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2025-01-15 17:33

160 ルールという公平性の上でも属人化という不平等は起こる

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ルールによって属人化を防げるような気がするかもしれないけれど、そんなことはないよという話。

「存在としての公園」

現象は、上水優輝(うえみずゆうき)のソロプロジェクトです。「存在としての公園」をコンセプトに、完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、場づくりを中心にさまざまな活動を行なっています。自らを公園的なるもののシンボルとすることで、あらゆる空間を公園のように多様な人々を包摂する場へ。一体どんな現象が起こるのか、あなたもぜひ現象の公園に立ち寄ってみませんか?

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、
公園にレジャーシートを敷くなど、
存在としての公園をコンセプトに、
様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
前回に引き続きですね、
焚火をしながら収録していますね。
キャンプ場で独り言を言っているというスタイルでお送りします。
おそらく、あと数本はこの感じでですね、
焚火をしながらの収録になるかなと思います。
今日はですね、
まだちょっと公開されていないんですけれども、
討論カフェっていうポッドキャストの中で、
話したお話に関する、
それに関するお話に関するお話をしようと思っていますね。
こういうね、いろいろ番組をやっていると、
特に1ヶ月分まとめ撮りみたいな感じで、
5本とか6本とか撮ったりするんで、
収録したタイミングと公開されるタイミングで、
最大1ヶ月とか1ヶ月ちょっと時差があって、
その話したことで、ちょっともうちょっと深掘って話したいなとか、
いうことがあっても、
公開を待っているうちに忘れてしまうというのがあるんで、
公開されていないですけれども、
その辺ね、結構緩めの番組なのでですね、
公開されていませんが撮り扱いたいと思っております。
マナーをテーマにした回だったと思うんですけど、
その中で一例として、
キャンプ場での一コマ、ワンシーンみたいなのを
例題として出していました。
そこで話したのはのぞみさんかな。
のぞみさんっていうね、一緒に話している方が、
キャンプ場でこういうことがあってっていう事例を話していたんですけれども、
その事例っていうのが、
のぞみさん結構ね、家族でキャンプに行ったりするということなんですけれども、
そのある日のキャンプで、
夜10時、22時ですね、過ぎても
すごい騒いでいる若者たちがいたんだと。
キャンプ場のマナー、ルールになっているところもあると思うんですが、
一般的なマナーとして、10時以降はですね、
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消灯で焚き火の火も消すみたいなのがあるらしいんですけど、
僕は宿泊しないんで、その辺の細かいことでは分かりませんが、
一般的にその10時になると火は消してですね、
静かにする、消灯時間だなというのがマナーらしいんですけれども、
その日ですね、若者たちが
12時を過ぎてもどんちゃん騒ぎしてたんだと。
そこにみんなね、ちょっとうるさいなと思っていたんじゃないかと。
そこに他の、なんていうのかな、普通の宿泊客ですよね。
宿泊客のおじさんがちょっと注意しに行って、
そうするとピタッと、
なんていうんですか、どんちゃん騒ぎが止んでですね、
静かな夜が訪れたと、平和が訪れたんだというお話でした。
で、それって、
そこから何を感じるのかっていろいろあると思うんですが、
僕はあんまり良くないことだなと思ったんですね。
まずその、12時過ぎて騒いでるみたいなことがマナー違反であり、
寝たい人がたくさんいる中で、マナー守ってね、
ちゃんと静かにして寝ようとしている人がいる中で、
寝れない騒音を出しているっていうのは、
まずマナー違反という意味ではそれは良くないことだと思うんですが、
とは別に、おじさんの一声で静かになったみたいなことですよね。
見方によっては、正義感のある方がマナーに乗っ取ってですね、
キャンプ場のルールかもしれない、ルールに乗っ取って、
それってルール違反ですよね、マナー違反ですよね、という感じで注意をして、
正義が勝つじゃないですけれども、
間違ったことをしている人に正しいことを言っている人が物申して、
正しい状態になったっていうような見方ができるので、
一見良いことかなとも思うんですけれども、
そのおじさんは一般のお客さんなわけですよね。
その若者たちと同じ立場のお客さんであると。
唯一違うのはそのマナー、書かれていたのか書かれていないのかは分からないけれども、
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キャンプ場一般のマナーとしてもある、十字架は静かにしてねというのがある中で、
それを言ったんだと。
一見数字が通っているんだけれども、そのスタイルが、
そのスタイルがというか、なんていうのかな、
たまたまその一回そうだった、OKって感じかもしれないけど、
そういうのが当たり前になってくると、
今度そのうるさいとは何かみたいなことを決める立場、
力を持ち始めるんじゃないかっていうのはありますよね。
うるさいぞって言ってしまえば、言ったもん勝ちみたいになる。
機械か何かで測ってね、何デシベル以上だったんだよとかっていう、
しっかりどれくらいの騒音だったか客観的な指標でもなく、
主観的にうるさいと思ったらうるせえって言えてしまう。
そしてそれを黙らせることができてしまうみたいな、
そういうことってあるし、
それって一見マナーという、もしくはルールという、
公平に与えられたものの中で、
みんな平等、フラットであるっていうふうに見えるんだけれども、
力の持ち方みたいなのが、かえって不公平みたいなね、
声の大きいものがルールになっていくみたいなことがあるんじゃないかなと思いました。
これ難しいね、伝わるかな。
うるさいかうるさくないかって主観ですもんねってやつですね。
で、うるさいって言ってしまえば、
怖い感じで言ってしまえば、やべえ怖えっていうので、
一応マナーも違反してるし、あの人怖えみたいなので、
黙らせられてしまうみたいなところがあるのかなと。
逆もね、今のパターンだと、
正義と悪みたいな、分かりやすく正義じゃんって思うかもしれないんで、
なんとかデシベルとか言ってるほうが、うどしいわって思われるかもしれないので、
逆パターンってあると思うんですよ。
例えば、そのおじさんがうるさかったとして、
誰かがそれをうるさいと思ったという中にね、
おじさんのところに行って、ちょっともう12時なんでって言ったときに、
うるせえと、全然こんなのうるさいうちに入らないって、
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もし言ったら、
なんていうのかな、収拾つかない。
別におじさんじゃなくてもいいんですよ。
さっきの若者たちが、おじさんから注意を受けて、
シュンってならずに、
全然うるさくないっすっていう感じで、
ずっとうるさくないと言い張って、
騒ぎ続けるというパターンもあり得たわけで、
そういう、みんな一致プレイヤーというか、
誰にも権限がない中で、
ルールですよねとかって言ってても、
何にもならない場面ってあるんじゃないかなっていう。
それが、ルールですよねって言って、
うまくいこうと、いくまいと、
どっちにしても、
何ていうのかな、権限が与えられていない人に
パワーがついていく感じが、
とても不健全だなって思ったりするんですよね。
だから、本当はコストなんだけど、
キャンプ場にちゃんと管理人みたいな人がいて、
うるさいっていうときに、
管理人室みたいなところに連絡が行くようにして、
ちゃんと管理人のほうから注意する。
ここを管理していて、
マナー、ルールに従わない人は出て行ってもらうという、
権限を持った人が、別に怖がらせる必要もなくて、
ちょっと他の方からうるさいというね、
クレームというか、相談が来てるから、
ちょっと静かにしてくれませんかと、
権限を持った上で言うみたいなことが、
結構重要なんじゃないかなって思うんですよね。
今の社会って、ほんと主観がまかり通りまくってて、
まかり通ってるっていうか、
いい意味ではね、それぞれの感じ方が尊重される社会、
という意味ではすごくいいと思うんですけど、
一方でトラブルのときに、
対話的でないというか、
自分の正義を全員が主張しちゃうと、
収拾つかない。
ルールはこうだよね、マナーはこうだよねって言っても、
独自の解釈をして、
そんなことはないって言ったもん勝ち、
みたいなことが起こっちゃうから、
それを、おかしいよねって、
なんか言う、声を上げるみたいな、
なんていうのかな、
それで、うまくいこうといく前とさっき言ったみたいに、
やっぱりその人の力が尽きすぎてしまったりとか、
もしくは声があまりにもない場所にされてしまうっていう、
どっちにしてもバランスが悪いなと思ったりするんですよね。
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政治とかね、
そういうものは、やはり民主主義でやってる以上はですね、
それでいいと思うというか、
一人一人が声を上げて、
いろんな意見がある中でですね、
できれば建設的な対応がなったらいいんだろうなとは思いますが、
とにかくいろんな人が声を上げて、
ルールの下ですね、
みんな声を上げていくといいのかなと思うんですが、
キャンプ場であるとかね、
プロジェクトであるとか、
どっかのお店だとかなんだっていう、
すごく限られた狭い領域においては、
そのルールを作っている人っていうのがやっぱりいると思うんですよ、
企業なり、チームのリーダーなり、
ホッキミンだったり、
なんかわからないですけども、
その集団の中の管理者みたいな人が、
責任者みたいな人がいると思うんですよね。
その人がやっぱり、
その人から委任された、
ちゃんと権限を持った人っていうのが現場にいて、
いざトラブルになった時はですね、
その権限を持った上で注意をするみたいなことが、
とても大事なんじゃないかなと。
権限を持った人が現場にいるってことが、
とても大事なことなんじゃないかなって思ったりしますね。
つまり、何でしょう、
これってルールですよねとか、
これってマナーですよねみたいなことが、
機能しない場面ってあるけど、
その機能しない場面で、
これがルールですよって、
同じ参加者が言っても、
どっちに転んでも、
それがルールですよっていうことによって、
ルールに従わせることができても、できなくても、
どっちに転んでも、
プレイヤーの声で、
プレイヤーの行動が変わっちゃうってこと自体が、
結構不健全な感じがするなって思ってます。
これが何でなのかって、
ちゃんと伝わったかなっていうと難しいですけど、
ルールの中で、
ルールでしかないはずなのに、
ルールをまとったその人の権限というか、
権力が、パワーが強くなっていくみたいなことに対する、
なんか違和感っていう感じですね。
ちょっといまいち伝えきれなかった気がするんで、
何のこっちゃって感じの話になってしまいましたが、
本日は以上でございます。
何が言いたいかというと、
場を作る人は、理念だとか仕組みだけを作って、
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仕組みがあるからなんてアグラを変えちゃダメで、
やっぱり現場にいるべきだというふうに思います。
僕はそのような考えに基づいて、
この講演活動っていうのは、
あくまで僕が絶対に現場にいるということを徹底して、
やっていきたいと思っています。
いることでトラブルみたいなことが起こりそうになっても、
そういう時にだけ僕が、
この場はこういう場なのでということで、
何らかの基準を示すということで、
場の安全性とか安定感みたいなところを
作り出していきたいと思っているので、
そういう意味でも存在としての講演、
講演ってよく火を使わないでくださいとか、
音楽は鳴らさないでくださいとか、
やってはいけないことっていうのは書かれていたりすると思うんですけども、
やってはいけないところだけ示すというか、
自分がやりたいこととずれてきている時だけ、
それはそういう場所ではないのでっていうことを
しっかりと伝えていけるような、
そういう責任者、管理者としてですね、
そういう時だけ権力を行使させていただきたいなと思っています。
いやー、結局何を話しているかわからないですね。
たけびを見ながら話していると、
自分が何を話しているかよくわからなくなってくるというのがありますが、
こんなところですかね。本日は以上です。
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