども、
少々化すると自分が好きなところが見えてきて、
で、カスタマーサクセスに出会う。
だからベトナムまでって結構探してる期間という。
スピーカー 1
そうだね、その仕事の内容という意味では、
探してる期間なんだろうなって。
スピーカー 2
なるほど。で、しんくんはカスタマーサクセスに出会って、
ここからカスタマーサクセスになっていくという感じですね。
というわけで、一旦だいぶ話してきたので、
紹介としてはですね、ここまでとさせていただいて、
後半、ここからカスタマーサクセスを見つけたしんくんが、
どのような形で仕事をしていくのか、そして暮らしていくのか、
話を聞きたいと思います。
皆さん引き続きよろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
36:41

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