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2022-07-13 36:20

【#84】遊歩型ツアープロジェクト『演劇クエスト』、南アフリカへ行く

今回は、アート・コレクティブ「orangcosong 」を主宰するアーティスト、藤原ちからさんと住吉山実里さんをゲストにお招きしました。現在アフリカ各都市を豪遊(?)中の杉田が南アフリカに2ヶ月間滞在していた同時期に、同じく南アフリカのマカンダという街でプロジェクトをされていたorangcosongのお2人。orangcosongが主宰する遊歩型ツアープロジェクト『演劇クエスト』の話を中心に、南アフリカでの生活や、海外でのリサーチ・制作のプロセスなどのお話をお聞きしました。

◉リンクなど 

・2人のアフリカ滞在日記が掲載されたFacebookページ: https://www.facebook.com/orangcosong 
・南アフリカ在住ジャーナリストAtiyyah Khanによる『演劇クエスト』の記事 https://grocotts.ru.ac.za/2022/06/29/the-city-is-your-stage/ 
・ローズ大学ジャーナリズム学部Sonia Sajjabiによる『演劇クエスト』の記事 https://www.newframe.com/artists-in-residence-reflect-their-makhanda-life/


◉ゲストプロフィール

orangcosong 

横浜を拠点にアジア各地で活動する藤原ちからと住吉山実里によるアート・コレクティブ。名称はインドネシア語のorang(人)とkosong(空っぽ)から。演劇やダンスなど舞台芸術の経験をベースにしながらも、ジャンルにこだわらず、プロジェクトごとに様々な他者と結びついて創作を行っている。 「冒険の書」を手にして町を歩く遊歩型ツアープロジェクト『演劇クエスト』(2014-)は、これまで横浜、城崎、マニラ、デュッセルドルフ、安山、香港、東京、バンコク、ローザンヌ、マカオ、妙高、マカンダで展開されてきた。そのほか、多国籍のアーティストたちとつくりあげるテーブルパフォーマンス『IsLand Bar』(2017-)、完全な沈黙のもと筆談のみで対話する『筆談会』(2017-)、映像作品『Stay Home Labyrinth』(2020)、ライブ配信『Good Morning, Yokohama』(2021-)など。

HP: https://orangcosong.com/ 
Instagram: https://www.instagram.com/orangcosong/ 


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皆さんこんにちは、石川由加子と杉田 麻里子です。
Good News for Citiesは、都市、建築、町づくりに関する様々なグッドニュースをバックバランに話す番組です。
今日は、アーティストの藤原力さんと、住吉山実里さんにゲストにお越しいただいています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
二人は、オランコソンというユニットを運営されていて、コレクティブを運営されていて、お二人との出会いは、日本で共通の知り合いがいるというのもあるんですけど、
最近、南アフリカでご一緒して、実際にはお会いできなかった他の町にいたんですけど、南アフリカの振り返りもしたいなということも思っていたので、
せっかくなので、二人にもゲストに来ていただいて、どんなプロジェクトをされていたのかとか、南アフリカで面白かったこととか、お話し聞けたらいいなと思っています。
ちょっと簡単にお二人の自己紹介と活動紹介みたいなところをお願いできますか。
はい、アートコレクティブのオランコソンの住吉山実里です。杉田さんとは南アフリカでニアミス。
そうですね。
普段は、いろんなアートプロジェクトを活動としてやりながら旅をしています。
今回南アフリカに来たのは、演劇クエストという名前の本を使ったツアープロジェクトを、
ナショナルアーツフェスティバルという南アフリカのマカンナというイスタンケープの町でやるために来ました。
今はタンザニアのダルエスサラームにいます。
私自身は大学で建築デザインだったり都市史を勉強して、その後コンテンポラリーダンス活動を始めて、
今はこういう参加型のプロジェクトをよくしています。
僕は藤原力と言います。
この演劇クエストという作品を2014年から作っているんですけど、
15年にフィリピンのマニラに行ったのが最初で、
結構コロナの前はアジアが多かったんですけど、
アジアのいろんな町で作るというツアープロジェクトみたいなことなんですけれども、
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やってたんですよね。
コロナでほぼ2年間家に閉じこもるという生活をしてまして、
久々に海外に来た第一弾が南アフリカ。
レベル高いですね。
南で大変だったというのはありますけれども、
今なんとかそれを終えて南アフリカを脱出し、
サンザニアのダレスサラームに身を寄せているというところです。
なるほど、脱出計画成功しましたね。
飛行機を使った瞬間についに出た、外に出れたという気持ちになりました。
今結構南アフリカはCOVIDの復興経営が緩くなっているんですけど、
ダレスサラーム、サンザニアの方はまだワクチン接種証明だったり、
温度測ったりとかっていうのもあったので、
ギリギリまで本当に降りれるかなみたいな心配しながら。
分かります。
私も南アフリカでいろいろ書類準備して頑張って出たときに、
ホッとしたんですけど、
でもちょっと今から振り返ると楽しかったこととか、
もう一度行きたいなあみたいな思うポイントもあったりして、
ちょっと2人の演劇クエストの話を深掘る前に、
南アフリカどうでしたか?
なんか楽しかったというか、印象に残ることとかあれば。
私たちが滞在してたのがマカンダって、
もともと数年前まではグラハムズタウンっていう名前だったんですけど、
そのグラハムズタウンっていうのも植民地主義が残っている名前なので、
マカンダっていう昔の予言者の名前に変わったんですけどね。
なんで結構南アフリカって広いじゃないですか。
日本の国土の数倍って言われてて、
結構場所によっても気候も全然違うければ、
なんか人の分布も違うっていう感じで、
イースターンケープのマカンダの街は結構小さい街で、
一応歩いてどこでも行けるよみたいなところなんですよね。
なんで結構その街の中にもタイバーシティが見えるっていう感じがありましたね。
なるほど。
そうですね。イースターンケープって東ケープ州ってことなんですけど、
割と最初の方に入植されてるんですよね、南アフリカの中でも。
ケープタウンが第一の入植者たちの都市だと思うんですけども、
06:05
そこから次ぐらいに都市として作られたのがグラハムズタウンっていう街で、
今マカンダっていう名前になったんですけど、
グラハムズタウンっていうのはイギリスの植民者のリーダーだった人の名前なんで、
ちょっと植民主義的な名前ではないかということで、
その時に戦って敗れたコサゴの話す人たちの預言者の名前がマカンダだったんですね。
最近マカンダっていう名前に変わった。
コサゴ。
コサゴ。
フリック音を使う。
古い言葉ですね。
なるほど、なるほど。
南さんの方がうまいんですけど。
私も何回かやってみたんですけど、なかなかできず。
なるほど。
2人に会いにマカンダにも行きたかったんですよ。
ちょうど2人がマカンダにいた時に、私はケープタウンにいて、
その後ヤハネスブルクに行ってて、
おっしゃられてたように結構南アフリカも広くて、
街ごとの違いもあるし、
あとはおっしゃられてたように街の中のダイバーシティ、
一つの街でも違った側面がたくさん見えるっていうのがすごい面白くて、
ちょっと私は二都市では全然足りなかったので、
次戻る時はマカンダとか、
ちょっと田舎の方にも行ってみたいなとか思ったりしてます。
ヤハネスブルクはどうでした?
私は2週間ぐらいいて、
結構治安が不安だったんですけど、
なかなか私的には好きな街だったんですけど、
私がちょっと去った数週間後にお二人も、
最近ヤハネスブルクに行かれてたっていうのを
ちょっと感想を聞いてみたいです。
そうなんですよ。
私たちは3日しかいれなくて、
なかなか治安面の不安もあったんで、
そんなに惚れなくて、
やっぱりウーバーで移動して目的地に行って、
またウーバーで帰ってみたいな感じで、
もっと自分の足で歩きたいなって思いながら、
もうちょっと長くいれたら、
ちょっとずつここまでは大丈夫、ここまでは大丈夫って感じでできる。
だから杉田さんどういうふうに行動されてたんだろうなっていうのを
気になってたんですけど、
でもお勧めしてくださったポンテタワーと
エルブロタワーのツアーはすごい良かったです。
いいですね、お勧めの。
私もフォトガラスキャスターで、
このツアーについても紹介したことがあるんですけど、
お二人が行けたっていうので、すごい嬉しかったです。
なんかね、宿も教えていただいたところに泊まったんで、
マリコさんの足跡をたどるためになってて、
09:02
ドゥラランジェでしたっけ?
そうですね。
ポンテタワーのNGOの人たちも、
なんか来てたよ、そういえばみたいな。
日本人が。
写真を送ろうぜみたいな。
嬉しいです。
それで僕らはポンテタワーのツアーに行った後に、
この後どうするんだって言われて、
北の方の、何だったっけ?
サントン?
サントン地区に行ってみたんですよ。
サントン、はい。
割とショッピングモールとかみたいなのが、
ポンテタワーの51階からなんか見えてて、
なんかちょっと裕福なエリアも行ってみたいなと思って行ったんですけど、
景色のあまりの違いに、
なんか息焦点して帰ってきたっていう。
そうですよね。
なんか裕福なアメリカとかヨーロッパの都市みたいな感じのエリアですよね。
北の方とかに行くと。
マリコさんもポッドキャストでおっしゃってたと思うんですけど、
ポンテタワー住みたいってちょっとあるじゃないですか。
住めるなみたいな。
僕らもヨハネス、ジョーバーグにもし住むならどこにするって言って、
万丈一致ポンテタワー。
そうそう。
言いたいですね。
そんなに高くなさそうだし、大丈夫かも。
なんか最上階で7万ぐらいで借りれるみたいな噂を聞きました。
全然ありですよね。
最上階で。
結構ね、ポンテタワー不思議ですよね。
地盤がすごい斜めの岩のところに立ってて、
あれは何だろうって写真とか見た時には、
何かが置いてるのかなと思ってたら、
そんなところに立ってるんだって思って。
不思議ですよね。
雰囲気とかも、もうちょっと整理すればいいのに、
みたいな話を彼らにした時に、
やっぱり海外からその雰囲気を求めて見に来る人とか、
あと何でしたっけ、ビヨンセも来たとか言ってたけど、
ビヨンセは違うか。
ビヨンセの噂よく聞くんですけど、
ミュージックビデオを撮るためとかに、
結構有名な方々が来たりとか、
フォトグラファーとかそういうのもあって、
もうこのままでいいんじゃないか、
みたいな話になったらしくて、
緩くていいなとか思ったんですけど。
映画のロケ地に行ったりするらしい。
そう。
あともう一つ、ちょっと二人に紹介するのを忘れて、
私は後悔してたのが、
ヨールビルディナークラブっていう、
アフリカ中の有名なシェフの方がやってるんですけど、
現地の方で、
アフリカ中からいろんなレシピを学び、
自分風にアレンジして、
もう本当に家に招かれるみたいな感じの、
ちっちゃな空間なんですけど、
そこに行って、
みんなでファミリースタイルで、
12:00
お皿にドーンと出てくるのを、
こうやってみんなで取って食べるっていうのがあって、
それがすごい結構イハネスブックの中でも、
ヒルブロ地区よりもちょっと混雑してて、
治安が悪いって言われてるエリアの中にあって、
そういったプレジャリですというか、
外国人が見る、
外国人じゃなくても、
現地の白人の目から見てもあまり行かないようなエリア、
先入観があるエリアで、
そういった職を囲みながら会話をするみたいな場所もあったりして、
まだまだ、
そうですね、
イハネスブック、
面白いなあと思うんですが、
なんか今、
みのりさんがおっしゃったみたいに、
やっぱり自分の足で歩きたいみたいなところ、
その通りだなと思って聞いていて、
おそらくお二人のこの街へのダイブの仕方っていうのは、
ウーバーでこっち行って、
あっち行ってっていうよりも、
少しずつ歩いて歩いて、
人と話をしながら掘っていくんじゃないかなと、
想像しているんですけど、
南アフリカでの演劇クエストを作るにあたっての、
そういうところから街にダイブをして、
リサーチをして、
制作まで進めていったのかみたいなプロセスのところを、
お伺いしてみたいです。
まずマカンドはウーバーがなかったんで、
トランスポートがないんですよね、
基本的に。
ミニバスっていう、
シャトル型の乗り合いタクシーみたいな、
ものがあるんですけど、
基本的にはルートが決まっていて、
タウンシップと街をつなぐっていうのが、
基本のルートなんですよね。
だから、街の中を移動するっていうところで、
使えるトランスポートがなくて、
僕らはとにかく歩くしかないなっていう感じだったんですけど、
今回は、
ありがたいことにローズ大学っていう、
大学の文化人類学部の先生が協力してくれまして、
ドミニク・サントスさんですけど、
彼女を通してまずは、
彼女と学生さんを通して、
まずは一緒にレクチャーとかワークショップとかやりながら、
街のことを知っていくっていうのが、
第一段階だったんですよね。
ただ、面白かったのは、
COVIDの後じゃないですか、
開けてすぐみたいな状態だったんで、南アフリカ的に言うと、
学生さんたちも対面の授業ができたのが久々みたいな。
まず、街に出てないんですよね、ほとんど。
特に、まだ1、2年生とかは、
ローズ大学入学したらいいものの、
1回も対面授業を受けてないみたいな、街にも出てる状況。
国立の大学で、結構南アフリカ中のいろんな地域から来て、
15:03
学生寮に住んだりとかして、
勉強してるんですけど、
COVIDの間はもう自分の街に帰りなさいってなってたみたいな、
大学時代だったので。
2年ぶりに街に戻ってきて、授業を受けます、みたいな子たちが
割といたりしました。
最初の頃は、治安が一番心配だったので、僕らとしても。
いろんな人が聞いてたんですけど、
人によって言うことがだいぶ違うっていうのがあって、
あんまりこれは信用できないぞっていうのがあって、
徐々に自分たちで歩いて、歩ける範囲を広げていきながら、
いろいろ話も聞いたりしつつ、みたいなことで、
街にガンガン出始めたっていうのが第二段階ですかね。
結構みんなオープンで、
チラッと見るだけで、ハローみたいな感じで挨拶できて、
そこから話が始まったりとか。
マカンダの街は小さい街なので、東アジア人がすごく少なくて、
ちょっとちょっと中国人の人がいるんですけど、
日本人は街には私たち二人だけみたいな状態なんで、
結構顔も覚えてくれたりとか、
ハローみたいな感じで話して、
初めはそういうのを使うのがちょっと嫌いだなと思ってたんですけど、
最後の方はまあいっかみたいな感じで、
人に会って仲良くなってなんか話して、
友達になったり、そのままバイバイって言ったりして、
そういうのでいろんな話を聞きながらリサーチをしてました。
結構、ダイバーシティって言っても、
白人系の人と黒人系の人が多くて、
カラートの人たちのこともすごい気になるなって思っていて、
特にチカラさんがアフリカンス語に興味を持ってたりとかも今してるんです。
そういうのも結構、
ダッチ系のアフリカン主人だけじゃなくて、
カラートの人たちがアフリカンス語を使っている、
母語として使っているということとか、
そういうのにもタッチしていきたいなって思っています。
面白いですね。
カラートっていうカテゴリー、
私も最初南アフリカに来たときは、
なんかなんだこれってなって、
昔のアパルトヘイト時代の地図とかを見ていると、
ホワイトエリアとブラックエリアがすごい小さくあって、
18:02
あとカラードみたいなのが基本的にホワイトエリアの外にあって、
そのさらに先に黒人向けのエリアがあるみたいなのがあって、
このカラードってどんなカテゴリーなんだろうっていうのが、
全然わからなかったっていうのが最初あって、
現地の人に話を聞いたりとか、
カラードの中にもいくつかいろんなカテゴリーがあって、
南アフリカらしい分類の仕方だなと思うんですけど、
アフリカンス語を彼らがぼーっとして話しているっていうのは、
私も知らなかったです。初めて聞きました。
ただカラードといってももちろんね、
インド系のコミュニティの移民の人も結構多かったですし、
ひっくり返ってカラードって一応呼ばれてきたと思うんですけど、
彼らの中にアパルトヘイト時代に、
白人でもなければ黒人でもないって扱いをされてきたっていうのがあるんですよね。
アパルトヘイトが終わって、
言ったら黒人にアファーメティブアクション、
下駄をはかすような政策がいくらかあったりしたときに、
カラードの人にそれが与えられなかったっていうこともあったりして、
結構不安もあるみたいなんですよね。
最近は、例えばマカンドナあるあたりのイースタン・ケープとかだと、
もともと先住民であるコイサン族の子孫であるっていうことを主張する人たちも現れているみたいで、
つまりここは白人のものでなければ黒人のものですらなくて、
コイサン族のものだっていう、
そういうアイデンティティを主張する人たちもいたりしているみたいなんですよね。
結構複雑。
アフリカはそこに関して言うと、もちろんオランダ系がメインなんですけど、
イドネシアとかマレーシアから連れてこられた奴隷たちの言葉もずっといて、
結局何代も経ってますから、
それを母語としてきた人たちもいるんですよね、白人だけでなく。
その人たちのことはあんまり考慮されてないのではないかというのが印象です。
アフリカンスと言うと、
白人のアパレルトヘイトの象徴ってみなす人もやっぱりいて、
でなると、その人たちの権利とか思いみたいなものが、
非常に複雑だろうなっていうのは嬉しいと感じましたね。
そうですね、それはその通りですね。
私、ケープタウンに行った時に、
昔の人々の人種を決定する、
ガバメントの建物みたいなのがまだ残ってて、
使われてない、そのまま置き去りにされてるんですけど、
ツアーで行ったんですけど、その話を聞いてたら、
12分類、ちょっと裏覚えであるんですが、12分類ぐらいあって、
21:00
これはホワイトみたいなところから始まって、
たくさん分類されていく。
それも全員必ず、市民はそこに行かなきゃいけなくて、
自分がそのカテゴリーの中にどこに入るのかっていうのを、
髪の毛の色であったり、肌の色とか、目の大きさとか、
鼻の高さとか全部測られて、
アンビギュアスな人たち、その間にいるような人たちは、
例えば、実話らしいんですけど、
ペンを髪の毛に刺して、ジャンプさせられるらしくて、
落ちたら、より黒人の方に、
落ちたら、より白人の方、髪の毛がサラサラの、
より白人の方の上の分類にされて、
そのまま残っていたら、より黒人の方の分類にされる、
みたいな話を聞いたんですよ。
なので、私たちのアパルトヘイトという人を聞くと、
白人vs黒人みたいなイメージがあると思うんですけど、
その間にある何分類も、12カテゴリーとかあるので、
その間にいる人たちっていうのは、どういう扱いを受けてきたのかとか、
どんなアイデンティティーとか、どんな暮らしがあるのかとか、
そこらへんすごい気になるなと、私も今話を聞いていて思いました。
これは沼ですよ。
沼なので、これがスキャウトになると、なかなか大仕事だなっていうのもありましたね。
確かに。
そんな中で短時間の中でリサーチをされて、
執筆をされて、もう冊子としてまとめられて、
発表もされたっていう、その実行力すごいなと、
私も本当に尊敬なんですけど、
どんな作品が出来上がって、
どんな、発表の時はどんな参加者からの反応があったのかとか聞いてみたいです。
そうですね、
さっきもちょうど話したように、
学生さんたちは街に出ること自体を恐れてるんですよね。
なので、まず序盤としては、
街になれるエクササイズみたいな感じで導入を作って、
後半部はタウンシップの方に行くようにしたんですよね。
ただちょっと治安面で不安もあるかもしれないので、
一応そこに行く時は1人じゃなくて2人で行ってくださいっていう風にしたんですけど、
橋がありまして、結構象徴的だと思うんですけど、
そこを越えるとタウンシップエリアになるから、
人々が恐れていかないんですね。
あっちはもう危険だっていう噂が出回っているので、
実際歩いてみるとそんなことはないんですけど、
全然日の良い、ちょっと酔っ払いは確かに多いかなっていう感じではありますけど、
全然危険なことは普通にはそんなに多いわけではない。
なのでそっちに橋を架けるというか、
24:02
橋を架けていくような作品に道をしたつもりです。
現時点での反応はどうなのかわからないですけど、
街の人でこういうアート作品が今までなかったっていうことを見て、
すごく感動してくれた人とかがいて、
今、観光協会に掛け合っていまして、
この後も引き続き本をそこで手に入れられるようにしたいなということはあります。
そもそもこの企画自体が一応2年計画で計画していて、
しかもマカンダだけ、南アフリカだけではなくて、
今僕らタンザニアにいるわけですけど、複数の地域でやりたいんですよね。
マカンダに関して言うと、ちょっとまだわからないんですけど、
来年やるなら、コサ語とアフリカンス語には翻訳したい。
今今年は英語とちょっと日本語を使っただけなので、
ちょっとトリッキーに使ってるんですけど、
やっぱり違う言語、よりローカルな言語に入っていくというのは大事なことだろうなと思います。
面白いですね。
私もそこにいて体験したかったところなんですけど、
お二人、アフリカのいろんな別のところで活動されたい、展開していきたいというところもあるようですし、
私もまたアフリカに戻りたいなみたいな思いがあるので、どこかでまた参加できたらいいなと思いました。
杉田さん、今後のアフリカにもし戻ってくるとしたら、何かビジョンというか夢みたいなのってあるんですか?
そうですね、まだ行けてない街とかたくさんあるので、
例えばナイジェリアのラゴスとかは次の第一のディスティネーションかなと思ってるんですけど、
いくつか今回パートナーになり得そうな団体だったりとか個人をいくつか見つけて、
今私がここにいた8ヶ月の間でもいろいろコラボとかもしてきたんですけど、まだまだ足りない感じはあるので、
またちょこちょこ戻ってきながらコラボしてみたりとか、
あと調整してみたいのはスタジオスワップというかスタジオエクスチェンジみたいな感じで、
私たちも誰か送り出しつつ、彼らにもこっちに来てもらうみたいなことをしながら、
いろんな表現活動をしていけたらいいなというふうに思ってますね。
素敵。
一緒にやりましょう。
ぜひ、今私たちが滞在しているこのダルエスサラムのパナハシティアートセンター、
アートスペースもすごい素敵なところで、
27:01
工場外に大きな公式地があって、
お建物が何個か公式地内にあるんですけど、
アーティストがのんびりしてたりとか、
教育プログラムも何個か企画しているみたいで、
子ども向けのワークショップとか、
アートスペースだけどアートビレッジみたいな感じの。
いいですね。
パートナーをどうやって見つけるかっていうのが結構大事だなっていうのを、
改めてこっちに来て思ってるんですけど、
こういう場所っていうのも一つ大きいところですし、
あと南アフリカで僕らのことを取材してくれた、
アティアカーンさんっていうジャーナリストの人がいるんですけど、
アート系のジャーナリストでウェブに記事を書いているんですよね。
で、いくつか他の記事も読んでみたんですけど、
南アフリカのケープタウンとかヨハネスを基本的にベースにしながら、
いろんなところに出張して書いていらっしゃって、
それはありがたいというか、英語で読めるので、
かなり南アフリカの現在のアートの情報を知るっていうのはすごくいい、
すっごいパワフルな人なんですけど、会ってみると。
インタビュー最初受けてたのに、だいぶ食い気味に来るから、
彼女が話してるほうがわからないみたいな。
リスンみたいな感じで。
でもとにかくすごくいいジャーナリストだなと思って、
そういうメディアを見つけていくっていうか、
いい関係を結んでいくっていうのも面白いかもしれないですね。
その通りですね。
やっぱりアフリカでアクセスブルな情報って、
なかなかまだ少ないなって思うじゃないですか。
特に英語で読めるものとか。
なのでそういったジャーナリストの存在であったりとか、
メディアパートナーだったりとかっていうのは、
現地のアート施設とかと同じぐらい重要なんじゃないかなって、
私も思いました。
大切ですね。
ここは特にコミュニティと割と一緒に活動してるんじゃないかな、
みたいなイメージもあったりして。
この永橋アートスペースは、
私たちの作品が割とコミュニティとつながりたいとか、
観客とコミュニティを出会わせたいみたいなこともあったりするので、
ハイアートだけじゃなくて、
どういうふうにコミュニティと場所であったり、
人とのコットワークをされてるのかなみたいなのは、
いろんな国とかいろんな地域のスペースで気になるなって思ってます。
30:04
僕が子供の頃にテレビとかで見ていたアメリカ、
アフリカのイメージって、
貧しいところに行って学校を作るみたいなイメージがあったと思うんですけど、
もちろん学校を作るってやっぱりすごく大きなことで、
教育がやっぱりデカいなっていうのは、
こっちに来てすごく感じるところなんですけど、
この永橋アートスペース、タンザニアのダレー・サラムの、
村を作ってる感じなんですよね。
今も構築中だったりするんですけど、
もちろん学校があり、カフェとかレストランみたいなところがあり、
バーがあり、劇場もありみたいな感じで、
何か作っていってる感じが、
アフリカでアートをやるっていうのは、
そういう町作りとか村作りみたいなものと近しいのかなっていうのは感じてますね。
南アフリカのマカンダでも、
ゴミ拾いをする人たちとか、
動物を保護しようとする人たちとか、
いろんなNPO、NGOがあって、
彼らとつながっていくっていう機会がいくつかあったんですよね。
あるいは町のカフェとかレストランを運営している人たちも、
そういうところと結びついたり、
一緒にマルシェをやってたりするので、
そういう有機的なつながりが見えるっていうのは、
すごく僕らとしても刺激的で、
そういうところから、
アフリカのいろんなところに触れていきたいなって今のところ思ってます。
マカンダのおいしいジンジャービールのメーカーというか、
ローカルプロダクツがあるんですけど、
ベベダさんっていう男性が作ってて、
彼がアートプロジェクト、アセンブリーを作ってて、
時々炎を囲みながらオープンダイアログをしたりとか、
リリーングとかを火を囲みながらやるんですよ。
ラッパーとかいろんな活動してる人とかも入ってくるし、
普通の人もいるんですけど、
家庭崩壊とか、愛についてとか、
そのヒップホップのテーマがあって、
オープンマイクで喋るみたいな。
それをやってる彼が、
ジンジャービールっていうローカルな経済も、
経済産業も作ろうとしてるっていうのはすごく面白いなと思うんですよね。
もともとジンジャービールってイギリスの植民地だったから、
生まれたものみたいで、
結構南アフリカでメジャーだって聞いたんですけど、
33:02
インドとかからスパイスが来るっていう。
それを今ローカルなインダストリー、産業として再生していこうとしていて、
それで人々がつながるきっかけを生み出そうとしてるっていうのは、
かなりいいなと思って。
ジンジャービールの蓋を開けるとシューって、
時々破裂するっていう。
いいですね。
ジンが生きてる。
飲みたい。
いいですね。
愛の話とかを国籍問わず、
みんなで火を囲んで話したいなと思いました。
あとなんか、
私もこの前モロッコにいて思ったんですけど、
アートスペースを尋ねるたびに、
セーフゾーンだなって思うんですよ。
海外にいるから常に無意識に緊張している自分がいるんですけど、
そういうところに行くたびに、
みんなそういうところって基本的にウェルカムじゃないですか。
国籍とか関係なく一緒に座って話そうよみたいなところがあって、
そういうセーフゾーンみたいなところが、
アーティストによる村的な、
そこに行くともう国籍関係なくみんな安心して話できたりとか、
存在できるみたいな場所っていうのが、
アフリカにもどんどん増えてほしいなと思うし、
今までのツーリズムのあり方みたいなのも変わっていってほしいなとか思いました。
観光的に行ってサファリだけ見て、
アフリカの貧しい村をツーリスト的に見て帰るみたいな体験ではなくて、
数ヶ月単位でお二人が今いる、
ダルエスラムのアーティスト村、
何ていうところでしたっけ、
そこに数ヶ月滞在してみて、
自分でプロジェクトをやってみるとか、
そういったカルチュラルエクスチェンジのあり方っていうのも、
今後増えていけばいいなとか思いながら聞いてました。
帰国後はお二人、今回の活動を別の形でまとめたりとか、
報告会したりとか、そういうことも考えられてるんですか?
そうですね、一応今毎日日記をフェイスブックにアップしてて、
日々の詳細なやつは結構それで、
日本語なんですけど、
追ってもらえたらなと。
日本語なので、読みやすいかどうかわからないですけど、
フェイスブックに来ていただけると、
興味のある人は、
スイもアマイも書いてます。
スイもアマイも、そうですね。
どうやって生き延びてるかを。
すごい私も参考にしました。
日本のね、本当にアフリカの情報ってそんなにないから、
日記っていう形で届けれたらいいなと。
そうですね。
それが一番ですね。
36:01
ありがとうございました。
まだたくさん話すことがありそうなんですけど、
一旦録音切ろうと思います。
ありがとうございました。
36:20

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