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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、人生の車輪は再発明すべし、という話をしたいと思っています。
車輪の再発明という言葉をですね、ご存知でしょうか。
車輪の再発明というのは、広く受け入れられて、既に確立されている技術や解決方法を
再び一から作ってしまうことを指す慣用句です。
例えば、僕が一生懸命スマホを作って、iPhoneできたって言っても、
iPhoneって既にありますよね。
それって、せっかく生み出したのに、既にあるものを膨大な時間とかかけて生み出しちゃったね、
無駄だったね、みたいな、そういうことで使われるわけですね。
なので、教訓としてではないですけども、既にあるものは作らなくていいじゃん、
使えばいいじゃん、という話なんですが、時々これをですね、
人生にまで拡張してしまっている、拡大解釈してしまっている方がいらっしゃると思うんですね。
いわゆる、人生、自分が悩んでいることっていうのは、先人も同じように悩んで、
解決策で出してくれているよ、みたいな、結構そういう本とかあるんですよね。
悩み事っていうのは先人が解決してくれているよ、みたいなことを言っている本があったりもするし、
そういった感じで話している人もたくさんいますね。
要はもう、あなたの悩みって既にもう解決しているよ、みたいなことを言ってくることがあると。
で、その時に、先人の通りにやってみて解決しました、以上、っていうのもいいんですけども、
なんだろうな、これは、後でね、時間がかかったり、無駄に思えるかもしれなくても、
再発明ではないと思うんですね。
どういうことかっていうと、自分の頭で考えて、
例えばその先人が悩みを解決した方法とか、トラブルを乗り越えた方法、困難を乗り越えた方法と、
同じような結論に至ったとしても、無駄だったなとはならないんですよ。
どういうことかっていうと、何でもいいんですけど、よく名言ってありますよね。
いいことを言っているな、みたいな言葉があると。
1個例にとって、ガンジーが言っている言葉、
明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい、っていう言葉があって、
それをね、例えば何かの本とかで読んで、
ガンジーいいこと言うな、みたいな、これ自分のノートに書いて、自分のスローガンじゃないけども、
自分が生きていく上ですごく大事にしよう、みたいな感じで残す、っていうのもいいんですけども、
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いろいろいろいろ人生の経験をしたり、いろいろ自分の頭で考えて、
そこでね、自分が同じようなことを考えついたとしますよね。
明日いつ死んでもおかしくないけども、
ずっと生きていると思って、そういうスタンスで学び続けよう、とかっていうことを自分が考えたとする。
そしたらガンジーが全く同じようなことを言っているという状況ってあると思うんですよ。
その時に、これ自分で考えなくてもガンジーが考えていたんだから、この言葉借りてくればよかったってなりますかってことなんですね。
なっている方はいらっしゃるんですけども、実際に。
そんなことはないでしょうと。
この言葉がパッと外から降ってきて、本の中に書いてあって、そうだなって共感することと、
自分のこの肉体を使って、そして頭、脳みそを使ってね、ひねり出した言葉としてそこに同じところにたどり着いたっていうのは、
全然意味が違うんですよね。
言葉の意味は一緒なんだけども、中身の濃度が違うわけですよ。
かなり骨身に染みてというか、自分の身体から湧き起こっているというか、自分から湧き起こっている言葉として、
結果としてガンジーと同じような認識にたどり着いたというだけの話であって、
別にガンジーのことを借りてきたら、今すぐガンジーと同じ認識に慣れているから違うわけなんですよね。
なので、これは一見ね、明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って笑みなさいっていう言葉に、
パッと本で知ったっていうのと、自分が考えてその言葉を思いついてたまたまガンジーが同じことを言っているってことを知ったっていうのでは、
全然違うんだよっていうことです。
なので、一見シャリンを再発明しているように見えるんですが、
いや、このシャリンを発明するプロセスに意味があるのであって、
シャリンができたってことが、同じシャリンだったねってことはそんなに重要じゃないんですよね。
なので、最初に言いましたようにですね、あくまでシャリンの再発明というのは技術とかですね、
具体的な再現性のある解決方法みたいなものについては、
一から考えるよりは既にあるものを調べたり、学べばいいと進む話なんですけれども、
自分の人生というのはiPhoneではないですし、再現性のあるものではないですよね。
自分自身の人生というのは自分自身のものですし、
全く自分と同じ人生を生きている人というのはこの世に一人もいないわけですから、再現性がないと。
そういった意味ではですね、たとえ自分の頭で考えて異人と同じような言葉にたどり着いたとしても、
それは無駄なんじゃなくて、自分の認識は今ガンジーと同じレベルにある、
全てにおいてではないですよ、ある領域においてガンジーと同じレベルにあるんだなとか、
ニーチェと同じようなことを考えているなとか、
そんな感じで過去の異人との認識に自分がちょっと突発しているんじゃないかぐらいの、
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そういう楽しみ方もあるんじゃないかなと思うんですね。
なのであんまし何でもかんでも知識としてとか情報として借りてくることがいいわけではない。
それは技術や再現性のある場面においてはとても重要なんですけども、
自分の人生というね、全く再現性のないものについてはやっぱり自分の頭で考えて、
自分でひねり出す必要がある。
それが人と被って言いようが何であろうが、自分の全身を使ってひねり出したという、
そこが重要なので、その態度を間違ってはいけないと。
無駄なんかないと。
自分の頭で考えて自分の言葉で生み出していくってことがとても重要です。
被っているかどうかは関係ありませんと。
その感覚を持ってですね、人生の車輪についてはですね、再発明しまくる。
そういう態度で臨むべきかなというふうに思っています。
あんまり勉強ばっかりする、インプットばっかりしていないで、
アウトプットをですね、自分で考えてこうだとか、自分の人生でこうなんだとか、
自分の人間関係の方針はこうだとかね、どんどん言語化していってですね、
思考をフル回転させていただけるといいんじゃないかなというふうに思います。
本日は以上でございます。またお会いしましょう。さよなら。