1. haru mamaのつぶやき
  2. 自己紹介⑩お父さんが亡くなっ..
2022-08-24 12:13

自己紹介⑩お父さんが亡くなってから大学に勤めるまでの話

エピソードをシェアする

Share on X Share on Facebook Share on Threads
がんサポートナースの、さちこさんのチャネルの心のスポンサーをさせていただいています🙇‍♀️
↓↓↓
https://stand.fm/channels/5f5f5489f04555115db55662

#harumamaの日々のつぶやき
#harumamaの自己紹介
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5f50d69f6a9e5b17f784909e
00:05
こんにちは、はるままです。
5歳の男性の男の子と、小学校2年生の女の子を育てています。
今日は、2022年8月19日、金曜日の朝です。
また、例によって眠くなってしまったので、喋って眠気を覚まそうと思うのですが、
少し前まで、英検に勤めてから、検査センターに転職した話をしていたと思うので、
この続きをしようかなと思うんですけど、どこまで話したかな?
お父さんが具合悪くなってきた話までしたような気がします。
英検から検査センターの周辺に転職して、お父さんにガンが見つかって、
検査センターに行って、会社さんに就職したよ、お父さんが具合悪くなってきたよ、
というところまで話したような気がします。
会社さんの思い出はあまり良い思い出がないですね。
私と面接してくださった方は、そこの会社さん、2台続いている会社さんで、
委員長先生は元気で出てはいたけど、実質副委員長先生は実機を握っているような形の会社さんだったんですよね。
委員長先生がおじいちゃん先生で、副委員長先生が河原先生で、
副委員長先生が面接して私のことを取ってくださったんですけど、
副委員長先生と私は今は会わなくて、結構きつい態度を取られたりして、精神的にいたりしていましたね。
お父さんの方なんですが、恋のぼりの音が当たっているね。
03:02
お父さんの方なんですが、会社さんに転職した当時は、まあまあ体調は良かったんですけど、
胃がんから始まって手術して取り除いて、少し体調は良くなったんだけど、
どこかに転院したんですよね。そこからはちょっと体が悪くなってきて、一人で階段を登れなくなってきたりとか、いろいろしてましたね。
いつだったか、勤務中にお母さんから電話がかかってきて、取ったら電話の向こう側で救急車の音がしているんです。
お父さんの体調が思わしくないから、救急車で病院に向かっているっていう話で、
そこからですね、それまでは話せてたけど、その後脳にも転院してしまって、会話ができなくなってしまったんですよね。
で、あれよあれよと体調が悪くなり、ついには亡くなってしまったんですけれども、
お父さんが亡くなったときなんですが、どこかで喋りたくなったら喋るとして、
で、会社さんの歯科受診をやっているときに、お父さんの体調を崩して亡くなってしまいました。
で、いろいろ公式とか終わって、なんやかんやで職場に戻るんですけど、
06:13
その前から会社さんのほうでいろいろうまくいってなくて、苦しいなと思いながらも、
あら、またイケメン集団、ムキイラのイケメン集団の中に高校生がいましたね。
で、間が合わなくなってきてて、家に帰って泣いたりしてたのかな、
そしたらお母さんが、こんなに我慢して働かなくてもいいよって言ってくれて、
で、お父さんが亡くなったし、なんとか頑張って働かなきゃと思ってたんですけど、
お母さんがそう言ってくれたから、糸が切れたじゃないけど、転職を決意するんです。
話が飛ぶんですけど、その間に、お父さんが亡くなるちょっと前に同窓会があって、
同窓会で今のお子さんと会会をして、飲みに行ったり遊びに行ったりして、
いろいろご縁があって、男付き合うようになったんですよね、お父さんが亡くなるちょっと前に。
で、お父さんが亡くなって、お母さんがそんなに無理して働かなくていいよって言ってくれて、
で、男付き合ってるっていうのがあったからなのか、そういうのが影響してたんだと思うんですけど、
じゃあ一旦会社辞めて、自分のやりたい仕事をしようと思って探してたところに、
そこに今の大学の求人が目にしまって、生産員じゃなかったんですよ。
生産員じゃなかったんですけど、やってみたい仕事だったから雨元で応募してみようと思って応募したら雇ってもらえたんですよね。
今、雇ってくださってる先生が別の先生なんですけど、この先生の下で事件報道として働くようになりました。
その年かな、お父さんが亡くなったのが、私が30歳の時で、
09:14
30歳の時に相手の人と付き合うようになって、お父さん亡くなって、転職して今の大学へ認めるようになって、
31歳ぐらいの時に夫にプロポーズしてもらって、結婚したんです。
31歳の時に、年齢がよくわかんなくなってきました。
お父さんが亡くなって、1年後ぐらいの時に夫にプロポーズしてもらって、
3歳期って亡くなって2年後にやるじゃないですか。3歳期終わってから式を挙げたんですよね。
そうだった気がする。
初めの年に結婚式を挙げた日に入籍しましたね。
そちらが結婚式を挙げたのが、東北大震災、東日本大震災の1週間後でした。
東北大震災が3月11日でしょ、2011年の。
結婚したのが2011年3月の日だったので。
すごいだから、バタバタだったんですよね。前にもどこかで話したことある気がするんですけど、
大分からおばあちゃんとか親戚とか呼ぶ予定だったんだけど、震災だったから、
3日は出してずっと待ってたのに。
大分から東京から親戚呼べなかったんですよね。震災後で混沌としてたっていうのもあったし、
あの当時の羽田上空の原爆の影響、福島の上空とか飛んだりするじゃないですか。
あの辺がどんなコーナーとかそういう話もあったし、もしかしたらまた大きな震災が来るかもしれないし、
そんなコーナーで遠方の親戚を呼べなかったんですよね。
保育園に着いたのでおしまいにしたいなと思います。最後までご視聴下さいましてありがとうございました。
12:05
それではまた。
12:13

コメント

スクロール