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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、共通の何かを失うということ、という話をしたいと思っています。
仕事が始まってですね、元の生活に戻ってきたなぁという感じがしています。 今年は1月4日から仕事を始めて、毎週間働いてですね、
いつもの生活だなぁという感じがするんですけども、 年末年始どうだったかなというふうに思うとですね、
友人に会ったりね、キャンプをしたり、専門学校時代の友達に会ったり、 ボッドキャストをね、ゆるい言語活動を進めてボッドキャストをやっているんですけども、対面収録をしてみたいとかね、
実家に帰ったりとかという感じで、 まあそれなりに人に会ったり、そして一人でサウナに行ったり、家でダラダラしたりという感じでゆっくり過ごしたり
っていうね、 まあ有意義な連休だったなぁというふうに思うんですけれども、
ずっと感じていたのが、 年末感がないなぁとか、
正月感がないなぁって 思ってたんですよね。
そもそも年末感ってなんなんとかね、正月感ってなんなんっていう話なんだけども、 でもずっと前は、
ああ年末だなぁ1年が終わるなぁとか、正月だなぁ1年始まったなぁとか、 あと正月のこのゆるい感じちょっと嫌だなぁとか思ってたんですけども、
年末だなぁって感じもしないし、年始だなぁって感じもしないっていう、
なんていうのかな、季節感って言っていいのかわからないですけども、その感覚がね、あんまりないと。 1年始まったなぁって感じもしないし、
これはどうしたものかなぁって思ってるんですよね。
もう少しわかりやすいのは、 四季みたいなものですよね。春夏秋冬季節。
春だなぁ桜だなぁとかね、花見したいなぁとかって、 春から連想されるものがあって、そしてそれに
ひも付く集まりとかね、 そこで食べるものがあったりするわけですよね。
夏だなぁ海に行きたいなぁとか、 夏だなぁスイカ食べたいなぁとか、かき氷食べたいなぁとか。
秋はちょっと微妙、紅葉とかあるけど、その結構保持つけのね、独生の秋とか、 なんか色々ね、食欲の秋とか色々、保持つけのように言ってますけども、紅葉がね、あったりするイメージ。
冬は雪とか、クリスマスとかね、寒いから鍋とか、 ファッションですよね、コート着てるイメージがあったりとか、
冬らしいイメージみたいなのはまだあるけれども、 実感として
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冬だったなぁとか、夏だったなぁとか、春だなぁとかって感じる機会が減っている気がしますね。 それは単純に
昔と比べてイベントを参加しなくなった、花見をやらなくなったとか、クリスマス会やらなくなった、クリスマスパーティーやらなくなった、
夏だからといって海に行かなくなった、 夏らしいものを食べなくなった、みたいな感じで、まず行動の部分でそういうものが減ってきたのもあるし、
あるしっていうか、それが多分最初なんだろうね。それがなくなって、人がそれをやってるのを見たり、メディアで例えば夏らしい海っぽいね、
夏の海でみんながビーチにいる映像とか見ても、うわぁ夏だなぁって別に感じることはない。 自分の
感覚として、実感として夏を経験してないので、夏の映像を見ても別に夏らしさを感じることもなくなってきている
ような気がしますね。 季節なんかまだいいですけども、この365日ね、一つの節目
という見方もできるわけですけども、その節目、その虚構ですけども、節目なんかないと思えばないんですけども、一応ね
365日あって、1年終わるね、1年始まるね、みたいな、そういう区切りも
なんか 感じられなくなってきていると
感じられないことの何が良くないかっていうと、 別に僕は農業をしてるわけじゃないので、別に四季を感じて、この時期にちょっと種を植えてとかっていう
そういう 季節に即した行いをする必要もない
別に春だからパソコンはこのパソコンでとかやってるわけじゃないし、 年中同じパソコンを使って同じように仕事をしているわけだから、季節感が僕の生活には
そんなに重要ではない。生きていくという上では重要ではないんだけども その共通の何か夏だねとか春だねとか
花見だよね、忘年会だよね、年始だよね、年末だよねっていうのを失っていく 共通のというのは他者と共有できる何かって意味ですね
僕個人は別にいつを夏だと認定しようと、別に 春が来ないとしてもどうでもいいわけですけども
他者と共有するという意味での共通の概念としての春みたいなもの それはちょっとそれ難しいけど、まあ共通の概念としての花見とかちょっとね
比較的 持ちやすいのかもしれないね、例えば花見みたいなものも
失ってしまうと 何が問題なのかっていうと
一番問題なのは 他者との共通認識を失うということ、そして他者との共通認識を失うということは他者との
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コミュニケーションの きっかけを一つ失うということなんだろうなというふうに感じています
そういえば昔ですね 専門学校に行こうと思って
お金を貯めてた時期があったんですね、めちゃくちゃバイトを3つぐらい掛け持ちしてて ひたすら働いてた朝から夜中まで働いてて
だから友達と遊ぶ暇もないしお金もないしということで 季節ごとにですね
イベントを催して そこで僕が知っている仲良くしたい友達全員集めるみたいな感じで
何だろう意図せずイベント化したっていうのがあったんですよね 普通に時間とかお金があれば2人3人で飲みに行ってっていうのを日々重ねていけば良かったんだけども
お金も時間もないから夏よし1回何十人集めますみたいな感じで 合理的に遊んでた時期があったんですけども
確かにあの時っていうのは夏だな よしみんなで海でキャンプしようみたいな
っていう季節っぽいものと絡めて という口実でみんな誘ってたんですね
よし集まろう じゃあ人は集まらない よし夏だねなんか海行きたいね海で一泊キャンプしようって言った途端
行きたいなキャンプ行ってみたいなとか海行きたいなとかみんなに会いたいなとかっていう いろんなこう
大義名分がありますよね夏あそうだね海行きたいよねみたいな 海誘ってくれてありがとうってなるんだけど
何でもなくよし集まろう ちょっと知らない人もいっぱいいると思うけどいや何でですかってなるじゃないですか
なんかその辺の 口実になるっていうのがありましたよね
そうじゃないにしても僕は普段あんまり友達と遊ばないんですよね よし遊ぼう遊ぼうって言うものはないのかな
飲み行こうとかお茶しようってことなのかわかんないけどもそういうのあんましないので 何だろう誰かに会いたいなぁと思ったら
仕事的になってしまうというかプロジェクト的になってしまわないと例えば一緒にポッドキャスト をやるとかそういうプロジェクト的にならないとなかなか合う
きっかけを作れないなぁと思っていて純粋に遊ぼうと思うと例えば 忘年会をしようとかでって
忘年会に誘うみたいなやっぱりそれって季節的なものじゃないですか 忘年会っていうその言葉を知っているし忘年会ってなんとなくイメージがあるし
年末が12月ぐらいにねやるようなイメージがあって で結局それなんなんって感じだけどでも忘年会って言われたら
忘年会かいけるかなどうかなって話になるわけじゃないですか
そういう共通の何か花見でもいいし 夏だから海に行くでもいいし共通のイメージみたいなもの
クリスマスでもいいですよクリスマス会やろうよと そういったものを失った時に
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僕たちは 何をきっかけにコミュニケーションすればいいんだろうっていうね
学校のようにまだ 一つの教室の中に何十人という人がいて強制的に毎日顔を合わせる状況であれば
共通の話題を持っている人と話せばいいんだけども 自宅にみんないて何の接点もない状態の中で
コミュニケーションが発生するためには やっぱり
年の初めに 明けましておめでとうとかねそういう一言があるところからで最近どうなのって話ができる
忘年会であるから今年どうだったって話ができるみたいな そういう共通の何かを持っているっていうことはコミュニケーション上とても重要なんだろうなぁって
思った時に今僕が季節感を失ったり あもう年始か年始っぽくないなとかって思っていることは結構危険で
他者との距離が 距離というか他者と関わる可能性ですよね
そういったものがどんどん狭まっているんだろうなぁということを感じています まあ方やねインターネットでキーワードを入れて自分の価値観とか趣味に合う人を見つけていく
っていう方法もあるんですけどもそれはそれでちょっと 課題があるなとも思っているのでそれについてはねまた別の機会に話そうかなと思って
います 共通の何かを失うということがコミュニケーションのきっかけを失っているというそういう危機感を
持っているというお話でした 本日は以上ですまたお会いしましょうさよなら