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2023-02-13 04:55

#77【青空文庫】競馬

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吉川英治「競馬」

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Yoshikawa Eiji title:horse racing

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競馬、吉川英二。 競馬場が増え、競馬ファンも増えてきた。
王子妻の座談として競馬が語られる時代が来た。 その中で時々、知人の間にも楽しみを楽しまざる人がまま多い。
競馬を苦しむ方の人である。この間も、某社の記者としても人間としても有能な若い人だが、競馬に熱中して、社にも不才を生じ、家庭にも困らせている人があるという話が出て、
僕はその若い有能な雑誌記者を惜しむのあまり、 その人は知らないが、忠告の手紙を送ろうと思って、客に生命まで書いておいてもらったが、
やはり未知の者へいきなりそんな手紙をやるのもためらわれ、 必ず他にも、近頃は童病の死も多かろうと思って、ここに書くことにした。
と言っても、 僕自身競馬は好きなのであるから、単に競馬の兵を説くのではない。
しかし、楽しみを楽しむには、害をも理性に留めていなければなるまい。 害を強調する者は、よくそのために産を破り、不義利をし、家庭を損ね、
夜逃げまでするような例を挙げて、 だから優位な者が近寄るべきでない、と言ったりする。
国営になってもその社会害は変わらないという。 その通りである。
だが私はそれだけを思わない。 あの競馬場の熱湯は、そのままが人生の一宿酢だと見るのである。
あの渦の中で自己の理性を失う者は、実際の社会面でも、 いつかその弱点を出す者に違いない。
あの馬券売り場の前で家庭を賭けたり、自分の信用や善とまでを穴場へ突っ込んでしまう者は、
世間においても、いつか同じ真理のことをやってしまう危険性があるものに違いない。 なぜならば、その人間に明らかにそうした素質があることを、
あのるつぼの試練が実証してみせるからだ。 ただ競馬場はそれを一日の短時間に示し、世間における所誠では、それが長い間になされるという時間の違いだけしかない。
競馬場のるつぼほど、自分の脆弱な意志の面と、いろいろな事故の端緒がはっきり、 心の表に現れてくるものはない。
自分ですら気づかなかった根性がありありと露呈してくるものである。 それを意識に捉えて、理性と戦わせてみることは、大きな自己反省の繰り返しになる。
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そして長い人生の間に、いつか過根となるべき自分の端緒を、未然に矯正することができると思う。
理性をもって自由な遊戯心を痛め正すなんてことは、それ自体遊びではなくなるという人もあろうが、
人生の苦しみをも楽々遊びうる人ならいいが、そうでない限り苦しみは遊びではなくなる。 という結論はどうしようもない。
ほんの小遣いとして持って行ったものを負けて帰るさえ、帰り道は朝のように愉快ではない。 だから私は以前の一レース20円限度時代に、
朝右のズボンの隠しに10レース分200円を入れて行き、 そのうち1回でも取った配当は左の隠しに入れて帰った。
その気持ちは、どんな遊戯にも有効代はかかるものであるから、あらかじめ有効費の前払いと思う額を右のポケットに入れて出かけるのである。
左のポケットに残って帰る分は、たとえいくらでも儲かったと思って帰ることなのである。 だから私は、
どうです馬券は? と人に聞かれると、
負けたことはありません。 と常に答えた。
帰り道もいつでも朝の出かけの気持ちのまま、 愉快に帰るために考えついた一方法である。
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