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【GODAIスポーツポッドキャストすぽきゃす】
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
【GODAIグループ】の提供でお届けいたします。
はい、ポッドキャストすぽきゃす、49回目になって段々回を重ねてまいりました。
本日は、港北支店の大場宏之です。よろしくお願いします。
はい、大場です。よろしくお願いします。
はい、大場さん、とうとう大場さんの出番がやってまいりましたね。
はい、来ましたね。
今、さっき来ましたけど、ポッドキャストを最近ちょろっと聞いてるというところですね。
他の番組聞いたことないですよね、別にね。
他の番組はないです。
スポキャスだけは聞いてるという。
本当に聞いてます?
聞いてます。何年かですね。
何年か。ありがとうございます。
いろいろと聞いてもらっている中でですね、今日は大場宏之のお客さんに聞いてもらいたいなという担当サイトですね。
お客さんも聞いてると思いますので、是非ねぼりはぼりという話をしますよ、今日は。
はい。
もう全然自由に話してもらって構わないんで、なんか硬いですよ、今日表情が。
そうですかね。
なんか大丈夫ですか?
大丈夫です。
はい。
で、大場宏之、早速なんですけど、テニスを始めたきっかけ。
きっかけ。
もう聞いたことないですよね。当たり前ですけどこんな話聞いたことないんで、教えてください、いろいろ。
テニスを始めようと思ったきっかけは、小学校6年生の時にテレビをつけたら全日本選手権になってたんですよ。
それNHKですか?
はい。で、テニスを見たのは、ゲームをやってるのを見たのは初めてで。
それで、僕当時から体が小さかったので、その時は体のハンデが少なそうだなと思ってテニスを見てました。
で、やりたいなと思っててやり始めたのが高校1年生です。
小学校の時に、6年生ですか?
6年生です。
の時に全日本選手権をテレビで見て、多分テレビで見たっていうのは決勝ですよね。
決勝ですね。
で、そこでいいなテニスと思ってやっと始めたのが高校なんですか?
そうですね。一応中学の時に軟式やったんですけど、市の会社にテニスサークルがありまして、そこに2回くらい参加したことがあったんです。
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で、テニスボールとテニスラケットは分かってるんですけど、軟式は知らなくて。
で、軟式テニス部に一応入りに行ったんですけど、なんだこれは?と思ってたのと違う。
で、とりあえず入りはしたんですよ。でも全然熱もなく、ただ部室で遊んでただけだったので、あまりトレーニングとかもしなかったんですよ。
じゃあ一応3年間やったんですか?
一応やりました。
でもなんか身にならずみたいな感じの3年間だったんですか?
そうですね。僕個人的にはそこを本腰入れてやらなくてよかったなと思ってるんですけど。
軟式を役にね。
ちなみに全日本選手権ってその時に見た人って誰ですか?
いや、覚えてないです。
覚えてないね。分かってないですもんね。
でも魚漏れは小6の時に見たって言って、魚漏ってテレビでやったら決勝だと思うんですよね。
でもそれを何年か前って考えれば分かりますよね。
ちなみに何年前なんですか?小6って。
小6ですかね。小6は。
大学校じゃ年齢が変わりますよね。
もうそれこそ31年前ですね。
31年前。そこは分かんないですね。
31年前の全日本選手権決勝。それ後で調べてみましょうね。
調べてみましょうね。
でもすごい楽しみですね。
その時に考えされても小1で。小1から公式テニスに。
それはテニス部ですか?
公式テニス部。
公式低級部に入ったわけですね。どうだったんですか?
最初部員が自分の学年だけで100人いたんですよ。
コート何面ですか?
コートでもいっぱいあって、コートは9.5面です。
そんなに高校にコートがあるんですか?
そうなんです。男女合わせたので。女子もすごい多いので。
男子の僕の学年だけで100人近く最初にいたんですよ。
でも高校に9面ってすごくないですか?
正確に言うと12.5面あるんですよ。
12.5面?すごいいい高校ですね。
埼玉県の高校で、多分全国で初めて単位制というか総合選択制のシステムを作った学校なんですよ。
総合政策みたいな感じですか?
総合選択制です。例えば、理数系でなんで理科の化学とか物理系を合意でいくのかとか、数学科のほうでいくのかとか。
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あとは語学系で言うと、語学もその当時の高校でフランス語とか中国語とかもあったんですよ。
イケてますね。
すごい良い高校だったんですよ。そこに入学したので。
じゃあもう本当にこれから、今高校で増えてきてるじゃないですか。走りだったんですね。
なんていう高校なんですか?
埼玉県立稲学園総合高等学校。
稲学園総合高等学校。9.5面って相当広いんじゃないですか?敷地が。
広いですね。全校生とも、僕が入った年で3300近くいたので。
そうなんですか。すごい。
めちゃくちゃすごいですね。
全員お友達には慣れたんですね。学年でも。
クラス外はないので。
クラス外ないんですかね。そのまま3年間。
でもそっちのほうが絆ができていいかもしれないですね。どうでした?
その中の人間によりますかね。
つけが出てきますよね。
あとは他人の先生。うちのクラスは全体的に先生も生徒もサバサバしてたから。
サバサバしてた。なるほど。ある意味大学的な要素があるんですね。
また履修して、選択して、自分の好きなことをやるっていう感じですよね。
その中でテニス部に入って、やっぱりテニス部の仲間との絆のほうが強くなるわけですね。
そうですね。
どんなテニス部生活だったんですか?
自分のエネルギー、それまで生きてきたエネルギーを一番注ぎ込んだ3年間でした。
楽しかったですよね。
楽しかったですよね。
そこでやっと公式テニスっていうのにラケットも変わって、
中学生の時にやっぱりこれ違うと思いながら、公式がやりたいっていう、
そういう思いってなかったんですか?中学の3年間で。
ありましたね。
ただテニスクールに行くっていう考えがなくて。
発想がね。
知らないですもんね。未知の世界ですもんね。
そうですね。ただ近所にテニスクラブがあったので。
あったんですか?
行けばよかったなって思う。
でもそこまでも思いながら。
そうですね。
高校生部活に入って、そこでは指導者もいらっしゃったんですか?
そうですね。一応駒野先生は週に1回くらいは来てくれて。
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じゃあもう部活で先輩に指導してくれて、
でもそんなにいて、最終的にみんな辞めないで、ずっとそれくらいの人いるんですか?
やっぱり辞めていきますね。
まず大きな関門が入学してから6月くらいにあるんですけど、
7月に合宿があるんですよ。
その7月の合宿に連れて行って、
その合宿に行ったら、
技術的な課題をクリアしなければいけなくて、
で、そこにクリアできた人しか合宿に行けないんですよ。
結構厳しいですね。
もちろん在籍はできるんですけど、
そこに行けないと。
だいたい合宿に行けた人だけ残って、
合宿に行けなかった人は残って、
合宿に行けない人は残って、
合宿に行けた人だけ残って
合宿に行けなかった人はだんだんバーンとしてくる
もう自然と離れていく
そうです
最終的に大学校長3年間残って
最終的に最初100人ぐらい入った学年で
降参で残った人数って何人ぐらいなんですか
降参で残ったのは20人弱ですね
すごいですね
やっぱり80人はやめてくる
いなくなっていくんですね
でもその中で情熱を持ってやった証拠ですよね
その後どうしたんですか
高校卒業後
高校卒業後浪人したんですけど
浪人中に何とその高校の女子の顧問先生から
ここでコーチやらないって誘われて
紹介されたところで
テニスコーチ始めたのがテニスコーチの始まりですね
そうなんですね大学の時先にテニスコーチを始めた
なるほどでそのままずっとそこでテニスコーチ
その高校でコーチをやる
高校のコーチですか
違います高校の女子のテニス部の顧問先生の
お友達がやってるテニススクールがありまして
そこに紹介されていきました
埼玉県で
じゃあ18の時ですか
そう考えるともうすごいですね
コーチとしてのキャリアが長くなってくるんですね
そうですね
16年間とかあと2年間やってない部分があったので
そこではどれくらいやったんですか
そこは2年くらいですね
2年やって大学一浪して向かって
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大学行ってる時にもうそこにお世話になって
大学は2年中退してしまったんです
一浪して1年も叶わず辞めちゃったんですか
辞めちゃいました
大学の時2年間テニスやらなかったんですか
自分のサークル入ったり部に入ったり
サークル入ったんですけどあまりに弱すぎて面白くなかったです
そうなんですね
その後就職したんですか
一旦住み込みで働けるところに就職して
大学を辞めたのがきっかけで親とちょっと仲があまり良くなくなっちゃったので
ギクシャクシャだったんですね
でも家にはいたくない
とにかく住み込みで働けるところに2年ほど行ったので
その間テニスのブランクがまずあったんです
ただやっぱりそこでテニスに戻してくれたのは
高校の時のテニス部の仲間で
何でも笑うだけ好きだったのにやってないみたいな
言ってくれたんですか
それでまたテニスをやりたいなという気持ちが芽生えて
そこからまたテニスコーチをやることになりました
いいお友達持ってますね
気づかせてくれたんですもんね
そこのところで2年間大学を辞めて
それで2年間そこで就職して働いて言葉があって
やっぱり大和コーチは俺テニス好きだということになって
で次はテニスコーチにまた
テニスコーチそれは元々バイトしたところじゃなくて
また別のところで
ただそこを紹介してくれたのも
また結局最初の大和コーチなわけです
でもやっぱりそう聞くと大和コーチの起点って
やっぱりこの高校3年間が結構でかいんですね
そうですね
いいですね
そのまままた紹介してもらって
そこでレッスンをまた始めることになったんですが
どうでしたその時
多分おそらくその2年間っていうのも
いろいろとまだ若かったでしょうし
思い悩んだ2年間だったと思うんですよ
でもそこからやっぱりテニスって
なんでやんないのっていう言葉を仲間からもらって
テニスコーチをもう1回その時にやった時の感情って
どういう気持ちだったんですか
やっぱり自分が好きなものはこれだなっていうのは
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改めて確認しましたね
気持ちよかったですか
なんかやっぱりその自分の素直な感情のまま生きるって
なんか僕も最近思ったんですけど
僕も転職してるので
その時にやっぱり自分のそのこれいい
これって本当なんか悩む時もあるじゃないですか
どうしようかなっていう時も
結局今思うと決めてたなって思って
その時の僕も感情忘れてないですけど
そのやっぱり大好きなテニスの世界に帰った
僕も全然違う業界にいたので
行った時の感じって気持ちよかったんですよね
なんかその時の感じって
今大和さんもだとおりなんかすごい
僕なんか今わからないですけど
それってでもなんかすごい大事な感覚だから
なんか忘れちゃいけないんじゃないかなって
時々自分で思ったりするんですよね
なんか好きなことをやっぱり好きなだけやれるっていうのは
幸せですよね
幸せです
でその中で5代に
そのテニススクール違うじゃないですか
違うところにいらっしゃって
5代に来ることになると思うんですけど
そのきっかけって何だったんですか
一番のきっかけはですね
もともとその埼玉テニススクールで
2度目のスクールにいた時に
何となく5代旧YTCですね
横浜テニスカレッジ
横浜テニスカレッジの噂は何となく聞いてて
すごいスクールだっていうのはあったんです
あったんですか
それでどんなイメージその噂になってるんですか
その横浜テニスカレッジ
5代っていうのがすごいっていうのって覚えてます
どんな噂だったかって
いやなんかすごく楽しくて
うまくするスクールだとか
あとはコーチがすごくいいというか
そういうところコーチのレベルが高いって言われてますね
そういう噂って誰が教えてくれたんですか
同じコーチ同士で話すんですか
それとも僕って他のテニススクールにいたことがないので
全く違う業界にいて
それでスクールをやってる会社
運営してる会社っていうところに来た
もともとテニスの業界よく知ってますけど
他のスクールで働いた経験っていうのは僕ないので
それとおばさんが前から噂は聞いてたしっていうコーチ
今までいろんな話会話させてもらってて結構聞くんですよ
それがどういう課税の頼りでどこをやっぱりコーチ経由ですね
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やっぱりコーチ経由
ただ自分の職場のコーチじゃなくて他のテニス仲間の業界的に
業界のコーチにそういうふうに知ってる人がいて
たまたま僕はその前の職場に行った時に
ヘッドの契約が長いんですけど
そこで原宏さんが来たときアガシのコーチのアメリカの
その方がヘッドが呼んで講習会を開いてくれたんですけど
ヘッドジャパン様がいいことやってますね
その時にたまたま隣になったコーチがYTCのコーチだったんです
名前覚えてないですけど名刺交換しておいて
女性のコーチだったのを覚えてるんですけど
その時に女性そうなんですか
でもそれ交換したのはもう15年ぐらい前なんですね
じゃあ今いらっしゃらない?いないみたいです
女性のコーチって誰だったんだろう
気になりますね
それ15年前
でそれでなんとなく覚えてて
その名刺を交換した時に他のコーチに聞いたんですよ
どういうスクールなんですか
ここすごいとこだよみたいな
自動車の教習所が母体で運動はやってて
すごい人集めてるんだよみたいな
コーチのレベルも高くてっていう話を聞いたんです
でそこで気になっていて
後代に実際に行こうって思った
その行動に移したタイミングっていうのは
どういうことが聞こえるんですか
僕実はもう一度テニスやめてるんですよ
離れてるんですか
そのコーチそこ何年間やったんですか
そこは8年間ですね
長かったですね
8年間そこにいらっしゃって
そこは埼玉県の
高校の女子の監督に一緒に行って
でそこでもう一回離れた
それはまた違う業界に行ったんですか
そうですまた違う業界
そうなんですか何業界に行ったんですか
サービス業です
サービス業に行ったんですか
そこで埼玉にずっと住んでたんですけど
その転職を機に職場が中川岡だったんですね
なのでこの神奈川の宮前区に引っ越しをして
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そこから中川岡まで通うという形でいたんです
一回また離れてみたんですね
面白いですね
大和の人生って
僕はそういう個人的にですけど
そういう人の方が面白いなと思ってて
いろんなことを経験した方が
なんかネタ持ってるじゃないですか
そうですねその中で離れて
でまたもう一回テニスがいいなって
そうですねテニスがいいというか
コーチテニスが好きそれともコーチがいいな
やっぱりコーチやりたいなって感じだったんですか
そうですねどこかでやっぱり勿体ないなって思って
思ってないなって
それでその記憶があって
じゃあちょっと次やるんだったら
YTCかな五代かなみたいな感じになったんですか
いやそれはなかったんですけど
あの南に自宅から10分15分なんです
のところに住んでて南に来たら
まずゴールデンキッズのチラシが気になって
それ見たらそれらごも絶賛みたいに書いてあったチラシだったんですね
あーはいはいはいはいはい
覚えてます?
覚えてますもちろんもちろん
で添田豪ってテニス選手だよな
でその後添田豪選手が47位を記録したんです
えーはいありましたね
でその時に日本テニス協会のサポートが
サポート体制が少し変わって
そういう成績も収められたみたいなところの記事を読んで
あそうなんだ
でそれで興味を持ったら
添田豪は五代のサポートを受けたみたいな形になってて
五代で横浜テニスから来たみたいな
それと繋がって
はいそう言えばと思っていざ見に来たら
あの商業施設の中に4.5面もテニスコートあるなんて
普通考えられないじゃないですか
まずすごいなと思って
で一番手前で見たコーチが佐竹コーチで
佐竹さんのボールタッチも半端ないじゃないですか
いやーなんてスクールだと思って
っていうのがあって
ちょっとちょっとてかものすごく気になったんです
でたまたま僕テニス6年も離れてたんで
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例えばコーチやりたいって言ってもいきなりできないじゃないですか
6年も離れてたんで
でちょっとテニスやらなきゃなと思って
近隣のサークルを探したんです
そしたらもうこの後方向のスクール生の方が入ってるサークルがあって
そこに入ってそのスクール生からコーチが何人か辞めたから
いいんじゃないみたいに言われて面接に来たのが始まりでした
ああそうなんですね
前々からちょこちょこつながりがあって
最終的にそこのつなぐスクール生とつながってここに来たって感じです
すごいですね
ゴールデンキッズの広告チラシは
まさに添田豪君がね使ってて
まさかそこでおばさんが食いつくっていうところ
そうなんですね
添田豪がきっかけでみたいな
いやーそれはなんか嬉しいですね
いろんな後代に対しての前々からのちょっとしたつながりっていうのが縁があって
そこで結びついたって感じです
なんか引き寄せられたものがありますね
すごいことだったんですね
入ってこれ何年目になりますか
今7年目ですね
でいろんな今までのちょっと
ねえ遡った形からおばさんの話聞いてきたんですけど
その前公式テニスを高校からっていう形で始めて
その3年間の縁があって
うよ曲折あってテニスコーチやって
違う業界に行ってみたいな形のことをやった中で
また今ここで7年目っていうところを迎えてるんですけど
やはりオーバーコーチとしてレッスンでお客さんに
これから今大事にしてることとか
これから先テニスを通じて伝えたいことっていうのはどういうことになるんですか
そうですねテニスをやってるのも
結局運動としてやってるというよりは
なんか昔からゲームとしてやってる感覚が強くて
テニスの楽しいところ
自分が楽しいなと思うのはなんか工夫すると
うまく対応できてポイントが取れるというか
なんか技術力が上の人でもなんか工夫の仕様で点は取れるときがあるなって
ところがこうすごい醍醐味だなと感じる
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例えば一番は元々僕はダブルスプレーヤーなんですけど
シングルスでは勝てないような技術力を持った人にも
ダブルスだと意外と勝てたりしてきたっていう
そういうところの面白さみたいなのを伝えていきたいなという形は強くあります
ゲーム性ってところですよね
そうですねテニスってゲームなんですよね
ゲームってなっつくんですから
じゃあどれだけゲームを取れたっていうところの部分で
そういう言葉がもともとテニスのルールにはあるじゃないですか
ゲーム性があるところが非常に面白いわけなんですよね
今改めてオーバーコーチの話聞いて確かに何とかなっちゃうときあるんですよね
本当にこの人に勝てないだろうって思ったことが
技術的にレベル的にはすごいものを持っている人に対して
少し考え方を変えるだけで勝ててしまうっていうね
まさにちょっとマニアックな話になっちゃいますけど
ブラッド・ギルガードの本でウィニングアグリっていうのがありますけど
読みました
まさにあの考えです
少し工夫するだけで相手のメンタルを崩したり
相手のここが苦手なんだっていうところを見抜いたりして
そこを攻めていってっていうところといろんなものがありますよね
間を取ったりとか
でもなんかそういったところの面白さにつながるんですよね
そうですね
今レッスンの中でそういったゲーム性っていうところの工夫をして
っていうところで
さらにそういったことを知ると楽しくなるんだっていうところを
日々レッスンの中で取り入れてると思うんですけど
その今受けてらっしゃるお客様に対してということと
やはりこれからテニスをやってみようかなと思ってる人たちに
いつも皆さんに最後にコーチとしてのメッセージをもらってるんですけど
最後にちょっといただいてもいいですか?
これでみんなでえっってなるんですけど
いやいやいやなります
すごいそれプレッシャーですね
でも伝えてください
テニスやってる人もやってない人も
本当に特に僕はテレビゲームのような感覚でテニスをやってるので
やり方というか攻略法というかっていうのは無数にあると思うんですよね
で相手のやってくることも無数にあるし
それをうまく組み合わせていって
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自分に有利になるとこはどこかなっていうふうに
探すのが楽しい部分ではあるので
そういうところを感じてもらえるような
自由がありながら楽しめるような形のレッスンを目指したいなと思ってるので
ぜひテニスの面白いところを伝えられるコーチとして普段やってるので
ぜひよろしくお願いします
ありがとうございます
そういったゲーム性を知ることは非常に大事なテニス要因ですから
そこをぜひこれからも伝え続けてお客さんの満足度を高めていただければと思いますので
そういったことを教えてくれる大川コーチ
高校の時の3年間がきっかけとなって今ここに来ているので
まさにいろんなことを経験している大川コーチなので
そういったこともぜひポッドキャストを聞いている皆さんに
いろんな話を大川コーチに振って
急に振っていただけると大川コーチ喜ぶかもしれないので
ぜひこれからも大川コーチのレッスンを広告視点で受けていただきたいと思います
大川コーチありがとうございました
はいどうもありがとうございました
この番組は提供五大グループプロデュースキクタスでお送りいたしました