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皆さん、こんばんは。上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、公演にレザーシートを敷くなど、存在としての公演コンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
田川の川渡り人工祭
先日、僕のふるさと、田川に行ってきました。
お祭り、田川のお祭りに行ってきました。
富士八幡宮の川渡り人工祭ということで、毎年5月の3週目の土日に、田川の板という町の川を山傘をかついで渡るという、川の中に入るという、そういう祭りがあるんですけども、それに行ってきました。
多分、僕が20歳ぐらい、20歳前後の時に行ったのが最後だったので、今年39歳になりますから、約20年ぶりにその祭りに行きました。
し、純粋に田川に遊びに行くっていうのは、何年ぶりでしょうねって感じですね。
さすがに20年ぶりではないと思うんですけど、ちょっと思い出せないぶりであるという感じです。
今回、何で行ったのかっていうと、小学校の同級生、幼馴染と一緒にやっているポッドキャスト、21世紀の食いしん坊という番組の中で、この川渡り人工祭の話になってですね、
ちょっと今年行きたいね、みたいなことになったんですね。
そこで、幼馴染の笹谷庵とですね、行こうよということで行ったと。
山笠見たいねっていうよりは、お祭りに結構いろんな人が、本当にたくさん人が来るんですよ。
だから、20年ぶりに地元の同級生というか、同年代の人たち、何人かに会えたらいいなと。
20年ぶりに、もう全然僕高校卒業してからほとんどの人に会ってないんで、こんな感じになってるんだなみたいな、同窓会じゃないですけどね、僕同窓会呼ばれてもないので、
本当に高校卒業してから会ってない人たくさんいるんで、いろんな人に会えたら、20年ぶり、ビフォーアフターじゃないけど、見れたら面白いかなと思って行ったんですね。
実際に行って、お昼の1時くらいから行って、夕方5時半くらいまでの4時間半から、ぶっ通しではないですけども、約4時間半滞在して、
お会いしたのがね、3人だけでしたね。
SNS上で来てるよ、みたいなのは見てたんで、他にも知ってる人が言ってたのは存じ上げていたんですけども、現地でお会いすることはなくて、
たまたま久しぶりに会った3名の方だけで、もっといるなと思ったんだけど、全然人に会えませんでした。
目的としては、いろんな同級生、同年代の人たちが20年ぶりに会ったらどんな感じになってるかなっていうのを楽しみに言ってたんですけども、実際はほとんど会えなかったっていう感じで、
そういう意味ではがっかりでしたね。
夕方から別の用事が田川であって、その用事も済ませて、
同級生の笹山がですね、田川から福岡市の僕の家まで送ってくれると、車で1時間半ぐらいあるんですけど、
恐ろしいですよね、1時間半僕を送ってもう1回帰るから3時間のドライブをよくやるなと思うんですけども、送ってくれるっていうことだったんで、
ありがとうって言ってね、送ってもらってたんです。
飯塚市を過ぎたぐらい、つまり田川と福岡の中間ぐらいですね、中間地点を過ぎたぐらいで、突然ね、小学校の同級生から電話がかかってきたんですね。
その祭りにいるんだけど、いないのかということを言われて、来いよと言われて、なんとなくいく流れになりましたと。
結局ね、車の中で笹山とすった問題がありまして、笹山は行くって言ったから行かなきゃいけないよねって感じだったし、
僕はノリで電話してきてるだけだろうから、お祭りにいないのかというニュアンスだから、
30分かけて今から来られても困るだろうな、もう夜だしみたいなことが僕は思ったので、福岡に帰ろうよと無視して帰ろうよって言ったけど、笹山はちょっとね、
同級生と再会
それはダメだろうって言ったんで、結局福岡に客送してですね、その同級生に会いました。
小学校の同級生と、1校目の先輩がいたんですけど、その人もね、1校目の先輩としてももっと仲のいい、ため口でしゃべるような人で、
その2人と僕と笹山の4人でね、夜ジョイフルでお話をしましたと。で、終わって帰るっていう感じで。
で、それを振り返った時に思ったんですよね。疲れたなっていうふうにね。楽しくなかったわけじゃないんですけど、楽しくなかったわけじゃないって大変だな、楽しかったんですけど、
疲れたと。ものすごく疲れたと。よく考えると、これはね、コミュニケーションのスタイルの違いというかね、そういうものだったのかなと思いますね。
福岡のコミュニケーションスタイルが他がと違うのかっていうと、ちょっとよくわかんないけど、僕自身のコミュニケーションスタイルはこの15、6年間でかなり変わってきたと思うんですね。
というか、変わってきたということを今回自覚させられたとも言えますね。
じゃあ、田川でやってたコミュニケーションって何だった、コミュニケーションスタイルってどんなだったかっていうと、そこに場にいる人たちが笑えることをどれだけ言えるか、そしてそれをなんか主導権を握り合う形で、お互いが前に出る、積極性を発揮し合う中で生まれるみたいな。
そういう会話のスタイル、コミュニケーションのスタイルなんですよね。
田川全体がそうとは思わないんですけども、田川の中で割と目立っているグループっていうのは、その笑いみたいなものをすごい前のめりで、どう笑いの主導権を取っていくかみたいな。
よく考えると、僕は当時頑張ってたんだと思うんですよ。
生存戦略としてというか、その仲間の中で仲間と見なせてもらえるようにというか、仲間として生きていくために、そのようなコミュニケーションスタイルを身につけてきたと自然とね。
福岡に行ってしばらくもそんな感じだったんですが、27歳の時かな、専門学校ですね。
作業療法士の専門学校に行って、ちょっとどちらかというともっと人の話をゆっくり聞こうよみたいなことを学んだので、
そうか、自分は喋ることがコミュニケーションの中でも重要だと思ってたけども、聞くことのほうが重要かもしれないなって、コミュニケーションスタイルが変わるきっかけとしては専門学校が大きかったかなと思いますね。
それぐらいからですね、話を聞くみたいなことを意識し始めて、いかに自分が喋りすぎているか、人の話を聞いていないかみたいなことに自己平和に陥ることが多くて。
そこからもう10年ぐらい経って、10年以上経ってるのかな、27歳の時専門学校に行ったから、12年ぐらい経ってますけども、その12年の間に自分がずっと喋るみたいな感じじゃなくなってきてますね。
なるべく人と会うときは人の話を聞くという感じになってますね。
コミュニケーションの違和感
っていう中でですね、笑いの主導権を握り合うような前のめりなコミュニケーションの場に行くと、僕はその危機に入っちゃうから、前のめりでそこで面白いこと言おうとか思わないから、
ずっと黙って笑ってるというか、自分から何か言うというよりは、ただ目の前で起こっているものを見て笑う以上みたいな感じになったんですよね。
で、それを本当数時間ですね、もう2時間、3時間もいなかったと思うんですけど、2時間ぐらいお話ししただけで、ものすごく疲れたんですよね。刺激が強すぎるというかね。
確かに面白かったんだけども、なんかエネルギーをすごく消耗するコミュニケーションだなと思って。
なんていうのかな、今の自分のスタイルには合致しないなっていうことをすごい感じました。
だからその友人のこととかもすごい好きだし、楽しかったんだけど、もう次に会うのは20年後ぐらいでいいかなっていう気持ちになってますね。
ふるさとに馴染めないみたいなことが、馴染めないからふるさとは嫌いだとかそんなことはないんですよね。すごく好意的に思ってるんだけども、なんか馴染めない自分がいて、この違和感みたいなものがすごくあるなと思いましたね。
地元に対してですね、敬意であるとか誇りに思う気持ちもありながら、一方で自分の居場所ではないという感覚もありという、すごく複雑な気持ちがあるなというお話でした。
本日は以上です。
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それではまたお会いしましょう。さようなら。